置いていく
僕は素知らぬ顔をして彼女の横を通り過ぎた。だがしかし、小走りで追いかけてきた星野さんはどこかウキウキしたように小声で尋ねた。
「大山くん? ねえ、なんかいた? なんかいるの?」
「え? 何が」
「あの席の男のひとの前。なんかいるの?」
「別に。最初人数を聞いた時見間違えただけ」
そっけなくそう答えてみせた。だが心の中はバクバクだ。女にも視えるって気づかれたくないし、星野さんにも気づかれたくない。僕の敵は二人いる。とりあえずそのままあの席が見えないように移動する。完成した料理が出てやしないかと裏へ入ってみるが、残念ながら特に何もなかった。
ついてきた星野さんがまとわりつくように言ってくる。
「だって大山くん随分慌ててた」
「ははは、そうかな、失敗すると慌てちゃうのなんとかしなきゃねははは」
あくまでしらばっくれる僕に、彼女は少し頬を膨らませて睨みつけた。馬鹿野郎、取り憑かれるのが夢だなんて言うオカルトマニアに霊がいるって教えてたまるか。
それから仕事に意識を逸らせてあの女のことを忘れるように努めた。幸い注文を取るのも食事の提供も他のメンバーがやってくれたので、僕は近寄らずに済んだ。
一人での来店だったせいか、客は食事を済ませるとさっさと伝票を手にした。遠目でそれを見てほっと息をつく。そのままどうぞお帰りください、なぜあの男の人に憑いてるかは分からないが、僕が首を突っ込めることじゃないし……
さて皿を下げに行こうかとあの席を振り返った瞬間、出かけた自分の足がピタリと停止した。
空になったグラタン皿の前に一人の女が座っている。相変わらず俯いて髪が垂れいるので顔が見えない。ピクリとも動かず、異様な空気を醸し出しながらそこにひっそり座っていた。
(……置いていった……! あの女、居座ってしまった……!)
絶望で頭が真っ白になる。男についてきた女、きっと一緒に帰って行ったのだろうと思い込んでいた。まさかここに居座ることになってしまうなど思ってもみなかった。
呆然としている僕の顔を、星野さんがチラチラと遠目から見ているのに気がついた。はっとして平然を装う。僕は女の方は見ないようにして、トレイを片手に一番奥の座席へと移動した。
近くまで行って空の皿たちを無言で下げていく。もちろん目線は女の方は絶対に見ない。それでも、視界の端で彼女が俯いたまま動かないのを確認できた。動く気配はまるでない。
もしかしたら無害なものかも。僕は心の中で呟く。霊とは有害なものからそこに存在するだけの無害なものまで幅広く存在する。後者だとしたら、放っておけば多分いなくなるし悪影響はない。
そう思い込んでテーブルの上を拭く。そこへノックがやってきて小声で話しかけてきた。
「大山、もう上りの時間だろ。変わるよ、お疲れ」
優しい彼の気遣いに喜びながら時計を見上げた。確かに、今日午後からずっと働いている自分はもう上がらせてもらう時刻になっている。心の中でガッツポーズをとった。
「あ、ありがとう。じゃあ上がらせてもらう」
「ん、お疲れ」
とりあえず持っている食器だけ洗い場へ持っていこうと軽い足取りで歩んだ。ささっとそれを片付けると、帰宅しようと更衣室へ向かっていった。
「大山くん」
背後から綺麗な声色が聞こえる。振り返ると、まるで作り物かと思うほど可愛らしいその人が微笑んで立っていた。
「あ、星野さんお疲れ」
「ねえ、帰りご飯食べて行かない?」
「へ」
「親睦を深めるってことで。この前迷惑かけちゃったお礼も兼ねて」
首を少し傾けて言ってくる星野さんを見て、不覚にも心臓がどきりと鳴ってしまった。オカルトマニアのとんでもない子だけど、普通に見ればぶっ飛んでしまいそうに可愛いし優しいところもある。一人の男として、こんな可愛い子からのお誘いは心弾まずにはいられないのだ。しかも自分は地味な眼鏡野郎で、女子と二人の食事すらほぼ経験がない。
「え、いいいいいいいけど」
「よかった。着替えてくるね」
優しく微笑んだ星野さんの後ろ姿を見送る。はねるポニーテールの髪がなんだかやけに尊く見える。自分も慌てて更衣室で着替え、安っぽい適当な服であることを残念に思った。いや、元々こういう服しか持ってないのだが。
外に出てみると、すでに星野さんは着替え終えていた。結んでいた髪はおろしている。僕はずり落ちた眼鏡を直しながら駆け寄った。
「ごめん待たせたかな!」
「ううん」
「えっと、どこに行」
「バイトに入ったばっかりの時って、一度そこで食事した方がいいと思うの。客目線になれるしメニューも覚えられるし。だからうちの店で食べていこ」
僕の言葉を被せるように彼女は一息にいった。そしてやたら幸せそうにうっとりしながら外ではなく店内へ戻っていくその姿を見て、僕はただ一言「やられた」と思った。固まったまま動けずにいる。
外見につられてしまった。やっぱりこの子はとんでもないオカルトマニア、取り憑かれるのが夢の変人なんだ。初めからファミレス内に戻るのが目的で僕を誘ったんだ。
慌てて振り返る。すでに大分先まで進んでしまっている星野さんに話しかけた。
「星野さん! いや、外に食べに行きた」
「これも勉強だよ。早くバイトに慣れるといいね」
完全にこちらのセリフを聞いていない彼女はそう答えると、さっさと店内へと向かっていってしまった。




