第二章(3) 遠くの彼に
◆Moran◆
これはわたしにとって一大事だった。
フィーロ君がシェリカちゃんと帰郷することも大事だが、最も由由しいのは最近のフィーロ君の株価急上についてだ。
もともと顔立ちはシェリカちゃんと同じで、可愛い系のフィーロ君だ。本人はモテないモテないと言っているけれど実際はそんなこともない。意外にいいという子は沢山いる。
フィーロ君は自分の顔があまり好きじゃないらしい。ガナッシュ君のような恰好いい方がいいらしく、だから自分を不細工認定している……とルツ君から聞いた。
そんなところも可愛いと思ってしまう。本人には絶対言えないけれど。
あと周囲の女の子が敬遠気味だったのは、ここが実力主義の学校であったのもある。顔がよくてもレベル1だったせいで、「顔だけ」というレッテルを貼られていた節があったのだ。
それでクランコンテストの件だ。
全校にモニタリングされていたのだから、当然フィーロ君の奮闘も映っていたわけで。特に《ランプ・オブ・シュガー》との試合。レベル5の猛者と剣戟を交わしていた姿は、モランの乙女補正なしでも恰好よかった。
「困ったなぁ……」
先週もクラスの子から尋ねられた。
「フィーロ君っているじゃん? 魔術士学科首席の弟の……あの子って彼女いるとか知ってる?」
などと聞かれて、正直にいないとは答えられず「聞いたことないなー」などとわざとらしく言ってしまうことが何度もあるけれど、その度に心が少し痛んだ。
ただでさえ強敵揃いなのにこれ以上ライバルが増えてもらうとすごく困る。フィーロ君の実力が正当に評価されてるのだから、それはそれでとても嬉しいのだけれど。
ただ、フィーロ君のことをなにも知らない子たちが騒ぐのはあまり気分がよくない。だから、遠ざけようとしてしまう。そんなちょっと嫌な子になってしまって、結構ショックを受けた。好きになるのに順番なんかないのに。
そうやって嫉妬してしまったりする自分を、フィーロ君はどう思うんだろう。時々そうやって不安になる。
いつか伝えたい気持ちを、わたしはいつになったら伝えられるんだろう。
「フィーロ君……なにしてるかなぁ……」
◆Firo◆
「――ひゃくさんじゅうまん!?」
馬鹿みたいな値段にフィーロは口を開けたまま呆然としていた。魂抜けてるかもしれない。
喧嘩のほとぼりが冷めるまではあの市場には近付けないだろうと仕方なく他の市場を巡っていた。中央部の総合商店もいいが、区画ごとの専門店もなかなか充実している。
フィーロが尋ねたのは古い看板の武器商店で、街の人曰く昔からここで武器の商いをやっているらしい。
小汚い店内だったが、刀剣はよく手入れされていた。商品は逸品揃いに違いない。フィーロは興味津々で見て回っていた。
目がいったのは一本の片刃直剣だった。
店主に聞くと戦時、すなわち天帝戦撃期よりも前の時代の掘り出し物らしい。今が天帝黎明期で、戦前は天帝種嶺期だ。そのころは鉱山開発が進んでいたので、こういう刀剣類の質はどれも高かったらしい。
で、値段も今や破格だった。
百三十万ってなんだ。さっきのダサダサ服の百二十万くらい解らんよ。
「どうするボウズ」
「どうするもこうするも無理っす」
「そらそうだわな」
店主はくっくと笑った。解ってんなら聞くなといいたい。
「ボウズおめーローズベルの生徒だろ?」
「ええまあ」
「学校にも売ってんだろ、武器なんて」
「折ったんス」
「はあ? どんな雑な扱いしてんだよ」
「普通に振っただけでポッキリいったっす」
あるいはすっぽ抜けた。
「……剣が脆いのか? 折る前はなに使ってたんだ」
「黒玄石の剣を」
「“玄武の甲殻”と言われるあれの剣か? それをなに、折ったのか? どうやったら折れるんだボウズ。イカれてるぜ」
イカれてるとまで言われるのか。
古代の化け物が放つ強大な魔術を存在ごとぶち殺そうとしたら、剣の耐久度をあっさり超えましたなんて馬鹿正直に言えるはずもなく、フィーロは苦笑いするしかなかった。
「まあでも、黒玄石で駄目ならボウズが使える剣でそうないぜ? 悪いがうちには置いてねぇよ」
「そっすか……どんなんがあります?」
「そーだな。龍巌石とか妖光石みてーなああいう鉱石ならあるいは……」
「それって幾らなんですかね」
「その剣の十倍は軽くあるだろうなァ」
「無理っすね……」
丈夫な剣を買おうとすると、必然的に希少価値の高いものになってしまう。そうなると値段もおのずから上がっていくわけだ。世の中の常である。
フィーロはうなだれるしかなく、所持金からも目の前の剣は諦めるしかなかった。
「あーどうしよ、マジで」
剣のない剣士。
いや、剣豪でそんな感じの奴もカッコイイかもしれないけどさ。
俺はやっぱり盾だからな。
剣は持ってた方がいい。
◆◆†◆◆
「どうだった?」
「駄目だった。シェリカは?」
「これ買ってみたけど。どう?」
向かいの店から出てきたシェリカと落ち合ったのはフィーロは、シェリカから渡された剣を受け取った。
「重さはいいな」
「脅して負けてもらったんだけどさ」
「いや待てなにしてんのさ」
「だってセクハラしてくるから」
「殺してないだろうな……」
「失礼ねっ。そこまでしないわよ! 壁は焦がしたけど」
「魔術使ったのか……」
どこへいっても騒動を起こしてくれますね、ホントいい迷惑ですお姉様。
まあ向こうにも非はあるようだし、貰えるもんは貰っておくというのがフィーロの主義だ。有り難く受け取る。
こいつがちゃんと保つかどうかが最重要なんだけどね。
リーンゴーンと鐘が鳴ったので、中央区の時計塔を見上げる。午後六時。気付けば空は茜色に染まっていた。夏なので、日が高いから、時間を忘れかけてしまう。
「夕飯、どこ行こうか」
「フィーロとならどこでもいいわ」
「それが一番困るんだよなぁ」
反応にも、決めるのにも。
まあ幸いにしてここには料理屋も多い。犬も歩けば食事処にぶつかるレベルだ。適当に探せばいいだろう。
暑いし、辛いものがいい。ああでもシェリカは辛いの駄目か。双子なのに好みが違うのはやっぱり困る。極力シェリカの味覚に合わせるようにはしているんだが。
「――おい聞いたか。ついにサンドラの街が封鎖だってよ」
「ああ。なんでも化け物が現れて一夜で全滅だって噂だぜ……」
「ここも物騒だよな。辺境拍もそろそろ潮時じゃないのか?」
道端の会話が耳に入る。
サンドラ。確かセドアの隣だ。
「最近多いみたいね」
シェリカは前を向いたままだった。フィーロも前を向き直る。
「依頼と関係あるのか?」
「わかんない。そこまでは」
「あそこは治安がもともとよくない。アガタ国は領土を拡げすぎたんだ」
フィーロの故郷はそうして滅びた。
アガタ国王は広がった領土を配下の者に領土として与え、納めさせた。国王の信任の篤かったセムレクタ伯爵の計略で、ガハルド・バレーンは辺境伯に地位を落とされた。それが発端というわけではないだろう。もともとガハルドの評判はよくなかった。
ずさんな統治は悲劇を生んだ。それがフィーロの住んでいた町の惨劇だったのは言うまでもない。
国が憎いとか、辺境伯が憎いとか、そういうのはあまりない。最近まで忘却していた身だ。そんなことを言える立場でもない。
つーか今回は事情が違う。
化け物。
化け物だ。
人というわけじゃない。だからなにかが違うわけでもないけれど。今さら過去を引き合いに出しても仕方がないのだ。大体、これは俺が自分で向き合わないといけないことなのだから。
「あ、フィーロ。あそこはどう?」
袖をくいっと引っ張られた。シェリカが指差したのは唐辛子が描かれた看板の店だった。唐辛子って。
「お前あれ辛いぞ」
「フィーロ辛いの好きでしょ?」
「お前は苦手だろう。わざわざ自分が苦手な店を選ばなくてもいいよ」
「でもフィーロだっていつもあたしに合わせてくれるじゃない」
「俺はいいんだよ。そうしたいからそうしてる」
「はぇ……それって……その……」
シェリカは言い切らずに俯いてしまった。怒ってしまったのだろうか。その方がこっちとしては我が儘姫と争わずに済むからという理由が見破られたか。やばいそれ俺死んじゃう。
ばっとシェリカが顔を上げた。顔が茜色に染まっていた。それは夕陽のせいだろうが、目が少し潤んでいるのはなんだろう。染みたのか。
「じ、じゃあ、今日はあたしがフィーロに合わせるわっ」
「お……おう?」
「だから今日はあそこ!」
「いいけど……」
どういう風の吹きまわしやら。
まあいいか。我が儘姫の今日の所望だ。わざわざ反対して拗らせるのはよろしくない。
さて、吉とでるか凶とでるか。
夕飯一つでとんだギャンブルだ。
やけに上機嫌なシェリカの背中を見つめながらフィーロは肩を揺らした。
◆Ganache◆
「今頃はラ・ドーマで宿泊中か……」
珍しいくらいに静かな自分の部屋の窓辺に腰掛け、燦然と輝く双月を眺めた。
フィーロとシェリカが出ている間、ガナッシュは療養中の身だ。
外傷はほとんどないし、むしろその面ではフィーロのほうが酷いくらいだったのだが、やはり神具の多用が原因だろう。どうにも力が入らない。筋肉が弛緩している気分に近い。それだけとはいえ、実状は生命力自体が弱まっているのだ。しばらくの戦闘行為は禁止とされた。
《聖体の秘蹟》はやはり魔剣なのだ。
魂を喰われる感覚が慣れつつある今だとあまり実感はないが、最初は酷かった。吐き気に襲われたこともしばしばある。なにか大切なものをごっそり奪われる感覚。これに慣れはじめていること自体が間違いなのかもしれない。
ガナッシュはそれでも構わなかった。
自らの魂をかけても成し遂げなければならないことがあるのだから。
それで死んでしまったとしても、後悔はない。
ただ、仲間はどう思うのだろう。
《カタハネ》は。
最初は、クランは既成の有名なクランに入ればいいと思っていた。成り行きでフィーロを知り、あいつを中心に稀有なほどの逸材が集まった。優勝候補であった《ランプ・オブ・シュガー》にも勝つほどの面子。
相性はよくない。
仲がいいのは一部で、女子なんか小戦争している。主にフィーロが原因で。最近では違うクランやらも入り混じっている。
ただ、愛着もある。半年とはいえ、多くのことを知った。まだ知らないことも多いけれど、仲間という感じだった。
どちらかを選ばないといけない瞬間が必ず来る。
ボクは迷わず選べるだろうか。
自分自身の願いを。
それはイリアのためでもあるのだから。
迷ってはいられないのだ。
こんな感傷に浸ってしまうのも、心が擦り減ってる証拠か。
「――あーけーろぉぉぉぉッ……!!」
「うえ……!?」
いきなりドアを叩かれた。しかもドドドドドドと恐ろしいくらいの連打だ。なんだ。なんなんだ!?
「あーけーてーよぉぉぉぉぅぅぅ」
怖い怖いなんだこれは。
放っておいたらドアが破壊されそうなので、鍵を開けドアノブを引いたら瞬時に飛びのいた。
「うへやっ……!?」
バンと叩き開けられたドアと一緒に人が倒れ込んできた。よかった。なんかこうなる気がした。
倒れていたのはリリーナだった。
なんだこの上級生。
「いてて……あ、ガナッシュ君こんばばんわっ」
先ほどのドアの連打は忘却したらしい。便利な脳みそだ。
「どうも……なんです? フィーロなら」
「それだよ! フィーロ君はっ!?」
鬼の形相でつかみ掛かってきた。すごい怖いんだけど。
というかフィーロの奴。
またあいつか。今度はなんだ。
「フィーロは帰郷してますけど……ボクがこれだからクランの活動はしばらく置いてるんです。他の面子も自由行動のはずですけど」
「どこに行ったの!?」
「いや、確かセドアって言ってた気が……地理は得意じゃないんでどこかは知らないですけど。急用ですか?」
「まだデートの計画話し合ってないの!」
どうでもいい。
死ぬほどどうでもいい。
「帰ってきてからでいいんじゃ……」
「よくないよっ! 明々後日の夏祭りに誘おうと思ってたのに……」
「ああ、生徒会主催の……帰ってこれないんじゃないですかね」
「……人生終わった」
「はやっ……」
悲壮感漂うリリーナ。珍しい姿とはいえ見たくないものだった。
というかこれフィーロ悪くない。単にこの目の前の女が頭おかしいだけだ。生徒会長か。これが。どうなってるんだこの学園。
「あーごめんねーリリーナ来てない?」
「シオン先輩……」
ひょいっとドアの向こうから顔をだしてきたシオン先輩は、倒れ込むリリーナを見て溜め息を漏らした。心底深い溜め息だった。
「うわー最近ホント変に拍車がかかってるわ……ほら、なんて格好してんの」
「ジオンぢゃぁぁぁん」
「うわ汚っ。鼻水つけないでよ」
「ブィーロぐんがぁぁぁ」
「あの子帰郷中でしょ?」
「なんで!? なんでシオンちゃんなんで知ってんのさ!」
「なんで言い過ぎ。いや、てか前に言ってたじゃん。故郷に一度顔出しに行かないといけなんでーって。あんた聞いてなかったの?」
「うぐぅ〜……」
「あーデートのことで頭いっぱいだったかー。ホント馬鹿ねー最近。色ボケしすぎ。仕事しなさいよ仕事」
「だってぇ……」
「だってもへったくれもないわよ。生徒会にあんたのお守り扱いされてあたしなんか文句言われんのよ? もう少し生徒会長の自覚とか持ちなさいよ」
「持ってゆよ」
「持ってなさそうな噛み方ね……とりあえず戻るわよ。ガナッシュ君に迷惑でしょ。ごめんね?」
「……いえ」
とっとと連れ帰ってくれればなにも言うまい。
シオンはリリーナの首根っこを掴んで引きずった。世にも奇妙な光景だ。
「あ、そだ。実際のところ弟君いつ帰ってくんの?」
「あー依頼込みでの帰郷ですし。そんなに長くはないとは思いますけど」
「一週間ってところかしら。祭は無理ね」
「多分。片道は一日半だそうですし」
「だって、リリーナ。祭以降に頑張りな」
「…………世界の終わりだ……」
「言い過ぎ」
美少女と謳われているはずのリリーナの顔がすごい歪んでいた。なんというか、死人みたいだ。顔が青い。
シオンも大変だ。あれのお守りはボクなら放棄する。というかムリ。
しかしフィーロも大変だな。濃い女にばかり好かれている。ボクはイリア一筋だからいいが、あいつはホントどうするんだろうな。願わくばいい巡り合わせに出会ってほしいものだ。なんというか不憫すぎて。
嵐が過ぎ去ったような静けさを取り戻した部屋に立ち尽くし、ガナッシュは女難な友人に心の底からエールを送った。