第一章(32) 片鱗
◆Firo◆
魔法陣にはいろいろ異なる意味がある。
まず魔法陣とはそれそのものが魔術だ。刻まれた図や文字は詠唱を表し、そして魔術の構成を助ける触媒ともなる。要素魔術においては、より高度な精霊の構成による反動を抑える障壁となるし、召喚魔術においては、異界とこの世界を繋ぐ扉の役割を果たす。
ゆえに魔術士でなくても、魔法陣を見ればあれがどういう魔術なのかくらいは直感で解る。だからあれが危険な代物だともフィーロにはなんとなく解った。
そもそも空に浮かび上がる魔法陣なんてものは見たことも聞いたこともない。本当に魔法陣でいいのかあれは。
暫し観察して解ったのは魔法陣の直下は第一ホールだということだ。
それに気付いたとき、フィーロは嫌な予感がした。弾けるように駆け出す。「フィーロ!?」というシェリカの声が聞こえたが、今は無視した。
第一ホールの扉を蹴飛ばし、そして絶句した。
「な……なんだよこれ……」
地獄だった。
地獄を見たことがあるわけではない。でも多分これが地獄だ。
生徒が、教師が倒れている。
屍のように。
寒気がして、一番近くの倒れている女生徒に駆け寄った。「大丈夫か!?」
「うぅ……っ……」
幸いにも息はあった。しかし顔色が悪い。余程のことがないとならないレベルの真っ青さだ。つまり、これは余程のことだ。
「くっそ……なんなんだこれは……」
「フィーロ! そっちはどうなってる!」
歯軋りをしているところにエリックが飛び込んできた。
「これは……なんだ?」
「……俺が聞きたいです」
「だよな……こういう時はルミアだな。ってことで俺はルミアを捜す。多分あいつなら解るはずだ。お前は ガナッシュたちのところに行け」
「この人たちは……」
「まだ息はある。見た感じ全員が精気を奪われているみたいだし、これだと一番心配なのはガナッシュだろ」
「……解りました」
確かに、ここに倒れている人たちは、まだ呻くだけの息はある。だが最初から呻いている奴もこうなったらどうなる……? 血の気が引いた。
「あんのバガナッシュが」
ユーカリスティアの使用負荷による魂そのものの消耗。ある程度回復するとはいえ、それは生命としての根幹を喰われるということだ。それを食い尽くされればどうなるかなど想像に難くない。
そしてこの状況だ。最悪の事態すら有り得る。あいつは鉄人でもなんでもない。ただの黒髪ロン毛のシスコン剣士だ。考えてみたらそんな奴なかなかいない。レアモノだった。
冗談言ってる場合じゃない。
階段を蹴る。医務室を一直線に目指した。倒れ呻く多くの生徒たちに目もくれず走る自分自身に嫌悪した。
でも今は出来ることをするしかない。
医務室まで辿り着くと、フィーロは勢いよく扉を開いた。
「無事か、バガナッシュ!」
「せあああぁぁぁッ!」
「ぬおっ!?」
突如、容赦のない兜割りのような斬撃がフィーロに叩き付けられようとした。慌てて剣を抜きそれを受け止める。すれすれのところで受けた。
動きが止まり、相手が解った。
「あぶねぇだろ! ガナッシュ!」
「なんだフィーロか。敵かと思ったぞ」
「こちとら心配して駆け付けてやったんだが?」
「そうか。そいつはすまないな」
「みんなは無事か?」
「いや……まずい状況だ」
そう言って後ろに下がった。それに続き部屋を覗く。
医務室のベッドはガナッシュを見舞いに来たのであろうアンセムスターの面々で埋まっていた。みなホールの生徒たちと同じように青い顔で呻いている。
「ホール全体がこれか……つーかなんでガナッシュは無事なんだ」
「ユーカリスティアだ」
ダランと左手で引っ提げている波打つ太刀に視線をやった。
「いきなり騒ぎ出してな。勝手に何か防御壁みたいなものを張りやがった。そのあと揺れが来たんだ」
「揺れ?」
「地震とは違う気がしたがな……よくは解らない」
「揺れ……魔法陣の発生のせいか……?」
「魔法陣? なんの魔法陣だ?」
ガナッシュは魔法陣のことを知らなかったらしい。ホールの中にいた人全員は知らなかっただろうが、しかしこいつはまたユーカリスティアに救われたわけだ。
下手をすれば自らをも殺す両刃の剣に助けられるとは皮肉な話だ。
「このホールの上空にでっかい魔法陣が浮いてるんだ。なんの魔法陣かはエリックが調べてる」
「……なるほど。少なくとも魔術の影響だということに間違いはないみたいだな。カタハネの皆は?」
「一緒にいたからな。無事だ。変態は知らないが」
どこに行ったのか。いつも神出鬼没な奴だ。
「アイツは大丈夫だろ。しぶといし」
「ああ……そうだな。で、このあとどうする?」
「うん……? そうだな……」
「――生存者がいるとはな」
扉の方からの声に反応し、フィーロとガナッシュは一斉に振り返った。
青い刺繍の入った黒い衣服に身を包んだヴァイス(先生)の姿があった。まるで死神みたいだ。
「悪運が強いのか……まあいい。そこに倒れているので全員か?」
相変わらず説明とかそういうのを一切省く男だ。
「ええ」とガナッシュが答えたが、フィーロは黙って睨むように見ていた。が、目線が合うと逸らした。とんだ臆病者である。
「ここはいずれ浸蝕される。イネス先生が準備をしているからそいつらを連れて来い」
「何が起こっているんです?」
「知らないほうがいい」
この鉄面皮。説明義務を放棄するんじゃねえ。
とは言え、あのヴァイス(先生)が気を遣うとは。事態はそれ程までに深刻なのか。イネス先生が準備しているということも気になる。なんの準備だろうか。
とにかく、考え込んでも仕方がない。フィーロとガナッシュは顔を見合わせ、頷いた。伏したままのロリエを小脇に抱えて、エミリ(だったか?)を負ぶさった。さすがロリエ。コンパクトだ。ちなみに背中にたわわな感触があったが、緊急事態ゆえに無心になるよう努めた。ガナッシュはベアトリーチェを背負った。少しふらついていたが、大丈夫そうだ。
にしてもヴァイス(先生)がユミィを抱えたのだが、その抱え方が完全に人攫いだ。犯罪者にしかみえない。さすがっす先生。心から称賛を贈った。
「……なんだその目は」
「いえ?」
すぐに逸らした。
◆◆†◆◆
「coordinate fixation. trim from unconscious sea.」
ホールに行くと、イネス先生がいた。風がないのに髪が揺れている。魔術だ、が聞いたことがない詠唱だ。召喚魔術に似ている気がする。
「――open the gate.」
フィーロがそれを眺めていると、突然空間に亀裂が入り、それがまるで扉のように開かれた。トリックアートでも見ている気分だった。
「すげ……」
「空間操作か……人の技とは思えないな」
ガナッシュもフィーロと同じ感想を抱いていたらしく、ポツリと漏らす。
「ご苦労さまです」
ヴァイス(先生)がそんな言葉を使うとは思いもよらなかった。心臓が止まるかと思った。まさか狙ってるのか? 変態だな! ムッツリ助平め!
「いて!」ゴンと拳骨を喰らった。痛い。つーかなんで解るんだ。
「ヴァイス先生。そちらも。それで全員ですか?」
「ええ、おそらく」
「こちらは準備できています。いつでも行けますので」
「了解です」
「先生、これは……」
話を勝手に進める二人に困惑したガナッシュが口を挟む。
「これから全生徒と非戦闘員をイネス先生の作った空間に隔離する」
「隔離……それはつまり、そういうことなんですね?」
「ああ」
ヴァイス(先生)の短い返事に、ガナッシュが深刻な表情になった。決して無愛想だからとかではないはずだ。
全生徒と非戦闘員の隔離。つまりことは教師たちの力でなければ及ばないということだ。しかも学園は戦場になる可能性が高い。フィーロも自ずと表情が険しくなる。
「あー肩凝ったわぁ……大体の避難は終わったわよ」
「しゃきっとしましょうよぅアメリア先生〜。あ、イネス先生。やっぱりみんな生命力そのものを奪われています。施術の効果は薄いです……ごめんなさい」
空気をぶっ壊すような口調で肩を叩きながら、扉からアメリア先生が現れた。めちゃくちゃ面倒臭そうだ。人命がかかっているとは思えない。治癒術がどれほど才能に左右されるものかが解る例えみたいな人である。
その後ろからすててとちっちゃい先生が小走りにやって来た。東洋系の顔立ちから察するに、菊乃先生だろう。治癒士学科の教師で直接知り合いなのは保健医のアメリア先生しか知らないので、交流があるわけではない。アメリア先生も窘めてから、イネス先生に報告をしている。倒れた人たちの治療にあたっていたのだろう。が、稀代の治癒士でも現状はお手上げらしい。
「ご苦労さまですお二人とも。少し休んでいて下さって結構です。他の先生方にも休憩するように伝えてください」
イネス先生は労いの言葉を投げかけるが、魔術に集中しているのか二人の方は向かなかった。それを見てアメリアは「あんたも頑張るわねー」とまるで人事のように漏らす。本当にどうなんだろう、これは。
なんとも形容しがたい表情でフィーロはアメリア先生を見つめた。それに気付いたのか、こちらに目線を向けた。
「あら、弟クンじゃない」
「どうも」
「そんな見つめちゃって、どうしたの? 惚れちゃった?」
「それはないですね」
「少しは動揺したら? 可愛いげがないわよ」
余計なお世話である。
「そういえば、シェリカは?」
「え? あー……あれ。まだ来てないのか……?」
一本道だったし、俺がホールに向かったのは明白なはずだが。
学外への避難の列に加わったのか? ガナッシュに尋ねかけたが知るはずない。当たり前だ。そういえばエリックもいない。
――ドオォォォォォォォン……。
不意を突くように、爆発音がホールを揺らした。
「なんだ!?」ガナッシュの動揺する声。
「外からだな」
「ヴァイス先生、お願いします。私は空間の常駐とハザマへのサルベージを済ませなくてはならないので」
「ええ」
イネス先生の言葉にヴァイス(先生)は短く返事した。
「じゃあ菊乃に戻ってもらうわ」
アメリア先生がシガレットを加えながら言う。
「わ、わたしですか?」
「ではそれでお願いします。おそらく事態は深刻です」
イネス先生は淡々とした口調で語るので深刻性が解りづらい。が、イネス先生が言うのだ。かのクラン《クロムウェル》の魔術士が。かなりヤバいと思っていい。そしてあの爆発音は明らかにここが戦場になっている証拠だ。
なら敵は誰だ?
一番の疑問。空の魔法陣。ということは魔術士か。断定は出来ないが可能性としては一番有り得る。だが何故この学園を狙ったのか。
そもそも、今戦っているのは誰だ?
戦闘を担当できる教師の可能性は無きにしもあらずだが、学園の教員は少なくはないが多くもない。その上避難の件がある。人では少ないはずだ。そして不在の者のこと。
嫌な予感しかしない。
「俺も行きます」
「フィーロ、お前……」
「シェリカが心配だ。探す」
「駄目だ」ヴァイス(先生)が即答した。
「あんたの許可なんか求めてない」吐き捨てる。
「教師をあんた呼ばわりとはな。でかい口叩くな、臆病者。いいから避難しろ、クソガキ」
「俺は家族を探す。ヴァイスセンセイにご迷惑はかけません」
「棒読みやめろ。俺はお前たちの安全を守る義務があるのだ。外に出るだけで迷惑だ」
「なら、ボクが一緒に行けばいいのでは?」
「ガナッシュ・ルフェーヴル……」
「ボクは首席です。足手まといにはなりません。フィーロを監督するということで付いていけば、問題はないでしょう」
「消耗した身体でなければな」
痛いところを突く奴だ。
フィーロは眉を顰めた。やはり駄目か? しかしガナッシュは引き下がらなかった。真っ直ぐヴァイス(先生)を見据える。
「仲間を守るくらいの余力はあります」
「……」
ヴァイス(先生)は押し黙り、ガナッシュを見つめ反した。二人の間で視線が交差する。ガナッシュは何も言わない。ヴァイス(先生)の返答を黙って待っている。
しかし不安げなところは一切なく、確固たる意志を内包した視線をただ送る。ヴァイス(先生)はそれを見据え、フィーロを一瞥した。
果たして、ヴァイス(先生)が折れた。嘆息する。
「必ずこちらの指示に従うことだ。守れないなら残れ」
「守ります」ガナッシュそう言ってフィーロを見た。
「……多分守る」
癪だが。
「……ふん」
鼻を鳴らし、ヴァイス(先生)はホールの扉を目指し階段を昇りはじめた。なんか言えよ。無言で行くな。おいこら。俺たちはどうすりゃいい。
ガナッシュが肘で小突いてきた。
「多分とか付けるなよ」
「なんか譲れなかった」
「どっちが駄々っ子だよ……」
うっせー。
ヴァイス(先生)が扉の前で立ち止まる。顔を半分こちらに向ける。
「何をしている。ぼーっとする時間があるのか」
小馬鹿にした言い種だ。腹立つ。じゃあこっちが返事したときになんか反応示せや能面教師。
フィーロは歯軋りをして睨んでいたが、ガナッシュが肩に手を置いた。目を向けると意味深に首を横に振った。
「とにかく急ごう」
「……ああ」
駆け出すガナッシュの後をフィーロは追おうとして、
「待ちなさい。フィーロ・ロレンツ」
イネス先生に呼び止められた。
「……なんです?」
「ためになることを一つだけ教えてあげます」
言って、手招きをする。フィーロは逡巡して、ガナッシュを見た。眉を顰め、訝しんでいたが「行ってこいよ」と短く言った。フィーロはそれに小さく頷き、イネス先生の許に歩んだ。
その時、ヴァイス(先生)がとても深刻そうな顔をしていたらいいが、そんなことフィーロには知る由もなかったし、どうでもよかった。
◆Eric◆
ヤバい。ヤバい。ヤバすぎる。これは洒落にならねえ。エリックは久々に戦慄を覚えていた。目の前の奴は化け物だ。
何が起きたかイマイチ解らないが、あの爆発でのダメージに身体が軋む。
「これはいい! 余ら魔王の亡き時代にこれほどまでの者がいるとは!」
目の前の女はまるで異形だ。
女と解るのは上半身の胸の膨らみくらいだ。見る目が変態? 男なんてみんなそうだ。顔立ちはとても美しい。美人だったにちがいない。過去形だ。
もはやあれは人ではない。
小柄な人間の身体の上に、女の上半身が生えていた。しかも口から生えている。想像を絶する。あれは本当に頭か。巨大カボチャのかぶり物と言ってくれた方が心に優しい。
そんな暖かい現実はないようだが。
肥大した頭。広がった口。そこから美しい女が生えていた。
「なんなんだよ……こいつは」
「解らん。解るのはあれが化け物ということだけだ」
先刻合流したバルドが答える。うちで一番ガタイのいい獅子が傷だらけだ。それだけで爆発の威力が窺える。バルドの表情もいつもの強敵を前にした楽しげな表情などはなかった。
「化け物か。そんな生易しいレベルではないだろう」
スヴェンが大剣を支えに立ち上がった。傷付いているが、大丈夫そうだ。タフな連中でよかった。
「とにかく、ルミアたちを助けるぞ」
「救援は来るか?」バルドは斧槍を分離させた。
「犬耳ちゃんに頼んではいるが……教師でも歯が立つかどうか」
弱気になりそうな心を叱咤する。
上空に浮かぶのはルミアとフィーロの姉、シェリカ・ロレンツ。
あの化け物は突然現れたかと思うと二人を黒い影で包んだ。こちらも対抗しようとしたが、びくともしなかった。あれは普通じゃない。
「ああ……潤う。失われて久しい余の美貌が……」
恍惚そうな表情をした化け物は明らかに変化していた。
若返っている。
表現がそれで正しいかは解らないが、段々綺麗になっているのだ。現れたときこそ、しわしわくちゃくちゃの変な婆みたいなのだったが。
「二人の力を奪っているのか……?」
ホールの様子を思い出す。あれは精気を吸い取られていた。吸収の力でもあるのか。どれくらいの勢いで奪っているのか解らないが、出来るだけ早く助けなくては。
ここであの二人に何かあれば、特にシェリカの身に何かあればフィーロに申し訳立たない。任せておけと言ったのだから、裏切ることはしたくない。先輩としてのプライドもある。
だが勝てるか。
あの黒いのたうつ影は柔軟かつ強固。エリックの風すら防いだ。というか弾いた。つまり魔術を防いだのだ。つまりはあれも魔術かなにかだろう。
しかし属性はなんだ。黒い影。連想するものは――
「闇……か? 聞いたことねーぞ、そんなもん」
「エリック、来るぞ!」
スヴェンが警告を放つ。
地を這う影。蛇のようだ。いや、蛇だ。そのものだ。にしても速い。倒せもしない上に俊敏とは。さすがにどうしようもない。
「くそ……!」
扇を舞わせ、風を纏う。黒い蛇の突進を飛び上がって躱す。蛇の顎は地面を噛み砕いた。
なんて威力だ。
地面が陥没してる。直径二メートルといったところか。威力は爆破系の中級要素魔術くらい。あんな細い縄みたいなものでだ。あれが束になったら上級魔術に匹敵するだろう。考えただけで寒気がした。
というか、なにより不可解なのが、あの化け物は一人で恍惚としているだけで、こちらに気付いていないことだ。まるで興味がないみたいだ。歯牙にもかけられていない。路傍の石ころ扱いだ。
するとあれは自動で動いていると思っていい。おそらくは化け物独自の防衛システムみたいなものなのだろう。
「厄介だな……」
「ぼけっとするな!」
バルドの叫び声。しまった。思考に集中しすぎた。らしくない。目の前には黒蛇。大口開け、牙がちらつく。その牙は黒く、その奥の咥内は完全に闇だった。
「くそ……!」
万事休すか。
そう思ったところで、頭の横を光が掠めた。蛇に直撃した。それは蛇の軌道を変えた。エリックは慌てて身を捩る。ギリギリのところで回避できた。
しかし今のは……。
「エリックー!」
「加勢しにきたよ!」
リリーナとシオンだった。シオンの手には弓が握られている。多分リリーナの魔術をシオンが放ったのだろう。
「お前らか……」
「助けたのにその残念な顔は何よ?」シオンが下目遣いで言ってきた。
「いや、助かったさ」腹立つことにな。
「生徒の避難が大方終わったから、残ってる教師陣に合流しようと思ったんだけど」
「そこにあんたがいたわけ。よかったわねー死ななくて」
言い方が非常にムカつく。俺の命はこいつにとってはアリンコか?
にしても生徒会長も大変なようだ。だがその尽力もあって生徒の避難は完了したのだ。こういう時は行動力のあるリリーナ。人気だけの女じゃない。自分のことではないにしろ、付き合いある身としては誇らしい。
シオンはその付き添いだろう。クランより息の合う二人だ。なんたってシオンはリリーナのクランへの加盟を断ったのか。まあ、今は関係ないか。
「つーかキモいわねーあれ」
「グロいね……」
今しっかり敵を見据えた二人の、げんなりした言葉に苦笑を漏らす。
「余裕だな、お前らは。でもこっからは余裕ねーぞ」
ルミアとシェリカの生命に関わる。
「うん。だいたい解った。わたしも全力でいくよ」
「無茶は禁物よリリーナ」
「うん」
リリーナは細剣を構えた。ただの細剣ではない。非常に魔力伝導率の高い鉱石で作られた細剣だ。トゥアハー・デ・ダナン。おそらく現代の刀剣の中でも神具に匹敵するであろう逸品だ。
どこの誰が鍛えたのか。未だに教えてくれない。
「――附merl悦dix剣随雷霊」
リリーナの細剣に紫電が迸る。雷の要素精霊を武器に纏わせる附属魔術。先刻のシオンの攻撃はリリーナの附属魔術を受けたものだったわけだ。
同時に変化が起きた。
化け物がこちらを見た。いや、正確にはリリーナを。そしてにんまりと笑った。唇が不気味に横に引き延ばされる。
「……おお。自ら供物となる者がいるとは……殊勝なことじゃ」
「ひえ……く、供物って……」たじろぐリリーナ。
「やらせるかっての!」
シオンが弓矢を放つ。カタハネのクロアもなかなかの射手だが、シオンも射手としては一流だ。シオンは普段は狙撃を専門としているが、一番得意なのは至近距離からの射撃を織り交ぜた格闘だ。舞踊が元になっているらしいが、正直かなり荒々しい。
態勢を低く保ち、一気に接近を仕掛けた。黒蛇が地面を這いながら迎撃しようとする。飛び越えるように躱し、弓を放つ。リリーナの附属魔術によって光線のように一直線に延びる。
放たれた矢はしかし、化け物の前で防がれた。黒い影が今度は壁のようになり、波紋を浮かべながらまるで吸い込まれるように消えた。
「な……!」
「ぬらあああぁぁぁ……!」
空気を裂く音が響き、一本の槍が飛んで来る。バルドだ。つーか尋常じゃない投擲だ。何食ったらそんなんなるんだ?
バルドは投擲と同時に距離を詰める。手に持つのは斧槍。
投擲された槍は、シオンの矢と同じように黒い壁に遮られる。槍は力を失ったように地面に落ちた。金属音を撒き散らし、転がる。「遅い!」バルドはその死角に回っていた。投げた槍はフェイクであり、その間に攻撃するつもりだったのだろう。
斧槍をフルスイングする。
「さっきから虫が煩いのぅ……」
心底鬱陶しそうな表情で化け物は呟いた。「がっ……!?」そしてバルドは吹き飛ばされた。完全に死角からの攻撃だったのだ。それを防いだ挙げ句弾き飛ばすとは。
つーか俺たちはあいつにとっては虫程度の存在なのか。
ふざけやがって。
「俺たちは人間だ!」
扇を使って風を集約する。それを一気に爆発させ、突風を起こした。
とっておきの追い風だ。
「行け、スヴェン!」
スヴェンがエリックの風を使って超加速で突き抜けた。スヴェンは何か違う生命体かと思うくらい速い。その時何となく試しで、というか遊びで考案した追い風特攻戦法。かなりの速さで間合いを詰められ、かつ大剣の威力を増幅させる。
祖びの産物とは思えない、馬鹿みたいに使える代物だ。
「せぃあ……!」
スヴェンが大剣を振るう。バルドのフルスイングを上回るスピード。威力も相当だが――
「鬱陶しい劣等種じゃな。――失せろ」
「ぐ……っ」
黒い壁はいとも容易く斬撃を防ぎ、そしてその壁から、黒蛇を放った。スヴェンの驚異的な反射神経で体幹を守ったが、脇腹を黒蛇が貫いた。
「スヴェン……!」
地面に着地すると同時にすぐさま距離をとる。そこで肩膝を突いた。血が滲んでいる。つーか貫いたなんて威力じゃない。穿たれている。
「大丈夫か……!? すまない、俺のせいだ……」
「気色悪いことを言うな。別になんともない」
そういった表情は苦痛に歪んでいた。脂汗が酷い。重傷だ。止血しなければ命が危ない。
くそ。
何がクランのリーダーだ。
各々が自由に戦うようなことをしているから、それに俺が甘えているからこういうことになる。カタハネを笑えない。ガナッシュは必死でやっていた。結局敗因はそこだ。勝負に負けて試合には勝った? ただの負け惜しみだそんなもん。
学園屈指のクランなどと言われても所詮この程度か。
「きゃあああっ」
「リリーナ!」
シオンの叫ぶ声ではっとする。リリーナが影に包まれた。まずい。
俺に何が出来る。
あの影は物理攻撃だろうが魔術攻撃だろうが無効化する。しかも死角はない。俺の攻撃はすべて無意味だ。
じゃあどうしろってんだ。
「畜生……」
無力だ。俺はどこまでも無力だ。
このまま何も出来ないで、仲間を死なせるのか?
俺は……。
俯きかけたその時、
「ぅぉぉぉおおおおおぉぉぉ……りやぁッ!」
ここ最近聞き慣れた声が背後から響いた。
自然と顔が上がる。そして同時にエリックの耳は何かが空気を裂きながら飛んで来る音を捉えていた。
反射的にそれを確かめようと振り返って瞬間。正確には振り返ろうと首を横に向けた瞬間。黒い物体が目の前を通り過ぎた。つーかちょっと掠めたぞ。
それは見覚えのある剣だ。
黒光りする装飾の欠片もない、実用一辺倒の片手剣。
それが一直線に飛んでいく。そしてリリーナに纏わり付く黒い影を斬り裂いて、地面に刺さった。
「嘘だろ……?」
あのびくともしなかった影が霧散した。本当に霧だったかのように、消え去った。どうなっているのかさっぱりだった。
困惑は大きかったけれど、それでも自然と笑みが零れた。嫉妬がなかったと言えば嘘になるが、それよりも面白かった。
最近知り合った奴の中でトップクラスに面白い男。何かと色んなトラブルとかに巻き込まれる飽きさせない男。自らをチキンチキンと言って、なんのかんの剣を握る変な男。
フィーロ・ロレンツ。
本当にいちいち驚かせてくれる。
俺がこの学園にいる間にあいつが入学してきたのは本当に幸いだ。
きっとあいつは俺には為し得ないことをやってのけるだろう。初めて噂を聞き、一度戦う姿を見たときから感じていたエリックの予感は今この時当たったのだ。
「たく……ちょっと早過ぎるぜ」
これはもう追い越されるかもな。先輩の面子丸潰れだ。
でもまあ、そいつも悪くない。