ハワード領
「みんな準備はいいな?」
ルーカスの声にそれぞれ頷くと、エミリーたちはハワード領に向かって出発した。
ルーカスたちの調査で、エミリーも一緒にハワード領に行っても安全だろうと判断された。
町での噂を聞く限り、イーサンの精神操作はほぼ解けているのではないかとルーカスたちは推測している。
しかし、用心するに越したことはない。
できるだけ早く用事を済ませ、ハワード領を出るため、ルーカスたちは事前に何軒か魔石の店も調査していた。
「そういえば、ハワード領でもやはり魔物は目撃されているのですか?」
「ああ。そうみたいだ。だがハワード侯爵が騎士を引き連れ討伐にあたっているから、他の領より被害は格段に少ないそうだ」
(イーサン、よかった……ちゃんと領民を守れているのね)
今イーサンがどのような状態なのかはわからない。
しかし、領民を守れているということは、ルーカスたちの調査のとおり、ウォルターのように深い精神操作で操られているわけではないようだ。
エミリーの餞別が役に立ったのかもしれない。
「そういえば、ハワード領で噂を聞いたんだ」
「どんな噂ですか?」
「何でもハワード領の隣のオルティス領では、今のところほとんど町での魔物の目撃が無いらしい。以前エミリーが言っていただろう? 国境付近に魔物が現れても、町には入ってこないと」
「はい。確かに以前はそうでした……」
「どうやらオルティス領内は今もその状態らしいんだ。だからハワード領の民がオルティス領に引っ越すことが増えているらしい……」
「そう、なのですね……」
オルティス領に被害が出ていないのは嬉しい知らせではあるが、何故オルティス領は無事なのか……
理由を考えても、エミリーには思い当たることがない。
(やっぱりオルティス領に行かなければ、何もわからないわね……)
その後もエミリーたちは順調に進み、昼過ぎにはハワード領に到着した。
そしてルーカスたちが調査してきた魔石の店を巡り、無事、魔石も購入することができた。
「さっきの店のおじさん良い人でよかったな!」
エミリーが抱えている魔石を覗き込み、アドルフがニカっと笑う。
「そうね! あの値段でこんな立派な魔石が買えるなんて思わなかったわ」
エミリーは満足気に笑い、ルーカスの後ろを歩いていると、ルーカスがいきなり足を止め振り向いた。
「ルーカス様?」
「いや、何でもない。気のせいか……?」
ルーカスは鋭い視線で家が立ち並ぶ通りを見つめるが、首を傾げてまた歩き出した。
アドルフとエミリーがルーカスに様子に首を傾げていると、前方が何やら騒がしくなる。
「どうやらあっちで何かあったみたいだな……」
店が並ぶ通りの一角に人だかりができている。
そしてその中心から女性の叫び声が聞こえた。
「しっかり!! しっかりして!!」
エミリーたちは顔を見合わすと人だかりを掻き分け、中心へと進む。
そこには頭から血を流し、ぐったりとした少女と、その少女を抱き寄せ必死に声をかける女性がいた。
少女の怪我の具合はひどく、早く手当てしなければ手遅れになってしまうだろう。
彼女たちを取り囲むように見ている者たちから声が上がる。
「誰か医者を呼んでこいよ!」
「こんなとこに呼べるわけねーだろ? 病院だって魔物にやられたやつで重症者がいっぱいなんだから」
「かわいそうにな……外壁が崩れてそれに当たったみたいだ……」
「この辺も魔物の町への侵入のせいで崩れやすくなってるからな……」
エミリーはぐったりとした少女を見つめ、ぎゅっと手を握り込んだ。
(私なら、助けられる……でも……)
このように多くの人目がある場所で治癒魔法を使えば、当然騒ぎになる。
治癒魔法は貴重なうえ、あれほどの重症者を救える者など、ほんの一握りだ。
エミリーのため、事前に調査に来ていたルーカスとアーノルドの苦労が水の泡になってしまう。
(……でも、やっぱり見捨てられない!)
エミリーは意を決してルーカスに話しかける。
「あ、あの……ルーカス様……」
エミリーが眉間に皺を寄せ言い淀んでいると、ルーカスがエミリーの眉間にツンと指を当てる。
びっくりしてエミリーが顔を上げると、ルーカスが苦笑を浮かべていた。
「エミリーなら、助けるために動くと思っていた。ハワード領での目的は済ましている。すぐに町を出れば大丈夫だろう」
みんなも同意するように笑みを浮かべ、頷いた。
エミリーはみんなに向かって頭を下げる。
「ありがとうございます! すぐに終わらせます!」
エミリーは少女に近づくと、そのまま隣にしゃがみ込んだ。
「すみません。見せてください」
「あんた……いったいなんなんだい?」
少女の母親と思われる女性は、突然現れたエミリーを不審気に見つめる。
しかし、エミリーの真剣な表情に、女性は小さく頷くと、少女が見えるように少し体の位置をずらした。
(よかった! これなら治癒魔法で治せるわ)
エミリーは少女に向かって両手を出し、大きく一つ深呼吸をすると、治癒魔法をかける。
ふわりと光が広がり、少女の体を包み込む。
周囲まで光の粒が溢れ、光が収まる頃には、少女の怪我は綺麗に消えていた。
「う…………」
少女は小さく声を上げると、ゆっくりと目を開いた。
「お……母さん?」
「……よかった……よかった……大丈夫かい? 痛いところはないかい?」
「? 大丈夫だよ?」
少女は何が起こったのかわからないというように首を傾げる。
母親は涙を流しながら、少女を抱きしめ、エミリーを見つめると、何度も頭を下げた。
「ありがとう……ありがとう……」
「いえ。怪我が治ってよかったです」
エミリーは安堵しながら、にっこり笑いかけた。
すると周囲がザワザワと騒ぎ始める。
「おい、見たかよ! あの怪我を一瞬で治しちまったぜ!」
「ああ……すげーな……」
「あんな治癒魔法が使える奴、この町にいたか?」
一気に騒がしくなる周囲に、ルーカスがエミリーに手を差し出す。
「騒がしくなってきたな……エミリー早く行こう」
「はい」
エミリーがルーカスの手を取り、立ち上がると、バタバタと多くの足音が聞こえてきた。
そしてその足音に周囲を囲んでいた人たちが、ぱっと道を開ける。
「これはいったい何事だ?」
その声にエミリーはビクリと肩を揺らした。




