第一章(28) VS砂糖の塊
◆Moran◆
『――エリック様の猛攻にガナッシュ君、えーっと……あー……まあいいや。もう一人のナントカ君はたじたじです!』
沸き上がるエリックファンの黄色い歓声。モランはただただ圧倒されていた。
モランはアンセムスターの面々とともに、第一ホールの客席からフィーロたちの試合を観戦していた。
実況がやたら贔屓な気がしないでもないけれど、仕方がないのかもしれない。ただ、名前を呼ばれなかったレイジはかなり可哀相だとモランは思った。
スクリーンにモニタリングされている試合はどのように撮っているのかは解らないけれど、かなり臨場感あるものになっている。予選と同じように、視点が切り替わったりする仕様のようだが……、
「きゃあああああっ! ガナッシュ様ぁぁぁぁっ!」
「頑張ってくださぁぁい!」
ガナッシュの姿が映し出されるたびに歓声を上げるベアトリーチェとユミィ。周りを見渡すと、同じように叫んでいる女の子が大勢いた。ファンクラブがあるのは知っているが、さすがにここまでとは思わなかった。エリックファンに劣らずの勢力だ。
「はっちゃけてるね〜リーちゃん」
「そうだね」
ロリエの言葉に苦笑しながら答える。まあ、ある意味いつものことだ。モランはどこか遠い目で隣で狂喜乱舞している二名を見た。
しかしベアトリーチェはともかく、恥ずかしがり屋のユミィまでもが暴走するとは。いつも大事にしているヌイグルミをぶんぶん振り回している。クランコンテスト効果とは恐ろしいものだ。
「でもエミリちゃんは落ち着いてるね〜」
「当然です」
澄ました様子で言ったエミリなのだが……。
どぱどぱ。
「……エミちゃん鼻血鼻血」
「はっ……いや、これはチョコの食べ過ぎで……」
モランの指摘に顔を赤らめて、慌てて鼻を手で押さえるエミリ。モランはまた苦笑を漏らし、ティッシュを手渡した。
「あはは、チョコなんてないじゃん。エミリちゃんてばムッツリ〜」
「ち、違いますっ」
ロリエの無邪気な言葉に一段と顔を赤く染めるエミリ。そんな姿は少し可愛らしいと思ったが、口に出すともっと赤くなりそうだ。それこそ貧血で倒れかねないとモランは黙っておくことにした。
「でもガナッシュ君って人気者だよね〜」
「そうだね。やっぱり格好いいからかな」
「それはガナッシュ様の素晴らしさの一端ですわッ!」
いきなりベアトリーチェが立ち上がって叫んだ。
というか、しまった。ガナッシュの話は……いや、ガナッシュという名詞そのものがベアトリーチェの前では禁句だった。
「ガナッシュ様の素晴らしさはやはりその優しさ! 他者を思いやるあの大きな器! クランのマスターを務めていることからもそれはよく解りますわ! そして――」
「解った。解ったからリーちゃん、ちょっと落ち着こう? ね?」
周りの視線が痛い。
さすがのベアトリーチェも我に返ってすみませんですわと座って俯いた。多分、けろっとすぐ元に戻るんだろうなあ。モランは小さく溜め息を吐いた。
再びスクリーンに目線を戻すとちょうど映像が切り替わった。
「あ……」
そこに映るのはフィーロの姿。彼はバルドが繰り出す攻撃を必死に避けていた。
「あ、フィーロ君だ〜。モランちゃん、フィーロ君だよ」
ロリエがスクリーンを指差しながらモランを促した。なんでわたしに言うんだろうと思わなくもないが、そこは押し留めた。
「うん。解ってるよ」
「すごいね〜全部避けてる」
「でも、避けてばっかりです。反撃も出来ないなんて。あれじゃあ逃げてるのと同じですよ」
平静を取り戻したらしいエミリだが、その表情は不服そうで少し眉間に薄く皺を作っていた。内容もそうだが口調もどこかしら厳しい。
「そろそろ捉えられるんじゃないですか?」
「酷評だね〜」
たはは、とロリエが笑った。
確かにそういうふうにも見えるかもしれない。ちょこまかと小動物のように避けている様は、逃げと思われても仕方がない。だけど、モランにはあれが逃げているようには見えない。
腰が引けているわけでもなく、相手から距離をとろうともしていない。一定の距離を保ち、全ての攻撃を躱しているのだ。
あれは消極的な回避ではない。むしろ積極的な回避だと言える。何か目的に沿って回避に専念しているのだ。彼のことだ。おそらく時間稼ぎだろう。
ただ、それをエミリに対して弁解する必要があるかといえば、そういうわけでもないし、躊躇ってしまう。それは単に自分自身の問題ではあるのだが。
「モランさんだってそう思いますよね?」
「え? あ……えと……」
だから迷ってしまう。エミリの同意を促す言葉に、モランは二の句を継げないでいた。
この気持ちは秘めておきたいもの。出来れば感付かれたくない。だからこそ躊躇してしまうのだ。
臆病と言われても仕方はない。でも、知られたくはない。誰にも。特に、今まさに戦っている、大切な友達には。
――わたしがフィーロのことが好きだということなど。
結局、打ち明けたのはルツだけだ。幼馴染みだからルツが口だけは堅いことはよく知っている。だけど、それでも本当はルツにさえ言いたくなかった。あれはなぜだか気付かれたから言わざる得なかっただけだ。
普段は鈍臭いくせに、どうでもいいことには敏感な少年に、いい迷惑だという思いはあったが、少し心が軽くなった気もしていた。ずっと押し込めていた想いは、思いの外自分にとって重石になっていたらしい。あの時ばかりはルツにちょっぴり感謝をした。
「モランさん……?」
とはいえ、どう答えたものか。
ずっと黙っていたら余計に怪しい。ほんのりフォローをする程度で済ませておけば、問題なかったかもしれない。時期を逸してしまったことに後悔をする。
「えーと……」
「――あれは積極的な回避ですわ」
なんとか句を継ごうとしているモランを遮ったのは、ベアトリーチェだった。
「バルド先輩の攻撃に対し、フィーロ・ロレンツは一定の距離を保ったまま回避していますわ。そしてその距離は、ギリギリあの斧槍を躱し、またギリギリで自分の剣が届く距離。ここまで言えば解りますわね、エミリ?」
「え? えー……えと……ごめんなさい。解らないです」
しゅんとして首を竦めるエミリに、ベアトリーチェは小さく嘆息してから口を開いた。
「要するに、カタハネの戦術……というかメンバーを考えれば済む話ですわ。学部首席のシェリカさんがいるんですもの。魔術詠唱の時間稼ぎか何かですわ」
「時間稼ぎ……」
「それに気付かずモランに同意を求めても、モランが困るだけですわ」
「あ……」
ベアトリーチェの言葉に、エミリははっとした表情を見せた。そしてこちらを向いて、悄然と頭を下げた。
「ごめんなさいモランさん……」
別にそういう理由ではないが、訂正するのもややこしくなるだけだろうと何も言わないことにした。罪悪感はあったけど。
「あ、謝ることないよ。とにかく、試合見よう?」
「はい……」
悄気つつもスクリーンに視線を戻すエミリに漸く難去ったというように、ふうと息を吐く。なんだろうか。どっと疲れた。それを誤魔化すように観戦前に購入したジュースのストローに口をつけて吸う。
「……にしてもモラン」
「うん?」
「あの男のどこがいいんですの?」
ぴゅふっ。
いきなりの一言に、モランは吹いた。「な、なな……」口を拭うことも忘れて唇をわなわなさせる。
さらに追い討ちをかけるかの如く、ロリエも口を開いた。
「ギャップじゃないかな〜。成績はレベル1だけど〜って」
「まあ、らしかぬ戦力ではありますわね」
「ちょ、ちょっと待って待ってお願い待って。え? な、なんで?」
この二人はなぜさも当然のように語っているのだろう。というか、本当になんで。モランはただひたすら困惑した。
「なんでって……見てれば解りますわよ?」
「そだね〜」
そだね〜、ではない。見て解るほどあからさまだっただろうか。気付かれたくなかったのに。こっちだって気付かれてないとずっと思っていたのだ。一体いつから。最初から……?
「まあ……わたくしたちだからかもしれませんけど。エミリたちは知りませんし」
「ずっと三人組だったもんね〜」
「……」
そういうものなんだろうか。なんだかんだで結成して間もないはずだが。でも、何がどうであれ、気付かれたということに変わりはない。これでいっそのこと開き直れればいいけれど。性格的に無理だ。
「というか、モランも水臭いですわ。好きな殿方がいることをずっと黙ってるなんて。相談してくれてもいいんじゃありません?」
「それは……」
「リーちゃん耳年増だから。相談してもね〜」
「ぶっ飛ばしますわよ、ロリエ?」
「あはは。ごめんなさぁい」
「まったく……」
相談……か。出来るわけがない。特にベアトリーチェには。いや、彼女に話しても無駄だという意味じゃないけど。というよりむしろ、相談してはいけないのだ。
「……それで、どうなんですの?」
「わたしは……その……」
「すでに諦めている?」
「う……」
あっさり図星を突かれた。
ベアトリーチェは心底呆れたように深く溜め息を吐いた。深い深い溜め息だった。
「本当にお馬鹿さんですわ」
「馬鹿ってそんな……」
「お馬鹿さんですわ。大体、諦めてなんになるんですの? 理由は知りませんけど、まあ、モランのことですわ。大方誰かに遠慮したりしているんでしょう?」
「……」
無言のまま俯いたモラン。ベアトリーチェはそれを肯定だと捉えたらしい。小さな溜め息が聞こえた。
「それがお馬鹿なのですわ。欲しいものを諦めるなんて、わたくしからしたらあり得ませんわよ? しかも遠慮なんかで。わたくしなら全力で奪いますわ」
「う、奪うって……」
「あら、略奪は恋愛の極意ですわよ? ――それに、わたくしはモランの味方。仲間の幸せのためならば、いくらでも力になりますわ」
「ずるいよリーちゃん。わたしも味方だよ〜。いろいろ聞き込んだりしてるんだよ〜」
以前ロリエがフィーロに彼女うんぬんと質問していたのを思い出す。あれのことを言っているのだろうか。
ああ、でも、やっぱりだ。
解っていた。だから相談してはいけなかったのだ。
心が揺らぐ。
いろんな思いが胸中でぐるぐると渦巻く。彼女との友情がある。知り得ぬ彼の気持ち。彼には誰か特別な人はいるんだろうか。彼を好く人も多くいる。それを邪魔をすることへの罪悪感。そして隣にいる、大事な仲間の気持ち。ベアトリーチェもロリエも、きっとわたしの味方でいてくれるのだろう。それを無視できるほどわたしは強くない。
「……わたし……頑張ってみてもいいのかな……?」
気付けばぽつりと呟いていた。
「……本当にお馬鹿さん」
嗜めるようにベアトリーチェは言う。だけど、この「お馬鹿さん」はなぜかとても暖かかった。
「どちらにせよ、決めるのはモランですわ。……ただ、そうですわね。後悔だけはしないようにしなさい」
「わたしは……」
後悔のない選択。
結局のところ、どれを選んでも後悔は残るだろう。
というか、だからこそわたしは今まで何も選べないでいたのだ。
わたしは欲張りだ。
あれも欲しいこれも欲しいばかりで、何も手放せない。手放すことを恐れている。それでもまだ何かを欲する。
そしてわたしが唯一諦めたものが、この恋心だった。
だけどこれだってただ後悔を恐れたがゆえの選択だ。
振られることを恐がっているだけ。彼への想いと彼女との友情を一編に失うのが怖いから、わたしは諦めという選択肢を選んだに過ぎない。
とんだ臆病者だ。
でも、臆病者にだって意地はある。
大体、欲張り者でもあるわたしが一番欲しいものを諦められる訳が無いのだ。
なら臆病になっている場合じゃない。
モランは俯いた顔を上げた。そしてハッキリと自分の気持ちを口に出してみた。
「やっぱり、わたしはフィーロ君が好き」
少し恥ずかしかったけれど、口に出してみてよく解った。わたしはフィーロが好き。それはやっぱり諦めきれない。
臆病なわたしだけど、もう少し頑張ってみよう。
「よく言いましたわッ!」
そう決心するや否や、急にベアトリーチェが立ち上がった。
「ラヴ宣言〜」
「え……ちょっ……」
「モランがそう言う以上、わたくしは協力を惜しみませんわ! 必ずやあの男とくっつけてみせますわよ!」
「泥船にのったつもりだね〜」
「大船ですわッ! 茶々いれるんじゃないですわロリエ! ……コホン。とにかく! モランの恋の大・ハート捕獲大作戦決行ですわッ! おーほっほっほっ!」
「リーちゃん……お願いだから静かに……その……だだ漏れだから……」
大、二回言ってるし。
というか周りの視線が凄く痛い。
なんかヒソヒソ話まで聞こえる……。
「え、モランさんあの男が好きなんですかッ!? ど、どういうことなんですかッ……!?」
そして聴こえてしまったらしい、信じられないものを見るかのような目をしているエミリ。どうやらベアトリーチェのせいで完全にばれた。秘密どころじゃない。
「えーとそれはね……」
「わたくしがいれば完全無欠! もはや勝ったも同然ですわッ! おーほっほっほっ!」
「あはは〜勝負じゃないのにね〜」
「そんな、ガナッシュさまぁぁぁぁッ……!」
「……」
収拾がつかないくらいに騒ぎ立てる仲間たち。いつでも味方だと言ってくれたベアトリーチェに、感謝はしているのだけれど、今は甚だ迷惑しか感じない。
「モランさん、説明を!」
「ああうん……また今度ね? ほら、周りの目もあるし……」
「そんなのは構いません! 今度っていつですかっ!」
「……」
わたしは構うんだよう……。
というか、早くも心が挫けそうだった。
◆Firo◆
「――ちょこまかと……」バルドは巨大な斧槍を振り上げた。一気に間合いを詰め、「動くなッ……!」
爆砕。
岩が抉りとられるほどの一撃。音にさえなってない、そんな破壊音を撒き散らした一撃をフィーロは寸でで躱し、「――ふッ……!」バルドの腹に潜り込んだ。
普通の相手ならここで抜き手からの一閃をぶち込めることも出来るだろうが、そこはさすがバルドだ。膝が飛び出してきた。丸太のようなぶっとい膝だ。当たったら死ぬんじゃないだろうか。つか、確実に骨は砕ける。化け物め。
「ぐっ……」
フィーロは膝蹴りを交差させた腕で受けた。鈍い衝撃。傷口から血が吹いた。後ろに飛びずさって受けたから、ダメージは軽減しているはずなのだが、激痛が奔った。腕も痺れている。
「ぅ羅ァッ……!」
バルドが間髪入れず斧槍を突き出してくる。本当に遠慮なしだ。一直線に向かってくる閃光のような突きを、フィーロは身体を左に捌き、その勢いで払った。逸らすくらいなら自分でも簡単に出来る。力に差があってもさして問題はない。タイミングが合えばの話だが。とはいえ、痺れた腕でやることではない。少し痺れが悪化した。
フィーロはバルドを見据えたままで腕をぶらぶらさせて解した。
ちなみに、フィーロの目的はバルドを倒すことではなく、時間稼ぎだ。この身体で出来ることなどその程度だ。だからといってただ回避してればいいというわけでもないのだが。
約七分。
シェリカが一撃必殺の魔術を完成させるのに要する時間だ。その間、フィーロはバルドを足止めしなければならない。向こうが前へ前へと攻めてくる以上、こちらも前に牽制しなくては向こうは退かない。足止めとは要するに、攻防を故意に一定の場所に留める技術だ。これほど面倒臭いものはない。
それにしても、要素魔術の力は詠唱に比例するものだ。七分も必要にする要素魔術。巻き込まれやしないだろうか。一抹の不安はあるが、やはり優勝候補のクランに勝とうと思えばそれくらいは必要だろうととりあえず思い込むことにする。
「――Ru‐靉BRAIN・co靱鬚霈」
不意に、詠唱が始まった。あと五分。ということは準備込みで七分という訳か。それならそうと言ってくれと思う。
「まあ、別にいいけど……」
「よそ見する暇は無いぞッ!」
「うおっと」
フィーロはバルドの突きを躱して飛び下がるようにして距離を取った。着地と同時に地面を蹴り出し、間合いを詰める。傷口は痛むが、こうすることでバルドに対する牽制になる。身体を気遣っている場合ではないのだ。
「闇式anxxoxey罪Ye・Fonxeetia」
フィーロは体勢を低く落として、腰の剣に手をのばした。
柄を握り、二歩三歩と距離を詰めると、抜刀の要領で抜き放つ。反りのない直剣には不向きなのだが、そこそこ上手くいったようだ。低空飛行しながら浮き上がるように奔る一閃。
しかしながら空を裂くフィーロの攻撃は、他の何者を裂くでもなく、ひたすらに空を切ることとなった。音で表すならスカッというやつだ。もともと当たればラッキーというつもりで放ったから構わないのだが、やはりちょっとへこむ。
何せだん、という音とともに、上空に向かって飛び上がって避けたのだ。飛び上がって躱すとか反則だ。しかもあの図体で。つか、軽く三メートル以上飛んでいる。そう、あの図体でだ。本当に人間か? いや、獣人か。
「――ぅるあぁぁぁぁぁッ……!」
隕石みたいに落ちてくる馬鹿でかい塊。
蛮族のような雄叫びをあげながら、落下による超加速を利用した一撃をフィーロは間一髪のところで避けた。
地面を穿ち、破片を撒き散らす様は雷とでも言うべきか。洒落にならない威力だ。
「やべ、涙出てきた……」
もし当たっていたらと想像すると、全身から力が抜けそうだ。ミンチで済むだろうか。まず無理だろう。
「魂鸞妃bagJLexXx皇鐔惡駁」
まだ詠唱は終わらない。あとまだ四分。まだ気を抜けない。フィーロは頬を二、三回叩いた。
「っし……」
大丈夫だ。まだいける。血はまだ足りている。意識は割にはっきりしている。それにバルドにも若干の焦りが見える。なんとかなるはずだ。
フィーロは重心を落として構える。バルドもそれに呼応するように武器を構えた。
ふと、バルドの構えを見て、何か大事なことを忘れている気がした。だが何だったか。思い出せない。大事なことのはずだったが。
「正直、ここまで出来るとは思っていなかったぞ」
フィーロが記憶を辿ろうとしたところで、バルドが口を開いた。下に向きかけた顔を上げる。バルドは構えを解いていない。フィーロは何も言わずに、足に力を込めた。
「この程度と言ったのは謝ろう」
「構いませんよ」実際、この程度だし。
「名はフィーロ・ロレンツだったか?」
「ええ」
短く答える。ここで冗談の一言でも言えたらいいんだろうが、生憎いっぱいいっぱいだ。
「……覚えておこう。何せ、これを初めて使う一年生だからな」
背筋を冷たい汗が伝った。どうやら俺はやっちまったらしい。今からでも謝る路線はありだろうか。……無理か。
激しい後悔も余所に、バルドが斧槍を背面に持ってゆく。地面にほぼ平行。身体を右に開いた。フィーロの方からは十字に見える。構え、なんだろう。あれが。
「――GzeeE霞TpdVbqT征嶺霊bAi澪薐AsLerta」
詠唱はあと三分弱。
バルドの技を耐えぬければフィーロの勝ち。出来なければ負けだ。シンプル過ぎて泣けてくる。
まあ、泣いても笑ってもこれが正念場だ。やるしかない。後ろにはシェリカがいるのだ。さすがに真剣にならざる得ない。
フィーロは剣を抜き、中段で構えた。そして笑みを作ってみせた。不敵に笑ったつもりだが、上手くいっただろうか。
バルドが口を釣り上げた。これが手本だと言わんばかりだ。少々腹が立つ。
「では行くぞ」
律儀にもバルドはそう言って――、
「GUUWOOOOOOOOOOOOOOOHHHH……ッ!」
吼えた。
世界が震えた。身体中、いや心さえも震えた。これが本能的な恐怖だと気付くのに、些か時間を要した。
そして、その一瞬だった。
その震えた瞬間。つまりフィーロが居ついた瞬間に、バルドは地面を蹴り出した。
爆ぜる大地。
弾丸のように迫りくる巨体。
それだけで圧倒的驚異。
だがバルドの攻撃がそれだけで終わるわけがない。それは重々理解していた。だが、避けずにいられるほどフィーロの肝っ玉はでかくない。斧槍をぶんと一振り。なんとも軽く繰り出された一閃を、フィーロは飛びずさって避けてしまった。
カシュ、という音が耳に届いた。空耳のような小さく乾いた音だが、微かに聞こえたのだ。
そして同時に、斧槍が分裂した。
――可変型武器。
俺は馬鹿か。今さら思い出しても遅い。後悔は先には立たないのだ。
「とくと味わえ」
バルドの不敵な笑みを浮かべた。あの目は獲物を狩る狩人の目だ。間違いなく、殺られる。
「――Barraaaaaaaaaaaaaaarge……!」
◆Ganache◆
爆風。
台風の風など微風かなにかと思わせんばかりの風が、ガナッシュの身体に叩きつけられた。まるででかい拳でぶん殴られたかのような勢いで吹っ飛ばされる。「――がっ……」そのままガラクタの山に突っ込んでボーリングみたく弾け飛んだ。
「よっしゃストライク」
そう言ったエリックは、声しか聞こえないがガッツポーズしているに違いない。凄く腹立つ。
「っ……くそ」
歯を食い縛って、起き上がる。全身が煤に塗れていた。無様だ。
「――Ru‐靉BRAIN・co靱鬚霈……」
要素魔術の詠唱が耳に届いた。ルミアかと思ってすぐに身構えたが違った。シェリカだ。考えてみれば、背後から聞こえてきているのだから当然か。ルミアは目の前にいるんだし。
にしても、あいつは一発逆転でも狙っているのか。多分そうなんだろう。バルドとフィーロが交戦している。十中八九時間稼ぎだ。だが保つかどうか。それは置いておいても、時間稼ぎが必要な時点で永い詠唱である。フィーロの負担も大きそうだ。
「ま、フィーロなら大丈夫か。というか当面はボク自身だな……レイジ、大丈夫か?」
「当然や」
にっと笑うレイジ。何が面白いのやら。
「ならいいさ。……にしてもエリックの風は厄介だ。どうにかしないとな……」
「なんとかなるやろ」かっかっと笑う馬鹿。
「お前、神風やるか?」
「死ねってか! 死ねってことか!? 嫌に決まってるやん!」
「遠慮するな」
「ガチで嫌なんじゃい! オレは遠慮はもっとやんわりする派や!」
「いや、知らないし」つーかどうでもいい。
「おーいおいおーい、オレっちの謙虚さを知らんどうでもええで華麗にスルーはひどないか? 絡もうや! もっと積極的に絡もうや! この世は絡みやで! ボケツッコミのギブアンドテイクやで! 一人で何せぇ言うねん! ピンか! ピン芸か!? オレにそんな淋しいことさせんといぃだだだだだだだだだッ……!?」
とりあえずウザイから捻りあげた。「――お前は一人で十分やっていけるさ」
「痛い痛いで! 痛い! ごめんなさい!」
「悪いと思うなら今すぐ死ぬか最初からするな」
「世知辛い選択肢! いだだだだだだッ! ごめんなさいごめんなさいぃぃぃッ……!」
関節技がこんな場所で役に立つとは思いもよらなかった。これからも活用していこう。主に変態相手に。
「楽しそうだなお前ら」
耳元で地面を踏みしめる音。顔を上げるとエリックがいた。
「……」
忘れていたわけではない。いや、嘘じゃない。失念していただけだ。あ、意味は一緒か。
「見てて面白かったから黙ってたんだが、いやもうそろそろいいだろう?」
「ええ……わざわざありがとうございます」
「礼には及ばねぇよ。楽しませてもらったし。それに――」エリックが唇の端を釣り上げた。背筋を冷たいものが奔った。エリックの笑みに、ではない。急に変化した、簡単に表せば空気みたいなものにだ。「もうこっちは準備も済んだわけだしな」
「――……start:imaginationーprogram。virtualーrevolver……charge。serial elemental sorcery system:allーgreen。chain of sorcery――discharge」
「ルミア・アーティミス……!」
ガナッシュは反射的に太刀を構えた。この空気の変わり具合は間違いなく魔術。詠唱に聞き覚えはなかったが、ルミアが魔術士である以上、ガナッシュの知らない魔術でもそれが魔術であることに変わりはない。
だが逃げる暇など与えてくれるわけが無かった。
「――attack:first barrage……鑽Amg緇鵜DEpt篥韲讖怨Coughdel紫烈閃」
閃光。
無数の閃光が四散し、屈折し、そして駆ける。ただ一点を目指して駆ける。
その一点はガナッシュたちだ。
避けることは出来ない。逃げるなど最早論外。なら道は一つだ。
迎え撃つ。
「――ユーカリスティア!」
鶴の一声と言わんばかりに太刀は水の刃を身に纏った。既にコイツを展開しておいて正解だった。
目醒めるのは魔性の太刀。
蒼き波打つ刃。
神の創りし武具。
聖体の秘蹟。
ガナッシュは自ら閃光の雨に突っ込み、
「喰らい尽くせッ……!」
吼えた。
太刀を全身を使い全速で振るう。風ごと断ち切る連撃。それらはルミアの放つ無数の閃光を払い落とす。ただ、実際雨を斬るような行為だ。全てとはいかず、何発かは脚や肩をぶち抜いた。急所じゃないだけマシだとガナッシュは無心で振るい続けた。
暫くして、嵐のような攻撃が止む。ズタボロながらもガナッシュは立っていた。一発一発の威力は然程強くはない。だからだろう。とはいえ何発も食らいたくはない。当たり処が悪ければ死にかねないし。
というか攻めるなら今だ。
魔術詠唱中と魔術行使後の間隙。それが魔術士の唯一の隙だ。つまり、魔術の途絶えた今こそが狙い目なのだ。ぼけっと呆けている暇などない。
「レイジ、いけるか!?」
「おうよッ」
「よし、エリックを牽制しろ! ボクは魔術士を……」
「――secondーbarrage……靫媒徠Tortem庵鯊珠wxw煉炎舞」
「な……」
馬鹿な。
あり得ない。
いくら何でも早すぎる。
「ガナッシュ……!」
レイジの叫ぶ声。解っている。避けないと。だが予想外の攻撃に、ガナッシュの身体は完全に硬直していた。
そしてその身はあっけなく炎の渦に呑み込まれた。