獣化の推測
『また、獣化……これで三人目ね。あの忌々しい力、本当に邪魔だわ……』
暗い部屋の中で、鏡に映るマチルダは眉間に皺を寄せ、吐き捨てる。
『あっ! そうだわ……いいことを思いついた! マチルダ? ねぇマチルダったら!』
「あっ……ごめんなさい、レイラ……私ちょっとぼうっとしてたみたい……」
マチルダは虚な瞳で鏡に映る自分を見つめる。
その様子を鏡に映る彼女はニッと口の端を吊り上げる。
『ふふっ! いいのよ。そうなるのは仕方ないことだもの』
「え?」
『いえ、何でもないわ。マチルダ、私にいい考えがあるのよ』
「いい考え?」
『ええ、そうよ。ちょっと余興を思いついたの! 王宮の衛兵を一人ここに呼び出してちょうだい』
「余興? わかったわ」
マチルダは不思議そうに首を傾げながらも、従順にレイラの言葉に従う。
『ふふっ……こっちももう少しで準備が整うわね……』
レイラのぞっとするような楽しげな声が真っ暗な部屋に響いた。
「それで? 本当にエミリーは怪我はしていないんだな?」
「はい。大丈夫です」
三度目の確認にエミリーは苦笑を浮かべる。
「それならいいが……」
「ところでバーナードの獣化はエミリーさんの魔石を使った遠隔魔法で上手くいったのですよね?」
「ああ。ありゃすげーな。獣化の暴走を抑えてくれるエミリーの魔法もすごかったが……獣化するといつもと感覚が全然違うんだな! 本当に体が軽かったよ」
ルーカスとアーノルドが戻り、エミリーたちは先日のバーナードの獣化を報告していた。
「なぁ本当にバーナードって獣化したんだよな?」
「気配は間違いなかったけど……」
アドルフとファハドの問うような視線にエミリーは頷いた。
「うん。間違いないよ。二人ともどうしたの?」
「いや……普通獣化したら何日間かはすっごく体が怠いんだよ。でもバーナードはいつもと変わんねーじゃん?」
「やっぱりバーナードの体力は化け物なんだ……」
アドルフとファハドの異様な者を見る視線に、バーナードが苦笑を浮かべる。
「失礼な奴らだな……俺の場合は獣化したのに合わせて、すぐにエミリーが魔法を使ってくれたおかげだ。獣化で暴れ回ることもなかったから、その分体力が温存できたんだろう」
確かにあの時エミリーがすぐに魔法を使ったので、アドルフやファハドの時のように自分の意識がない状態で、バーナードが暴れ回ることはなかった。
「体験したからわかるが、エミリーの魔法がない状態での獣化は確かに危険だぞ。自分の力が全て勝手に外に流れ出ていく感じなんだ」
アドルフとファハドも同意するように頷いた。
「もう一つ疑問に思うことがあるんだ。バーナードの話を聞く限り自分の意思で、簡単に獣化できたように聞こえるが……今までは獣化は危険なものだと言われていた。だから使わないようにしていたのも確かだが、そんな簡単に獣化できるものか?」
「それな……俺も不思議に思っていたんだが……もしかしてエミリーが鍵になってるんじゃないかと思ってな」
「エミリーさんが? どういうことです?」
「あーそれ俺も何となくわかるかも。何かエミリーが近くにいるだけで俺たちの力も上がってる気がするんだよな」
エミリーはアドルフの言葉に首を傾げる。
「でも私はみんなを強化するような魔法はかけられないよ?」
「いや……そういうのじゃなくて……」
「あれだな。アドルフが獣化したころぐらいから、エミリーが近くにいると力を溜めやすいっていうか……獣化しやすくなっているような気がするんだよな」
「うん……僕も守りたいって強く思うと勝手に獣化してた。前までこんなことなかった」
三人の言葉にルーカスは考え込むように顎に手を当てる。
「一人が獣化した拍子に芋蔓式に獣化しやすくなったということか……元はと言えば、光の神が作ったこの世界を支えるため、獣人族は獣の神から力を与えられているからな」
「なるほど。エミリーさんが光の守り手であるならば、光の神に近い力を持つ人物を、我々獣人族は守ろうとする本能があるということですか?」
「アドルフの最初の獣化で他の者にもその本能が目覚めた可能性があるかもしれないと思ってな。まぁ、ただの推測だが」
みんなの視線が集まり、エミリーは居心地が悪そうに視線を逸らす。
「あの……以前も言いましたが……」
「わかってる。エミリーは自分は光の守り手ではないと言いたいのだろう。だからあくまで推測だ。エミリーは何も気にしなくていい」
ルーカスがエミリーの反応に苦笑する。
そして「そういえば」とアドルフとファハドに視線を向けた。
「二人ともバーナードの獣化が終わったときに駆けつけたらしいな?」
急に変わったルーカスの声音にアドルフとファハドはビクッと体を硬直させる。
「えっと……そ、そうだけど……で、でもエミリーに怪我は無かったぞ!!」
アドルフの言葉にファハドもブンブンと首を縦に振る。
「そうだな。本当にエミリーに怪我が無くてよかった……」
顔は笑っているのに、全く柔らかさの無い声音に二人はブルリと震え上がる。
「獣化の疲れのせいか、二人は少し体が鈍っているようだな? 少し外で鍛錬でもして来るか?」
アドルフとファハドの尻尾と耳が怯えたようにペタリと垂れ下がる。
あの時二人は必死に駆けつけてくれた。
市場に行くと言っていたのに、叫び声のした方へ向かったせいで、市場とは少し離れた位置にエミリーたちはいたのだ。
獣化を感じられると言っても、何となくの場所はわかってもはっきりとした位置まではわからないらしい。
それでもバーナードが獣化してからほとんど時間をかけずに来てくれたと言うことは、きっと必死に探し回ってくれたのだろう。
二人の怯えようを気の毒に思ったエミリーは、何か他に話題はないかと頭をひねる。
「あっ! あの、ルーカス様、アーノルドさん、私料理を作ったんです。お二人もいかがですか?」
「何? エミリーの料理か!? それは楽しみだ!」
上手く気を逸らせたことに、エミリーがふっと息を吐き出す。
するとアドルフとファハドがまるで神様でも見つめるようなキラキラとした目でエミリーを見つめる。
「ああ、そうそう! ありゃ美味かったな! 今日のも美味かったが俺は昨日のやつのほうが好きだったな!」
「バーナード!! ばかっ!!」
「昨日の?……」
バーナードの言葉にルーカスの目がギラっと光る。
アドルフが途中でバーナードを止めようとしたが、少し遅かった。
「ほぉ……そうか……私たちが調査に向かっている間お前たちはエミリーの手料理を堪能していたわけだな?」
今度はバーナードまでもがブルリと震える。
「あ……いや……その〜……」
「私とアーノルドは調査でクタクタだが、三人は体力が有り余ってるようだな? やっぱり今から外で鍛錬してきてはどうだ?」
結局ルーカスの有無を言わせぬ圧に、三人はとぼとぼと宿の外へと剣を持って出て行った。
アーノルドはやれやれというように息を吐き出し、エミリーは三人の哀愁を帯びた背中を、苦笑を浮かべて見送った。




