不調
『あら?』
「レイラ? どうしたの?」
『ふふっ……まさか誘き出す前に彼女自らこちらに来るとは思わなかったわ』
「えっ? まさか……」
マチルダが窓辺へと移動すると、ガラスに映る彼女が楽しそうににっこり笑う。
『ええ。手間が省けたわね』
「それじゃあすぐに始末しに行きましょうよ!」
『マチルダったら、せっかちね。大丈夫。今度こそ逃げられないようにもっとしっかり誘い込むのよ』
「でも……わかったわ……レイラがそう言うならその通りにするわ……」
マチルダは不満げではあるが、渋々頷いた。
鏡の中のマチルダは満面の笑みを浮かべ、小さく呟いた。
『やっと邪魔者を排除できるわね……』
「アドルフくん? 大丈夫? やっぱり辛いんじゃ……?」
「え? ああ……大丈夫だって!! まぁ少し疲れてはいるけどな……」
いつもより元気のないアドルフの表情に心配になる。
というのも、アドルフは出発するまでの間、検査という名の実験体として、アーノルドに獣化の訓練をさせられていたのだ。
獣化をすることができるのは限られた力のある者だけだ。
エミリーの力を借りたとはいえ、それを制御できたのはアドルフただ一人。今後のことを考え、少しでも獣化の制御についてわかっておきたい。
そこでアーノルド主導のもと、アドルフは獣化の訓練をしていた。
しかし、獣化というのは力の消耗が大きい。
アドルフは先日の獣化のあと倒れ、体力が完全に回復していない中、何度も訓練をしていたのだ。
疲れが出ても仕方がない。
そしてなんと言ってもアーノルドがなかなかにスパルタだった。
アーノルド曰く。
『アドルフは体力だけが自慢なのですから、これくらいは平気でしょう? そうですよね? いつも言ってましたもんね? 今使わなければ、その無駄にある体力はいつ使うのですか?』
アーノルドは大変辛辣な言葉を、アドルフが音をあげるたびに告げてていた。
そして、アドルフには言い返せない理由があった。
『俺は頭使うの苦手だから、体動かす時は働くからさ! あとはアーノルドに任せる!』
そう言っては面倒なことや、書類仕事から逃げていたらしい。
その手前、今回は逃げることは許されないのだと、アーノルドの日頃の恨みがこもった冷えきった視線で理解したようだ。
アドルフは自らの行動で己の首を絞めてしまっていたのだ。
訓練中はいつも元気にピンッと立っている耳は元気がなさそうにぺたりと垂れ、尻尾も力なく垂れ下がっていた。体調を崩してしまっては元も子もない。
アドルフが不憫になったエミリーは少し休憩をいれようと、何度か提案した。
しかし、その度にアーノルドの冷たすぎる視線に耐えきれなかったアドルフが、大丈夫だと顔を真っ青にしながら、どこか遠いところを見つめ無理矢理貼り付けたような笑み浮かべていた。
結局、あまり休憩も取れぬまま、この一週間、仕事の引き継ぎと訓練にアドルフは追われてた。
ルーカスもそんな状態のアドルフを心配し、アドルフに留守番を提案した。
しかし、「それだけは嫌だ!」とアドルフが全力で拒否したのだ。
結果、アドルフは体力を完全に回復できないまま、出発となってしまった。
その後もエミリーたちは順調に進み、まもなく三つ目の町に入ろうとしていた。
一つ目、二つ目の町はどこも扉や窓が閉め切られ、町全体に活気がなかった。
ルーカスたちは獣人族の特徴を隠すため、頭からすっぽりローブを被っているが、本来なら警戒するであろう、怪しげな見た目も、何かに怯えるように、住人が全く姿を見せなかったので、騒ぎになることもなかった。
これほどひっそりしているのは、事前の情報のとおり、魔物の脅威に怯えているからだろうと、改めて実感する。
(さっき通った町は他領の視察で以前に行った場所だったわ……だけどあれほど閑散としていなかったはず……それに所々何かに荒らされたり、外壁に傷があった。それだけ魔物が頻繁に町に入って来ているのかしら……?)
エミリーが考え込んでいると、目の端にアドルフの体がフラリと傾くのが見えた。
「ア、アドルフくん!!」
はっとしてそちらに視線を向けると、馬から落ちそうになっていたアドルフを横で並走していたファハドが支えていた。
「大丈夫?」
「おい! アドルフ大丈夫か!?」
みんなが心配気に声をかけると、アドルフがぼうっとした表情で体を起こす。
「あ……ごめん。ファハドありがとな」
そんなアドルフの様子にルーカスはため息をつく。
「やはり全然大丈夫ではないな……仕方ない。まだ早い時間だが次の町で宿を取って、アドルフを休ませよう」
「だ、大丈夫だよ……」
いつもの覇気がない返事に、ルーカスはもう一度呆れたように、ため息をついた。
「そんな覇気のない返事で納得するわけないだろう。とりあえず次の町で休むぞ」
「うっ……ごめん……」
「アドルフくんの体調のほうが大事だよ! ゆっくり休んで」
「うん……エミリー、ありがとう」
申し訳なさそうに俯くアドルフに、エミリーが大丈夫だとにっと笑みを見せると、アドルフも笑みを見せる。
「ごめんな……俺すぐ元気になって、ちゃんとエミリーのこと守れるようになるからな!」
「うん。ありがとう! 頼りにしてるね」
エミリーたちは三つ目の町に入るとすぐに宿を取り、アドルフを休ませた。
やはりずいぶん辛かったのか、アドルフはベットに横になると、すぐ眠りについた。
その後、ルーカス、バーナード、アーノルドは町の様子を調べるため外出し、エミリーはアドルフの看病、そして護衛としてファハドが宿に残ることとなった。
(アドルフくん、早く元気になってくれるといいけど……)
アドルフの元気よくぴんと立った耳と尻尾、そして柔らかな笑顔がいつもエミリーまで元気にしてくれるのだ。
早く回復するよう祈りながら、エミリーはアドルフにそっと布団を掛け直した。




