獣人族の始まり
「エミリー、疲れてはいないか?」
耳元で低く囁かられる言葉に、エミリーはびくりと反応する。
「え、ええ……大丈夫です」
エミリーは真っ赤になる顔を悟られないように、前を向いたまま答える。
相乗りするということは、この体勢になるのはわかっていた。
わかっていたのだが……
(体温が直に伝わってくるわ……ルーカス様、体が大きいから……何だか抱み込まれてるみたい……って何考えてるのよ!!)
ルーカスは人間の一般男性より背が高く、獣人であるからか体もがっしりしている。
そんな彼がエミリーの後ろから馬に跨るとエミリーの体がすっぽりおさまってしまうのだ。
ヴァージル王国でも滅多に相乗りなどしなかった。
幼い頃に父やイーサンと数回した程度だ。
幼い頃の記憶のため、こんなに密着するのだという記憶がすっぽり抜け落ちていた。
(王宮までずっとこのままかしら……こんな緊張状態が続くなんて……これならまだアドルフくんに乗せてもらったほうがよかったかも……)
エミリーはこれからの長い旅路に、心の中で大きなため息をついた。
「さぁ、見えてきた。あれが城門だ」
途中の街で休憩を挟みつつ、昼過ぎにようやく城下街に入る城門が見えてきた。
「すごい……大きな街……」
思わず言葉が漏れ、目が釘付けになる。
高い壁で囲まれた立派な城門の先にはヴァージル王国よりもずっと大きな城下街があった。
沢山の家が見え、街の中心に行くにつれ、坂になっている。
その坂の頂上に王宮があり、美しい白を基調とした壁面に所々金で装飾が施されている。
そして最も目を惹くのが、その大きな王宮を覆うように天に向かってまっすぐ伸びる、王宮よりもずっと大きな木だ。
「あの木……」
エミリーはその天に向かって伸びる大樹に釘付けになる。
何だか暖かいような、心が穏やかになるような不思議な気持ちになる。
あの木を見ると自分の内側にある光属性魔法が呼応し、力が湧いてくる感じがするのだ。
「エミリーは光属性の特殊魔法を扱うから、他の人よりもずっと影響を受けやすいんじゃないか?」
「それってどういうことですか?」
ちょうど不思議に感じていたことを尋ねられ、エミリーは首を傾げる。
「あの木は先日話していた光の木だ。あの木は光の神がこの地上を見守るため植えられたと言われているんだ」
光の神はこの世界を作ったとされている創造神だ。
そして光の守り手がなぜ貴重とされているのか……
それは、光の守り手は光の神から力を与えられ、地上を守っていると言われているからだ。
「そういえば先日、五百年前の光の守り手が光の木を育て上げたとお聞きしましたが、元々はあそこまで大きな木ではなかったのですか? 彼女があそこまで光の木を大きくしたと?」
「そうだ。光の木はもともと王宮の庭に収まるほどの大きさだった。しかし、五百年前、一度光の木が枯れそうになったんだ」
「枯れそうに、ですか……?」
光の神が地上を見守るための木ということは、神の力が込められているということだ。
それが枯れそうになるなど、何か不吉な予感しかしない。
「ああ……獣人族というのは光の神の隣人であった、獣の神たちの力の一部を継いでいるとされている。獣の神たちは光の神の作ったこの世界に興味を持ち、この世界を支えるため、力の一部を人間に与えた。その力を纏い誕生したのが獣人族の始まりと言われているんだ」
「それは……初めて知りました……それでは獣人族は神の力を扱えるのですか?」
獣王国に来てから、初めて知ることばかりだ。
エミリーは次々と出る疑問をルーカスに尋ねる。
「そうだな。神の力と言うか……力を解放して、今以上の力を出す方法はあるんだが……大きなリスクがあるから、それを神の力というのかは微妙なところだな。魔族や魔物に耐性があるのは獣の神の力を継いでいるからだとも言われいる。そしてその中でも、王族が一番色濃く獣の力を残していると言われているんだ」
「耐性というのは魔法が効きにくいということですか?」
「そうだな。全てが効きにくいというわけではないのだが、特に魅了や精神操作などの魔族や魔物が得意とする魔法は効きにくいな」
「そうなのですね」
今まで交流がなかったため、ずっと人間側で囁かれている噂をどこかで信じている部分があった。
獣人族とは獣と人間の混血であるため、粗暴で危険だと。
しかし彼らを知っていく中で、今までの獣人への認識ががらりと変わった。
今ならルーカスの言っていることが正しいのだと素直に受け入れられる。
ルーカスは上からエミリーの顔を覗き込むように見つめる。
こんな綺麗な顔にじっと見つめられるのは少し居心地が悪い。
「あ、あの……何か?」
エミリーの言葉にはっとし、申し訳なさそうにルーカスが微笑む。
「すまない。不躾だったな。いや、人間の中での私たちの噂を耳にしたことがあったから、君が純粋に受け入れてくれるのが不思議に思ってしまって……」
「確かに私も以前は噂を信じている部分もありました。ですが皆さんと過ごすうちに噂は所詮、噂なのだと思うようになりましたから」
エミリーの言葉にルーカスは目を見開くと、ふわりと尻尾を揺らし、嬉しそうに微笑む。
「この国に来たのが君でよかった」
ルーカスの優しくも美しい微笑みに、エミリーはぽっと頬が熱くなるのを感じる。
それを隠すように両手を頬に当てると、心を落ち着かせるように光の木へと視線を逸らした。




