第一章(21) 四回戦
◆Firo◆
ユーリの手から仄かな光がゆっくりと消えていった。同時に施術特有の温かみも引いてゆく。
「痛みはないですか?」
「ああ、ありがとう」
フィーロは右肩をぐるりと回して痛みがないか確かめた。どうやら大丈夫のようだ。まあ、ユーリの治療なら当然だろう。
しかしこの程度の怪我で済んだことに感謝せねば。一触即発どころか未触既発の状態だったあの場で、右肩と両脇腹、左の太股から脛にかけて擦り傷やら打ち身やら。想定していた怪我はこれに頭から出血と首と両腕の筋を傷めて、あばら骨二、三本の粉砕にアキレス腱切断くらいはあるかと思ったが。
今回はエリックとシオンも協力してくれたお陰もあって被害は最小で済んだ。二人には感謝だ。
しかしかの生徒会長があそこまでお転婆だとは思わなかった。うちのじゃじゃ馬姫といい勝負だ。もともと忙しない人だったし、予想はしていたが。それでもあれは想像以上だ。
まさに地獄だった。
最初は口喧嘩の延長だったが次第に手が出て足が出て。まさか頭まで出るかと思いきや、いきなり魔術をぶっ放すわ。下位要素魔術に限定はされていたが、火だの雷だのが飛び交うのだ。当たれば最悪死ぬ。彼女らはその辺考えていたのか。まあ、考えていないんだろうな。
シェリカが中位要素魔術を唱えようとしたそこでギリギリ止めることが出来た。触媒まで取り出していたからマジで危なかった。
羽交い締めにしてようやっと収めたはいいが、近くにいた生徒数名が被害に遭っていたらしく、先生からこっぴどく叱られた。何故止めた俺まで怒られたのか。明らかに不条理だ。
一番不条理なのは、仁王立ちしている馬鹿姉が、無傷だということだ。神さまよ。嫌いなんだろう、俺のことが。知ってるよ。よく知ってる。俺もアンタのことは嫌いだからもう互いに無視し合おうよ。一方的にいじめるなんてひどくね? 切にそう思った。
「……つかユーリはいつまで俺の身体触ってんの?」
「しょ、触診です」
嘘吐け。そんな長い触診あって堪るか。触るっていうか撫で回してるだろ完全に。そこまでディープな触診があったら逆に怖いわ。
もう治療も終わっているので、フィーロは脱いでいた外套を掴んで立ち上がった。
「ああ……!」
絶望感溢れる声を漏らすユーリ。何なんだこの娘は。まったくもって意味が解らない。
いちいち構うのも面倒だと、無視した。外套を羽織る。じっと内部がモニタリングされている扉を見つめるガナッシュのもとに寄った。
「何見てんだ?」
「ん? フィーロか。怪我はいいのか?」
「ああ。頭は空でも優秀な治癒士がいるからな。つか質問に違う質問で返すなよ。質悪いぞ」
「別に見たら解るだろ。試合を見てるんだ」
「もう戦った相手なのに?」
「だが、まともなクラン同士の対決だ。夢工場とマッドボーイズ。一応先輩のクランだし何かしら得るものはあるだろう」
「ふぅん……勤勉なことだな」
フィーロは扉を見た。戦闘の風景が映し出されている。あれは……クスカか。速い。トリッキーな動きがより速く見えさせる。要は捉えにくくしているわけだ。レイジとは違う速さだ。あれは確かにクソ速いが、意外に動きは直線的なのだ。ある程度の動体視力と運があれば捕捉出来ないわけではない。ガナッシュなら出来るだろう。
「……勤勉というか、普通だろう。ボクらは未熟なんだ。得るべきものは得ないと、学園にいる意味がない」
「首席の言うことは違うな全く」
「他人事みたいに言うな。お前だって……ってどこにいく!?」
「説教は御免だよ」
フィーロはそそくさとその場を離れた。説教は御免だ。本当に。
何度も言うが俺は無能な剣士だ。剣しか振ることが出来ない。その剣だって型もへったくれもないただのがむしゃら剣法だ。それでずっとやっている。今更何かを取り入れる気にはなれない。それに無理だ。俺にはそこまでの才能はないのだから。
なんだか暗鬱とした気分になってきた。試合前だというのにモチベーションは最悪に近い。
「やってらんねー」
呟いてみる。
余計に怠くなった。最悪だ。
懐中時計を取り出した。あと二十分といったところか。意外に長い。ブルーな気分がそうさせているのだろう。迷惑なものだ。
秒針を見つめた。一秒は相も変わらず正確だ。コイツが千百回くらいで時間になる。どうせならぼーっと数えてみようか。いや、面倒臭い。それこそ本当にやってられない。
フィーロはその場に座り込み、空を見上げた。快晴だ。夏だし、この時期は晴れるときはとことん晴れるから別に当たり前ではあるのだ。それでもクソ暑い。外套は戦闘の時だけ羽織ることにしよう。外套を脱ぎ、丸めて膝の上に置いた。
もう一度空を見上げ、雲を見つめる。子どもころはあれが何に見えるかなどと孤児院の奴らがやっていた。フィーロはそれを眺めているだけだった。どちらかというと院内では孤立気味だったのだ。まあ、じゃじゃ馬姫のお守りをしてたら自然とそうなる。親しい奴もいるにはいたが、今はどうしているのだろうか。家出に近い形で孤児院を出た(というか引き摺られた)わけだし、心配掛けているかもしれない。
別に戻りたいとも思わないが、一度くらい顔を出すのもいいかもしれない。これが終わったら二週間を使って出向いてみようか。
そんな自分のかつて育った場所に思いを馳せて、雲を見つめた。
すぐに飽きたが。
◆◆†◆◆
四回戦の始まりまで十分前になった。場所は燃え盛る山。まあ、火山地帯だ。ゴツゴツした岩場だらけで、溝に真っ赤な溶岩が流れている。
「あっづー………」
もうヤダ。暑かったり寒かったり。確実に風邪引くよ。
「暑いよフィーロぉ……」
「そればっかりはどうにもできねーよ」
暑いなら近付くんじゃない馬鹿。余計に暑いだろうが。離れろ。三メートル離れろ。
「しかし、視界が悪いな。遠距離は難しいぞ、これは」
平然とした面持ちのガナッシュ。神経麻痺してるのか? 暑くないのか? その黒い外套の下はもしかして裸なのか?
「クロアの射撃は無理か……てなんだその格好はッ……!」
「………いける」
「いけるじゃない! 服を着ろ破廉恥娘!」
ガナッシュが叫ぶのも当然で、クロアは公衆の面前だというのにキャミソール姿になっていた。羞恥心がないのかこの娘は。
「うぴょおぉっ!」
奇声を発する馬鹿な変態がいた。コイツはダメだ。早く始末せねば。
フィーロはレイジの後頭部をガシッと掴み、近場の岩に押しつけた。
「うわっづぁっづぁっあっづぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……! やめてっ! マジやめてっ! 死ぬ! 死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅっ……!」
手をバタバタさせて叫ぶレイジ。大袈裟な。お前はこれくらいじゃ死なん。寮の三階から落ちても死なないんだから。
「やめてやれ、フィーロ。もう着たから」
ガナッシュが制止してきたので、やむなく手を離す。顔が真っ赤になっていた。少し火傷しているかもしれない。まあ、変態なら大丈夫だ。
それでも怪我は怪我だ。そういうのに反応するのは当然ユーリだ。「た、大変です!」と大変そうに駆け寄って、変態の治療を始めた。
だが再度言うが変態はしぶとい。チャンスと言わんばかりにユーリのお尻向かってゆっくり手が伸びている。変態め。しかしもう遅い。手が守護神に踏まれた。
「ぐっぎゃあぁぁぁぁぁぁんっ! そこ尖ってるぅ! 手の甲刺さってるぅぅぅぅ……!」
「愚かな行為にはそれなりの代償が伴うのだわ」
ユーリの操を守る守護神モニカが下目遣いでレイジを見た。据わっている。あれは殺る時の目だ。
「だ、大丈夫ですかっ!? そんな、ちゃんと施術したはずなのに……」
気にするなユーリ。ちゃんと施術は成功している。奴が感じている痛みは自らの業の痛みだ。
「あっ」ユーリが変態の手をモニカが踏ん付けていることに気付いた。「モニカちゃん踏んでますよ、レイジ君の手! もう、足元には注意しないとダメですよ?」
そういう問題じゃない。
「ごめんなさいなのだわ」
変態には目もくれず、ユーリに向かって謝った。少々変態が哀れに感じなくもない。所詮変態だから仕方がないのだが。
「それにしてもホントに暑いわ……あたしも脱ごっかな……」
突如シェリカがそんなことを言った。何故、俺の方を見る。フィーロはガナッシュを見た。
「………」
形容しがたい表情で見返してきた。
「………」
フィーロもまた、形容しがたい表情で、そのまま明後日の方向を見た。
「何よ! そのリアクション!」
蹴られた。痛い。暑いからシェリカもイライラしてるのかもしれない。
変態の治療を終えたユーリが立ち上がって、こちらに来た。
「でも、これだけ暑いと脱ぎたくもなりますよね」
「ちっ……」
「えっ……!?」
シェリカの舌打ちにショックを顕にするユーリ。そろそろ学習しようぜ。
……しかし、ユーリが脱衣ね。
フィーロはガナッシュを見た。「………」気まずそうな表情で見返してきた。なるほど、いくらシスコンでもやはり気まずいか。
「………」
フィーロもまた、同意するような表情で見返した。頭の後ろをポリポリと掻く。
「何でちょっと嬉しそうなのよっ!」
シェリカに蹴られた。痛い。脛は反則だ。地味に痛い。でも当然だろう。
だって男とは、
悲しい生き物なんだ。
コケティッシュに弱いんだよ。基本的に。余程ガッチガチの貞操観念でもない限りは。フィーロ自身、別に軟派ではないが、硬派を気取るつもりもない。経験があるわけではないが、興味はある。まあ、でも、未だに好きだの愛だのはよく理解してないんだが。
「えっ、フィーロ君……嬉しいんですか……?」
いやはやこっちがえっ、である。なんでユーリが嬉しそうなんだ。フィーロは訝しんでユーリを見たが、既に違うほうを向いて何か呟いていた。心配になってきた。
「おい……だ――いぃっ!?」
大丈夫かとユーリに近付こうとした瞬間、足に鈍い痛みが走った。モニカがフィーロの足を踏んでいた。ご丁寧に踵でだ。
「……痛いんですけど」
「痛いように踏んでるもの」
あーなるほどー。
いやいや、んなことは解ってるっつーの。違うだろ。離せって言ってんだよ。馬鹿かコイツ。馬鹿だろ。
「ムカつく目なのだわ」
「目!?」
目は口ほどにものを言うってこと? 馬鹿って思ったのばれた?
「腐海のような瞳なのだわ」
「腐海!? ひどくね?」
俺の花緑青の目は腐海の色なのか。青粉ってこと? もう泣いていいかな。つか大体なんでそこまで言われないといけないんだ。俺なんか悪いことしたか?
まだ戦闘は始まってもいないのに、フィーロの心は早くも挫けそうだった。これも全てこのフィールドが悪い。暑いからみんなピリピリしてるんだ。八つ当たりされる身にもなれ。
ぶつけようのない不満をひしひしと胸の内に蓄めて、フィーロはさっさと終わらそうと誓った。
◆◆†◆◆
アンセムスターはCL3。数値的な実力差はない。
実際、トリオで活動していたときのベアトリーチェ、モラン、ロリエの三人は一年生の間ではそれなりに有名だった。
武門の出であるベアトリーチェの才覚ある剣技。性格に似合わず戦斧による破壊的な攻撃を繰り出すモラン。火力不足は否めないが、多彩な魔術を駆使できるロリエ。普段がアレだから想像しにくいが、侮ることの出来ない相手だ。
それでも一応実力は把握しているから問題ない。フィーロが気になるのは新参の二名だ。名前はユミィとエミリだったか。学内で顔を見た覚えがない。単にフィーロの記憶力が悪いだけだろうが。
詳しい情報が解らないのだ。どちらかが確か特戦学部だったのは聞いた。特殊戦闘学部――略して特戦学部の戦闘スタイルは一言で言うなら『意味不明』だ。
大体学部で戦闘スタイルというのは決まる。少なくとも相手の戦う間合いは特定出来る。
しかしながら特戦学部というのは、特殊な能力を使った戦闘スタイルゆえに、間合いが個々でバラバラなのだ。奇術士学科という学科があるのだが、そいつはまあムカつくことに相手を舐めきった攻撃しかしてこない。入学当初に一人だけ会ったならぬ遭ったことがあったが、腹が立った。
鳩を飛ばしてきたかと思えばそれが爆発したり、「イリュ〜ジョ〜ン」と叫んで分裂したり。トランプ手裏剣とかいって鉄製の刃の付いたトランプまで投げてきた。挙げ句『バーカ』と書かれた煙幕弾入りびっくり箱を投げてきたときはマジで殺してやろうかと思った。馬鹿はお前だ馬鹿。
まあもともと特戦学部にいい思い出がないフィーロには、あまりいい気はしなかった。せめてまともな奴であることを祈ろう。まあ、まともなはずだが。
フィーロがそんなことを考えながら走っていると、ガナッシュが口を開いた。
「……今回は数で押せる敵じゃないだろうな。いくらボクらが攻撃側だといっても、深追いすればやられかねない」
「まあ、同感だな。取り敢えず、出来るだけ早く終わらせられるようにしよう。……後ろの奴らが反乱しそうだ」
「……善処しよう。ただ……今回はユーカリスティアは使用出来ない」
「何で……ってああ。そうだな。忘れてた」
ここは完全な火山地帯だ。水の精霊はかなり少ない(全くいないわけではないだろうが)。だからユーカリスティアを使ってもあまり意味がないのだ。出力不足で逆に不利になる。意外に条件が厳しい武器である。
「んじゃシェリカの出番だな」
「そうなる。癪だが、最善だ」
まあ無駄に火と土の精霊がいるだろうから、シェリカの火力で圧すのが手っ取り早い。結局、ごり押し戦闘だ。
岩陰に差し掛かった辺りで、ガナッシュが右手を挙げて止まれの合図を出した。前に出たそうな馬鹿がいたが、全員が停止した。
「レイジ」
「ほいさ」
ガナッシュの呼び掛けに待ってましたと言わんばかりに斥候に出掛けるレイジ。何故仕事面は真面目なのに変態なのか。永遠の謎である。
一分かそこらでレイジが戻ってきた。
「四人しかおらん。旗はあったで」
「……作戦か?」
「解らんわ」
「そんなのまとめてぶっ飛ばせばいいじゃない」
猪突猛進な馬鹿シェリカが言った。ガナッシュが呆れた顔をした。だが、相手の意図も解らないのだ。それにじっとしているわけにもいかない。暑いから。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず、だぞガナッシュ」
なのでフィーロは賛成の意見を述べた。ガナッシュはフィーロの思わぬ賛成意見に目を見開き、ばつが悪そうに頬を掻いた。
「む……まあ、そうだな。一理ある。でも全員行くのはまずい。行くのはボクと……」
「シェリカとレイジでいいな。……頑張れ」フィーロは敬礼をした。
「ちゃっかり自分を外すんじゃない。行くのはお前だ馬鹿」
「嫌だよ」
「嫌でも来い。これの面倒を見るのはお前の役目だろうが」
シェリカを指差して言う。すると“これ”呼ばわりされたことに不満を顕にしたシェリカが乗り出してきた。
「それどういう意味よ!」
「馬鹿! 声がでかい……!」
「おいシェリカ……!」
フィーロが慌てて止めようとしたが、シェリカが暴れた。
「放してよフィーロ! 変態シスコン野郎にこれ呼ばわりされるなんて言語道断だわ!」
「解った、解ったから静かにしろよ! 敵に捕捉されるだろ……!」
「あー……もう捕捉されたで……」
「……マジかよ」
途端、フィーロたちの足元に影が出来た。でかい影だ。圧力もあった。何かが落ちてくるような――
「……マジかよ」
また同じ言葉が漏れた。
「回避だ……!」
ガナッシュが叫んだ。それが鶴の一声となった。
「シェリカ……!」
「ひゃっ!?」
「ユーリ、こっちなのだわっ!」
「うにゃぁっ!?」
「え、オレはどっち行けばいいんや!?」
「知るか勝手に死んでろ!」
「ひどっ! ――って……ぎゃふっ……!」
散り散りに回避する。
フィーロは取り敢えず近くにいたシェリカを引っ張って、バックステップで避けた。他の奴など考えてられなかった。
――ズン、ボガン、
鈍重な着地音に岩の破壊音が妙な不協和音を奏でた。いくつか破砕した岩の欠片が飛んできた。抱き抱えたシェリカを庇う形でしやがみ込み、背中を向ける。幸い欠片はそれほど当たらなかった。
しかしながら土煙が立ち籠めている。視界が塞がれた。ただ、黒く大きな陰だけが目の前に立っているのだけは視認出来た。
「でけー……」
思わず呟いた。
身の丈三メートルはありそうだ。丸いフォルムで雪だるまのようにも見える。こんな灼熱のフィールドに雪だるまなんて作っても数分で溶けるだろうが。
「全員無事か……!?」
離れた場所からガナッシュの声が聞こえた。フィーロは「ああ!」と答えた。他の仲間も返す。クロアの返事はなかったが、もとが声を張り上げる奴じゃないし、仕方ない。きっと無事だろう。
「大丈夫か?」
「……うん。ごめん」
「シェリカが謝るなんて似合わないな。ま、怪我がなくて何よりだ」
フィーロは微笑んだ。
「ほーっほっほっほっ! ざまあないですわシェリカさん!」
聞き覚えたっぷりの高笑いが聞こえてきた。いや、戦っている相手が決まってるのだから、自ずと高笑いの主も限定されるのだが。
ある程度土煙が晴れてきて、片手を腰に、もう片手は口元に添え、いかにもといった姿勢で岩につっ立っているベアトリーチェの姿が現われた。
「あんのクソアマ……!」
「そんな言葉遣いするなっつってんだろ馬鹿」
ぺし、と額を軽く叩いた。本当にこの姉は。
それよりもまずはアンセムスターだ。まさかのアクシデントで先手は取られたが、こちらが攻撃側である以上、接触したのは有利に傾いた。
立ち上がって、シェリカを助け起こした。シェリカはもう戦闘態勢に入っていた。血の気の荒い奴だ。
「フィーロ!」
ガナッシュの声が近付いてくる。こちらに来ようとしているのだろう。だが、ズズ、と黒い影がほぼ同時に動きだした。形のせいで解りづらいが、こっちを向いたような気がした。
嫌な予感がした。
そしてそれは的中した。
「来るなガナッシュ……!」
「な……」
ブォン、と何かが振り下ろされる音がして、目の前で爆発が起きた。茶色い何かが見える。影の手か。爆発じゃなくて殴った音だ。これはきっと。
「くっ……!」
一体、あれはなんなんだ。
土煙が漸く晴れてきた。だんだん顕になる。茶色い肌だ。フサフサかつフワフワしている。丸い耳。丸い瞳。ω←こんな口。
そう、あれは……
「……クマ?」
シェリカが惚けた呟きを漏らした。うん。まあ、クマだけどね。クマっていったらもっとこう、蛮族の森の炎の鬣みたいなの思わない? あれ、かなり可愛くカリカチュアライズされてるね。
完全に、ヌイグルミだよね?
「ほーっほっほっほっ! 人形士の力に恐れをなしているようですわね!」
パペッター。
パペット。つまりは人形。人形士。人形士学科か。特戦学部の相手の学科は人形士か。面倒な相手だ。
一応、超能力の部類らしい。召喚魔術の人形版とでも言えばいいか。ちょっと違うかもしれないが。魔術ではないが、魔術チックではある。
確か人形に自分の魂の一部を移して動かす技術だ。
人形ならばなんでもいいらしく、それこそ鉄製だろうが布製だろうがなんでも動かせる。それは『物言わぬもの』ならばなんでもいいということだ。
例えば、人の死体とか。
しかしながらそれは人形士とは呼ばれていない。
俗に、侮蔑の意を籠めて、『死霊使い』と呼ばれる。一時はネクロマンサーと呼ばれたが、あれは降霊魔術を専門にする降霊士をさすのであって、一緒にするのは降霊士に対する侮辱だと改められた。あれも魔術とはまた違ったものなのだが。
いや、そんなことは今はどうでもいいことだ。現実逃避する前に眼前の問題をなんとかしなくては。
人形を止めるには中枢――操作している人形士を押さえないといけない。四人しかいなかったとレイジは言った。つまり一人は隠れて人形を操っているわけだ。
簡潔ではあるが、そう簡単には探せまい。なんせ他の四人がいる。人形士と一緒に旗を隠さなかったのは保険だろう。まとめてやられないようにするための、一種の用心だ。もともと、そのための四人でもあるだろう。
人形士の遠隔操作による人形を主戦力とし、四人がフォローと防衛側なら加えて旗の防衛。シンプルだが確実だ。有利に傾いたとか思ったが結構ピンチだ。
因みに作戦がここまで事細かに解ったのはフィーロの名推理ではない。お馬鹿さんが高笑いしながら今語ったからだ。あれがマスターでいいのだろうか。
身の丈三メートルのヌイグルミは小回りは利かないらしく、フィーロはシェリカを引き連れて回り込んで近くの岩場に隠れる。ベアトリーチェは高笑いしてるし、追撃はあと少しはないはずだ。
岩場には先客がいた。隣にしゃがみ込んだ。
「ガナッシュ、無事か?」
「ああ……他の奴らも大丈夫だ。……しかし厄介だな。人形士とは……」
「隠れてるのは間違いないな。どのくらい離れても動かせるのかが解ればいいけど。俺は生憎専門じゃないからな。一般知識しかない」
「単純に考えてフィールドの端から端までってわけじゃないだろう。なら探せなくはない」
「いや無理だろ」
「ボクらならな」
ガナッシュは薄く笑った。
「出来る奴が一人いるだろう?」
「……いるな。そういや」
「? 何の話?」
「なんでもない。シェリカは何時も通りぶっ飛ばせばいいから」
「ふぅん……解ったわ」
「作戦会議は終わった?」
「! やばっ……!」
「避けろ……!」
フィーロとガナッシュは咄嗟に飛び退いた。「ふひゃっ」というシェリカの奇声が聞こえたが無視だ。
岩が砕けた。景気のいい爆砕っぷりだ。血の気が引いた。
モクモクと土煙が舞う中から現われたのは予想どおりモランだった。でかい大斧を担いでいる。顔に似合わず狂戦士だ。
「ようモラン……作戦会議の時間待っててくれたのか?」
「ううん。こっちの作戦バレちゃったから、フィーロ君たちの作戦も聞いてただけだよ?」
「……そ。耳いいね」
バレちゃった、というかバラしちゃっただと思うよ、とは言えなかった。モランの優しさを考慮すればこそだ。本当にいい友人を持ったよね、ベアトリーチェは。
「それじゃ、友達だけど、遠慮しないよ」
考え事している間に真横から戦斧が襲い掛かる。なんて膂力だ。本当に女の子か。
フィーロはシェリカを抱えてまた飛び上がった。モランの上空を飛び越えて、背後に着地した。
「凱裂尖dey罅Fu鑠朦grave鋭巌鎗」
――ヤバイ。
自分の背を叩く声。雰囲気は違うがロリエだ。回避は不可能。咄嗟にシェリカを突き飛ばした。「きゃっ!?」悲鳴を上げて倒れこんだ。許せ。
秒単位で土が盛り上がり槍となってフィーロに差し迫る。ギリギリで視認した。身を出来るだけ捩った。
衝撃が走った。
遅れて、鋭い痛み。
「がっ……」
これはマジで痛い。
だが、痛がってる場合でもない。刺された勢いを利用して前に飛ぶ。ずりゅっ、という嫌な感触。ぶしゅっ、という勢いよい赤い噴水が吹き出た。
とにかく、刺さった岩の槍を身体から抜くことには成功した。
「ってー……肩やべー……」
刺さった箇所を確認。左肩、脇腹の二ヶ所。致命傷ではない。
「あわわっ、避けられちゃった」
緊張感のない声だ。
離れた場所にロリエが立っている。バッと何かが飛びずさった。モランがロリエの前に立った。モランの表情は焦りはないものの、驚きが見え隠れしている。
おそらく、一連の作戦だったんだろう。まさか回避されるとは思わなかったと。まあ、当たったからな。致命傷じゃないだけで。
「さすがフィーロ君だね」
モランが言った。構えは崩していない。
「当たっておいてさすがもクソもないけどね」
苦笑いで返した。
「普通ならあれで勝ってたから。やっぱりさすがだよ」
「そりゃどうも」
「悠長に話してる場合かフィーロ。怪我は」
ガナッシュが隣に立った。太刀を引き抜いている。
「平気だ。痛いけど。……もう伝えたのか?」
「いや、アイツ、どこかで聞いてたらしい。勝手に行った。……ともあれ、ここからが本番だぞ」
そう言って太刀を構えた。
つかどこかで聞いてたって。抜け目ない奴だな。いいけど。
「解ってるさ。……シェリカ、立てるか?」
足元で未だ起き上がろうとしない姉に目線を向ける。手を差し出すと、すぐに掴まってきた。そのまま引っ張り起こす。
「うん。でもひどいわ。いきなり突き飛ばすなんて!」
「いや、やむを得なかったし」
「それでも……あっ! け、怪我してるじゃないフィーロ! 誰! 誰にやられたの!」
「え、まあ、強いて言えばロリエだが……」
「あのロリガキね。解ったわ」
ギラン、とロリエを睨み付ける。つかロリガキって。年齢は一緒だぞ。多分。
「ひぇっ。も、モランちゃん……めっちゃ睨んでるよぅ」
シェリカの視線のレーザービームにビクリとするロリエ。少しだけ可哀想に思えた。
「大丈夫だよ。それより、あれの準備はしといてね」
「う、うん」
あれ……ね。まだ何かあるか。まあ、どんとこい。次はガナッシュを盾にするからきっと避け切れる。
「今、何を考えた?」鋭いお方。
「なんでもないよー」
「目線逸らすな」
フィーロは肩を竦めた。
「ほんの冗談だ」
「……まったく。もう準備はいいな?」
「んー……ビミョー」
「行くぞ……!」
「聞けよ」
ガナッシュが駆け出した。それに促されるように、フィーロとモランが前に出た。
友人と戦うのは気が引けるが、手を抜くのも失礼だろう。雑魚は雑魚なりに出来る限りやろう。
フィーロは剣を振りかぶった。