力強い後押し
「王都でそんなことが……」
黒いモヤが王宮から出ていたというのは驚きだ。ということは王宮の中にも魔物が出現するということなのだろうか?
さらに周囲にいた人々の様子から、あのモヤは人体にとって悪影響があるのかもしれない。
「エミリー、本当にごめん! せっかく故郷に帰って来れたのに俺たちのせいで……兵は撒いてきたけど、ここに兵たちが辿り着くのも時間の問題だと思うんだ……」
アドルフたちは獣人族特有の耳を隠すためローブを羽織っていた。人目につくのは仕方のないことだろう。
「アドルフくんたちのせいじゃない! だってその女の子を助けようとしたのでしょう? 魔物が頻繁に出没して、町の人たちも様子がおかしくなって、みんな疑心暗鬼になっているんだよ……」
「そうだな……まぁ今回のことは仕方がないだろう」
ルーカスも慰めるようにアドルフの肩に手を置くが、アドルフの耳と尻尾は元気なく垂れ下がっている。
ドンドンドンドン
その時、屋敷の玄関扉を叩く音が響いた。
みんなは警戒するように視線を合わせると、エミリーたちは急いで死角になる位置に隠れた。
それを確認しスチュワートが扉を開く。
「ハワード侯爵? いったいどうしたんだ」
みんなが警戒する中現れたのは、焦った表情をしたイーサンだった。
連絡もない突然の訪問にニールは驚いたように問いかける。
「オルティス伯爵、突然の訪問お許しください……あの……ところでエミリーたちは?」
エミリーたちが姿を見せるとイーサンは安心したようにふっと息を吐き出した。
しかし、すぐに眉間に皺を寄せ、ルーカスを睨みつける。
「エミリーが無事だったのはよかったが……ルーカス殿下はどういうつもりだ? エミリーの護衛であるはずのあなたたちが騒ぎを起こすなど」
「まさかもう王都でのことを知っているの?」
「ああ。たまたま私も王都にいたんだ。それであの騒ぎに出くわしてな……それよりも早くオルティス領を出たほうがいい。宰相子息とマチルダにのぼせ上がっている一部の若い高位貴族が兵を集めてオルティス領に向かおうとしていた」
「何? もう居場所を掴んでいたのか?」
ニールの言葉にイーサンは重々しく頷く。
「オルティス伯爵も一度捕えられ、尋問されるかもしれません……」
「そんな……」
エミリーの青ざめた表情に、ニールがポンとエミリーの肩に手を置くと、安心させるように笑みを浮かべる。
「これでも長く伯爵をしているのだ。あんな若造共の好きにはさせない。私のことは気にせず、すぐに出発しなさい」
「お義父様……」
ニールは真剣な表情でルーカスたちを見つめる。
「どうか娘を今しばらく獣王国で保護していただけますか?」
「もちろんそのつもりです」
「ありがとうございます。どうか娘をよろしくお願いいたします」
ニールは深く頭を下げた。
ルーカスはニールに頭を上げるように促すと、ニールの手を力強く握った。
「絶対にエミリーのことはわたしたちが守ります」
二人が頷き合う中、エミリーは覚悟を決めて声をあげた。
「ルーカス様、ありがとうございます。ですが……私はまだ獣王国には戻れません……」
「エミリー何を言っているんだ!」
「ここは危険なんだぞ!」
ニールとルーカスの言葉に同意するようにみんながエミリーを見つめる。
「わかっています。でも今ヴァージル王国を出ればしばらくは戻れないでしょう……そしてきっとその間にも魔物の被害は広がり、オルティス領だってどうなるかわからない。さっきのアドルフくんたちの話を聞いて思ったんです……原因は王都にあるのではないかって」
「原因って……まさか黒いモヤや魔物の大量発生のことか? しかし確証もないのに危険過ぎる」
「それはわかっています。それでもどうしても王都に行って確かめたいんです。きっとこのまま獣王国に戻ればもっと大変なことが起こる気がするんです……お義父様、陛下はずっと伏せっているとのことでしたが、お義父様はその陛下の容態を直接ご覧になられたことはありますか?」
「いや、直接は見ていない」
「イーサンは?」
「私もないな……」
「それではもし、陛下が王都の城壁の近くにいた人たちと同じ状態だったら?」
アドルフの話では王宮からモヤが流れ出ていたと言っていた。以前エミリーが王宮に出向いた時はモヤなどなかったが、いったい今王宮内はどれほどのモヤが広がっているのだろうか?
もし城壁の近くにいた人たちがそのモヤに触れたせいで、感情の抜け落ちた人形のような状態になっているのだとしたら、王宮でずっと生活している人間はどうなっているのだろうか?
「そのモヤが陛下の伏せっている原因と言いたいのか?」
「私も最近は王宮内に入るのを止められていたから、中がどうなっているのかわからないな……」
「はっきりとは言えません。ですがもし、そのモヤが魔物が出てくる時と同じで私に消せるなら……そしてそのモヤが原因で体調を崩している人がいるなら私にならどうにかできるはずです」
「しかし……やはり危険過ぎる」
「陛下が目覚められたら、きっと精神操作の魔法のこともお力を貸してくださると思うのです」
エミリーはジェームズの婚約者として、国王陛下や王妃殿下にとても良くしてもらっていた。幼くして実の両親を亡くしたエミリーを自分の子どものように可愛がってくれたのだ。
二人のエミリーへの信頼は厚く、反対にマチルダのことをとても警戒していた。
二人はマチルダに傾倒していく息子に危機感を覚え、どうにかしてマチルダと引き離そうとしていたのだ。
そんな折、陛下が謎の病で倒れた。
エミリーは何度も面会を希望したが、結局会うことはできなかった。
王妃殿下も陛下が倒れてから連絡が取れず、公の場にも姿を現さなくなり、それからずっと二人には会えていない。
結果、誰も止めるものがいなくなったジェームズとその側近たちが、あの婚約破棄計画を実行に移したのだ。
「今、王宮に行かなければいけないと、何故か強くそう思うのです!」
エミリーの覚悟を秘めた力強い声に、反対していたニールとイーサンが困ったように眉を下げ、ルーカスは諦めたようにふっと息を吐き出した。
「エミリーがそう思い、そうしたいと望むならしたいようにするといい。もちろん私はエミリーを最後まで守りきると誓うよ」
エミリーの背中を押してくれる優しくも力強い声に、エミリーはルーカスを見つめる。
ルーカスは優しく微笑むと、頷いた。
「そうだな! エミリーの力があればきっと良い方に全てを変えられるって思うしな!」
「まぁ、今の魔物の発生の原因を何も把握できずに帰っちまうと獣王国での対策も立てられねーし……もし王宮に何か手掛かりがあるなら俺たちとしても行かない手はないな」
「エミリーがそう思うならきっと王宮に手掛かりがあると思う……」
「まぁせっかくここまで来たのですし、追われて手ぶらで帰るのはちょっと遠慮したいですね」
アドルフ、バーナード、ファハド、アーノルドもにっと笑みを見せると、エミリーに賛同するように頷いた。
「みなさん……ありがとうございます!」
エミリーは勢いよく頭を下げた。
「こう言われては止められんな」
「そうですね……」
ニールとイーサンが仕方がないというようにため息をつき、苦笑を浮かべた。




