第一章(26) 当日
◆Firo◆
嗚呼、来てしまった。昇っちまった。なんて忌々しい朝日だ。目に染みるぜ畜生め。
翌朝になって、フィーロはそんな悪態を吐きながら起き上がった。首をぐるりと回した。ポキポキと音が鳴った。身体は軽くなった。気分は重いので差し引き零だ。丁度いい。
「よくねーよ……」
「なにをぶつぶつ言ってるんだ?」
ガナッシュが訝しげにしていたが、フィーロは肩を竦ませるだけに留めた。この憂鬱は千の言葉をもってしても表せまい。言うだけ無駄だ。
溜め息が漏れそうになったが呑み込んで、服を着替え始めた。外套を羽織り、剣帯を提げたあたりでガナッシュが「準備は出来たか」と聞いてきた。見りゃ解るだろうボケとは言わないでおく。
「ああ」短く返事をして、振り向く。
「それじゃ行くか」
ガナッシュは部屋を出た。フィーロもそのあとを追って部屋を出る。鍵を閉めるか迷って、結局閉めた。レイジはここ最近帰ってこないがどこにいるのやら。まあ、平和でいいけど。
相も変わらず混雑しているベルベット。もう朝はこれから購買部で済ませようか。そのほうがずっといいような気がしてきた。
ようやっと料理を盛り付け、人混みから脱出。それからガナッシュと合流した。フィーロもガナッシュも、出来の悪いジャンクフードみたいな盛り付け方である。ちょっとした山だ。いつものことだが、いつまで経ってもこれだけは上達しない。
「きったねー」
「お前もな」
などと下らない応酬を繰り返したあと、座席探しを始めた。
今日は結構混んでいる。空きがない。フィーロは何度か周囲を見渡したが、やはり空席は見当たらなかった。
「しばらく待つしかないなー」
「そうだな」
外にも幾つかテーブルがあったが、そこも既に埋まっている。あまり遠くまで行く気にはなれない。弁当でも買えばよかった。今更だ。
目の前に食べ物があるのに食べられない。そんなひもじい思いをしながら二人が立ち尽くしていると、
「あれ、フィーロ君たちも席ないの?」
誰かがこちらに声を掛けてきた。振り向くと、モランだった。隣にはシェリカもいた。料理が盛られた皿が二、三載った盆を手にしている。
「おはようモラン。お前らも席ないのか?」
「うん。今待ってるところ」
「そっか。なら俺たちとい――って! 蹴んなよシェリカ!」
頬を膨らませてフィーロの足を蹴る馬鹿姉。とんだ暴力女だ。なんなんだコイツは。
「どうしてあたしには挨拶してくれないのよ」
シェリカはむくれっ面で睨み付けるようにフィーロを見た。
「………」
フィーロは溜め息を思いっきり吐き出したい衝動に駆られたが、なんとか呑み込んだ。火に油を注ぐような行為を自らしたりしない。そんなことをすれば本当に比喩ではなく火が燃え盛る羽目になる。絶対に御免だ。
「……おはようシェリカ」
最上級の作り笑顔付きでフィーロはシェリカの要望に応えた。顔が痙攣しそうだ。拷問かこれは。
しかしシェリカはそれで満足いったらしい。「――うん! おはよう!」満面の笑みで返してきた。取り敢えずこれでいいらしい。よく解らんが。
ニコニコと笑顔を向けてくるシェリカ。フィーロは唇を歪めて頬を掻いた。モランがクスクスと笑った。眉を顰めて一瞥したが、笑顔で切り返された。反則だ。
「なあ……そろそろ席を探さないか?」
ガナッシュが溜め息混じりに言った。
シェリカの笑顔光線から逃れるように視線をガナッシュに移す。「――そうだな」
「あ、あそこ空いたね」
モランが座席の一つを指差した。一角の窓際に四人席が丁度空いていた。返却場に向かう四人組がいたので、今しがた空いたのだろう。
「それじゃ、あそこにしようか」
「そだな。シェリカもいいよな?」
「フィーロの隣ならどこでもいいわ!」
「あ……そう」
だが俺は断る。
◆◆†◆◆
朝食後すぐに雲行きが怪しくなった。天気予報では晴れと言っていたが、まあ、お天気お姉さんもたまには外すだろう。
雨天の可能性ありということもあって、トーナメントの会場は緊急でホールに作られた。学園内にホールは二つ。カタハネの含まれる山は第一ホールで行われることとなった。
ホール自体は体育館と同等かそれ以上に広く作られているので、運動場よりは狭くとも優に全校生徒が入れる。
そもそも、試合自体は違う場所なのだからどこだっていいのだ。しかも今回は試合の同時進行はせいぜい二試合ずつ。ホールで十分だ。
「それでもやだなァ……」
朝食を終え、四人はホールの通路を歩いていた。げんなりした声でフィーロが呟いた。
「何がやだなァだ。始まる前から士気を下げるようなこと言うな」
「大丈夫よ。フィーロはあたしが守るもの」
そんなことを吐かして前線に出るから俺が大変な思いをしなくてはならなくなるのだ。フィーロは嘆息した。
「ふふ。じゃあわたしはリーちゃんのとこに行くよ。頑張ってね。応援してるから」
モランはそう言って踵を返そうとした。「あ、おい後ろ……」しかし後ろに人影を見たフィーロは呼び止めようとした。
「――きゃっ!?」
時既に遅く、人影にぶつかったモランは反動で転んだ。尻餅をつく。
「だ、大丈夫か?」
フィーロが慌てて駆け寄った。助け起こそうと手を差し出すフィーロにモランは笑顔で応えた。「うん、大丈夫だよ」差し出された手を掴んで恥ずかしそうに微笑んだ。
フィーロはモランとぶつかったそいつを見た。謝るかと思ったが、発した言葉は全く違った。
「おやおや、ガナッシュ君じゃないか。こんなところでどうしたんだい?」
卑しい笑みで表情を飾りながらマルス・サーレストンが見ていたのはガナッシュだった。隣には黒い外套を羽織った男がいた。どこかで見たような気がした。
「ああ、そうか。本戦に上がったんだったね君も」
「……お陰さまでね」
「僕たちも上がったんだよ。《バルムンク》と言うんだがね。知っているだろう? 君なら」
「バルムンク……」
有名なクランだ。それこそランプ・オブ・シュガーに匹敵するかもしれない。
今のところ有名クランと呼ばれるクランは五つ存在する。
リリーナ率いる女性だけのクランでは唯一のCL5のクラン《ラブリーブレイク》。エリック率いる少数精鋭型クラン《ランプ・オブ・シュガー》。学園が設立されて発足した最初のクラン《ヴェスペリア》。風紀委員直属のクラン《ピースメーカー》。
そして学部で五番以内にならなければ加盟が認められず、それ以下に転落した時点で強制脱退させられるというクラン《バルムンク》。
いずれも今回のトーナメント戦に上がってきている。正直、さっさと棄権してしまったほうがよいのではと思わなくもない。
つか、そんなことはどうだっていい。「――おいアンタ」
「ん?」
マルスは今気が付いたような目でフィーロを見返す。実際、今まで眼中にさえ入っていなかったのだろう。それはそれで腹がたつが、自分のことはさて置き、だ。
「アンタ、ぶつかったんだから謝るくらいはしろよ」
「は?」
マルスは目を丸くしてフィーロを見た。それからモランを見て――笑った。
「アッハッハッハッ!」ひとしきり笑って、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。「どうしてこの僕がブルートに謝る必要がある?」
「な……」ブルートは蔑称だ。先の戦いの際、獣人を呼ぶときの名だ。「お前……!」
「ぶっ殺してやるわ!」
「だ、ダメだよシェリカちゃん!」
フィーロより先にシェリカが激昂した。そのお陰で幾分か冷静になれた。モランが慌てて止めに入る。
尚も威嚇を続けるシェリカを下目に、嘲笑に醜く口元を歪めてわざとらしく嘆息した。
「全く……カタハネは野蛮人の集まりかい?」
クソ野郎。ぶん殴ってやろうか。出来ない。問題を起こせば最悪出場停止にされる恐れもある。モランはだから止めた。彼女が我慢をしたのだ。俺たちは手を出すわけにはいかない。反吐が出る。下らない言い訳だ。
「マルス……ちょっとは慎め。人が大勢いるんだから」クソ野郎の隣にいた黒外套の男が口を開いた。
「ん? ああ、そうだねノーワン。それではガナッシュ君」
「なんだ」
「初戦、頑張ってくれたまえ」
「そのまま返すよ」
「僕らが負けるわけないじゃないか」
小馬鹿にした笑みを向けるマルス。「楽しみにしてるよ」と吐かして去っていった。楽しみにしてるよ、だと? なに上から物言ってんだクソ野郎。
それはまだしも、一番ムカつくのはモランへの言葉だ。
今でも獣人や亜人に対する差別は多少なりとある。逆もまたしかりだ。実際に戦争があって、たくさんの人が死んだ。仕方がない。悲しいことではあるが、そればかりは時に任せるしかないことなのだ。
それでもマルスの言葉は違う。説明しにくいが、違うのだ。戦争で根付いた憎しみなどとは違う、単に彼らを“人ならざる者”として見下している。
同じ人なのに、だ。
虫酸が走る。
「……悪かったね。あれは口が悪い」
「あ……?」
ギリと歯軋りをした時、黒外套の男が言った。謝っている辺りは常識ある奴かと思えるが、口調はどうでもよさげだった。
「僕はノーワン・クロイツ。魔戦学部魔術士学科だ」
「魔術士……」
小柄な体型。くすんだ金色のおかっぱ髪。長い前髪に隠れた瞳は何を考えているか解らない。フィーロはシェリカを見やった。シェリカは首をかしげていた。「知らないわ」……おい。
「そうだろうね。君はそういう奴だ。……だから反吐が出る」
ノーワンの最後に呟いた言葉は小さくてよく聞こえなかった。「――は? なんだって?」
「……なんでもないさ」
肩を竦めてみせる。その時ノーワンの目が一瞬だけ見えた。ひどく鋭く、歪んだ瞳だった。
「……ま、とにかく悪かったね。頑張ってくれ」
ノーワンの目は既に前髪に隠れている。マルスのあとを追う彼の後ろ姿を見つめ、脳裏に焼き付いたあの瞳を振り払うように頭を振った。
◆◆†◆◆
「――要は気持ちの問題だ」
ホールの壇上裏にある控え室の一つにカタハネは待機していた。緊張気味なのはモニカとユーリくらいで、クロアとレイジはどこかにいっている。シェリカなどフィーロの肩にもたれかかって眠る始末だ。当のフィーロと言えば、帰りたいオーラを出しまくっていた。
控え室ど真ん中の丸いテーブルにフィーロは腰掛けている。突っ伏したいが、シェリカがいる手前出来ない。小さく嘆息しているとガナッシュがコーヒー片手にやってきて隣に座った。首だけ横を向けてガナッシュを見やる。緊張の色は多少あるが、比較的リラックスしている。頼もしいことだ。
ガナッシュは抜けきった表情で眠るシェリカを一瞥してからフィーロを見た。なんとも複雑そうな顔である。
「情けない顔だな。まるで半死人みたいだ」
「うるせーよ」
「怖いのか?」
「……当たり前だろ」
「あっさり肯定か……」
「なあ」
「ん?」
「お前なんであの時何も言わなかったんだ?」
「あの時って……モランのことか?」
「ああ」
「そうだな……」
ガナッシュはコーヒーを一口啜った。コト、と小さく音をたててテーブルにカップを置く。
「あとでぶっ飛ばしたほうが気持ちいいだろう?」
「二回戦でってことか?」
試合表を見るかぎり、バルムンクは九の番号を引いたらしい。すなわちカタハネの一つ前の試合だ。試合表の順番なら、左の山の五試合目となる。
「そうなるな」
「そうなるなって……それ一回戦絶対に勝つって意味じゃね?」
「まあ、そういうことだ」ガナッシュはしれっとして言った。かなりイラっとした。「それに、一回戦敗退じゃ賞は取れないしな」
「その一回戦が強敵なんだけど……」
「モランの仇が取りたいんだろう?」
「……」
別に死んでない、みたいな阿呆臭い揚げ足取りはしなかった。
実際、さっきマルスをぶん殴ったりしていたら、悪いのはフィーロたちになる。最悪試合退場させられるし、向こうをいい気にさせるだけだ。二回戦でコテンパンにして鼻を明かしてやるのは確かにいい案ではある。が、相手を考えろ。
マルス一人ならガナッシュがボコボコにしてやればいい話だが、これはクラン同士の戦いだ。しかもバルムンクは選りすぐりのエリートばかりの集まり。簡単に勝てるわけない。勝つ可能性の方が低いのだ。そもそも、一回戦の相手からして優勝候補なんだが。そう考えるとと余計にチベーションの上がらない。呻くフィーロを見てガナッシュが溜め息を吐いた。
「お前……いい加減たまには腹括って全力でやれよ」
「いや、いつも全力だから」
「お前のいつもが全力ならコアラの一生だって壮絶に見えるわ」
「コアラ舐めんなよ。あれ結構気性荒いんだぞ」
「知るか」
ガナッシュはカップに残ったコーヒーを一気に飲み干した。飲み終えたそれを置くわけでもなく、手の中で弄ぶ。
「要は気持ちの問題だ」
手元を見つめていたガナッシュは、視線をフィーロに移した。
「戦いなんてのは意志のぶつかり合いだろう。だったら何かしら意志という武器がなければ勝利はない。強敵でも立ち向かうという意志があればそれは立派な武器だ」
「立ち向かう……ね」
俺の戦いはそんなたいそうなものじゃない。俺の戦いは……俺はなんで戦ってるんだろうか。考えたこともない。俺の意志ってなんだ。解らない。
だから自分は弱いのか。
「ブロック戦、お前は普段より戦っていた。それは、お前の意志じゃないのか?」
「俺は……」
意志なんてない。そんなもの持った覚えすらない。戦っていた。何と。実戦になればいつも心のどこかにへばりついてる恐怖をなんとか押さえ込んで、戦っている振りをしているだけだ。結局押さえ込むことすら出来ず、ただ開き直って、茶化して、有耶無耶にして、逃げ出そうとしているだけだ。
本当は剣を持つのだって嫌になるときがある。だから毎日振って言い聞かせるのだ。せめて剣だけは持て、と。
でも、それは何故だ。
俺はいつから剣を持った?
気付けばこの手に握っていた。一振りの刃を。ふと脳裏に過る光景。なんだ。俺はこんなところは知らない。泣いているのは誰だ。その子は泣きながら呟くようにして言った。――助けて、と。俺はそれを握り締め――
「フィーロ。おい、どうした?」
「え? あ、な、なんだ?」
「なんだはこっちのセリフだ。いきなり呆けて、冗談抜きで調子悪いんじゃないだろうな?」
「いや……そういうわけじゃないさ」
本当かどうかまだ疑わしいのか、眉を顰めるガナッシュに苦笑する。大丈夫だって、と念押しした。
ガナッシュは一応よしとしたらしく、わざとらしい溜め息だけ吐いて押し黙った。フィーロはもう一度口元もゆるめた。それから肩にもたれているシェリカに目を向ける。
あれはシェリカだったのだろうか。しゃがみこんで、泣きじゃくるあの少女は、傍若無人な我が姉なのか。
だがフィーロはあんなシェリカは見たことがない。孤児院でもわがままっぷりを発揮していたのだ。泣く姿など微塵も想像できない。――でも、ならばなぜこんなにも胸が痛むのだろう。俺はお前の泣き顔を想像するだけでも辛いらしい。らしい、じゃない。確かに辛いのだ。針が刺さったように胸が痛む。
シェリカの泣き顔は見たくない。叶うならば、ずっと笑ってくれていればいいと思う。
「……うにゃ」と猫の鳴き声のような声を漏らすシェリカ。フィーロは小さく笑んで、シェリカの前髪を梳いてやった。じと目のガナッシュの視線に気付き、こっ恥ずかしくなって顔を背けた。
ああもう。
本当に今日の俺はどうかしている。
◆◆†◆◆
試合はつつがなく進行していた。
二試合ずつ並行して行われている試合は、ブロック戦とルールが違う。
端的には旗がなくなる、フィールドが一律、そして時間無制限の三つだ。
旗を破壊すれば勝ち、されれば負けというルールがなくなるため、攻撃側と防衛という概念がなくなる。戦略面の負担は減るだろう。ただし各クランのマスターの先頭不能と、クランの人数が四人を切ることによる負けというルールは引き継がれている。またフィールドは平面的な場所で、少々の障害物しかないものへと変更されている。
これは要するに、完全に“運”の要素を排除されたということだ。
ブロック戦では、旗という、言ってしまえばお荷物があったために、どうしてもそれに人員を割いたりなどと負担が増えたりする。そのため必然的に作戦なども変わってくることとなる。それゆえ、それなりに有力なクランでも場合によっては“運悪く”負けることもあるのだ。しかしながらトーナメント戦にはそれがない。だからクランの純粋な知恵と力のぶつかり合いとなる。しかも時間が無制限ということは、もはやある種デスマッチと言っても過言ではないのだ。
ガナッシュ曰く、ブロック戦に“運”の要素が含まれるのは、「本当に強いクランは運ごときで負けたりしない」かららしい。運にも負けない本当に強いクランを選出するためにあえて旗取りのルールを使う。運など力でねじ伏せろといった、なんつーか野蛮な考え方である。
まあ、それでも運というのはやはりどこまでもついてくるものだ。だから各ブロックに審査員を配置している。それもまた“運”な気がするが。
『――西側第五試合はバルムンクが勝ちました!』
控え室のスピーカーが揺れる。
西側、とは左の山のことだ。右が東側となる。どうでもいい。とにかくバルムンクは勝った。別に負けるとは思っていなかったが。
ガナッシュが「行くか」と立ち上がりざまに、呟くように言った。それに続くように他の仲間たちも立ち上がる。フィーロは未だに眠っているシェリカの頬を軽く叩いた。
「おい、起きなよシェリカ。時間だ」
「にゃ……? なに……? もうご飯……?」
「残念ながらこれが終わってからだよ」
「そう……ふあぁ〜……」
これから試合とは思えない間抜けた欠伸をして、のびをした。肩がシェリカの頭から解放されたので、フィーロは立ち上がった。ぐるりと首を回した。ポキポキと鳴り、少し凝り固まった肩が解された気がした。
「早くしろ。置いていくぞ」
ガナッシュが急かした。
まだ眠いのか目を擦っているシェリカの開いている方の手を引いてガナッシュのもとに向かった。ユーリがなぜか指を啣えてフィーロを見ていた。なんだ。食う気か、俺を。
ぶるっと身震いをするフィーロをシェリカは不思議そうに見た。「――どうしたの?」
「……なんでもない」
「もういいか?」ガナッシュが呆れた顔で言った。
「それくらい自分で考えるのだわ」モニカがぴしゃりと言い放った。
「……」
そりゃ正論だ。フィーロは心の中でほくそ笑んだ。ガナッシュはわざとらしく咳払いをして扉に手をかけた。
扉を出るとレイジがいた。額に薄ら汗が滲んでいた。どこへ行っていたのかは知らないが、明らかに身体を温めているのは解った。変態だがこういうところは本当に生真面目な奴だ。
レイジがにっと笑った。「――いよいよやな」
「ああ。クロアは?」
「………ここ」
クロアがガナッシュの背後に立っていた。つまりフィーロたちの目の前だ。何時の間に。
ガナッシュも少し面食らった顔をしていたが、平然を繕って尋ねた。
「どこに行っていたんだ?」
「………射撃場」
「そうか。それで、その背中のは?」
そうガナッシュが訊ねて、それで初めてフィーロは気付いた。クロアの背中には白い布に包まれた、なにやら大きい物体があった。本当になんなんだろう。
「………ん、秘密兵器」
「へぇ。秘密兵器……そうか。秘密兵器ね」
ガナッシュは一人で納得したらしく頷いて、それから顔を上げた。ゆっくりとフィーロたちを見回す。その目には静かに、されど猛然と闘志が燃えていた。
「よし……じゃ、行くぞ」
ま、俺は正直嫌だ。
◆◆†◆◆
長い廊下を抜け、壇上に上がると、フィーロは照明の眩しさで目が眩んだ。割れんばかりの歓声だけはしっかり聞こえた。
目が光に慣れてきて、前方に立つエリックの姿が目には映った。後ろにはランプ・オブ・シュガーのメンバーもいる。――と、フィーロは背後から殺気にも似た視線を感じた。顔を半分だけ後ろに向ける。物凄い目付きをしたモニカがいた。一体誰を見ているんだ。もう一度前に向き直ると、エリックと目が合った。にっと笑んでみせてきた。フィーロも笑い返したが、上手く笑えているだろうか。自信はない。
『――さあ! 西側第六試合のお時間がやってまいりました! 司会はもちろんわたくしエリカが行います!』
そういえば、トーナメントは放送部の人が実況するらしい。溌剌な声がやたらリリーナのテンションに似通っているが、まあ、あの無表情陰険教師がやるよりは遥かにマシだろう。
『さっそく気宇紹介とまいりましょう! まずは今年度初出場にしてトーナメント出場権を手に入れたルーキークラン――カタハネ!』
黄色い歓声がホールを揺らした。声の中身は「ガナッシュくーん」といったものだ。別に解ってるさ。そういうものだ、人生なんて。
『そして!』
ピタリと歓声が止んだ。
『カタハネが挑むは今年度クランコンテスト総合部門優勝候補。超少数精鋭クラン……ランプ・オブ・シュガー! きゃーエリックさま―――ッ!』
ガナッシュ以上の黄色い歓声。もはや悲鳴だ。これが三年間培ってきた人気かエリック。放送部まで敵に回ったこのアウェー感。やってられねえ。
つーかしかしなんでこんなに女の子が多いんだ。男が少ない。あれか、男は第二ホールか。リリーナを観に行ってるのか。確か東側の真ん中あたりがリリーナ率いるラブリーブレイクだったはずだ。
「凄まじい人気だな」
「お前がそれを言うか? 嫌味か? 嫌味なのか?」
「そういうわけじゃないが……」
「じゃあどういうわけだ畜生め」
フィーロが揚げ足を取るように言い返すとガナッシュは黙った。暫くしてから、「もうこの話はやめよう」と呟くように言った。……勝った。フィーロは小さくガッツポーズした。
「――よう、ルーキー」みみっちい勝利の余韻に浸っていると、エリックが近づいてきた。「いよいよだな」
「お手柔らかにお願いしますよ」
「んにゃ、本気で行くぜ?」
「そうですか……」
人生、儘ならないものだ。予想していたことではあるが。
「ま、楽しもうぜルーキー」
「ルーキーはあっちですよ」フィーロは親指でガナッシュを指した。
「俺にはお前もルーキーだ。……と、フィーロ、耳かせ」
「……?」
よく解らなかったが、フィーロはエリックに耳を近づけた。エリックが小声で話し始める。
「モニカの奴、バルドと何かあったのか?」
「え? いや……解りませんけど」
「そうか……なんか余人には入り込めないような事情がありそうでな……。取り合えず、注意しとけ」
「なににです……?」
「それが解れば苦労しないっての。……と、じゃあそろそろ時間だ。お互い、手加減はなしだからな」
フィーロから離れて、エリックは爽やかに笑んだ。そして踵を返して仲間の元に戻っていった。「フィーロ、行くぞ」ガナッシュの呼ぶ声に振り向き、フィーロも仲間の元に向かった。
「なにを話していたの?」
「なんでもないよシェリカ」
シェリカの問いにフィーロがそう返すと、不満げな表情ではあったが追及はしてこなかった。だが、顔を背けられた。なんなんだよ。フィーロはこめかみの辺りを掻きながら口元をへの字に歪めた。
『それではカタハネのみなさん扉を潜ってください』
エリカの指示で扉を潜る。
目の前が真っ白になり、暫くして視界が戻った。
フィーロの目に映るのは先ほどまでのホールの壇上ではなく、岩がいくつか点在する、巨大な円形闘技場だった。
「コロシアムかよ……」
「壮観だな」
「ああ。壮観すぎて泣きそうだ」
いぶせんだ声を漏らすと、目の前にランプ・オブ・シュガーが現れた。
「来たな」
「ああ……」
エリックの言葉を思い出す。フィーロは横目でモニカを見た。とても険しい瞳をしていた。見ているのはバルド。同じ獣人で槍術士。やはりなにかあるのか。エリックは注意しろと言った。だが、なにに注意するのか。
「どうした」
「なんでもないさ」
「そうか」
ガナッシュはそれ以上は何も言わず、太刀を抜きながら前に進み出た。他の仲間たちもそれに促されたように武器を手に持った。フィーロも剣を抜き放ち、シェリカの隣に立った。
『それではカウントダウンを始めます。十……九……八……七……六……五……四……』
なんというか、地獄へのカウントダウンみたいだ。つか、もうさっきから悲観的な観測しか浮かばない。
『三……二……一……』
でも、ま、どうせ相手がどんなんだってやることは一緒だ。
『試合開始ッ!』
しっかり馬鹿姉を守り抜こう。