獣化
「ルーカス様!! アーノルドさん! ファハドくん!」
アーノルドとファハドは木の幹に打ち付けられ、ルーカスは地面に叩きつけられていた。
「嘘だろ……アーノルドやファハドだけじゃなく、ルーカスまであんな一瞬で……」
(あれだけ強いみんながあんな簡単に……それに魔物からは魔法を使っている気配はなかった。ということは純粋な力比べだけでみんなが弾き飛ばされたっていうの……?)
エミリーとアドルフが信じられないというように大きく目を見開く。
「はぁ……やはり獣人など、私の敵ではないな。何故あの方はあれほど警戒なさるのか……」
上級魔物はやれやれと頭を振る。
そしてエミリーのほうへと視線を向けると、邪魔者は消えたとでもいうように、にっこりと嫌な笑みを向ける。
エミリーはぞっとする感覚にぶるりと体を震わせ、一歩後ずさった。
「エミリー! 俺の後ろで自分を守る結界をは……くっ!!」
アドルフが伝え終わる前に、目にも止まらぬ速さで上級魔物が距離をつめると、アドルフを一瞬で弾き飛ばした。
アドルフも近くの木の幹に叩きつけられ、ドンっと鈍い音が響く。
「さぁ、お前を守る者はもういないぞ」
上級魔物は楽しそうにニヤッと笑うとゆっくりと手を持ち上げる。
(どうしよう……どうにかしなきゃ……でももう今からじゃ攻撃に耐えられる結界を張るのは間に合わない…………もう無理……)
振り下ろされる手に目が釘付けになる。
「やめろ!! エミリー逃げろー!!!」
アドルフが必死に叫ぶが体が動かない。
この距離では誰もエミリーを助けには来られない。
エミリーが死を確信した瞬間、凄まじい咆哮が響いた。
一瞬で重苦しい空気に変わる。
上級魔物ははっとして、周囲に視線を巡らせる。
そして、この場の空気を変えた人物を信じられないという表情で見つめた。
エミリーは何が起きているのかと、視線を巡らせようと瞬きをした。すると一瞬で、目の前
にいた上級魔物が消えていた。
「え?…………」
そしてそれとほぼ同時に凄まじい衝撃音が響く。
衝撃で土埃が上がる。
エミリーは何が起こっているのかわからないまま、呆然と土埃が立ち上がる方を見つめる。
煙が薄くなると上級魔物が木の幹にめり込むように倒れているのが見えた。
そこでようやくエミリーは上級魔物が一瞬で叩き飛ばされたことを理解した。
(……いったい何が起こっているの?)
あまりの驚きにエミリーが呆然としていると、今まで上級魔物がいた場所にアドルフがいることに気づく。
しかし、アドルフは俯いていて、その表情は見えない。
(アドルフくんが助けてくれた?)
「アドルフくん、助けてくれてありがとう」
エミリーがアドルフに手を伸ばそうとした時、腰に腕が回され、そのまま抱えるように後ろに引っ張られた。
そしてアドルフから離れたところでふわりとおろされる。
突然のことに驚き、振り返ると、傷だらけになったルーカスがアドルフを警戒するように見つめている。
「ルーカス様? いったいどうしたのですか?」
ルーカスの行動の意味がわからず困惑していると、アドルフがゆっくりと顔をあげ、目を開く。
エミリーはそのアドルフの表情にゾクリとする違和感を感じる。
いつもの優しげな表情は無く、明るい緑色の瞳は今は真っ赤に染まっている。
にこっと笑うと見える犬歯は、今は口を不機嫌に引き結んでいるというのに、口元から覗き凶悪にすら見える。
警戒するように耳を立て、尻尾を逆立てている様子は、いつもの可愛いという感じでは無く、危険すら感じる。
アドルフは少し首を傾げると、自分の爪を見つめる。
いつもは人間と変わらないような爪だが、今は長く鋭く伸び、真っ黒に染まっている。
エミリーはそこでようやく気づいた。
アドルフが立っている位置から吹き飛ばされた上級魔物へと延びた地面を抉った線。それはまさに獣に引っ掻かれたような跡だと。
(で、でも、まさか爪であんなところまで地面を抉れるはずないわよね……)
今まで感じたことのないアドルフの様子に、エミリーは悪い夢を見ているような感覚でふらりと一歩踏み出す。
すると後ろから手を握られた。
「エミリー、今のアドルフに近づくには危険だ!」
「どういうことですか?」
エミリーは訳がわからないとルーカスを振り返る。
するとルーカスが苦い顔でアドルフを見つめ、小さく呟いた。
「獣化だ」
「獣化?」
「ああ。私たちは元々獣の神を祖先としていると前に言っただろう? 自分の身に危険が及んだ時や大きく感情を揺さぶられた時に、その力が開放されることがあるのだが……神の力は獣人族の身体には大きすぎる力なんだ……」
「大きすぎる力ですか?……」
「そうだ。獣化してしまうと自分の意思で力を制御できなくなる」
「それって……」
「誰彼かまわず襲ってしまう。相手がどれだけ親しい人でも、愛する人であったとしてもな……」
「そんな!!」
今のアドルフは敵も味方も関係ない。
エミリーやルーカス達でさえ今のアドルフには敵に見えるのかもしれない。
「どうすれば元に戻せるのですか?」
「獣化を戻す方法はないんだ……本人の力が尽きて倒れるまで暴れ続ける。だからアドルフが力尽き自然に戻るのを待つしかないんだ」
「力尽きるって……それでアドルフくんの体は大丈夫なのですか?」
ルーカスの表情がさらに険しくなる。
そして苦しげに呟く。
「獣化すれば力を制御できないと……中には暴れて自分の力で自分自身を傷つけてそのまま目覚めない者もいる……」
「そ、そんな…………」
その時、背後から大きな音が響いた。




