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すばらしきかなこの世界  作者: 蝉時雨
第一章 クランコンテスト編
4/54

第一章(3)

◆Firo◆


 結果だけ言えば、残念の一言に尽きるものであった。

 午前の能力査定は気力と体力を削られていたとはいえ、それは学部の生徒全員だったので言い訳にしかならない。午後からの戦力査定は担当の先生がマッチングしたメンバーでの総当たり戦となったが、その全ての試合で惨敗した。

 ここまで行くといっそ清々しい、とフィーロは打身だらけの身体を擦りながら、救護班の治療の順番を待っていた。

 ローズベル学園では、順位とは別に個々人の実力をレベルとして数値化している。レベルはⅠからⅤまであって、考査の成績や先生の推薦、はたまた罰則など様々な要因で上がったり下がったりする。相対的に付けられるものではないので、余程の風紀違反でもない限りは滅多なことでは下がらないとは言われるが、しかし前例がないというわけでもない。

 フィーロはレベルⅠに属していた。

 言うまでもなく最底辺だ。

 冒険者育成の学園において、レベルⅠの生徒というのは逆に数が少ない。学年によっては一人もいないということもある。平均的運動能力と、基礎的な剣の腕があればレベルⅡにはなるのだから、いるとしても数えられる程だろう。逆に言えば剣の腕がない、あるいはよっぽど体格や運動能力に恵まれていないか、壊滅的に才能がないという生徒、それか試験をボイコットするなどの素行不良でもないとなろうと思ってもなれない。

 それにレベルⅠだからといって悲観するほどでもない。剣の腕を磨くなど、努力次第でレベルⅡにはなれるからだ。二ヶ月もあれば一通りの基礎剣術は身に付く。つーか、ついて行けない生徒は基本辞めていくし。

 そう思うと、レベルⅠというのは極めてレアな存在とも言える。そこに含まれるフィーロもかなりレアな存在だ。なんならスペシャルを付けてもいいだろう。

「いってて……よぉ、フィーロ。全敗?」

「ルツか。全敗だ」

「そっかー。俺もだよ。いいところまで行ったんだけどなぁ」

 そう言って、ルツは俺の隣に腰を下ろす。

「開始二分で負けるのをいいところとは言わねぇよ」

「え、見てたのかよ」

 そりゃ数少ないレベルⅠ仲間の試合なのだから見ているに決まっているだろうに。ルツはアホな上弱いのだ、残念ながら。

 獣人という種族は類稀な運動能力を持つと言われているのだが、その片鱗を一切見せない男である。

 獣としての本能をどこかに落としてきたのかもしれない、可哀想なルツだが、数少ない雑魚仲間なので、フィーロとしては安心の種ではある。随分と後ろ向きな仲間意識ではあるが。

「なーんで勝てないかなぁ。腕立て毎日してるのに」

「腕立てだけで強くなるならみんなやってるだろ。まぁ、腕力鍛えるのは大事だろうけど」

「腹筋もやった方がいいかなぁ」

「逆になんで腕立てオンリーでいけると思ったんだよ……」

「あーあ。生徒会見てたからいいとこ見せたかったのによ」

「なんでそこで生徒会……いや、つーか、何。入りたいの?」

「いや、『え、何あの子すごい! ぜひうちに!』って言われたかった。んで、上から目線で断りたかった」

 思いの外、中身は相当に歪んでいやがった。

 ただ、生徒会カウンシルの役員も端から俺たちなど眼中にはない。見学に来ていたのは、おそらく時期の生徒会役員として有力な新入生を探すためだろうし、レベルⅠはそもそもお呼びではない。

 しかし、それにしてもだ。

「よく生徒会が来てるって分かったな。どこにいたんだ」

「あそこ」

 と、ルツが指差したのは遠くの校舎だった。

「妄想じゃねぇか」

「妄想じゃないよ、あっこから双眼鏡で見てたんだよ!」

「はいはい」

 それが本当ならどんなけ目がいいんだ、お前は。ここから見える校舎の窓なんか米粒以下の大きさだぞ。

 とはいえ少なくともこの場にいないのは確実だろう。生徒会は胸元に星形のバッジを付けている。そういった人間がいれば当然衆目を集めるだろうし。誰の話題にも上がらない、ということはこの場にはいないということだ。

 じゃあ、まさか本当に見えていたのだろうか。

 額を撫でるルツを横目で観察する。

「あーデコ痛い……フィーロ、これ腫れてない?」

「いや、ねぇな」きっと妄想だわ。

「マジで? 俺的にこれ超痛いんだけど」

「あ? 何が。あー……お前痛い子なのは間違いないぞ」

「え?」

「ん?」

「次の方ーテントにどうぞー」

「俺だな。行ってくる」

「ちょい。俺がどうのってとこの話がって、おい。聞け!」

 テントから呼び声が聞こえてきたので、話を中断して中に入る。ルツが背後で何かわめいていたけれど、放っておくことにした。


◆◆†◆◆


「――フィーロ君、すごいケガです。こんなに腫れて……」

「いや、大したことは」

 その手はとても優しげで、温かみがあった。

 むしろ熱いくらいだった。

「い、痛いですよねっ! わたしすぐ直しますねっ! それはもう完治オブ完治ですっ!」

「あーうん、ありがとう……」

「ではその、う、うう上の服を脱いでください!」

 何言ってんの、この子。

「え、脱ぐの? でも他の人は着たまま……」

「やっぱり怪我の具合が分かっている方が治しやすいですし!」

「そういうもん、なのか……?」

 治癒士がそう言うならば、そうなのだろうか。

「噓ですよー。ユーリ、ちゃんとやりなさいねー」

 他の、おそらく先輩だろう治癒士の通り際の台詞に、ユーリの手が硬直した。もともと熱を孕んだような赤面をさらに紅潮させていった。

「……ユーリ」

「ち、違うんです! 決してやましい気持ちはありますんでした!」

「どっちなんだ」

「と、とにかく治療しますねっ!」

 慌てふためきながらも、ユーリは慣れた手つきで見える範囲の怪我の消毒など治療を済ませると、次にフィーロの肩に手を当てた。そこは木剣を打ち込まれた患部だ。すぐに手を当てたところがぽうっと鈍く発光し、だんだんと温かくなる。

 白く仄かに輝く光は治癒の光だ。

 ユーリの所属する治癒士学科ヒーラーは魔戦学部において特殊な位置にある学科である。治癒士は戦闘力は無く、自他の怪我を修復する治癒魔術ヒーリングを行使する。魔術(ソーサリー)とはいうが、超能力(オーバーアーツ)に近い力らしい。なので治癒魔術(ヒーリング)は魔術よりもさらに使える者も限られる。

 そういう点では魔術師よりも才能に左右される。行使できる、というだけでも充分だが、その中でも実力の秀でたユーリは治癒の天才といっても差し支えない。

 服越しでも肩の傷はみるみる癒えてゆくのがわかる。一分も待たずして光が消え、肩の痛みは完全に引いていた。

「もう痛みは無いですか?」

「うん。ありがとう、ユーリ」

「い、いえ……わ、わたし治癒士ですからっ! ほ、他に痛いところはないですか! 治しますよ! 完治オブ完治ですよ!」

 何そのフレーズ。

 いささか挙動不審なところはあるものの、顔を赤くして手をブンブン振ったり、腕まくりをしたりと表情行動ともに忙しそうなユーリは、やはり可愛いらしいと思った。

 そもそもユーリは学年でもトップクラスの可愛さを誇る。多少天然ではあるが、誰にでも別け隔てなく接する優しさを持った性格をしているため、男女問わず人気のあるのだ。それに胸も大き……あ、いやなんでもない。

 入学式から一週間、アプローチを仕掛けてくる男子生徒は数多く、上級生の中にも狙っている生徒がいるとか。そんな女の子に考査終了直後から直々の治癒を施されている訳である。

「あンの雑魚野郎……」「まさかこのために負けたのか……?」「ふざけやがって」「マジ死ねよ」「つか代われや」「いいお尻……いただきたいわ……フフッ」

 男子生徒の嫉妬と羨望と殺意の視線を一身に浴びるフィーロは冷や汗を掻いている。……いや最後なんか毛色が違ったね! 怖いんですけど!

 そんな男子よりもさらに一際恐ろしい死の光線(デス・レイ)を放っていたのは他でもないモニカだった。

「……す。殺す。粉砕して殺す。千切って殺す。貫いて殺す。刻んで殺す。撃ち殺す。刺し殺す。万の苦しみを与えて殺す。殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す……」

 こわっ。怖いよ。殺意しかない。もうすでに手に槍を握っている。物理的に俺を殺す気しか感じられない。このままだと死ぬかもしれない。とう投げそうだし。

 そもそもこいつ中戦学部だろ。なんでここにいんの。

 誰か助けて殺されちゃう。

「フィーロ君、どうしました!? すごく顔色悪いです! ……はっ! もしや風邪ですか!? どうしましょう、薬! あっ、その前に熱です! 熱を計らないと!!」

 何を勘違いしたのか、ユーリは額をくっつけようとしたのか、顔を近付けてきた。いやいやヤバイヤバイって! それはヤバイって俺が殺される。

「だっ! 大丈夫! だから! マジで!」

 慌てて離れる。さすがにこんなところでそんな真似をされたら、ここにいる男子が全員狂戦士になる。そしてモニカは殺人マシーンに変わる。俺はまだ死にたくない。

 死にたくないッ!

「で、でも、顔色悪いですし……」

「いやこれが普通だからッ! ノーマル!」

「でも、心配です……」

 ユーリがにじり寄ってくる。怖い怖いよこの状況。一触即発のこの空気に加えて、ユーリの妖艶な女豹のポーズ。いや妖艶とかはさて置き、とにかくユーリが間接的に俺を殺そうとしているのではと思いたくなる状況だ。

 嫌だ助けて。誰でもいいから。

「――フィーロ、治療終わったわよね?」

 天の救いかと思ってしまった。

 後頭部から投げかけられた声に振り向く。

 天使じゃなかった。

 そこには悪魔がいた。

 違った。シェリカだった。

 今の俺にはあんま変わんねぇ。

 つーかお前もなんでここにいんの。魔戦学部だろ、お前。モニカもそうだけど、揃いも揃って行動が自由すぎやしないかね。

 だいたいね、誰でもいいってのは言葉の綾なんですけど。何これマジ詰んでるんですけど。なんかシェリカ怒ってるし。顔めっちゃ怖いし。すごいオーラ揺らめいてるし。

「治療は、うん、はい。終わってるます」

「じゃあご飯にしましょ。あたしもうお腹空いたわ」

「あ、ああ……はい。そうですね」

「いつまで座ってるの?」

「あ、はい。すぐに立ちますです」

「行くわよ、フィーロ」

「了解……」

 すたすたと歩き出すシェリカの後を追う。

 さすがに振り返る気にはなれなかったので、とりあえずシェリカの横を黙って歩いた。……しかしこれはシェリカに助けられたってことでいいんだろうか。

 しばらく歩いたところで、シェリカは立ち止まった。フィーロは何事かと身構えたが、じっと下を向いたまま動かない。

 おそるおそる覗きこもうとすると、シェリカはじろっとこちらを睨んだ。思わず身体が強張る。蛇に睨まれた蛙も同然だった。

「……スケべ」

「え……」

「エッチ。変態。スケコマシ。ミジンコ。金髪」

「金髪は貶し言葉じゃなくねぇか……」

「鼻の下伸ばしてた」

「なんのことだ……?」

「あのビッチよ。乳牛ビッチ。下品な乳め……チッ」

 めっちゃ言うやん。

「別にそんなことは……」

 まぁ、いや、あるかもしれないけど。

 それでお前が怒る理由が分からん。

「てゆーかマジムカつくわ、あの乳牛ビッチ。もいでやろうかしら」

 野蛮だな。自分がないからか。嫉妬か。嫉妬なのか。

「あのさシェリカ……さっきからユーリのことビッチとかな、悪口だしな。それに女の子がそんな下品な言葉を使うなよ」

「だってムカつくもん」

 もん、じゃねえよ。何膨れてんだ。可愛くねぇんだよ。つーか仲良くしてくれよ。一緒のクランの仲間だろうに。

「フィーロもフィーロよ!」

「だから何さ……」

「あんな脂肪の塊の何がいいわけっ!? あんなんただの脂肪よ! でかいだけでどうせ垂れてるわよ! それに比べてあたしはそんな心配もないわよ! あたしじゃダメだって言うの!?」

「いやダメだろ……」

 何言ってんのこいつ。

 世界がひっくり返ってもお前の乳を揉みたいとは思わんわ。 つーかお前そもそも乳ないじゃん。絶望的じゃん。皆無じゃん、その脂肪の塊が。

 それにユーリは垂れてないと思います。知らんけど。むしろ垂れていてもいいと思います。最高です。

 しかしひっでぇひがみだな。シェリカはまぁ、嫌いな奴多いしクランの面子で仲の良い女の子とか存在しないけど、これユーリが嫌いなのは単に身体的劣等感だろ。ホントにね。ひがみとかよくないよ。見難いと思うよ。さ、今すぐ牛乳に相談だ。

 などと言えばさすがに明日の朝日を拝めなくなるので、当たり障りのないことを言っておくことにする。

「お前も頑張れば未来ある……だろ、たぶん」

 何を頑張るのかは俺の知るところじゃないが。

「無理なのよ……こればかりは……」

 当たり障りのない言葉とはいえ、フィーロなりに励ましてみたつもりだったのだが、それとは裏腹にシェリカは落ち込んでしまった。こんなしょげ返るシェリカの姿は初めて見た。どれだけコンプレックスなんだろうか。

「あ、あー。まぁ、あれだ。それだけが女の子の魅力じゃねーだろ。たぶん……知らんけど」

「ん……ぐすっ……」

 なんでちょっとこいつ泣いてんだ。

 泣くほど辛いのか。

 内容はともかくこいつが泣くほどの事態というのは珍しい。とにかくなんとかしてこの状況から脱却しないと、このあとどうなるかが想像できない。世界滅亡したっておかしくねぇぞ。

 とにかくなんとかせねば。

「そ、そうだシェリカ。何食べたい? ご飯にするんだろ? なんでもいいぞ? ほら言ってみ?」

 まずは話題の転換だ。

 ここからなんとか活路を見出すしかない。

 シェリカは鼻をすん、と鳴らしてから小さく呟いた。

「……フィーロの手料理」

「え、それはめん……あ、いや、わかった! 任せなさいな」

 おっとあぶねぇ、危うく面倒臭いとか言いかけた。孤児院で生活してた時は、よくフィーロが食事当番をしていた。シェリカが作る料理はもはや料理とは呼べない暗黒物質ダークマターとなるので、シェリカが当番の日も作るのはフィーロだった。食材を有害物質に昇天させられるくらいなら面倒臭くてもそれなりの料理を作ったほうがマシだろう。

 しかし、料理か。

 ここへ来てからは久しぶりな気がする。

 食堂ベルベットでの戦争のような食事はやはり疲れるもので、フィーロも心の中では平和な食事を求めている。くぅ、とシェリカのお腹が小さく鳴った。

 さっきまでのは腹が減って弱気になってたってことだろうか。

 姉の謎の生態に首を傾げつつも、とりあえず栄養のあるものでも作ってやろうと胸中にて決意する。今からの成長は暗澹たるものだろうが、もしかしたらということもある。

 胸の成長になる食材ってなんだったかな。

 メニューを考えていたらフィーロも小腹が空いてきた。

「簡単でもいいか?」

「……うん。フィーロが作ったものならなんでもいい」

 シェリカの、はにかむような笑顔を見るのは珍しい。こういう感じの時はまだ可愛げがあるんだがな。

「なら食材買ってくか」

「うん」

 たまには腕を振るうのもいいだろう。


◆◆†◆◆


 問題が発生した。

 調理場所の確保である。

 最近出来たらしい多目的用の教室を借りるよう生徒会に申請するというのは今からでは遅い。クランの会議や打ち上げ等色々な用途に用いられる。仲の良いグループやクランの仲間とワイワイ騒げる場所もあったほうがいいだろう、という現生徒会長の提言により作られた娯楽スペースだ。使ったことはないがキッチン完備らしく、カラオケまで付いているらしい。まあ、カラオケは会長の趣味らしい。

 もう一つの手段が食堂ベルベットのキッチンを武力によって占拠するというものなのだが、食堂の調理師は恐ろしく強いという噂なので非常に困難となるだろう。学園創立以来、食堂占拠に成功したのは一例だけらしい。これによりたったの一度だけ、年中無休だった食堂が閉鎖されたとかなんとか。脳筋思考も極まると迷惑でしかない。

 調理実習に使う調理室も食堂同様、管理する先生に勝たないと明け渡してくれない。なんたってリアルファイトで決めようとするのか。

 となれば残された手段は一つしかない。

 寮部屋のキッチンだ。

 出来れば使いたくなかった手段である。これどう考えても最終的にこの手段に辿り着くよな。分かってたけど。出来れば避けたかった。

 同性ならいいんだ。男子寮で事足りるから。嫌なのは女子寮に入らないといけないからだ。昨日もシェリカを寮に送り届けるために入る羽目になったが、あの女子の異物を見る目は本当に慣れない。そもそも事情はともあれ女子寮は男子禁制なはずだ。一生に一度あるかないかと言われる女子寮侵入を俺はこの二ヶ月で生何回分容易く経験させられているのだろうか。

 女子寮を管理する寮母さんは、フィーロがシェリカの弟であることを知っていて、なんかむしろ「毎度ながらお世話ご苦労様」と労ってくれる程度には顔見知りになってきていた。顔パスである。

 つーかなんか普通に行き来出来てしまってるってのがホント納得行かない。なんか俺、男として見られてないんじゃないかな。

 ま、忍び込もうとしてあっさり捕まって縄で巻かれて蓑虫のように逆さ吊りにされているおバカな男子生徒よりはいい待遇なんだろうけど。あれは本当にキツそうだと常々思う。

 ともあれ、今日も寮母に軽く事情を説明すると「あーいいよいいよいってらっしゃい」と言われ、女子寮に上がる許可をあっさり得てしまった。本当にこれでいいのだろうか。

 ともあれシェリカの部屋に到着した。

 ノックをすると、モランが顔を出す。

 俺が最も納得行かないのはこれだ。

 百歩譲ってシェリカが一人部屋ならまだいい。けどこいつ相部屋なんだよなぁ。シェリカの部屋に入るってことはモランの部屋に入るのと同じじゃん。いやモランは気にしなくていいよって言ってくれてるんだけどね。

 年相応の男としては、ね。やっぱり慣れないものなんですよ。くっそ今日もいい香り!

 ま、整頓されているのはモランのスペースだけなんだが。シェリカのベッドの上などは物凄く汚い。服やら何やらが散乱していた。

 もう天国と地獄とか題名付けて展覧会に出せる。

 モランは恥ずかしそうにに「汚くてごめんね」と言っていたけれど、大丈夫モランは関係ないわこれ。むしろ姉がすまん。

 食事以外にこの後掃除という仕事までやらないといけないのか、とげんなりしながら料理に取りかかった。

 材料は購買部で購入済みだ。胸の成長にいい食材ってことで大豆買ったけど、さぁ何作るかね。

「フィーロ君ってて、本当にお姉さん思いだよね」

 色々と悶々としつつ料理をしているフィーロの背中に向かって、モランがそんな言葉を投げかける。

「ん? あーいや、そんなことないと思うけど。むしろ俺がいない間モランに負担かけてることが申し訳ない……」

 朝の弱いシェリカを毎朝起こして教室まで送り届けてくれているのは、他の誰でもなくモランだ。それを思うと本当に頭が上がらない。いつかちゃんとお礼をしなきゃなぁ。

「わたしは気にしてないよ。シェリカちゃんといるの楽しいし」

「そっか。ありがとな」

 ええ子や。ホンマええ子や。

 感動で涙が出そうやで……。

「ねぇフィーロぉー、ご飯まだぁー?」

「まだだからじっとしてろ。出来たら呼んでやるから」

 人様の、口調が変わっちゃうくらいの感動に無粋な横槍を入れるシェリカをたしなめて、料理に集中する。だいたいだ、誰のためにこんな苦労してると思っているんだろうね、この馬鹿姉は。

「そういえば何作ってんの?」

「ポークビーンズ」

「えーあたし豆嫌ぁい」

「なんなのお前……」

 先刻と言ってること違うんだけど。

 一気にやる気なくすわ。おめーの胸の成長のためになけなしの愛情注いでやってんのに、一体全体これはどういうことでしょうかね。

 しわの寄る眉間を指で揉みほぐしていると、モランがくすくすと笑っていた。他所様に随分と恥ずかしい様を見られた。すいません、うちの姉が恥ずかしい生き物で。

「ほんとに仲いいよね、フィーロ君たち」

 いや全然ですわ。

「そうかな。まぁ、モランがそう言うならそうなのかもな」

 よく我慢したな、と己を褒めながら鍋に視線を戻す。

「わたし、料理とかお母さんの手伝いとかでしかしたことないなぁ」

「モランなら卒なくこなしそうだけどな」

「そうかな。経験浅いけど……」

「慣れたらすぐだよ」

「慣れるまでが大変なんだよね」

「それはあるかもな……っと、出来た。シェリカ、皿出してくれ」

「やだぁー動きたくないぃー」

 こーンのアマ……。

「あ、わたしやるよ」

 モランが立ち上がって、棚から皿を用意してくれる。

「悪いな」

「ううん。ご馳走になるんだし、これくらいはするよ。すごい美味しそう。わたしはお豆好きだよ」

「そうか、だからだろうかなぁ……」

「うん?」

 モランのふくよかな胸に一瞬視線を奪われたけれど、すぐに気を取り直す。あぶねぇ、理性があってよかった。理性万歳。

「フィーロご飯まだぁー」

 好き嫌いの多いせいでモランの半分もその恩恵に預かることが叶わなかった哀れな姉がわめいていた。腹立つな、お前も準備せぇや。

「はい、お皿」

「ああ、ありがとな」

 皿を出してくれたモランに礼を述べ、皿に盛りつけていく。

 我ながらそこそこの出来栄えだと思う。

「おい、シェリカ。出来たぞ」

「じゃあ早く食べましょ!」

「たく……」

 途端に元気じゃねぇか。

 現金な奴だ、ほんとに。


◆◆†◆◆


「ふぅ、食べたぁー」

「ご馳走さま。ありがとね」

「お粗末さま。口に合ったなら何よりだ」

 豆嫌いなどと言っておきながら満足気にしているシェリカと、同じくご満悦のモランから食器を受け取り、流しに漬ける。食後の飲み物でも用意しようかと思ったら、モランが俺の隣に寄ってきた。

 腕まくりをしながら、

「あ、洗い物はやっておくよ」

 スポンジと洗剤を手に取った。もう嫁に欲しい。

「コーヒー先に淹れるつもりだったんだが。あ、紅茶がいいか?」

「そこまでしてもらうのも悪いよ」

「フィーロ、紅茶飲みたーい」

「あいつは悪いとすら思ってねぇから、気にしなくていいって」

 シェリカは本当にモランの優しい心の百分の一でもいいから分けてもらえよと思う。爪の垢でも煎じてやろうか。

「じゃあ、お願いしてもいい……のかなぁ」

「いいって」

 最後まで申し訳無さそうにはしていたが、モランは「お言葉に甘えるね」と言って、席に着いた。そしてシェリカと談笑を始める。こうして話し相手をしてくれているだけでも家事が捗る。むしろありがたいくらいである。

 紅茶を淹れると、卓に運ぶ。シェリカは「わっほーい」と色気のない歓声をあげていた。そのせいだろうか、モランのお礼が妙に心に沁みた。涙が出そうだ。

 馬鹿姉の相手をモランにしてもらっている間に、食器を洗って片付けていく。シェリカに邪魔されないというだけで素晴らしい早さである。モラン様様だ。嫁にほしい。

「そんじゃあ、帰るわ」

「また作りに来てね」

 屈託無く笑うモランだが、出来ればこれ以上女子寮にお邪魔するのは避けたい所存なのだが。

 ただ、裏表の無い笑みでそう言ってもらえるとなかなかに心地よかった。フィーロが「気が向いたらな」と答えると、モランも頷き返した。短い時間ながら心休まる瞬間であったが、その二人のやり取りを見ているシェリカは不機嫌な目をしていた。さっきまで上機嫌だったはずなのに、なんなんだコイツと思った。

 シェリカ対応マニュアルでは不機嫌なときは相手せずにさっさと帰るのが得策である。ここはテストに出ますよ。決して逃げるわけじゃないぞ。戦略的撤退だ。

「今日はお互い試験で疲れたし、ゆっくり休んでね」

「ありがと。モランもな」

 とは言うけれど、今日の定期考査は俺、そんなに疲れてないんだよね。ボコボコにやられてただけだし。モランも別に嫌味で言ったわけじゃないことはわかる。そもそも俺みたいなへっぽこと普通に接してくれている時点でいい子決定だろ。

 部屋を出ようとしたところで、フィーロは服の裾を引っ張られた。見れば、シェリカが不機嫌面のまま掴んでいた。

「下まで送ってくわ」

「は? いや、別に一人でいいけど」

 このままどこかに寄るつもりなど毛頭ない。そんなことであらぬ嫌疑にかけられたら迷惑だし。だから一階にいる寮母に挨拶し次第とっとと出るつもりだ。付き添ってもらうほどのことじゃない。

 ひとりでできるもん。

「送ってく」

 頑固だった。

 よくわからないが、これは意地でもついてくる気だ。裾から手を放してくれる気配がないし。助けを求めようとモランに視線を送ると、彼女はニコッと笑った。ニコッじゃなくてね。

 どうしたもんかと後頭部をかく。男子寮までついてくるってわけじゃないんだし別に構わないか。さすがに一階からこの部屋までで怪我したりとかはないだろ。……大丈夫かな。

「なによ。嫌なの?」

「嫌じゃないけど……」

 まぁ嫌だけど。

 それだけでなく、心配というのも少なからずある。

 シェリカの普段が本能に忠実な猛獣に近く、性格も弩級の高飛車なため誤解されやすいのだが、実はこいつはかなり虚弱体質だ。筋金入りの運動音痴と言ってもいい。

 全力で走れる距離が十メートル程度なうえ遅い。しかもそれだけで超息切れするのだから真正である。

 三階建て以上の建物の階段を昇り降りすることすら一苦労な奴が、一人でちゃんと部屋に戻れるのか。少々、いやかなり心配だ。

「言いたいことがあるならハッキリと言いなさいよ」

「いや、お前一人で階段上がれるか?」

「上がれるわよ! 馬鹿にしてんの!?」

 馬鹿にっつーか、だからむしろ心配してんだよ。

 馬鹿にもしてるけど。

「そんな下らないこと言ってないで、ほら行くわよ!」

「あ、ちょ、引っ張んな。服伸びる。わかったから」

 まったく。

 とにかく本人が大丈夫と言うんだから信じることにしよう。なんだかんだ今日までちゃんと出来てるんだし、多少は体力もついてきてるのかもしれない。

「それじゃあ、モラン。また明日な」

「うん。また明日」

 フィーロが手を振ると、モランも微笑んで手を振り返してくれた。

「立ち止まってないでちゃんと歩いてよ!」

「な、なんなんだよさっきから……わかったって。服は引っ張るなって……」

 和やかな余韻に浸ることも出来ず、シェリカに引っ張られながらフィーロは部屋を後にした。

 一階に降りて、玄関までの途中で寮母が使っている部屋に寄った。扉をノックすると、寮母が顔を出す。入浴後のスキンケア中だったのか、顔にパックを貼り付けていた。少し喉が引きつってしまった。

「な、なんかすいません。

「別にいいわよ、あと寝るだけだし。もう帰るの?」

「はい。お邪魔しました」

「またいらっしゃいな」

「あ、はは……」

 それ男子に言う言葉じゃねーと思うんですが。

 突っ込みたい気持ちは山々だったのだが、どんな切り返しが来るか予想出来ないのが怖かったので、とりあえず返事ともとれない曖昧な返しになった。

 ひらひらと手を振る寮母に会釈をして、エントランスに向かう。昼から帰ってきた女子生徒とすれ違うので、視線を集める。あまりいい気分ではない。針のむしろみたいで、肩身が狭い。

「そんじゃ、ちゃんと部屋に戻れよ」

「送ってるのはあたしよ」

「はいはい。ありがとな」

「むぅ……」

「何さっきから膨れてるんだ? 飯、不味かったか?」

「豆以外は」

「あ、ああそう……」

 どっさり豆づくしにしてやろうかと思った。作れと言われて作ったのにこの評価、どう考えても理不尽じゃね。

「じゃあ何」

「モランと楽しそうに話してた」

「いや普通だろ……何、それで膨れてんの?」

 膨れる意味がわかんないんだけど。

「フィーロが鼻の下伸ばしてたのが気に食わないの!」

「伸ばしてねぇよ……」

 癒されはしましたが。

 日々、シェリカ含めクランの女の子からは精神的にも肉体的にもダメージを与えられてるんです。たまには癒やしがあってもバチは当たらないと思う。

「フィーロはモランのことが好きなの?」

「えらく唐突だな。まあ、友人としては」

「好きなの!?」

「いや友人としてはいいんじゃないですかね?」

「フィーロの馬鹿!」

「ええぇ……」

 なんで俺罵倒されたの。

 そもそも俺が誰が好きだろうとシェリカには関係ないと思うんだけどね。いや別にそういう感じの相手はいないんだが。そもそも成績がポンコツだし、ガナッシュみたいに格好いいわけでもないからねぇ。言ってて泣きそうだ。

 やっぱりローズベル学園の性質上、実力がある奴はそれなりにモテる。ガナッシュなんかいい例だろ。イケメンな上に学部主席。おかしくね。与えられすぎじゃね。あいつ溶けて無くならないかな。

 と思ったけど、シスコンだったなあいつ。それだけで羨ましいという気持ちが薄れるんだからすげぇよな。

「じゃあフィーロは誰が好きなの。あたし? それともあたし? もしくはあたし? ていうかあたし?」

 ねーよ。なんつーか……ねーよ。

 頼むから選択肢もっとくれよ。なんで全部お前なんだよ。

「シェリカの言う好きってのは恋愛か? それなら特にいないけど」

 女の子に興味がないわけじゃない。けど、特に気になる女の子がいるわけでもない。

 孤児院にも同年代の女の子はいたけれど、特に何か思うこともなかった。だいたい、ほとんど側にシェリカがいたしな。なんかそういう甘酸っぱい思い出なんかなかった。今もない。泣ける。

 要はこいつがいる限り、俺には恋愛なんて無理なんだと思う。願わくば、俺の代わりにこいつの面倒を見てくれる男が現れることを祈るのみだ。

 ま、それまでは俺が見るしかないんだよな。

「とにかくだ。わけの分からんことで膨れてないで、さっさと部屋に戻りな。なんならまた作りに行ってもいいし」

「ん……」

 髪を乱さないように、シェリカの頭を撫でた。昔から撫でると落ち着く。ただ、不容易に撫でると噛み付かれるので、タイミングが重要になる。タイミングの判定は出来ないので、勘頼りである。だいたい成功率は五分五分だ。

 わりと今回は効力があったようで、シェリカは大人しくなってこくりと小さく頷いた。本当に、こうやって大人しいとまだ可愛げがあるんだけど。

「じゃ、俺もいい加減帰るからな」

「……わかった」

 頭から手を離すと、フィーロはその場を去った。離す瞬間、シェリカは名残惜しそうに見つめてきた。変に甘えてきやがるな。なんだ、周期的なものか。

 考えても仕方がないか。分かんねぇんだし。昔、孤児院にいた同年代の女の子に「フィーロは女心を察する機能が壊滅的」と言われたことを思い出した。まぁ、目の前にいるこの姉に女心なんていう高尚なものがあるかは不明だけど。

 とりあえず、帰って寝よう。

 なんだか疲れた。

 

◆◆†◆◆


 部屋に戻ると、目の前には仁王立ちしたガナッシュの姿があった。眉間にシワが寄っていて、えらくご立腹の様子だった。

「ただいま。お前、いつからそうしてんの。足疲れない?」

「そんなことはどうでもいい」

 いや、わりと気になるんだけど。

 いつからそうしてたかで俺のドン引き具合も変わるぞ。

「今までどこに行ってたんだ?」

「なによ、浮気したとでも言う気っ!? ……オエエェェェェ」

「自分で言って吐くな!」

「想像以上に気持ち悪くて」

「言われた身になれよ……」

「まぁ、どこでもいいじゃん。プライベート根掘り葉掘り聞くってあれですか、束縛系男子ですか。引くわー」

「やかましい。ふん……まぁ、大方シェリカのとこだろうが」

 なんだ、分かってるのか。いや、分かっちゃうのかこえぇ。なんなのこいつホントにストーカーかよ。

「なんだその目は」

「いや、キメぇなと思って」

「ぶっ飛ばすぞ」

「怒んなよ。そうだよ、シェリカんとこ。それで合ってるよ。なんだよ、女子寮に行きたかったのか? そんないいもんじゃねぇぞ」

 片付け出来ない女子の負の側面が見えちゃうし。

 まぁ、俺の姉ですが。

「そんなわけあるか」

 ならなんで怒ってるんだ。どいつもこいつも怒りっぽいよな。あんまり短気だとそのうちハゲるぞ。

「ボクの怒りはお前の今日の定期考査についてだ」

「成績にうるさいお父さんかよ」

「お前は……!」

 その瞬間、ガナッシュの右腕が揺らいだ。

 いきなり首が後ろにガクンとなった。引っ張られたのか。誰に? ガナッシュだ。こいつしかいないし。胸倉を掴まれていた。

 目の前にガナッシュの怒った顔がある。えぇーちょっとぉー顔近いんですけどぉー。

「そういうのはレイジとやってくれ」

「ふざけるのも大概にしろよ。一体なんなんだ、今日の試合は。最悪じゃないか!」

 怒気を孕んだ声が浴びせられる。もっと優しくしてほしいもんだ。ここは可愛らしく「優しくしてね……?」とか言ったらいいかな。たぶん殴られると思うけど。

「お前はどうして本気で戦わないんだ!」

「本気だが?」

「お前の!」胸ぐらを掴んだ手が一層きつくなった。「お前の力はこの程度じゃないだろう……!」

 心が冷えていく。なんでだろう。なんでこいつはこんなにも必死なんだろうか。

 こいつには関係ないのに。俺の成績なんだから、これは俺の問題のはずだ。ガナッシュがとやかく言う話ではない。

 手前勝手な物差しで俺を測るんじゃねーよ。

 熱血を振りかざすガナッシュに、さすがにフィーロもそんな苛立ちのような感情が芽生えた。押し付けも甚だしい。

「まぁまぁ、お二人さん。ケンカはようないことやん。な? ほら。あれやん。ベッドでギシギシ地固まる? みたいな言葉もあるやん? いや昔の人ってホンマ偉大やと思うねん。ほら仲直り。仲直りやで。そしてベッドへゴファ」

 レイジが睨み合うフィーロとガナッシュの尻を撫で回しながら仲裁を試みたが、両者は同時にパンチを顔面に叩き込んだ。

「なんでてめぇがここにいる」

「死んでこい、変態め」

 気絶したレイジを縄で括り、窓から放り投げた。

 何度も縄抜けしやがって、しぶとい野郎だ。

 ただ変態の介入で怒りが少し引いたのか、ガナッシュはフィーロの胸倉から手を離すと、舌打ちをして部屋を出て行った。扉が壊れそうなくらい勢いよく閉める音が耳を衝いた。そして暫くして壁を叩く音が響き、うるせー静かにしろという声が続く。

「なんなんだっつの……」

 ガナッシュが出て行った後も、胸中の靄は晴れることがない。

 気分が悪い。

 風呂に入る気も失せてしまい、早く寝てスッキリさせて、早朝に入ろうかと、フィーロはベッドに潜り込もうと毛布を引っぺがした。

 そして硬直した。

「……よ」

 右手を上げ、へいお邪魔してるぜっ、みたいな軽いノリで挨拶するクロアが横たわっていた。あれ、これ俺のベッドだよね?

 なんでここにクロアがいるんだろう。ここは男子寮だよね。そしてそれ間違いなく俺のベッドだよね。合ってる? 合ってるな。

「なんでいんの……?」

「……最近、一人寝が寂しい」

「んなもんはルームメイトに頼みなさいよ」

「……けち」

「ケチで結構」

「……悪魔」

「悪魔で結構」

「………童貞」

「うるさいよ!」

 ったくもー俺の周りの女の子ってこんなのばっかだよ! 軽々しく童貞なんて言葉使うな! 傷付くだろーがよぉ! 心折れるかと思ったわ! つーかなんでバレちゃったのかなー! 不思議だなー!

 クロアを抱きかかえる、というより肩に担ぐ。フィーロより二十センチ以上小さいクロアを運ぶのは容易だ。

「……いやん。大胆」

「いやんじゃねぇ」

 扉の外に放り投げる。ぽてんと地面に座り込んだ。

「帰りなさい」

「……部屋の隅っこでいいから」

「はよ帰れ」

 頼むから帰って。俺を寝かせて。ゆっくりさせて。疲れてんだよ。もう上と下の瞼が共同戦線張ってるんだよ。とうこの同盟は覆らないの。だからもう降伏させてくださいお願いします。

 観念したのか、クロアは立ち上がるととぼとぼ廊下を歩いていった。通りかかった何人かの男子は「うおっ女の子?」と動揺していた。そりゃビビるわな。俺だってビビったもん。

 ぴたりと途中で止まってクロアはこちらを見た。なんだと思ったら、クロアは小さな声で呟いた。

「………次はかならず」

 そして立ち去っていく。不吉な言葉残すんじゃねーよ。

 とにかくこれで眠れる。安堵の息を吐き出して、フィーロは扉を閉じる。鍵もかけた。これで完璧だ。ベッドに戻ると、もう一度毛布をかえす。

「うっふ~ん」

「悪霊退散ッ!」

 切れ目の悪霊レイジに向けて、一切の躊躇なく拳を振り下ろした。くたばれ変態の悪霊め。

「ごふっ、げふっ、ちょ……わるかっ……ぼふぅっ、げはっ」

 右手をプルプルさせている変態に留めを刺すべく、鉄槌を下す。ことごとく変態を滅するのだ。

「ちょっ……目ぇ据わってる! 据わってるで! ヤバイって! ギャアアアアアアアアアアアアア!」

 よし、これで変態は成仏した。

 すぐに縄でグルグルに巻かれた変態の残骸を窓から投げ捨てる。下からなんか「うお、なんだこれっ!?」みたいな声が聞こえてきた。ポイ捨ては不味かったかもしれない。とはいえ取りに行くのもしんどいし、明日にはきっと清掃員の人が片付けてくれるだろう。

 これで眠れる。ゆっくり眠れる。

 フィーロは毛布に潜り込んだ。

「……とんだ一日だ」

 ガナッシュの言葉が反芻される。

「俺の力、ね……」

 そんなものはない。

 全部あいつの妄想だ。

 何を期待しているのかは知らないが、俺はただのシェリカのお荷物でしかない。金魚のフンと同じだ。

 本当に、いい迷惑だ。

 俺は、ただのへっぽこ剣士なんだから、期待するのはやめてくれ。

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