第一章(4)
◆Ganache◆
「くそ……!」
苛立ちが抑えきれず、ガナッシュは悪態を吐いた。
ガナッシュは校庭の木に拳を叩きつけたが、それでも怒りは収まらなかった。拳に鈍く響く痛みと同調して、怒りが沸々と際限なく沸いてくる。
納得がいかなかった。
フィーロのことだ。どうしてああなるのか。単に弱いのなら、これほど責めたりはしなかった。でも、あいつは……くそっ。思い出しただけで腹が立ってくる。
これではいけない。精神を安定させなくては。ガナッシュは胸元からロケットを取り出し、開けて中を見た。写真に写っているのは、愛しい愛しい妹の姿。
ああ、イリア。イリア。美しい。なんて美しいんだ、イリア。ボクの妹よ。最上の美しさだ。なんて愛らしいんだろう。まさに至高の天使だ! 女神だ! そしてボクを惑わす蠱惑な小悪魔でもある! そんな矛盾すらも全て呑み込み、遥か高みへと超越したキミという存在は――(中略)――もうキミの笑顔だけで一週間は生きられる。それどころか一年、いや一生だっていける。イリア。愛しいイリア。この溢れんばかりの愛をキミに今すぐ届けたい! ああ、イリアよ。故郷を離れ、キミの側にいてあげられないボクを許してほしい。いいや、許さなくてもいい。ボクの、この罪を、キミの罰で裁いてくれ。そしてボクは永遠の愛の奴隷となるのさ。そう、キミは女王様。ああっ! なんという甘美な響きなのだろう! ボクは――
「何やってんの、あんた」
「……お前か」
非情にもボクを現実に引き戻したのは、女の声だった。不愉快甚だしい。しかし、ある意味僥倖とも言えた。
「シェリカか。何をしている」
「逆に聞きたいくらいなんだけど。一人でミミズみたいにクネクネして。正直気持ち悪いわ」
口の悪い女だ。
姉弟揃ってなんで口が悪い。程度の差はあるが。この女は辛辣だ。
シェリカ・ロレンツ。魔術士学科にして一年生の魔戦学部主席。愛する妹には遥かに劣るが、世間一般で言えば美しいと言えるだろう。大事なことなのでもう一度言うがイリアには劣る。イリアの美しさを例えるならば、それは美の女神が嫉妬するほどの――
「なんでクネクネすんの? キモい。ほんとキモい」
「お前に言われたくない」
どうやらまた愛と美の迷宮に閉じ込められかけたようだ。まったくもってボクのイリアは罪作りな女性だ。そこがたまらなく素敵なのだけれど。
シェリカの翡翠色の瞳は蔑みをたたえている。まぁ、この女にどう思われようとも、ボクはなんの痛痒も感じないがな!
「最愛の人への愛を確認していただけだ」
「あんたの最愛の人って妹だっけ。シスコン引くわぁ」
「シスコンではない。イリアを愛しているだけだ」
「だからイリアって妹なんでしょうが。それを世間一般じゃシスコンって言うのよ変態」
「変態はお前だ。過度なブラコンめ」
「フィーロを愛しているだけよ」
「それを世間一般ではブラコンと言うんだ」
「うっさいわね、シスコン」
「黙れブラコン」
こいつ、嫌いだ。
ガナッシュとシェリカは互いに睨み合った。水と油のように、全く交わらない組み合わせである。
「だいたいさっきから何。ミミズかローパーの真似事して。宴会芸のつもり? 肴にもならないわよ」
「ふっ……お前にはボクのイリアへの愛の舞踊が分からないらしい。芸術を解さない哀れな女だ。教養の低さが滲んでるぞ」
「……キショッ」
シェリカは一言吐き捨てた。なんとも失礼な女だ。
「そもそもだ。シスコンなどという低俗な言葉で僕の愛を表さないでほしいものだな。この壮大な愛にッ! マイ・ラヴ・イリア!」
「キショい!」
シェリカが殴りかかっけくるが、魔術士の拳が当たるはずがない。ガナッシュは容易く回避した。
擦りもしないのが悔しいようで、シェリカは歯軋りをした。ガナッシュはシェリカが鼻息を荒げて、醜い表情をするのを見て、ああ、これが残念美人というものなのかとにわかに納得した。
しかし不思議なことに、この女は男子には人気があるのだ。確かに見てくれはいい方だろう。イリアには劣るが。何より魔術士学科、ひいては魔戦学部で首席の実力だ。学年では知らない者はいないくらいには注目されている。とはいえ当の本人がああも弟しか目に入っていないのでは、人気があったところで意味はないのだろうが。
その弟のことを思い出すとまた腹が立ってきた。
あの時のフィーロは夢まぼろしだったとでも言うのか。いや、そんなはずはない。まぐれであんなことが出来るわけがないのだ。あれは明らかに、荒々しくも洗練されていた。
あれを目の当たりにしたからこそ、ガナッシュはフィーロをこのクランに誘った。フィーロと一緒にまさかこの女まで付いてくるとは思いもよらなかったが。
なんにせよ、あの時のことがなければボクはフィーロに期待など最初からしていなかった。
勝手だろうか。
いや、勝手だろう。
勝手なのだ。それは分かっている。単に自身の理想をフィーロに押し付けているということも。
それでも、ボクは期待せずにはいられないのだ。
「シェリカ、聞きたいことがある」
「何よ」
「お前から見て、フィーロはどうなんだ」
「最近凛々しさに磨きがかかったわ。腕の筋肉とか最高よ」
そういうことじゃない。
「お前のフェチズムが聞きたいわけじゃない。あいつは強いのか、弱いのか、どうなんだ」
「見たら分かるじゃない」
「見ていたから分からなくなったんだ」
「フィーロはそうね……強いけど、弱いわ」
「なんだそれは」
「そのままの意味よ」
それで納得いくわけがない。
強いところなど微塵も見せたことがない。そもそも冒険者として生きる以上、強さを隠す必要などどこにもないのだ。強者は富と名声を得る。敗者は骸を残して無へと帰する。
ボクらのいる世界はそういう世界なのだ。
もちろん富や名声がほしいわけではないこともあるだろう。ボクもそうだ。そんなものは求めていない。しかし、冒険者にはそれぞれが追い求める何かがあるはずだ。
フィーロにだって、そういったものがあるはすなのだ。
だが奴ははぐらかしていた。そしてあの体たらくだ。
あいつの求めるものはなんなのだ。
「教えてくれ、シェリカ」
「何よ。シスコンを治すなら死ぬしかないわよ?」
こいつ、ほんと嫌いだ。
「シスコンではないと何度言えば……ちがう、そんな話ではない。脱線させるな。フィーロのことでだ。今時間はあるか?」
「あってもあんたに割きたくないわ」
「あるんだな」
「ちっ、何よ。フィーロの好物は教えないわよ」
「そんなもんは知りたくない」
なんの得があるんだ。
「ちなみに好みのタイプはあたしよ」
「しれっと嘘をつくな」
「は? なんで嘘ってわかんのよ? 何、フィーロから好みのタイプとか聞いたの? ねぇ、なんて言ってたの? 教えなさいよ。てゆーか教えろ」
恐ろしい形相で詰め寄ってくる。気迫がすごい。
必死すぎるだろう、この女。
「そんな話はしていない」
「何よ。使えないわね。これだからシスコンは」
こいつ、ほんと嫌いだ!
こんな女を、よくも今まで世話してきたな。さすがにちょっとフィーロに同情するぞ。
「ま、聞くくらいはしてあげるわ。教えるかは別として」
なんでこんな上から目線なのか。腹立たしいことこの上ない。
「なら、ルーセントで話そう。まだ閉店には時間がある」
「あんたの奢りね」
「図々しい女だ」
「あんたが教えてって言ったんでしょ? 当然じゃない。フィーロなら何も言わず奢ってくれるわ」
それは単にあいつが諦めの境地に達してるだけだ。
だんだん怒りより哀れに思う気持ちの方が強くなってきた。よく耐えてるな。
まぁ、女一人分奢るくらいの余裕はあるつもりだ。必要経費だと思えばいいだろう。
◆◆†◆◆
考えが甘かった。
「えーと、これと、これとこれとこれとあとこれ……あ、これとこれとついでにこれもちょうだい。飲み物はストレートティーね」
「か、かしこまりました」
「いったいお前はどれだけ食べるんだ。夜だぞ」
注文を受けたウェイトレスも若干引いていた。テーブルに積まれたお皿を見れば誰だって引く。片付けてなおこうして溜まっているわけで、もうガナッシュは伝票を見たくなかった。この女の胃袋はどうなってるんだ。
「まだまだいけるわよ?」
そうじゃないだろうが。自重しろ。
カフェ・ルーセントは、メルヘンチックなグランチェと違い、アンティークな雰囲気のカフェだ。ゆったりとした雰囲気の中、ルーセント自慢のコーヒーや紅茶を楽しめるので、ガナッシュは、よくのんびりしたい時にここへ来て読書などをしたりして過ごす。
なんにせよ、こんなにケーキなどを片っ端から平らげるような下品な女が来るべきではない。
もう選択を誤ったとしか思えない。
「――ねえ、あれってさ……」
「……あ、だよねだよね?」
ひとまず伝票のことは考えないことにして、窓の外を眺め気分を落ち着けようとコーヒーをすすっていると、どこからか声が聞こえてきた。ちょうど右側の席からのようだ。目だけで視線を向けると、女子生徒が二人座っていた。胸元には銅色のピンが確認できたので、同学年だろう。
学年はピンの色で判別できる。銅色ならば一年生。鉄色なら二年生。銀色ならば三年生で、四年生は金色だ。
女子生徒が慌てて顔を背けた。こちらの視線に気が付いたのかと思ったが、そうではなくてシェリカが睨んでいただけだった。これだけ敵意がこもっていれば、目も背けたくなるだろう。
ガナッシュは自身がそれなりに有名なことを自覚している。日頃からあれだけ騒がれれば、いくらなんでもわからないわけがないし、そこまで鈍感を気取るつもりもない。
もともと学園で有名になることはガナッシュの目的には含まれていないし、それが何か自身に影響を与えることもない。それが分かっているので、ガナッシュは周りがどう騒ごうと気に留めたりはしない。
だから、こういうひそひそ話も基本的には気にならない。気分がいいとは言い難いが、目くじらを立てるほどのことでもない。好きにさせておけばいいのだ。
「……やっぱり、付き合ってるのかなぁ……?」「そりゃそうなんじゃない。学部ツートップなんだし。クランも一緒じゃん?」「美男美女カップルかぁ。いーなぁ」「悔しいけど、こうして見るとお似合いの組み合わせだよね」
前言撤回したい話の内容だった。
どこをどうして見ればそう見えるのか。店員が引くレベルでデザートを平らげているこの女と、どの辺がお似合いなのか。悪い冗談だ。笑えない。
「お待たせしました」
ウェイトレスが持ってきたのは、八種類のケーキ。すでに先ほど十種類完食したので、これで十八種類。コンプリートまであと六種類となった。もうホール二つ分は超えている。
シェリカはその中の一つを身体に近付け、フォークで一口分切り分けてから口に入れる。
「あんたの恋人に間違われるなんて人生最悪の屈辱だわ」
この女。
さしものガナッシュも気色ばむ。
「そのまま同じ言葉を返そう」
「失礼な男ね。てゆーか、あんた話あんでしょ? 早くしなさいよ。こっちも暇じゃないんだから」
遠慮もなしにケーキをたらふく食べてる口で何を言うか。失礼なのはお前だ。こめかみの辺りがぴきぴきとしていたが、なんとか我慢した。
深呼吸をして再び気持ちを落ち着ける。
とっとと本題に入って、帰ろう。こちらとしても、これ以上この女と同じ空気を吸うのはごめんだ。
「お前はさっき言っていたな、フィーロは強いけど弱いと。どういう意味だ」
「言葉通りの意味よ」
「それが本当ならばやはりあいつは本気ではないということだ。なら、フィーロはなんで本気で戦わない?」
「力を蓄えてるんでしょ。試験とかお遊びの延長じゃない」
「百歩譲って、試験だけならまだ分かるが、普段からだろ。フィーロは今までの課外活動中の戦闘でも成果らしい成果を上げていない。本人はあれで本気と言っているが、ボクにはそうは思えない」
「そうかしら。でもそれ問題あるの?」
「大ありだ。クランにも影響が出る」
「それだけじゃない」
「それが問題なんだ。なぜあいつは本気を出さない。直接聞いたがあいつははぐらかした。何かあるのか」
「フィーロが答えないことを、あたしが答えるわけないでしょ。別にいいじゃない。フィーロが戦いたくないならそれで」
「よくないだろ。この学校にいる意義がなくなる」
「戦うだけが冒険者でもないでしょ。それ専門は傭兵がいるし、本来の仕事は探索じゃない」
「だが探索ともなれば危険は伴うだろう」
「だからあたしがいるんでしょ」
「お前がそうやって過保護だからそうなったんじゃないのか?」
なんだか子どもの教育について議論する夫婦のようで、この話題を続けるのが嫌になってきた。
「そもそも、魔術士が剣士を守ってどうする。逆だろ、普通は」
「どこの普通よ、それ。あたしが良しとしてるんだから、あたしにとっては今が普通よ。あ、ちょっとそこの店員、ここからここまで持ってきてちょうだい」
いつの間にか目の前のケーキを完食し終えたシェリカは、店員を呼びつけ、さらなる注文を重ねた。
「まだ食うのか。太るぞ」
「ケーキで太った女はいないわ」
いるだろ、たくさん。むしろ多くの女の永遠のテーマだろ。
「夕飯も食べたろうに、よく食えるな……」
「甘い物は別腹。常識よ」
いったいどこの常識なのか。
シェリカは紅茶を一口すすると、ナプキンで口許を拭った。
「とにかく、それ以外でフィーロが本気を出そうと出さまいとあたしには関係ないわ。フィーロはあたしが守るし、なんならフィーロを悪く言う奴はあたしが殺すわ」
「物騒なことを言うな」
本当にやりかねないから恐ろしい。もともと淑やかさとはかけ離れてはいるが、この女はことさらフィーロに関することだと激情的になる。
「お前たちの関係はさて置いても、フィーロは未だにレベルⅠだ。進級にも影響しかねないし、あいつがあのままだとクランにだって支障が出る」
「あんたは結局それが重要なんでしょ。クランクに拘ってるのなんてあんたぐらいよ」
「ボクには大事なことなんだ」
C-rank。生徒個人ではなく、クランという団体としての成績である。七段階で分けられており最高値はSS、また最低値はD。クランで受注した依頼の達成状況など課外活動の成績に加え、クランに属するメンバーの個人の成績によっても左右される。
ことクランによる活動を推奨されているローズベル学園ならではの格付けだろう。
またクランクと個人の成績は相互に影響を与えるだけでなく、活動の範囲にも影響を与える。無用な犠牲を出さないための措置として、依頼や探索地域の難易度をカテゴリ別にして生徒に斡旋しているローズベル学園では、このクランクの値も受注条件の項目に含まれていることが多いのだ。つまりこのクランク一つで生徒の行動範囲が変わると言っても過言ではない。
ガナッシュを団長としたクラン《カタハネ》。
クランの名前は愛しいイリアが幼い頃に好んで読んでいた絵本から取った。白い翼を持つ姫が魔王によって片方をもがれ、魔王の城に囚われの身となったところを、黒い片翼の騎士が救い出すという物語。最後は二人の翼が助け合い、両翼となって城から飛び立ったのだが、その『補い合う』というところがクランの在り方と酷似していると感じたのだ。
実際は欠片も助け合っていないし、全員があらぬ方向ばかり見ている。設立してまだ二ヶ月程度とはいえ、未だに一体感など皆無だし、これから生まれる予感すら与えない。
ただ個々の実力は高く、現在クランクの評価はBなのだが、ガナッシュの見立てではAAに近い。実際、一年生のみで構成された新興クランとしてはかなり優秀と言われている。
十分な評価は受けているとはいえ、クランクBに変わりはなく、もっと言えばAAでも足りない。ガナッシュは今年度中に最高評価であるクランクSSを目指している。
となるとやはり足を引っ張るのはフィーロの成績だ。四つ分は昇格させなければならないとなると、メンバーもレベルⅣは必要だろう。フィーロがレベルⅠのままというのは非常によろしくない。
そもそもガナッシュが初めてフィーロを見た時、レベルⅣ以上の実力を持った生徒なのではと思っていた。しかし蓋を開けてみればこの有り様だ。まさかと思いつつもクランに加えて、いざ戦闘に出てみれば、剣士学科のくせに前に出たがらないというチキンぷり。いよいよ手に負えない。
クラン脱退は手続きを踏む必要があるうえ、学園の設けた調練制度から場合によっては減点対象になる。成績不振を理由にするにしても一年目の前期半ばでは理由としては弱い。少なくとも一年間はおいそれとクランから追い出すことはできない。そもそもフィーロを追い出すようなことがあれば、クランは間違いなく瓦解する。あいつが抜ければシェリカなど迷いなく抜けるだろう。シェリカだけならまだしも他のメンバーまで芋づる式に抜けることだろう。成績は絶望的なくせに、クランの中心にいるのがフィーロだ。
ガナッシュの目的にはクランの存在は必須だ。個人でもなんとかなるかもしれないが、時間がかかるだろう。ここで空中解体させるわけにはいかない。
上級生の運営するクランに入る選択も考えたし、いくつかスカウトはされたものの、余計なしがらみが出来るだろう。自分が主体となって自由に動けるようになる頃には最上級学年になっている恐れすらある。それでは時間がかかりすぎなのだ。
いっそ解体して、再度クランを組み直すにしても、他に有力そうな一年生がいる訳でもない。性格は非常に難のある者ばかりのくせに、先述通り《カタハネ》は個々の能力は高い。これ以上の面子を集めることは出来る気がしない。
ガナッシュと同じく学園で知らない者はいない、魔戦学部首席の天才魔術士シェリカ。その才能を変態的行動にばかり使うものの、他の追随を許さない俊敏さを持つ盗賊学科のエースであるレイジ。天然でアホの子のくせに、大陸東方の香尊帝国で幼少から天才医師と謳われた医仙ミンホに師事し、迅速で精密な施術を得意とする治癒士のユーリ。そのユーリにぞっこんで男嫌いなのが玉に瑕だが、三叉槍を巧みに操るナインエルド獣王帝国出身の槍術士のモニカ。フィーロのストーカーにして、戦闘中はこちらの指示の一切を無視するもの、驚異的な視力による正確無比な射撃を得意とする弓術士のクロア。
これほどのメンバーが集まっているクランというのは他でもなかなかない。むしろ上級生の方から欲しがりそうなくらいの人材だ。
この曲者揃いのクランも、フィーロ抜きでは成り立たない以上、クランクの昇格のためにはまずフィーロのレベルを上げるしか現状は方法がない。
「どうにかしてレベルⅡぐらいには上がってもらわないとな」
「少なくともあんたのために上げるレベルなんてないわ。目的が何かは知らないし興味もないけど、変なことに巻き込まないでほしいわ」
「巻き込むつもりはない。ただクランクを昇格させたいだけだ。ボクは目的を果たすし、お前たちも成績を得て進路に役立つ。それの何が不満なんだ」
「何もかもよ。胡散臭いあたり全部ね」
「別に難しいことを注文しているわけではないだろう。それとも何か、お前はフィーロがバカにされたままでもいいわけか」
「だから、そういう奴はあたしが殺すじゃない」
また話がそこに行き着いてしまった。これでは堂々巡りだ。終わりの見えない会話に溜め息が溢れる。
この間隙を縫うように、店員がケーキを運んできた。「お、お待たせしました」と、色とりどりのケーキがシェリカの目の前に置かれるや否や、華やいだ笑顔でその一つを口に運ぶ。見ているだけで胸焼けがしてきた。
「まぁもちろん、あたしもフィーロがバカにされるのは嫌よ。だからフィーロには頑張ってほしいと思う気持ちはあるわ。でもあんまり頑張られるのも嫌なのよね」
「意味がわからん。何が言いたい」
「モテモテになるじゃない」
「……はぁ?」
「ただでさえ悪い虫がついてるのに、これ以上注目を浴びたらきっとフィーロ超人気になるわ。そうなったらって思うと、複雑なのよ」
死ぬほどどうでもいい理由だった。
目眩がして、眉間をおさえる。フィーロがモテてしまうから? そんな心配をいましたところで、捕らぬ狸の皮算用だろ。いや、確かに人気は出るかもしれんが。
この異常な溺愛と独占欲が今のフィーロを形作っているのだとしたら、根本の原因は目の前のこの女なのかもしれない。
「弟離れすべきではないのか?」
「は? あんたには言われたくないわ、シスコン」
「シスコンじゃないし、なんならお前よりは正常だと自負している」 「自分のことが見えないのね、可哀想に」
「なんだと?」
「あン? やるっての?」
ガナッシュは眉間にしわを寄せ、シェリカはフォークをこちらに突きつけた。お互いに睨み合い、この場が一触即発の空気に包まれる。
ただ、一瞬の膠着状態の中どちらが動き出すまでもなく、その場に一石が投じられることとなった。
「――あら? そこにいるのはシェリカさんではないですの?」
気品はあるが、高圧的な態度の滲み出る女の声が入口側から発せられる。よく響く声は窓際の席に座る二人にも届いた。
視線を向けると、五人の女が立っていた。声の主は真ん中の女だろう。腰に手をあて、不敵な微笑を浮かべていた。ウェーブした薄い金色の髪が揺れている。
途端にシェリカは欝陶しそうな顔をした。
「……ちっ」
「なんですのその舌打ちは! 本当に、相変わらず失礼ですわね!」
「あら、モランじゃない。あなたもデザート?」
シェリカは詰め寄ってくる声の主を無視して、こちらから見て右隣に立っていた女モラン・ルプスオールに声をかけた。シェリカの同室のはずだ。この女と同室で耐えれるあたり、かなりの人格者ではないのだろうか。尊敬の念が生まれた。
「うん。シェリカちゃんもここにいたんだね。フィーロ君送ってから戻って来ないし、ちょっと心配してたんだよ」
「そんなに心配しなくても、あたしは大丈夫よ。ちょっと散歩したくなったの。でもありがと。一緒に食べる?」
「ううん、今日は他の子もいるから。ありがとね」
「そう。四人で楽しんでちょうだい。このケーキおすすめよ」
「むきぃ~~~~っ! わたくしを無視するんじゃないですわっ!!」
「何よ、リーチェ。うるさいわ。他の客に迷惑じゃない」
「むきぃ~〜〜~っ!」
相変わらず、シェリカとの反りは合わないらしい。
ベアトリーチェ・セルティレス。細剣の扱いを得意とする剣士学科だ。リーチェは愛称だろう。どういう経緯で知り合ったのかは知らないが、シェリカと何度か口喧嘩しているところをよく見かけた。
セルティレス家といえば南サブランド王国の剣の名門だと聞く。サーレストン流のような規模はないながらも、その名を轟かせているのは現当主が《五剣聖》に名を連ねているというのが大きい。
サーレストンの剣技は質実剛健といった剣捌きが特徴だが、セルティレスは細剣による多彩かつ流麗な技が特徴だ。相手に攻撃の隙を与えない連撃で学部では五位の成績を治めており、《女王蜂》などと一部のファンから呼ばれたりしている。
「てゆーか、あんたことあるごとにあたしに絡んでくるけど、なんなの。寂しいの?」
「元はと言えば貴方が無礼を働くからでしょう!」
「被害妄想の傾向でもあるんじゃないの? 鬱の気が酷いんならとっとと精神科行ったほうがいいわよ」
「頭の調子がよろしくないのは貴方の方ですわ! 良い医者を紹介してさし上げましょうか?」
「二人ともそれくらいで……」
モランが止めに入るものの、二人の言い争いは止まらない。よくもまぁ、日々こんな高飛車な女たちの相手が出来るものだ。獣人は気性が荒いことの多い種族だと聞くが、やはり噂というものはあてにはならないのだと、この穏やかな少女を見ていると実感する。
とはいえ、性格が穏やかであろうとそこは獣人。戦闘はなかなかのものだったと記憶している。小柄な体型ながら、長柄の大斧を振るうパワーファイター。レベルⅣという一年生では上位に位置する実力者でもある。
モランはこのように困り果てた様子ではあるが、他の面々はどうなのかと思い視線を横に移す。モランと同じくらいかそれよりも少し小さい背丈の少女と目が合う。というより、こちらをずっと見ていたのだろう。大きい目をこれでもかとさらに見開いて、口をパクパクさせていた。
少女の名はロリエ・ハールメン。彼女とは以前に一度だけ話す機会があったが、以前もこのように口をパクパクさせていたので覚えている。というか、あれは話をしたうちに入るのだろうか。背中に背負った自身の身長ほどある杖からも分かるように魔戦学部の生徒だ。かなりの童顔で、見ようによっては十歳くらいにも見えるが、ガナッシュと同い年らしい。ふわふわした喋り方をする女だったが、実力も相当なもので、確か学部二十番以内には入っていたはずだ。
クラン無所属の三人組として一年生の中では有名な面々なのだが、見たことのない後ろの二人はどういった関係だろうか。二人とも、ロリエ同様に目を丸くしてこちらを見てくる。顔に何かついてるのだろうかと思い、拭ってみるがどうもそういうわけではないらしい。小首を傾げると、見る見るうちに顔が紅潮していった。わけが分からなかった。
ひとしきり言い争いを終えたのか、呼吸を荒げながらベアトリーチェが髪をかき上げる。そこでようやく、自分の友人たちが陸に上げられた魚のように口をパクパクさせている様子に気が付いた。
「ちょっと、貴方たち何をアウアウ言ってますの?」
「あ、あ、あ、あの……りーちゃん……」
震える手でこちらを差すロリエの指先を、ベアトリーチェが追ったので、自然とガナッシュと視線がかち合った。しばしの沈黙を経て、「ふぁっ!?」という謎の奇声を発したベアトリーチェは、時間が停止したように動かなくなる。そして落とされる沈黙の帳。
なんなんだこれ。
「……こんばんは」
軽く会釈をすると、途端にベアトリーチェの顔が火でも着いたように赤くなった。そしてすぐに真っ青になる。かと思いきやまた赤くなった。随分と忙しない女だ。
「な……は……が、ガナッシュ様……?」
「様……」
まさか様付けされるとは思いもよらなかった。さすがお嬢様といったところと言うべきなのだろうか。むず痒くなる。庶民には似合わない敬称なのだと実感した。
「な、なんで……こんな所に……」
震える声を絞り出しながら、赤かった顔を青くしたり、またさらに赤くしたりしてを何度か繰り返すベアトリーチェ。ヤバい薬でもやっているのではないかと思えてくるくらいの気の動転ぶりに、いささかの不安を覚えた。
百面相を繰り広げる中、最終的に顔色は赤で定まったらしいベアトリーチェは、キッとシェリカを睨みつけ、掴み掛かった。
「なんで貴方がガナッシュ様と一緒にいますのっ!?」
「奢ってくれるっていうから。てゆーか痛いから離してくんない?」
好きで奢ってるわけではない。
淡々としているシェリカに何か勘違いをしたのか、ベアトリーチェは一人でさらにヒートアップしていた。これでは埒が明かないと思ったので、話の通じやすそうなモランに声をかけることにした。
「それで、モラン。何か用だったのか?」
「え? あ、ううん、これといった用はないよ。たまたま見かけただけなんだけど、なんだかお邪魔しちゃってごめんね」
「いや、それは構わないが」
「そうなの? てっきりデートかと思ったんだけど」
「やめてくれ、吐き気がする」
他の誰と勘違いされても、この女とだけは御免こうむる。
ガナッシュの苦虫を噛み潰したような表情に対して、モランが苦笑を漏らす。
「喧嘩してるの?」
「相性が合わないだけだ」
「そ、そうなんだ。同じクランなのに……?」
「仲良しだけがクランじゃないって典型例だと思ってくれ」
「い、色んな形があるよね。あ、えーと、わたしたちも新しくクラン結成したんだ。今日はその親睦をと思って。ほら、試験のお疲れさま会も兼ねて」
「作ったのか。やはりクランコンテストのためか?」
「うん。リーちゃんが参加したがってたんだけど、トリオじゃ参加資格ないしね」
クランコンテストは夏季の長期休暇前に行われる、学園主催のクランを対象とした大会だ。各部門においての優秀なクランを選ぶというもので、クランクの昇格に繋がる大事なイベントでもある。
「なるほどな。成績にも繋がるし、いいことだろう」
「リーちゃんはシェリカちゃんに対抗してるだけなんだけどね」
「……お互い苦労するな」
「もう慣れたけどね」
絶えず罵り合いを続けるシェリカとベアトリーチェを横目で見る。
「クランコンテストでその鼻面ごとぶちのめしてやりますわ! 覚悟なさい!」
「はっ。逆にあんたの剣がへし折れる様を見て笑ってやるわよ」
この高飛車な女たちの仲が悪さは筋金入りなようだ。突っかかる火種があればどんな些細なことでも喧嘩になるらしい。
普段ならば巻き込まれる身の上として迷惑千万甚だしいといったところだが、今回に限ってはもともとクランコンテストへの出場の意向があったため、これはこれでよい活力剤となるのかもしれない。
「なんならこの場で決着をつけてもいいのですわよ!」
「あんたの丸焼きが幾らの値になるか、確かめてみようかしら?」
と思ったけど、ダメだ。こいつらダメだ。歯止めがかからん。活力剤どころか火に油だ。もう少し場を弁えてほしい。
「その辺にしておけ、二人とも」
「はっ……! わ、わわわたくしったらガナッシュ様の前でなんとはしたない……恥ずかしいですわっ!」
「そうね、あんたは生き様が恥ずかしいわ」
「なんですって!」
「だからやめないか」
静止はするものの歯止めの効かない二人に半ば諦観しつつ、溜め息をこぼす。モランもまた、困ったような笑みを浮かべていた。
釣られるように笑みを返すと、今まで言葉を発しなかった後ろの三人が妙な奇声をあげていた。ガナッシュは首を傾げつつも、気に留めないことにした。
「そういえば、名前はなんて言うんだ?」
「クランの名前?」
「そう。決まってるのか?」
「えっとね、《アンセムスター》だよ。どうかな」
「いいんじゃないか? いい名前だと思うぞ」
ガナッシュが素直な感想を言うと、モランは目を丸くした。意外なものを見るような、そんな目だ。
「どうした?」
怪訝に思い、訳を訊ねると、モランは「ガナッシュ君って、そういうお世辞も言えるんだね」と言った。いささか心外ではあるが、しかしそんな冷たいように見えるのだろうか。
「世辞ではないが……」
「そっか。ありがとね。決めたのはリーちゃんだから喜ぶと思うよ。今は聴いてないけど」
「ボクだっていいと思ったものは素直に褒めるぞ」
「あ。気を悪くしたならごめんね。でもガナッシュ君って、なんだか何かに焦ってるみたいだし、あんまりわたしたちとかに興味なさそうな雰囲気あったから」
「そうか? ……いや、そうか。そう見えていたのか」
言われてみれば、そうかもしれない。
思い返せば入学から今まで、他の何にも目をくれず、自身のことだけを考えてここまでやっていた。クランのメンバーとだって、同室のフィーロと喋るくらいだ。事務的な会話くらいはするが、それ以上踏み込んだ話をすることなどほとんどない。
こうしてモランとまともに話すのだって、今回が初めてなのではないだろうか。
「今のガナッシュ君はいい感じだよ」
「……いい感じ、か」
自分ではよく分からないけれど。モランが言うんだから、きっとそうなんだろう。根拠はないが説得力があった。そんな風に思わせる魅力のようなものが、彼女にはあるのかもしれない。
「あ、普段が良くないってわけじゃなくてね? いつものガナッシュ君もクールでかっこいいと思うよ?」
慌ててフォローを入れてくるモランの姿に笑みが溢れる。
「それはあいつの次、くらいか?」
「えっ……いやあの、そういうのは比べるものじゃないし……フィーロ君とガナッシュ君とかっこいいの種類みたいなのも違うし……!」
「誰もフィーロとは言ってないが」
「にゅっ!?」
何度かフィーロと話をしている姿を遠目に伺ったことがあり、その時の様子からなんとなく察してはいた。出来心で鎌かけをしてみたのだが、少々意地悪だったか。
モランは顔を赤らめながら、恨めしそうにしていた。
「結構意地悪なんだね、ガナッシュ君……しかもシェリカちゃんのいる前で言うなんて。聞こえてない……よね?」
「口論の真っ最中だしな。それくらいは確認している」
「してればいいってものじゃないよ、もぅ」
モランは可愛らしく頬を膨らませた。
「悪かった。でもまぁ、応援しておこう。悪い男ではないしな」
いい男とも言いがたいが。あれでやる気があればな。
「あ、うん。ありがとう」
「特に何か出来るわけではないがな」
「大丈夫。こういうのはわたしが頑張らないとね。それに、本人もそうだけどシェリカちゃんが一番の難関だし……」
「うむ……心中察する」
もしもフィーロに彼女でも出来ようものなら、あの女はすぐに嫌な姑みたいになりそうだ。容易に想像できてしまった。
「まぁ、なんにしてもまずはクランコンテストだ。お互い頑張ろう」
「あ、うん。そうだね。でもその前に……」
「……ああ、そうだったな」
モランは困ったような微笑みを浮かべていたけれど、ガナッシュには笑える状況でもなく、ただ嘆息するしかなかった。
「ほんっとーに癪に障りますわ! 一発ぶん殴ってやりますわ!」
「一発でいいの? じゃああたしは百発魔術ぶち込んでやるわ。無様に吹き飛んでいく様を写真に収めてあげる」
「泣いたって遅いですわよ!」
「さっきから半泣きの女に言われたくないわ。化粧落ちてるわよ、あらやだブサイク」
「むきー! ぶっ殺してやりますわ!」
「あ、あのお客様……て、店内ではお静かに……」
静かなはずのルーセント。ウェイトレスはすでに半泣きだ。いや、よく頑張ったと思う。むしろ放置していて申し訳なさを感じた。
ロリエ達はなぜか地面に倒れ伏しているし、どうにも使い物にならない。一様に幸せそうな表情なのが気にはなるが、考えても仕方がないし、とりあえず放っておくしかない。
となるとガナッシュとモラン以外に止められる者はいないわけで。
……これを止めに入るのか。
ものすごく嫌だな。
フィーロといい、シェリカといい、この姉弟はどうしてこう、揃ってろくでもないのか。