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すばらしきかなこの世界  作者: 蝉時雨
第一章 クランコンテスト編
6/54

第一章(5)

◆Ganache◆


 定期考査が終わって一週間が過ぎた頃のことである。

 ガナッシュはフィーロとともに受講していた午後の薬学の講義を終えて、口直しのためのコーヒーを片手に談話室で休憩をしていた。講師であるエスネアル教授の趣味と実益を兼ねた講義で、治癒効果を高めるというお題目で調合された水薬(ポーション)の試作品二十数種類を分担して試飲させられ得たものと言えば、単なる胸焼けと口の中に広がる雑草のえぐ味だけだった。

 当たりを引いたのか、下痢と嘔吐、頭痛、目眩を訴える生徒が三名ほど現れたことで講義は途中で切り上げられることなった。

 たった三人の犠牲で九十分ある講義がものの二十分で終わったのだから、あの救急搬送されて行った三名の生徒は我々の中で英雄として語り継がれていくことだろう。と、フィーロは語っていたが、そんなもので崇められても嬉しくはないだろうとガナッシュは思った。

 閑話休題、ガナッシュはそろそろ開催が近付きつつあるクランコンテストの話題を切り出したのだが、フィーロの表情は暗澹たるものだった。それどころか、

「嫌だ。絶対に嫌だ」

 というそれはそれは大層力強い拒否の姿勢を示した。

「そんなに嫌か」

「ああ、嫌だ。絶対に。断固拒否する」

「一応、理由くらいは聞いてやろう」

「面倒臭いだろ、どう考えても。な? 考え直そう。そんなこと言い出すなんて正気の沙汰じゃない。頭の病院行こう?」

 そう言うフィーロの顔は驚くことに真剣なものだった。そのぶん余計に腹立たしさが増す。

 こいつはなんでこうもどうしようもないのか。

「ボクは正常だ」

「いや異常だよ畜生」

 いうことを言うなり、途端にフィーロはテーブルに突っ伏して、「嫌だー。絶対嫌だァー。俺は出ないからなァー」とぶつぶつ言い続けていた。壊れた蓄音機か。いっそのこと、二、三発くらい殴ったらこの動作不良が直ったりしないだろうか。

 とはいえ、まぁ、こういう反応をするということは容易に想像できたことだし、すでに対策はしてある。正直なところ、端からこいつの意見など求めていない。

「まぁ、そんなことだと思ってすでに登録を昨日に済ませた」

 応募要項の記載された紙と、応募用紙の控えを取り出して見せると、フィーロは露骨に表情を歪めた。

「鬼かよォー」

「ちなみに、出場キャンセルはボクにしかできない。お前も登録済みだ。よって拒否権はないし、出るしかない」

「悪魔かよォー」

「なんとでも言え」

「変態かよォー」

「殺すぞ」

 フィーロは小さく舌打ちをした。「なんとでも言えと言ったそばから……」とぼやくが、限度がある。本気で殴りたい。

「クランク昇格のチャンスでもあるんだ。真剣味を見せろ」

「いや、そんなチャンスいらないんで。俺は休むよ。風邪なら仕方ないもんな。その日は所要の風邪があるんで」

「この野郎……」

 せめてごくわずかでも向上心というものがないのだろうか。ないんだろうな。前々から重々承知していたことだが、フィーロのやる気のなさは頭痛の種だ。

「だいたいだな」フィーロはコーヒーの注がれたカップを手に取り一口すする。「俺たちは一年生だけのクランだろ? 上級生のクランだって出てくるんだから、出たって勝てるわけねーよ」

「部門ごとの表彰もある。さすがに本戦での優勝は簡単ではないが、何かしら受賞のチャンスはいくらでもあるだろ。昨年度以前の結果を見るに、前例がないわけでもないようだしな」

「あーそう……で、その部門ごとの表彰とやらは狙わずとも運良く手に入るようなもんなのか?」

「もちろん一部門に絞ってくる者たちもいるだろうがな」

「それじゃ、うちのクランは何を狙っていくんだよ」

「まぁ、戦闘以外にはないだろうが。一年生対象の新人賞があるらしい。五枠あるようだし、うちのクランの面子なら期待は持てると思っているが」

「俺は入らねぇじゃん、それ」

「本気を出せば入る」

「物事に真剣に取り組む姿勢もまた才能だよなぁ」

「自分のやる気のなさを才能の一言で片付けるな」

「やれば出来るとやっても出来ないは違うんだぜ」

「やかましい。ならまずばやってから言え」

「出来ねーもんは素直に出来ねぇって言う勇気!」

「ぶっ殺すぞ」

 臆面もなく腑抜けた発言を繰り返すフィーロを小突こうと拳を振り上げるが、颯爽とかわされる。人の神経を逆撫でする男だ。

「反射神経だけは一流だな、お前は。そう言えば、考査の時も幾らか攻撃を受け流していただろう」

「そんな器用なこと出来るかよ」

 フィーロは鼻を鳴らしてコーヒーをすすった。

 態度は非常に腹立たしいが、しかし本人に包み隠す様子もないところを見れば無意識だろうか。

 勿論、考査は全敗のうえ、打身だらけになっていたのに変わりはないが、フィーロは強烈な一撃は一切貰っていない。すべて打たれ続けたゆえの判定負けだ。

 ()たれることに対して快感を覚えるような特殊な性質を持っているならば話は別だが、この男の反射神経には時折目を見張るものがある。そもそもあのレイジの動きにも目が追いついているくらいだ。

 腐らせるにはもったいない。ガナッシュの見立て通りの男なら、本来レベルⅠに留まるような男ではないはずなのだが。

「いつになったら本気を出すのか……」

「いつだって本気さ」

「どこがだ」

「本気でサボる方法を考えている」

「なんて労力の無駄遣いだ」

 頭痛が鳴り止まない。これ以上話しているとおかしくなりそうだ。

「ボクとしても最低でも予選突破はしたいんだ。出る以上はそれなりの働きを見せてくれ」

 フィーロはあからさまにがっかりした顔をした。

「なんだその顔は」

「あー……いや。正直嫌だけど。うーん……まぁ、どのみち決定権はお前だもんな。どうせ出る以外に選択肢なんかねぇしなぁ……これ頑張ったらしばらく休んでいい?」

「どれくらい休むつもりだ」

「半年……?」

「長期休みの期間を超えてるだろ。譲歩しても三日だ」

「……はぁ。ブラック……」

 フィーロは深い溜め息を吐き出した。いや、溜め息を吐きたいのはこちらである。

「一日休めば他の奴らと三日分は差が開くものだ」

「算数できねぇの?」

「単純な計算じゃない。やめろ、哀れんだ目をするな。師の教えだ」

「あっそう。師弟揃って数の計算出来ねぇのな」

「よし、立て。ぶっ飛ばしてやる」

 しかしフィーロは依然舐めた態度を改めようともしない。惜しむらくは武具の類を置いてきたことだ。手許に剣があれば、すかさず斬りかかっているところだ。

 武芸を志す者の心構えみたいなものだし、稽古をサボらせないための口実のようなものだろうが、日々の鍛錬の積み重ねこそ上達の極意なのだから、仮にも剣士であるこの男にも通用すると思ったのがすべての間違いである。そう思い直すとこの煮え立つ苛立ちも少しは和らいだ。反面、虚しさも湧き上がってきたけれど。

「はぁ……」

 自然と溜め息がこぼれた。

「溜め息吐くと幸せが逃げるぞ」

「誰のせいだこの野郎」

 明後日の方向を眺めながら口笛を吹き鳴らすフィーロの後頭部を叩こうとすると、結局空を切ることとなった。だからその回避能力をもっと別の部分で活かさないか。

 眉間を抑える。

 この喉元に広がる苦味は、もはやコーヒーだけのせいではないだろうが、言いようのない苦味をどうにかしたくて、ガナッシュは初めてコーヒーにガムシロップを投入することとなった。


◆◆†◆◆


 ローズベル学園近郊、東に向かって二時間ほど馬車に揺られ進んだところに小さな村がある。依頼主はそこの村長であった。

 レフレスト大森林。村の背後に鎮座する、蛮鬼の森バンデット・フォレストとも呼ばれる未開の森だ。ヴァンクレオール共和国にある森の中でも屈指の面積を持ち、シギル渓谷やカプワール山を覆っている広大な樹海である。亜人族が跳梁跋扈する土地であり、非常に危険ではあるが、そのおかげで隣国とを完全に隔て、今日までその平和に貢献してきた。

 この森の生態系は非常に複雑で、深層には凶暴な原生生物が数多く生息しているらしい。とはいえそんな森の近くに村が作られ、今なお健在であることからも分かる通り、表層部は比較的安全だった。

 そう――。

 だった、のだ。

 依頼者曰く、ここ最近になって亜人族が村近辺で頻繁に目撃されるようになってきたとのことだ。すでに家畜や作物に被害も出ているらしい。人的被害が出る前に、早急の調査と解決を依頼したいというのが今回の依頼内容であった。

「ッらあぁぁぁぁぁぁぁっ……!」

 ガナッシュは地面を踏み砕かんばかりに大きく前進し、気迫に合わせて大太刀を勢いよく振り下ろした。

 揺らめく刀身に骨ごと肉を断たれた蛮人ガッソは血飛沫を撒き散らしながら後ろ向けに倒れた。斬撃は荒々しく、お世辞にも綺麗な断面ではなかった。苛立ちが混じっているせいだろう。切り伏せたガッソはまだ息があるようで、体をびくんびくん痙攣させている。生命力が強いのがこの種族の特徴だ。ゴブリンよりもたちが悪い。だが致命傷を受け、これ以上動く力は残されていないようだ。ガナッシュは近寄って喉に大太刀を突き立てた。

 Gophu……という血のあぶくを吐き出しながら、くぐもった奇声を短くこぼすと、間もなくして完全に沈黙した。絶命を確認し、血振りをして、顔に飛び散ったガッソの血を拭う。

「Gyooooooooooooooooo……!」

 一息つこうとしたのも束の間、茂みから二体目の背後からガッソが飛びかかってきた。知恵も回るらしく、隠れていたようだ。

「……ちぃっ!」

 一瞬だが反応が遅れた。油断してしまった。が、悔やんでも仕方がない。反撃は無理だ。すでに構えは解いている。防御……いや、短剣が土色の液体で滴っている。毒だ。本当に余計な知恵が回る。回避しかない。

 ガナッシュは腰を落とした。

「動くんじゃないわよ」

 突然の声。

 背後からだった。

 ガナッシュは反射的に体勢をさらに落としこむ。

 その瞬間。

「烈Xo儕Ray穿雷瘡」

 ――光。

 まさに閃光。あるいは細く鋭い稲妻のようなものが頭上を通り抜けた。パン、という乾いた音とともに、水気を帯びた音が響く。ガッソの頭が綺麗に弾け飛んでいた。四肢の力を失ったガッソはゆっくりと膝から地面に倒れ伏し、頭があったはずの場所からはおびただしい血が溢れだしていた。

 ぞっとした。

 今の閃光は雷の要素魔術。詠唱から察するに、幾筋の電撃を一束にまとめ、光線として放つ穿雷瘡だろう。要素精霊についての知識は魔術士ほどではないが、座学や興味本位、あとは必要に駆られての自主的な学習によりそれなりの知識を持っているつもりだ。穿雷瘡の威力は雷撃それでもガッソの頭を粉砕するくらいの威力は持っている。ガッソの頭を粉砕できるということは、ガナッシュの頭も粉砕できるということだ。

 その稲妻が掠めるように通り過ぎたのだ。もう一歩でも頭が高ければあのガッソの運命を辿ったのはガナッシュだろう。そう思うと余計に血の気が引いた。同時に怒りも沸いてくる。

 ガナッシュは犯人を睨み付けて怒鳴った。

仲間ボクを殺す気かシェリカ!」

 しかしどこ吹く風といった感じで、犯人ことシェリカは、面倒臭そうに「だから動くなっていったじゃないの」と言った。なんともふてぶてしい態度である。真の敵は身内にあり。なんとか目に見える範囲の敵を掃討したものの、腑に落ちないこの靄のかかる胸中が、ガナッシュの顔をしかめさせた。

「こっちゃー上から三体仕留めたで。この先に敵はおらんようや」

 上空からレイジが降り立つ。木の上から索敵と奇襲を完遂し、頬に飛び散った血を拭う様はさすが盗賊学科の面目躍如である。レイジはずば抜けた変態だが、こういった仕事はしっかりする。律儀な変態というのも妙なものだ。

「ああ、わかった。引き続き索敵頼む」

「お、おう。何怒っとんねん?」

「なんでもない。シェリカに殺されそうになっただけだ」

「思ったよりも大事おおごと!」

「いつも通りだ」

「まぁ、せやな」

 納得してしまうのか。

 もしかしたら考えるのが面倒になったのかもしれない。「ほな、行ってくるわー」と、気の抜けた声で言うと、レイジは飛び上がって木の枝に足をかけた。そして枝から枝へと飛び移りながら、音もなく去っていく。

 自分で言った通り、シェリカがいる以上よくあることだ。気持ちを切り替えていかないと、また余計な怪我をすることになる。そう言い聞かせ、なんとか気持ちを抑えたガナッシュは、他のメンバーの様子を確認するため後ろを向いた。

 《カタハネ》の隊列は、索敵および強襲をレイジに任せ、ガナッシュとフィーロが前衛を務める。中央でシェリカが魔術による広範囲のカバー、後衛は治癒士であるユーリと護衛でモニカがつく。また、地上での索敵を兼ねた遊撃にクロアを配置するという形を基本としている。地形や戦況に応じて変更することもあるものの、やはりこの隊列をベースとしている。

 これで何度か実践訓練も行ってきたし、決して馴染みのないものではない。戦術学の講義でも紹介される集団戦の基本隊形の一つでもあるため、奇をてらったものでもない。

 その上で、あえて言おう。

 こいつら隊列を守る気が全くない。

 レイジについてはまぁ、いい。変態だが仕事はこなす。まずはシェリカが問題だ。なんで前に出てくるのか。ひどい時はガナッシュの戦っている最前列のラインを越えようとまでする。

 クロアに至っては現在は離れた場所で木の幹に背中を預け、しゃがみこんでいる。何をしているのかと思いきや、何か焼いた肉らしきものをかじっている。目に見えるうちはまだマシなくらいで、時々消えたりする。後方の警戒くらいしてほしいと言ったが、あれはおそらく後方の警戒『しか』してないやつだ。休憩の合間にやられてるぶん意欲にも欠けている。自由奔放という言葉が似合いすぎる女だ。

 ユーリに関しては治癒士だし、戦闘能力に期待はしていない。それよりも、時折ふらふらとどこかへ行こうとするのが問題だ。先の戦闘でも、珍しい蝶を見つけたか何かで突然隊列からはみ出て行った。頼むからじっとしておいて欲しい。ユーリの突発的な徘徊によって、モニカがそのお守りに徹しなくてはならなくなる。当のモニカはわりと幸せそうなんだが、おかげで完全に列の中が乱れることになる。

 そして何よりの問題はフィーロだ。

 お前は剣士だろ。

 剣士っていうのは、まず前線で戦う存在だろ。

 なのに、

「なんでお前はそんなとこにいるんだ!」

 フィーロはクロアの隣で木の幹にもたれかかっていた。

「なぁ、クロア。それ俺のぶんもある?」

「……ん、あげる」

「さんきゅー」

 クロアがかじっていたのと同じ包みを受け取り、袋を破って食べ始める。いやお前何もしてないだろ。お腹空く道理がないだろ。

「おいフィーロ! サボってるんじゃないぞ!」

「ん? サボってないよ。めっちゃ働いてる」

 もぐもぐと食べ物を頬張り、だらけきった姿勢に説得力などありはしない。

「言動が一致していない!」

「これ美味いな。村で買ったの?」

「……うん。鹿のお肉。鶏や豚にはない独特の風味」

 クロアはそう言いながら二つ目の包みを手に取った。

「鹿の肉とも違う気もするな。なんつーか牛に近い……気もする。食べた事ない味だ。新しい特産品かな?」

「……さぁ、よく知らないけど、最近たくさん卸してくれる商隊が来るんだって。店のおばちゃんが言ってた」

「へぇー」

「聞けよ! 人の話!」

 こちらに目もくれず手許の食べ物の話に夢中になる二人をどやしつけると、フィーロはあっけらかんとしながらこう言った。

「いやほら、我らが治癒士様の護衛をしないと。怪我した時の生命線じゃない」

「嘯くならせめてユーリの近くに待機しておけ! 離れてるだろうが! そもそもユーリ護衛はモニカの役目だ!」

「細かいなぁ。あ、ほら。殿だって重要だろ。ここが俺のベストポジションなんだと天からお告げが降りたんだ。汝、ベスポジで頑張るべしって」

「お前のポジションは前だ!」

「細かいこと言うなよ。禿げるぞ?」

「黙れ! いいから前に来い!」

「おいクロア、これってパワハラだよな」

「……嫌な上司の典型」

「嫌なのはお前らの腐った性格だ!」

「騒ぐと敵に見つかるぞ」

「……不用心な男。ほんとに主席?」

「お前らはぁぁぁっ!」

 ガナッシュの叫びが森に響いた。

 もうこいつらやだ。


◆◆†◆◆


 レフレスト大森林中層は表層に比べさらに鬱蒼としている。日の光の少ない溢れんばかりの木々の下、せせらぐ川の流れもどこか淀みを感じさせる。このあたりは夜間になると哭き女(バンシー)不死者アンデッドも発生するようだし、迂闊に水を飲もうとすると呪いを受ける可能性もある。

 依頼元の村長から聞いた話の通り、あまり合法ではない類の商人が抜け道として利用することもあるらしく、道は未開の森と呼ばれるにはいささか人の手が加えられている。とはいえこの悪路だ、すでにランタンが欲しくなるくらいには仄暗いというのに、夜になればさらに視界が悪くなる。さっさと調査を済ませたいものだ。というか、こいつらと泊まりがけとか嫌な予感しかしない。出来れば日帰りで済ませたい。

 ガッソが何かに巣を追われたことが原因で表層に現れ始めたとすれば、中層部を調べるのが手っ取り早いと思ったのだが、もとより広大なた骨が折れる。

 レイジに斥候を任せ、痕跡を辿ってみてはいるが、かれこれ一時間以上ガッソの集落らしき場所の捜索に費やしている。ちらほら野良のガッソと交戦するものの、集落については得られるものがなかった。

「フィーロー。足疲れたぁ」

 休みなく歩き詰めたため、体力のないシェリカがとうとう音を上げた。この女にしては頑張った方か。以前アホみたいに平らげたケーキの消費カロリーと思えば釣り合いが取れる。主にボクの精神面と。

「だろうね。体力ないもんね」

「おんぶして」

「既にクロアに占拠されてんだよ……」

 フィーロの背中にはクロアが乗っていた。何やってんだお前ら。

「……あったかい」

「さっきからあんたフィーロにくっつきすぎなのよ! いい加減離れなさいよ!」

「……許可された」

「いや、してねぇんだけど」

「フィーロ、許可って何! どういうことなの!」

「してねぇっつってんじゃん。聞けよ」

 一息入れるべきかとも思っていたのだが、いきり立つ元気があるあたりシェリカも大丈夫そうだ。あと三時間くらいは歩かせて疲れさせよう。帰りの馬車ではひたすら眠っていて貰いたい。

 フィーロに絡みつくクロアを引き剥がそうと、シェリカが奮闘していた。本当に何やってんの、お前ら。

 隊列も何もあったもんじゃない。

 溜め息をもらしながら先頭を歩いていると、いつの間にやら隣にレイジがいた。

「オレのおらんうちになんやイチャついてるやん、後ろ」

「茶番の間違いだろ。それで、どうした?」

「んや、ちょいとこの先、腐臭やらなんやら不快な気配が濃くなってきとるさかい報告をと思うてな」

「ガッソの集落か?」

「まだ分からん。けど、用心はしといてんか」

「後ろの奴にこそ言ってやってくれ。あとボクの尻から手をどけないと斬り落とす」

「おおっーと! すまんな、ついつい!」

 わざとらしい。

「ほな索敵戻るわー」

 レイジの姿がかき消える。盗賊としての技術はかなりのものだというのに、当の本人の変態性がそれを無駄にしている。矯正してやるような間柄でもないので、実害がなければ構わないが、男に尻を撫でられる感触というのは不快極まりない。

「……たく」

 溜め息ばかりが溢れる。

 学園斡旋の依頼はそのまま成績にも反映されるうえ、クランコンテスト前の調整にも都合がいいと請けてみたが、結成して二ヶ月ほどが経つのにこの連携の悪さよ。個人の技量は一年生の中でも高い水準にあるというのに、チームとして未だ機能していない。講義や実技講習でチーム戦については学んでいるはずなのに、それをなぞろうとする気配すらない。

 こんな状態で、クランコンテストに出場して大丈夫なのか。

 不安ばかりが募るが、やるしかないのもまた事実。自分に残されている時間はそう長くないのだから、尚の事だ。

 こちらの気も知らず、背後ではユーリを加え、さらに争いの炎に油が注がれようとしていた。

「あ、あのっ! フィーロ君が嫌がってるのでその辺にしておいたほうがいいと思います!」

「あぁ?」

「ひぅ……! す、すみませんでしたぁ~」

 大した油にはならなかったようだ。

 というか、弱いなー……。

 蛇と蛙といったところか。シェリカのドスの効いた威嚇に、ユーリは気圧されて半泣きになっていた。可哀相ではあるが、あれに挑もうというのが無謀なので、自業自得だとも思う。

「こ、怖かったよ……」

「よしよし」

 震えるユーリの肩をモニカが抱き、よしよしと頭を撫でた。モニカは最上の至福を味わえているようで、ご満悦の表情である。珍しくシェリカに突っかからないと思ったら、これを狙っていたのか。変態の計算力というのは時に恐ろしいものがある。

 しかし緊張感が欠けている。

 言われなくても分かっているだろうが、ここはすでに学校ではないんだが。死と隣合わせの空間で、本来こんなにのほほんとしていることがおかしいし、もっと緊張感を持って臨むのが普通の態度だろう。

 このメンバーにそんな普通を求めることが間違っているのかもしれないが。

「――ガナッシュ! 漏らした!」

 上空からレイジが血相を変えて降り立った。

「オムツは持ってきてないが……?」

「何言うとんねん! 下の話しやない! ――来るで!」

 同時に茂みから何かが飛んできた。咄嗟にかわすと、背後の木に刺さる。あれは、矢か?

「数が多かった! スマン!」

「ガッソか!」

 後ろの気の緩みが伝染ってしまった。情けない限りである。

「数は二十ほど、毒持ちもおる。刃物に気ぃ付けや!」

「問題ない。片付けよう」

「Gyooooooooo……ッ!!」

 茂みを飛び出し勢い良くこちらへ飛びかかってくるガッソ。身体は小さいが、奴らは俊敏だ。知能のほどは原始的で理知性の欠片は見えないが、矢を使ったり、毒や罠をしかけるあたり間抜けではない。

 つまり油断大敵。

 応戦し、鏖殺すべく、ガナッシュは大太刀を抜きざまにガッソを真横に両断する。皮膚は白く乾燥していて硬いが、この刃の前には大した問題ではない。

 一体一体はそもそも脅威ではない。ガッソは群れで襲ってきた時が最も恐ろしい。四方からガッソが一斉に飛びかかってきた。

「敵襲!」

 短い掛け声をかける。

「ちょっと、いい加減離れなさいよ!」

「……嫌」

「こンのチビ!」

「……胸はお前よりある」

「あんま変わんないわよ!」

「わ、わたし大きいです! フィーロ君どうですか! 大きいのは嫌いですかっ!?」

「え、俺に振らないで」

「死なす! 絶対に死なす!」

「落ち着けよシェリカ……ほら、敵だぞ。行かなくていいのか?」

「そんなことよりこっちが先決よ!」

「ああそう……」

「お前ら戦えよッ!!」

 一閃させながら、ガナッシュは叫んだ。渾身だった。

 この非常時に何をイチャイチャしてるんだこのアホどもは! 周りを見ろ! 囲まれてるんだが!?

「このケダモノッ! ユーリに近づくんじゃないのだわッ!」

「えっ! 俺のせい!? 違うだろ! ちがっ……痛い! 槍を人に向けちゃだめだ! つーか刺さってる! 痛い!」

「フィーロに何してんのよ!」

「……万死に値する」

「モ、モニカちゃん! フィーロ君はゲテモノじゃないよっ!」

「注意すべきはそこじゃねーよ! あとなんか微妙に違うし!」

「大して変わらないのだわ!」

「ひでぇ! あっちょ……あれ?」

「あ」

「へ?」

「なっ……」

「……あらら」

 揉みくちゃになっていた後ろの集団が茂みの方へと消えた。どうやら倒れ込んだらしい。何をやってるんだ。

 呆れたのも束の間。

「のぅわあああああああああああッ……!?」

「きゃあああああっはははっ!」

「ひゃああああああああっ……?!」

「ユーリぃ――――――――ッ……!!」

「……はわわー」

 乾いた木々が無数に折れる音とともに、悲鳴が遠ざかっていった。

 まさか敵に襲われたとか……いや、なんか一人超楽しそうだったし……だがどのみちこれはただごとじゃない。大丈夫なのか、あいつらは。

「あの辺傾斜あるで……」

「滑らせたのか……」

「まぁ、大丈夫やろけど。先に追うわ」

「頼む。ボクもすぐに向かう」

 どれだけ手を煩わせてくれるんだ、あのアホどもは。


◆◆†◆◆


 幸い増援もなくガッソをすべて倒しきると、すぐさま茂みの中へと入って行った。レイジの言うとおり傾斜になっていたが、思っていたより長い傾斜だ。本当に大丈夫なのかと少し心配になった。

 降り立ったのは広い川辺だった。おそらくカプワール山の方から流れているのだろう。大きめの砂利が体積していて、木々も少なく日当たりも良い。蛮鬼の森という渾名には似つかわしくない、穏やかな場所であった。

 転げ落ちたフィーロたちはすぐに見つかる場所にいたので、直ちにガナッシュは駆け寄った。

「大丈夫か!?」

「おー。大丈夫大丈夫」

 右手を挙げ、ひらひらと降ってみせる。土埃で汚れてはいるが、目立った外傷はない。柔らかい土壌に救われたようだ。

「まったく……何をしてるんだお前たちは!」

「俺のせいじゃねぇって」

「心配をさせるなと言うんだ!」

「なんだよ。心配したのか?」

「当たり前だろう!」

「そか。まっ、とにかく無事だ」

 起き上がり土埃を払いながら笑顔をこちらに向けるフィーロをグーで軽く小突いた。

「いって。はは」

「ボクは笑えないぞ……」

 けど脱力はしてしまった。何がそんなにおかしいんだか。まぁ、何事もなかったならよかった。

「とにかく、もう一度さっきの小道に戻る道を探すぞ」

「そうもいかなそうだけどな?」

「何……?」

 聞き返した瞬間、川を挟んだ木々の向こうが騒がしくなる。近い。ガナッシュは、大太刀を構えた。

 甲高い声を上げながら、ガッソの大群がまた現れた。

「一息つく暇もないな……!」

「先行すんで……!」

「まぁ待て変態」

「ふんげっ……!?」

 斬り込みに出ようとするレイジの首根っこフィーロが引っ張った。レイジは苦しそうに地面にのた打ち回る。なんて酷いことを。

 そうこうしている間に、ガッソはすでに目の前だ。

「ガナッシュ、放っておいていい」

「さっきから一体何を……」

 ズン、という地響きがガナッシュの言葉を遮った。

 なんだ、この音は。

 ガッソの群れは、こちらに見向きもしていなかった。奴らはボクらに目もくれなかった。脇を通り過ぎ、逃げていく。

 ……逃げていく?

 ガナッシュははっとする。ガッソの声がそもそもおかしい。いつもの威嚇する声ではない。まるで悲鳴だ。

 怯えている? 何に?

 答えは向こうから現れた。

「もっとやべーのがいる」

 フィーロは冷静に言う。普段は怠惰で臆病なくせに、ガナッシュが驚いているこの瞬間だけはそんな風には見えない。

 焦りもする。

 まさかこんなものが蛮族の森にいたとは。

「……まさか、炎の鬣(バーンクレスト)だと……?」

 それは頭部から腰まで生える長い鬣が、炎のように見えることから名付けられた。直立時の体長は最大八メートルにもなる、熊のような魔物。不釣り合いなほど盛り上がった上体と、鋼を容易く切り裂く爪を持つ、凶暴な巨熊だ。

 個体数が少ないせいか目撃例はそう多くないが、レフレスト大森林の生態系の中でも頂点に位置するだろう、危険な原生生物。山岳部を生息域とするためカプワール山に近い深層域に生息しているはずの魔物がどうしてこんな場所にいるのか。

「でかい……」

 目算でも五メートルはありそうだ。個体としてはかなり大きい。

「グオオオオォォオォオオオオッッ……!!」

 腹の底から響き渡るような怒号。炎の鬣は雄叫びは、木々を薙ぎ倒さんばかりのものだった。そして巨大な拳で地面を叩く。静かな流れだったはずの川の水が激しく波打つ。陥没する地面が、その一撃の威力を物語っている。直撃すれば即死は免れない。

 赤く燃える双眸は、怒りに満ち満ちていた。

「ひゃあっ……す、すごく怒ってますよ、あの熊さん」

「そうね。でも、大丈夫なのだわ。ユーリには指一本触れさせない。アタシが守るのだわ」

「モニカちゃん頑張ってね! ケガしてもすぐ治すから!」

「ふへへ……」

 だらしない表情ではあったが、モニカは三叉槍(トライデント)を構えた。別の意味で心配だ。変に気取って足許をすくわれないようにしてもらいたい。

「……ところで、お前は何をやっている?」

「ばっ……死んだふりだろ。話しかけんな」

 フィーロは地面に伏せっていた。

 いやもうバレてるだろうから意味がないんだが。それにこちらに突進してきそうな感じだし、よしんばその死んだふりが効果あったとしても轢き潰されるのが落ちだ。

 もしかしなくても、こいつアホだろ。

「さっさと起きろ」

「あ、あとは頼んだ……」

「くだらない小芝居はいいから立て」

「ぐへっ……踏むなよ」

「ボクに踏まれるならまだマシだろう。次はあれに踏まれることになるぞ」

「そりゃあ、勘弁だなぁ」

 フィーロはやれやれ、と言って起き上がった。そして後ろに下がった。おい、だからちょっと待て。

「どこに行く?」

「俺は応援してます」

「いい加減、何度も同じことを言わせるな。剣士なら剣士らしく……」

「ガナッシュ、来よんで!」

「グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオッ……!!」

 レイジの声がしたと同時に、炎の鬣の咆哮が大地を揺らした。轟音を打ち鳴らし、猛進してくる。近付くにつれてどれほど大きいかがわかる。

 とんだ化物だ。

 だが、引くわけにはいかない。

「ちっ……応戦するぞ!」


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