深い精神操作
「もう少しだ」
ルーカスの言葉にエミリーは頷く。
近づくにつれ、戦闘音が聞こえてくる。
何かがぶつかり合う音や爆発音にエミリーはぎゅっと体を固くする。
(大丈夫。みんな強いもの。それよりも足を引っ張らないようにしないと……)
「エミリー」
背後から名を呼ばれ、エミリーが声に反応して首を後ろに動かす。
時間がない中で、あまり馬を乗り慣れていないエミリーが一人で乗るのは危険だという判断で、今回もエミリーはルーカスの馬に同乗していた。
ルーカスは器用に片手で馬を操りながら、もう片方の手で優しくエミリーの手を握る。
「大丈夫だ。君のことは私たちが必ず守るから」
優しい声と後ろから感じる暖かい温度に緊張していた体が緩んでいく。
「それに私は君がいるだけで頑張れるから」
冗談混じりに笑いながら話すルーカスの声に、エミリーもふっと笑顔になる。
「ちょっ! ルーカスずりーぞ!! お、俺もエミリーがいるだけで頑張れるぞ!」
ルーカスの小さな声を聞きつけ、馬を隣に寄せながらアドルフが宣言する。
「まぁそりゃ綺麗な子に見られてると思うと頑張れるよな」
バーナードはニヤッとアドルフに含み笑いを見せ、そしてエミリーに視線を移すと二カッと笑う。
揶揄われたアドルフはなんだよというジト目でバーナードを睨みつけた。
そんなやりとりに小さく声を出してエミリーが笑うと、アドルフは視線を戻し、ニッと笑う。
きっと二人もエミリーの緊張をほぐそうとしてくれているのだ。
「みんないるから……安心していい」
斜め後ろからファハドの柔らかな声が聞こえる。
「貴重な光属性の特殊魔法を使えるかたに怪我はさせられませんから」
アーノルドがモノクルを押し上げ、エミリーを気づかうような視線を向ける。
みんなの暖かい声や気づかいに、先ほどまでの嫌な緊張感が薄れていく。
「みなさん、ありがとうございます。私は私にできることをしますね」
ルーカスは優しく微笑み頷くと、さらに馬のスピードを上げた。
「こ、これは…………」
現場に到着し、その光景に驚き、息をのむ。
一瞬動きを止めるが、すぐさま馬を降り、状況を確認する。
獣王国の兵士たちが必死に戦い、相手の侵攻をなんとか妨げているが、みな傷つき、疲弊している。
よくこの人数で抑えられていたと思うほど、悲惨な状態だった。
そして、その中にあって異様だったのが国境を越えてきたウォルターの周囲だ。
彼の周りには下級と中級の魔物が、まるで彼を守るように取り囲んでいる。
そして下級の魔物は彼の命令で獣王国の兵士たちに襲いかかっているように見える。
(どういうこと!? 魔物は人には従わないはずなのに…………)
信じられない光景に、エミリーは呆然と見つめる。
すると、魔物の中心で俯いていたウォルターがゆっくりと顔をあげる。
そしてエミリーの姿を捉えると、嬉しそうに微笑んだ。
「ああ……やっと見つけましたよ。エミリー・オルティス」
そのぞっとするような微笑みに、エミリーは身震いする。
(様子がおかしいわ……それに彼のあの目……)
暗く光る瞳の奥は何も感情が宿っていないように見える。
元は美しい中性的な面立ちは、頬がこけ、濃いくまができ、今では見る影もない。
(以前会った時よりも精神操作が強くなっているわ……)
エミリーは嫌な感覚に冷や汗を流しながらウォルターの様子を観察する。
「これで……これであのかたに喜んでもらえる……私があのかたの一番になれる……」
ウォルターは歓喜に震えるように天を見上げるが、その瞳には感情の揺らぎが見えない。
その声音と表情の差に、その場にいる全員が違和感を感じ、異様な者を見る視線を向ける。
「お前はヴァージル王国の魔道士団長、ウォルター・ベイリーか? 国境を無断で越えてきた意味、お前はわかっているのだろうな」
ルーカスの威圧感のある重たい声に、ウォルターはゆっくりとルーカスのほうへと視線を向ける。
ルーカスに直接視線を向けられていない、エミリーでさえも重く感じるような威圧感だ。
しかしウォルターはそんなことは全く感じていないように、はーっと息を吐く。
「あのかたがそうしろと言うのだからそれが正しいんだ……重要なのはあのかたがどう考えていらっしゃるかだけだよ」
その正気とは言えない理屈にエミリーは驚きに目を見開く。
(彼はそんなことも考えられないほど深く精神操作をされているというの……国を守る要の魔道士団長という立場にありながら一人の女性にこれほど狂わされるなんて……最低だわ……)
エミリーはぎゅっと唇を噛み締める。
エミリーの心の中でふつふつとした怒りが湧き上がってくる。
(マチルダ様……自分の都合のためだけに国を、国民を危険に晒すなんて……)
エミリーはぎゅっと手を握り込むと、大きな声で叫んだ。
「ウォルター・ベイリー魔道士団長、あなたを正気に戻します! これ以上誰も傷つけさせません!!」
エミリーはウォルターを鋭く睨み付ける。
いつものエミリーとは異なる苛烈な様子に、ルーカスたちは一瞬目を見開く。
しかし、すぐにニヤッと笑みを浮かべた。
「ふっ……そうだな。彼には正気に戻って、十分反省してもらおうじゃないか! みんないくぞ!!」
ルーカスの声にみんなが頷き、剣を抜くと一斉に走り出した。




