第一章(2)
◆Firo◆
「部屋から出て行け悪霊めが!」
「嫌よ嫌よも好きのうちやでェェェ!」
「寝言は寝て言え!」
「ふと思うたんけどォ、『寝言はベッドで言いな』ってバリトンボイスで言うたらちょっとエロないかァァァ!」
「知らねーよ! 死ね!」
入りたくねぇな、この部屋。
自室を前にして、俺はそう思っていた。あれだけ帰りたいと思っていた場所なのに、中から聞こえてくる声のせいで帰りたくない気持ちが湧き上がってきていた。
第二グラウンドのベンチで月を眺めていたら、いつの間にか本当に寝てしまった馬鹿姉をこのまま放置する訳にもいかず、フィーロは恥ずかしい思いをしながら女子寮まで運んで行った。第二グラウンドの近くにあったのは幸いだったが、しかしエントランスに入るなり女の子たちの、あの異物を見る目なんなの。いやまあ、そりゃ女子寮に男子が現れたらそうなるわな。
とりあえず事情を説明して寮長に許可をもらい、シェリカと同室の女子生徒、モランに後のことを任せた。モランは気立てもよく、優しい子だが、さすがに苦笑していた。ホントうちの姉がすいません。
そして心身ともにくたびれきったフィーロは、よろよろと自室に帰るべく男子寮に戻って来たのだった。そんで戻ったら戻ったらでこれだもんね。泣けてくる。
女子寮とは真反対、西側の塀よりに位置するこの男子寮。女子寮と離れた場所に建てているのは、一応教育機関としての配慮なんだろうが、隔絶されたおかげである種の聖域と化している。多少騒いだところで、その音は外部には漏れない。迷惑がかかるとすれば、上下階含む近隣の部屋の住人のみだ。
フィーロの寮室は五階に位置する二人部屋。
寮室は基本二人か三人部屋で作られている。余程の理由でも無いかぎり、一人部屋ということにはならない。とはいえこれは余程の理由になるんじゃないだろうか。
意を決して恐る恐る扉を開いた。
「エックスタスィィィィィフィィィィィィヴァァァァァァ!!」
「何がエクスタシーだクソめ!」
「ガナァァァァァッシュッ!! 今日こそ一緒にィィィィ! オレと白濁の夜をォォォォォ!!」
「止めろっ! 離れろ! このっ、クソ! 絡むな!」
またかー。
これ何度目だろ。もう数えんのやめたからなぁ。
室内で暴れる二人の男子に溜め息を漏らした。
「この変態がッ!」
「ご褒美ですゥッ!」
長い黒髪を後ろで束ねた男が、絡みつこうとする灰色の短髪に切れ目の男を蹴りあげた。しかし短髪の方はその足を踏み台に、後ろ向きに宙返りしながら俺のベッドに着地する。おい、乗ってんじゃねぇ降りろコノヤロウ。
すかさず短髪の男が長い黒髪を後ろで束ねた男の懐に潜り込もうとしてきた。低い姿勢で小器用に長髪の男の攻撃をかわす。イライラしてきたのか、黒髪の男は距離を取るなり、壁に立て掛けてあった太刀を掴み、鞘から抜き放った。蒼色の波打つ刀身がむき出しになる。
こんなところで刃傷沙汰は勘弁願いたい。しかし恐れを知らない単発の男は舌舐めずりをして、腰から短剣を抜いた。得物を逆手に持って構える。
「ええでェ……それでこそやァ」
「変態め……今日こそ腕の一本は切り落としてやる」
別にいいけど、絶対俺のベッド汚すなよ。
最初に動いたのは長髪の男だった。一瞬で間合いを詰めたかと思うと、狭い部屋でありながらコンパクトかつ高速の袈裟斬りを放った。俺のベッドはギリギリ無事だった。
切れ目の男はベッドのスプリングを利用して飛び上がり、斬撃をかわして間合いをとる。おいこら、壊れるからやめろ。切れ目の男はガナッシュのベッドの上に片膝をつく形で着地した。下の階からドン、と抗議の音が鳴った。対する黒髪は素早く太刀を構え直し腰を落とした。再び両者が膠着状態に陥る。
ちなみに。
切れ目の男がレイジ、長髪の男がガナッシュと言う。
端的にこいつらの特徴を挙げるなら、『変態』と『シスコン』。
むしろ、それ以上の説明など不要だろう。
レイジは生粋の両性愛主義者を名乗っている。性癖はともかく、問題は守備範囲が広すぎることだ。もはや異常の一言では済まされない。曰く、本人にはこだわりがあるらしいが、こうして実害を被っている側からすれば知ったこっちゃねぇし、甚だ迷惑てしかない。
なまじ学科が盗賊学科というのもあって質が悪いのだ。動きが俊敏なだけでなく、気配を消して相手に近づくことを得意としているため、寝ている間にベッドに潜り込まれたことも一度や二度ではない。気配遮断に加えて解錠の技術まで持ち合わせているので、入学から三日目でこいつは学園のかなりの生徒から要注意人物に指定されている。早く退学になればいいと思う。それか死んでほしい。
ガナッシュはそういった点ではレイジより常識人の範疇に入るが、故郷にいる妹の話になると途端に気持ち悪くなる。一度聞けば二時間は拘束されるし、話している時の様子たるや、「あ、こいつダメな奴だ」と思わせてくれる。間違いなく生粋のシスコンで、要するに重度の変態である。
これが同じクランに所属する仲間と思うと頭痛がする。
対峙する変態たち。次はレイジが先に動いた。
素早い動きでガナッシュの毛布にしがみついた。予想外の行動に、俺もガナッシュも啞然としてしまっていた。何してんのこいつ。
荒い鼻息が聞こえてくる。
「ふんかっふんかっ! ガナッシュの香りィィィ!」
こいつ……。
こいつ本当にヤバイな!
俺のベッドで同じことされてたら、間違いなく卒倒してる。
ガナッシュは鬼の形相になっていた。気持ちは痛いほどよく分かった。刀身から殺意がゆらゆらと揺らめいているあたり、そろそろベッドごと両断しかねない。俺のじゃないから全然いいけど。
「ッ――死ねッ!」
耐えかねたガナッシュが飛びかかる。一応自分のベッドを破壊するのは気が引けたのか、太刀の腹が向いていた。まぁ、平打とはいえ、あの重量の太刀で殴られたら骨くらいは折れるだろうが。折れても別に問題ねぇな。むしろ砕けたらいい。
「あんまーい!」
どこまで腐ってもやはりというかなんというか、まぁ一応は盗賊学科らしい。レイジは軽やかにガナッシュの一撃を回避した。あの態勢から回避に切り替えられるあたりさすがと言うべきなのだろうけれども、やってることが最低なので舌打ちしか出てこない。
しかしながら飛び上がったレイジは無防備を晒していた。ガナッシュの攻撃を避けて満足したのだろう。
その隙だらけの横っ腹目掛けて、フィーロは近場にあった木製の椅子を投げつけた。「なぬっ!」と意表を突かれたレイジはすんでのところでそれに気付き、空中で椅子を掴んで体を捻りながらの回避を試みようとした。
「くたばれッ!」
しかしその更なる隙をガナッシュが見逃すはずもなく、強烈な斬撃(一応峰打ち)をレイジを叩き込んだ。
「がふっ……」
当たりどころが良かったようで、そのまま空中で気絶するレイジ。宙を舞いながら白目を剥いているが口元は笑みを浮かべていた。とても気色が悪い。
フィーロはガナッシュの毛布を掴み、落ちてくるレイジを受け止めてぐるぐるに巻いた。阿吽の呼吸でガナッシュがロープを取り出し、上からさらに雁字搦めにした。そして簀巻と化したレイジを二人で窓から投げ捨てる。木々の枝を折りながら、地面に落ちる様を確認してすぐに窓を閉めた。これで大丈夫だろう。さながら殺人の現場のような様子ではあるが、下は柔らかい土だし、そもそもあの変態はこの程度の高さでも死にはしない。
何度もこうして窓から投げ捨てているが、次の日にはピンピンしているので実証済みだ。化物かよ、あいつ。
ひと仕事終えて、ほっと息を吐き出すと、俺はレイジを仕留めるために尽力してくれた椅子を拾って腰を下ろした。ガナッシュも太刀を収めて、壁に掛け直したところだった。
「ナイスアシストだったぞ」
「慣れって怖いよな」
「まったくだ……」
ガナッシュは大きな溜め息を吐き出しながら、簡易的に備えられたキッチンに向かい、ポットに水を入れ始めた。
「コーヒー飲むか?」
「ブラックな」
「甘いのが苦手なんだったな、お前は。分かった」
しばらくして湯が湧き上がると、ふわりとコーヒーの香りが漂ってきた。手に持った二つのカップのうち、一つをこちらに渡し、ガナッシュも自分のベッドに腰掛ける。
「それで、依頼は達成したのか?」
「まぁ、なんとかな」
「歯切れが悪いな。何かあったのか」
「いや、いつも通りだ」
「要するにシェリカ任せか」
察しの早い男だ。俺はコーヒーを啜って、返事をしなかった。
ガナッシュは短く嘆息した。「何度も言っているが、お前、剣士としてどうなんだ。その姿勢」と、窘めるような口調だったが、どうもこもうもない。俺は戦闘には向いていないのだ。
「シェリカが張り切ってたんだから、仕方ないだろ。あいつの護衛はしっかりやってたからいいじゃねーか」
「もちろんそれも重要だが……」
ボクも付いて行くべきだったか、とガナッシュは小さく呟いた。
付いて来てたらもっと面倒だっただろうなと思ったが、言葉はコーヒーで腹底に流しこんだ。
「魔物は多かったのか?」
「それなり。まぁ、自警団が手をこまねくくらいにはいたよ」
アルハーレンはヴァンクレオール国内にある商業都市で、第三次産業による利益で成り立っている。昨今の機械技術の発展に先駆けた、先進的な都市なだけあって、金の臭いに敏感な商人たちが多く集まるのだが、そのぶん野盗の類も増えた。おかげで通商路となっている通りに、血肉の臭いにつられた魔物も急増していたらしい。都市の自警団も野盗の対応に追われ、都市外部に出没した魔物にまで人手を回すことが出来ずにいたらしい。そんなところへ大規模な魔物の群れの襲撃に頭を悩ませ、その解決策として近隣のローズベル学園に討伐の要請を出したとのことだ。
都市を襲撃していた魔物は獰猛かつ狡猾である事で有名な一角狼たちであった。基本的に夜行性なので、昼間はどこかに寝床を設けているだろうと踏んで、あたりを散策したら出るわ出るわ。数十匹の群れが見つかった。
血気盛んなシェリカがすぐに奇襲を仕掛けたため、戦闘は圧倒的戦闘力を誇るシェリカの一方的な展開となった。具体的にはシェリカが火の要素魔術、竜炎殲で全て燃やし尽くした。狡猾な一角狼も、シェリカの暴力の前には無力だったようで、どれだけ俊敏な動きで翻弄しようとしても、それを上回る範囲を焼き払い、とっさに岩など遮蔽物に隠れたところを、その遮蔽物ごと焼いていた。どれだけ群れを成したところで、もうどうしようもなかったことだろう。
そんでもって俺はそれを黙って後ろから見ていただけだ。なんせする事が無いのだから仕方ない。暇なのは俺のせいではない。シェリカが終始圧倒的火力で殲滅していたせいだ。
そうしてフィーロが概ねの経緯を話すと、ガナッシュはまたしても大きな溜め息を吐いた。
「……情けない」
「ほっとけ」
「冒険者としての矜持はないのか」
「ないけど」
ガナッシュは眉間を抑えた。疲れ目だろうか。早く寝れば?
「あの女の強さは分かっているが、もう少しこう……なんとかならないのか。なんのために冒険者になったんだ」
そうは言われても、俺にはそれに対する答えがない。冒険者になった理由なんてあってないようなものだ。強いて言うならば、シェリカのお守りのためにいるようなものだ。
あいつ、一人にしたら何かしでかすんだよなぁ。
身内じゃなかったら絶対に関わりたくない相手だ。在りし日の思い出が蘇ってきて、余計に頭が痛くなった。
「まさかとは思うが」ガナッシュがこちらを見据えて口を開いた。「ないとかいうなよ」
「ないけど」
またガナッシュは眉間を抑えた。疲れたんならはよ寝ろ。
「いやそうは言うけどさ、ここの生徒のみんながみんな大層な夢を抱いてるわけじゃないだろ」
「それはそうかもしれないが」
あまり納得をしていない様子で、ガナッシュは呻いた。冒険者に夢や希望を持とうが持たまいが、それは個々人の勝手だし、余人の口を挟むことではない。ただ、同じクランに所属する以上、それなりの要求がガナッシュにもあるのだろう。
よく言えば真面目だろうが、悪く言えばお節介。まぁ、クランの長としてそれなりに考えてのことだと良い解釈をしておくとしよう。
とはいえ、これ以上ない腹を突かれるのも気持ち良いものではないので、とっとと切り返すことにする。
「お前こそ理由はあるのか」
「ボクは妹のためだ」
きっぱりと言い切りやがった。いっそ清々しい。
さすがシスコンだと言うべきか。褒めるべき美点とは言い難いけれども。だいたい、入学から一週間でファンクラブまで出来るくらいのモテっぷりなくせに、中身がこれではファンの女の子たちも幻滅だろう。どうかみんな早く目を覚ましてほしい。こいつは変態だ。
「なんだその顔は」
「いや、なんでも?」
明後日の方向を向きながらコーヒーをすするフィーロに対して、怪訝そうな顔をするガナッシュだが、追及することはしてこなかった。
「……まぁ、いい。それより、明日はサボるなよ」
「面倒だなぁ……」
「面倒だろうがなんだろうが、考査は悉皆だ」
課外活動を積極的に推進する学園では、学園内の座学は必要な回数を受ければ単位の取得が可能だ。主に入学、進級後すぐの春先や、気候の安定しない冬場にまとめて受ける者が多い。しかし定期考査だけは避けることはできず、すべての生徒が受験する義務を負う。
定期考査とは個々のスキルを測るためのもので、学部ごとに課せられた課題をこなす基本的な能力査定と、生徒同士の模擬戦による戦力査定が行われる。一年生は入学すぐに能力査定が行われる。それを含めると定期考査は前後期と年に三回、二年次以降は二回行われる。後期は集団における戦闘能力を測るらしい。
「お前には十分な実力があるはずだ」
「それは母親がダメな子どもに涙を零しながら言う言葉だぞ」
「諦めてるやつだろ、それ。……違うそうじゃなくてだな」
「まぁ、出るには出るさ。結果はともかくな」
「だから、俺が言いたいのは」
「おっと、そういやまだ風呂入ってねぇや。寝れなくなる前に入らなきゃな。ごっそーさん。カップは洗うから置いといてくれ」
「おい」
どうにも雲行きの怪しい話の流れを無理矢理断って、フィーロは立ち上がった。そしてそのまま風呂場に急いだ。
しかしよく分からない。
俺のどこを見てガナッシュは評価しているのだろうか。
◆◆†◆◆
夜が明け、日の出とともに鳥の鳴き声が聞こえてきた。初夏とはいえまだ眠るには心地よい季節。春眠暁を覚えずとはよく言ったものだと思うが、それでも本能が優ってしまい目が覚めた。習慣とは恐ろしいものだ。
体はすこぶる健康なようだが、気分は優れない。まぁ、定期考査があるからだが。額に手を当ててみたが、熱はなかった。当然である。今日の考査はサボることが出来そうにない。非常に残念だ。風邪くらい引いててもいいじゃないかと、我が身に文句を吐いてみたが、いくら額を擦ったところで熱は上がりそうになかった。
仕方ないので起き上がって、凝り固まった体をほぐす。
壁に立てかけていた剣を鞘に収めたまま手に取り、両手で握るとそのまま素振りを始めた。
日の出とともに起きて、剣を振る。基本三日坊主なフィーロの中で唯一日課として続くルーティンだ。背筋に力を込めて、大きく振りかぶり、腹筋に力を入れて腰の位置まで振り下ろす。弧を描く剣の軌跡が閃閃とした残像になるほど無心でそれを繰り返すことおよそ千を数える頃には、頭の靄も晴れてきていた。
「ふぅ……」
額を流れる微かな汗をハンドタオルで拭きながら、腹の虫が鳴くのを聞く。剣を壁に立てかけた。
「飯食うかな」
そう独りごちると、さっと服を着替える。
隣のベッドが空なところを見ると、ガナッシュはすでに起きているようだ。あの男も同じように外に出て朝の鍛錬をしているのだろう。度し難い変態ではあるが、剣士としては実直に努力を重ねる男だというのはこの二ヶ月弱でよく理解している。そこへいくと、変態なのが非常に残念で仕方がない。まぁ、顔も良くて剣術も達者とくりゃ、一つくらい欠点があったほうがいいか。変態性が強すぎてマイナス振り切ってる気がするけど。
部屋を出てエントランスに行くと、もう結構な人数が活動を始めていて、次々と男子生徒が外へと出て行く。慌ただしいエントランスの脇に寄り、ぐるりとあたりを見渡すと、談話用のソファに腰掛けるガナッシュの姿が見えた。立て掛けている太刀からも間違いない。
黒髪が濡れているあたり、鍛錬のあとにシャワーでも浴びていたのだろう。俺も浴びときゃよかった。
「よう、おはよう」
「ああ」
ガナッシュは声をかける俺に一瞥くれると、手許に視線を戻した。新聞を読んでいたようで、なにやら神妙な顔つきをしていたが、一分経たないうちに新聞を折りたたんだ。
「朝飯は?」
「まだだ。もう混んでいる頃だな」
「そうだな。さっさと行こう」
「ああ」
ガナッシュは立ち上がると、新聞をラックに戻した。そして太刀を持ち、肩にかける。それを出発の合図に、他愛のない話をしながら食堂に向かう。
「何か書いてあったか?」
「密猟団の一つが検挙されたらしい。近隣だな。戦争国に売り捌こうとしていたらしい」
「あー最近多いらしいね」
「あとは、隣のアガタで変死体が多発しているようだ。おそらくは魔物の仕業だろうが、未だに特定出来ていないんだと」
アガタ王国はヴァンクレオールと国境を挟んで隣接している。ちょうどミッドダムナの南部にあたる国だ。広大な湖による水資源に富んだ国で、水の国とも呼ばれるほどだ。
「へぇ。怖いな」
「昔から似たような事件は時折あったらしいが、最近になって特に急増しているらしい」
「昔からあったなら特定出来てそうなもんだけど。どの辺りだ?」
「確かベルカスとあったな。アガタの地理には明るくないんだが」
「ベルカスはアガタの学術都市だな。ほら、ルビル湖を囲んでる国あるだろ。そこらへんだ」
「いまいちピンとこないな。というか、詳しいな」
「まぁ、色々とな」
「まぁ、未知の魔物もまだたくさんいるということだ。そのためにも冒険者がいるんだ。だからお前ももう少し」
「あーあー聞こえなーい」
突然話が面倒な方向に向かいそうだったので、耳を押さえて声を張り上げる。「こいつは……」と、ガナッシュは眉間にしわを寄せたが、すぐに諦めて大きな溜め息を吐き出した。
朝から不景気な奴だ。
◆◆†◆◆
ローズベル学園の学生食堂ベルベットは、今朝も数多くの生徒で賑わっていた。喧騒は鳴り止むことを知らず、もはや一つの戦場のようになっていた。
というか戦場そのものである。
食べ盛りで血気盛んな冒険者の卵らしいといえばらしいのだが。
ちなみに、全寮制の学園において、食事の手段は主に三つになる。
一つは商業区の購買部で弁当を買うという手段。購買部は学園と提携した企業だけでなく、生徒が出店するものもあるため、種類はかなり豊富だし、飽きが来るということはない。ただ食べたければ食べたい分購入する必要があるため、少食の生徒ならともかく、大食らいの生徒は少々出費がかさむのが難点といえる。
もう一つは自炊。購買部では弁当だけでなく、食材も売っているので、腕さえあれば自分で作ることも可能だ。寮の各部屋にはキッチンもあり、調理器具類も一通り揃っている。構内で女子生徒がお弁当のお披露目会を催している姿もたまに見る。ただまぁ、それなりの物をと思うと時間を要する上、いちいちバランスの取れた献立を考えたりするのがめんどくさい、というところから多くの男子生徒に嫌煙されている手段と言える。
かくいう俺も例にもれず面倒臭がる質である。孤児院時代に炊事を任されることがあったので出来ないわけではないのだが、それでも多くの生徒同様に面倒なのに変わりはなく、必要に駆られない限りはあまりしない。
そして、三つ目は食堂を利用するという手段。むしろこれを選択をする生徒が一番多いだろう。
構内の商業区には購買部だけでなく喫茶店や屋台などの飲食店が並ぶ通りもあるため、食事には事欠かない。が、当然弁当よりも高いため、それなりの経済力が必要になる。
そもそも多くの生徒が望むのは「安価で美味い」である。そんな条件を満たしてくれるのは学生食堂だけだ。
その食堂の中でもここベルベットは一番生徒に親しまれている。なんといっても五百テールで一時間食べ放題のバイキング形式というのが魅力的だ。いやほんとすごいよ。採算度外視しすぎではないかと思う。なんせ料理の品揃えもさることながら、味もなかなかなもので、これで五百テールなら文句のつけようがない。特にたくさん食べる男子生徒の強い味方だ。
唯一の問題点といえば、この状況であろう。こうして混み合うと、いかんせん取りに行くのも困難なのだ。特に戦士系の上級生のフィジカルがね。弾かれるんだよ、肉の壁に。
入学当初、構内の案内をしてくれた上級生は、慣れてしまえば大したことはないと豪語していたのだが、俺達の目の前でそのまま人混みに押しつぶされてどこかへ消えてしまった。次に相まみえた時にはげっそりとやつれていた。全然慣れてねぇじゃねぇか。
今も人がひしめいていて、時折悲鳴すら聞こえてくる。人混みの中から伸びる誰かの腕が段々沈んでいくのが見えて血の気が引いた。
とはいえここより安い食事処は存在しないので、多くの生徒に選択の余地はない。下手に課外活動で魔物と戦うよりも鍛えられる場所なのではないだろうか。
「相変わらず凄まじい盛況だな」
さしものガナッシュも、おおよそ食事場所とは思えない阿鼻叫喚の地獄絵図に息を呑む。何度来ても慣れない。
ごった返している。そもそも座るところがあるのかすら怪しい。ちらと壁際を見れば、地べたに座り込んで食べる生徒もちらほらいる。そんな場所でつけ麺はきついんじゃないかな。あ、ほら汁こぼれた。そのまま汁のの容器は周囲の人間に蹴られて中身を撒き散らしながらどこぞへ消えてしまった。
「ありゃ選択ミスだろ」
「何がだ」
「んや、見てないならいい」
大の男が膝抱えてさめざめと泣いてる姿をあまり広めてやるものではない。次からはちゃんと座って食べなさいな。
「どこが最後尾なんだ」
ガナッシュがため息混じりに言うのも最もで、どこから入り込めばいいのか分からない状態だ。
「みんな割り込んでるし、どこからでもいいんじゃないか。ほら、スクランブルエッグ鷲摑みにしてる奴もいるし。……あ、袋叩きにされてる。そりゃそうだよな」
ちゃんと順番は守らないとね。
「食べたい料理に唾でも吐きかけるのは無理か」
「当たり前だ」
我ながら天才的な提案じゃないかと思ったんだけどね。みんな手を止めるはずだし。しかしながら、混沌と言わんばかりの状況下ながらみんな食の衛生面には厳しいようだ。朝食取りに行くだけで命はベットしたくねぇな。
「鼻糞が混じっても食らいつきそうなのにな」
「課外での非常時なら泥水でもすするだろうが、学園内でそれはないだろう。まぁ、勢いはそんな感じだが」
人の群れを遠巻きに見つつ、そんなことを話していると、目の前の光景がだんだん別世界の光景のように思えてきた。もう俺もガナッシュも言うことが他人事になってきている。
「購買部でも行くか?」
「それはそれで負けな気がする」
負けず嫌いさんめ。
ここで勇姿を見てるから、ついでに俺の分もとってきてくんない?
「おそらくあのへんがパンだし、適当に手を伸ばせば取れるだろう」
「くじ引きじゃねぇんだから……」
スクランブルエッグならともかく、パンならば鷲摑みにしてもそこまで顰蹙を買うことはないだろうけどさ。
「五つくらい取れば元は取れる。踏ん張りどころだ」
「朝食摂るだけで踏ん張りどうこう言われても」
「とにかく行くぞ」
「へいへい……」
気乗りしないが、致し方ないと人混みの中に入ろうとしたときだ。
「おや。そのにいるのは学年首席のガナッシュ君じゃないか」
背後から声をかけられる。
この妙に高く、ねちっこい声には覚えがあった。とりあえずもう一オクターブ下げろと言いたい。なんか神経逆なでするというかなんというか。要するにイライラするんだよね。声をかけられたガナッシュも大きな溜め息を漏らしていた。苦々しい表情を隠しもしない。まぁ、この様子だと、俺はお呼びではないみたいので、とっとと見捨てて去ろうではないか。
逃げ出そうとしたが、ガナッシュに肩を捕まれて阻止された。おい離せ。俺の客じゃねぇんだ。お前がちゃんと相手しろ。
ガナッシュが渋々といった様子で振り返り、俺もそれに倣う。正直なところ、俺は明後日の方を向いておきたかった。脇腹を小突かれたので諦めた。振り返った先には制服ではなく特注であろう身なりの、貴公子然とした気障な男がいた。その傍らには取り巻きなのか、制服を軽く着崩した男と、ローブを羽織った男の二人が立っている。とはいえ取り巻きなのかな。どっちも三歩くらい引いてて、すごい他人のふりしてるんだけど。
なんにせよ関わり合いになりたくないので、俺は半歩下がる。後のことはガナッシュに任せよう。俺は貝になる。沈黙は尊しってよく言うしね! ……もしかしたらそこの取り巻きもこんな心境なのかもしれない。そう思うと、もう半歩下がった。
「なんの用だ」
露骨に不機嫌そうなガナッシュの問い方に対して、相手は気にした様子もなく鼻を鳴らして目を細めた。
「なぁに、たまたま学部主席の姿を見かけたから声をかけたまでさ。今日はいい試合にしようではないか」
「そうだな」
気のない返事とはまさにこのことだ。
「入学時は不覚をとったが、今回はそうはいかない」
「そうか」
相手の言葉に対して、ガナッシュは淡々と短い返答を繰り返す。早く会話が終わってほしいという思いがひしひしと感じられる。ちったぁ隠しなさいよ。気持ちは分かるけどさ。
「ところで……あー、えーと……」
少し考える仕草をした後、俺に耳打ちをする。
「あいつ、名前なんだっけ」
マジかよ。
「ば、馬鹿にしているのかガナッシュ・ルフェーヴル!」
さすがにそりゃ怒るわ。なんだか可哀想に……なりづらいな。どうやら唾飛ばされたから腹立たしさの方が勝ってしまったみたいだ。
「あーいや、なんだ。クラス違うから忘れやすいんだ」
その言い訳もどうかと思う。
「ぐぐぐ……」
ほれみろ、ガナッシュが火に油を注ぐに等しい言い訳するもんだから俯いて震えはじめたじゃねぇか。つーかこいつちょっと泣いてねぇか? 少しだけ不憫になってきた。
さしものガナッシュも多少なりと悪い気がしてきたようで、気まずそうに頬をかく。
「なぜだか可哀想になってきた」
「後ろの二人知らん顔してるから余計にそう思えてくるよな。一応謝っとけよ、ガナッシュ」
つーかあの二人、金魚のフン的な立ち位置なのかと思ってたけど、ただの傍観者だな。マジで心底どうでもよさそうにしてるもん。制服着崩してる方の男とか若干笑ってるしね。ほんとにお仲間かよ。
「フ、フフフ……」
ひそひそと話していると、肩の震えに合わせて笑いだした。怖い怖い。なんか怖い。
俺もガナッシュも二人して引いていると、顔を上げるなり高笑いをしながらガナッシュを指差した。怖い怖い。情緒不安定やん。マジで怖いって。
「フハハハ! だがその余裕も今日で終わりだ! マルス・サーレストンの名を二度と忘れられないようにしっかりとその身に刻み込んでやる! 覚悟していたまえ!」
こいつもめげねぇなぁ。
妙に自信家だし、小者臭がひどいので弱く見えるが、これで学年次席だというのだから恐れ入る。性格と実力がここまで一致しない業界もなかなかないのではなかろうか。
この先ほどから取り巻きにさえちょっと距離を置かれるくらいには恥ずかしい姿を晒しているマルス・サーレストンは、大陸西部のカルネイア王国に名を連ねる高名な騎士の家系サーレストン家の子息だ。
こいつ個人はともかくサーレストン流剣術は学園でもかなり有名な流派だ。アーネルド・サーレストンを開祖とする一対一の刺突斬撃を重きに置いた流派で、カルネイア王国の主流剣術となっている。数多くの門下生を抱え、またその中から優秀な剣士を何人も輩出するほどである。国外にも支部を持ち、学園でもその門下生がいる。
そもそもサーレストン流剣術の祖アーネルドは《五剣聖》に数えられていたほどの腕前。現当主は五剣聖にこそなれなかったが、それに匹敵する実力を持つらしい。
そんな騎士の家系にあるマルスがどうしてこの学園に入学してきたのかは知らないが、当然、サーレストン家の直系であるマルスもそれなりの期待を背負ってここにいるのだろう。しかし、マルスはそれほどの一族の血を受け継いで生まれたのにもかかわらず、学園で近戦学部として学年の首席の座をガナッシュに奪われたのだった。
そりゃぁ、上には上がいるのが当たり前みたいな業界なんだから、逆恨みもいいところなんだよなぁ。でもこいつは、よほどガナッシュに主席を奪われたのが気に食わないのか、入学時の考査以来、やたら突っ掛かってくるのだ。
という、いかにも面倒臭そうな類の人間に絡まれるガナッシュにはいささか同情……はしないな。むしろ、こんな茶番に付き合わされる俺が一番可哀想だ。
俺だけでも解放してくんないかな。
げんなりしていると、マルスの視線はこちらに向いていた。完全に見下したような目付きだ。そして鼻で笑いながら、
「はん。下位の生徒を並べて聖人気取りも鼻につくものだな!」
こちらに矛先を向けてきやがった。俺を巻き込むなよ。
下位に位置するのは間違いないので、むっとは来るが言い返すことはできない。強いて言うなら、ガナッシュはただの変態で聖人などではないということくらいだ。
「付き合う生徒は考えたほうがいいんじゃないのかな?」
まぁ、その辺は同意するけど。ホント俺もこんな変態と付き合いたくないもの。変態が伝染るかもしれないし。もし俺がそうなってしまったらなどと想像するだに恐ろしい。
等の変態はマルスを見据えながら無表情を貫いている。何事か考えているのか。ひと呼吸ほど目を伏せると、口角をつり上げた。
「なんだお前、ボクと友人になりたいのか?」
「なっ……僕は」
「残念だが、ボクは家柄を誇るばかりで腕が追いついていない奴とは友人になるつもりはない」
「きっ……貴様!」
嘲るようなガナッシュの一言に堪忍袋の緒が切れたのか、マルスは腰の剣に手を伸ばした。肝の小さいことだと思うが、こんな場所で刃傷沙汰は不味い。
どうするかと逡巡するが、その間に取り巻きだった制服を着崩した方の男がマルスの腕を取った。
「坊っちゃん、そりゃあまずい。さすがにダメですぜー」
「離せウォンツ!」
「いやいや、こんな食堂で剣抜いたら大問題になりますぜ。そもそも坊っちゃんが絡むから言い返されたんです、多少堪えないと」
ウォンツと呼ばれた男は溜め息を零しながらも完全にマルスの腕を固めている。しかもわりと常識人だった。
「どうせ考査で当たるんでしょう? こんな場所でしなくてもいいじゃないですかい」
「くっ……分かった! 分かったから離せって!」
「素直で嬉しいですぜ、坊っちゃん」
マルスの腕を離し、にっと笑う。愛嬌のある笑みだった。
「悪かったなぁ、ルフェーヴル。うちの坊っちゃんが」
「いや、大したことはない」
「坊っちゃんかまちょだから許し立ってくれや」
「面倒な男に仕えてるんだな」
「僕はかまちょじゃない!」
マルスが吠えた。うん、いや、かまちょだろ。
「まぁ、坊っちゃんの世話が仕事みてーなもんでな。仕方ねぇよ」
仕方ないで世話されてんのかマルス。
「ロレンツも悪かったな。坊っちゃんにはきつく言っとくからよ」
「え? あーいや……気にしてないよ」
「そうか? ならいいがな」
ウォンツとやらに謝られるとは思わなかった。謝ってほしいとは思ってなかったが、なんというか、複雑な気分だ。
「でもまぁ、あれだ、ロレンツ。本気は出さねーと、何が本気が分からなくなっちまうもんだぜ」
「はぁ」
「気のねぇ返事だな。ま、いいけどよ。とりあえず頑張れや 」
ウォンツは素早い動きでマルスを再び拘束して、そのまま引きずって踵を返していった。
「さて坊っちゃん、行きますぜ。歯磨きの時間でさぁ」
「ちょっ、だから掴むな離せ! 分かっている! あ、でもイチゴ味の歯磨き粉切れてたぞウォンツ!」
「はいはい。メロン味で我慢してくだせえ。ノーワン、行くぜー」
「……ああ」
ローブを羽織った生徒が初めて返事をした。マルスを引きずるウォンツの後をついて、俺達の元から去っていった。
半ば呆然と見送っていると、ガナッシュが怪訝そうに尋ねてきた。
「どうしたフィーロ」
「ん? 何が」
「いや、変な顔をしているから」
「嫌味かよ。最悪だな。死ねば」
「そうじゃなくてだな」
「んー……いや、なんでもねぇよ。ようやく嵐が過ぎ去ったからな。ほっとしてんだ」
「それはまぁ、同感だが」
本当に、嵐のようだった。
なんというか、はた迷惑という言葉がお似合いの男だ。一度会話するだけでお腹いっぱいになる。もうしばらくは会いたくねぇな。と思ったけど定期考査だから絶対会うんだよな。泣ける。
あ、お腹いっぱいで思い出した。
「そういや、飯食ってねぇ」
「……もう購買で済ませよう」
結局負けてんじゃねぇかよ。
◆◆†◆◆
購買部で購入したサンドウィッチをかじる。学食よりも若干値が張ったことは口惜しいが、レタスとカツの歯ごたえに満足して、わりとどうでもよくなった。
「座って食べたらどうだ」
「ンなとこに座り込んでる方が柄悪くないか?」
出入り口の脇に座り込んでおにぎりを食べるガナッシュ。店先で座り込んで食べるってマナー的にどうなんだ。
「ベンチとか置いて欲しいところだな。それか喫茶スペースか」
「人が溜まるから置かねんじゃね?」
「まぁ、それはそうかもしれないが。ニーズに幅広く応えるのも商売としては大事だと思うぞ」
「ほんなおんかねぇ」
ほんのりとバターの効いた卵サンドを頬張りながら、その場にしゃがみ込む。地べたに置いたコーヒー牛乳を拾い上げ、一口飲む。
「そういや、ウォンツってやつは知り合いなのか?」
「名前くらいは知っていたが、話すのは初めてだ。サーレストン家に代々仕えている家の出らしいが」
「ああ、それで坊っちゃんね。お前はともかく、俺の名前知ってるってのが驚きだったわ」
「むしろお前が知らないのが驚きだ」
「何、強いの? 坊っちゃんを押さえた動きは手練っぽかったけど」
「それはそうだろう。特戦学部の一年生主席だぞ」
「へぇ、すげぇな。学科は?」
「銃使いだ。銃闘士学科らしい」
「銃使うのかよ。それで特戦? 遠戦だろ、普通」
銃器を扱う学科は遠戦学部の銃撃士学科か狙撃士くらいだと思っていたが、それだけではないのか。
「それについてはボクも気になって一度だけ模擬戦を見学したことがある。動きは完全にインファイターだったな。実際、獲物も短銃に刃を付けたガンブレードで、射撃もかなり至近距離だった」
「へぇ。なんかかっこいいな」
ガンブレードか。接近戦を主体とする銃使い、というのは浪漫を感じる。しかも小手先ではなく、それで実力も伴っているのだからいよいよ素晴らしい限りだ。
素直に感心していると、ガナッシュがなんとも言えない表情で俺を見ていた。
「なんだよ」
「お前が興味を示すとは意外だな。少しは意欲が出てきたのか?」
「いやないけど。単に珍しい学部とか学科には興味があるだけだ」
「それにしてはボクに対しては興味なさそうだが」
「ははは。気持ち悪いこと言うなよ」
「なんなんだこいつ……ぶっ飛ばしたい」
確かにガナッシュも珍しい部類の学科だとは思うが、この男の場合は変態という性質が学科の特殊性を上回っているため、ウォンツと違って素直に感心しづらいのだ。それにほら、ウォンツは真っ当な部類っぽいし。どっちを尊敬するかなんて明白だよね!
「……たく、冒険者としての意識は低いくせに、他人の学科には興味を示したり。よく分からん奴だな、お前は」
「そうか?」
「知識欲なのか知らないが、せめてそれを普段から活かしたらどうなんだ。差し当たっては今日の定期考査に」
「どう活かすんだよ、そんなもん」
「それは自分で考えろ」
投げやりかよ。
だいたい、近戦学部の連中はだいたい戦士か剣士だ。多少武器や戦い方の差はあれど、他の学部に比べりゃ大した差はない。もっと言えば俺は珍しい学科に興味があるだけで、戦闘の分析がしたいわけでもない。それをどう活かせるというのか。
「何か言いたげだな」
「別になんもねぇよ」
「なら睨むな。……さて、ごちそうさま」
会話を交わす合間に、ガナッシュは一足先に朝食を食べ終わっていた。手早くゴミを袋にまとめ、ゴミ箱に片す。
「お前も早く食えよ」
「誰のせいでこんな目に……」
「少なくともボクのせいじゃないだろ」
一因だろうが、という言葉が寸前まで出かかったが、押し問答になるのは明白だったのでつぐむことにした。口に残ったパンを、コーヒー牛乳で押し流す。
程なくして完食し、同じようにゴミをまとめて捨てる。
「ごちそーさん」
「よし、行くか。そろそろ急がないとまずい」
「んー」懐から時計を出して時間を見ると、確かに始業の時間が差し迫っていた。「そだな。急がねーと遅れるわ、こりゃ」
ここから校舎までの移動時間を考えればギリギリの時間。二人は揃って小走りに校舎へと向かうが、定期考査のことを考えるとフィーロの足取りはひどく重かった。
◆◆†◆◆
始業五分前。なんとか間に合ったことにほっと安堵し、走ったことで少しばかり乱れた息を整える。
つーかマジ焦った。
校舎に向かう途中、角で偶然三年生の先輩とぶつかってしまい、不運なことにその拍子に飛び出た財布が大口を開けていて小銭をぶちまけてしまったのだ。
ぶつかった相手が優しい先輩だったので、拾うことを手伝ってくれたのだが、ガナッシュの野郎は「先に行ってるぞ」と素気なく去って行ってしまった。あいつ絶対友達いないだろ。
巨大な講堂にはすでに多くの生徒が集まっていた。
目算でも二百人以上はいるだろう。これらすべてが近戦学部の一年生なのだから恐れ入る。
ローズベル学園の総生徒数はだいたい三千人強といったところらしい。入学者数が最低の年でも一学年で八百人は在籍しているらしい。今年は特に多く、なんでも千二百人はいるとか。
「後ろの席が空いてねぇ……」
教壇から見てはるか先の最後尾、そこから五番目くらいが俺の定位置だったのだが、すでに俺と同じく意識の低さに対して意識の高い連中が陣取っていた。
仕方なくガナッシュを探してきょろきょろしていると、すぐにガナッシュの姿が見つかった。つーかわりと簡単に見つかった。
女の子に囲まれていやがった。シスコンのくせに。
毎度のことだが、今日は先刻の真新しい負の記憶が相まって余計に憎らしい。いっそ一番苦しい死に方で死ねばいい。なんで冷酷に人を置いていった奴が女の子に囲まれてんだ。
ただし奴はシスコンなので、女の子に興味はない。鬱陶しいのか、ぶっきらぼうな返事を繰り返すだけだ。しかし、それをクールと受け取った女の子は更に黄色い声を上げる。何、なんなの。あいつホントなんなの。シスコンのくせに。
怨嗟の視線をガナッシュに送っていると、奴も俺に勘付いたようだった。そしてあろうことか困り果てた顔で俺に助けを求めてきた。
見捨ててやった。
真ん中の方に空席を見つけ、そちらへと向かう。ガナッシュがわめいていだが無視した。何様だテメーは。反省しろコノヤロー。
そして目当ての席にたどり着き、座ろうとすると、椅子の下に何かが落ちていることに気付いた。
しゃがみこんで拾い上げると、それはノートであった。花柄に縁取られた可愛らしいデザインのノートだ。女の子のっぽい。ちょうど隣の席に座っているのが女の子だ。
もしかするとと思い、その女の子に声を掛けることにする。
「すいません、隣座りたいんだけど。このノートあんたの?」
「……うん」
か細い返事が返ってきたので、渡そうとしたあたりでノートのタイトルが目に入る。そして硬直した。『Observation Diary for Firo』と記されていた。フィーロの観察日記ってなんだ。
ああ、そうか。あれか、俺と同じ名前の奴がいるんだな。奇遇だなぁ。まぁ、こんなに人がいたら同名の人間だっているよね。そりゃそうだ。はははビビったー。
「……それ返して、フィーロ」
「って、クロアかよ! じゃあこのフィーロは俺かよ!」
「……おはよう、フィーロ」
「おはよう……じゃなくて! 何これ!」
「ただの趣……実用書……」
「言い直しても大して変わってねぇ!」
クロアは何言ってるのかよく分からない、というように首を傾げた。いや、俺のほうが分かんないんだけど。
灰色よりの黒、いや黒よりの灰色といったほうがいいのか、そんな少しだけ曖昧な色の髪の、赤子のように白い肌の少女。眠たげなまぶたの奥には深い琥珀のような双眸が覗く。全体的に幼さの残る容姿でではあるが美少女と呼んで差し支えないだろう。ただ、彼女の場合、最も目を引くのはその尖った長い耳だろう。
クロアは亜人である。
亜人といってもその種族は多岐にわたる。ゴブリンやオークなど、人間に敵対する種族も言ってしまえば亜人なのだ。広義的に言えばモニカもまた亜人だが、彼女の種族は獣人と呼ばれている。獣人は人口が多く、国も形成しているからだ。亜人の定義は、その一種族で形成している社会の単位によるところが大きい。
彼女の種族が何かは知らないが、同じクランに所属する仲間だ。あまり気にするものでもないだろう。というか、気にするべき点は他にある。この際、観察日記もどうでもいい。よくないけど。
「つーかお前、遠戦学部だろ」
「ん……?」
また何言ってるのかよく分からない、みたいな顔をされた。俺もなんで分かんねぇのかが分かんねぇよ。
「いや、お前の教室違うだろ」
「……おっと、間違えた」
わざとらしく拳で手を打つ。
そして立ち上がると、「またね」と小さく手を降ってこの場を去っていった。なんなのあの子。できればノートは置いていってほしかったが、後生大事に抱えていた。何が書いてあんのかと想像するだに恐ろしい。
呆然とクロアの背中を見つめていると、ちょんちょんと肩を突かれた。振り向くと、犬のような耳をピコピコさせる、小柄な獣人の男子生徒がいた。
「なんだ、ルツか。おはよう」
「おう、フィーロ。隣座っていいか?」
「そんなの聞かなくても座ればいいだろ」
「いや、さっき座ろうとしたらクロアに断られてさぁ。なんかノート敷いて『ここはフィーロの場所だから』って」
何がしたかったんだあいつは。
「気付け、座ってるクロアが間違っているんだ」
「うん?」
ルツは何を言っているかよく分からない、みたいな顔で首を傾げる。クロアと違ってこいつは素の反応だった。正真正銘のアホである。それはそれでイラッとした。
なんてしているうちに、チャイムが鳴り響く。
同時に前の扉が開かれ、長身の男が入ってくる。日の左に大きな十字傷を持つ、人相の悪い男だった。細身ながらも威圧感がある。背には長大な剣を背負っているせいかもしれない。
「二秒以内に座れ。二、一、ゼロ」
開口一番に無茶な要求してきやがった。
立ちっぱなしになってしまった生徒には盛大な舌打ちをお見舞いしていた。あれで先生だっつーだから驚きだ。いやまぁ、あれは荒事専門というか、生徒指導の立場でもあるのだが。
ヴァイス・ゼクトバッハは学園に務める教師であると同時に、有名な冒険者でもある。
《剣狼》ヴァイスと言えば単独で金剛羅刹を撃破した猛者。平たく言えば、化け物と呼べる人種だ。
彼の持つあの長大な剣、切り刻む王者の牙はかの《空白の時代》と呼ばれる時代の遺産だ。切れ味はそこらの剣とは比肩すべくもない。
まあ、そんな凄い人が担任というのは、学園の生徒としては非常に喜ばしい……のだろうが、壊滅的なほどに笑顔が欠損しているあの無愛想っぷりのせいで喜びも半減以下だ。あと性格が悪いんだよな、あいつ。
「今日は定期考査。午前中に個別の能力査定、午後からは模擬戦による戦力査定を行う。入学式から二ヶ月ほどが経過し、それなりに生徒としての自覚も芽生えたことだろう。どれほど成長したか、己で確認する場とするがいい」
ヴァイスの口から試験の概要が説明されていく。
一年生は今回が初の対人戦による試験となる。能力査定によって学部内の順位は入学時に決定されているが、さらに今回の模擬戦戦である意味真の一番というのが決定される。
「この後すぐに第四グラウンドに移動をし、各レベルごとの担当教員の下へ集合しろ。では担当教員を発表する。レベルⅤはレイモンド教諭。レベルⅣはサリス教諭。レベルⅢはベルファン教諭。レベルⅡはアドルフ教諭。レベルⅠはシモン教諭だ。それでは今から五分で移動を完了しろ。以上、解散」
告げるやいなや、ヴァイスは踵を返して教室から出て行った。同時に全員が一斉に立ちあがった。
「五分とかふざけんな!」
「第四グラウンド一番遠いじゃねぇか! 全速力で走らねぇとやべぇぞ畜生!」
「あの先生遅れたらゼッテー成績下げんぞ! 鬼かよ!」
怒声とも悲鳴とも取れるような生徒全員の声が響く。いやホントあえて第四グラウンドを選択したのなら尚の事性格悪い。南東区の第四グラウンドは東区の第二グラウンドよりも遠い。十分でもなかなかきつい。しかし十分であれば走ればなんとかなるが、五分となると走ってもかなりきつい。
あの野郎、それくらい出来て当然だろみたいな顔して出て行きやがった。出来るわけねーだろ頭沸いてんのか。
「言ってる間にあと四分だ! おい急ぐぞ!」
「ちょ、狭い! 扉狭いんだから押すなって!」
「誰よ今お尻触ったの! ぶっ殺す!」
「お、おお俺じゃねぇって! あいたたたたたたたたた! すんませんもうしません!」
「踏んてる踏んでる! 俺の足踏んでるって!」
阿鼻叫喚となる出入り口。これでは出られない。
どうしたものかと悩んでいると、ガナッシュが肩を掴んだ。
「おい、フィーロ。窓から出るぞ」
「なるほど畜生、それしかねぇよな」
教室の窓を開く。
三階、たけぇ……。超こえぇ。
「足折るなよ」
「無茶言いやがる……」
ガナッシュは身を乗り出し、上手く足場を使いながらさっと降り立った。下から手を回す姿が見える。早く来いと言いたいらしい。
覚悟を決めるしかないようだ。
あの性悪先公。覚えてやがれ。いつか復讐してやる。
フィーロは出来もしない妄想をしつつ、窓から飛び降りた。
両刀を本来の意味で捉えていた方は申し訳ありません。
いたく反省しています。ただいま画面の前で土下座してます。
更新は不定期かつ遅いですがお付き合いいただけると嬉しいです。