探索
ぶるぶると震える手を隠すようにポケットにしまった。隣にいた星野さんは横目でそれを見ている。ノックは何も気づかないようで、ともや君たちが部屋を出たあと、小さな声で話した。
「あの子、さあ」
「え?」
「この前家族と医者が話してるのが聞こえちゃったんだけど。退院が決まると突然体調が悪化してなかなか退院できないらしいんだよね」
「え……」
「少し前も退院が決まって喜んでたら、真夜中に変な呼吸音が聞こえて、びっくりして俺ナースコール押したんだよね。色々バタバタ処置されて、結局また退院できず」
三ヶ月以上も前から入院していると言っていた彼の発言を思い出す。元気そうに見えるのに、と感じたが、何度も退院が伸びているのか……。
あの年なら友達と遊んだり、学校に行ったりするだけで大変楽しい時期だ。それを病院に拘束されてるんじゃ、可哀想だな。
星野さんが頷いて言う。
「野久保くんという話相手ができてよかったね。年は離れてるけど、一人でこもってるよりいいもの」
「まあ、俺も暇だしさー」
「それにしても不思議だね、まあ私は医学のことなんてわからないから……」
二人が悲しげに話しているのを、僕の耳がすり抜けていく。
このカーテン一枚の向こうに、あの少女がまだいるのかな、なんてことが気になりすぎて、会話に集中できない。
しばらくノックと談笑したあと、星野さんと病室を出た。ノックと話せるのは嬉しかったが、さっき見えた女の子と離れられるのはそれ以上に嬉しくてたまらなかった。
病院は死人が出て当然の場所だ。必然的に、見えてはいけないものが増えるのもしょうがないこと。実はノックの部屋に来るまでにも生きてないだろうなあ、という人を見かけた。
それでも、霊を見るのは慣れているし、悪そうなものはいないので簡単にスルーできた。
ではどうして、あんな子供の後ろ姿に僕は戸惑っているんだろう。
全身の毛が逆立つような、あの不思議な感覚は。
「野久保くん元気そうだったね」
「え? あ、うん、経過も順調そうでよかったね」
二人で病院の廊下を歩きながら話す。忙しく動く看護師さんたちに道を開けながら進んだ。
「暇なのは辛いみたいだね。大山くんの漫画喜んでた」
「ずっと寝てるだけっていうのも大変だろうねー」
「野久保くんは動くの好きそうだしね、アウトドアなイメージ」
「あはは、わかる! ……ってあれ、星野さん、玄関は向こうだよ?」
来た道とはまるで違うところへ足を運ぼうとしている彼女に指摘する。知らなかったけど方向音痴なのか? ちょっと可愛いじゃないか。
しかし彼女はクルリとこちらを振り返り、何を言っているのとばかりに目を丸くする。
「え、帰るの大山くん」
「え、何を言ってるの? お見舞いもう終わったじゃん」
噛み合わない二人。星野さんはどこかうっとりするように微笑んで言った。
「私入院もしたことないから、こういう大きな病院って初めて来るの」
「う、うん」
「だったら見てみなきゃ。病院にはやっぱりそういうのが……いるでしょ?」
出た!! 僕は呆然とする。
つまりは取り憑かれたいから用もないけど病院を見て回ろうってことだ。さすがは星野美琴、なんて不謹慎な!
つかつかと進んでいこうとする星野さんの腕を取る。
「や、やめなよ不謹慎だよ!」
「見学よ、別にいいじゃない」
「よくないって!」
「それに私、将来医療系につくのが夢でもあるの。だから現場ってちょっと見て見たくて」
ぐっと言葉に詰まる。おいおい本当か? これほど怪しい発言もない。
ただ星野さんは僕が逆立ちしても入れないような頭のいい大学に通っているので、あながちありえないことでもないかも。ただ、このオカルトマニアが医療系になんて就職して大丈夫か、という一番の問題点は置いておく。
僕は少しの間悩んだが、まあ病院内を散歩するだけならよっぽど憑かれることなんてないだろうと思う。
「ねえ、霊安室行きたいとか言わない?」
「やだ、私そんな非常識じゃないわ」
いつもいつも思うけど、この子の中で常識と非常識の境はどうなってるんだ。廃墟から勝手に物を持ち出したりするくせに。
星野さんは不服そうにしている僕に少し笑いかけると、そのまま歩き出した。迷った挙句、彼女が変なことをしでかさないか心配な僕は見守るためにその後ろ姿を追ったのである。
病院内はさまざまだ。病室もあれば検査室も、食堂も、コンビニだってある。人々がごった返す外来や検査室は老若男女いろんな人がいた。健康体そのものである自分は恵まれている、と再確認する。
時々受付の真横でずっと立ち尽くす老婆や、片足がなく血まみれになっている男の人などがいたりするが、目を合わさなければ何も害はなかった。無論星野さんは気づいてすらいない。
生きたいのに死んでしまうのは無念だろう。でも、例えば家族に看取られるとか、医療者の人たちが尽くしてくれたとか、それだけで人の気持ちは少しは救われるんだと思う。ここにとどまる人たちは悪意をあまり感じない。
きっと時間が経って自分が死んだことに気づけたら、ゆっくり眠れるんじゃないかな……と僕は思っている。
「ねえ、大山くん」
「え、なに?」
隣に歩く星野さんが突然声を上げた。
「よく聞く話あるよね、病院には死神がいるって」
「死神?」
真っ直ぐ前を向いたままの彼女の横顔を見る。すっと高い鼻が相変わらず綺麗だ。
「黒い影が入院してる人のそばにいると、少ししてその人は亡くなってしまう、とか」
「ああ……まあ聞いたことはあるかな」
「どう? そういうの、大山くん見たことない?」
怖い話によくあるものだ。死を持ってくる存在のこと。あいにく僕はそんなもの見たことないし、本当にいるのかすらわからない。
「僕もほとんど大きな病院なんて来たことないし」
「そっか、そうよね」
「本当にいるのかもわかんないよ」
「もし見かけたらどうする?」
「え、どう、って」
言葉に詰まる。もしいるのなら、死をもたらすぐらいの力ってことだ。本当に死神と呼ばれる存在だとしたら、仮にも神がついてるんだし、一般人の僕がどうこうできるものじゃない。
頭をぽりぽり掻いて答える。
「どうもできないんじゃないかな。星野さんだって流石にそんなのに憑かれたら死ぬと思うし」
「ううん、それもそうだね。
でも、人間の死って不平等だと思うの。百歳まで生きる人もいれば、楽しいことを何も体験できずに死ぬ小さな命もあるでしょ。理不尽なこともある。
もし神様がいるなら、なんでそんな不平等なのって聞いてみたい」
星野さんの言葉に、珍しく僕は同意した。
この世は不平等だ。誰かに命を奪われることすらある。不平等感をどうにかしたくて、人間は天国だの地獄だの、来世だのの世界を信じているのだと思う。




