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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

卒業公演

作者: A5

 先輩には2度フラれた。




 春。

 学生の間しかできないサークルに入りたくて、俺は演劇部に入ることにした。

 意外と忙しいこのサークルは、意外と暇な大学生活に上手いこと調和して、俺は意外と充実した日々を送っていた。


 大和田先輩は4回生で、演劇部の部長。

 ここでは既製の台本は使わず全てオリジナルで書いていて、今は主に大和田先輩が脚本担当だ。

 先輩の台本は凄い。

 初めて読んだ時は、腹を抱えて笑って最後には恥ずかしながら少し泣いてしまった。

 地味な俺は照明班を希望して、1回目の公演から早速調光卓を担当させてもらえた。

 つまみを上げれば、真っ暗だった空間に光が差す。

 キラキラとした舞台の中心には、いつも大和田先輩がいた。




「嬉しいけど、その気持ちはお前の中に留めておいて」


 夏の合宿中、我慢出来ずに俺は先輩に告白した。

 田舎のロッジはカエルの声がうるさく、無数の星と月で外はそんなに暗くはなかった。

 だから俺ははっきりと覚えている。

 生温い風になびく前髪を掻き上げ、柔らかく微笑んだ先輩はやっぱりキラキラと光っていたのを。




 秋、先輩が倒れた。

 みんなは日頃の夜遊びで寝不足なだけだろうと笑っていたけど、俺は知っている。

 学食で先輩達が話しているのを、たまたま聞いてしまったのだ。

 顧問の教授が辞めてしまって、今稽古している公演が出来なくなるどころか、部の存続さえ危うい状況に陥っている。

 そして、先輩は部長として寝る間を惜しんで学生課や研究室を駆け擦り回っていたらしい。

 そんなことが続けば倒れるのは当たり前だ。

 なのに、事情を知らないとはいえ無責任なことばかり言う部員に堪らない憤りを感じずにはいられない。


 確かに、日頃の先輩は軽い。

 誰にだって気さくで俺とは正反対のような人。

 だけど、部長や脚本、演出に果ては役者まで様々な役割を難無くこなす有能な人でもある。

 今だって、倒れる直前までいつもと変わりなく舞台の演出をしていた。

 青い顔の先輩を部室のソファに寝かせると、みんなはスタッフの俺に看病を任せ再び稽古場へと戻ってしまった。

 ドアが閉まる音を皮切りに、室内は喧噪から切り離される。

 耳を澄ませば遠くで鳴る吹奏楽部の音に混じって、先輩の小さな寝息が聞こえる。

 俺は憔悴しきった先輩の顔を見ていられずに、床に腰を降ろしてソファに背を預けた。


 秒針の音。

 遠くの喧噪。

 浅い寝息。

 身じろぐ気配。

 振り返って少しはだけた先輩のブランケットをかけ直す。

 少し長めのその髪を、あの夏のように指先で掻き上げてみる。

 柔らかな先輩の髪。


「……ごめ、ん」


 掠れたように紡がれた言葉。

 多分寝言のそれに、俺はまたフラれてしまったと小さく笑った。

 薄く開かれた唇に、そっと覆い被さって口付ける。

 先輩との初めてのキスは、苦く乾いた味がした。




 年が変わって冬。

 先輩の画策によって顧問も決まり、ついに4回生卒業公演の稽古が始まった。

 最後の公演というだけあって、一年の集大成である卒業公演はお金がかかっている。

 照明だっていつもの倍の数だし、舞台セットも豪華だ。

 衣装も女の子達が年末から作ってくれていて、その黒い軍服を纏った大和田先輩はまさにお伽話の騎士のようで…

 俺の鼓動はさっきから暴れっぱなしだ。


「凜太郎、俺の軍服姿はどう?」


 先輩は一番後ろのブースにまで来て、わざわざ俺に見せてくれる。

 正直嬉しいけど、ちょっと困る。

 だって俺の恋は、まだ終わってくれていない。


「大和田先輩、メチャメチャ似合ってます」


 今の先輩は役の為に金髪で、その前髪をいつもの仕種で掻き上げる。


「またまた、嬉しいこと言ってくれちゃって」


 本当に嬉しそうに笑うキラキラした先輩。

 俺はその姿を忘れないように、深く記憶に刻み付けた。




 今日で稽古は終わり。

 明日からの2日間はたくさんのお客さんに、俺達が作り上げた舞台を見てもらえる。

 長いようで短かった。

 この稽古期間もそうだけど、俺が先輩を好きだったこの9ヶ月。

 みんなが帰っていく中、俺だけは終わりにしたくなくてブースに座ったまま動けない。

 早く帰って眠らなきゃ持たないって分かってるけど、どうしても動けない。

 動きたくない。

 この公演が終われば先輩は卒業してしまう。

 俺の作る光にキラキラ輝く先輩を、あと2日しか見ることが出来ない。

 調光卓に額を擦り付け、涙が滲みそうになる目を硬く閉じる。


 この恋も、終わらせないと。

 先輩を笑って見送れるように、今ぐらい泣いたって罰は当たらないだろう。

 目から溢れ出した涙が、膝にボタボタと落ちる。

 俺の想いが零れ落ちる。

 肩を震わせ唇を噛み締めていると、不意に隣の椅子が軋んだ。

 見なくても分かってしまう、隣にいるのが大和田先輩だと。

 やっぱり、終わらせることなんて出来ない。


「泣かないで、凜太郎」


 優しい声。

 調光卓に額をぶつけたままの頭を柔らかく撫でてくれる優しい手。

 きっと眼差しだって優しいはず。

 優しい先輩。

 だけど今は、その優しさが…痛い。


「…大丈夫ッスよ。ただちょっと、目にゴミが…」

「俺が泣かせてるんだよな」


 分かっているのか、先輩は。

 俺の枯れることのない想いを知りながら、優しく慰めているのか。

 なんて、残酷。

 頭が沸騰する。

 気付いたら俺は、先輩の手を振り払っていた。

 反射的に頭を上げ視界に入った先輩の顔は、どこか辛そうに歪んでいた。


「スミマセン、一人でメソメソ泣いちゃって。キモいッスよね、自分でもそう思うし。…つか、もう帰りますんで、先輩も今日はゆっくり休んでください」


 もう、一秒だっていられない。

 立ち上がった拍子に椅子が倒れたけど、構っていられず先輩の後ろを通って出口に向かう。


「もう…我慢できない」


 唐突に低い呻き声が聞こえた。

 次の瞬間、俺は立ち上がった先輩の腕の中にいた。

 爽やかな制汗スプレーの匂いに包まれ、いつの間にかまた涙が溢れてくる。


「…離して、下さい」

「いやだ」

「離せ…っ」

「いや」


 もう止めたいのに、こんな辛い恋は終わらせたいのに、先輩の残酷な声が、腕が、俺を縛る。

 逃れようとすればするほど強くなるその腕に、俺は本格的に泣き崩れた。

 声を出して子供のように泣く俺の背中を、先輩の手が慰めるように撫でる。


「う、く…っ…も、優しく…しな、で…」

「いや」

「…ひっ、うぅー…何、で…ッ」

「好きだから」


 先輩の短い言葉。


「うそ、だ」


 頭が真っ白になる。

 幻聴だと言われた方が納得できる状況に目を白黒させていると、先輩は殊更優しく耳元で囁いた。


「嘘じゃない、ずっと…好きだった」

「…うそ」


 信じられない。

 あれだけ溢れていた涙も止まり、俺は唖然としながら先輩の顔を見上げる。

 言い聞かせるように背中を撫で続ける手に力を込め、先輩はまっすぐ俺を見つめて微笑んだ。


「凜太郎。このサークルはかなり閉鎖的で、人と人との距離が近い。だから仲間意識を恋愛感情だと勘違いする奴も多い」

「俺の気持ち、疑ってたんですか…」


 こんなに痛くて辛い想いが、恋じゃないはずない。

 余りに無神経な言葉に顔をしかめると、先輩は笑いながらそうじゃないと首を振った。


「違う違う、疑ってたのは俺の心」


 それから先輩はとつとつと話してくれた。

 昔、告白されたこと。

 好きだと思って付き合ったこと。

 でもその気持ちは勘違いだったこと。

 そして相手を傷付けてしまったこと。

 話し終わった先輩は確かに微笑んでいるけど、俺には泣き出しそうに見えた。

 きっとそのことで、先輩自身も深く傷付いたんだろう。

 俺の涙の跡を拭ってくれる先輩をこれ以上責めることなどできずに、ただじっとその声に耳を傾ける。


「凜太郎に告白されて、凄く嬉しかった。だから俺は卒業まで待ったんだ。俺の気持ちは本物だって、胸を張ってお前が好きだって言いたかったんだよ」


 なのに、と言って先輩は、優しく撫でていた俺の頬を軽く摘んだ。


「フライングだよ、凜太郎。卒業公演が終わるまであと2日あるのに、告白しちゃったじゃないか」

「それは…」

「そう、俺のせいだよな。凜太郎を傷付けたくなくて時間を置いたのに、そのことで返ってお前を傷付けてしまった」


 摘んでいた指が離れ、両手で俺の顔を挟むように包み込む。

 先輩の少し潤んだ目が近付いてくる。


「ゴメンネ、凜太郎。だけどこの気持ちは本物だ」

「大和田、先輩…」

「好きだ」


 あれほど聞きたかった言葉を耳にし、込み上げる喜びにまた視界が滲む。

 そっと唇に温もりを感じゆっくりと目を閉じた。

 頬を伝う涙は先輩の手を濡らしてしまったけど、2度目のキスは少し甘い気がした。




 卒業公演は大盛況の中、無事に幕を閉じた。

 俺と先輩はといえば、ただ今打ち上げの真っ最中。

 賑やかな会場の隅で、並んでグラスを傾けていた。


 あの日から3日。

 慌ただしい本番を駆け抜け、今日も舞台の撤去やら何やらで忙しかった俺達は、未だに二人きりになれずにいた。

 いや、もしかしたらこれからは二人どころか会うことも難しくなるかも知れない。

 想いが通じ合ったとはいえ、大学生の俺と社会人になる先輩とでは擦れ違いも大きいだろう。

 すぐそこまで迫った未来に、俺は知らずに溜息を連発していたらしい。

 隣で先輩が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。


「大丈夫か、疲れが溜まってるんじゃない?」

「いえ、そうじゃなくて…」


 これからはお互い、隠し事はなしにしようと約束した手前、女々しくて言いたくなかった不安を渋々口にする。

 すると途端に笑い出した先輩に、俺は険しく眉を寄せてた。


「笑いごとじゃないですよ、やっと恋、人…になれたのに…」

「大丈夫だって。俺、来年度は5回生だから」

「はぁっ?」


 5回生?

 それって、まさか…


「いやぁ、サークルにかまけてたら単位が足りなくて。だから、これからもこうしてキャンパス内で会えるよ」


 留年だというのにニコニコと嬉しそうに笑う先輩はやっぱりキラキラ光っていて、悔しいけど俺まで嬉しくなってくる。


「それじゃ、先輩。一緒に卒業しましょうね」

「え?」

「俺の為に7回生になってください」

「……マジですか」




 先輩には2度フラれた。

 夏の合宿と秋の部室。

 苦しくて辛かったけど、きっとそれは先輩もだと思う。

 酔っ払う部員達が盛り上がり脱ぎだすのを見ていると、テーブルの下でそっと手を取られた。

 当たり前のように握られる手に頬を緩め、先輩の耳に小さく囁く。


 あの夏の日と同じ言葉を。




【end】

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