第一章(27) VS砂糖の塊
◆Firo◆
フィールド、なんて言うには殺風景すぎる場所だ。
点在するのは何かよくわからないガラクタの山。障害物の代わりだろう。あんなもの、端から在って無いようなものだ。
息を潜めて隠れてよう、なんてことはどうやら出来そうにない。つーか、シェリカがノリノリだから確実に無理だ。勘弁してください。
相手が相手だけに慎重に攻めるかと思っていたが、浅はかだった。「――附Meer哀du刀随水霊」ガナッシュはいきなり切り札を解放した。もう完全に全力で勝つ気だ。
しかし何より驚いたのは、
「――RuuaaaAAAAAAAAAAAAッ……!」
モニカが駆け出したことだ。
戦闘では基本的にユーリの護衛職に就くモニカが、そのユーリを放って一目散に駆け出したのだ。三叉槍を前方に突き出し砂煙を撒き散らしながら進む姿はさながら戦車か。
モニカの隣をレイジが駆け抜けた。あれはまあ大丈夫だ。うちの斬り込み隊長だからな。残念なことに変態だが。
レイジの姿が掻き消えた。超絶的な加速をしたのだ。普通の人間には捉えられない――はずなのだが。
反応しやがった。
灰色の髪をなびかせ、スウェンが一歩、二歩と進み出た。二歩目の時には手は背中の柄に手が掛かっていた。三歩目で抜きざまに、縦に一気に振り下ろした。大剣が地面を砕く。
レイジは身体を弓なりに引いて辛うじてそれを避けていた。あと三センチくらいで斬れていたんじゃないだろうか。それくらいギリギリを思わせた。
レイジは後方倒立回転――要するにバク転で距離を取った。
その横を抜けたのはモニカだ。振り切った状態ならいくらスウェンでも避けれまい。
――と思いきや。
モニカはスウェンを無視してバルドに向かっていった。
「Chaaaaargeeeeeee……!」
愚直なる破砕の突貫。
轟く喚声とともに、稲妻のような突きがバルドに迫った。つーかなんでバルド?
「ぬんッ……!」
バルドの武器は槍、というよりは斧槍と言える。やけにデカイ気もするが。とにかくバルドはそれを毘沙門構えから前に突きだす構えに変えて、モニカの三叉槍を受けとめた。
……。
受けとめた?
化け物か?
「この程度か……」
小さく何かを呟き、バルドは三叉槍を振り払い、その勢いで回転しながら斧槍をモニカに叩きつけた。「かふっ……」バルドと比べたら明らか小柄なモニカの身体は容易く吹っ飛んだ。ガラクタの山に突っ込み、埋もれた。
「モニカッ……!」
「おっと、行かせねーぞ」
駆け出そうとしたガナッシュに立ちはだかったのはエリックだ。バッと扇を開く。でかい。美しい模様の描かれたそれは一メートルくらいの長さはあった。
「ぶっ飛べ」
エリックが扇を一振りした。それだけだ。それだけで変化が起きた。
烈風。
エリックを起点に、周りのもの全てを吹き飛ばすような風が舞い上がった。「ぐぉっ……」直撃を受けたガナッシュは咄嗟に太刀を地面に突き立て踏張った。
あれが扇術士。
初めてこの目で見たが、なんて厄介な学科だろうか。近寄ることすらままならない。
しかも扇術士の起こした風は、こちらには逆風でもあちらには追い風なのだ。
その巻き起こされた風の勢いに乗ったスウェンが一直線に向かってきた。明らかに狙いはフィーロとシェリカだ。
フィーロはシェリカを後ろに突き飛ばし、剣を構えた。スウェンの勢いに乗りに乗った一撃を正面から受けるなど真っ平ごめんだが……、
「やるしかないしッ……!」
悲観的な叫びを力に変えて、迎え撃つ。
大剣と片手剣がぶつかり合った。火花が散った。腕が痺れる。化け物かコイツ。実際、無表情で斬撃を繰り出す姿はある意味機械的だ。
ああくそ。推し負ける。
背筋がビキビキいいだした。耐えれそうにない。出来ればさっさと起き上がって退避してくれシェリカ。
「チェストォォォ……ッ!」
九死に一生を得るとはこのことだ。スウェンが飛びずさった。圧力が消える。
スウェンの代わりに現われたのはレイジだ。顔を半分こちらに向け、笑みを浮かべている。
「愛の王子参上!」
「……お前は変態王子だろ」
「そんなつれへんこと言うなや」ウィンクしてきた。
「ウザキショい」
「ウザキショい!? その組み合わせはひどくない!? せめてキモカワイイくらいに……!」
「バカキモウザイ」
「変わってないやん!」
「お前ら妙に余裕だな」
聞くに堪えなかったのか、下らない応酬をしているとスウェンが大剣を振り上げて迫ってきた。気の短いことだ。
「レイジ、回り込め!」
「合点や!」
レイジの姿が掻き消える。フィーロは前に踏み込んだ。スウェンが袈裟懸けに斬り掛かってきた。フィーロは斬り上げる。
刃と刃が衝突した。
だがこればかりは推し負けるわけにはいかない。フィーロはのしかかる重圧に耐えた。
「しゃあ! もらったァ!」
レイジが背後を突いた。スウェンがそれに反応しようとする。そえはさせるか。
「く……お前……!」
「行かせませんよ」
フィーロは身体を押し出し、圧力を加えた。下がれば追う。そういう意味だ。簡単には下がれまい。
「一本やッ!」
レイジが斬り掛かる。
ランプ・オブ・シュガーは四人。一人でも欠ければ負ける。つまり、これで勝ちだ。
「――甘い」
ドス。
鈍い音だった。
フィーロの視界の左端から現われた一本の棒。それがレイジに突き刺さり、右側に吹っ飛んだ。
ズシャアア、とレイジの身体が地面を削るように転がる。暫くして、じわりと赤い液体が滲み出た。
血だ。
あれはレイジの血だ。
ならばあれはなんだ。棒じゃない。槍だ。斧槍。バルドの斧槍だ。
「レイジィィィッ……!」
「仲間より自分の心配をしたらどうだ?」
「なっ……」
スウェンの身体が掻き消えた。違う。体勢を変えたのだ。視界の端に影を捉えた。首を引く。カミソリのような鋭い蹴りが鼻面を掠めた。避けたのはほとんど反射行動だった。
だがしかし、反射ゆえに選択を誤った。
「ぐはっ……」
身体ごと押し込むスウェンの肘打ち。それがフィーロの腹を叩いた。身体が浮き上がるのを感じた。
さらに追い打ちが掛けられる。わけの解らない体捌きから、頭を膝で蹴り飛ばされた。
つか、これ知ってる。
近接剣闘術だ。
鈍重な大剣がつくりやすい隙を埋める格闘術。剣士からすれば邪道とも言われる技だ。だがフィーロからすれば合理的な技と言える。戦いにフェアもアンフェアもないのだから。
スウェンはその近接剣闘術を身に付けている。いや、この動きはもはや身体に染み付いていると言ったほうがいいかもしれない。さすが地獄ヵ丘登頂者の名は伊達じゃない。
蹴られたフィーロは大した抵抗もなく倒れた。潰れた蟇のように地面にへばりつく格好になる。我ながらお似合いの格好だ。情けない。
ざ、と踏みしめる音がして、フィーロは頭を上げた。スウェンの姿があった。
「終わりだ」
呟くように言って、大剣を持ち上げる。とりあえず反撃は無理だ。そもそも、へなちょこ剣士にしては善戦したほうだろう。フィーロは身体から力を抜こうとした。
「餓塵burst砕撃檪碧Ut繊‐xx蛇業火」
「蛟ッ……!」
Goooooooooooooooッ…!
グオオオォォォォォォォォォォォォ……!
別々の方向から、二つの咆哮が響いた。
それは巨大な竜……否、蛇か。あれは大蛇だ。赤い蛇と青い蛇がそれぞれ唸りながらこちらに迫っていた。
スウェンは飛びずさった。
本能が危険とでも判断したか。確かにあれは危険だ。人が受ければほぼ確実に死ぬ。
二匹の蛇がぶつかった。
激しい爆発とともに煙が発生した。――水蒸気か。
水もあっさり蒸発するような高温の火炎の塊と、水の精霊を圧縮した濁流以上の威力を秘めた水鉄砲だ。当たればこうもなるだろう。辺り一面を水蒸気が包み込む。何も見えない。好都合だ。
「邪魔すんじゃないわよシスコン!」
「邪魔したのはお前だろうブラコン!」
「ブラコンゆーなッ!」
「黙れ! 人をシスコン呼ばわりする奴に言われたくない!」
つーかアイツら何を啀み合ってるんだ。動こうぜ。チャンスだろ。勝つ気あるのかないのかどうなんだよ。
フィーロは言い合いをしているガナッシュとシェリカを放って、レイジのもとに向かった。位置は覚えている。
「レイジッ!」
「か……フィーロか……無事かいな」
「そのまま返すぞ! 傷は……大丈夫だな。抜くぞ」
「オレ……もうダメみたいやわ……ってちょい待て抜くなっ!」
レイジの喚き声は無視して斧槍を抜く。
「あばばばばばばばばばばッ……! 痛いっちゅーの!」
「叫ぶ気力があれば十分だ」
「うう……ひどいワ……初めてだったのに……」
「そうか。ならもう一度突き刺してやろう」
「いやん……ってやめてッ! マジでやめてッ! なんで振り上げてんのッ!? 矛先心臓なんやけどッ!?」
くだらんことを言うからだ。フィーロは阿呆らしくなって、立ち上がってレイジに手を貸す。
フィーロは膝を、レイジは尻を払って、顔を見合わせ頷いた。武器を構える。
ぶわっ、と水蒸気が渦を巻くように割れた。
中心から現われたのはバルドだ。槍を突き出し、
「――Ruuushhhhh……!」
驀進。
だが戦車のような突貫ではない。地響きのような吶喊は、あれは明らかにモニカの必殺技のものとは異なる。
受け切れるか?
回避はもはや考えられない。そんなことを考えれば間違いなく腹に大穴穿たれる。
かといって受け切る自信は全くない。皆無だ。出来るわけねーだろ。
いっそ潔くやられるか?
痛いのはゴメンだ。
なら、やることは一つ。
攻め込むだけだ。
「レイジ、死ぬなよッ……!」
「え、ちょ……ウソォ!?」
レイジの襟首を掴んで前に押し出した。つか、蹴り飛ばした。
つんのめりながら前に出たレイジにバルドが肉薄した。突き出した槍を斜め下からすくい上げた。
「ヒィッ……!?」
レイジが海老反りになって間一髪で躱す。いや、赤い糸を引いている。擦ったらしい。ちょっと強く蹴りすぎたか。
バルドが連撃を繰り出す。全身を流れる水のように、しなやかに、留まることなく、それでいて濁流のような勢いで槍の先、柄、腹を巧みに操った。レイジもまた身体を巧みに操り跳躍や後方倒立回転でバルドの攻撃を回避する。
フィーロはその瞬間を狙った。
バルドの激しい連続攻撃の間隙を縫うようにフィーロは側面に回り込み、下から斬り上げた。
躱された。
つか……躱しただと?
ことの状況を全く把握できないうちに、フィーロは身体が浮き上がるのを感じた。脇腹にのしかかる重圧もまた。
「がっ……」
呻き声を漏らし、フィーロは吹っ飛んだ。その時一瞬視界に捉えたのは、槍を二本、その各々の柄の先端を持ち、まるで独楽のように回転しているバルドの姿だった。
――何本持ってんだあの野郎。
もはや呆れるしかない。嘆息しかけたところで、地面に叩きつけられ転がった。畜生、息が詰まった。超苦しい。
やはり慣れないことはするもんじゃない。
フィーロは咳き込みながらそう思った。
◆Shericka◆
フィーロが吹っ飛ぶ瞬間を見た。地面に叩きつけられ、転がる。
「フィーロ……!」
口うるさいシスコン野郎を突き飛ばし、フィーロのもとに駆け寄った。
「フィーロ、大丈夫!?」
「げほっ……いや、まあ……なんとかな……げほっ……」
激しく咳き込むフィーロの身体中に擦り傷がある。痛ましい。フィーロの玉の肌になんてことをするんだ。あの害獣め。
そもそもあのデカ乳女は何をしている。回復要員だろ。早く来い。早く治せ。傷痕全部消してフィーロを元通りにしろ。
しかし見回すと爆乳女は猫耳変態女の治療をしていた。勇ましく突っ込んで速攻でやられたくせに。真っ先に治療してもらえるとはいいご身分だ。せめてフィーロくらいの健闘してみろ。
「……あ」
いや、チャンスだ。
これはチャンスだ。
確か人の唾液には殺菌作用があったはず。
フィーロは擦り傷だらけ。ここはあたしの力をもってして癒せるのではないか。
ということでこれは決して疾しいことではない。治療だ。
「では失礼して……」
フィーロに顔を近付ける。あと三十センチ。十五センチ。十センチ。「――何をしてる」五センチ圏内に突入したというところで髪を引っ張られた。
「痛い痛ぁい! な、何すんのよ!」
ヒリヒリする頭皮を押さえながら振り返り、きっと睨み付けた。ふてぶてしくも犯人――シスコン野郎は乙女の命の三大要素を傷付けたくせに、謝るでもなく、
「こちらの台詞だそれは。お前こそ何をしている」
「治療よ! 見りゃ解るでしょ!」
「全く解らん。ボクにはどさくさに紛れてフィーロにキスしようとしているようにしか見えない」
「キスじゃないわ! 舐めようとしただけよ! 唇を重点的に!」
「猟奇的変態だな」
「アンタだって変態的変態じゃない!」
「なんだその変態の中の変態みたいな言い回しは!」
「事実じゃない! シスコン変態野郎!」
「違う! 妹を愛するのは至極当然なんだ! 自然の摂理なんだよ!」
「その考えがもはや変態じゃない!」
「少なくともお前だけには言われたくないぞ! ブラコンが!」
「なん――」
「コントはそこまでだお二人さん」
シェリカの言葉を遮る敵の声。その方向を見た瞬間、敵はすでに動いていた。
敵――エリックが扇を振るった。轟、と激しい烈風がシェリカとシスコン野郎を吹き飛ばした。
「ちっ……」
「きゃっ!」
シスコン野郎は憎々しいことに、空中で体勢を整え、着地と同時に飛びずさった。しかしシェリカはそのまま尻餅をついてしまう。
「いったぁ……」
お尻を擦りながら起き上がると、耳をつんざくような音が時雨のように鳴っていることに気付く。それはだんだん大きくなっていった。
「シェリカッ……!」
シスコン野郎の叫ぶ声。その声が危険が迫っていることを如実に語っていた。
「――よそ見は禁物だなガナッシュ・ルフェーヴル」
「ぐあッ……!」
シェリカに注意が向いていたからか、シスコン野郎は横から迫るバルドの強襲をもろに受けた。為す術なく吹っ飛ぶ。
そしてそれはシェリカにとっても絶体絶命のことだった。
「――つっ……」
何かが身体を掠めた。見えない何か。魔道装束が避けている。肉まで到達していた。深くはないが切れている。まるで刃で切り裂いたように。
そう、見えない鋭利な刃のようなものがシェリカに肉薄しているのだ。岩をも容易く両断する鎌鼬。耳をつんざくような音はすべて不可視の刃が空気を裂く音だったのだ。
しかし解ったところでどうしようもない。迫り来る音の猛襲に、シェリカは咄嗟に目を瞑った。
「――ひゃふっ!?」
ぐい、と勢い良く誰かに引っ張られた。間抜けな声がシェリカの口から零れた。次に感じたのは温もり。誰かに抱きすくめられている。そう認識した時には地を蹴る音と暫しの浮遊感。
足の裏が地面の感触を感じたとき、シェリカはゆっくりと目を明けた。
「あっぶねー……」
そう呟くように漏らし、ふうと息を吐いたのは――やはりフィーロだった。
フィーロはシェリカに視線を向けた。「――大丈夫か?」
「う、うん……フィーロは?」
「ん……あばら骨が軋む。けどま、大丈夫だろ」
「そう……よかった」
安堵の息を漏らすシェリカ。しかしその時不意にフィーロの足元が赤く染まっているのに気付いた。それはじわりと広がりを見せていた。シェリカはばっと顔を上げてフィーロを見た。
何が大丈夫なのか。
「フィーロ、これ……!」
「ん? ああ……避けきれなかっただけだ」
「避けきれなかっただけって……」
それは明らかにフィーロの血だ。夥しい量の血が流れ出ている。息も荒い。額からは汗も出ている。それでもフィーロは口元を緩めて見せた。
「――……」
「ようフィーロ。大丈夫か?」
フィーロが何か言おうと口を開きかけたが、それを遮るようにエリックが横槍を挟んだ。扇をパタンと畳み、にっと笑む。
シェリカの中の何かがキレた。自分がやったくせに大丈夫かとは。ぶち殺してやろうか。いやもうぶち殺そう。問題ない。ミディアムくらいに焼くだけだ。
「Agni雅la焼To爆烈火」
シェリカは殺ると決めた瞬間、右手をエリックに向けた。即座に要素魔術を構築し、放つ。――爆烈火。まともに食らえばミディアムじゃ済まないだろうが知ったことか。焼けて死ね。
「いぃっ……!?」
「――劾dai陵圓巌Mo掌ROCK隆障甓」
いきなりの攻撃に一驚するエリック。その周囲で爆発が起きた。土煙が舞い上がり、エリックを覆う。フィーロが剣の柄を握って、少し前に進み出た。その険しい瞳はまっすぐ爆心を見据えている。その視線を追うようにシェリカも目を向けた。
今さっき微かに聞こえたのは、間違いなく要素魔術の詠唱だ。聞き間違いではなければ、確かあれは――、
そこまで考えたとき、ぶおっと土煙が渦を巻く。土煙はそのまま霧散していった。その中心には案の定、扇を構えるエリックの姿があった。しかも憎らしいことに無傷ときている。
その周囲には砕けた岩が積もっているのが見受けられた。やはり隆障甓。岩の盾を生み出す、防御に特化した土の要素魔術。
「あっち〜……もうちょい早く助けてくれよ」
パタンと小気味よい音をたてて扇を閉じ、エリックは肩に積もった砂埃などを軽く払った。
「――自分でもどうにかできたくせにやらなかったのは貴方でしょう。自業自得よ」
どこからか女の声がした。澄んだ、しかしどこか妖艶さも感じる声だ。イネスの声に似たものがある。まあ、あの女の声は絶対零度の吹雪声だ。今の声から感情を引き抜いたらちょうどいい感じになるだろう。
しかし、シェリカの視界に女の姿はない。だが声は声がした以上、確かにここにいるのだ。
「どうなってる……?」
フィーロが呟きを漏らす。気持ちは解る。シェリカも仕組みは解っても、驚きは隠せないでいるのだ。仕組みも解らないであろうフィーロならことさらだろう。
蜃気楼というやつだ。光の要素魔術の応用で、正確には光の屈折を利用している。どちらかといえば“反射”と言うべきか。
――なんにせよ。
「霊黎x0纏sie紫陽光」
目が眩むほどの光が瞬いた。紫陽光。喜悦を司る光の精霊。それを使役する光の要素魔術だ。ちなみにただ強く発光するだけ。役に立つ場面はそう多くない。
例えば今だ。
シェリカに察知されないということは使っている魔力は最小限のはず。微妙なさじ加減で光を屈折させて姿を暗ませているのだろう。だからシェリカも気付かなかった。加えて気配を殺す技術があるとすればフィーロたちも気付くまい。魔術士というよりは隠密みたいな奴だ。
とはいえ最小限の魔力で屈折させられる光など大したことはない。フィールドが薄暗いから余計消費も少ないに違いない。
ならば屈折しきれない強い光を当ててやればいいだけだ。
ただの目眩まし程度にしかならないショボい魔術だが、思わぬところで役に立った。光の要素魔術も捨てたもんじゃない。
「ぐ……」
シェリカが心の中でガッツポーズをしていたら、フィーロがいきなり呻きながら膝を突いた。
「どうしたのフィーロ……!?」
一体何が起きたのか。俯いてしゃがみこんでいるフィーロの顔を覗き込もうとした。
「ぐ、ぐおぉぉぉ……目がッ……目がァァァッ……!」
「……」
フィーロが目を押さえながら悲痛な声を漏らした。どうやら直視してしまったらしい。一言声を掛けるべきだったか。とはいえどのみち手遅れなのだが。
「ふ……甘いぜフィーロ。この程度で」
真っ赤な涙目でそんな偉そうな物言いしても格好よくも何ともない。ただの馬鹿だ。不敵に笑おうとしているのか。思い切り引きつっているから台無しだ。
「……そういう貴方も目が赤いわよ。直撃じゃない」
溜め息混じりの呆れたようすで女がぴしゃりと言い放った。
漸く姿を現したかと思えば大して動じていない。憎たらしい相手だ。
ボディラインのくっきりとした黒基調の胸元が大胆に開いている、革製の妖艶な魔道装束に身を包んだ女。あれが相手方のクランの魔術士。
稀代の魔術士とも呼ばれるイネス・ラトクリフも認めたという、天才魔術士。
ルミア・アーティミス。
確かにオーラがある。あれは強い。それだけは間違いない。
それにしても――、
どうやら胸の方はあたしと変わらないらしい。寄せて上げたところで無駄だ。
「……どうしてわたしの胸を見てるのかしら?」
底冷えするような声。イネスとどっこいどっこいだ。さすが認められただけある。
「別に? 無理は身体に悪いわよ?」
「く……そういう貴方も慎み深いようだけど?」
「構わないわよ。フィーロは小さいほうが好みだもの」
「俺はどっちかっていうと大きぃいってぇぇぇ!」
何か余計なことを言おうとしたフィーロの足を踏ん付けておく。空気は常に読まなくてはならないものだ。
「噂通り重度のブラコンのようね」
「ブラコンじゃないわ。愛してるだけよ。馬鹿じゃないの?」
「どっちかってーと虐げ――ぃいてててててっ! あり得ねえ、二発目かよ!?」
「本当に生意気な娘ね貴方。もう少し敬ってみたら?」
「ギリBに遠慮なんかいらないわ」
「胸の話はもういいわよ! 何なのこの子!?」ギリBへの否定はないようだ。
「まあ落ち着けって。どんな胸でも等しく夢は詰まってるさ」
「うっさいわよ変態ッ!」
「ぐはっ!?」
フォローしたつもりなのだろうが、全くフォローになっていない。ルミアの鋭い回し蹴りがエリックの腹に直撃した。味方同士で何をしているのか。実は馬鹿なのだろうか。
ジト目で目の前のやり取りを見ていると、
「ぶふぇっ……!」
「くっ……!」
変態コンビが転がってきた。シスコン野郎はムカつくことに受け身をとってすぐに立ち上がったが、真正変態はそのままべちゃと地面に張りついた。蛙みたいだ。気持ち悪い。
「――それで」
変態コンビの吹っ飛んできた方向から野太い声が響く。
「お前たちはいつまで遊んでいるつもりだ」
そう言って、巨体には似合わぬほど静かに地面を踏みしめたのは、獅子の鬣をなびかせるバルドだった。その手には巨大な槍を携えている。
身体には傷らしい傷が全く見当たらない。ほぼ無傷でこの変態コンビを追い詰めたのか。
「うぅ、ハラが……遊んでねーよバルド」
「わたしもよ」嘘吐け。
「説得力が全くないがな」バルドは深い溜め息を吐き出した。「この程度の相手に時間をかけて」
……は?
「何ですって……?」
ブチブチブチ、と頭の中のとても大事な部分が束で切れる音が脳内で鳴り響いた。
「おい、シェリカ……?」
「ここまで見下されて黙っていられるほどあたしも寛大じゃないわ……」
「事実を言ったつもりだが?」
鼻を鳴らし、下目遣いでこちらを見るバルド。シェリカは盛大に歯軋りをした。鋭く睨み付ける。
「いいわ……アンタが言うこの程度の力を見せてやるわよ……」
「それは楽しみだ」
小馬鹿にした表情がまた癇に触る。
「むぅぅぅ……フィーロ!」
「な、なんだ?」
「あの猫耳男殺すわよ!」
「猫耳男って……まあ、解ったよ……」
フィーロが剣を持った腕をぐるりと回して、前に進み出た。そして背を向けたまま顔を半分こちらに向けるという最高のアングルからこう尋ねてきた。
「……で、何分くらい耐えればいいんだ?」