第一章(40) 約束の果て
おおう。すごい時間経ってしまった……。
忘れていたわけではないんですが……いや、言い訳になるんでやめときます。とりあえずお待たせしました。
なんかこればっか言ってる気がするなぁ。まあいいか。←よくない
とはいえようやっと決着です。
長かったなぁ。マジで。二年やってるよコレ。
◆Juli◆
「――ひゃああ!?」
近くに真っ黒で尖った長い変なものが刺さって、地面を揺らした。
「ちょ……危ないわねーあの娘。こちとら一般人よ?」
アメリア先生はシガレットを加えてぼやいた。
もうフィーロ君の治癒は完了していた。傷口と内蔵の修復は滞りない。ただ、治りたてなので激しい運動には絶えられない。とはいえ眠っているからその辺は大丈夫なはずだ。
……。
フィーロ君の寝顔可愛いなぁ。
あ、違う違う。怪我人をそんな目で見ちゃ駄目だ。
治癒士たるもの、患者には誠実であらねばならない。アメリア先生がいつも言ってる……けどアメリア先生別にそんなこともないような……いやでも先生の言ったことなんだから……。
でも少しくらいなら……。
「ユーリ、後ろ!」
「ふあっ!? ちちちち違うんですそんなつもりでは決して……」
「何言ってんの早く逃げなさい!」
「逃げ……?」
後ろを振り返ると、ドロッとした怖い顔の方がおりました。
「――亞ぁ――――」
「ひえぇ」
ぬっと現れたせいで、驚いたユーリはそのまま尻餅を突いた。
「ユ、ユーリ! 今……く、煩わしいのだわ!」
モニカちゃんが遠くで叫ぶ。しかし周囲がドロドロな方々に囲まれていて立ち往生していた。
口とも覚束ない爛れた、ただの穴のようなものがばっくりと開く。食べられてしまう。ユーリは直感でそう思った。珍しく冴えている気がする。
逃げなきゃ……。
左右を見渡すと、増えていた。
地面からボコリと沸き上がるように増えた。
逃げ道は塞がれていた。
尻餅をついたまま後退りして、お尻が何かにぶつかった。ビクッとして振り返ると、横たわるフィーロ君だった。
安心すると同時に反省する。そうだった、フィーロ君がいるんだった。それなのに自分だけ逃げるなんて出来ない。
ドロドロさん(命名)は幸い動きが遅い。体力がないユーリでも逃げられるはずだ。
「ん……しょ……」
重たかったけれど、なんとかフィーロ君を起こして肩を担ぐ。
「ふやぁ……!?」
歩きだそうとして、よろけて、こけた。
予想以上にフィーロ君が重かった。華奢に見えるけれど、体つきはやっぱり男の子っていう感じでがっしりしている。なぜかドキドキしていた。
「――ユーリ……!」
はっとする。
そんな場合じゃない。
ドロドロさんはもう目の前だった。いくら速くなくても、これだけ悠長にしていれば追い付かれても仕方がない。
「汚汚亞亞亞ぁ……」
「あ……や……」
どうすればいいのか、もう解らなかった。
ただ逃げるわけにはいかない。
フィーロ君は置いていけない。
ドロドロさんの手がユーリを掴もうと伸びる。
怖くて、でももうどうしようもなくて、ギュッと目をつむった。
「亞亥ぃィ亥ィィ――――ッ!?」
何かが突き刺さる音と、悲鳴が目の前からして、それきりだった。ユーリは不思議になって恐る恐る目を開けると、針山のように矢の突き刺さったドロドロさんがいた。
一瞬訳が解らなかったけれど、そんなユーリの頭事情はおかまいなしに、さらに矢が大量に飛んできてドロドロさんを突き刺した。
飛んできた方向を向くとクロアちゃんがいた。
背後が揺らめいて見える。というか顔が心なしか怖い。怒ってる……?
「………フィーロには触らせない」
何かを呟いたのち、目にも止まらぬ速さで矢をつがえて放つ。
ドロドロさんはあっとういうまにチクチクさんになった。でもドロドロしてるからドロチクさんかもしれない。
ドロチクさんはそれでもよろめきながらユーリに手を伸ばしてくる。
「や……」
ユーリが声をあげかけた瞬間に、ドロチクさんは真っ二つになった。何が起こったのかまったく理解できなかったユーリは本当にドロドロになって地面に溶け込むドロチクさんを呆然と見ていた。
「間一髪か……」
安堵の息を漏らしつつ近寄ってきたのはスヴェン先輩だった。見れば、残りのドロドロさんも地面に消えていた。スヴェン先輩が助けてくれたんだろうか……?
差し出された手を掴んで立ち上がり、ユーリは土埃を払った。
「怪我は?」
「あ、だ、大丈夫です。その、ありがとうございます」
「恩人に礼を返しただけだ。気にするな」
「は、はい」
ぶっきらぼうな感じだけど、実はいい人なのかもしれない。
「なんだ……?」
「え、あ、いえ! なんでもないでした!」
「なぜ過去形だ……?」
思わずじっと見てしまっていたらしい。慌てて謝ったけれど、スヴェン先輩は眉をひそめていた。やっぱり怒ってしまっただろうか。
「――っ、伏せろ!」
「ごごごめんなさい!」
「だから伏せろと……クソ!」
スヴェン先輩の手が伸びる。とうとう怒らせたのかもしれないと思ってのけ反る。スヴェン先輩の手は空を掴んだ。
スヴェン先輩の表情が歪んだ。でもそれは怒っているというよりは焦っているように見えた。そして視線はユーリではなく、その後ろに向かっていた。
後ろ……?
「――汚 ォ 亞 ア 亞 唖 堊 あ ァ――――」
気になって振り返ると、さっきよりも一回り大きいドロドロさんがいた。
どうしてドロドロさんはいつも後ろに現れるんだろう。もしかしてドロドロさんは変態さんなのだろうか。
ドロドロさんの顔が近付く。ギョロッとした右の眼球がこちらを見つめている。左には何もない。空洞があるだけだ。なのに視線を感じる。どうしてかと思えば、頬のあたりに眼球があった。それもギョロッと動く。動いた。
「ひ……」
さすがに怖かった。
身体が硬直した。
醜い。
ユーリの中で初めてそれが言葉となって表れた。
その容姿の醜さは、普段それほど恐怖を感じさせないユーリにさえ恐怖を与えるものだった。
あろうことか口の中から手が出てきた。ゴキュ、ゴキャ、と変な音をたてている。そんな無理して出さなくてもいいのに、なんで口から。
言ってる間に手はもう目の前まで伸びている。ドロドロの何かが垂れてきて、鼻の上に落ちた。酷い臭い。
「――おおおおぉぉぉッ」
もう手が顔面を覆うというところで怒号のような大声が聞こた。スヴェン先輩の声だと思う。
ただ、
「――……いい加減に……」
その声よりも響いて聞こえたのは背後からの声だった。静かだけど猛々しい、穏やかだけど怒りに満ちた声。スヴェン先輩の声のほうが大きいはずなのに、ユーリの耳には確かに届いた。
それはなぜか胸を締め付けられる声だった。
肩を掴まれて、引き寄せられた。転ぶかと思ったけど、抱き留められた。とても暖かい。視界はまた暗くなったけれど、これは嫌じゃなかった。
「くせーんだよヘドロ野郎ッ!」
怒声。
確かな怒りの声が、響いて、弾けた。
一瞬の静寂はユーリの時を止めたようだった。
なんとなく、このままでもよかった。
でもそうもいかず、引き離される。引き離す手は優しかったけれど、その方が少し悲しかった。
顔をあげる。
ようやく捉えたその笑顔に、思わず涙が零れた。
やっぱり安心するなあ。
「フィーロ君……」
「おう。大丈夫か? 酷い顔だぞ」
顔を擦られる。くすぐったい。
「ガッタガッタ揺れるからさすがに目が覚めたぜ、ありがとユーリ」
「うん、ヘヘ」
ユーリが笑っていると、フィーロ君も唇の端を吊り上げた。
「――ガナッシュ……!」
「――シェリカちゃん……!」
同時だった。
今さっきまでユーリを見て笑っていたのに、走り出していた。物凄く速い。いつのまにか剣まで蹴りあげて掴んでいる。さっきまでのが嘘だったかのような切り替えっぷり。
嘘じゃない。
現に、ドロドロさんは上半身をまるごと消し飛ばされていた。
まるでそこだけ切り取ったかのように、無くなっていたのだ。
スヴェン先輩も唖然としていた。前を通り過ぎるフィーロ君を目を丸くして見送っていた。
というか、駄目だ。あんな走ったら。
言っている間に飛び上がった。
「そんな……まだ……」
傷は完治していないのに。
シェリカちゃんとガナッシュ君を襲おうとしていた黒い球を、剣で払った。速くてもう見えない。
見えないけど、綺麗だ。
微かに光る黒い一閃が、フィーロ君の輝きなんだ。
傷を負っていても、誰かのために戦うフィーロ君。いつも自分は臆病だと言うけれど、本当は勇気ある人なんだ。誰かのために戦うのは、とても大変なことだから。
やっぱり……好きだなぁ。
ユーリの「好き」がまた積もった。
◆Firo◆
「また貴様か……性懲りもなく立ちはだかるかァァッ……!」
贄の女王が憎々しげに叫ぶ。どうやら相当余裕がないらしい。所詮は不完全な召喚で喚起された奴ということだ。
フィーロは憤激する贄の女王を無視し、シェリカを引っ張り起こした。
「フィーロ……」
「怪我ないか、シェリカ……とガナッシュ」
「大丈夫」
「ボクはついでか」
「そっか。ならいい」
「聞け」
「フィーロ、その目……」
シェリカの手が軽く頬に触れる。冷たい、だけど心が温かくなる。
「ああ……」そっとその手に自分の手を添えた。「……母さんはさ、多分許してくれるんだろうな」
「え……それって……」
「でも、それでも俺は俺を許せない。だから、これからも約束は守りつづけるよ、俺は」
そうだ。
それは贖罪でもあり、絆でもある。
シェリカを守る。
俺はただそのために在る。
「誰がための剣か……そんなもの、一つだ」
見据えるは醜い女郎。
俺の、敵だ。
「赤月の鬼子が……今度こそ滅してくれるわッ!」
「うるせークソババァ。消えるのはそっちだバカヤロー」
タネは大体解った。過去から奪い返したこいつは相当便利なようだ。
「アンタが何したいのかは知らねぇしどうでもいいけどな……俺の世界に土足で踏み込んで……」
ゆっくりと力を込める。
痛みなどとうにどうでもいい。そんなものは目の前のムカつくババァを吹き飛ばしてから存分に痛がればいい。
戦うのは今でも怖い。面倒だし、恨まれるのなんてまっぴらだ。
それでも、母さんとの絆をなくしたくはない。それを失うことのほうが、シェリカがいなくなることのほうが、俺には辛い。
シェリカは俺の世界だ。
それに手を出しておいて、
「五体満足で死ねると思うなよッ……!」
全身に込めた力を爆発させて、一気に駆ける。大した距離じゃない。一直線で十秒いらない。障害がなければだが。
「愚か者がァァァ!」
無数の触手が伸びる。これが障害だ。ただの影だ。ビビることはない。震えを抑えろ。やれば出来る。いややるんだ。そのための力だ。
ケタケタ笑いやがって胸糞悪い。
何が闇だ。
性の悪いクソ虫だろ。
想像しろ。剣を腕の延長と思え。今から放つのは、あの性悪クソ虫を抹殺する一陣の烈風だ。そいつはなんでも切り裂く風だ。
「らああああぁぁぁぁッッッ……!」
触手を切り裂く。一直線に伸びた斬撃はブチブチと切り刻んでいく。想像がズレた。目測を誤った。
何本かが肩と太股を掠めていった。肉を軽く持っていかれる。
「……つ」
「フィーロ……!」
「大丈夫だ! ――ガナッシュ!」
「な、なんだ!」
「シェリカを連れて下がれ!」
「ボクは戦えるぞ!」
「やかましい! 下がれっつってんだ!」
そもそも、戦いにくい。
邪魔になるとかではない。いや邪魔だが。それよりもあいつらが近くにいると、声が聞こえにくい。ちらつくのだ。特にシェリカがいると目測を見誤る。
視線が交差する。
果たしてガナッシュはフィーロの意を汲んだ。さっと立ち上がって、シェリカの腕を引いた。
「ちょ……なにを――」
「フィーロに任せろ。自慢の弟だろ」
「それはそうだけど……でも」
「それにやっと見られるんだ。あいつの本気が。邪魔はしないほうがいい」
「……本気」
まあ、少し違う。
本気というよりは、根気だ。
ガクブル状態の心と表面状治しただけのガタガタの身体で立って、かの魔王様に立ち向かうわけだ。ぶっちゃけ逃げれるなら逃げたい。マジで。
最低成績の俺がなんたってこうなっているのか、考えたところで答えは一つしかない。
「なぜ邪魔をする……! 余の悲願を! この世界の膿たる醜悪な庭に堕とされ、害悪の慰みに君臨し続けてきた余の苦しみも知らぬ鬼子が……」
「知るかっつってんだろ。やるなら余所でやれ。アンタはシェリカを傷付けた。それ以上の理由は俺の中にはない」
「この……劣等種がァ……ッ!」
影が伸びる。あれは顎か。まるで竜のような。言うなれば、ガナッシュの蛟にも似る。真っ黒の奔流。
掠っただけで肉を持っていくあれに噛み付かれたら、肉片残らず消滅しかねない。
「劣等結構……! こちとらこの半期ずっと最下位だ! 落ちるとこまで落ちてこれ以上落ちるかバーカ!」
黒い竜が襲い掛かる。風を切る音が轟く雄叫びのようだ。
留めとばかりに黒い玉まで浮かせてきた。
だからどうした。
全部一緒だ。本質は同じだ。闇だろうが影だろうが、それは確かに『在る』のだ。精霊がこの世界の本質を司るならば、万物は有であり、闇も影も有だ。
闇も影も無ではない。そこには表裏の関係で言えばその逆は光明だ。
『精霊殺し』は酔狂じゃない。本質を殺す。すなわち『無』だ。
なんとなくだが、理解した。きっとこの目のせいだ。頭が割れそうなのも多分。
割れればいい。
全部何もかもを終えればどうなろうが知ったことではない。
強く思うんだ。
高く願うんだ。
「――お前の世界を……殺す!」
◆Shericka◆
「消した……? どうなってる……?」
シスコン変態野郎は困惑の声を漏らしたが、シェリカには見えていた。
この中で何人があれを正しく認識しただろうか。
魔術関係に乏しいものは、ただフィーロの周りから黒い影が全て掻き消えたようにしか見えないだろう。
だけどシェリカには見えていた。
悲鳴をあげる間もなく精霊が消滅した。跡形もなく。存在ごと消された。まるで最初からいなかったかのように。
その現象は何度か見ている。フィーロは無意識に自らの力を使っていた。だがそれはどちらかというと「断ち切る」とでも言ったほうがいいくらいのものだった。魔術を構成する精霊の一部を刈り取ることで、隙間を作る。急に出来た穴によって精霊は修復を余儀なくされる。しかし術者の予期せぬ構成の破壊だ。対応できるはずもなく、構成を保つことが出来ず消える。
そこには漏れが生まれる。魔術の一点を切り取るだけなのだから、さすがのフィーロでも波状攻撃などには対応しきれなかったのだ。
今のは違う。自らの意思で「抹殺」した。
フィーロが認識する範囲総ての精霊を一度に殺してみせたのだ。
「すごい……」
絶対的な力を誇る魔術を文字通り殺した。
「な……なんだそれはァァァ! 余の闇の魔術は……! 極天無道妙獄二千年の魔導の結晶はァァァ……!」
「人工だろうがなんだろうが……そこに在るなら殺してみせる。もうそれで手詰まりか、クソババァ」
「おのれ……おのれおのれおのれおのれェェェ!」
「はン……化粧が崩れてるぞ」
激昂する年増に、フィーロは肩を揺らして笑う。
でも様子がおかしい。余裕ある態度とは裏腹に、フィーロは小刻みに震えていた。
耳から何かが垂れている。
赤い。
血だ。
見れば、足元には血溜まりが出来ていた。
「フィーロ……」
完治したんじゃないのかあの爆乳女。ヤブか。
だけどそれだけじゃない。明らかに『精霊殺し』の能力がフィーロの身体に負担をかけている。
激痛を押して立っているのだ。多分耳どころか、いろんなところから血が出ているに違いない。
どうしていつもフィーロなんだろう。
フィーロばかりが傷付いている。あたしが守るって言ったのに。いつだってフィーロがあたしを守る。守ってくれる。
嬉しいよ。
でも、喜べない。あたしはお荷物にしかなっていない。フィーロを傷付けているだけだ。
なのにそれでも立っている。
あたしの目の前に。
いつだって。
フィーロはあたしの騎士で、王子さまなんだ。
「あいつ……出血が」
「大丈夫よ……フィーロなら。絶対大丈夫……」
信じているから。
絶対に勝つって。
◆Firo◆
予想以上に酷い有様だった。視界は霞むどころか右目に血が入ったせいで開けられない。耳からも血が出てる模様。鼓膜は大丈夫そうだが、下手すりゃ耳が聞こえなくなりかねない。ちなみに鼻血もヤバい。
だけど、まだ終わっちゃいない。
「殺してやるゥ……殺してやるゥゥゥ……!!」
影が再び猛襲する。幾条もの黒い戦がうねりながらフィーロを串刺しにしようとする。
それをかわしつつ、危ないものは斬り落とす。
余裕はない。しかし予断も許されない。一瞬でも遅れれば即死。身体はボロボロ。絶体絶命もいいところだが、フィーロの身体は予想以上に動いた。
だが身体よりもガタがきているものがあった。
ピシ、という音。
嫌な感じだ。
確かに、あれだけ無茶なことをしていればそうなるだろう。剣にひびが走ったのは、自然なことといえば自然だ。
ただこのタイミングはないわ。
実用一辺倒、装飾のないこの剣の刀身は鉄よりも丈夫だった。だけどそれは平均よりという程度だ。魔術なんてものをさっきから斬りまくってればそりゃ負荷もかかる。
「まずいな……」
多分身体だってもう限界だ。臨界点を超えて、脳が麻痺してるだけだ。火事場の馬鹿力ってところだろう。
あの影は無尽蔵ではないが、燃費はすこぶるいい。まともに消耗戦をしかければ負けるのはこっちだ。
だが出るか退くか……、そんなものは。
「一つだッ……!」
フィーロはおそらく最後の力であろう全てを搾り出した。前に。ただ前に進む。瞳は焼けるように痛い。足からブチブチという音が響いた。知るか。構うな。
「赤月のォォォ……! 我等に刃を向けし逆賊の末裔がァァァ……! ここで引導を渡してくれるッッッ……! そして極天無道妙獄再来の礎となれェェェ……!」
「赤月赤月うるせェェェェェェェッ!!」
迷うな。もう腹は決まっているだろう。
俺は母さんを守れなかった。でも母さんは言ったんだ。俺はシェリカの騎士だと。そして顔も知らん親父が母さんの騎士だった。
どうもこうもない。ただ腹立たしい。親父も俺も不甲斐なさすぎる。
そして親父と同じ道を辿っているのかと思うと無性に腹が立つ。
だけどまだ俺にはチャンスがある。
親父に出来なかったことを俺はやってやる。
最後の最後まで守り抜いてやる。死んでも守り抜いてやる。
俺は、
「俺はッ……!」
左手を伸ばす。
この手は万物を灰燼も残さず消し去る剛腕だ。
「俺は、フィーロ・ロレンツだぁぁぁぁぁぁぁッ……!!」
影の濁流が押し寄せる中、フィーロは左手で迎え撃つ。激しい頭痛とさらに熱くなった眼球に悲鳴をあげたそうなのを、叫びに変えて。
左腕の袖は引き千切れ、血が噴き出した。
それでも止まることなく、濁流のど真ん中を突っ切る。
「おおおぉぉぉぉぉッ……!!」
「余の闇に呑まれろォォォッッッ……!!」
勢いを増す影の濁流。
殺しきれなかった影が肩や脇腹を穿ってゆく。
それでも立ち止まることなく、フィーロは濁流を殺す。手の平に感覚はない。もう使い物にならないかもしれない。それでも走り続ける理由があるから、止まれない。
一瞬の隙を作る。左手一本でそれが可能なら安いもんだ。
歯を食いしばって一気に踏み込む。地面にひびが入った。同時に、影の濁流の中心を掴むような感覚を想像する。こいつを根本ごと引っこ抜くために。
「どッッッせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!」
身体が捻れんばかりに腕を振り切る。
黒い影は形を保てず破裂して霧散した。
贄の女王の表情がさらに歪む。驚愕と憤怒の入り混じったそれにフィーロは笑みをもって返す。タネは大体解ったと言ったはずだ。ざまあみろ。
だがこれで終わりではない。もう一歩を踏み込み、その勢いで一気に飛び掛かる。右手の剣を逆手に握り締め、真っ直ぐに。
「これで……終わりだァァァァァッ……!!」
渾身の力を込めた刀身は吸い込まれるように贄の女王の胸に突き刺さった。贄の女王の悲鳴が轟く中、遂に刀身は耐え切れず折れた。
ここで躓くなど笑えない。確実に仕留める。折れた刀身を押し込むように、拳を叩き付けた。
「――吹き飛べェェェェェ!」
「そんな馬ぁぁ亞堊ァ閼唖唖亞あ亞ア ア 亞 閼 唖 あ」
贄の女王の身体は膨れ上がり、形を歪めていった。身体全体がボコボコと泡立ち、泡の中から影がうごめいてはまた泡立った。それを何度も繰り返すうちに丸い球体のように膨れ、水風船のように破裂した。
断末魔は最後まで聞こえることなく、急に途切れた。
ただ、煩わしい笑い声が最後に呟いた。
――アリガトウ。
その言葉の意味を噛み締める間もなくフィーロはぼとりと地面に落ちる。
もう身体のどこにも力が入らない。瞼は重くて、耳は遠い。
超眠い。
少し寝よう。
瞼を閉じるフィーロが最後に見たのは、雲間から除く微かな光だった。