第一章(31) 異変
◆Firo◆
「まさかバルドがやられるとはなぁ」
「やられてなどいない。あんな他力本願、俺は認めん」
ふんとバルドはそっぽ向いた。勝負事には純粋な男らしい。子どもみたいだ。ギャップ萌えでも狙ってんのかな?
「その意味深げな目はなんだ」
「いえ、なんでもないです」
さっとこっちも視線を逸らした。
訝しげなバルドの隣でハハハとエリックが笑う。
「ガキっぽいよな、バルドって」大いに同意だ。
「お前には言われたくはない」それも同意。
「とは言え、あれじゃあ勝ちとも言えんわな。試合に負けたが勝負には勝ったなんて言葉は聞くが、まさか逆があるとはなぁ。なあ、スヴェン?」
「知らん。そも団体戦は俺の性に合わん。自分の立ち位置が解らんからな」
スヴェンは無表情のままそんなことを宣う。じゃあなんでクランに加盟したんだよ?
「ランプの面子で団体戦得意な奴なんていないじゃん」
満面の笑顔でエリックが言う。が、それは笑みを伴うことではないだろうに。まあ、うちのクランもたいがいなんだが。
要するにカタハネもランプ・オブ・シュガーも似たようなクランだということだ。
「ま、今回は痛み分けってところだが……それよりお前、次出んの?」
「バルムンクでしたっけ。さあ……ガナッシュが結構疲弊してますしね」
「曲がりなりにも俺たちとやり合えた時点でバルムンクとも戦えるだろうが」
バルドからのお墨付きを貰った。やった。全然嬉しくない。
「そだなー。あそこは強いけど、伝統とやらをお堅く守る奴らだしな。とはいえ……」
エリックはベッドに横たわるガナッシュを見た。
以前眠るガナッシュ。ちなみにここは医務室だったりする。
戦闘が終わり、扉をくぐるとけたたましいくらいの歓声に包まれた。ほとんどが「きゃーガナッシュかっこいー」「きゃーエリックさまー」の類だったが。別にいいさ。悔しくないもんね。
とりあえずそれまではガナッシュは自力で歩いていたが、控え室までの廊下を渡り切ることなくぶっ倒れた。
さすがにランプ・オブ・シュガーの面々も人の血が流れる方々だったようで、控え室近くの医務室まで運ぶのを手伝ってくれた。感謝である。何気にコイツ重いんだよ。剣の重さもあるだろうけど。
「バッドコンディションで勝てるほど易しい相手でもないしな」
「そりゃそうですよね」
ガナッシュの倒れた原因など一つしかないのだ。魂の減少が激しい。次の戦闘はきついだろう。仮にユーカリスティアを一切使わず剣技のみで戦うにしても、この状態では剣劇すらまともになし得ない。
戦闘においてガナッシュは頭なのだ。こんな風邪ひいたみたいな頭を連れて試合なんか出来ない。
やはり、
「――棄権はしないぞ……」
「あー言うと思った。一回死ねよ死にかけガナッシュ」
「死にかけの人間に死ねとか言うな。死ね」
起き上がろうとしているんだろうが、力が入らないらしい。途中で身体を震わせている。
「ほれ見ろ。無理すんな」
「うるさい。これくらいなんともない」
「嘘付け」
フィーロはガナッシュの額を小突いた。「うお……」ぼとんとベッドに倒れ込む。再度起きようとしたが、フィーロは額を押さえ付けた。
「少し寝てろ」
こちらを睨むように見ていたが、程なくしてようやっと納得したか、そのまま目を閉じる。
「棄権はしないからな」
「駄々っ子かよお前。死なれたら困るんだよ」
「ボクは死なない」
「夢見すぎ。精神科医呼んでやろうか? その妄想から砕いてやろうか?」
そう言うとふんとふて腐れて身体ごと反対に向く。こいつは……。眉間にしわを寄せていると、エリックのクックッと押し殺すように笑う声が聞こえた。
「お前らやっぱ面白いな」
「俺は面白くないです」「ボクは面白くない」
被った畜生。
「ハハハ。やっぱおもしれーわ。……ま、この先はお前らが決めることだし、俺は何も言わんさ。ただ、死を覚悟してまで戦うものじゃないぞ、クランコンテストは。お前ら一年だし、正直もう入賞してるだろうし、やめたって文句は言われない」
「ボクは……ボクには行かなければならない場所がある」ガナッシュはそっぽ向いたまま口を開いた。「大羅天に行くにはかなりの成績がいる。クランとしても、個人としても」
その瞬間三人の表情が変わった。険しい。珍しいくらいだ。エリックまでもが眉を顰めるなど。もともと目つきの悪い二人ならともかく。
「……大羅天か。また酔狂な……気違いかお前?」
スヴェンが珍しくそんなことを言った。地獄ヶ岳の単独登頂を実行した気違いが言うのだ。余程だ。
「大羅天って……」
「お伽話並の眉唾もんだ。まー言うなら天界ってやつだ」
エリックがその険しい表情を崩さず、言った。まるで吐き捨てるかのようだった。
――天界。
お空の上ってやつか。
それが大羅天。ガナッシュの目指す場所。しかしなんでまた。
「黒い草原を渡り碧い森を越え、深紅の丘の虹の天橋から繋がるは輪廻の楼閣。誰もが焦がれ、誰もが届かず。空を切るその手は神威の霹靂に焼かれるだけ……だったか?」
棒読みでバルドの野太い声が詩を紡ぐ。
「ポエマー?」
「俺の詩じゃない」睨まれた。
「とどのつまり神の領域ってことだ」
エリックは人差し指を上に向けて言った。
「神っているんですか?」
「さあ。見たことないしな。なんでも、遥か昔にほとんどが滅んだらしいが……詳しいことは解らねえよ」
俺たちもまだ学生だしな、とはにかむエリック。これで十人中十人の女の子は恋に落ちるだろう。神様はどちらにしろ不公平な存在だ。滅んで正解だバカヤロー。
それはそうと、ガナッシュはなぜそんな場所を目指すのだろう。眉唾レベルの場所、しかも神の領域とまで言われる場所を目指すのは何か理由がなければおかしい。観光じゃあるまいし。
フィーロはガナッシュを見据える。表情は見えない。ただなんとなく今は見ないほうがいい気がした。そして同時に理由を聞くのもガナッシュが語るのを待った方がよいとも思った。
はあ、と溜め息を漏らす。
「……まあその話は置いておこう。とりあえず次の試合をどうするかだ」
「出るに決まっている」
「ユーカリスティアはもう使うなよ」
「必要にならなければな」
「カタハネのマスターはお前だ、ガナッシュ。俺たちは多分皆そう思ってる。……多分」
「なんでそんな消極的だ」
「少なくとも俺はそう思ってるさ」
「そうか」
「そうだ。だからもっと身体は大切にしろ。お前が剣なら俺は盾だ。必要なら剣ごと守ってやる」
「言うことだけは一人前だな」
「見栄だ」
フィーロは拳を突き出した。ガナッシュがこちらに身体を向ける。視線がフィーロの顔と拳を交互に見た。沈黙の帳が落ちる。一時かそれ以上か、よくわからなかったが、暫くしてガナッシュが腕を上げた。
青白い腕。いつもより弱々しい、病人のような腕だった。
ホント俺たちは馬鹿ばっかりだな。
苦笑を堪えて、そして拳を突き合わせた。
◆◆†◆◆
控え室に戻ると、なぜかアンセムスターの面々がいた。シェリカとベアトリーチェが角を突き合わせていた。何してんだあいつら。
「今日こそ決着を付けてやりますわ!」
「今疲れてんのよ! 騒ぐんなら一人でやりなさいよ!」
元気一杯じゃねえか。
苦笑いを零しながら、気不味そうに二人を見つめるモランに近寄った。
「よう」
「あ、フィーロ君」
「何やってんの、あいつら」
「うーん……なんだろう」
モランの言う話では、見舞いに来たベアトリーチェがシェリカに訳せば「二回戦進出おめでとう」となる言葉を贈ったらしい。まあ、あくまで“訳せば”なわけで、元が高飛車ゆえにシェリカは言葉のまま受け取ったらしい。
あとは言い合いが続いてこれだという。
「仲良く出来ないのかなあ……」
縄張り争い中の雄鹿か、こいつら。
ふう、と溜め息を漏らし二人改め二頭に近付く。猛獣に近付く気分だ。なんなんだこれ。
いがみ合うシェリカの首根っこを掴んで引き離す。
「ふにゃん!?」
「猫か。つーかいつまでもいがみ合うな。煩いし」
「フィ、フィーロ! だってこいつが……!」
「ベアトリーチェだって賛辞を贈ろうとしてくれただけだろ」
結果は惨事を贈ったわけだが。
「そんな訳ないわ! 『まあ、貴方にしては頑張ったんじゃないですの? とはいえ結局有終の美を飾ったのはガナッシュ様でしたけど。今からこの調子じゃ次は厳しいんじゃありませんこと? せいぜい足を引っ張らないようにするんですわね、シェリカさん』とか言ってくるのよ!」
「はいはい」
どーでもいい。
しっかし、あんな勝ち方でも恋する乙女補正が掛かると、そう見えるものらしい。グダグダもいいとこだったんだが。留めが刺せないフィーロに変わって代打ガナッシュ。ホームランというか、死球押し出しサヨナラ勝ちみたいだ。どっちが格好悪いか解りゃしない。
キーキー泣きわめくシェリカの頭を何度か撫でる。
「あーあーはいはいはいはい。嫌だったんだろ? 解った。解ったから、今は我慢しろ」
「うー……」
「なんか甘いもん奢ってやるから」
「まあ……それなら……」
物で釣るフィーロと物に釣られるシェリカ。なんだろう。生い先が無性に心配になってきた。
「次の試合まであとどれくらいだ?」
「二試合空くんじゃないかな」モランが答えた。
「そか。即効で試合が決まるとも思えないし、今のうちになんか食いに行くか」
「グランチェがいいわ!」姉が元気よく叫んだ。
「あのパフェを食うつもりか」
値段もでかさも特大級の乙女パフェ。乙女を肥やそうとしているとしか思えん一品だが。
肥えたシェリカを想像しようとしたが出来なかった。こいつ体重軽いしな。ダイエットと無縁の女シェリカ。女の敵みたいだ。
「新作のほうよ!」だからなんだ。
「……ああそう。まあいいけど」
もう勝手にせー。
どうせ払うのは俺だ。
とりあえず、エリックにグランチェが開いてるかだけ聞いとくか……。
「あ、フィーロ君……わたしも一緒に行きたいです」
ユーリが横から恐る恐るといった様子で言ってきた。なぜそんな恐縮してるんだろう。
「ち……」
「ご、ごめんなさい……」
ああ。シェリカのせいか。荒野の猛犬と血統書付きのペット犬みたいな関係だな。言っててよく解らんが。
「舌打ちすんなシェリカ。別に俺は構わないよ?」
「アタシは構うのだわ、雑菌」ずい、とモニカが割って入ってきた。
「雑菌!?」
酷い言われようだ。
モニカの俺に対する扱いってぞんざいとかそんなレベルじゃないよね。完全に嫌悪されてるよね。もう外敵通り越して不特定多数の病原菌扱いだしね。
そんな嫌われることしたかな、俺……。
思い当たる節がない。実は何かしたのか。考えつくとしたらユーリかな……。どうなんだろう。とはいえ自分とユーリとモニカがどう結び付くのか未だによく解らない。
聞いたら……殺される気がする。
この件は時が解決してくれるのを待つしかないようだ。
せちがれー。
苦い顔をしていると、裾を引っ張られる感覚。「……ん?」
「………あたしもいく」
クロア嬢だった。身長差ゆえの上目遣いはもはや人一人を心臓発作で殺せそうな破壊力だったとだけは言っておこう。なんでカタハネの女の子ってみんな可愛いんだろうね。性格に難ありだけど。
「おう」
「えー……こいつら全員来るわけ……?」
「んな露骨に嫌がるなよ……」
シェリカはシェリカで仲間を毛嫌いし過ぎだ。
「モランたちはどうするよ?」
「あ、わたしたちもいいの?」
「奢るのは無理だけどな」財布はすでに氷河期だ。
「わたくしはガナッシュ様のお見舞いに行きますわ」
「あんたにゃ聞いてないわよ」シェリカがジト目で言った。
「五月蝿いですわ!」
また角を突き合わせる。もう知らん。勝手にやってろ。
いちいち関与していては不毛過ぎるし 面倒臭い。シェリカとベアトリーチェを無視して、フィーロはモランに向き直った。
「で、どうする?」
「うーん……そうだね、折角だし一緒させてもらおうかな」
首を少し傾けて笑んで見せるモラン。これだけでご飯三杯は余裕だ。
正直、モランという常識人が傍にいてくれるだけでかなり負担が減る。フィーロにとっての女神である。モランが好きな男性とやらをひどく羨む。見つけたら俺はそいつを葬ってしまうかもしれない。
ああ。愛って偉大だなぁ。
「いってぇ!? 何すんだ!?」
「ふん!」
ふて腐れてそっぽ向くシェリカ。いや、人様の足を捩込むが如く踏み付けておいてそれはナイ。
不条理だ。
◆Unknowm◆
「は……はは……は……」
渇いた笑い声が喉から嗚咽のように洩れる。
まさか勝つとは。カタハネ。規格外のクランだ。ふざけている。そういうところがまたムカつく。
なんでだ。
なんでだ。
なんでなんだ。
奴らはなんであんなに輝いている。
なんで僕はこんなくすんでいる。
どす黒い感情がより一層滲み出る。
「くそ……くそ……くそ!」
髪を掻きむしる。
それも予想に入れて動いていた。もしもカタハネがランプ・オブ・シュガーに勝ったとしたら。
その“もしも”は、可能性なら三パーセント程度のものだった。
「何が違う……何が!」
僕は。
僕は天才だったはずなのに。
すべてが奴らだ。僕がこうやって躓くのも、すべて奴らのせいだ。
絶対に……殺してやる。
『――汝が器か?』
不意に、声が響いた。甘美で、妖艶な声。
「な……なんだ」
『雄の愚物が余を顕現しようとはな……愚かしい。さすが愚物じゃ』
「まさか……扉はまだ……!」
陣は完成している。だがまだ魔力を送り込んでもいない。詠唱さえまだだ。扉は閉ざされているはず。
『虚けめ。貴様が扉だ。その黒き情念こそが余の扉となる』
そんな馬鹿な。
どちらにしても召喚したのは僕になるはず。なぜ権限が効かない。陣の効果がなぜない。
『愚物に余を操れるものか。これ以上愚物にかかずらう時間などない。刻限じゃ……。まあ、器としては最悪じゃが、』
びき。
びきびきびきびきびき。
骨が軋む音。それが段々膨れ上がる。胸の、肋骨が、広がる。
「ああああああああああああああああああああ……!?」
僕は天才なんだぞ。
なのになんでこんな目に合わなきゃ駄目なんだ。
びきびきびきびきびきびきびき。
胸が膨張し、それが込み上げて来る。喉が破裂しそうなほど拡がり、堪らず上を向く。頭が風船みたいに膨張する。いや、している気がするだけかもしれない。そうであって欲しい。口に何かがかかった。拡げられる。ありえないくらい。叫び声など出ない。
頭が破裂しそうだ。
死ぬ。
死ぬ。
死んじゃう。
「まあ、これで我慢するか。ふむ、千余年ぶりの現世じゃ。かつての故郷でも満喫させてもらおうかの……」
そんなせせら笑う声は聞こえたが、
もう何も見えなかった。
◆Firo◆
グランチェの一角にある六人掛けテーブルに腰掛けるフィーロは右隣に座るシェリカの胃袋に苦笑を漏らした。
「よく食うな……」
「べふばはよ!」別腹な。
「がっつきすぎ。飲み込めよ」
つーか味わってください。新作のオトメチックコスモパフェ。何か宇宙的なものを味わえるらしい。なんだそれ。
ちなみに値段も宇宙的。
財布もすでに宇宙的。
今日の水はちょっぴりしょっぱいなあ。くすん。
ちなみに左隣はクロアだ。バニラアイスをちょこちょこ突いている。小動物みたいだ。
向かいはユーリでそれを挟むようにモランとモニカ。モランはシェリカを微笑ましく見守っている。目が合うと眉をハの字にして苦笑した。心に染みた。
ユーリはいろいろ話し掛けて来るが、要領を得ない。「こ、これ美味しいですね!」とか言ってケーキを食べているが、正直俺は食ってないし解らん。甘いもん苦手だし。「ふぅん、そっか」と返すとモニカに恐ろしい形相で睨まれた。なぜに?
「モテモテだなフィーロ」
「そう見えるなら目が腐ってますよ」
眼科行ってください。
一人殺気を送ってますからね。
白い調理服に着替えているエリックが厨房から出てきた。グランチェに行くといったら、勝利祝いになんか作ってやるよと言ってくれたのでお言葉に甘えたわけだが。
金はしっかり取られた。鬼め。
「で、どれが本命よ?」
「いやいや」
「そんなのあたしに決まってるじゃない!」スプーンを握る手を元気に突き上げる。
「いやいやいや」
本命の意味解ってますかシェリカさん? 俺たち姉弟。双子ちゃん。
「………あたし」クロアが手を上げる。
「いやいやいやいや」
それはからかってるんですかねえ……。どうなんだろう。イマイチ本当かどうか及びつかん。
「わ、わたしだったりして……」ユーリが言うが、
「ナイナイ」
「あれ……わたしだけ返答が違う……?」
いや、仮に俺の本命がユーリなら今頃土の下だ。
すげえビームみたいな視線送ってるもの。壁に穴空きそうだよ? これもう兵器じゃないか? 痛いし怖い。
「もしかして、わたしだったり?」
悪戯っ子みたいな笑みでモランが言った。からかわれてんなー。悔しいからフィーロは少し仕返ししてみた。
「一番あり得るかも」
「え……」
瞬く間に顔が真っ赤に染まるモラン。正直ときめいた。おいマジで誰だモランの好きな男。出てこい。一発シバくから。
などと言っている場合ではなかった。
「フィ〜ロ〜……」
隣から邪悪な声。寒気すらする。なんか「ふぃぃぃぃぃるおおぉぉぉぉぉ……」って感じで聞こえてきた。あの真昼間のオバケ体験。ちなみに正体はオバケより怖い。
「モランが一番なの? 本命なの?」
「本気にし過ぎだ! 今さっき持ってたのスプーンだったよね!? その逆手に握ってるのってフォークじゃないですか!?」
待て待て待て待て。正気に戻れ馬鹿姉! キレる理由が解らん! なんでただのジョークだったのにブラックジョークみたいな扱いなってんのさ!
「だいたい俺は――」
「おい雑菌。あの生徒会長はどうする気なのかしら。ラブラブしてキスしてたくせに」
「……」
時が止まった。比喩だが。テーブル内の空気が凍りついた。
「えーっと……モニカさん……?」
「嘘は言ってないのだわ」コーヒーを優雅に啜る。
「えぇぇ……」
庄子に目あり、壁に耳あり。
一体どこで見てたんだろう。この滝のような冷や汗はどうしよう。ちびりそう。ニヤニヤ笑って「ほほぅ」とこちらを見据えるエリックが恨めしい。そもそもの発端はあんただろ。
「フィーロ……?」
身体が動かんかった。サビサビの鉄人形でももう少し稼動するだろう。
これが氷河期の寒さと言われれば信じるであろう極寒。それくらい寒いのに汗はダラダラだった。
「まあ……不可抗力だったんだよね……うん。ああ、いや頬だったしね? 念のため言うと――」
「フィーロ」
「はい」
「したのね」
「厳密に言えばされました」
「言い訳はいいわ」
「はい」なんだこの尋問。
「そう。じゃあフィーロの処遇は置いといて……まずはあの女の存在を消し去らないとね」
「はい?」今なんと?
「敵はおそらく第二ホールだよ、シェリカちゃん」
モランがなぜか斧を手に持っていた。どこに隠してたんだろう。ていうか、敵って言った? あれ? 俺の知ってるモランさんですか……?
「………いつでもいける」
クロア嬢が弓矢をすでに構えていた。なんでそんなもん持ってんのさ。いつでもどこに行く気だ?
「後方支援はわたしが……!」
「ユーリはアタシと留守番なのだわ」
「そんなぁ〜……」
後方支援ってなんの後方支援だよ。しかしモニカとお留守番が決定したらしい。意味が解らん。
つーかこいつら殺気立ちすぎ。温厚なはずのモランまで斧構えてるもの。臨戦態勢万端だよ。
シェリカが魔術の触媒であろう水晶製の探検を腰から抜き取り、第二ホールが存在する方角に切っ先を向けた。奇しくも鬼門だった。
「これより我らは修羅に入る! 人とあらば人を斬り、鬼とあらば鬼を斬る! 問答無用容赦無用! 損害気にせず猪突猛進! いざ、敵は第二ホールにあり!」
「おー!」「………おー」
「おいおいおおおいぃぃぃ!」
ストップストップ、物騒過ぎる! なんでそんなに一致団結!? 普段でもそこまでの団結力を見せたことないだろ!
しかしフィーロの静止など間に合わず――まあ間に合っても聞く耳持たなかっただろうが――三人が駆け出して行った。恐ろしいスピードだった。びっくりするくらいの迅速さ。
「ヤベーなリリーナの奴」人ごとのようにエリックが言った。
「じゃあ止めてくださいよ!」
「無理無理。俺でもさすがにこれは止められんわ。ハハハ。スマン」
「スマンじゃないですよ!」
軽すぎだ、元凶のくせに。
つーかこのままにしておけん。取り返しのつかないことになる前に急いで止めなければ。くそ。何たって俺がこんな目に……。
「自業自得なのだわ」
「まあそうだけどね!」
否定は出来ないけどさ! でもそれを暴露したモニカが言うってどうよ! 鬼かお前は!
「おい、止めるなら急ごうぜ。仕方ねーから俺も手伝うしよ」
「手伝って当然だと思います」
「手厳しいな」
笑うエリックだが、手厳しいっていう問題じゃない。
まあ、それを言及したって仕方がない。急げばまだ間に合うはずだ。フィーロとエリックは嵐のように駆けていった三人を追うためグランチェを出た。
◆◆†◆◆
結果だけ言えば、普通に追い付いた。
というかグランチェを出てすぐの場所で、三人とも空を見上げて茫然と立ち尽くしていたのだ。
「シェリ……」
呼ぼうとしたところで、フィーロも立ち尽くした。
「なんだ……あれ……」
理由を考える必要などなかった。三人が立ち尽くすのも無理はない。こんなの茫然と見てしまう。
明らかな異変。
「フィーロ、どうし……ってマジかよ?」
後から来たエリックも空の異変に言葉が詰まった。
太陽は見えなかった。
もともと雨だったし、それはいい。暗雲の裏で燦燦と輝いているのだろう。そう信じたい。
それよりも問題は、
巨大な魔法陣。
学園の空を巨大な魔法陣が埋め尽くしていた。