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あめのち、はれ。

作者: 坂下ゆにこ

 井上家の夕食時はいつもといたって変わらなかった。

 母と父、あと妹の宇美うみそれから私で居間の食卓を囲んでいた。

 夕飯の大皿にのった唐揚げをつつきながら宇美が口を開いた。まだ七歳という年齢だ。箸を唐揚げに突き刺し、次々と自分の茶碗に唐揚げをのせていく。すでに五つものせてあるというのに、まだ宇美の箸は唐揚げののった大皿に向かっていった。

「宇美、てるてる坊主作る」

 行き成りの宇美の言葉に母は目を丸くした。父は味噌汁を飲む手を留めた。私はというと、つい「え?」と声を漏らしていた。


「てるてる……坊主?」

 母は宇美に聞き返した。箸を持つ手は留まっている。

「うん。あたしな、お姉ちゃんの明日の大会が晴れるように、てるてる坊主作ってお祈りするん」

 私は宇美の言葉が理解でき、そういうことかと思った。

「なぁ、お姉ちゃん明日晴れるかなぁ?」

 宇美からの質問に私は首を捻った。

「……雨だと思うよ」

 箸で唐揚げをつまみながら、なんとなく申し訳なさそうに私は宇美に言った。だが、天気予報では九十%雨だと言っていたのだ。

 案の定、宇美は俯いた。


 私は唐揚げを口に放り込んだ。


 明日の大会というのは陸上大会の事だろう。各県の高校生陸上選手が集まり、タイムを競いあうという大会だ。金銀銅のメダルもきちんと贈呈され、かなり注目度の高い大会と言っても過言ではない。

 無論、雨が降れば大会は中止だ。

 そして、実をいうと私、井上真央いのうえまおもこの大会に出場する一人である。

 櫻淋西高等学校、二年生の私は一年生の時ただなんとなく部活を陸上に決めた。どうせなら、遣り甲斐があったほうがいいだろうという思考だ。

だが、陸上部に所属して初めての夏がきたときだった。

 私は、初めての大会に出ることになった。この大会はさほど大きくはなく、県の一位を決める大会だ。高校生の陸上部所属の人はほとんどの確立で出してもらえる。勿論のこと陸上部所属の私も大会に出場できた。

 まぁ、十位内に入れば良い方だろう。あまり高望みはしなかった。櫻淋西高等学校は運動系には弱く、運動場も狭かった。だが、運動系が弱いかわりに文化系は強かった。特に美術部、吹奏楽部は沢山の賞状にトロフィ-を貰って帰ってきた。

 そのせいか、集められた学費は勉学、文化活動費などにばかり回った。

 無論、運動系所属の野球部、サッカー部、そして我らの陸上部は反発運動を起こした。校長に直談判までした挙句、やっとこさ学費を運動部の方にも回してくれた。

 だが、学費を回したといえども、勿論のこと、すぐに成果は出なかった。

 そんなときのこの大会。櫻淋西高等学校の陸上部所属選手、誰一人と本気で優勝できると思った人はいなかっただろう。いるもんなら、その面を見てみたいものだ。


 だが、その出来事は起きた。

 櫻淋西高等学校が優勝してしまったのだ。

 誰もが目を丸くした。「タイム計測に不備があったんじゃないか」と抗議する他校のコーチさえいた。それ程、櫻淋西高等学校の優勝は考えられなかったのだ。


 表彰台の一番上に立ったのは、櫻淋西高等学校陸上部部員三年生の松田まつだという男だった。

 彼が賞状をもらっている時、ふと決意が芽生えた。私もあの表彰台の上で賞状を受け取りたい。そう思ったのだ。

 なんとなく部活を陸上にしたあの時から、この大会の優勝を通じて、私は夢を見つけた。


 そして明日の大会はこの夢を実現させる絶好の機会だと思っていた。


 だが、明日は雨だと髪の毛に軽いウエーブのかかっている女の若い天気予報士が言っていた。確率九十%だとか何とか。

 明日は完全に中止だと心で思い、かなりがっくりとした。何もやる気が出なく、ただ呆然と外の景色を眺めた。

 だが、私より肩を落としていたのは妹である宇美だった。いつだったか、宇美は私が走っている姿を見るのが好きだと語ってくれた。


「大丈夫だよ宇美、きっと晴れる」

 この重い空気を振り払うように私は宇美に言った。

「そうよ宇美、てるてる坊主を付けたら晴れるかも知れないわよ」

 母も私に続けて言った。顔は笑っているが、額にはうっすらと汗が滲んでいた。父は何も喋らなかった。もともとあまり喋らない父だからこんな事、日常茶飯事なのだ。


「……じゃあ、宇美晴れるように、てるてる坊主作る」

 宇美の顔には満面な笑顔が溢れた。残りのご飯を食べきり、「ごちそうさま」も言わずに、二階に続く階段を駆け上がっていった。


 私が夕飯を食べ終わる頃には宇美はカラーペンやらテッシュケース、それから輪ゴムなどの材料を持って階下に降りてきていた。

「てるてる坊主、作るの?」

机にそれらの材料を広げた宇美に私は問いかけてみた。だが答えはわかっている。

「うんっ」

 宇美は白い歯を見せて笑った。歯並びの良い宇美は幼稚園の時に『良い歯で賞』とかいう何とも自慢にもならない賞を貰って帰って来た事があった。宇美本人は相当喜んでいたが、『良い歯で賞』はかなり高確率で貰える賞の一つで宇美以外でもかなり沢山の子供が貰っていたそうだ。まぁ、宇美本人は知らない情報だが。


「明日、絶対に晴れになるようにお願いするね!」

 別にてるてる坊主をぶら下げれば晴れになるなんていう迷信、一ミリもいや、一ミクロンも信用していない。

「……宇美」

 早くもテッシュを丸めだした宇美に私は呟いた。宇美は私を見て「何?」と言いながら、にっこりと笑った。

「ありがと……う、ね」

 宇美は私を見つめたまま、目を丸くした。宇美の手は完全に停止していた。

「晴れたらいいね、明日」

 一ミリも一ミクロンも信用してないよ。


「じゃ、明日の天気は宇美にお任せ!」

 宇美は手をピースの形にし、私に突き出した。私は敬礼のポーズをして「任せた」と笑って言った。


 迷信なんて信用してないけど、少なくとも私は。


 でも。

 宇美の言葉は信用してやろう。

「宇美っ!」

 敬礼ポーズを崩し、私は宇美に向かって人差し指を突き出した。

「明日、晴れじゃなかったら罰金百万円ね!」

「お姉ちゃんって冗談きついな、お姉ちゃん宇美より馬鹿なんじゃないの?」

 宇美は小さく笑いながら言った。私もいつもなら怒るところだが、今日ばかりは怒らなかった。自分でもわからないがなぜか今日は笑い飛ばせることができた。

 

 玄関の入口付近には沢山のてるてる坊主がぶら下げられた。表情も一つ一つ違い、笑っている者もいれば泣いているのもいる。七歳にしては上出来だろうという仕上がりだった。


 雨の確立が本当に九十%なのだとしたら。

 残りの十%に掛けてやろう。


 なんの根拠があるわけでもない。

 明日、晴れればいいな。ただそれだけを願って、残りの十%に掛けた。




  *




 大会当日。いつもより早く目を覚ますと、私は階下に駆け下りた。

 階下には誰もいなかった。掛け時計を見ると五時半を少し過ぎたところだった。この時間じゃ、誰も起きてないだろうな。と、何となく思い納得した。

 その時、後ろから物音がして、私はさっと方向転換をし身構えた。

 まだ暗い部屋の階段から父が下りてくるところだった。パジャマ姿の父は頭を掻きながら、大欠伸をして階下に下りてきた。階段を下りるたび、ぎしっぎしっと階段が鳴る音に私は身構えたのだろう。

 父は私がいるのに驚いたのか、「どうした?」と聞いてきた。

「……っていうか、おはよう」

 父が言ったので私も「おはよう」と続けた。父は閉まったままのカーテンを見つめ、私に問いかけた。

「雨なのか?」

 私は「知らない」と首を振った。私はカーテンまで歩み寄り、ゆっくりとカーテンを開けた。


 初めに見たのは、雨粒の滴っている植物たちだった。それから、厚い灰色の雲に覆われた空。その空からは紛れもなく雨が落ちてきていた。

「雨だ」

 私は俯いた。今にでも「あーぁ……」と言って、床に崩れ落ちたかった。

 雨は小雨ではなかった。さぁさぁと絶えず雨は降り、地面がぐっしょりと湿っているのも見ただけで判断できた。

「仕方ないよ」

 私は父に向かって言った。声は笑っていたが表情は強張っていた。仕方ないなどという言葉では片づけられないほど苦しかった。

「真央」

 父が私を呼んだ。私は父を見つめ「何?」と答えた。

「大会は何時からだ?」

 父の言葉に私は目を丸くして、「昼の一時からだけど」と答える。父はわかったと頷き、「大丈夫、まだ晴れるかもしれない」と言った。


 そのうち、母と宇美が起きだした。宇美は外を見るなり泣き喚き、私に抱きついたきり離れようとしなかった。

 母は朝食を作りながら、私に問いかけてきた。

 「大会の開催の有無の電話はかかってくるの?」という質問だった。私は母に向かって頷き、「十二時ぐらいに来ると思うよ」と私は答えた。母は「そう、わかったわ」と頷いた。

 ふと宇美に目をやると、まだひっくひっくと鼻をすすっている。

「宇美、大丈夫?」

 私は宇美に聞いてみた。宇美は頷いたが、きっと大丈夫ではない。赤くなった鼻と、今だに目から溢れている涙の粒を見れば、宇美が大丈夫ではないことなどすぐにわかった。

「まだ、晴れるかもしれないもん」

 宇美の言葉に私は首を傾げた。そして、宇美に聞いてみた。

「その言葉、お父さんに聞いたの?」

 宇美は小さく頷いた。「宇美が泣いてたら、まだ晴れるかもしれないってお父さんが」宇美は私にそう言い、笑った。

 なるほど。父は宇美にも同じことを言ったのか。どこにそんな根拠があるんだろうか。


 雨は小雨になりつつあった。勿論、宇美は飛び跳ねて喜んだし、私も嬉しかった。もしかしたら晴れるのではないか。と期待していた。

「お姉ちゃん、晴れたら頑張って走ってね」

 宇美は笑いながらそう言った。「勿論だよ」と私も返事をした。

 

 母と宇美が買い出しに出かけた時、私は思い切って父に聞いてみた。


「お父さん、なんでまだ晴れるかもって私に言ったの?」

 椅子に腰を下ろし、新聞の記事に目を落としていた父に私は聞いた。「根拠なんてないはずでしょう?」とも付け足した。

 父は新聞を畳み、私を見た。父はやんちゃな子供のような目をして言った。

「なんででしょう」

 質問返しか。私は溜め息を漏らし、「教えて」と短く言った。

「いちいち、根拠なんてないよ」

 父の出した答えはコレだった。私は唖然とした。目が点になったのは少なくとも間違いではなさそうだ。

「ないの?根拠?」

 父は「なんでも根拠がないといけないのか?」と言った。喧嘩を売るような口調で、私は暴言を吐こうとする自分を必死で堪えた。

「根拠なんてない、むしろ勘だ」

 呆れた。

 勘だとは思わなかった。まぁ、理論や論理をつなぎ合わせて出した答えだとも思っていなかったが。

「宇美のてるてる坊主と同じだよ」

「え?」

「根拠はないけどてるてる坊主をぶら下げれば晴れる気がする。だからてるてる坊主を作る、ただそれだけの話」

 

 空には虹が光った。まだ水滴の滴る植物には日光の光が降り注いだ。





「大会開催してよかったよ」

 大会出場者待合室で私は宇美に言った。宇美もにっこりと笑った。「てるてる坊主のおかげかな」宇美は私にそう言った。

 大会用ユニホームに着替えた私は宇美の肩に手を置いて、「お父さんとお母さんのところに行ってきな、姉ちゃんそろそろ競技始まるから」と言った。宇美は頷き、「わかった」と了解した。

「頑張ってね、お姉ちゃん」

 宇美はそれだけ言うと、走って母と父のいる観客席に向かって行った。


 雨は止み、青い空に包まれていた。コーチの集合の合図で私たちは集まった。中には松田の姿もあった。

「今日は快晴だ。皆、全力を出し切ってこい!」

 コーチの声に私は小さく頷いた。


 私は運動場に出た。歓声の声が時たま聞こえた。白い石灰粉のラインに沿うように歩き、ゆっくりとスタートラインについた。

 隣のラインには松田がいた。その隣は他校の生徒だ。

 スニーカーの紐を縛り直し、地面に手を付けた。スタートのポーズをする。

 空は青くすみ渡り、雲は静かに揺れる。


「では行きます、よーい――……」


 今日も空は美しい。

 

 『あめのち、はれ。』どうでしたでしょうか?

 初めての投稿ということで劣らない点もあったかと思います。

 勢いで書き始め、勢いで完結まで導いた、という感じでしたが、自分的には楽しく書けたつもりです。


 この作品の投稿の場を作ってくださった皆様。

 そして、この作品を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 気持ちのいい作品だと感じました。 私も学生の頃は陸上部でしたので、天気で気持ちのコンディションが左右されるところなど共感するところが多く、勢いで全部読んでしまいましたw [一言] これから…
[良い点] とても清々しくて気持ちいい作品でした。 とても面白かったですよ。 [一言] また、色々と面白い作品を書いてくださいね。
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