シエナの秘密
あんなに泣いたの…いつぶりだろう。
お母様が亡くなって以来かしら。
酷い顔・・。
夜会から泣きじゃくりながら帰ってきて、家族が見ていてもどうでもよくって、そのまま部屋に入ってメイにお風呂にだけ入れてもらって、そしてベッドに入って、ほとんど眠れず、朝方少しだけ寝て…それで目覚めた。
一晩中泣いていたからこんな顔に…。
美人が台無し…。
「お嬢様!まぁ!」
呼び鈴を鳴らすとメイがやってきてあまりの顔のひどさにびっくりしている。
「ひどい顔してる?」
「ええ。ええ。何があったのですか?」
「うん。いいの。心配してくれてありがとう」
「いいえ。でしゃばったことを申しました。すみません。冷たいタオルをお持ちしますわ。朝食はどうされますか?」
「スープだけいただけるかしら?ここで食べるわ」
「はい。すぐにお持ちします」
メイが出て行って、『はぁーーーーーー』と大きなため息をついた。
アレクサンダーに拒否されることがこんなにつらいとは思わなかった。
『仮面夫婦だからか』
そのときの冷たいつきささるような言葉を思い出すとまた涙があふれる。
つらい。
けれど…。
やっぱり言えないわ。
自分の復讐のことをアレクサンダーに言うわけにはいかない。
だいたい転生したなど信じてもらえるわけはないのだ。
前の自分が殺されて転生してだから復讐したいなど。
そもそもアレクサンダーはロージーのことなど知らないだろう。
死んだことすら誰にも知られていない人生だもの。
けれど絶対にシエナを許せないから、シエナだけはつぶさないと気が済まないから、絶対にやり遂げないといけない。
母の為にも。
これはロージーからグレースに生まれ変わっているこの魂の問題であってアレクサンダーには関係のないこと。
自分がやり遂げなくてどうするのよ。
アレクサンダーに言うわけにはいかないわ。
けれどまたアレクサンダーの冷たい視線を思い出し涙があふれかえった。
しばらくしたらメイが入ってきて何も聞かずに温かいスープを差し出してくれてグレースは布団の中でゆっくりとそれを飲んだ。
ああ。あったかい。
とてもあったかいわ。
それにしても…と思う。
サミュエルはやはりあんな男だった。
グレースの日記を読んだときにサミュエルの名前があらわれたときにはびっくりしたものだ。
まさかここにまで手を出していたとはとびっくりした。
そして驚くべきはグレースがサミュエルを愛していると書いていたことだ。
あの方しかいない。
あの方こそがわたしのすべて。
どうしてこんなゲスな男と結婚せねばならないのか。
と延々とアレクサンダーの罵声をかきつづってあった。
それにひきかえサミュエルには称賛の嵐。
だがグレースを助けたというのも怪しいものだ。
おそらく助けたのは従者だろう。
サミュエルの従者に屈強なものが一人いたはずだ。その者がおぼれるグレースを助けたのをさも自分が飛び込んで助けたかのように装ったに違いない。
そういう男だ。サミュエルは。
けれど少しくらいロージーの死を悼んでくれているかもしれないと期待した自分がバカだった。
ロージーのことなど最初から何とも思っていなかったのだ。
それがわかっただけでも収穫というものだ。
ふぅー。
またそこでアレクサンダーの視線を思い出し涙があふれはじめる。
なんなのよ。もう。
しっかりしなさいよ。わたし。
自分自身を叱責するとパンっと頬を叩いて、グレースは起き上がった。
やらなきゃ。
シエナを潰さなきゃ。
この4ヶ月王子妃教育と人脈作りだけをやっていたわけではない。
シエナを倒すために着々と情報収集はやっていた。
新聞、業者からの情報引き出し、パーティや茶会での情報収集。
そしてわかったことはやはりシエナは伯爵家の後継として着々と人脈作りに励んでいると言うことだった。
かつては中立を貫いていたガードナー家だったがシエナはチェックマイスター側についたようだ。
勝手にそんなことをされたこともムカつくが、今となってはお母様も自分もいなくなってしまって実質上ガードナーと血のつながりのないものがのさばっているのだからそこはもういい。ガードナー家としての誇りは捨てよう。
そしてシエナはどうやらやはり『魅了』を使っていると言う確信を得た。
何冊も文献を読んだ。
公爵家の書庫には莫大な書物があったから魔術に関するものは全てと言っていいほど読んだし、王立図書館にも勉強と称して通い詰めた。
いざとなれば見聞殺しの術を使えば何をやっているかぼかすことができたし人にはみとがめられていないはずだ。
そしてやっと見つけた。
魅了のこと。
『歌』だ。
シエナは『歌』で魅了しているのだ。
魅了という魔術。
それは人の心の奥深くにある核を震わせて、魔術師本人と共鳴させることでその人間の深層心理を支配し、心酔させることができるというもの。
今までの事例では魔性の女と呼ばれた女性が歴史上数人いるとのことで、その魔術を操れるのは女性のみ。
魅了方法は…歌。世間ではそういう女を『魔女』と呼ぶ。
そうだ…シエナは歌がうまかった。母親がオペラ歌手だったから歌と小さい頃から触れ合っていたからだろう。
とても綺麗な声で歌った。
そして皆その歌を聴いた後は目が虚になっていたことを思い出したのだ。
きっとその能力を発動したのはお母様が死んだ頃。
その頃からシエナへの心酔者が増えていった気がする。
もしかしたらお母様のことも魅了して操り、階段から転落させたのかもしれない。
考えただけで怒りが込み上げてくる。
そんな中たまに魅了にかからない人間が存在する。
魔力の強い者とその者の魔力の影響を強く受けている者だ。
それがグレース。
だから、シエナが苛立っていた。
そして問題は結末だ。
魅了を扱う『魔女』が出てきた時代は、その国が滅びているか、その寸前までいっているというのだ。
このままでは国が危ないのだ。
シエナが伯爵家の乗っ取りだけで満足しているわけはない。
必ず。中央に進出してくる。
その前に潰さなければ…。
昨日の夜会にもシエナを見つけた。
会場の中でも隅の方だったが男好きのするその可憐な容姿で愛想を振り撒いており、何人もの男とダンスをしていた。
おかしいと思ったのはその中にサミュエルがいなかったことだ。
シエナのことだ。おそらく捨てたのだろう。サミュエルはフラフラとさまざまな女性に声をかけていたから…。
これはいよいよ…
ダメな方向に向かっている。
早く手を打たなければ…
そのためにはどうすればいいかしら…。
考えなければならないわ。




