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すばらしきかなこの世界  作者: 蝉時雨
第二章 ディヴァイン編
46/54

第二章(4) 剣戟はまだ遠く

◆Firo◆


「げぇ……」

 早朝になって、俺が第一声に上げた声がそれだった。

 隣にシェリカが寝ていた。なんでだ。部屋分けたはずだろう。ふとドアの方を見ればドアノブが破壊されていた。黒焦げだ。瞬間悟った。

 まさか侵入してきたのか。

 寝ぼけていたのかどうか定かではないけれど、なんにしても常軌を逸した姉の行動にただ戦慄するしかない。

 しかし下着同然の格好で弟とはいえ年頃の男の部屋に入るなよ。羞恥心とかないのこの人。

 あいにく性癖はノーマルと自負している。姉のそんな姿を見ても嫌悪感しか抱かん。とりあえず起き上がるなり、フィーロはとっとと服を着替えた。

 出発は七時半を予定している。

 今は六時。余裕はあるのでまだ寝かせといていいだろうが、さてどうしたものか。ああ、もちろんドアノブだ。確実に弁償だろコレ。いくらか知らないけど、困ったことをしてくれたものだ。

 恨みつらみをぶつけても多分逆ギレするだけだし、もういい。諦める。俺の財布が泣けばいいのだ。

 朝食は下で厨房を借りれるらしいので、適当に食材を集めてなにかを作ればいいだろう。簡単なものならすぐ作れる。

 鍵の付かない部屋を放置するのもどうかと思ったが、盗んで得するものもそうない。むしろ寝こけているうちの馬鹿姉は誰か貰ってほしい。世話はとても面倒だ。それでもいいならぜひ。

 フィーロは厨房を借りて簡単な野菜スープとサンドイッチを作った。昼の分のサンドイッチも作って、バケットを貰って詰める。盆に皿を載せて、自分の部屋に戻っていった。

 部屋に入るとシェリカが半目を擦りながらベッドに座っていた。自力で起きたらしい。そこは褒めよう。ただ服を着ろ。せめてなにか羽織れ。だらし無いどころか見てるこっちが恥ずかしい。

「にゃう……」

「猫かよ。おはようシェリカ」

「おはお〜……いいにおぉい……」

「スープ。飲む?」

「飲むぅ……」

「じゃあ服着なさい」

「着せてぇ……」

「自分の部屋行って自分で着てこいよ。何歳だよ」

「連れてってぇ……」

「自分で行けよ」

「行かせてぇ……」

「いや行けよ。止めてねえよ別に。つーか寝ぼけてんな?」

「寝ぼけてませぇん……」

「その閉じた瞼でで思い切った嘘に出たな。……もういいよ。取って来てやる。着るのは自分でやれよ?」

「やだぁ……着せるのもぉ……」

「……」

 イラッとしました。

 舌打ちを堪えて、シェリカの部屋に向かう。

 荷物は散乱していた。どうして一日もいないのに散らかせるんだあいつ。散らばった衣類を畳みながら、衣服を選ぶ。つーか持ってきすぎ。意外に魔導衣というのは種類がある。ちなみにシェリカのお気に入りは黒に青い薔薇の刺繍入りのドレスだ。ただそれ昨日着てたからな……。

 まあ、たまには俺が選んでみるか。つーか腹立つことに基本なに着ても似合うから、正直なんでもいいんだが。

 目についた赤基調の魔導衣を手にとる。黒とか青色が好きだと思っていたが、華やかな色も持っているのか。

「これでいっか」

 嫌なら着替えるだろ。

 これついでにと、どうせもう出ていくので、散らばったものも全部片付け荷物ごと部屋を出ることにした。しかし、姉弟っていうのはつくづくすごいな。パンツ見てもなんも思わねえ。

 一瞬自分が枯れてるのかとすら錯覚してしまう。まあ、それが当然の反応っちゃ反応か。ガナッシュみてーのが異常っていうんだ。

 荷物を肩に掛け、自分の部屋に戻るとシェリカは寝ていた。

「こいつは……」

 盛大に顔が引き攣るのが解った。

 妙に心地良さそうなその寝顔に腹立ったので近付き、鼻をつまんでやった。呼吸を止められ、眉をひそめるシェリカ。次第に苦しそうにして、もがきだした。

 目を開いた瞬間に手を離す。

「ぷっはっ……!? な、なに!?」

「おはようシェリカ。はい、これ服。着替えて。朝食はそこ。あと三十分くらいで出るから、準備早めにね」

「え? え?」

「俺は主人んとこ行ってくるから」

 事態を飲み込めていないらしいシェリカに微笑みかけ、部屋をそそくさと去った。当然だ。気付かれる前に退散しなければ、次にあの黒焦げの鍵みたいになるのは俺だ。人間はウェルダンどころかミディアムでも十分、死んじゃう。

 まあ、鍵のことを考えれば別にあれくらいは許されるだろう。

 そもそも俺は悪くないのに、謝りに行かないといけないんだから。


◆◆†◆◆


「――あと……っ……どれくりゅっ!?」

「揺れてるんだから、あんま喋んなよ……」

 馬車に乗り込むなり、ものの十数分で森に入ったのだが、さすがというかすごい揺れる。来るときは徒歩で遠回りだったが、あれで正解だったろう。フィーロは舌を噛んで涙目のシェリカに苦笑しつつそう思った。

 ここから一直線に抜けると、セドアに出る。しかし近道というものはどうしてこうなにかがついて回るのだか。乗り物酔いにはならない体質のようだが、気分はよくない。

 一応聞いたところによれば森に入れば一時間程度着くといっていたが、もののとは一体なにを指して言ったんだろう。一時間って結構長い。

「あぐぅ」

「なんだよ」

「まは噛んら……」

「もう喋んな」

 寝とけ、とも言えないし、じっとしていることが不得手なシェリカにはいささか厳しいのかもしれない。たかだか三十分くらいは黙ってもらいたいものだが。

 フィーロも揺れは勘弁してほしいのだが、しかし馬車から見える風景はかれこれ景色は変わらない。それを思えばこの揺れは進んでいるという証拠だ。そう思えば少しは我慢できる。

 懐中時計を取り出すと、まだ十数分だった。

 ごめん無理。揺れすぎ。なんの拷問だよこれ。

 先は長いな、などと物思いに耽ることすら許してくれない。いっそ気絶でもしてたほうがいいのかもしれない。

 溜め息を零すと、いきなり車体が沈んだ。強烈な揺れとなって襲い掛かってきたので、フィーロはともかくシェリカが転がりそうになった。慌てて手を伸ばし、引き寄せる。

「ひゃう!」

「……ぶね。大丈夫か?」

「う、うん。びっくりした……なんだったの?」

「さあ、止まったみたいだけど……ちょっと様子を見てくるよ」

「うん」

「…………」

「どしたの? 行かないの?」

「腕離してくんない?」

「なんで?」

「理由とか明白だろ。立てねーよ」

 手を引きはがすと、シェリカは膨れっ面だった。いやごめんその表情は俺がとるべき表情だよね? とはいえ自分がそれやっているところを想像すると萎えたので、忘れ去る。

 うちの我が儘姫の考えていることは考えるだけいちいち無駄なので、放っておいて外に出た。

 男数名が固まって、困った表情を浮かべていた。

「どうしました?」

「ああいや、車輪が嵌まったんだよ。それで嵌まり方も悪かったみたいで、引き抜けなくてね……」

「はあ、なるほど」

 見れば馬車の車輪が嵌まっていた。森を走るのに適した、大型で厚い車輪を使っているのだが、それ以上の大きさの穴があいていたようで、見事に車体が沈んでいた。これが揺れの原因かと合点がいって、頷いた。

 方角さえ解ればここから徒歩でも構わないのだが、困り果てて唸る姿を見てはそうもいかない。特に先を急ぐわけでもないし、ここは手を貸すべきだろう。

「俺でよければ力になりますよ」

「いや、気持ちは嬉しいけど、車体を引っ張るのに二十人以上は必要だから……」

「二十……」

 数字を聞いて悄然とうなだれた。

 男は全員で七人。火事場の馬鹿力でも出さなければ難しいだろう。そこにフィーロが加わっても意味はない。男は気持ちだけは受け取るよと弱々しく笑った。

 少しがっかりしつつ、馬車の周囲をぐるりと回る。馬が暇を弄び、蹄で地面を叩く。それに肩を竦めて苦笑しつつ、男たちのもとに戻る。男たちはさらに意気消沈していた。鬱蒼とした森が余計暗い。

 救援を呼ぶにしても、ここから戻るとなるとさすがに骨だ。何人かは番をしなければならないが、この森は安全というわけではない。男たちは一応武芸の心得はあるようだが、それでも色々不安は付き纏う。暗くなるのも解らなくはない。

 さてさてどうしたものか。思案しつつ馬車に近付き、試しに押してみることにした。実際にどれくらい重いのかを知らなければどうしようもない。単純な好奇心ともいう。

 馬車の縁に手を掛けて、軽く押し上げる。

「……せいっ」

 ズズ。

「……おろ」

「え?」

「はい?」

「動いた……?」

「マジで?」

 フィーロが間抜けな声を零すと、男たちが目を見開いて一斉にこっちを見てきた。驚愕していた。

 いや、こっちが驚いた。重い重いというから試してみたら、案外軽かったのだから。大人二十人もいらないんじゃないだろうか。

 もう一度ぐっと押すと、車体がさらに持ち上がる。

「いけるっぽいですね」

「すげぇ……」

「ボウズ、何モンだ……?」

「いや、学生ですけど……それよりこれ一気に押して、あとは馬で引き上げればいけると思いますよ」

「お、おお。すぐ準備する!」

 男が先頭に走る。

 他の男は手伝った方がいいかと尋ねてきたので、お願いしますと答えた。

 しばらくして、前から準備オーケーだという声が飛んできた。

「それじゃあ、せーのでいきましょう……せーの!」

 押し上げる。

 先頭からは馬の嘶く声が。後ろからはフィーロたちの声が重なる。

 ズズ、と車体が持ち上がった。しかし穴を抜けるにはまだ足りない。フィーロは足腰に力を蓄え、一気に解放した。

 ぐいっと持ち上がり、車輪が地面に噛み合う。あとは馬が引く力で、引き抜けた。

 数メートル進んでから止まる馬車を見つめ、一息吐いた瞬間、男たちがわっと歓声をあげた。

「や、やった……!」

「すげえぜオイ! 感動したぜボウズ!」

 やんややんやとフィーロの頭を掻き回したり肩を叩いたりと男たちが持て囃す。どうもこそばゆい感覚だったけれど、悪い気はしない。フィーロは笑みを浮かべて、されるがままになっていた。

 ともあれ、これで馬車は動く。思わぬところで立ち往生するところだったが、なんとかなって僥倖だった。別によかったのだが、渡り賃も半額にしてくれし、言うことなしだ。

 フィーロはホクホクと馬車内に戻ると、シェリカが出迎えた。手には本が開けられている。自由気ままな奴だ。いいけど、別に。

「おかえりフィーロ。どうだった?」

「おう。いいことしたから運賃が半額になった」

「そっか。お疲れ様」

 シェリカは微笑んでいたが、考えてみれば、こいつ馬車に乗ったままだった。というか荷物の類も置きっぱなし。じゃあ、実はあれ重かったのか。まあでもシェリカ軽いからな。荷物もそんな重いものいれてないし。その程度は誤差だろう。

 つーか、そもそも我関せずの態度を貫くシェリカはもう少し気を配るべきだ。一声掛けなかった俺も俺だが。

 馬車が動き出したので、フィーロは腰を下ろす。シェリカも本を片付け、また揺れに備えて口を閉ざした。舌を噛むのはもう懲り懲りらしい。静かでいい。ずっと揺れてろ。

 まだ着くまでに時間はかかる。変わらぬ景色を眺めて、フィーロは気を休めることとした。

 ――にしてもだ。

 ふと思う。というか引っ掛かっていた。

 あの窪み。

 まるでなにかにえぐり取られたかのような跡にも見えた。

 馬車の周りを回っていたとき、近くに同じような窪みが幾つかあった。

 それに、何本か倒れたあの木々。折れたというよりは斬られたような断面。セドアは林業も行っていたはずだが、さすがに人里から離れている。

 どちらもそうそう自然には出来ないものだ。

 一番気になるのは、森の生き物の気配が全くしないということ。

「……少し、嫌な予感がするな……」

 膝許の剣を撫でる。

 頼りない剣だ。

 何事もなければいい。

 この剣で、シェリカを守れる自信がない。



◆Outsider◆


「――クソッタレ! 改良型を投入しやがった!」

「数は多くない……押し切るッ!」

 異形の腕をかわしつつ、少年は叫んだ。外套を返り血に濡らし、戦う少年の額には血と汗が混ざり流れる。

 青年は腕を振りきった異形に向けて、刃を振り切る。

 しかし異形はそれを蛙のように跳ねて回避した。

 異形――ギギドの運動能力は非常に高い。そういうふうに設計・・されている。奴らは兵器なのだ。

 ギギドにも種類がある。兵士ポーン僧兵ビショップ重兵ルーク騎兵ナイト。司令官的役割の女王クイーンキングが存在しないのは奴の薄っぺらいプライドなのだと、青年は考える。

 少年が改良型と呼んだのは兵士ポーン。一部は強化され、急襲兵アサルトポーンとして《鮮血十字軍ブラッディクルセイダーズ》に組み込まれる。過去の、少年たちの知り得ぬ時代の話だ。

 だけど彼らは知っている。史実は伝聞でしかない。眉唾のような話だ。だが彼らには戦う理由があった。あるのだ。

 惨劇は今もなお続いている。

 ギギドはその先駆け。だからこそ彼らはそれを打ち倒さなければならない。向こうもまた、未だに牙を剥く彼らを刈ろうとこうしてギギドを送り込む。

 終わりのない戦い。

 否、終わりはある。

 彼らはそのための動いている。

 信じている。信じるしかない。

 野花の剣を呼び覚ます。それは終局への大きな一歩となる。それは青年の言葉でも、ましてや少年の言葉でもない。

 彼らのリーダーはあの女に惚れているのか。そうかもしれない。あの女は信用に値するのか。彼らには解らない。ただ、じわじわと歩み寄る絶望を断ち切れるのが、その術を知るのがあの女だというのなら、信じるしかないのだ。

 それは賭けでもあった。

「断ち切れ……アガスタシア!」

 真正面に捉えたギギドを、青年は切り裂く。半分に割れ、後方に突っ込んでのたうつギギドは聞くに堪えない断末魔の叫びを打ち鳴らす。喉を潰し損なった青年は急いでそれを足で踏み潰し、止ませる。ギギドはヘドロかタールのようなものになって、地面に消えた。ギギドは絶命したが、しかしもう遅いだろう。

 ギギドに痛覚など存在しない。あれは仲間を呼ぶ声だ。

「なに討ち漏らしてんだよ!」

「問題ない」

「あるっての! 馬鹿か死ねよ! お前片付けろよ!」

「そのつもりだ」

「くっそ……湧いてきやがる! 蹴散らせ、トルトゥリエ!」

 上空から降ってきたのは改良型の僧兵ビショップ破戒僧アポステイトと呼ばれる、《鮮血十字軍》に属するギギドだ。

 奴らは狂暴だ。拳を強化され、鉄槌のような拳は、地面を容易く砕く。

 彼らの扱う武器は特殊だ。ある意味、ギギドと同じく兵器ともいう。その刀身がもたらす破壊は魔術に匹敵する。これもまた、そういうふうに設計されているのだ。

「シンド、重兵ルーク三体、空から来るぞ! 衝撃に備えろ!」

「落ちてくる前に潰してやんよ! 《翼ある剣エッジウィズウィング》の異名は伊達じゃねえぞ! 空は……俺のフィールドだ!」

「なら任せるぞ。破戒僧アポステイトは俺が片す……!」

 少年は上空へ飛び出す。その様はまるで飛翔する鷹のようでもあった。

 対する青年は不動の猛虎。獲物を捉えたその時、それまで息を殺していた猛虎は鳴動のごとく駆け抜け獲物に喰らいつく。

 奴はこれも見通しているのか。いや、見通しているのは奴ではない。東洋の魔女だ。老いぼれに心酔する阿呆。反吐が出る。少年なら吐き捨てる。護衛がまずムカつく。青年は優秀だと褒めるが、少年からすればムカつく対象だ。

 なんにしても、ここで果てるわけにはいかない。

 奴がどこまで手を回していたとしても、この作戦は必ず遂行するのだ。

 彼らの戦いはもはや執念だった。


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