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すばらしきかなこの世界  作者: 蝉時雨
第一章 クランコンテスト編
42/54

第一章(41) 始点

◆Outsider◆


 それは、彼にとっては誤算だった。

 未熟な生徒が召喚したとはいえ希代の魔王を倒しうる者が存在するとは思わなかった。留意すべきヴァイス・ラックウォーンは賊刃王クトゥルフの秘剣を持ちうるが、王亡き今のあれはおおよそ全盛の力を持たない。魔王を死に至らしめるには不十分な代物だった。

 油断していたのだ。

 まさか紅眼の一族の血を受け継ぐ者がいたとは思わなかった。それもまさか精霊王の力を持つあの女の弟。この因果は一体何か。彼は頭を抱えるしかなかった。

 今となっては彼の何よりの優先事項は安全なところまで逃げ延びることだ。

 バングルデン首長国まで行けば、あそこには同志がいる。そこで保護してもらえば、身の安全は保証されるはずだ。

「――どこに行かれるのです?」

 凛と、どこまでも冷ややかな声が彼の背中を刺した。

「それともこう言うですか? 逃げられるとでも思いですか、キール先生」

「イネス……ラトクリフ」

 《冷滅の麗藐姫》と謳われた魔術士は一片の笑みすらなく、ただ冷ややかに彼を見据えていた。彼、キール・マスケインにはそれは死を連想させるものでもあった。

「誤算でしたか? この学園に《精霊殺し》がいたのは」

「ふ……そうですね。誤算でしたよ。それで、その何でも知りうる貴方はどこまで気付いているんですかね?」

「おおよその貴方の目的くらいは。《クロムウェル》の幹部にのし上がろうとこの学園を危機に陥れるとは滑稽過ぎて笑えませんね」

「《贄の書》には使役紋を刻んでありましたからね、召喚が出来ていればあとはどうにでもなった。ただ受肉したせいで効力は弱まりましたが」

 キールは肩を竦めて見せる。余裕ある態度の裏腹で、逃げ出す機会を伺うものの、さすがに目の前の女は隙を見せない。彼は舌打ちを堪えた。

「それで精霊王の力を奪い、あの人に献上するという魂胆ですか。そのために生徒を一人犠牲にしたと」

「三流の魔術士がどうなろうと知ったことではないですね。それこそ、そこまで解っていた貴方もまた同罪なのでは?」

「一緒にしないでください」

 鋭く言い放つイネスの眼光は鋭く光った。

「魔術士は自らの行いに責任を持たなくてはなりません。彼が行ったことは彼が負うべきものだった」

 イネスは知っていた。一介の生徒が《贄の書》を使おうとしていたことを。そしてあえて止めずにいた。そこには彼女の目的があり、そして彼女もまたいずれその責を負わなくてはならないことを理解していた。

「……彼の行いは確かに幼稚でくだらなく、非道でした。ですがそそのかしたのは貴方です。その行為もまた責任を負わねばなりません」

「何を……」

「貴様は教師の身で生徒を死に追いやった。その罪は贖わねばならない。そう言っているのだ」

 キールの背後から、猛々しくも冷徹な声が響いた。

 それもまた誤算だった。

 彼は知らなかったのだ。

「ヴァイス……先生……?」

「伊達や酔狂でこの刃を手にとった訳ではない。魔王を殺すことは叶わなくとも、魔術士を殺すことは容易だ」

 賊刃王クトゥルフの秘剣《切り刻む王者の牙エングリーヴサルクス》は魔術士殺しの刃。ヴァイスがそれを持っていたのは偶然ではない。

 全ては繋がっていた。

 それを彼は知らなかった。

「ここは学園だ。貴様は教師の倫理から外れた外道だ。ゆえに処断する」

「な……馬鹿な……イネスッ……貴様は……!」

「今は俺が喋っている。貴様の遺言は聞かん」

 王の牙の獅子の紋が雄叫びをあげる。それは魔力ではない。逆刃王の怨嗟の慟哭。最愛の家族を奪われた悲痛の王が鍛え上げた呪いの刃。その呪いは持つ者をも蝕む。それでも手に取る理由がヴァイスにはあった。

 キールは恐怖する。彼は本物だ。逆刃王の呪いを受けてなお勇名を轟かせる《剣狼》ヴァイス。その意味を考えるべきだった。魔王すらも凌駕しかねないその力。それをあの堕ちた魔王に使わなかったというその意味を。

「そうか……やはり貴様は……! イネス……! 裏切り者め……! 我らが王の崇高なる願いをばぁあ……!?」

「喋るなと言っている」

 ヴァイスは一瞬の踏み込みで、キールの身体を袈裟掛けに斬った。

 剣豪の必殺の一撃で、崩れるように倒れたキールは口からあぶくを吐きながら、焦点の合わない目をさ迷わせていた。彼が何を見ていたのかは、すでにヴァイスには関係がなく、微かに伸ばそうとした手も、煩わしいだけだった。

 だから留めを刺した。その外道の身体に牙を突き立て、逆刃王の新たな墓標とするために。

 絶命したキールの身体から剣を抜き、鞘に収めたヴァイスはすぐに膝を突いた。彼とてその剣の真価は身体に負担がかかりすぎる。

 イネスはすっと手を伸ばした。

「すみません」

「いいえ。ご苦労さまでした」

「これでひとまずは解決したのですか……」

「むしろ、始まったというべきです」

 そう。何も終わっていない。むしろこれから動くのだ。

 奴が。

「アルフレッド……クロムウェル……」

「貴方とわたしは一蓮托生……今回のこともいずれは……」

「構いません。俺は……奴を殺せればそれでいい」

「そうですか……そうでしょうね……ただ……復讐は身を落とします。それでもやはり?」

「もうすでに俺は引き返せない。なら、進むしかないのですよ」

 そのために生徒を利用することになったとしても。

 ヴァイスもまた、人に外道と言えるほど正道を歩めてはいない。自らを外道だと知っている分おそらくはキールよりも質は悪い。それでも自らの意思は曲げられない。

 ただ、自らがそうであるように、あの男にも確固たる意思がある。

 フィーロ・ロレンツ。

 お前はどういう選択をする。

 あの人の血を受け継ぐお前は、どんな道を選び取るのだろうか。

 自分にそれを問う資格はない。だけど、いずれ選ぶであろうその選択を、自分は認められるだろうか。未だ見えぬ答えが、ヴァイスを悶々とさせた。



◆Firo◆


 なんだか身体が重い。

 疲労とかそういう内面の重さじゃなくて、物理的に。

 意識が浮上してきた時、フィーロが感じたのはそれだ。

 どうにも既視感を感じる。というか嫌な予感しかしない。自分はこの嫌な予感を回避するために目が覚めたと言っても過言ではないだろう。

 目を開けたらクロアがいた。

 ザ・貞操の危機。

「………おはよう」

「……ああ、おはよう」

「………残念。実は夜」

 だから何?

「………残念賞の貴方にはわたしの××(ピー)をプレゼント」

 珍しく妙に饒舌でフルスロットルなお方だ。もはや自主規制すら意味を成さない。なんだこの娘。なんなのホント。

「とりあえず降りない?」

「乗られるのは嫌?」

 それはどういう意味での乗るなんでしょうか。怖くて聞けない。というか聞いちゃいけない気がするよ。

 お願いまだ純粋な俺でいさせて。

 とりあえずクロアは降りてくれた。と思ったら横に寝転んできた。

「何やってんの?」

「………こうすればきっとフィーロはわたしを襲いたくなる」

「なりません」

「………なら襲う」

「なにそのデッドエンド」

「………大丈夫。わたしも初めて」

「ごめん。何が大丈夫? つーかとっととどいてくんない? その」

「………興奮する?」

「ちげーよ!」

「………でもここは正直」

「うわぁぁぁぁぁやめろぉぉぉぉぉッ!」

 それは寝起きだから! 目覚めるとそうなるの男の子は! だから決してやましい気持ちがあるとかそういう……

「大丈夫フィーロ!!」

 バン、とすごい音で扉が開かれると同時に色々なだれ込んできた。いや、つーかそっちが何事か。

「このムッツリ女! フィーロに何しようとしてんのよ!」

「………ただの添い寝」

 嘘吐け。

「嘘吐くんじゃないわよ! 大体お見舞いは一人三分、あたしは五分て決めたでしょ! もう五分経ってるわよ!」

「シェ、シェリカちゃん、違うよみんな五分で……」

「あん?」

 ユーリの抗議はシェリカの一睨みで一蹴されるかと思われたが、なぜか今回は違った。

「うう……こ、ここ今回はま、負けません! みんな五分ですっ!」

「く……」

 逆にたじろぐシェリカ。なかなかない光景だ。なんだこれ。

 つーかなんだこれ。

「お目覚めか、フィーロ」

「おーガナッシュ。これどういう状況?」

「女子連中がフィーロの面会時間で揉めていた。一人五分。それ以上は強制介入らしい」

「ごめん意味が解らない」

 なんかのゲーム?

「ま、そういうこと。今レイジにアメリア保健医や他の先生にお前が起きたことを伝えに言ってもらってるよ。もうすぐみんな来ると思う。……そういうことだからクロア、降りてあげてくれ」

「………チッ」

「……相変わらずだな」

 渋々、というか憎々しげにガナッシュを睨んで舌打ちを残してフィーロのベッドから降りる。

 状況から察するに、ここは保健室のようだ。

 時計を見ると、三時前。日が出てるから午後か。

 しかしなんでここに。

「ああ、そうか。俺、ぶっ倒れたんだったな……どれくらい寝てたんだ?」

「五日寝てたぞ。塞いだ傷が開いていたし、全身ボロボロだった。ボクより酷かったんじゃないか?」

「マジかよ……ああ、敵は」

「ちゃんとお前が倒した。ただ……召喚で憑依された生徒は……」

「……憑依?」

 よく解らず、くびを傾げるフィーロに、ガナッシュはかい摘まんで説明をしてくれた。あれの触媒が人で、それがうちの生徒であったことを。

「そっか……俺、人を……」

「いや、あれはもう仕方がなかった。助かる可能性は零だったんだ」

「……うん。いや、いいんだ。俺はそういうのは背負っていくって決めたから。少し、あれだけど」

「そうか」

 ガナッシュはうっすらと微笑んだまま、それ以上何も言わなかった。察してくれたのだろう。いい奴だホント。

「フィーロっ」

「な、なんだよシェリカ」

 ベッドに手を突いてずいっと近寄って来るシェリカ。

「その……もう……大丈夫なの?」

「なんだよ、らしくないな。大丈夫だよ」

「よかった……」

 気持ち悪いくらいしおらしいシェリカに苦笑しながらも、むしろシェリカが無事であったことに安堵した。

 俺の世界はこうも愛おしい。

 自らの感情に初めて名前を付けられた気分は、どうにも気恥ずかしくて、ごまかすように頭を撫でるくらいしか出来なかった。

「……フィーロ。いちゃつくのはいいが、後ろの面々が睨んでるぞ」

 ガナッシュが咳ばらいをして親指で背後を指し示す。

 その先にはメラメラと燃えるオーラ的なものが一瞬見えた。超怖い。鳥肌立ったよ今。

 などと震えている間に一気に詰め寄られる。

「わ、わたしも心配してましたっ……その、あの、だからっ」

「いやユーリ……?」

「………むしろわたしが目覚めさせた。ご褒美を求める」

「クロアも何を……」

「ユーリに触れたら殺す」

「ヤベーよモニカさん冗談だよね?」

「冗談で喉に槍は突き付けない」

 死の危機を再び迎えるというこの状況に戦慄を覚える。

 ガナッシュに救いの目を向けたところ、目を逸らされてあっさりと見離されたため、これはもう今日死んじゃうのかもしれない。なにそれ。

「ほいほーい。通してなー」

 そのよく解らん紛争地帯を軽々とくぐり抜けて来たのはなぜかレイジだった。その腕には籠を抱いている。

「ほいフィーロ。見舞いの品やで。オレの気持ちが詰まったアポーや」

「ガナッシュそれ捨てといて」

「ああ」

「ひどない!?」

「俺の危機的状況をスルーするお前の方がひでぇよ変態王」

「あれ昇格してんやん。王子から王やん。キングやん。なんかちょっと嬉しい」

 どうやらこいつの中で、琴線に触れるものがあったらしい。末期のようだ。手のつけようがない。

「あ、フィーロ君。よかったぁ……」

 またまたひょこっと現れたのはモランだった。ベアトリーチェやロリエたちもいる。

「モラン、どうしたんだ?」

「お見舞いだよ。フィーロ君が目を覚ましたっていうから。それと、はい。寝起きはお腹空いてると思って……」

「モランがいつでも目覚めてもいいよにと毎日作ってた粥ですわ。味わわないと重罪ですわよ」

「り、リーちゃんそんなこと言わなくていいよっ」

「そうか……悪いな。いただくよ」

「温めなおしただけなんだけど……」

 モランから盆を受け取って、お椀の蓋を開ける。確かに温めなおしてくれたようで、湯気がもわっと膨らんだ。正直、腹は結構減っていた。とてもありがたい。

 蓮華を手に取り舌鼓する。

「どう……かな?」

「美味しいよ。ありがとう」

「ホント? よかった、嬉しいなぁ」

 綻びた表情を見せるモランに、フィーロも自然と幸せな気持ちになる。すごい癒し系。どうしよういっそ嫁に来ないかな。粥より笑顔が美味しすぎる。

「なあフィーロ。なんやオレと扱いちがわん?」

「あれまだいたの? 早く変態王国に帰れよ変態王」

「辛辣すぎひん!?」

「――フィーロくーん!」

 変態王にお帰りを願っていると、再び保健室の扉が開かれる。今度は誰だと思えばリリーナさんだった。なぜかメイド服姿だった。いやなんで。

「リリーナさん……どうしたんです?」

「だってやっとフィーロ君が目覚めたから!」

 それでメイド服の結論には絶対に至らないはずだ。

 どう答えればいいのかと悩んでいると、リリーナさんは何やらゴソゴソとしていた。首を傾げていると、リリーナさんが向き直った。

「ご奉仕しますにゃん♪」

「ぶはっ」

 粥が鼻から零れた。いてぇ。

 これは仕方ない。ネコミミと肉球を嵌め込んだ謎の生徒会長を前に、吹くなというほうが無茶。

「ご奉仕しま」

「いやいいっす! しなくて! なんかごめんなさい!」

 思わず謝罪してしまった。悪いことはしてないはずなのに、この背徳感は一体なんなんだろう。なんていうか、死にたくなるレベル。そもそも見る人が見れば死ぬ前に殺されるのでは?

「むー……もしかして嫌なの?」

「いえ……そうじゃないですけど……」

「フィーロ君は……ネコミミ派なんだね」

「え、いや違うよ!? 待ってモランそれ誤解!」

 ミミっていいよね! ネコミミイヌミミロップイヤーまでなんでもござれですよ! 

 なんだか心中でとんでもない暴露をした気がする。

「ネコミミ嫌なの……?」

「いえ嫌とかそういうんじゃなくてですね……」

 なんだこの一触即発。訳がわからんよ。誰か助けて。

「その辺にしといてやれよ、リリーナ」

 救世主登場。

 訪問者多いなとか思ってたけど、いやホントこの人来てくれてよかった。

「エ、エリックせんぱぁい……」

「そんな潤んだ目で見るなよフィーロ。キュン死するぜ、周りが」

「助かりました」

「そうか。……で、どっち派なんだ?」

「それはもういいっす!」

 救世主、まさかの裏切りだった。

「でも目が覚めてよかったよねー」

「ああシオン先輩。どうもっす」

「君が寝てる間リリーナったらずーっと上の空でさ。仕事も手付かずだったんだよ?」

「うわわわぁ!? やめてよシオンちゃん!」

 リリーナさんは顔を真っ赤にしてブンブン手を振り回していた。なんだこの可愛い生き物。

「事実じゃん?」

「い……いタってフツウだッたヨ!」

「噛みすぎ」

「うぅぅ……もぉ! これでもフィーロ君の前ではしっかり者で通してるんだよっ!」

「え……そうだったんですか?」

「酷いよ! フィーロ君が酷い子だよ! シオンちゃぁん……」

「あーよしよし」

「あれ、これ俺のせい?」

「やっちまったなぁ」

「ええぇ……」

 救世主まさかの二度目の裏切りだった。

「えーと……ごめんなさい」

「うん……デート一回で許してあげる」

「はい……あれ? デート?」

「うん。ダメ?」

「ああいえ……いいですけど」

 なんでそうなったんだろう。いまいち釈然としなかった。

「フィーロ・ロレンツ!」

「ハイ! ……なんでせうベアトリーチェさん」

「モランにお礼はないんですの?」

「り、リーちゃん」

「ないんですの?」

「あ、はい。もちろん俺の出来る範囲で……」

「では、デートですわね」

 なんでそうなる。

「リーちゃんそんな……」

「何言ってますの。ここでアピっておかないでどうするんですの」

「そ、そんな大きい声で……」

 困惑するモランに捲し立てるベアトリーチェ。これはどういうことなのかさっぱり解らん。さっきから解らんずくしだ。

「何の話?」

「貴方には関係あるけどありませんわ!」

「え、どっちだよ」

 あんの? ないの?

「とにかく、よろしいですわね!」

「あ、うん。それはモランがそれでいいなら全然いいけど……」

「わ、わたしは全然いいよ!」

「あ……ああ解った」

「ちょっとフィーロ!」

 もう言い争いは収束したのか、シェリカが詰め寄ってきた。

「さっきから何よデートデートって!」

「いや、俺にもよく解らんが……」

「あたしもするわよ!」

「はい?」何言ってんのコイツ。

「するわよ!」

「二度も言わんでえー」

「ず、狡いです! その、わたしもしたいですっ」

 ユーリがベッドに手を突いてくる。ちょっとヤバイそれたゆんたゆんヤバイ――ジャキン。

「それ以上は殺すのだわ……」

「はい、ごめんなさい」

 ヤバいのは俺の命だった。

「つーか……クロアは何?」

「………わたしも」

「うん?」

「………大人のデートがしたい」

「普通でいいんじゃないかな?」

「………普通の大人のデート」

「大人取れ」

「てゆーかどきなさいよ! フィーロはあたしのものなのよ!」

「ものとかぁフィーロ君に酷いと思うなー」

「わたしもフィーロ君の……その、同じクランですしっ」

「まぁまぁ、シェリカちゃん。みんなデートしてもらえばいいんだし……出来ればわたしだけがよかったけど……」

「………散るのはお前ら。フィーロの×××(ブブー)はわたしのもの」

「フィーロ君の×××(プープー)……!?」

「ユーリ、そんな汚い言葉使っちゃダメなのだわ! はやくうがいを……!」

「ふざけんじゃないわよ! フィーロはわたしのものなんだから、×××(バッキューン)はわたしのものよ!」

「うぅぅぅぅるせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」

 臨界点に達しました。

「俺は! 起きたばっかなの! デートでもなんでもするから、ちょっとは静かにしろぉぉぉぉッ……!」


◆◆†◆◆


 フィーロはのそっとベッドから降りて、保健室を出た。少し外の空気を吸いたかった。日も完全に落ちて、もう日が変わる頃になっていた。

 結局保健医のアメリア先生に検査をしてもらったりしていたら、夜になったのだ。傷はあらかた治っているのだが、大事を取って今日は保健室に泊まることになった。

 あの後も結構訪問客があった。バルドあたりには「今度本気でやり合え」などと言われたから丁重に断った。

 ヴァイスも担任だからか様子を見に来たが、なぜか神妙な面持ちだったのは印象的だった。なんか責任でも感じているのだろうか。ないか。有り得ない以前に気持ち悪いわ。

 ついでに言えば、当然のごとくクランコンテストは中止。原因は「生徒の魔術の暴走」とされた。間違ってはいないが、それで非難を浴びる生徒はもうこの世にはいない。異例の事態に生徒は困惑していたらしいが、夏季休暇に生徒会主催で有志のイベントを設けるとのことで納得する形となったらしい。

 亡くなった……いや、俺が殺した生徒は後日正式に葬儀の場を設けられるという。もちろん事実は隠されているのだから、俺の罪もまた不問とされた。全体を鑑みれば、向こうにも非はあったらしいが、それで俺の罪が消えるわけではない。わだかまりは残るが、ただこれは俺が背負い続けるしかないのだろう。

 そんなもやもやがあったのもあって、外に出たい気分になっていた。

 ちなみに保健室は面会謝絶にしてもらった。昼間のあれをもう一度体験しろと言われたら俺は舌を噛み切る自信がある。もうやだあれなんか怖い。

 とはいえ、保健室の外はそういうわけではない。

「あ、フィーロ……」

「ど、どうしたんだよ。そんなところで……風邪引くぞ?」

 出入口の脇に設置されている椅子に、シェリカが座り込んでいた。うつらうつらしていたので、寝かけだったのかもしれない。

「さっきはその……」

「さっき……ああ、あれね」

「怒ってる……?」

「もう怒ってないよ」

「本当……?」

 時折見せるこういう表情が、シェリカの一面なのだとすれば、きっと気丈に振舞っていたのは俺のせいでもあるんだろう。そう思うと罪悪感が募る。

 フィーロは少しわざとらしく肩を竦めてみせた。

「嘘吐く必要はないだろ。それよりホントどうしたんだ? まさかずっとここにいたのか?」

「うん。フィーロ一人だと寂しいと思ったから」

「それマジで言ってんの?」

 逆だろ、とは言わないでおく。後が怖い。

「あと、ちょっと話したいこともあった」

「だったらノックすりゃ……」

 言いかけて、やめる。

 シェリカなりに気を使っていたんだろう。あまりそういうのを気にしないことが多い彼女だから、少し意外だった。いや、それもまた――考えるのはよそう。思いつめすぎたところで、シェリカが余計に傷付くだけだ。

「少し外行くか」

「うん」

 自然と指が絡む。

 そんなの、いつ以来なんだろうか。

 懐かしく思う半面、その追憶が胸を締め付けた。

 外は昼間よりは涼しかった。風が微かに夏の匂いを含んでいる。

「もうすぐ夏期休暇か……」

「そうね」

 クシュン、とシェリカが小さくくしゃみをした。フィーロは上着を脱いで、シェリカに羽織らせた。

「ありがと」

「いいよ」

 二の句を継げず、二人とも黙る。ただ、気まずい沈黙ではなかった。

 しばらくして、フィーロは舌で唇を潤した。小さく咳ばらいをする。

「俺さ、一度帰ろうと思うんだ。孤児院と……あと俺たちの家に」

 きっとシェリカもそのつもりだったんだろう、無言で頷いた。

「ロレンツは、便宜上だと思ってた。けど、違った。顔を知らないのは母親じゃなくて父親だった。忘れちゃいけないこと、色々忘れてたんだよな、俺」

「そんなことない……フィーロはあたしを守ってくれてたもの」

「守れてたかな?」

「あたしが言うんだもの」

「そうか……よかった」

 母さんを守れなかった。何もかもを失って、それでも母さんとの約束だけは守らなければならない。そんな思いだけはこの中に残っていた。

 それは嬉しくも、悲しいものだった。

「あと、ごめんな」

「え……?」

「剣。せっかく貰ったのに半年も経たずしてぶっ壊すとかさ……」

「いいわよそんなの。フィーロがあたしを守ってくれた証だし」

「それは……気恥ずかしいな」

 何かが変わった訳ではないのだ。

 敢えて言うなら、これで元に戻った。あるいはスタートに立った。そんなところなんだろう。だから余計にこそばゆい。

 ただ失ったものを取り戻し、自らの思いのために戦った。

 成長などしていないし、前に進んでもいない。

 ぶっちゃけ歯がゆさのほうが大きいくらいだ。

 それでも俺の世界はここにいる。

 だからこの命が続く限り、俺は世界のために剣を取るのだ。

 他の誰のためでもない。

 ただ自分のために。

 それが唯一もう会えない人とを繋ぐ絆だから。

 そのためにまずは、

「剣、新調しなきゃなー……」

「次はうんとカッコイイのにするわよ」

「丈夫ならなんでもいいけどな」

 はにかんむように微笑んでみせると、シェリカも微笑んだ。月に照らされたそれはとても美しかった。もちろん口には出さないけれど。

 明日もまた、その笑顔を見られるように。

 フィーロは空を見上げ、燦然と輝く二つの月に祈った。



◆Unknown◆


 そこは煌びやかなで、荘厳な場所だった。

 叢魔煉宮の中でもこの部屋は彼のお気に入りの逸品が揃えられているのだから当然である。重厚な天樹で作られた玉座は、彼に相応しく神々しく輝く。

「――織巴オリハ、贄の獄域への扉はどうなった?」

「はい我が君。すでに閉じられたようです。しかし未だに空間に綻びが目立ちます。再度開くのは容易でしょう」

「フ……下らぬ些事と思い捨て置いたが、存外役に立ってくれるではないか」

 名も知らぬ劣等種にしては、なかなかに役立ってくれた。よもや贄の獄域とこの世界を繋いでくれるとは。

「褒美をとらせますか?」

「死人にか? 馬鹿馬鹿しい。それに、たかがこの程度で褒美などくれてやる価値など劣等種にはない」

「申し訳ございません。わたくしが浅慮でした我が君」

「よい。まあ、役に立ったのは事実だ。来る日には少々手を差し延べてやってもよいだろう」

「その者も我が君の深き御心に平伏すでしょう」

「さて……しかし面白い見世物ではあったな」

「贄の女王ですか?」

「影獣を質量化し、肉体に埋め込んだだけで黒魔術を騙る三流魔術師が魔王を名乗るなど甚だ不愉快ではあるが……劣等種よりは魔導を心得ていたからな。それを打ち倒す者がいるとは思わなかった」

「……精霊殺し」

「赤き月の民の末裔が存命だったことは驚きだが……精霊王の末裔まで見つかるとはな。思わぬ収穫だった」

 クックッと喉を鳴らす。

 幾千の時の中で、どうしても退屈ばかりを感じる今日日にあのような面白いものを立て続けに見られるとは愉快でならなかった。最後は待つだけの人生には余興も必要だ。

「大分形は変わったが……我の玩具もあったしな」

「玩具、ですか?」

「あれはまあ、劣等種には荷が勝ちすぎているが……いずれ回収するとしよう。さて、それよりもまずはさっそく再度扉を開ける仕込みをしようではないか。今となっては幾人かの魂で十二分に開ける」

「贄の獄域にですか? ですが……」

「元より彼の地には繋ぐ必要があった。この手であの女を排するのは少々面倒だったが、それは他の者が成してくれたからな。ありがたいことだ。……織巴、贄の獄域がどういう地であるか解るか?」

「いえ……」

「この世界は葡萄のように幾多にも別れる無数の世界の一つだ。その中で、贄の獄域はあらゆる世界の膿となる世界だ。言わば肥溜めよ。ならばその世界は逆に、あらゆる世界とも繋がる。例えば……三千大千世界の権化たる《天津虞然アマツグゼン》、などな」

「神々の……領域」

「あとは大羅天の最奥、羅生門をこの世界に引き摺り下ろさねばならん。が、あそこは古龍の領域だ。神よりも厄介ゆえ、いささか梃子摺るだろうな」

「心配には及びません我が君。そのためのわたくしなのですから」

「そうだな。御前がいれば憂いは無用だ」

 女は頬を朱に染め、彼を見つめる。この女は花だ。美しく、儚い。枯れるまで愛でる。枯れれば、捨てるのみだ。それでもこの女は喜んで枯れるだろう。その一生が彼に愛でられ捨てられるためにあるかのように。

「では一刻も早く扉を開かねばなりません。我が君の大願成就のために」

「逸るな織巴。そう焦らずとも、物事には順序がある。その順序に従えば運命はそうそう変わらぬよ」

「申し訳ございません……あまりに嬉しくて」

「織巴、御前は佳き女だが、少々気が逸るな。それもまた御前の魅力だが」

「我が君……」

 顔をさらに赤く染めるその女の姿に、彼は唇を吊り上げた。

 彼の一言一言に一喜一憂する様は滑稽。それゆえに愛おしい。花は咲き乱れる。

 この女は本当に佳き女だ。その力を我がためだけに使うのだから。愛でずにはいられない。

「さあ、我が大願成就のために……」

 すべてを始めるのだ。


第二章に続きます。

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