第一章(29) VS砂糖の塊
◆Chlor◆
クロアは弓を引いた。
鷹の目は外敵の急所に狙いを定めて、放つ。矢は一直線に駆け抜け――、
「せいッ!」
叩き落とされた。
まただ。さっきから一発も当たらない。スヴェンとかいう剣士。一体あいつの目はどうなっているんだろう。
射手学科は概してあまり接近戦が得意ではない。突破力のある戦士学科や剣士学科には劣る。盾持ちなどもはや天敵だ。
それはクロアも例外ではなく、交戦中のスヴェンはそして苦手な部類だ。
だけどクロアはぶつくさ文句を言ったりはしなかった。舌打ちくらいはするが。少なくとも言い訳めいたことは口にしない。かつてお師さまに教えられたことがあるからだ。
『弓兵は言い訳をしない。』
まあ、間違ってはいないと思う。する奴だっているけど、やはり一流の射手は言い訳をしないものだ。出来ることを全てやって、それでダメなら潔く死ぬ。弓兵とはそういうものだとお師さまはよく言っていた。
お師さまは誇張した表現が好きだったから、本当にそうなのかは解らない。けどお師さまがまだ現役で弓を握っていた頃は、なんか気持ち悪い通り名とかあったくらい強かったらしいし、あながち嘘ってこともないのだろう。
とはいえあの人は接近戦も強かった。「だって弓兵だったし」とか訳の解らないことを吐かしていたのを覚えている。曰く『射手は射つだけ。弓兵は戦うだけ』らしい。なんのこっちゃ。
要するに、射手は弓を射るしか能がないと言いたいんだろう。お師さまらしい言い種ではあるが腹立つ物言いだと思う。だいたい、弓兵が接近戦に強いなど聞いたことがない。お師さまが規格外だっただけだ。
なんにしても、確かにクロアは接近戦は苦手だ。一応護身用に短剣を仕込んではいるが、正直使える気はしない。遊撃士学科や盗賊学科なら弓矢と短剣の両方を使う者はいるが、クロアはあくまで射手。使えないものは使えないのだ。
だがそこで諦めては、お師さまの教えに背くことになる。射手は言い訳をしてはいけない。最善を尽くす。
接近戦が無理なら近付けなければいい。ヒットアンドアウェイというやつだ。幸いクロアは動きながら射つのは得意だ。勝機は十分ある――はずなのだけど、
「……あたんない」
スヴェンという男はすべて叩き落としてくる。
あんなのどうやって倒せばいいんだろう。こっちは早くフィーロのもとに行きたいのに。
正直、今すぐ投げ出してしまいたい。巨乳と猫耳の生死なんてぶっちゃけどうでもいいし。巨乳にかんしてはさっさと死ねばいいと思う。あれはむしろ敵だ。
でもフィーロは仲間を見捨てたりしない。優しい人なのだ。わたしのような人にも別け隔てなく接してくれる。彼の中には人種などという垣根は存在しないのだ。だからあの二匹を見捨てれば、フィーロはきっと傷付く。それは、それだけはいやだ。
クロアは矢をつがえ、スヴェンに向かって放った。すかさずもう一発お見舞いする――が、
「ちっ……」
また叩かれた。一本目は剣で、二本目は回し蹴りで潰された。本当に人か、あれは。
だが舌打ちするあたり、向こうもイライラしてきているみたいだ。それがこっちにプラスになっているのか……よく解らない。とりあえず怖い。
「………よし」
仕方ない。これを使おう。
もともと使うことになるだろうと思っていたから問題ない。そもそもそのために持ってきたのだ。いつ使うかなどさしたる問題じゃない。
クロアは背中に背負ったそれを降ろして、ぐるぐるに巻かれた白い布をばさりと剥がす。
それは特殊な材質の角材みたいなものがいくつか折り畳まれた代物だった。三脚を思わせる形だ。ちなみに三脚じゃない。こんな太い三脚はない……と思う。少なくともクロアは知らない。
スヴェンが警戒を強め、立ち止まった。判断としてはいささか思慮に欠けている。学科を考えれば、ここは攻めるところだろうに。まあクロアとしてはラッキーだ。すぐに作業に取り掛かる。
といっても、作業はほぼ一瞬だ。一つの引き金を引いてしまえばほぼ完成する。ガシャリ、と引き金――少し短めの棒を立てると、一気に他の部分が開いた。
「そいつは……!」
スヴェンはもう気付いたらしい。なかなか情報通だ。しかもすぐに前進してきた。それはこの武器を持つ射手学科の生徒に対して正しい判断だが、クロアに限ってはそうとは言い難い。
というかもう準備は出来ているのだ。
「………発射」
ズガガガガガガガガガガガガガガガガガッ!
射出音というか、何か掘ってるみたいな音。反動も凄い。少しずつ後ろに退いている。
連発式自動弓銃のデカイ版。
弩砲、と呼ばれる武器だ。ただし連射可能な、が付け加えられるが。
カラミティブレイズ。
数少ない知り合い――鍛冶士学科なのだが――の試作品として提供してくれた特注品。大層な名前だと貰った時は思ったが、いざ使ってみればなんのことはない。確かに災厄だ。
にしても、毎回思うけど腕が痛い。どっちかっていうと使うほうに迷惑な仕様だ。使う方にも災厄が及んでいる気がする。
「ちぃっ……!」
スヴェンはといえば、大剣を立てて防御していた。剣幅の広さのせいで急所には当たらない。何本か刀身に突き刺さったが、貫通までには至らない。まだもう一押し必要なのか。しかし手が無い。最大の攻撃がこれなのだ。矢が切れたら終わりだ。
やはり射手は援護に徹するのが一番なのか。自分一人ではどうやってもあれを倒しきることは出来そうにない。正直少しは残念だが、別にそれでもいいのだ。射手は務めは果たせばそれでいい。今大事なのは奴を倒すことだ。だがわたし一人では無理。せめてあと一撃を加えられる奴がいれば……。
今の状況下でそれが出来るのは一人だ。あの猫耳。それなりに優秀な槍術士学科だ。一対一ならいざ知らず、この状況ならスヴェンを倒せるはずだ。癪だが、頼るしかない。そう思い、クロアは後ろを見た。
猫耳は、走り去っていった。
あり得ない。
◆Monica◆
今はただ憎かった。
昔はどちらかといえば好きだったと思う。兄のように慕っていたこともあった。
昔の話だ。
バルドは純血のラグノス種の家系として生まれ、武に長けていた。慢ることなく、ただ高みを目指していた。当時のバルドはとても真っすぐな眼をしていたと思う。恥ずかしい言葉で表すなら、純粋な瞳をしていた。
師団長であるモニカの父親と、副団長であるバルドの父親が同じ竜槍騎兵師団の、ともに戦友と呼べる間柄だったのもあって、バルドとは幼い頃からよく一緒にいた。いわゆる幼馴染みという存在だった。
物心つく前から母親亡きモニカが女がてらに槍を持ち、父親の後を追うようになったのはある意味必然だっただろうが、その始まりもそれからの支えも、あの頃はバルドだった。モニカにとっては、バルドは第二の師だったのだ。
それがいつからか狂い始めた。
小規模ながらも大変な戦があった。人種差別徹底主義者とも呼べる、獣人や亜人を蔑視する団体が軍を率いてきたのだ。
宣戦布告は城壁への一撃だった。
混乱する城下をナインエルドの各師団は駆け抜けた。鷹剣尖兵師団、虎砲重兵師団、そして竜槍騎兵師団。一つの目的のもと、各々の役割は単純明快なまでに別れている。それぞれが自らの役割を果たし、そして最終的には蹂躙する。ナインエルドの軍隊とはそういうものだ。
モニカは年齢、性別、経験の問題で支援部隊だったが、バルドは期待のルーキー、なんの疑いもなく前線を担う部隊にいた。戦場で何があったかなど、モニカには解らない。でも何かがあったのだ。それは間違いない。現にバルドはあの頃からおかしくなったのだから。
戦争には勝った。そもそも卑怯な手で攻撃を加えてきた奴らだ。平和の逆賊だし、同盟国もそんなことで人間に汚名を被せたくはない。すぐに各国で討伐隊が編成され、こちら側に加わった。戦争は三日もかからず終結し、首謀者の首を刎ねることで丸く納まった。
だが舞台が城下だったのだ。復興の方が大変だった。その間も訓練はあったし、復興の手伝いもあって、モニカはくたくただったのを覚えている。といっても、別に簡単な作業だったが。
その中でバルドが唯一深刻な表情でいた。その時の表情は、なんとも表現しがたいものだったのでよく覚えている。
復興から二ヶ月。もう傷痕も目に見える分は消えた頃。とても清々しいくらいの小春日和。その日が全てを狂わせた日となった。
ナインエルドの伝統的な訓練に、『荒ぶる獣神の魂』というものがある。最悪、死傷者まで出しかねない、完全な実践演習だ。刃は潰さず、鋭利なまま。死ななくとも、怪我は避けられない。昔から獣人の戦士はこうして自らの気を高め、戦いに臨む。良くも悪くも、慣習というものだ。
とはいえ今は平和な時代だ。戦争も滅多に起こらないというのに、訓練で死人を出して獣人の数を減らしていては話にもならない。それに今は治癒術というものも存在する。『荒ぶる獣神の魂』も、形式化していたのは言うまでもない。
鈍い鐘の音。
始まる訓練。
雄叫びとともに戦士たちはぶつかり合う。
肉体と肉体、鎧と鎧、槍と槍がぶつかり合い、不協和音を奏でる中で、バルドはモニカの父と対峙していた。互いに向き合い微動だにしなかった。
周りが激突し合う中で、二人はじっとしていたのだ。訓練概要からは逸脱した光景ゆえに、まだ訓練参加の許可を得られず場外で見学していたモニカはじっと注視していた。周りの者もそうだっただろう。困惑さえしていたに違いない。
そして、ほんの一瞬。
周囲の音が途切れた、ほんの一瞬。一刹那。
血飛沫が舞った。
赤い。紅い。朱い。
青空にはまるでそぐわぬ真っ赤な世界が出来上がった。
モニカは瞬きすら忘れていた。何が起きた? そんな周りの動揺の声が、ようやっとモニカを現つに戻した。
「お父様っ……!」
モニカは叫んだ。
◆◆†◆◆
「――もういいですよ」
ユーリが覗き込んで言った。浮かぶ微笑みはもはや燦然と輝く太陽の如し。ああ、ユーリ万歳ユーリ最高。
モニカは起き上がる。少し軋むが、痛みはない。優秀な治癒士であるユーリに万が一の狂いもあるまい。ユーリ天才。
「痛みは無いですか……?」
「ええ、大丈夫なのだわ」
あっても言わない。そもそもユーリにミスなどない。仮にあったとしても揉み消す。これは世界で定められた約束事だ。逆らうものはこれ悪と見なし、即劫火の中で百刺し千切りだ。
モニカは薄く笑む。心配性のユーリに、もう大丈夫だと。
ユーリはほっと息を吐いた。超プリティー。
「でも、施術後は身体が脆いですから……無理は禁物ですよ?」
「解ってるのだわ」
すく、と起き上がり、三叉槍を掴む。吹き飛ばされても握り締めていたようだ。我ながらよくやった。まだ、負けちゃいない。
視線を泳がせ、目標を探す。
いた。
対峙するのはフィーロ・スケコマシ・ロレンツ。
ボロボロだ。様ない。いい気味だ。そのまま死ね。笑おうとして、表情は固まった。
なんだか、タブって見えた。あの時と。対峙し、動かぬ二人。まるで、あの時と同じ情景。
「……っ!」
そしてあれは。
あのスケコマシを父親と被らせたのは一瞬だったとしても、一生の不覚だ。
だとしても、ああまで似ていては。
いや、スケコマシだったからじゃない。スケコマシは父親とは全く似ていない。別物だ。仮にも、いや、仮じゃなくても憎き敵。父親とダブらせるなどあってはならなかった。あんな人畜有害な奴。
違うのだ。ダブって見えたのはバルドのせいだ。
あの作為的なまでに作り上げられた情景が、バルドによって完全に再現された。多分、対峙しているのが他の馬鹿どもでも、今のアタシには――。
「――Barraaaaaaaaaaaaarge……!」
「う……」
弾けた。
バルドのあの喊声を聞き、弾けた。
愛槍を握り締め、弾けた。
「モニカちゃん……!?」
この時だけは、ユーリの声は届かなかった。届くはずもなかった。矛先を奴に向け、猛進する。
無我夢中。
何を叫んでいるのか解りもせず――驀進。
「――あああぁぁァァァァァァッ……!」
奴は。
バルドだけは、
アタシが倒すのだ。
その一念だけがモニカを突き動かしていた。
◆Firo◆
暴虐。
これは暴虐だ。あの宙を舞う九の槍は、暴力なんて生易しいものじゃない。
可変型武器。
旧きかの時代『空白の時代』の数少ない技術から生み出された、否復元された武器。合体と分離、変形のだいたい二種類で分類されるが、バルドの斧槍は前者だろう。九つの槍が組み合わさって出来た武器だ。
槍型の合離系可変型武器なんて珍しいが、あったらおかしいという話でもない。これを目の当たりに、つーかこの身で体感してると納得してしまう。そんな冷静にしていられる時間はないのだが。
「Ooo……!」
右から迫りくる槍。
フィーロは空中で身体を捻って躱した。――が、次は左斜め上から。立て続けに真左から、槍が襲い掛かってきた。九の槍をひっかえとっかえ。あり得ん手数だ。タコかコイツ。いや九本だしタコの足より多い。いやはや全く笑えない。
突くのではなく、殴る。
槍の本質からはいささか掛け離れた使い方ではあるが、だが槍を棍棒にしてはいけない決まりはない。だいたい、“薙ぐ”という言葉があるくらいだ。思えば槍=突きと考えてしまうのも短絡的ではある。
なんて。
冷静に思考している暇などない。空中で身体を捻るのは、人間出来て一回が限度だ。何か勢いをつけるものがあれば話は変わってくるが。
この場合、剣を振る反動を使えばなんとかなるのだろうが。いや、この場合だからなんとかならないだろう。
剣を振れば間違いなく目の前の槍とぶつかり合う。ぶつかれば止まる。向こうにいいように利用されるだけだ。
よって剣は使えず、避けられる訳もなく、
「がッ――ぐぁッ……!」
右肩と右脇腹を直撃。また痛いところを突いてくる。ああ、殴ってくるか。しかもご丁寧に地面に叩きつけられる前に救い上げてくれやがる。
あり得ねえ。
鬼だこの人。
「ち……くしょ……ッ!」
「まだ意識があるか! ふはは、やるではないか!」
破顔し、超嬉しそうなバルド。鬼だ、絶対。やるってなんだ。サンドバックとしてですか?
「これを初めて使った相手は戦士として使い物にならなくなったものだが……お前はどうだ!」
どうもこうもない。痛いし死にそうだ。いくら精神世界的空間でもやっていいことと悪いことがあるだろう。人を使い物にならなくなるくらい痛め付ける技を前途ある後輩に使うな。
とは言う暇も与えちゃくれない。ひどい先輩様だ。
滅多打ちのタコ殴り。
暴力通り越して暴虐。
取り敢えず宙を弾け舞う真っ赤な鮮血が、花火みたいで綺麗だなあとか思ってしまうくらいに感覚がイカれてきていた。
「――御徠罍・頸禍朸霰爿EuPhamie‐sebles」
こんなんになっても、シェリカの詠唱だけは鮮明に聞こえた。もういい加減完成しないのか、その魔術。
「長すぎだって……ッ!」
翻す。
腰に手を。
柄を握り。
振りぬく。
「甘いッ……!」
弾かれた。
容易く、弾かれた。
解っている。悪あがきだ。こっちはバルドを倒す気などないのだから。いなされて当然だ。
「熔鉞啣蹂xxTD業・axffiaxxnxias嶐吋」
そうだ。倒すのはシェリカだ。俺じゃあない。
適材適所。
俺に、人を倒すことは出来ない。
俺は、守るだけだ。
この身は盾なのだ。脆くも堅固な、盾。
「これで、終わりだッ……!」
一本の槍がこちらを向いた。バルドという名の槍が。フィーロにとっての死神の鎌。死へと誘う獅子の咆哮。真っ直ぐそいつはフィーロの心臓を目がけて奔った。
詰み、というやつか。
さしものフィーロも諦めに入った。詰まれちゃあ、もう挽回はない。せめて我が身を盾としよう。何があろうとも、必ず守る。それが約束だから。
でも、それはいつ約束したものなんだ。
そもそもそれは誰とした約束なんだ。
思い出せない。俺は、この約束を誰と契った……?
「――ああぁぁァァァァァァァァァァァァァッ……!」
悲鳴。
喊声とか、鬨の声とか、吶喊とかそんなものよりも。悲鳴。甲高い悲鳴だった。
モニカ。
いや、つーか。
なんたって、ここにいる?
「ぬ……」
だがそれが功を奏したか。バルドの意識が逸れた。突然のモニカの登場に、バルドの槍が勢いを失った。
槍は変わらずこちらに向かっている。状況だけならすでに詰み。だが、勢いを失ったなら話は別だ。
「くあ……っ!」
渾身のチョップ。狙いは当然のことながらバルドの槍。心の臓を狙った槍の照準をずらす。
ずぶりと槍の穂先が肉を穿つ。だが致命的な部分は避けた。これで他の臓器がやられていたら意味がないが、まあ心臓よりはマシだろう。いやヤバイけど。すぐには死なない。ユーリに治療してもらえれば問題ないだろう。余裕あるか解らないけど。
「く……そがッ!」
すぐさま両手で槍を掴み、引っ込抜く。尻餅をついて、なんとも不恰好に着地した。
「あっつつ……マジであり得ねえ……」
絶対もうやらないこんなこと。
「――災裂defjax・Anos神刃黒羽Jguv犀盃」
あと数秒だ。もう少し。
「バルドォォォォォォッ……!」
「ちぃ……お前では勝てんと……」バルドは斧槍をぐっと引き、「言っているッ!」
薙いだ。
保身なき突貫を敢行していたモニカは直撃を受け、吹き飛ばされる。
「あく……ッ」
「モニカ……!」
ごろごろと転がって倒れこむモニカを見て、フィーロは慌てて立ち上がり、駆け寄ろうとして――止めた。
再び剣を握り締め、構え直す。今はあの馬鹿たれのことを考えている時間はない。
「――Ruaaaaaaaaaaaaaaaaッ!」
バルドの雄叫び。
斧槍を構えて再び突進してくる。ああ、これが正真正銘最後の剣戟だ。これを凌げば俺の勝ち。凌げなければアンタの勝ちだ。
血はべったり。疲労困憊満身創痍。全身凶器みたいなあの獣人に果たして勝てるかどうか。
「いや……違うな」
勝ち負けじゃない。
適材適所だ。忘れてはいけない。俺は――盾だ。
「う……ぉおああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
発声というものは、単に相手をビビらすだけの無駄な行為だと思っていたが、案外違うらしい。力を、気迫を込めるとき、人は叫ぶようだ。初めて知った。
斬撃と突貫。
衝突の衝撃がどれほどなのかなど、言葉では言い表わせない。つーかマジでごめん。無理。痛すぎ。痺れる。でもまあ、あの時の巨熊よりはマシだ。腕ぶっ壊れるかと思ったもの。実際ぶっ壊れたし。
そう考えればまだ耐えられる。どちらにせよ、耐えなきゃ駄目なんだが。
「――悠MeDU・oCt酷殺蕾怖醢裴deaxxT‐BLADE……」
ま、なんにせよだ。
「炎天竜極滅・二式」
この勝負、俺の勝ちだ。
フィーロは思い切り剣を振り払う。「ぬッ……!」バルドの体勢が一瞬崩れた。フィーロはバルドの腹部を右足で蹴り、左で肩を蹴って後ろに飛び下がった。一回転を決め、馬鹿たれの横に着地し、腕を引っ掴んで再度後ろに下がった。
「ちょっ……なにす」
「後にしろ!」
何か言いたげなモニカの言葉を遮って退避する。構ってられるか。それどころじゃない。
バルドから十分距離をとったと同時に、空中から光り輝く四本の剣が現れた。
◆Shericka◆
「――悠MeDU・oCt酷殺蕾怖醢裴deaxxT‐BLADE炎天竜極滅・二式」
魔術は完成した。
うねりをあげる火の精霊。彼らは笑っていた。狂喜していた。あるいはまるで無邪気な子どものように。そしてそれはうねりとなって顕れた。うねりは瞬時に凝縮され、四本の光り輝く剣を形成した。
恐怖を司る火の精霊。
彼らを神格化してよいのかは未だシェリカにも解らないが、仮に彼らが何かを司るというならば、シェリカは狂喜だと答えるだろう。
恐怖ではなく。
狂喜。
彼らは破壊をただ純粋に楽しむ。恐怖を与える側の存在。つまり恐怖はあくまで結果だ。彼らが真に司るものは、破壊の快感。狂気の悦楽だ。
火の精霊が御しにくいのは、圧倒的なまでにイカれた精霊だからなのだ。だけど、シェリカには関係がない。すべての精霊はシェリカとともにあり、従属し、行使される。
それが“精霊憑き”の力だ。
シェリカは彼らに命じた。
壊せ、と。
ただ破壊を命じた。
シェリカの命を受け、四本の剣は輝きを増し、バルドに急襲する。まるで嬉々としているかのようだ。
炎天竜極滅・二式は“竜殺し”の魔術である。いわゆる屠竜魔術と呼ばれる魔術だ。系統としては要素魔術に分類されるが、その威力の異質さから別格扱いされている。
大元はクラン《クロムウェル》の高名な魔術士、“深紅の”リオニカが編み出した炎天竜極滅。それをさらにイネス・ラトクリフが勝手に改造したのが炎天竜極滅・二式だ。まあイネスが自分で言っているだけだし、本当かどうかは定かではないが。
そも炎天竜極滅がオリジナルではない。かの時代の魔術が基盤になっている。どいつもこいつもパクり野郎ばっかりだ。
この魔術に必要な触媒は中に延々と燃える炎を封じた石、焔輝紘から造った短剣。紅玉。竜の血で描かれた魔方陣。
魔方陣は適当に描いたため、歪だったから発動するか不安だったが杞憂だったようだ。さすがあたし超天才。
炎天竜極滅自体は超高熱の火の精霊をさらに超高圧縮し、光剣を形成する魔術で、突き刺せば竜でさえ焼き殺すことが出来るほどの威力だ。そして二式はそれを四本作る。魔力の分配率が半端じゃないため、一本の誇る力自体は二、三割ほど減少するが、三本の矢ならぬ四本の剣だ。全部ぶつければ一本の比じゃない。
それがすべてバルドに向かうのだ。竜でもなんでもない一介の獣人に。ただで済むはずがない。
ないはずなんだが。
「温い……温いぞ魔術士ッ!」
そう叫び、バルドは斧槍をぶん回した。
そして光剣の一本を横殴りに薙いだ。
拡散。
火を、光を撒き散らしながら、光剣は拡散した。言うなれば空中分解。あり得ない現象ではないが、あり得ない行為だ。いや、あり得ない行為だが、あり得る現象だろうか。
ただの武器に魔術は防げない。それは誰もが知っていることだ。魔術士に対抗できるのは、同じ魔術士か、一握りの、例えば神具を扱う者くらいだ。それほどまでに魔術の、こと要素魔術の構成は強固なのだ。例外こそあれ、バルドがそのどれかに分類されるとは思えない。だから、魔術を直接叩くなんて行為は常識的にあり得ない行為なのだ。
だがバルドは二本目まで破壊した。まるで木こりが木を斬り倒すかのような見事なフルスイングで、これまた見事に薙ぎ払った。
シェリカは残り二本を一旦引き戻した。無理矢理やってるから超しんどい。二本の光剣の構成を緩め、結合させて一本の剣にした。これも少し無茶だが、シェリカの仮定が正しければ、こうするしかない。要するに一か八かだ。
あれが“加護”によるものならば。魔術士の対魔術用の加護がバルドの斧槍に、いやバルドそのものに附加されているとしたら。だとすればそれはあり得ない行為ではない。加護を施された戦士に出来ることは直接薙ぎ払うことなのだから。
再び命令を下す。
急襲。いや、猛襲しろと。
光剣は忠実にバルドに向かった。突き刺し、焼き払うために。
「ふははは、考えたな! だが……」
果たして、
「――甘いッ!」
光剣はバルドの斧槍に消滅させられた。
「そんな……」
馬鹿な。
屠竜魔術を弾くほどの加護なんて。神具でも使っているのか?
「詰めを誤ったな、魔術士」
これで終わりだ。
言うや否や、今度はバルドがシェリカに猛襲を仕掛けた。土煙を上げるほどの猛進。すでに目前。シェリカの身体能力では避けるなど不可能。
もはや最後に出来るのは、
信じることだけだ。
そして信じている限り、いつだって飛んできて守ってくれるのがフィーロだ。
「まだ終わりじゃねぇよ」
「ぬっ……」
シェリカの前に疾風のように現われたフィーロは、次の瞬間には黒光りする片手剣を斬り上げていた。風ごと巻き上げるような斬り上げ。粉塵が舞った。まさか弾かれるとは思っていなかったであろうバルドは、バックステップを踏む。
「たく……なにがこの程度だよ……滅茶苦茶準備万端じゃないですか、バルドさん?」
シェリカはフィーロの背後にいるため表情は見えないが、苦笑しているような口調だった。
「相手は嘗めても油断はしない質でね」
「だからって魔防加護はないでしょうよ」
「相手は学部首席の魔術士だろう。十分だと思うが」
「そりゃまあ、そうですがね」
フィーロは剣を一旦収めて、小さく嘆息。それから首を鳴らした。なんだろう、と思いきやいきなり浮遊感。「きゃ……!?」小さく悲鳴を洩らしてしまった。気付けばお姫さま抱っこされていた。ああ、何度目だろう。もう何度されても最高。ビバお姫さま抱っこ。
フィーロはそのまま後ろに飛びずさり、バルドから距離を開けた。ゆっくりシェリカを地面に下ろす。残念だ。
「魔術使って疲れたろ。休んでな」
「うん……でもまだいけるわよ?」
「無理をする必要ないだろ。それに、魔術を弾かれるんだ。狙うなら加護の効力が切れるころだろうさ」
「そう……そうね。解った」
「ん。じゃ、もう少し気張るよ。それと……モニカ」
「……何よ」
「ユーリの護衛はどうした」
急に声のトーンが下がった。
フィーロはバルドを見据えている。猫耳女を、いやシェリカも見ていない。なのに冷たいものを感じた。冷めた冷たさではなく、どこか熱い冷たさだと思った。
「……」沈黙する猫耳女。
「さっさと持ち場に戻れ。つーかクロアを助けに行け。大分ヤバいだろアレ。このままだとやられる」
その言葉に釣られて視線を移すと、無口女がスヴェンと戦っていた。いや、戦っていると言っていいのかどうか。完全に防戦だ。
本来あの場所にいなくてはならないのは、猫耳女のはず。つまりこの猫耳女は、役割を放棄したのだ。
「アタシは……あいつを倒さないといけないのよ。そもそも心配ならアンタが自分で行けばいいのだわ」
「……それは本気で言ってるのか?」フィーロの声に怒気が混じりだした。
「……」黙り込んだ猫耳女。ややあって、口を開いた。「……本気よ」
「……そうか」
そう漏らし、目線を少し伏せる。フィーロの中で何か決心がついたのか。顔を上げ、身を翻したと同時に、
――パン!
と乾いた音が響いた。ペチン、とか生易しい音ではなく、パン。
一瞬、何が起きたのか解らなかった。いや、解ってはいた。だけど信じられなかったのだ。目の前の光景が。
フィーロが、猫耳女の頬を叩いていた。
信じられない。でも、猫耳女の赤い頬を見たら、信じざるえない。
別に猫耳女を叩いたことが信じられないのではない。フィーロが、誰かに手を上げたことが信じられないのだ。おふざけでもなんでもない。完全な怒りから手を上げたことに。
別にこれが初めてな訳ではない。でも、あの日以来、見たことはなかった。だから余計に信じられなかったのだ。
それほどまでに、フィーロは今キレている。
「何を……何をするのよ」
恨むような目でフィーロを睨む猫耳女。だけどフィーロはまったく動じていなかった。
「解らないか? だからバルドに勝てないんだよ」
「な……」
「団体戦で独り相撲してるお前に、バルドを倒すことは出来ないと言ったんだ」
「そんなの……!」
「やってみなくちゃ話からないってか? やらなくても解るし、やってて負けてるだろ」
一切の反論を許さないフィーロの言葉。猫耳女は黙り込んだ。だけどフィーロは喋るのを止めたりはしなかった。
「バルドは、《ランプ・オブ・シュガー》の一人として行動している。どんなに彼らが個人主義でも、だ」
俺たちも大概個人主義だがな、とフィーロは付け加えた。
「だからバルドはクランの斬り込み隊長でもあり、堅固な盾として守っているんだ。それは俺たちも一緒なはずだ……なあモニカ」
じっ、とフィーロは猫耳女の目を見据えた。見つめ過ぎ。というか近い。近い近い止めろ離れろ猫耳女。
「君は誰かを守ったか?」
「……」
猫耳女は何も返さなかった。いや、返せなかったのだろう。
いくら個人主義者の集まりでも。そこに“チーム”が存在するかぎり、個人は役割に沿う義務がある。それを果たしてこそ、自由に戦う権利が与えられる。
シェリカならば魔術の行使そのものが役割。だからその中で、自分がやりたいようにする。誰しも役割の中で自由に動く。
だが猫耳女はただ私情に身を任せた。それが他の者に迷惑を掛けた。フィーロはそれに怒っているのだ。
それくらい仲間が大事なんだろう。それがフィーロのいいところで、シェリカが好きなところだけど、正直複雑な気分だ。
「仮に」
でも、
「俺があの二人のもとに行くとするけど……君は、いや……君に」
これはさすがに、
「君にシェリカを守れるか?」
超惚れた。
複雑な気分? 何それ。知らない。今サイコーの気分だから。
やば、鼻血出そう。
今のレコーディングして焼き切れるまで聴き返したい。百回くらい、いや千回でも万回ても聴きたい。
「……顔赤いぞシェリカ? つーかおい、鼻血出てんぞ大丈夫か?」
「フィーロは最高よ!」ぴゅっと鼻血が飛び出た。
「汚っ! つーか何言ってんだお前」
まあいいや、とフィーロは首を傾げつつも、気にするのをやめた。ポケットからハンカチを取り出し、シェリカの鼻と口元を拭いた。鼻血が出てたのは失態だが、これのおかげでちょっと幸せ。心の中は゜+。(*′∇`)。+゜←こんな状況。
「……とにかくだ、モニカ。俺が言えた義理じゃあないだろうがな、なんつーか、甘え過ぎ」
シェリカの鼻血を拭いながら言うものだから、少々シュール。というか締まりがなかった。
「……甘え」小さく、猫耳女は呟く。
「頼るのと甘えるのは違うものだ。それに気付くべきだ」
「あたしが誰に甘えているっていうのよ……」
「ユーリ」
フィーロは即答した。ユーリって誰だ? ああ巨乳女か。
「というか全員だな。つまり、自分自身にもってことだよ」
言いたいことはなんとなく解った。ゴロニャンと甘えているとかそういうのではないのだろう。そんな猫耳女はキモイだけだ。普段とのギャップからキモさも五割増しだ。
心の底で、私情を優先しても他の面子がなんとかしてくれると、勝手に決め付けていたのだろう。
それは信頼ではなくて、甘え。
フィーロはその甘えが……いや、その甘えから仲間が必要以上に傷ついたのが許せないのだ。まあ、あたしからすれば仲間でもなんでもない赤の他人以下の存在だけど。
「――でも、まあ」
急に、フィーロから怒気が消えた。さっきのが嘘のように。
「ガナッシュの言葉を借りれば、僕らは“未熟者”だ。これから成長してけばいいだろ」
にっと笑んだフィーロ。凄くいい笑顔だ。写真写真カメラカメラ。ああ、そういえばこの試合はモニタリングされてるんだっけ。写真とか撮れないんだろうか。スクリーンショット。
「アンタに未熟と言われたくないのだわ……」
「違いない。だけど、今のモニカよりは使えるよ。多分な」
つーわけで、とフィーロは剣を勢い良く抜き放った。シャン、と美しい摩擦音とともに、黒く光る刀身が現われた。
「――今から獅子狩りのお時間だ」




