第一章(6)
◆Ganache◆
「グオォォォオオオォォォオオォォォォォン……!」
地面を揺るがすほどの咆哮とともに、炎の鬣の巨大な体躯が迫る。あの尋常ならざる巨躯は突進するだけで脅威となる。「っぶねぇ……!」フィーロはシェリカを抱きかかえて飛び退いていた。
ガナッシュもすんでで回避する。あれだけ大きいと、避けるのも一苦労だ。この場所が戦うに十分なくらいには開けていることだけが救いだろう。
突進をしていた炎の鬣は、途中で転がると、地面に腕を突き立てて勢いを殺しながら停止した。やはり森の生態系の頂点に君臨するだけあって、運動性能も高いようだ。再び突進のモーションに入る。
あんな突進、そう何度も来られたら堪らないぞ。
それを阻止するため、ガナッシュは駆け出した。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!」
ガァンッ!
ガナッシュの大太刀と、炎の鬣の腕が激突した。刃と爪が激しくぶつかり合う。
この一合、当然ながら質量的にも純粋な腕力的にも炎の鬣に分があった。当然のごとく押し負けたガナッシュは、反動で後退する。ズザザッという音をたてながら踏み留まった。痺れる腕を見つめ、ガナッシュは驚嘆せざるをえなかった。
なんて怪力だ。剣を落とさなかったのは奇跡だ。
これでなければとっくに折れていることだろう。
とはいえ、何回もこんなことをすれば腕の方が保たない。痺れる手のひらの握りを確認するため、結んで開いてを繰り返す。何か手立てを考えなければ。
使うべきか……?
いや、まだだ。まだその時ではない。
今の自分の学部主席という地位は、自身の剣の腕もだが、この刀剣によるところも大きい。世界に数え切れないほどある名刀、名剣と呼ばれる刀剣類の中でも、この太刀はあらゆる面で特別性だ。
憎悪し、嫌悪し、それでも握った。
あの人はこの刃に何を見出したのだろうか。
ボクはそれを知らなくてはならない。
そうすることだけが唯一の贖罪なのだから。
そのためには力がいる。縋っていては手に入らない。自らの手で掴み取るものだ。柄を強く握りしめる。痺れは残るが、問題ない。この魔物はボクが仕留めるのだ。
だからまだ貴様は手を出すな……!
一気に地面を蹴った。
――ガルォォォォオオォォォォォォッ……!
ガナッシュの突撃に呼応するかのように炎の鬣は雄叫びを上げながら、右の巨腕を振りかざした。それは鞭のようにしなって、一気に振り下ろされる。ガナッシュは全神経を研ぎ澄まし、紙一重でそれをかわした。繰り出された強力な打撃が地面を抉る。
飛び散った小石が頬を切り付けた。どうでもいい。こんなものは傷のうちにはいらない。
「だぁっ……!!」
叩きつけられた腕をすり抜けて、懐に潜り込む。一太刀浴びせようとしたが、敵の反応が思いのほか早く、真横から再び巨大な腕が迫った。
ガナッシュは急停止すると、とんぼ返りしてかわす。
近付くのも容易じゃないな。
「――そーいそいそいそい! ひぃーッハァ――ッ!!」
着地した脇を何かが駆け抜けていった。とんでもない奇声をあげている。レイジか。また奇病が発生したようだ。
どうにもあの男は、時折隠密性を失う。特に大きい敵と遭遇するとこうなる。「デカイってだけで男のロマン」と宣っていたこともあったが、同性ながらよく分からない。分かりたくもない。
「疾ッ……!」
レイジは腕に隠していた暗器を投げつける。だがいかんせん細すぎるのか、分厚い筋肉を通らない。
「厄介やのォッ!」
「グゥァルァ!!」
炎の鬣がレイジめがけて拳を叩き込む。地面が爆ぜ、水飛沫が高くあがる。だがレイジにとっては大した攻撃ではないようだ。
「んなもん、当たらんわ!」
レイジは宙にいた。
敵の肩に乗ると、腰から小太刀を抜く。レイジが愛用しているものだ。顔面を狙うつもりか。
「征ァ……ふぉ!?」
炎の鬣はレイジの狙いに気付いたのか、上体を激しく揺らした。突然のことで一瞬体勢を崩したレイジは、振り払われて宙に投げ出される。
「レイジ!」
「やべっ」
炎の鬣が腕を振りかざす。
ヤバい。
ここからでは間に合わない。
いや、一つだけ……ある。
迷えば、間に合わなくなる。
だが。
ガナッシュの逡巡をよそに、風を裂きながら炎の鬣に飛んでいくものがあった。それは炎の鬣の頬に刺さる。さしたるダメージはないようだが、注意を引いたらしく。腕の動きが止まる。誰が、と問うまでもない。あれが矢なのだとわかれば、射ったのは一人だけだ。
姿はない。
どこかの木の上から狙撃をしたのだろう。
ガナッシュの立っているところからは見えなかったが、炎の鬣には見えていたらしい。視線はすでに違う方向を向いている。
颯爽とクロアが潜んでいた木の枝から降り立った。そしてすぐに走り出したが、炎の鬣は完全にクロアを見据えている。すぐさま狙いを定めて突撃した。
「クソッタレ!」
「オレが向かうでッ!」
だがレイジでも間に合うか。
「――鎖光燐Fam爻槃alono蓮氷縛」
冷気が漂った。
ただの冷気ではない。これは、魔術だ。
炎の鬣の足元が霜で覆われる。そこから現れるのは氷の蕾。それはまるで蓮華のように、花開き、同時に冷気が拡散する。
瞬時に炎の鬣の下半身を凍らせた。炎の鬣も動きが止まる。
さすが天才魔術士だ。
「畳み掛ける……!」
この好機を逃す手はないと、動き出そうとした時。
「グ オ オ オ ォ ォ ォ オ オ ォ オ ッ……!!」
強烈な咆哮だった。
身体を、衝撃波が襲う。
ガナッシュは、大太刀を地面に突き立ててなんとか堪えた。
耳鳴りが酷い。頭がくらくらする。鼓膜は大丈夫のようだが、だが聴こえない。こんな状況で聴力を奪われたらたまったものじゃないぞ。
なんなんだこいつは。これが炎の鬣か。いくらなんでも規格外すぎる。これが魔物。そう、あれは魔物なのだ。その辺の野犬とはわけが違う。分かっていたはずだが、分かっていなかったようだ。戦ってようやく己の本能もが理解した。こいつは手強い。
「――ッ……!!」
レイジ? 何かを叫んでいる。ダメだ。聞こえない。
前? 何。耳がまだなんだ? 前を見ろ?
だんだんと聴力が戻ってくる。しかし頭で反響する。うまく拾えていない。なんて言ってるんだ。いや、分かっている。
巨大な影。
ああ、こいつは。
「……ヤバいな」
――グオォオォォォオォォオォォォォォァァァ!
咆哮の衝撃だけが響いた。
凶悪な巨腕が迫る。かわすことはできそうにない。身体が追いつかない。こんな時だけ自分の動体視力が恨めしい。死線は捉えているというのに、どうすることも出来ない。しっかりしろ。こんなとこで死ねるものか。
せめて、身を守らなくては。
大太刀を引き寄せようとする。
そして奴の巨大な左腕が迫り――。
「がっ……!?」
誰かに服を引っ張られる。身体が後ろに放り投げられた。そのことを理解した時には、ガナッシュは尻餅を突いて転がっていた。
それと同時に。
目の前に誰かがいた。
衝撃だけが、身を揺さぶる。そして同時に、その姿がかき消えた。
「ぐぼへっ……!」
という聞き覚えのある声。
ガリガリッという地面を激しく擦る音がして、一本の木にぶつかると、それは鈍い音を立てて倒れた。何が起きた。いや、それよりも体勢を整えねば。
「ガナッシュ! ぼさっとしてんな! 今度こそやられてまうぞ! ヘイヘイ! カモンくまちゃん、こっちや!」
「よくもフィーロをッ!」
シェリカが叫んだ。フィーロ。今のは、フィーロが?
あいつは無事なのか。
レイジが炎の鬣の周囲を跳び周り、刻みつけながら撹乱する。小虫を払うかのように腕を振るう炎の鬣だが、しかしレイジの速さはそれを遥かに上回り、掠ることすらない。
ただ、レイジの攻撃はほとんど効いていない。分厚い筋肉に包まれたあの体躯のどこに弱点があるのか。
とにかくぼさっとしている場合ではない。頭の中など無理矢理にでもクリアにしろ。耳鳴りはとうに止んでいる。立ち尽くす間などクソの役にも立ちはしない。
まずはフィーロだ。
あいつはこんなところで死んでいい奴じゃない。
「フィー……」
「フィーロ君! しっかりしてください……!」
ガナッシュの声よりも早くユーリが叫んだ。すでにフィーロの元へと駆け寄っている。ガナッシュもその場へ急ぐ。ぶつかった衝撃で折れたらしい株に、フィーロはもたれかかるように倒れていた。
「フィーロ、無事か!?」
「……ってて。超いてぇ……まぁ、大丈夫だ」
フィーロはむくっと身体を起こすと、平然とした様子で笑った。しかしその額から血が流れ落ちている。炎の鬣のあの攻撃でこうして笑っていられることがどうかしている。
「頭から血が出ているぞ!」
「どうもしねーよ。頭の怪我なんて大げさに見えるだけだろ。ったく、あーくそ。働くもんじゃねぇな」
「い、今治療しますから……」
ユーリが慌てて施術を開始しようとしたが、フィーロは「大丈夫だってば」と静止する。
「怪我を甘く見ないでくださいっ!」
「お、おう……す、すんません」
必死の形相をするユーリに気圧されて、フィーロは押し黙った。さすが治癒士というべきか。そういうところははっきりしている。
「これは治療。これは治療。治療だか医療行為……」とユーリがブツブツ呟く。大丈夫か。なんだか違う意味でも興奮しているように見えるんだが気のせいでいいんだろうか。
ユーリが施術を開始する。その淡い発光が、フィーロの身体を癒やしているのが分かった。すると、突然そこへゆらゆらとクロアが現れた。瞳には何やら闘気のようなものが燃えている。何を思ったか、フィーロの上に馬乗りになった。
「な、何してるんですかっ!?」
ほんと、何してんだろうねこの女。
「お、重いんですけど」
「……怪我。痛いとこ、舐める」
何言ってんだろうね、この女。
「……いや、しなくていいんだけど」
今の間はなんだ、フィーロ。迷ったのか。それとも理解するのに時間を要したのか。問いただしたくはあるが、そんな場合ではない。
ほんと、そんな場合じゃない。
「……舐めると早く治る、よ?」
「なんで疑問系なんだよ」
「は、離れてくださいっ! わたしの治癒術でちゃんと治せますからっ!」
「……黙れヤブ」
「や、ヤブじゃありません! み、見習いですっ!」
こいつら、戦闘中なの忘れてないか?
なんにせよユーリは見習いなれど優秀な治癒士である。大体の怪我は任せておいて心配ない。何の対抗意識かは知らないが、時と場合というものを考えて貰いたい。
とにかく今はフィーロの回復が先決なので、これ以上の邪魔はよくない。時間の無駄だ。
ガナッシュは、クロアの首根っこを掴んで引き上げる。恨めしそうな目で睨まれた。あとで仕返しをされそうだ。なんか上手く言いくるめられないか。
「クロア、お前はフィーロを守ってやれ。怪我が治ればきっとフィーロは感謝してくれる」
「……お礼にちゅーとかしてくれる?」
「きっとな」
いや知らんが。
それでも上手く言いくるめられたようである。クロアは俄然やる気に満ち溢れている様子なので良しとしよう。
「おい、なんか不穏当な会話が聞こえたぞ」
「フィーロの回復を頼む」
「わ、わかりましたっ!」
「オイ待てこら」
ユーリは治癒を再開する。再び淡い光がフィーロの患部を癒やし始める。あとは施術の完了までしっかりと守り抜けばいい。
「おい、ガナッシュ」
戦いに戻ろうとしたところで、フィーロに呼び止められた。
「なんだ」
「もうこのまま退散するってのはどうだ?」
「あり得ないな」
「あんなん勝てる気しないんだけど」
「あれこそ十中八九ガッソが表層に現れ始めた元凶だろう。放置すれば依頼は失敗になる。依頼は調査と解決だ」
「学生の領分を超えてる」
「だからこそだろう」
「あれよかガッソ片付ける方が簡単じゃねぇのか」
「あれが人里に現れる可能性だってある」
「ガッソを一先ず倒せば暫く降りてこねぇだろ」
「くどいぞ。あれは倒す。討伐すればかなりの得点になる。《カタハネ》のマスターはボクだ。今回の決定権はボクにある」
「ガナッシュ、そんなもんのためにこれ以上仲間を危険に晒すなよ」
そんなもん?
頭の中が急激に熱せられたかのようだった。
「お前に……お前に何が分かる! 戦いが危険なのは当然だろうが! 臆病者は黙ってろ!」
「おい、ガナッシュ……そもそも、あれは」
「煩い、黙れ! ボクの邪魔をするな!」
ボクには、ボクの目指すものがある。
逃げるわけにはいかない。
あの人は、決して逃げなかった。
同じ場所に並び立つには、絶えず挑み続けるしかない。
逃げない。だから、これは"逃げ"なんかじゃない。
挑むのだ。
「――附Meer哀du刀随水霊」
それは短い呪文。
かつて、あの人は言った。呪文とは、精霊と人とを繋ぐ絆のようなものなのだと。だから呪文はただ単調に言葉をなぞるのではなく、精霊に語りかけるように唱えなくてはならないのだと。慈愛と親愛を以って語りかけるのだと。
馬鹿馬鹿しい。それが貴方の命を奪った。
どれだけ愛を語ろうとも、返ってくるのは呪い。そして力だ。その呪いに負けぬために、そしてその力に溺れぬために、この心は強くあらねばならない。
あの人に並び立つ。だが、同じ轍は踏まない。これは挑戦状だ。ボクは、お前に挑む。逃げてなるものか。
青く、蒼く、碧く。
大太刀の刀身は波打ち、波紋を広げ、沸き立つ。絶えず流れる川が常に一定を保てないように、大太刀はその姿を変えていく。
水の刃とでも表現すべきなのか。
流麗で、禍々しい、呪われた刃だ。
こうして聖体の秘蹟は目覚めるのも久しぶりか。うねる刀身はまるで、空腹で唸っているようだ。
「心配しなくても、餌はそこにある……」
その言葉に呼応するかのように、刀身に波紋が広がる。嬉しいか。現金なものだ。
ならば、存分に喰らえ。
ボクはお前を御してみせる。
◆Firo◆
何かがあいつの逆鱗に触れたようだ。
あいつは成績を気にしていた。だからかもしれない。そんなに大事なものなのか。俺には分からないが、あいつにとってはそうなのだろう。
しかし意地っ張りな奴だ。
お前こそ人の話は最後まで聞けよな。とはいえ、あれじゃあ聞く耳も持ちそうにない。つくづく頑固な男だ、まったく。だいたい庇ったんだからお礼くらい言えよなぁ。
しかし邪魔、か。さすがに傷付く。まー、そりゃね、こんなへっぽこじゃあ、邪魔だとは思うけど。辞めさせりゃいいのに、出来ないのはシェリカの存在があるからだろう。
俺は……俺だけが、この中で異端なのだ。
我ながら甘ったれなだけだと思う。期待はされたくなくて、でも一人にはなりたくなかった。人付き合いなんて面倒だと思っているくせに、孤独は嫌で、彼らに仲間と思われたかったのだ。
なんだかんだ心配してくれたのは少し嬉しかったんだけどな。
あいつはいろいろ見失っている。一人で戦ってるわけじゃないんだがな。まぁ、俺より友達いなさそうだもんな。基礎はあるけど、集団戦とか苦手そうだし。俺含めみんなそうだけど。
「少なくとも、俺は仲間じゃなくても《カタハネ》のみんなは仲間じゃねーかよ……」
「えっと、フィーロ君も《カタハネ》ですよね? ……もしかして違ったんですか!?」
独り言のつもりだったのだけれど、側にいたユーリが答えて、勝手に慌てていた。癒やされた。
「あーいや、《カタハネ》だな。うん」
「そ、そうですよねっ。あーよかった……じゃなきゃ辞めてました」
「え?」
最後の方がぼそぼそとしていて、聞こえづらかった。
「なな、なんでもないですっ。その、フィーロ君はわたしたちの仲間ですよね……?」
「仲間でいいのかな」
「いいに決まってますよ」
「そっか……仲間か」
そう思ってもいいのだろうか。ユーリの笑顔を見ていると、なんだかそれでいいんだと思えてきた。まぁ、別にどう思われたって、勝手に心配する分には問題ないよな。
「ありがとな、ユーリ」
「へ? あ、はい。どういたしまして」
「そんじゃ、ガナッシュの無茶も止めなきゃな……」
仲間、なんだし。
「無茶ですか?」
「無茶だろ。あの剣、ヤバイ感じしかしない」
この世界には、たった一つしかない特別な物が存在する。かけがえのない思い出とかそういうプライスレスなものじゃない。単純に一つしかない、武器とか防具とか、あとはまあ装飾品とか、その中でも品質はピカイチの物だ。
宝具や神具と呼ばれる。
宝具は主に史上に残る王であったり、英傑であったり、魔導師や聖者が作り出したものだ。中には単なるアンティーク程度のものもあるが、魔術的な加護があったりするものも多い。
とはいえ、しかるべき道具や材料などがあれば、宝具は既存の技術で複製を創り出すことができる。市場に出回ってる中にも贋作が多く出回っている。
しかし神具は別だ。
贋作などない。そんなものは無意味でしかない。有名な贋作家が精巧に真似たとしても、その真贋など、素人でも見分けられる。
「聖体の秘蹟、か……」
俗に言う、魔剣だ。
あのクソミソヴァイス(先生)の持っている切り刻む王者の牙と同じ、世界に一つしかない武器。
実物など見たことはない。ガナッシュの武器がかなりの業物だということはわかっていたが、まさかそれだとは思ってもいなかった。
文献は残っていない。神具は『空白の時代』のものが多い。『空白の時代』は数々の文明を持つこの世界において、あらゆる情報が抜け落ちた時代であり、むしろ神具こそがその時代の生きた文献だ。
だがその神具ですら、様々な噂などが飛び交って、真偽の入り混じった情報しかない。しかし聖体の秘蹟に限って言えば、どの噂も悪いものばかりだ。
「ガナッシュ君の剣、危険なんですか? とても綺麗だと思いますけど」
綺麗か。確かにそうだ。あれは美しい。
だが毒がある。
曰く、生き血をすする剣。
曰く、持ち主を蝕む剣。
「呪われた霊剣とも呼ばれてる……らしい」
「らしい、ですか?」
「噂だからな。でも、今ならなんとなくわかる」
あの刀身から溢れているのは水の要素魔術と似て非なるものだ。だが魔術に近いものを感じる。聖体の秘蹟とは、魔剣の名に相応しく魔術を使う剣のようだ。
「けど……」
シェリカは基本的に火炎と雷撃の要素魔術を得意とするけれど、一通りの要素魔術は使いこなせる。むしろ不得意がない。派手なのが好きなので、派手なのが多いその二つに集中しているだけだ。
フィーロはシェリカの使う水の要素魔術を何度も見てきた。要素精霊というものは目には見えないが、感じることは出来る。それが精霊の威力というものらしい。
まるで頬を撫でる冷風のようだったと記憶している。慈悲を司る水の精霊は柔く淡い。それゆえに逆鱗に触れれば何もかもを飲み込むのだが。
聖体の秘蹟から感じられる雰囲気はそれとは違う。
まるで、暗い水の底で溺れているような感覚だ。
息苦しい圧迫感があった。
不吉で、不気味だった。
「あれは使うべきじゃない」
なぜ、ガナッシュが魔剣士学科に属しているのか。そうでありながら今まで魔術を使う素振りさえ見せなかった理由が同時にわかった。
あいつはただの剣士で、魔術を使うのは剣の方だ。
それはつまり、ガナッシュには魔術の才能はないということ。ならばあの魔術は一体どうやって生み出されているものなのか。
「死んじまうぞ」
"持ち主を蝕む"という噂の真相はこれか。
あの剣があれば、魔術の心得を持たぬ者でも容易く魔道の力を行使することができるようになる。だか魔術の行使には必ず対価を必要とする。
魔術士は己の魔力を対価にする。だが、それを持たない者は、精霊にとって価値のあるものを対価として支払わなければならない。
精霊にとって、魔力のない者の中で最も価値あるものなど……精神、あるいは魂と言うべきか。それくらいだろう。
「もう平気だ、ユーリ」
「で、でもまだ……」
「大丈夫だって。さすがにさ、こんな無意味な戦いでこれ以上傷付くなんて馬鹿馬鹿しい」
あんなもん使ってまでガナッシュが何をしたいのかは知らないけれど、だからって少なくともこんなことのためじゃないはずだ。
立ち上がってみると、身体が軋む。咄嗟にいなしたつもりだったけれど、無茶が過ぎたようだ。さすがに、これは肋がやられてるかもしれない。まあ、頭の怪我はもう大丈夫とユーリも言っていたし、心配ないな。動けりゃ問題ない。
「――燃えなさいっ!」
離れたところでシェリカが業火を放ちながら叫んでいるのが見えた。一人でかなり前線に出ている。あいつもだいぶと頭に血が昇っているな。
こうなってくるから、結局ことはガナッシュの問題だけじゃなくなるのだ。あいつ一人で肩肘張るのは別に構わないけど、こんなことでシェリカを危険に晒して欲しくはない。なんだかんだで、血の繋がった家族だし。人並みに心配くらいはする。
とにかく、ちゃんと止めてやらないとな。
「頑丈でよかったと初めて思ったよ。ユーリは安全なとこにいろよ。なんならモニカを戻すから」
「あ、はい」
あっちもこっちも大変だ。
これは、今ここで頑張れば向こう数ヶ月は働かなくていいはずだ。うん。いいね。幸せじゃないか。
サボるためには全力を尽くすさ。
「そんじゃまぁ、行くか」
◆Monica◆
モニカはものすごく苛立っていた。
本来ならユーリの護衛だ。いわば美しき姫を守る守護騎士。
そう、美しいのだ。
ユーリは美しい。
ていうか可愛い。
入学式で、初めてその姿を見た時からびびっときた。守りたくなるような柔和なその存在に、モニカはときめいた。やっばいくらいめっちゃ可愛いかった。
いや今も可愛い。
進行形で可愛い。
しかも性格まで可愛かった。
とにかく可愛いのだ。
それがなんだ。ユーリはあの男ばかり見ている。頬を赤くなんてしちゃって、まるで恋するおと……違う認めない。絶対に認めない。ユーリは騙されている。あの男に騙されているのだ。
「だああっもう!!」
"嵐を運ぶ者"と銘打たれた逸品。三叉にわかれた槍で、モニカは横に大きく薙ぎ払った。もともと両端の刃は斧のようにもなっている。刺突斬撃粉砕、それらすべてを突貫に乗せてなせる武器だ。
この一撃はしかし容易くかわされた。炎の鬣とかいう巨大な熊みたいな魔獣は、鈍重に見えて存外素早い。モニカの真似か、反撃として、炎の鬣は地面を削りながら腕を横薙ぎに振るってきた。
「ちぃっ……」
咄嗟にバックフリップでかわす。その間隙を縫って、矢が立て続けに炎の鬣に刺さった。チミっ子の仕業か。抜け目がない。
この中で弓術士はあのチミっ子クロアだけ。正直あれも男の趣味的な部分で気に食わないが、無口で実害もないのでまだマシだ。
変な女だが、腕は一流。
突き刺さった矢が爆発を起こした。雷管を仕込んだ炸裂矢のようだ。弓術士は屈強な化物の相手をする時はダメージを上積みするための知恵や技術を他の学科よりも多く必要とする。戦士系のように肉体を武器にできないがゆえの策といったところだ。
だがタフなことに、炎の鬣はびくともしていない。腕の肉が数枚剥がれたところで、痛痒にも感じないらしい。鈍いのか、それとも強靭すぎるのか。
モニカが着地すると、その脇を黒い影が横をすり抜けていった。手には巨大な青い大太刀。ガナッシュだ。
「切り裂け、水刃……ッ!」
刀身から放たれたのは、大きな水の刃。
一目で魔術だとわかった。
これが魔剣士学科としての姿か。こんな隠し球を持っていたとは。
「――グオォォォオオオ ォ ォ オ」
炎の鬣は正面から立ち向かった。避けるのは無理と判断したようだ。だがどうするつもりだ。一度練られた魔術を、強制的に解除することなど不可能なはず。
「オ オ ォ ォ ォ オ ……!!」
拳をハンマーのようにして、上から叩きつけた。
飛沫があがる。
赤い。
赤い飛沫だった。
地面が爆ぜ、粉塵が舞う。なんて膂力なのか。あまりの轟音に、モニカは身体が硬直した。それは生物的な本能に近かった。
あいつはただの魔獣じゃない。
炎の鬣は立っていた。水刃を叩いた腕の爪は折れ、皮膚が剥がれていたけれど、それでもまだ戦意は失っていない。むしろ轟々と燃えていた。
「化物め……!」
ガナッシュは吐き捨てるように言ったけれど、あれは化物などという範疇を超えている。普通であれば、どんな魔獣でも傷を負えば退避するものだ。奴にはそれがない。まるでここから一切引かないと言わんばかりだ。
だがこちらも、立ち塞がる敵は排除しなくてはならない。それはナインエルド獣王帝国における鉄の掟。モニカはそれを側で見続けてきた。
だからこそ、突き進む。
迷いは禁物だ。
すううぅ、とモニカは息を大きく吸った。
「Chaaaaaaaaaaaaaaaaarge……!」
我、嵐を運ぶ者なり。
いざ、轟嵐のごとく、推して参る。
咆哮のごとき「Charge」は祖国ナインエルド獣王帝国の竜槍騎兵師団が用いる鬨の声。
敬愛すべき父から教わった、竜槍騎兵師団の突撃強襲部隊が最も得意とする突進技――愚直なる破砕の突貫を炎の鬣目がけて叩き込む。
――グアオォォォォォォォォォォォァ……!
負けじと炎の鬣が咆える。大地が揺れる。だがもう臆しはしない。恐れも迷いも何もかもを飲み込んで、愚直に突き進む。
目の前で爆発が起こる。クロアの援護射撃か。必要ないけれど、無駄というわけではない。
モニカは炎の鬣の右脚部を破壊する。右足を穿たれ、炎の鬣はよろけた。しかしその体勢のまま腕を振り下ろしてきた。
「水刃ッ……!!」
「ガアアアアァァァァッ!!」
水の刃が飛んてきて、炎の鬣の腕とぶつかり合った。ズタボロだった腕にまた同じ水刃がぶつかり合ったのだ、さすがに激痛で炎の鬣も悲鳴をあげた。その間にモニカは三度のバックステップで大きく後退する。
炎の鬣は揺らいでいる。もう一度行けるか……?
敬愛する父親が言っていた。巨大であろうとなんであろうと、たいがいの敵は軸を壊せば恐れることはない。勝てないと思うのは自分の心が弱いからだ。心を奮起し、恐れず敵の懐に入れば自ずと勝機は見えてくるものだ、と。
父の教えはいつも正しい。
炎の鬣は右足からおびただしい血を流している。
もう少しで勝てる。
いや、慢心してはいけない。
油断だけはするな。追い詰められた獣は恐ろしい。勝機を見出すためには、常に冷静でなくてはならない。
それもまた父の教えだ。
「凱裂尖dey罅Fu鑠朦grave鋭巌鎗」
ぼこん、と土が盛り上がった。モニカの足元だ。驚いて飛び退く。同時に土色の尖った物体が飛び出した。さながら土の槍だ。
一本じゃない。六ヶ所くらいから伸びている。それらは一気に伸びて、炎の鬣を串刺しにした。腕や脚部を貫かれ、炎の鬣は悲鳴をあげた。
動きを封じられた炎の鬣は悶えるが、土の槍は存外硬いらしい。当然だろう、寡黙を司る大地の要素魔術だ。ちょっとやそっとで崩れるものではない。
が、問題はそこじゃない。
「……ちょっと! アンタ、アタシごと刺し殺す気!?」
「はぁ? んなところにいるからでしょ?」
この魔女め。地獄に堕ちろ。
モニカは睨みつけたが、魔術を放った犯人の馬鹿女はしれっとした表情をしていた。憎たらしい。姉弟ともども憎たらしい。
この女は嫌いだ。
まず顔が気に食わない。性格も受け付けない。とりあえず存在が嫌いだ。学園じゃ男に人気らしいが、女の友達いなさそうだ。そもそも重度のブラコン。全くもってユーリの正反対にいる。
ユーリ。
ああ、ユーリ。
あの可愛い仕草や表情をすべてアタシに向けてくれればいいのに。儚くて、健気で、時に力強いあの娘。アタシはあの娘を守りたい。あの娘はアタシを救ってくれたのだから。アタシはユーリの全てを受け入れられる。
なのに。
なのに、ユーリときたらこの女の弟にご執心だ。絶対騙されてる。アタシの方がユーリを愛しているのに。どうせ男なんてユーリのあの豊満なおっぱいしか見ていない下衆だ。あのゴミ野朗め。男なんてクソだ。ぶっ殺したい。存在の痕跡すら消し去りたい。
けど、そんなことをすればユーリは悲しんでしまう。そんな姿は見たくない。でもアタシはあのゴミ野朗を粉々に粉砕したくてしょうがない。
どうしてアタシは男として生まれなかったんだろうか。そうすれば、きっとユーリはアタシを見てくれたはずなのだ。
それもこれも、全部あのゴミ野朗のせいだ。間違いない。今そう決めた。
フィーロ。
フィーロ・ロレンツ。
アンタの毒牙からユーリを救い出してみせる。
「Chaaaaaaaaaaaaaarge……!」
「モニカ、出過ぎるな!」
ロン毛が何かわめいている。そんなもの、関係ない。戦士たるもの、愚直に突き進むのみだ。
猛進。
たとえその四肢をもがれたとして、ナインエルド獣王帝国の勇猛果敢は兵士たちは這ってでも敵に喰らいつく。ワタシはその血を誇りを受け継いでいるのだ。
負けるわけにはいかないのだ。
「――くそ、仕方ない……! 穿て、水刺針!」
ロン毛の剣から、細長い針状のものが束になって飛んでいく。先ほどの刃とは違う、言うなれば水の刺か。
炎の鬣は身をよじり、致命傷を避けるようにしてそれをかわした。なんて反射神経だ。
「くっ……浅いか……!」
だが無理な体勢でかわしたためか、炎の鬣は蹌踉めいている。モニカはその隙を逃さず、愚直なる破砕の突貫を炎の鬣に叩き込もうとした。
「Rahhhhhッ……!」
「――ガァアアアァァァッッ……!!」
「なっ……!?」
腹を貫こうと狙いを定めた瞬間、炎の鬣は槍の先端を横殴りした。思い切り目標をずらされ、今度はモニカが大きく体勢を崩すことになった。
必死だ。
相対してわかるのは、炎の鬣は必死だということ。
追い詰められた獣は恐ろしい。父の言葉はやはり正しい。炎の鬣は恐るべき戦士だ。
モニカを叩き潰そうと腕が振り下ろされる。咄嗟に転がってがかわしたが、衝撃で身体が吹き飛ばされた。
「ぐぅ……!」
地面を跳ねる転がるはめになったが、なんとか勢いを利用して起き上がる。危なかった。一瞬遅れればぺしゃんこだった。
「モニカ、平気か……!」
「なんともないのだわ!」
ロン毛が駆け寄ってきたが、払いのける。
男の手なんて、借りたくはない。
「平気そうだな」
そんな様子を見てか、ロン毛は肩をすくめてそう言った。ええい、鬱陶しい。髪の毛を切れ。
「ちょっと、そこのシスコン野朗! フィーロは無事なんでしょうね!」
そうこうしていると、魔女がものすごい剣幕でロン毛に詰め寄った。
「一応、目立った外傷はない。切り傷だけだ」
「切り傷!? 許さないわ……許さないわよ熊公め!」
切り傷程度でなんでキレる。というか切り傷だけか。とうせならミンチになって死ねばよかったのに。モニカは胸中で憎々しげに呟いた。
「ぶっ殺してやるわ!」
そう吐き捨てると、魔女が腰から短剣を抜いた。武器ではないだろう。触媒か。見たところ水晶製の短剣だ。
どんなに強い魔術士も、強力な魔術の行使には必ず触媒を使う。水晶は精霊の好物で、魔力をご飯とするなら香の物みたいなものだ。
魔女は短剣を地面に突き立て、何か小石サイズくらいの小さな粒を周辺にバラ撒いた。
「AT−Tux靈緑棘刺森Foret錏堝mooJe裟羅蛇bix:flex雅儖……」
詠唱が始まる。この魔女は要素魔術の高速詠唱を得意としている。他の追随を許さぬその詠唱速度は、下級魔術ならば二秒足らずで完成する。
だが今回は長い。
モニカは座学で習うような、人並み程度しか魔術については知らないが、基本的に詠唱の長さに比例して魔術は強大なものとなる。
この魔女でもこれほど長いということは、並大抵の魔術ではないことは確かだろう。まぁ、とにかく、今はこの女の防衛か。不本意だが、仕方ない。
魔術士は詠唱中、ほぼ無防備の状態になる。前線でふらふらしているので忘れがちになるが、それはこの魔女も例外ではない。
――グオオオォォォォォォォォォォォォォォン!
炎の鬣も馬鹿ではない。魔女の周囲は見えない力が集まっていることからも、何かしようとしていることに気が付くだろう。咆哮とともに突進してきた。
はっきり言って、あの突進を弾き返すなど出来るわけがない。かといってこのままだと魔女がぺしゃんこだ。まぁ、別にモニカとしては構わないが、この女が死ぬと計画が狂う。
ユーリとの未来のためにも、守らなくてはならない。
「はああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!」
腹に力を込めて叫ぶ。鋒を下方に向けて、三叉槍を構える。愚直なる破砕の突貫であれの軌道を変えるしかない。
「チェストォ――――――――――――ッ!!」
モニカが鬨の声をあげようとしたところで、上空から声が降ってきた。思わず身体が停止する。上空を見上げると、人影があった。レイジか。あの変態、今頃現われたのか。両手には小刀くらいの方刃の短剣。それを逆手に持っている。
レイジは素早く炎の鬣の頭部に降り立つと、その双眸に短剣を勢いよく突き立てた。なるほど、どんな生物も目までは鍛えられない。
――Gyaaaaaaaaaaaaaaaa……!?
両目を潰された炎の鬣は声にならない悲鳴を上げた。
奴は腕を闇雲に振り回した。
「……judgment醒矧烈ost眞馥璞Ivxy簇撃DPD−奮AxÉ森羅樹殺鎗」
大地が、揺れた。
魔女の呪文がようやく完成したらしい。森羅樹殺鎗。聞いたことがない。ただ、この魔術はヤバい。
地面が盛り上がった。さっきの土の槍かとも思ったが違う。
樹だ。
樹が生えてきた。
それも一本じゃない。大量にだ。多分二十、三十くらいか。物凄い早さで生えてくる。それらが一斉に炎の鬣めがけて伸びていく。
あるものは絡みつき、あるものは突き刺さる。腕を絡め取り、右肩を刺した。悲鳴を上げる炎の鬣。そりゃ痛いだろう。見てるこっちも痛い。しかし奴はこともあろうか、その状態で前進してきた。筋肉の千切れる音が鳴るにもかかわらず、炎の鬣はその右腕で腹部を守り、左腕を振り上げた。
一気に振り下ろす。その先にいるのは――魔女だ。
「まずい……!」
ロン毛が叫んだ。
樹は魔女の周囲から伸びている。それが裏目に出た。こちらも魔女の側に近付けないのだ。このままではあの女はぺしゃんこになる。
ロン毛が大太刀が青く渦を巻いた。まさか、ここから水刃を放つつもりか。無理だ。下手をすれば馬鹿女に当たりかねない。それがわかっているのだろう、ロン毛も躊躇している。
だがそんなことはお構いなしに、バキバキと群がる樹木を圧し折り炎の鬣は進む。自身の血に染まってなお巨大で凶悪な腕が馬鹿女の目前まで迫った。
そして。
――ドオン……!
振り下ろされた。
獣に躊躇いはなかった。
衝撃が噴水のような水飛沫が上がり、雨を降らせる。土煙が充満し、視界が塞がれた。
「クソ……レイジ! 見えるか!」
「わ、わからへん。スマン、オレの所為や……」
「後悔はあとだ! 今はシェリカが……無事か……」
ロン毛の声がだんだん萎んていった。口をアホみたいに開けて、目を見開いていた。そして何かを確認するように背後を見て、もう一度向き直った。モニカも目を凝らす。土煙が晴れてきた。炎の鬣の大きな影。その振り下ろされた腕の下に、人影が見えた。
「まさか……」
ロン毛と同じように背後を見た。背後にはユーリたちがいるはずだ。うん。いる。やっぱり可愛い。ユーリ最高。無口女もいた。どうでもいいが、まぁ無事だということか。だけどあの男がいない。どこに。いや、わかっている。
あれだ。
土煙が完全に晴れた。
視線の先には、炎の鬣の腕を右手で支え、左を魔女の腰に回す男の姿があった。
誰かなど、問うまでもなかった。
あの憎たらしい姿を、モニカが見紛うはずはない。
フィーロ・ロレンツだ。




