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すばらしきかなこの世界  作者: 蝉時雨
第一章 クランコンテスト編
38/54

第一章(37) 約束

◆Firo◆


 ずぶ、ずぶ、ずぶ、とまるで沼に横たわっているかのように沈む身体。

 沈んでいく。落ちていく。

 暗い――それはもうとてつもなく暗い闇に。

 虚無に。

 むしろ堕ちていく、とでも言うべきか。どっちでもいいか。

 これが死というものなのだろうか?

 そもそもなんで死にそうなんだ、俺は。ああそうだ。黒い蛇みたいにうねうねする奴にめった刺しにされたんだったか。そら死にかけになるわ。つか死んでないのがスゲーわ。

「……っつ」

 頭が痛い。

 破裂……するほどでもないが、痛い。とりあえず痛みを感じるというのは生きているということか。安堵。痛いけど。

 だけど腹じゃなくて頭が痛いとはなにゆえ? というかこの痛みはなんというか、そういう痛みじゃない。

 無理矢理何かにこじ開けられているような。

 無理矢理何かを捩込まれているような。

 俺はなんとなく思う。

 きっとその何かは記憶だ。

 記憶の断片がまるでジグソーパズルでもすかのように嵌め込まれているんだ。色んな風景が、人が、風が、温もりが、声が嵌め込まれていく。それが同時に痛みをも伴っているのだろう。

 パチン。パチン。パチン。

 一人オセロ(どっちかに肩入れしたパターン)でもしてんのかと言わんばかりの軽快さだ。

 形容しがたい痛みに顔をしかめていると、目線の先に、二つの赤い光を見付ける。なんとなく、あれを知っている。あれは……瞳だ。

 思い出す。

 遡っていく。記憶が。過去が。忘れていた。否、自ら忘却した過去。

 これは遠い――いやそれほど遠くないけれど――フィーロにとっては万年とも思えるほどの昔の記憶だ。正確には六年前。十歳になる少し前の時のことだ。

 忘れるなど、今から思えばそれは逃避でしかないけれど、当時のフィーロはそうでもしなければ自分の心が保てなかった。

 だから本当は思い出すべきではないのかもしれない。

 でも、遥か視線の先、あるいは目の前でこちらを見つめる赤い双眸が語っている。

 思い出せ、と。


◆◆†◆◆


 冷えた風が身体を冷やす。枯れた木の葉が力無く地面に横たわる。それはもう冬が訪れるという合図。

 フィーロの住んでいた町はとても辺鄙な場所にあった。辺境と言っていい。辺境伯ガハルド・バレーンが治める町の一つだ。とはいえ物流は七日に一度の商人からもたらされるものがほとんど。そんな場所だ。

 いつかここを出たい。そう双子の姉のシェリカはよく漏らしていた。その時はフィーロも一緒よ、などと言うが正直御免だった。

 俺はこの町が嫌いじゃなかった。好きでもないけれど。少なくとも平穏だ。都会は喧騒が酷いと聞く。静かな方が好きなフィーロにとってはここはある意味居心地のよい場所だった。

 町に子どもはそれほど多くない。町の人みんなご近所さんみたいなものだったし、子ども同士も全員顔と名前は知っている。だが、フィーロは男の子からよく疎まれていた。理由は多々あるんだろうが。

 もともと内向的なので、ノリの悪い奴とも思われていたんだろう。

 というか一人でいたいのだ。自由気まま。それが一番幸せなことであり、断じて今のような状況を幸せとは言わない。

「重いし」

 つーか動けん。

 膝の上にシェリカの頭がのっかていた。

 朝っぱらから散歩に付き合わせられ、いつの間にか野良の仔犬との追い駆けっこに変わり、いきなり疲れたといってベンチに座って寝息を立てはじめた。有り得ない姉である。

「病み上がりって解ってんのかな……」

 自由奔放な姉。

 身体は弱い。昨日まで風邪で寝込んでいた。ただの風邪だが、シェリカは体力がない。筋力もない。なのにアウトドア派。お陰でこっちは風邪をひくたびはらはらしている。人の気を知れ。弟の心姉知らずという諺を知らんのか。知らんだろうな。今作ったし。

 まあそんなわけで人様が必死で看病していたことも忘れたかのようにはしゃぎ回る姉は本当に自由奔放だ。

「あらフィーロちゃん」

「あ、おはようございます」

 声をかけてきたのは近所のおばさんだった。立てないので仕方なく会釈に留める。シェリカを起こそうとしたが、いいのよと止められた。

「いつも礼儀正しいわねぇ。今日もシェリカちゃんと遊んでいたの?」

 遊ばれてた、と言いたかったけどそこは「はい」と答えておく。

「いつも仲がいいわねえ」

 良くない。単に引っ張り回されているだけです。

 そう言いたかったけど、それも口には出さず、渇いた笑いで返事をした。

「……くしっ」

 ひざ元で小さなくしゃみ。

「あら」

「たく……」

 病み上がりだって言うに。いくら厚着をしていても、もう寒い時期だ。フィーロは自分の上着を脱いでシェリカの身体に被せる。

「シェリカが風邪ひかないうちに帰りますね」

「そうね、治ったばかりで振り返しても困るわ。それじゃあね」

 おばさんは終止笑顔で去って行った。フィーロはそれを小さく手を振って見送った。

「俺たちも戻るぞ」

 身体をゆっくり起こす。

「うみゅ……」

 寝言を漏らすほどに爆睡か。いいご身分だ。しばいたろか。

 と、膝がひやりとした。何事かと思って見たら、シェリカの涎が膝にべっとり付いていた。

「こいつは……」

 怒り以前に呆れる。仮にも女の子なんだから、涎垂らして寝るとか勘弁してほしい。間抜け過ぎる。

 頬を掻きつつ、まあ仕方ないと気にしないという選択肢を取った。

 起き上がった際にはだけた自分の上着をシェリカの肩にかけ直した。 そしてそのまま背負う。シェリカと違って、身体だけは丈夫なのが取り柄だ。背もシェリカより背が高い。

 双子だっていうのに似ているのは顔だけであとは何一つ似ていない。母さんはなんででしょうね、と笑んでいただけだったが、多分何か理由があるんだろう。

 とにかく、さっさと家に帰ろう。もう昼飯時だ。きっと暖かいスープが待っている。


◆◆†◆◆


「ただいま」

「あら、おかえりフィーロ。シェリカ……は寝てるのね」

 シェリカを片手で支えられるように背負い直し、開いた手で戸を押し開けると、鼻をくすぐるスープの香り。ほっとして、息を吐き出す。

 フィーロとシェリカの母メーアは優しげな微笑みを二人に向けた。

 フィーロはそれに微笑みを返し、そして帰ってきたのだと実感する。女手一つで今まで育ててきてくれた母はフィーロにとって全てであり、母のいる場所が自分の帰る場所だった。父親が誰かとか気にしたこともないし、興味もない。ぶっちゃけどーでもいい。

「あら、ズボン濡れてるわよ?」

「シェリカの涎だよ」

「ああそれで……シェリカは降ろしていいから先に着替えてらっしゃい」

「うん。解った」

 頷き、シェリカを椅子に座らせる。首がかっくんかっくんしてたけど、落ちたらその時はその時だ。寝る方が悪いと反省しといてもらおう。

 心の底で落ちますようにと願いつつ自分の寝室に行こうとした瞬間。

「みゅ……フィーロぉ……?」

 なんで起きるんだ。

 いつでもこちらの意表をついて来る。とんだ迷惑だ。

「ろこ行くの……?」

 舌が回っていない。どんなけ爆睡してたんだろう。ならなんでその状態からいとも簡単に覚醒出来るんだ。恐ろしいわ。

「着替えに行くんだよ」

「あたしも行くぅ……」

 行ってどうするんだ。

「とりあえずシェリカは手と顔洗ってきなよ」

「連れてってぇ……」

「自分で行けよ!」

 思わず口に出してしまった。いや誰でも言うでしょ、さすがに。

 シェリカはなぜか泣きそうな顔をしていた。ぎょっとしてのけ反る。

 まさか……。

「フィーロはあたしが嫌いなの……?」

 出たよ。また出たよ。めんどくせー。

 上目遣いに涙を目にこさえ、こちらを見詰める姉。町の男の子たちから「姫」と呼ばれる由縁だ。まあ確かにそこらの男ならほいほい言うこと聞きそうな仕種であるが、フィーロは何も感じない。面倒臭いし鬱陶しいだけだ。もうその仕種はフィーロからすれば「犬」だ。

 だからフィーロは深く溜め息を漏らして言った。

「……解ったよ連れてくよ連れてけばいいんだろ」

 ああそうだ。俺は知っている。ここで折れないと「姫」だろうが「犬」だろうが相手がシェリカである限りもっと面倒臭くなることを俺は知っている。

 フィーロは再度嘆息し、シェリカの下へと寄り、抱き上げる。

 本当にこれが姉だと思いたくない。

 三度目の溜め息は多過ぎだろうと飲み込みつつ、洗面所に連れていき手を洗わせる。フィーロはその間に自室に行き、さっと下だけ穿き換えた。そして戻ってくるとシェリカは洗面所に座り込んでいた。こちらを見るなり両手を伸ばす。

 こいつは……。

 眉間に皺が出来た。

 蹴飛ばしたいのを必死で堪え、シェリカをまた抱き上げて食卓へ戻ると、テーブルの上にはスープとエッグサンドが並んでいた。

「あら、また弟に甘えてるのねシェリカ」

「フィーロはあたしの王子様だもの!」

 下僕の間違いではないだろうか。

「そう。ふふふ」

 まあでも、母さんが笑っているならそれでいいや。そう思った。

「さ、温かいうちに食べなさい」

「いただきます」

「いただきまーす」

 スープを口にする。体の中がポカポカした。この季節のスープはとても美味しい。特に母さんの作ったものは。

「美味しい?」

 そんな答えが一つしかないことを聞いてくる母さん。でも、その答え一つで母さんは笑顔になる。そしたら俺も笑顔になる。シェリカも、笑う。だから幸せだと感じれるんだ。

 ああ、別にどんな場所でもいい。

 こうやっていられるなら。この幸せが続くなら。

 続けばいいと願っていた。

 なのに。

 そんなささやかな願いまで踏みにじる世界が、すぐそこにはあった。


◆◆†◆◆


 夜のことだった。

 目を覚ましたのは金切り声のような悲鳴が原因だった。

 寝ぼけた眼を擦りながら、窓を見ると、何故か明るかった。なんだろうか。そう思って首を傾げた瞬間、バリンという硝子が割れる音が響いた。慌てて飛び起き、窓の外を見る。

 燃えていた。

 目の前の、近所の、あの、昼間挨拶したおばさんの家。

「な……なんだよこれ……」

 一目で火事だと解った。そんなことは解っていた。

 暗闇に灰色の煙が溶けていく。

 でも、こんな大火事。この町ではとんと起こらない。だから理解が追いついていなかった。

 ふと燃え盛る家の前に人影があった。火の明るさで人影は真っ黒で誰だか判別つかない。おばさんだろうか。逃げられたのだろうか。

 違う。

 違った。

 おばさんはふくよかな人だ。あれはそんなんじゃない。筋骨隆々とした身体は……男。近所のおじさんかと思ったけど、それも違った。

「笑……ってる……」

 笑っている。腹を抱えて。ここまで聞こえる。下品な笑い声が。ひどく胸やけのする嫌な笑い声が。

 ああ。あいつの左手にあるのは、剣だ。反った片刃の、あの凶悪な形は、人を斬るための道具だ。

 もう答えはなんとなく出ていた。

 フィーロはベッドから飛び降り、部屋を出た。

 母さんは。シェリカは無事なのか。

 焦りに急ぐ身体が扉を出て駆け出そうとしてすぐに抱き留められた。暖かく、いい香りが埋めつくした。少しの安堵とともにゆっくりと見上げる。

「母さん……」

「フィーロ、あそこに隠れていなさい。シェリカもいるわ。何があっても出てきちゃダメよ」

「母さんは……」

「母さんはこの家と貴方たちを守らないと。ほら早く」

 押しやられるように物陰まで行くと、そこには既にシェリカがいた。震える身体を自分の腕で抱きとめている。不安げな表情をこちらに向け、フィーロの手首を握ってくきた。フィーロは安心させるようにその手を握り返した。

 同時に扉が蹴破られる音が響いた。

 シェリカの身体がビクッと跳ねる。それを抱き留めた。

「はーいお邪魔します」

「おほーケッコー上玉ジャン? ここジジィとババァしかいねぇモンよー。萎え萎えしちゃってたんだよネー」

 下卑た声を吐き出す。男の声だ。フィーロは微かに除き見る。細身の男と筋肉質な男。二人。違った。もう一人後ろから隻眼の男が入ってきた。

「あ……ああああああッ……!」

 母さんは叫んだ。

 男たちに突き進むここからは見え辛かったけど、手には包丁があった。フィーロはそんな母親の姿に疑問を感じていた。

 この家とフィーロたちを守ると言った。

 けど家なんて、フィーロにはどうでもよかった。

 一緒に隠れて欲しかった。逃げてほしかった。

 でも、母さんは戦おうとしていた。

 解らなかった。

「ちっ……」

 隻眼の男は小さく舌打ちを漏らし、母さんを蹴飛ばした。「――あぐ……」呻きを吐きながら母さんは後ろに吹っ飛んだ。

「おかっ……」

 叫びそうになったシェリカの口を咄嗟に抑える。駄目だ。母さんが隠れていろと言ったんだ。なら、俺はそうしないと。

 母さんは苦しそうにうずくまっている。苦しむ姿はフィーロの心を切り刻むように痛め付ける。フィーロ自身すぐにでも飛び出したかった。

「元気イイネー。りがいがあるわ」

 隻眼の男は母さんを一瞥して、横を通り抜けた。

 足音が近くなる。震えるシェリカを抱きしめ、フィーロは息を殺した。

「とっとと済ませることは済ませろ。俺はその間に……」

 そして隻眼の男は食卓を蹴り飛ばした。

「済ませることを済ませる」

 フィーロとシェリカを見下ろす男の目は、冷えきった闇色だった。


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