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憑かれたい彼女  作者: 橘しづき
喰うもの
38/39

堕ちる




 それから少し滞在したあと、僕らは病室を出た。そして星野さんの誘いに乗り、ともや君の病室が見える談話室で座ってお茶を飲むことにした。


 落ち着かない中、二人で自動販売機で買ったジュースを飲む。星野さんは普段と変わらない様子で、ポケットから鷹の爪を取り出して齧っていた。


 キョロキョロと辺りを見渡し、あの女の子がいないか確認する。


 今のところまだ現れていないようだが、きっとこの病院内のどこかにいるのだと思った。僕らがジュースを飲んでる間にも、どこかで人が亡くなっているのだと思うと複雑な気持ちになる。


「ねえ、大山くん」


「え? な、なに?」


「死神の女の子の話だけど」


「死神……みたいな役割だろうね、多分あれはすごく厄介な霊だと思うけど」


「この世には色んな霊がいるんだね。大山くんと一緒にいるとつくづく思う。生き霊だとか、写真に映ったり、人形に宿ったり。すごく奥深いと思う」


「奥深い、のか?」


 首を傾げて不思議に思う。まあ、僕は幼い頃から視えていたわけで、星野さんぐらい鈍感で何も視えないと色々新鮮なんだろうとは思う。


「奥深い。大山くんと会ったことで尚更興味をそそられてる」


「いい加減オカルト趣味やめなよ、いや好きなのはいいいけど、憑かれたいっていうのが」


「だって私は守護霊強いらしいから」


 涼しい顔をして言う彼女に呆れて言葉も出なかった。多分これ、絶対直らないだろうな。いつか本当にとんでもないことを……


 そう考えていた時だ。今まで適温だった談話室の温度が一気に氷点下まで下がったように思った。


 全身を硬らせる。持っているジュースの缶が氷のようだった。手にひらが感覚がなくなる。


「大山くん? 真っ青だよ?」


 星野さんは不思議そうに僕の顔を覗き込む。それに返事する余裕もなく、ただなんとか視線を動かしてともや君のいる病室を見た。


 黒いものが横切った。白いパジャマを着たその子は、病室の前でじっと扉を見上げていた。


 僕は勢いよく立ち上がる。椅子が倒れて大きな音を立てた。星野さんは察したようで、僕の椅子を直しながら声をかけてくる。


「いるんだ?」


「……びょ、うしつの前だ」


 震えながら答える。だが、あれがともや君の部屋に入ろうとしないことに気がつく。少女は動かず扉を見つめ続けていた。そのまましばらく時間が経った後、突然彼女は持っているものを強く床に叩きつけた。人形だった。


 薄汚れた髪のない人形が白い床に容赦なくぶつかり、その人形の顔が痛そうに歪んだように見えた。


「……苛立ってる?」


 もしかして。あのお札の効果か? だからあの子はともや君のそばにいけないんだろうか。安易だけどやっぱり効果があるんだ!


 そう喜んでいると突然、少女がこちらをむいて心臓が大きく鳴った。あの落ちそうな眼球が僕を捉える。情けなくものけぞってしまった。それくらい、あの子は嫌な気が強すぎる。


 すると少女は、顔をぐわっと歪ませてこちらを睨んだ。子供とは思えないおぞましい顔だった。眉間に寄せられた皺、汚い歯を食いしばる唇、額には血管が浮き出ているように見えた。


「う、うわ、怒ってる!」


 僕は慌ててそこから立ち去ろうとしたが、強く腕を掴まれて振り返った。星野さんが余裕のある顔で立っている。


「怒ってるの? 相手」


「めちゃくちゃ怒ってるよ! こっちに来たら危……あ、これないのか!」


 星野さんが冷静である意味がわかった。そういえば、お札はもう一枚あるのだ。星野さんのカバンの中。それを思い出して、全身の緊張がふうっと抜けた。


 僕は落ち着いてはあと息を吐く。


「星野さん、ありが」


「怒ってるならよかった」


 そう言った星野さんはゆっくり歩み、僕の少し前に立った。そこでようやく気づいたのだが、少女が睨んでいるのは僕ではなく星野さんのようだった。凄まじい視線が星野さんに送られている。


「星野さん?」


「すっごく怒ってる?」


「う、うん、星野さんを睨んでるよ」


「ふふ、そっか」


 彼女はカバンからお札を取り出した。少女がなお苛立ったのが伝わってくる。星野さんは愛おしそうにお札を見つめた。


「星野さん?」


「思う通りになった」


 そう嬉しそうに言った彼女は再びカバンに手を入れる。そして取り出したものをみて、僕は完全に思考が停止した。


 ハサミだった。


 僕が止める暇もなく、星野さんはお札をその刃物で躊躇なく切り刻んだ。


「!?」


 ジャキ、ジャキ、と音がする。人間キャパシティを超えると何も動けないらしい。何をしてるのかと叫ぶことも、罰当たりだと止めることすらできない。ただ、目の前で信じられない行為をしている星野さんを見つめることしかできなかった。


 僕に説明するように、星野さんが切りながら言う。


「思ってたの。お札に効果があるなら、同じお札を持つ人間を恨むだろうなって。お前が何かしたのかって疑うよね。


 それで、このお札の効果が無くなったらどうすると思う?」


 ついに真っ二つに切られたお札を両手に持ち、星野さんは僕に笑いかけた。


 ガクガクと全身が震える。ようやく星野さんが言っていた『いい考え』がこれなんだと気がついた。


「相当怒ってるなら私にくっついてくるかも」


「何して……し、死にたいの?」


「私守護霊強いんでしょう? もし私に憑いたなら、あの子病院から離れるかも」


 星野さんはそう話しながら、切られたお札を近くのゴミ箱に捨てた。空き缶を捨てるかのような手つきだった。


 喉も唇もカラカラになる。目の前が真っ暗になったようになる。絶望って、こういうことを言うんだと思い知った。確かに住職は守護霊が強いと言ったが、それは普通の霊相手のことなのに。視えない星野さんに、この少女の異様さは分からないんだ。


 そして次の瞬間、星野さんの背後に何かがしがみついているのに気がつく。いつ来たのか気が付かなかった。小さな手が星野さんの首を絞めるように力強く回されていた。


「あ……あ」


 少女は笑っていた。ケラケラと大声で笑いながら星野さんの背後に張り付き、大きな口を開けている。頭が揺れるたびに髪の毛がバサバサと揺れた。それでも星野さんは何も気づかずにただ立っている。


 星野さんの思惑通り、お札を捨てたことで少女が星野さんに憑いてしまった。それもガッツリと。ともや君を遠ざけた恨みなのか。


「ほ、星野さ」


 どうしようもできない自分が声を漏らした時、少女は、その大きく開いた口で星野さんの首元に噛み付いた。


 いや、噛む、というより、喰べた、という表現が正しい気がした。


 美味しそうに貪るように、白い首に食らいつく。そしてその口元からブシュっと音を出して血が吹き出した。赤黒いそれが滴り落ちていく。ガリガリ、っと音がするのはもしかして骨を食っている音なのだろうか。


 僕は叫んだ。それはお腹から自然と漏れた叫びだった。自分の喉から出たとは信じられないほどの声で、耳が痛いとすら思った。恐怖と混乱でパニックになりながらも、こんな状況の中思い出した水谷さんの名前を呼んだ。


 少女は嬉しそうに無我夢中で星野さんの首を喰べ続けている。それでも痛がる素振りすらなく、不思議そうな顔で僕をみている星野さんがいる。これは本当に、彼女が死んでしまうと思った。どうにかしなくてはと思い、とにかく少女を離そうとその小さな頭を両手で挟んだ。


 ぬるりと気持ち悪い感触が手のひらに伝わる。腐った皮膚のようだった。離れろ、離れろ!


 力の限り引いても少女はびくともしない。ぬめりで手が滑り、勢い余って後ろに倒れ込んだ。それでももう一度立ち上がりその白いパジャマを必死に引っ張る。でも石のように少女は動かない。


 再び後ろに倒れ込んでしまう。床にお尻を打ちつけ痛みに顔を歪めた時、自分の視界に白い布が映った。


 少女が着ているパジャマではなかった。皺のないピンとした綺麗な布で、同時にシャキッと伸びた背筋が見えた。


 ナースキャップをかぶっている水谷さんだった。


「……み、ず、…さ」


 水谷さんは一瞬だけ僕の方を見下ろした。目が合った瞬間、彼女は優しく口角をあげ微笑んだ。もう大丈夫よ、と言っているように思え、僕はただ拝む気持ちで彼女を見上げる。


 すると驚きの行動に出た。星野さんに喰らい付く少女の首に、水谷さんがすごい勢いで喰らい付いたのだ。


「!? な、なにを!」


 少女がぎゃああっと悲鳴を上げた。水谷さんは少女を強い力で両手で抱きしめ、決して離してなるものかという意思を感じた。


 痛みで悲鳴をあげる少女は力が抜けたのか、星野さんから引き剥がされる。じたばたと四肢を暴れさせるが、それでも水谷さんは喰らい付いて離さなかった。彼女の目は血走り、咀嚼するように顎を動かしながらどんどん少女の首を喰べていく。血生臭い、それでいて腐敗したような匂いが鼻についた。


「水谷さん!!」


 僕の呼びかけに、彼女は少しだけ目を細めた。だがその瞬間、二人の姿が少しずつ変化する。黒い影のようなものが出現し包み込んでいくのだ。


 少女は最後の力とばかりに暴れ水谷さんのナースキャップを吹き飛ばし髪を掴むが無駄な抵抗だった。二人とも次第に真っ黒な影に完全に覆われ、足元からゆっくりと溺れていくように沈んだ。最後の最後まで、水谷さんは決して離さない。


『地獄に送る』


 そんな言葉が耳に蘇る。まさか、と思い僕は慌てて水谷さんの方へ手を伸ばした。


「水谷さん!」


 彼女は僕の腕を掴まなかった。ただ少女を離さないように力を込めているだけ。必死に伸ばす腕が虚しい。このままでは水谷さんも少女と一緒に堕ちてしまう。


 だが、水谷さんの顔からはその覚悟を感じ取れた。少女の首を食べながら、彼女は最後に少しだけ笑った気がした。


 少女の叫び声が小さくなっていく。徐々に堕ちていく二人はついに見えなくなった。黒い影がなくなり病院の白い床が見えたとき、ついに僕はその場で意識を手放した。








 目が覚めた時、僕は病院のベッドに寝かされていた。


 隣には星野さんがパイプ椅子に座っていた。目を覚ました僕を見るや否や、『突然一人で発狂したように叫んで失神してびっくりした』と文句を言われた。


 病棟にいる看護師さんたちが慌てて介抱してくれ、今とりあえず近くのベッドに寝かされている、というわけだ。


 呆然としながら星野さんの説明を聞く。そして先ほど見た光景を思い出していた。


「びっくりしたのよほんと、周りの人たちも集まってきて。すっごい声で叫んでたから」


「…………」


「何かあったんだと思うけど、なんで私じゃなくて大山くんなの?」


「星野さん、首は?」


 不服そうに言う彼女に尋ねた。少女に喰われて血が出ていた首は、今はなんともなく真っ白だ。星野さんは不思議そうに首を傾げる。


「首? 何が? そういえばこっち側ちょっと痛いかも」


「……痛いぐらいならいいや」


「どういう意味? ねえ、女の子ってどうなったの、私今憑かれてる?」


 早口で尋ねてくる星野さんに、今は何も説明する気は起きなかった。




 水谷さんがだいぶ昔に亡くなった看護師であることは、最初に出会った時に気づいていた。


 ナースキャップは一昔前のアイテムで、今は清潔面だとかいろんな理由で、全国的に廃止されている。現に、この病院でナースキャップなんてかぶってる人はいない。


 つまり水谷さんは、今生きてる人ではない。死んだ後も霊となって少女を探していたのだ。


 星野さんのめちゃくちゃな方法で少女を誘き寄せることに成功した。そしてずっと探していた少女に水谷さんは必死に喰らい付き、一緒に消えてくれたということだ。


 たぶん、ともや君ももう……容体は安定すると思うし、今後あの少女のせいで亡くなる人はいなくなると思う。全てはあの看護師のおかげ。


 それでも。僕はぼんやりと考える。


 もし、水谷さんが言っていたことが本当で少女を地獄に送ったのだとしたら、あれほど喰らい付いていた水谷さんもやはり一緒に堕ちてしまったのか。決して離さないという強い意志を感じ取った。堕ちるところまで、水谷さんは少女を離さなかったと思う。


「どうしたの大山くん?」


 首を傾げる星野さんをみて、僕はゆっくり上半身を起こした。少しふらつきがあり頭を押さえながら、それでも聞いた。


「地獄って、あるのかな」


「さあ……私はあったら面白いなと思うけど」


「善人なのに地獄に堕ちたらどうなるのかな」


「地獄にいる人がわざわざ天国に送り返してくれるほど親切とは思わないけど」


 なぜ水谷さんは自分の身を捧げてまで少女を消滅させたのだろう。


 昔大切な人を少女に殺されたのだろうか。


 水谷さん自身も少女に殺されたのだろうか。


 人の命を救う看護師として、生を奪うのが許せなかったんだろうか。


 答えは何も分からない。


「星野さん、あれちょうだい」


「え?」


「おやつ」


 無性に刺激が強いものが欲しくなった僕は初めて頼んだ。少し驚いた顔をした星野さんは、それでも無言でポケットから取り出す。小さな袋に入っている鷹の爪を僕の手のひらに出してくれた。そしてあの綺麗な声で言ったのだ。


「わかった、何も聞かない」


「…………」


「この世には理不尽なことがたくさんある。自分たちの力じゃどうしようもないことも。そういうことよね」


 僕は返事を返さないまま、赤いそれを口に含んだ。噛んだ瞬間ひどい刺激が襲ってきてむせたけど、その痛さがなんだか心地よいように感じた。目に浮かぶ涙をそのままに、必死に噛み締めた。


 水谷さんがどうか、地獄になんておちませんように。そんなありきたりな願いをするしか、僕にはできない。


 多くの命を救ってくれた一人の看護師を、きっと一生忘れない。








 

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