本心
「失礼します」
エミリーが温室の扉を開けると、温室の中央にあるテーブルに紅茶と茶菓子がセットされ、ニールがすでに座っていた。
エミリーはニールの向かいの席に座る。
やはり何も言わず、不機嫌そうに眉を寄せ、静かに紅茶を飲むニールにエミリーはため息を吐いた。
(やっぱりこうなるわよね……)
エミリーは会話を諦めて、カップに手を伸ばす。
そして紅茶に口をつけたところで、ニールが咳払いをした。
エミリーがチラリとニールを見ると、視線が合う。
ニールは気まずそうに視線を逸らしながらも、小さな声で問いかけた。
「その……あれからどうしていた?」
「あれからとは追放後のことでしょうか?」
「そうだ」
まさかニールがエミリーのことを聞いてくるなんて意外だった。
今までだって王太子との婚約のことや社交界でのことなど必要なことは話しても、エミリー自身のことをニールから聞かれたことはない。
(いったいどういうつもりなの?……もしかしてルーカス様たちのことを警戒して聞いているのかしら?)
屋敷の中でずっとフードを被ったままなのもゆっくりできないだろうと、エミリーはニールにルーカスたちが獣王国の獣人族であることを話した。
ルーカスたちの世話をする使用人にもニールから伝わっているはずだ。
オルティス伯爵邸に勤める使用人は信頼のおける人物なので、外に漏れる心配はない。
しかし、みんな最初は獣人族に驚く者や怯える者がいた。エミリーだって最初は警戒していたのだから、仕方がない。
ヴァージル王国のほとんどの人は獣人族に関して噂程度しか知らないのだ。
ニールは屋敷の主人として、獣人族の事をしっかり知っておかなければならないと思っているのかもしれない。
(ルーカス様たちが獣人族であることしか話していないし、私の話を聞くことできっと彼らのことを知りたいのね……私もルーカス様たちが誤解されたままなのは嫌だもの。獣人族が親切な人たちだってわかってもらわないと)
エミリーはそう結論づけると、ニールにこれまでのことを話した。
「そうか……エミリー、その…………助けてやれなくてすまなかったな。まさか王太子が婚約破棄をするとは思っていなかった」
話を聞き終えたニールの言葉に、エミリーはぎょっとして目を見開く。
あまりの驚きにしばらく無言でニールを見つめる。
(え? 今の聞き違い?)
「あの……えっと……お義父様にとって私など気に留める存在でもなかったでしょう? 謝っていただく必要などありませんわ。それに婚約破棄されたことに怒っておられたのでは? あれほど私と王太子の結婚を望んでおられたのですから……」
「まさか! 違う! 私は……」
ニールは一瞬言い淀み視線を泳がせるが、一度目を閉じると大きく息を吐き、覚悟を決めたようにエミリーをじっと見つめる。
「今までしっかり話せていなかった……しかし、私がエミリーを邪魔だと思ったことなど一度もない。王太子との結婚は君が幸せになれると思ったからだ。言い訳になるが……今回のことで改めて思い知ったんだ。兄さんたちが死んだ時にもわかっていたはずなのに……話せるうちに大切なことは話しておかなければいけないと……」
ニールの今まで見たこともない、悲し気な表情に、エミリーは戸惑いながらじっとニールを見つめる。
するとニールがぎこちない微笑みを見せた。
「私が悪かった……本当に情けない……小さな君が両親を亡くしても必死に前を向き、私と関わろうと努力していたのはわかっていた。それなのに私は受け止めきれなかったんだ。兄さんと義姉さんの死を……」
「で、でも……お義父様は私の実の両親のことを嫌っていたのではないのですか?」
「違う!! 彼らは私の大切な家族だった……」
優秀なエミリーの実の父とニールはよく比べられ、周囲から心無い言葉を言われていたと聞いたことがある。そしてニールはエミリーの両親が笑顔で話しかけようと、いつも不機嫌そうな表情をしていたと。
だからエミリーはニールがエミリーの両親を嫌っていると思っていた。
しかし、昔を思い出し、懐かしいというように目を細めるニールの表情は、本当に大切な者を思い浮かべるような顔だ。
「では……なぜ私を無視され続けてきたのですか?」
「それは……すまなかった……だが、無視をしていたわけではない。エミリーは二人にそっくりだ。エミリーをみると二人を思い出す。君が私をお義父様と呼ぶたびに二人の死を突きつけられているようで……一番辛いのは君だったろうに……本当にすまない」
ニールは何かを堪えるように眉を下げ、ぎゅっと口を引き結ぶ。
その表情はいつもエミリーと話している時のニールの表情と似ている。
「では私と話されている時にいつも不機嫌な表情をされていたのは……」
「あ、あれは……嫌だと思っていたのではない。堪えていたのだ。エミリーを見るといつも二人を思い出してしまうから……しかしそれで君を勘違いさせてしまったようだ」
「それでは何故いつも刺々しい言葉を言われていたのですか?」
「あれは……君を前にするとどうも緊張して、それ以上言葉が出なかったり、思ってもない言葉やきつい言葉しか出てこなかった。次こそは穏やかに話せるようにと、いつも思っていたんだ。そうしているうちに、どんどん月日が流れて、どう振る舞えばいいのかわからなくなってしまった……」
「それでは本当にお義父様は私を邪魔に思っていたわけではなかったと……?」
「もちろんだ。エミリーは私のただ一人の家族だ。素直に話せるようになるまで長い時間がかかってしまったが……君が姿を消した時、本当に後悔した……兄さんの時と同じように言いたいことも言えず、もう会うことも叶わないのかと……」
ニールは眉間に皺を寄せ、ぎゅっと口を引き結ぶ。
(そっか……お義父様のこの表情は何かを堪えている時の表情なのね……怒っているわけでも、機嫌が悪いわけでもない。感情が表に出ないように堪えて、次の言葉を探しているのだわ……なんて不器用なのかしら……)
エミリーはふっと肩の力が抜ける。
そしてそれと同時に勝手にポロリと涙がこぼれる。
「エ、エミリー? 大丈夫か? 私はまた君を傷つけることを言ってしまったか?」
「い、いいえ……違い、ま、す……」
今までエミリーは歩み寄ろうと努力をしてきたが、それを全て拒絶してきたのはニールだと思っていた。
しかし、素直にゆっくりと話し合えばこんなに簡単なことだった。
ニールがエミリーのために衣食住や最高の教師たちを揃えてくれたのはエミリーを真に思ってくれていたからだ。
王太子との結婚に固執していたのはエミリーが幸せになれると思っていたからだ。
全てがすれ違っていた。お互いが自分から孤独になっていたのだ。
(不器用な人だけど、両親やスチュワートは気づいていたわ……きっと私もお義父様のことを思い込みでしか見れていなかったのね……)
エミリーの止まらない涙にニールは困った表情でエミリーを見つめる。
そして席をたちエミリーの隣に立つとそっとあやすように頭を優しく撫でる。
(あれ?……そういえば前にも……)
それはエミリーが幼いころ、子供には辛い王妃教育、そして両親に会えない寂しさから、こっそり部屋で泣いていた時、こうして誰かに慰めてもらった。
その時は泣きじゃくっていて、そのまま眠ってしまい気づかなかったが、この手の感覚は間違いなく……
(本当に不器用な人だわ……)
エミリーは泣きながらも、こっそり笑みを浮かべる。
ニールはエミリーが泣き止むまで優しくエミリーの頭を撫で続けた。




