第一章(33) 贄の女王
◆……?◆
憎い。
憎い。
憎い憎い憎い。
どうして僕は認められない。どうして。どうして。どうしてだ。
ふざけるな。僕は。
僕は頂点に立つ者だ。そうやって育てられてきたし、そうやって生きてきた。僕は特別なんだ。選ばれた者なんだ。なのにどうして。
「――イネス先生、どうですか?」
「菊乃先生。どうとは何がですか?」
「魔戦学部の主任じゃないですか、イネス先生。だからよさそうな子が見つかったかなーって」
丁度、第一回目の学部内の実技試験を終えてからだ。イネス・ラトクリフの許に直談判をしに行こうとしたときだった。
筆記はほぼ統一されているが、実技試験の内容は学部によって異なる。近戦学部および中戦学部は戦闘による査定。遠戦学部は射撃の距離や速度、精度を総合的に見る。魔戦学部は多くの魔術を行使出来る範囲で行い、その成果を見る。
僕は完璧だった。
要素魔術、それに伴う附属魔術。召喚魔術は完璧にこなした。戦略級魔術も扱える。術式の展開までやって見せた。完璧な行程だったと自負している。
結果は次席。
有り得ない。ふざけた結果だ。僕の輝かしい人生に泥を塗られたのだ。
何より、僕が居座るはずの首席にいたのは、
「そうですね……シェリカ・ロレンツは期待できるかもしれません」
イネスが呟くように言った。
シェリカ・ロレンツ。
有り得ない結果だ。要素魔術に関してはまあいい。僕に匹敵するだけの実力を持っていた。だが附属魔術は使えないし、召喚魔術など知識がそもそも毛ほどしかないのだ。
それだけの実力で学部首席。
無意識に歯軋りをする。悔しさが滲んだ。少し唇の端から血が出る。
「へえ……」
「聞いておいてどうしてそんな目を丸くするんです?」
「いえ、イネス先生が生徒に期待するなんて」
「何気に失礼ですね。そういう菊乃先生はどうなんです?」
「そうですねーいい子は沢山いますよー。一番見所があったのはユーリちゃんですねー」
「名前言われても解りません」
「おっぱいが超大きいです」
「特徴言えばいいっていうものでもありません」
阿保な会話。
「少し羨ましいです……」
「感想も結構です」
本ッ当に阿保な会話。
自分の慎ましい胸をふにふに揉む菊乃は教師とは一見して解らない幼児体型。言うなれば寸胴。哀れではあるが、かくいう自分も身長はコンプレックスだ。成長はするだろうが。あれと違って。というか僕の場合は栄養が頭脳に行き渡りすぎているせいで――いや、馬鹿らしい。誰に対する言い訳だ。
この阿保な教師の阿保なガールズトークを聞いている義理はない。
イネスの許に歩もうとした時、
「ああ、でもシェリカさんが期待できるってなんでなんですか?」
という脈絡のない菊乃の言葉に立ち止まった。
「確かシェリカさんって、銀髪の可愛らしい女の子ですよね。銀髪うらやましいなぁ……。最近髪も傷んできて……。年ですねーホントに。ああ、そういえば双子の弟さんがいるんですよね? どんなかなー。やっぱり美少年なんでしょうか?」
「知りませんよそんなの。個人の容姿はともかく、それに伴う感想も要りません」
阿保な会話だった。
立ち止まった自分が馬鹿だった。
「――まあ、シェリカ・ロレンツは“精霊憑き”ですから」
不意に、イネスはそう漏らした。
「精霊憑き……ですか?」
聞いたことがあった。
確か、
「精霊憑きは言うなれば『精霊に好かれる特異体質』といったところです。魔術士だけがなるものでもないし、誰にでも発症します。病気みたいなものです」
「びょ、病気なんですか!?」
「話を聞いていませんね。比喩です。ただの。ちなみに発症の可能性は高く見積もって一億分の一くらいですね」
「すごい確率ですね……」
「かつてはもう少し数がいたそうですが、空白の時代を境に減少しているようです」
「へえぇ……何があったんでしょうねぇ……?」
「それが解れば空白の時代などと呼ばれていないと思いますが」
正論だ。
そんなことはどうでもいいが。
精霊憑きは確かに特異体質と言える。誰にでも現れる可能性がある。魔術士などとは関係なく。ゆえに普通の人間に発現すれば、たちまち魂を貪られ死ぬことになるだろう。好かれると言ったところで、精霊が求める対価は払わなくてはならないのだから。
それはだが魔術士にとっては夢のようなものだ。
イネスが言った通り精霊憑きは精霊を寄せ集める。通常魔術士は要素魔術を使用する際、自らの魔力と触媒を用いて精霊をおびき寄せる。そして仮の契約を結び、暴れないよう魔力で拘束し、使役する。
だが精霊憑は勝手に精霊を引き寄せる。つまりおびき寄せる必要はないのだ。そこかしこにいる精霊を鷲掴みにして投げ放題なわけだ。
狡と言い換えたっていい。
あれはそういう代物だ。
それをシェリカ・ロレンツは有している。
「あとシェリカ・ロレンツの魔力量はかなり膨大です。軽く上級魔術士の二人分はあります。それも要因ですね」
「弟さんの分だったりして」
「それは……可能性がありますね。なんらかの原因があれば」
「わ、わたし名探偵ですか!?」
迷探偵だろうお前は。黙っていろ寸胴。
「とはいえまだ能力を使い切れていません。もしその力を使えれば、期待は出来るかもしれない……その程度の話です」
「スルーされちゃった……。でも、どうして使い切れていないんですか?」
「それは知りません。自分がそういう体質ということは理解しているようですが、まだそれでどれだけのことが出来るのかを理解していないのだと思います。あとは単純に要素精霊の構成能力がまだ低いです」
「なるほど〜」
全然解っていない顔だった。
医術に関しては天性の才能を持つと言われるのに、日常会話が非常に残念だ。男子生徒からは「萌え萌え先生」と言われ持て囃されているが、燃え燃えだ。燃焼してしまえ。
しかしあの女が首席になった理由は理解した。単純に運が良かった。それだけだ。一億分の一の確率で手にした才能のおかげということだ。
笑うしかない。
ああ。可笑しすぎる。
ふざけすぎて。
アハハハハハハハ!
馬鹿馬鹿しい。
そんな理由があって堪るか。
「――何か用ですか?」
目の前にイネスがいた。気付かなかった。
「先程からいたようですが」
「ファンですよきっと」違う。死ね。
「ぼ……僕は……その……」
唐突過ぎてしどろもどろになった。すべてを見透かすような冷たいイネスの視線がそれに拍車をかけていたのかもしれない。嫌な汗が流れた。生唾を飲み込む。「あ……」と口を開くとひどく掠れた声で無様だった。
なんとか喉を整える。
「実技試験の……結果で……その……」
「異議があると?」
聞き終える間もなく、口を挟まれる。
「……え、は……はい」
「そうですか。しかしあれは正当な位置付けです。貴方がどの位置にいるかは知りませんが、異議は認めません。話は以上ですか?」
まくし立てるように言ったイネスの言葉を噛み締めることで精一杯だった僕は返事など出来なかった。何も言えず、金魚のように口だけがパクパク言っていた。実に無様だった。
「では、行きましょう菊乃先生」
「え、あ、はい」
もう関心は無くなったかのように横を通り過ぎ去っていくイネスと、カルガモの子どものようにすてすて付いていく菊乃。菊乃の一瞥が痛かった。
やめろ。哀れむな。僕を憐れむな。憐憫などいらない。
くそ。糞。クソ。
僕は。僕は。僕は僕は僕は僕はッ!
壁を叩く。手から血が出ただけだ。
何も変わらない。
位置付けは正当?
知ったような口を。
貴方がどの位置にいるかは知らない。
次席だ。
興味があるのはシェリカ・ロレンツただ一人。興味の無い生徒など名も覚えない。あれがイネス・ラトクリフか。
「……やる」
殺してやる。
殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺してやる。
そして思い知らせてやる。首席が誰か。天才は誰かを。
殺してやるのだ。
『いいじゃろう……』
声がした。
『貴様には興味が無いが、宿主……否余の庭を繋ぐ扉じゃ。それくらいの願いは叶えてやろう。それに、その女娘のことも気になるしのう? よい余の供物になるじゃろうて。……じゃから』
暗転する。
意識が遠退く。
前にも、こんな……ことが……。
『貴様はすべてを余に委ねて死ね』
その言葉が僕の聞いた最後の言葉だった。
◆Firo◆
「フィーロ君……」
「怪我は無いですか、リリーナさん」
リリーナに駆け寄り、倒れそうなところを抱き留めた。なぜか顔が赤い。紅潮している。あの気持ち悪い生物のせいか。くそう。憎らしいが……やるじゃないか。
ぶっちゃけ色っぽい。
む。いかん。そんなやましい。ダメだダメだ。頑張れ俺の理性。
「いてっ!?」
痛みに後ろを見れば、クロアがいた。背中を抓られていた。地味に痛い。口を尖んがらせて睨みつける辺りが、可愛かった。抓られるのは御免だけど。つーかなんで抓られたんだ俺は。
「フィーロ君ってばいつまで抱っこしてるの?」
さらに後ろでモランがにっこり笑っていた。モランのこんな笑顔は初めてだ。
めっちゃ怖い!
なんだ!? 何かしたか!? 俺はモランを怒らせるようなことを何かしたのか!? 原因が解らないことほど恐ろしいものはない。
「王子モテモテだねぇ」
「シオン先輩……いや、意味が解りません。とりあえず助けてください」
ニヤニヤ笑うシオンは自分でなんとかしなーと離れていった。悪魔め。
とりあえずリリーナを起こす。「ありがと」とリリーナにしては小さい感謝の句を呟いていたが、その表情はなぜか残念そうだった。なぜに?
まあ、それでクロアは手を離したし、モランも納得したみたいだから、それでいいんだろう。意味は解らんが。
つーかじゃれ合っている暇はない。
「まあなんだ……ユーリはスヴェンを頼む」
「りょ、了解です!」
敬礼はいらんが?
やる気は十分なようだから別にいいけど。モニカがすごい睨んでくるのは頂けない。怖い。
「さて、んじゃまー……」
剣を引き抜く。しっかし、イネス先生の言う通りなのかも知れない。話を聞いといて良かった。そう思おう。感謝だ。百聞は一見に如かず。ん? 違うか。なんだ。ぱっと出てこない。まあいいや。
俺にはシェリカを守る力があった。それだけは事実だ。それだけで十分だ。
フィーロは切っ先を化け物――“贄の女王”に向けた。
「とりあえずシェリカ返せ。クソババァ」
◆◆†◆◆
「敵は《贄の女王》で間違いありません」
イネス先生はフィーロたちがホールを出る前に呼び止めて、そう言った。
「サク……なんです?」
「贄の女王です。……召喚魔術は解りますね?」
「ええまあ……人並みには」
召喚魔術は異界から異形を喚び、使役する魔術。要素魔術とは異なる体系で、独自の言語を使用する。以前ロリエが使ったのを覚えている。戦ったし。白騎士ルクセリア。
「贄の女王も異界の住人です。元は高名な魔術士でしたが、異界――《贄の獄域》に堕ち異形に成り果てました」
「人だった……?」
「永遠の美を求めた憐れな魔術士です。出生などはどうでもいいですが」
結構そこ重要じゃね?
思ったけど言えなかった。こっち素人、あっちプロ。
というかその贄の女王とやらは、なんたってここに現れたのだ。自然に沸いて出るような存在じゃないだろう。聞いた感じ。
その疑問を感じ取ったか、イネス先生は口許を緩めた。
「では、なぜ現れたか。簡単です。召喚魔術です」
「……まあ、そうでしょうね」
話の流れからしてそれしかないし。それくらい解るさ。ハハハ。このお茶目さんめ。絶対わざとだろ。
「数日前、第三図書館の厳重保管書庫の錠が何者かに開けられていました。管轄の者は開けられただけと言っていましたが、普通に盗難されていたようです」
「つまりそれが……」
「そう、《贄の書》と呼ばれる黒い本です。厳重封印指定された超特A級の禁忌魔導書です」
イネス先生はやはり淡々と告白した。
あまりに言い方とかが淡泊だったから、なんかの冗談にも聞こえた。が、その言葉をしっかり咀嚼してみたが……
「大事件じゃないんですか!?」
そんな危険な物がなんでうちの学校にあるんだ! そしてそのセキュリティの甘さよ! 爆弾発言すぎる!
「そういう目的で作られた学園でもあるので」
「うわぁ! 心の中読めるんですね! すげーや! つーか学園の知られざる一面ですね! 当初の設立の目的と完全にねじれの関係じゃん!」
「その話も今はどうでもいいです」
よくねえよ。
「贄の女王は曲がりなりにも魔術士です。しかも、稀代の魔術士でもあります。魔術士が世界を治めていた時代、魔術を極めた者を魔王と呼び畏怖していましたが、贄の女王はその魔王の一人です」
「曲がってないじゃん」
魔術士の究極体じゃねーか。サラっと言ってるけど、それってもう勝ち目ないんじゃないの? 諦めてもう世界渡しちゃいましょう。今なら捕虜として扱ってくれますよ。
フィーロは完全に日和見する計画を考え始めていた。
「……それで、犯人は誰なんです」
ガナッシュが横から口を挟んできた。剣呑としている。やめろガナッシュ。ただでさえ絶望的なんだから。笑える顔をしろ。
「さあ?」
「さあって……」
「生徒か教師か……それは解りません。今の問題は贄の女王を帰還させるか、消滅させるかです」
「勝算はあるんですよね? だからフィーロを呼び止めた」
「生徒に委ねるのは酷ではありますが、おそらく対抗しうるのはフィーロ・ロレンツのみです」
イネス先生はそう言ってフィーロに目を向けた。
「俺……ですか?」
言っている意味が解らなかった。
一斉に視線が集中する。驚きの視線と、なぜか特に驚くこともないといった視線。対局の視線がフィーロに集中した。
「いや、でも、俺は学生で。つーかレベル1ですよ?」
なんの取り柄もない。後方支援型剣士だ。そんな俺に何が出来るっていうんだ。フィーロはひたすら困惑して、助けを請うようにガナッシュに視線を送った。
「ガナッシュもなんか言ってくれ」
というか請うた。
「ボクは……」ガナッシュが俯いて少し考える仕草をして、確信したらしい、顔を上げた。「適任だと思う」
「ほら、ガナッシュもこうい――まてこら」
「お前には力がある。それは初めて見たときから感じていたことだ」
「御免。そんな力無いから。やめろ。ハードル上げんな。しばくぞ」
「お前ならやれる」
「肩叩くな」
「イネス先生……これは生徒に委ねる事柄では……」
いつの間にか近寄って来ていたヴァイス(先生)が似合わないやんわりとした口調でそう言った。なんだ。キモいぞ。
「いって!」
頭をぶん殴られた。痛い。生徒虐待だ。
「ヴァイス先生。相手はアルフレッド・クロムウェルと同等の魔術士。いえ、魔術師です。“月の民”の力無くして勝ち目はありません」
「しかし……」
「それに、貴方が生徒を守るのでしょう?」
「……それは……そうですが……」
「王の牙はそのための剣。ヴァイス先生、貴方は貴方の仕事をしてください」
「……解りました」
おお。なんかヴァイス(先生)が圧し負けた。普段ならざまあみろだが、今は結構やばいんじゃないのか? おい。粘れ。ヴァイス(ヘタレ)。
「いってぇ!?」
またぶん殴られた。しかもピンポイントで同じ場所だ。八つ当たりじゃねーか畜生め。
「フィーロ。貴様は俺が守る」
「おええええええええぇぇぇぇぇ……」
「殺されたいのか」頭を鷲掴みにされた。
「俺を守るんじゃないのかよ!? 殺気立ってんぞ!」
「甚だ不本意だが、仕方なくだ」
「ツンデレかよ」
「どうやら本当に殺されたいようだな」
ヴァイス(ホモ?)の額に青筋が浮かんでいた。怖いよう。
ガナッシュがこれみよがしに溜息を吐いた。ジト目になって、ヴァイス(ホモ!)を一瞥して、フィーロを見た。
「フィーロ、ヴァイス先生……そろそろいい加減に……」
「――フィーロ君!」
ホールの扉が勢いよく開け放たれた。
モランだった。
息を荒げて視線をさ迷わせ、視線がフィーロを捉えた。転げ落ちそうな勢いで階段を駆けてくる。「――きゃっ!?」案の定躓いた。
「あぶな……!」
ヴァイス(お邪魔)の手を払い、駆け出す。間一髪のところでフィーロはモランを抱き留めた。真正面から支えに入ったので、端から見れば抱き合っているようだが、フィーロにそんなことは解るはずもなかった。
「大丈夫かモラン……?」
ゆっくり態勢を整えさせる。顔が真っ赤だった。まあそりゃそうか。公衆の面前であんなに豪快に転びかければ誰だって恥ずかしい。
「あ、わ。わわ……ご、ごめんなさい……ってそんなことより! フィーロ君大変なの! シェリカちゃんが……! エリック先輩がなんとかするって……でも助けがいるって……それで……!」
がしっと肩を掴まれ、モランは叫んだ。切羽詰まっている。もはや文章になっていない。いつもおっとり構えているモランが慌てる状況なん余程のことである。もう目からは涙が浮かんでいた。
「お、落ち着け。何があったんだ……?」
「シェリカちゃんが……」
「シェリカに何かあったのか?」
「いきなり黒い影に包まれて……それで……それで……わたしなんにも出来なくて……」
「落ち着け。とにかく、シェリカが危ないんだな? クロアたちは無事なのか?」
「クロアさんはユーリちゃんとモニカちゃんのところに……ルミア先輩も捕まって……エリック先輩が戦ってる……わたしはエリック先輩に頼まれて……」
「戦ってる……じゃあさっきの爆発音はやっぱりエリックさんか」
「相手は変な女の人の化け物で……」
「女……贄の女王か」
「サク……え? フィーロ君はあれが何か知っているの……?」
「今イネス先生から聞いた。だけどなんで捕らえる必要が……」
「召喚が不十分だったのでしょう」
イネス先生が口を開いた。
「完全な召喚がされていれば、このホールの人間は全滅していたでしょう。昏睡しているとはいえ、全員が生きているということは、まだ力が戻っていないという証拠です」
「だから魔術士で力を補充しようと……?」
「シェリカ・ロレンツの魔力はかなりのものです。ルミア・アーティミスもそれには及ばないものの、魔力量は平均以上です」
だから捕われた。そいつの養分として。
ふざけた話だ。
「ですが今が好機とも言えますね」
「好機……?」
「補充しなくてはいけないほどに弱っているということは、まだ人の手で倒せる範疇だということです」
「そうか……そうですね」
イネス先生曰く。俺には奴を倒せる力がある。俺はシェリカの盾だ。決して剣ではない。だけど、守るためには盾を刃に変えないといけない時もある。そして、今がその時だ。
フィーロはモランの涙を指で掬った。
「フィーロ君……?」
「安心しろ。俺が……俺がなんとかする」
今出来る精一杯の笑顔で応える。そしてイネス先生に向き直った。
「イネス先生……教えてください。俺はどう戦えばいい」
日和見計画は終わりだ。
◆Ganache◆
「どっせぇぇぇぇい!」
迫りくる影で出来た黒い蛇。フィーロはそいつをぶった切った。音もなく霧散する。しかし、その掛け声はいかがなものか。別にいいけどさ。
イネスが言うには、贄の女王は闇の要素魔術を使うという。
闇とはすなわち虚無。ゆえにあらゆる精霊はその前に挫ける。闇の要素魔術は通常の魔術では対抗出来ない、いわゆるジョーカーのような魔術なのだという。まあ厳密に言えば弾くのが限界で、相殺は出来ない、場合によっては向こうがこっちを飲み込むのだという。
そもそも闇の精霊は現代の魔術士では制御は不可能とされる。膨大な魔力をもってしても、その要素精霊は御することが出来ない。理由は不明だが、時精霊と同じような分類にいるがゆえに、特殊な言語を必要とするというのが一般論らしい。そのため詳しいことは解らないらしい。
だがそれがいかに規格外だろうと、それは精霊に変わりはない。
ゆえにフィーロのみがそれに対抗しうる。
魔術士殺しであるフィーロだけが。
フィーロは精霊を『殺す』。
《精霊殺し》とも呼ばれる力。それがフィーロの力だという。
名の通り精霊を殺す精霊殺しは、あらゆる精霊を存在ごと抹消する。通常ガナッシュのように神具を持つ者ならば魔術は払える。ユーカリスティアは水の精霊を身に纏う。特に火の精霊には滅法強い。
ヴァイス先生の持つ切り裂く王者の牙も、おそらく魔術を斬ることが出来る。
しかしそれは精霊の構成を破壊するだけだ。普通に弾くことなど不可能に近い。バルドのように魔術加護があれば話は別だが。しかし蛮族の森の炎の鬣ですら、その膂力をもってしても腕はずたぼろだった。生身の人間がただの剣で弾いたところで弾かれるのは魔術ではなく人間だ。魔術はそれくらい絶対的なものなのだ。
確かに片鱗はあった。フィーロはそのなんの変哲もない剣で魔術を弾いている。なんのことはない。それがフィーロの力だ。そしてそれは弾いたのではない。厳密には精霊の構成も何もかもを無視して、精霊の存在を抹消しているのだ。
初めて贄の女王の表情が驚きに変わった。そして醜悪な怒りの形相へと変貌する。
「余の影霊の力を……まさか赤月の力か……まだこの世界に居座るのか、貴様らは!」
「何言ってんだあんたは! いいから二人を解放しろ!」
フィーロが言葉ごと薙ぎ払うように剣を一振りし、贄の女王を睨んだ。その横を影が走る。黒ずくめのヴァイスが王の牙を抜き放ちながら駆けた。
「フィーロ、貴様は潜り込んで二人を助けろ! 活路は開いてやる……!」
そうだ。呆けて眺めている場合じゃない。シェリカの命もルミアの命もフィーロ一人に背負わせることはない。
背に負ったユーカリスティアに手を掛ける。まだいけるだろう。死ぬことを恐れて仲間を見殺しにするなど御免だ。一気に引き抜き、構える。
「どこ行くねん」
肩を掴まれた。
レイジだった。
「お前……というかお前がどこ行ってたんだ」
「んー……野暮用や。まあ、あとは俺が行くで」
「馬鹿か! あれは……」
「心配してくれるんか? 嬉しいわぁ」
「茶化すな!」
「どうもない。死にかけのジブンよりは十分動けんで」
にかっと笑うレイジ。
「フィーロといいお前といい……僕はまだ――」
「うるさい」
「だっ!?」
唐突に、目の前が眩んだ。それに続くように痛み。というか、痛い。殴られた。レイジに。いや、まて。お前訛りはどこいった。今すごいナチュラルだったぞ。
レイジは愛用の小刀とは違う形の、いびつな双小剣の片方を投げて掴むを繰り返した。一方は真っ直ぐな、両刃の短剣。もう一方は玩んでいるほうで、鉤爪のように曲がっていた。
「十回くらいならこいつも保つ。そんだけあれば十分や」
「お前の野暮用ってなんなんだ……」
「企業秘密やで」
えらく男前な微笑みを浮かべた。変態のくせに。
こいつもこいつでよく解らない。考えてみれば、ボクらカタハネは互いに過去も他の付き合いも全く知らない。というか興味がない。
レイジにもそれなりの付き合いがあるのだろう。変態だが。
「解った……」
「ほうか。ほな」
「お前が切り込んでボクが後方支援だ」
「話聞いてた!?」
「聞いてたさ。でも、仲間を助けるのに命を惜しむような真似はしたくない。もし仮に囚われているのがイリアならボクは……ボクはぁぁぁぁ!」
「もどってきー」
「はっ……! 最悪の事態を想像してしまった……いや、でもそこでボクが華麗に助けるという素晴らしいシナリオもあるんだけれどね?」
「知らんよそんなん」
どうやらレイジには伝わらないらしい。このイリアへの無限の愛は。至極当然だが。
「まあ、そういうことだから。それに……ボクはクランのマスターだしな」
フィーロも言っていた。ボクはこんな様でもクランのマスターだ。少なくとも俺はそう思っている、フィーロはそう言った。だから、それに応えなければ。
「はあ……まあ、しゃあないわ。ジブンも結構頑固やしな」
小さく嘆息し、レイジは贄の女王に視線を向けた。玩んでいた短剣を横殴りに掴み、「いつでもええで」と言った。
ガナッシュはその言葉と同時にユーカリスティアを構えた。あと何回使えるだろうか。あの人も、やはりそんなことを考えながらこれを振り続けていたのだろうか。もしそうなら、ボクは少しでも近付けられたのだろうか。
そんなこと、今はまだ解らない。だからボクは天上の地を目指すのだ。
こんなところで躓けるか。贄の女王だかなんだか知らないが、きっちり送り返してやる。
というかフィーロだけに活躍させたくないしな。
「行くぞ……!」