11.ペンじゃだめ?
お読みくださりありがとうございます!
ありがたいことに本作が書籍化することとなりました。読んでくださる皆様のおかげです。取り急ぎタイトルが変更となりますのでその報告をば。詳細は活動報告にて。
これからも楽しんでいただけると幸いです。
お昼休み。中庭にあるいつものベンチ。
まだ先だけど、来年は学研都市サピエンス合衆国に出張する予定がある。大陸の北のほうにある国なのですごく遠くて、旅路も片道二ヵ月はかかる距離。しかも目的は学術研究の成果報告会に参加して情報を持ち帰ることだから、専門用語だって多く飛び交う。
私は今スパイスについて調べるのもひと段落して、お昼休みの暇な時間をもてあましていた。なので今後のためにもと思い、サピエンス語の本を辞書を引きながら読んでいると。
「今度はなにを調べてるのさ」
通りすがりのヴィクトルに声をかけられた。その手には書類の束。さてはこの人、またお昼ごはんを抜くつもりですね?
「調べているわけじゃないんですけど。今は天文についての本を読んでいます」
どれどれ、とヴィクトルが私の読んでいた本を覗きこんでくる。
「サピエンス語じゃないか」
「そうですけど」
だって言葉の勉強をするついでだし。
専門用語に慣れるために選んだ本なんだけれど、顔を引っこめたヴィクトルがやれやれと肩をすくめている。なんだろう、また厄介ごとを拾ってきてるみたいな態度……! そんなことはないのに! 勉強しているだけなのに!
「何か言いたそうですね」
「いいや? でもそうだね。君の興味が食べ物ばかりだったから、ちょっと意外だったかも。ペンじゃだめなのかい、とは思ったことはあるかな」
言われてみるとそうかもしれない。別に食べ物に興味があったわけじゃないんだけど。たまたまヴィクトルと出会ったきっかけも、そのあと調べることにしたものたちも、食べ物が多かっただけ。そんな私を四年も見てきたヴィクトルからすると、天文の本を読んでる私は意外に見えるのかもしれない……って、まるでこれじゃあ、私が食いしん坊みたいじゃない!
ちょっとそれは不本意すぎる。いやまぁ、食いしん坊かもしれませんけど! 美味しいものは食べたいですけど! でも別に、食べ物だけが興味の対象ではないのです。
「たとえばなんですけど。ペンをヴィクトルはペンと発音しますが、もしこの世界でペンと発音する人がいるのなら、私はペンについて調べるかもしれません」
今、私の琴線が揺れる基準はそこにある。
世界に存在する事象を一つ一つ調べて転生者を探すなんて、砂漠の中で砂金を探すようなもの。一生涯かけても成し遂げられない。
実際に今、発音の心当たりをもとに調べたり、ほんのちょっとの好奇心で調べたりしてみても、なかなか成果を挙げることは難しい。一年に一人見つかると良いほう。米なんて外れだったしね。できるだけ多くの成果を挙げるには、やっぱり確実な基準がいる。今の私にとって、その基準が発音なの。
「発音か。ペンと呼ぶ国って、どこの国?」
私は面くらう。まさかそこを突っこまれるなんて。
でもヴィクトルはマルチリンガルだもんね。そっか、知らない言語を聞いたら、そこ気になっちゃうんだ……。
どう説明しよう? 前世の話をしたところで信じてもらえないだろうし。うーん、何かちょうどいい言い訳は……!
苦し紛れだけど、思いついた言い訳は。
「子供の頃に聞いた話なので、分かりません。実際に調べていたら、エルパダ、玄蒼国、ハルウェスタ、クロワゼット、ガムラン。色んな国のものだったので」
「でも君がいつも気にしてるのは、命名している人についてだよね」
鋭いよー!
今日のヴィクトルはどうしたの……!? いつも面倒くさそうに付き合ってくれる感じなのに、今日はすごく積極的ですね……!?
私は悩む。すごく悩む。
自分と同じ世界から転生した人を探してます、なんて言ったら、ぜったいに変人を飛び越えて頭がおかしい人に思われかねない。いやもう、私だってヴィクトルがそんなこと言い出したら「ヴィクトル様、仕事のし過ぎで現実と夢の区別なくなりました?」とか言いかねないもの!
たったの三秒くらいかもしれないけど、すごく長い時間悩んだ気分。でも前世の経験が私を救ってくれる。あまり話したくはない時にはこう返す。これぞ年の功!
「私に興味を持ってくれるのは嬉しいんですが、しつこい男は嫌われますよ」
こう言えばナンパ野郎も空気を読んでくれるって、前世の友人が言っていた!
はたして効果のほどは。
「……しつこかった?」
ちょっとしょんもりしているヴィクトル。
うっ、なんで私が罪悪感を覚えないといけないの……!
私はこほんと咳払いすると、ささっと自分のランチボックスを差し出す。今日のお昼ご飯はタンドリーチキンのホットサンドです。からしマヨネーズがマッチしていてバリウマです。
「なんとなくでやってるので、理由なんてありません。そこを突っこまれても困るんです。……そんなことより私はヴィクトルのお昼事情のほうが気になります。食堂に行く暇がなければこちらをどうぞ」
ずずい、とホットサンドを差し出す。しょんもりしていたヴィクトルの眉がぴょんっと跳ねた。興味津々でランチボックスを覗いてくる。
「これは?」
「タンドリーチキンのホットサンドです。前に翻訳してもらったスパイスの中にあった、ミックススパイスを使ったんです」
「へぇ。食べて良いのかい?」
「いいですよ。ちょっと私には量が多かったんです」
チキンがけっこう肉厚でして。トマトやキャベツみたいな野菜を挟んでるとさらにボリューミーに。お屋敷の料理長はこれを二つ入れてくれたんだけど、一つのサイズがビッグマックサイズだからさ。料理長は本当に食べられる……? って疑わしげだったけど、美味しいから食べれると欲張った私の完全敗北です。食べきれませんでした。
「……本当にもらっていいの?」
「しつこい男はー?」
「いただきます」
ヴィクトルが遠慮なく手を伸ばした。それで良いのです。ついでに、スパイスやからしマヨネーズが垂れちゃうかもしれないので、その手にある書類はお預かりしますね。両手でどうぞ召し上がれ。
大口を開けたヴィクトルが、ホットサンドにかぶりつく。ぷりっぷりのタンドリーチキンがお尻からはみ出しそうになっている。それでもひと口、咀嚼したヴィクトルの目がきらめいた。
「これ、すごく美味しい! ミックススパイスを使ったんだっけ」
「そうです。ガムランのタンドリースパイスです」
ふっふっふっ。ヴィクトルはタンドリーチキンの虜になってしまったみたい。ぺろりと平らげてしまって、ちょっと物足りなさそうにしている。
「フェリシア、このスパイスの調合を聞いてもいいかい?」
「良いですけど、そろそろ休憩終わりますよ」
「あっ」
悔しそうな顔をしたヴィクトルはそれでも仕事を優先するしかなくて、ちょっと肩を落としながら慌てて行ってしまった。ヴィクトルはたしか、午後から来期の予算会議だっけ。ぜひ外交官たちの出張費をもぎ取ってきてください。
私も執務室に戻るべく、ランチボックスや本たちを手提げの籠にしまう。そうしてとことこと執務室に戻ると。
「はい、貴族でーす」
「はい、平民で〜す」
「アー! 貧民ッ!」
頭を抱えて悔しそうにしている赤毛が見えた。無念さを漂わせているイェオリをやいやいつつくのは、先輩外交官のティモとトゥロ。双子の兄弟なんだけど、二人は出張中だったはずでは……?
「ティモさんとトゥロさん、帰ってきてたんですね。三人で何をしているんですか?」
「フェリシアちゃーん」
「ただいま〜」
ティモとトゥロは私の側に寄ってくると、私の手を拝借して貴婦人への礼をしてくれた。そんな二人を、イェオリはじろりと睨めつけている。
「先輩たちが土産を持ってきてくれたんだよ」
「僕たちが二人で遊ぶとさー」
「勝敗がつかないんだよね〜」
ティモとトゥロが私の肩を抱いて、ふてくされたイェオリのそばに連れて行く。私はイェオリの執務机に散らばったものを見て、目を見開いた。
――これ、トランプだ!
発音といえば。
読者様の中に見識の広い方がいらっしゃって「オリザはラテン語の稲からきていますか?」と質問されました。不勉強でその時は違うとお答えしたのですが。
カレー編でスパイスについて調べていた時、「ターメリックはロシア語でクァクーマ」と発音することを知りました。
ラムリ男爵親子は二人揃って「ターメリックライス」になるようです。