第一章(19) 底冷えの三回戦
◆Ganache◆
カタハネが揃ったのは召集の時間から十五分後だった。大幅すぎる遅刻。これで失格にならなかったのは一重に先生たちの恩情だろう。さすがに苦い顔をされたが。
兎角、ガナッシュたちは一応二日目の今日も参加出来るわけだ。
取り敢えず、原因となった馬鹿ども――言わずもがなシェリカを筆頭にしたユーリ、クロアの『好き好きフィーロ団』を一喝しておいた。シェリカは「なんであたしが……」とぶつくさ呟いていたが、あれが発端である以上責任はある。それにしてもクロアはともかくもユーリを怒る羽目になるとは思いもよらなかった。お陰でモニカから鋭すぎる眼光を浴びせられることとなった。
今は本部を離れ、昨日と同じ扉前に他のクランと集まっている。その中に一ヶ所だけぽっかり空間が出来ているのだが、
「メイド服でガナッシュ様の気を引こうなんて手段が姑息なのですわっ!」
「だーから、違うわよ! 何度も言わせないでよ! なんであたしがあんな変態野郎を好きにならないといけないのよっ!」
「ガナッシュ様を変態呼ばわりなど……! 今日こそ許しませんわ、このアバズレ魔女! あとでギタギタにしてさしあげますわっ!」
「別にアンタに許されたくなんてないわ! そっちこそボコボコにしてヒーヒー鳴かせてあげるわ!」
「何ですって!」
「何よ!」
「あーストップストップ。やーめーれー」
案の定というか何というか、シェリカとベアトリーチェが掴み合って(程度の低い)言い争いをしていた。フィーロはそれを止めに入っているが、効果は期待できそうにない。
ありふれた光景ではあるのだが、ほぼ全生徒の集まっている場でやられるのは恥ずかしい。タイムテーブルをずらしたというのも相まって、周りの視線が痛々しい。
ガナッシュは溜め息を吐いた。
「大きな溜め息だね」そう微笑みながらモランが近付いてきた。「幸せが逃げちゃうよ?」
「……そうだな。それにしてもあいつらもう少し自重出来ないのか?」
「仲良しでいいんじゃないかな」
「いいか……あれ」未だ掴み合う二人のじゃじゃ馬娘を遠い目で見つめた。「何にせよ、歯止めはいるんじゃないか……?」
「うーん……それもそうだね」
モランの苦笑いを見て、ガナッシュも釣られて同じように苦笑を漏らした。お互いに面倒な仲間を持っている。少し親近感が湧いた瞬間だった。
『どこぞの馬鹿クランが遅れたため、時間を二十分繰り上げて進行する。五分後に三回戦を始めるからそれまでに該当するクランは扉を潜れ』
ようやっと二人の啀み合いが終わると同時に、ヴァイス先生の声が響き渡った。馬鹿クランがカタハネだということは誰もが知っているわけで、余計に痛い視線が集中した。
さっさと逃れたいし、早く扉を潜ってしまいたかったが、ガナッシュには一つだけ確認しなければならないことがあった。
「お前たち……本当にその服装で行くつもりなんだな?」
視線の先はメイド服を着込んだ馬鹿娘約三名。各々違った型のメイド服を着てはいたが、共通するのは、それは戦闘用の服装ではないということだ。
百歩譲ってユーリはまだなんとかなる。が、シェリカは魔道装束じゃないと、触媒を入れる場所がない。クロアも前線ではないが、それでも防御性のある服装をしたほうが安全だ。
それだというのに、
「問題ないわ」
「………いい」
「大丈夫です」
こういう時だけ息の合う奴らだ。何が問題ないだ。カバーするほうの身になれ。
とはいえ、今更グチグチ言ってももう遅いことだ。着替える時間もない。面倒ではあるが腹を括るしかないわけだ。
いっそのこと罰でも当たれと子どもじみたことを内心で思いつつ、ガナッシュは扉の中へと足を向けた。
◆◆†◆◆
扉を抜けてまず最初に思ったことは、
「さ、寒い! というか痛い!」
シェリカのそう叫ぶ声にいささかの納得は出来る。確かに、この場所ではそれに尽きる。寒い。氷点下はいっていないが、多分五度以下は間違いない。
ガナッシュは辺りを見回した。一面が紅の世界。しかしその感触は紛れもなく雪だ。おそらくは“血みどろの雪原”だろう。寒さの原因はこれだ。
「ざ……ざっぶぅ……ガナッシュ、オレと一緒に暖めぶふぁ」
クソ寒い中で震えながらも阿呆なことを口走っている馬鹿を沈める。赤い雪に埋もれたそれにガナッシュは一瞥も与えなかった。
「つか、何だここ」
フィーロはしゃがみこんで、足元の赤い雪の感触を手で確かめていた。
「血みどろの雪原だな」
「あーなるほどねー。真っ赤な雪だもんな。色は暑苦しいのに痛いくらい寒いって、何この矛盾」
「嫌がらせだろう」
「なんでアンタたち平気なのよ……ううう……さ、寒いよフィーロぉ……」
歯をガチガチ鳴らしながら、シェリカが身を縮めていた。唇は既に青い。
自業自得である。メイド服などという薄っぺらな装飾用の服装で来るからだ。戦闘用ならばある程度の断熱機能があるのに。早くも罰が当たったか。ざまあみろ。
「ううう……寒いぃ〜……」
体を縮こまらせて、震える。段々気の毒にさえ思えてきた。助けはしないが。いい薬だし。
「んな薄着するからだろ? ……ほら」
しかしながらそんなシェリカを見兼ねたフィーロは、羽織っていた外套を脱いでシェリカを包んだ。
「夏だったから薄手だけど、それは我慢してくれよ」
「うん……ありがと……」
えへへ、と笑うシェリカ。正直気持ち悪い。フィーロも怪訝そうな面持ちでシェリカを見つめた。
「どうした……?」
「えへへ、あったかい……」
「……そ」
心底幸せそうな表情を顕にしている。考えていることは多分、メイド服着ててよかった、とかそのあたりだろう。浅ましいというか、ある種逞しい奴である。
「あの……フィーロ君……」ユーリがフィーロの袖を引っ張る。「わたしも……寒いです」
下心全開の発言である。
対するフィーロは困った顔で、頬を掻いた。「うん……まあ、頑張れ」
「そんな……!」
この世の終わりと言わんばかりの絶望に打ち拉がれた表情のユーリ。目が既に半泣きだった。当然だと思うのだが。
「いや、これ以上脱いだら俺確実に風邪ひくから」
苦笑いでフィーロは答えた。
実際、既に朝食のときの格好になっている。つまり二枚しか着ていないのだ。見ているだけで寒々しい。鎧とも言えない軽量で薄型の防具を付けてはいるものの、それで寒さが凌げるわけでもない。もともとフィーロは防具を使用しない。戦闘用の加工された外套を羽織る程度だ。シェリカに貸したそれのことだが。
「そう……ですよね。ごめんなさい」
悄然とうなだれるユーリ。気の毒だとは思う。だが何度でも言うが自業自得だ。
「大丈夫よユーリ。アタシが暖めてあげるのだわ」
モニカは後ろからユーリを抱き締めた。暖めるという口実で自分の欲求を満たしているとしか思えない。決して口には出さないが。
「だ、大丈夫だよぅモニカちゃん……」
「風邪は引いてからじゃ遅いのだわ。さあ、全てをアタシに委ねて……」
まさに変態の台詞である。
「ちょっと! フィーロから離れなさいよ!」
「………いや」
今度はシェリカとクロアが争い始めた。一部始終を見ていたわけではないが、大方フィーロに抱き付いて離れないクロアを引き剥がそうとしているのだろう。見なくても解る馬鹿の習性みたいなものだ。
どうだっていいが、いい加減試合前だというのを理解したらどうだろう。リラックスなら大いに結構だが、関心を向けないのはかなりまずいと思わないのか。
恋は人を盲目にするという言葉を考えた人間が偉大に思えた瞬間だった。案外、同じような光景を目の当たりにしたのかもしれない。そう思うと、尊敬に加え同情心まで生まれた。
『――始め』
ヴァイス先生の開始の合図を聞いても、事態は納まっていなかった。むしろ悪化していた。
「こいつらは……」
眉間に狛犬の如き皺が寄るのを感じる。
血みどろの雪原は障害物の少ない場所だ。今回はカタハネが攻撃側となったわけだが、この場所では攻防はあまり関係ないだろう。おそらく向こうはこちらを全滅させるつもりで向かってくる。
見渡すかぎり障害物がなく清々しい空間のど真ん中で遊んでいるこいつらは、自らの行為が自殺行為だということになんで気付けないのか。馬鹿だからか。
ガナッシュは太刀を引き抜き、平たい部分で全員の頭をしばいた。
「痛いじゃないっ!」反抗する馬鹿シェリカ。
「黙れ」ガナッシュはあっさり一蹴した。「もうとうに試合は始まっているんだ。切り替えろ」
ガナッシュの説教に対し、言い返せる立場でもないシェリカはふん、と顔を背けた。
「解ってるわ、そんなこと。いちいち煩いわね。おつむが小さいんじゃないの?」
「お前だけには言われたくない」
怒られて不貞腐れているシェリカのほうが小さい。本当に自分のことは棚に上げる女だ。
「まー焦んなくても向こうから来るだろ。こんなけ見渡しよかったら」
能天気にフィーロが口を挟む。
「絶対に来るとは限らない。向こうは逃げれば勝ちなんだ」
「そりゃそうだけどね」
「何でもいいからさっさと行くわよ、のろま」
このクソ馬鹿シェリカ……! 一体どの口がのろまと言うか。ボクがのろまならお前はナメクジ以下だ。這って進め畜生め。
込み上げる怒りを地面に埋もれたふりをして女性陣のスカートの中を覗いていた変態を踏むことでぶつけた。「ぐぇぶしっ……!」奇声を漏らしながら沈んだ変態をドリブルしながら進みだす。
「あの……レイジ君死んじゃいますよ?」
「大丈夫なのよユーリ。これは変態なのだわ。いわゆる鬼畜系のBLなのよ」
「断じて違うぞ」
完全な同性愛者の奴にだけは絶対に言われたくない。大体、ボクの崇高なる愛は全てイリアへと向かっているのだ。変態に向けるものなど破壊衝動だけで十分だ。
「へ、変態……鬼畜……び、BL……」
なんてことだ。ユーリが本気にしている。ガナッシュは止めに変態を踏ん付けた。
「あれがツンデレ特有の“照れ隠し”なのだわ」
モニカァァァァァッ!
味方じゃなかったら真っ先にぶっ潰してやるところだ。味方でもムカつく。本気でぶっ飛ばしたい。握った拳が震えた。必死で抑える。今は試合だ。
「………きも」
地味にそのクロアの呟きが一番心を抉った。
もう何だか色々と嫌になってきた。
◆◆†◆◆
色はともかくも雪原フィールドだけあってだだっ広い。障害物の少ない代わりにかなり広く区切ったらしい。傍迷惑な話だ。
広い上に寒いわけでガナッシュや復活した変態はともかく、メイド服着用中の三人と装備を整えていても、構造上肩などが露出しているモニカにはつらいかもしれない。フィーロは平気なのかよく解らん。見たところ平気そうだが。それよりもフィーロの外套を半ば奪ったシェリカが寒がっているほうが解らない。
「大丈夫か?」
一度全員を見回して確認してみる。
「見りゃ解るでしょ……」
青い唇でそう呟くように返したシェリカ。即答する元気があるならまだ大丈夫だろう。
しかし、これ以上は集中力が低下しそうだな。奇襲を受けたら一溜まりもなさそうだ。
「あ、見つけた! お姉ちゃん、お姉ちゃん、見つけたよー」
その線は杞憂で終わった。
なんともだしぬけだった。
数少ない障害物の一つである氷山の角から女の子がひょっこり出てきたかと思えば、出てきた方を向いて仲間を呼んだのだ。
危機的状況なはずなのに緊張感が皆無だ。奇襲かと掴んだ太刀を思わず放すほどだ。
そもそも、彼女は斥候ではないのか。いいのだろうか、あからさまに仲間の位置を教えて。いや、だが罠という可能性も……
「あら、本当ね〜」
マジだったらしい。
角からおっとりした女性が現れた。杖を持っている。魔戦学部で間違いはないだろう。最初の女の子の姉、だろうか。確かに髪の色が同じだ。ベビーピンクだ。染めているのかそれとも地毛か。どうでもいい。
「え、マジ? いたの? キャ〜! 本物だ! 本物だよ!」
「うわぁ〜本物だ〜」
次々と角から現われる。姿を隠す気もないらしい。
「寒い中で歩き続けて正解だったねー」
「そうだねー」
会話になんとなく違和感を感じる。緊張感が欠片もない。学園の昼休みのような感じだ。
七人全員が現われると、おっとりした女性が前に出た。ガナッシュは身構えた。女性は物入れに手を突っ込んだ。物入れ……魔道装束か。やはり魔術士。触媒を取り出すつもりなのだろう。させるものか。
ガナッシュは太刀を引き抜き、走りだした。後ろの六人ののほほんとした会話で油断させて魔術を放つ気だ、あの女は。事実、仲間は惚けている。ボクがやるしかない。
走りざまに太刀を下段で引き摺るように構える。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ……!」
女が何かを引き出した。平たく白い何かと、黒い棒。だが遅い。魔術を使う時間はもうない。ボクの太刀のほうが確実に早い。
太刀を下からすくい上げようと力を込めた。
「あの、」
触媒を前に突き出す。まさか、もう魔術を撃てるのか!? いや、ハッタリだ。詠唱なしで魔術の行使は出来まい。ボクの勝ちだ……!
「サインくださいませんか?」
「――ぉおぶっ……」
ずっこけた。
そのまま女の横をズザザザ、と雪を掻き上げながら一メートルほど突き進んだ。顔面から。
「だ、大丈夫ですか?」
「………大丈夫です」
ガナッシュは差し出された手を掴んで起き上がった。付いた赤い雪を払った。女が物入れから今度はハンカチを取り出して、ガナッシュの顔を拭いた。
「まあ、こんなに真っ赤になって……」
「あ、ずるいよお姉ちゃん!」
「そうだよ!」
「抜け駆けだー」
背後からブーイング。女は「そんなんじゃありませんよ」とやんわり返していた。何なんだ、これは。というか、
「……サイン?」
「え? あ、そうです。あの、ガナッシュさん。サインを頂けませんか? あと握手も」
「……何故?」
「ファンなんです」
「………………………は?」
◆Firo◆
この状況は何だろう。
目の前のリトルリップのマスターさんはいきなり「ファンです」とか言いだしてきて。挙げ句はサインまでお願いしているあたりマジでファンみたいだけどさ。
ガナッシュも完全に相手のペースに呑まれている。たじたじだ。まあ、多分奇襲だと思って斬り掛かっていったんだろう。差し出されたのが色紙とマッキー(黒・極太)だからね。ずっこけもするだろうさ。
にしてもファンクラブか。十中八九TWGDFなんだろうけどさ。まさか試合中にサインをねだるなど誰が予想出来ようか。
「ねえ……あれ、何なの?」
「あー……要するにガナッシュのファンなんだよ、彼女らは」
「頭おかしいんじゃないの……ふあっくしゅん! うー……」
「そんなこと言うなよ。……ほら」
ハンカチを渡してやる。シェリカはそれを受け取ると、ちーんと鼻をかんだ。本当に女かお前は。慎みみたいなものはないのか。
「返さなくてもいいからな」
「プレゼントってこと?」
「まあ、そうだよ」
単に鼻水付きのハンカチ返されたくないからだけどさ。本人は嬉しそうだから口には出すまい。きっと殺される。
「あの……フィーロ君。わたしには……」
「え? いや……ないけど」
「そんな……!」
さっきからなんだこの娘。俺の持ち物を搾取したいのか? 何が目的なんだ。行動が意味不明なんだが。
「あーキミ」
そんなユーリを苦笑しつつ見ていたら、一人の女の子が近付いてきた。全体的にショートだが、揉み上げだけ長い。それなりに端正な顔立ちだった。
こちらに近付いてきているということは自分に用があるのだろう。フィーロは「何でしょう」と返した。
「ごめんねー。うちの馬鹿たちがさ」
「はあ……」
「あ、わたしはシオンね。よろしく。先に言っとくけどキミんとこの黒髪君のファンじゃないから」
「ちゅーことはオレか!」
「そんなわけあるかボケ」
冷ややかな視線で背後で一瞬舞い上がった馬鹿な変態を一蹴した。この人は怒らせてはいけない。フィーロは直感で理解した。
しゃがみこんでいじけだした馬鹿な変態を気の毒とは思いつつも、相手をすれば付け上がるだけなので放っておく。シオンと名乗る女性に目を向けた。バッジは白銀。三年生だ。
「キミがフィーロ君だよね?」
「え? ええ、そうですが」
「ふぅん……へぇ……」
シオンはそう言うとフィーロを見回し始めた。見透かされているような気分だ。正直、あまり居心地がいいとは言えない。
「あの……」
「じろじろ見ないでよ!」
何故お前が言う、シェリカ。
「ん? ああ、ごめんごめん。でも、なるほどなぁ……あの娘がきにするわけだ」
「はい?」
「いや、何もないよ。気にしないで」
「千テールよ」
「……へ?」
「フィーロを見るのなら一回千テールよ」
「……えーっと……誰に払えばいいの?」
「あたしに決まってるじゃない」
何故俺の価値を千テール一律に設定する権利をお前が持っているんだ。お前は俺の管理者か。違うだろ。むしろ逆だろ。
「たまにおかしなことを言うんで放っておいてやってください」
「へ? あ、そう」
「おかしなことって何よ!」
お前の発言のことだ。自覚しろ馬鹿。つか少し黙っていてくれよ。話が進まないから。
「それで、あのサイン会は……」
「ああ、それなんだけどさ、リトルリップはアミナが四年生であとは二年と三年で一年生がいないのよ。あ、アミナはここのマスターね。おっとりお姉さんの」
「はあ……」どうでもいい。
「だからこういう場でしかなかなか黒髪君に会えないからって」
「クランコンテストを利用した?」
「まあ、そういうこと」
それは……また面妖なことを。
「カタハネって一年生クランにしては郊外活動がかなり多いからさ、普段なかなか会えないし」
「でも、戦闘中にっていうのは……」
「それはルミナが『それくらいインパクトを与えないと覚えてもらえない』って言ってね。あ、ルミナはアミナの妹ね」
「はあ……」心底どうでもいい。
「じゃあ何ですか。このためだけにクランコンテストに出たんですか?」
「うーん。色々プランはあったらしいけど、同じブロックになれたからこのプランになった、が正しいかなぁ」
「……」
その色々なプランとやらが気になるのは間違いでしょうか。ただ聞いたら後悔するような気がしたのでやめておこう。命は大切にしなければ。
「……で、このあとはどうするんです?」
「目的は果たしたんだろうし棄権するんじゃない? わたし自身あんまりコンテストに興味なかったからどっちでもいいんだけどね」
「……そうですか」
豪胆というか何というか。変わった人である。リトルリップ自体もそうだが。
ガナッシュのほうに目を向けると、複雑そうな表情をしていた。一通り終了したらしく、何やら囲まれて質問攻めにされたりしていた。夢に出るんじゃないだろうか。御愁傷様である。
◆◆†◆◆
「くっ……」
扉を出ると、ガナッシュは膝をついた。相当疲労困憊していた。よく精神力を削られる奴だ。コイツが死ぬときは多分怪我とかじゃなくて発狂とかそんな内的なものな気がする。
リトルリップの皆さんはあったかいねーなどと言い合ってもうホクホクしていた。逞しい方たちだ。ある種の尊敬の念を感じた。
因みに三回戦は結局、リトルリップのリタイアという形で終わった。マスターが「We concede.」と言えば強制転送される。思う様ガナッシュとの会話を堪能したリトルリップのマスター、アミナはあっさりそれを口にした。本当に恐ろしい人である。
「お疲れさん」
「全く……だ」
「戦ってないのに全員疲弊しきっているってのもおかしな話だな」
芯まで冷えた体を夏の太陽で必死に暖めている女性陣。リトルリップを見習え。すごい精神力だぞ。ガナッシュへのサインのためにあれを乗り切ったんだから。
「だからクロアは離れてくれ。さすがに冷たい」
「………さむい」
「そりゃそうだろうよ……ほら、本部から毛布かなんか貰ってきてやるから。放しなさい」
「………あなたでいい」
「俺は嫌だ」
嘘を吐きました。
いや、一瞬ドキッとした自分がいます。そんなこと言われたことないからね。少しは嬉しかったりするからね。それでも理性はまだ保ってるんだよ畜生。
クロアを引き剥がし、本部に向かう。あんなフィールドをがあるのだ。毛布の一枚や二枚は用意しているだろう。
「……あれ」
でも何で体が冷たかったのだろう。扉を抜けたら怪我などは治ってくるのに。
そういえば、目隠しをした奴にこの鉄棒は熱くて触ると火傷しますと暗示をかけ、常温の鉄棒に触れさせると火傷するとかそんな感じの話を聞いたことがある。曖昧にしか覚えていないが。プラシーボ効果……だったか。それと同じ効果だろうか。
「ま、どうでもいいか」
「何が?」
「うあっ!?」
突然声を掛けられフィーロは飛び退いた。
「そんな驚かなくても……」
「も、モランか……ごめん。考え事してたから」
「そっか。こちらこそごめんね?」
「いや、いいよ。モランはどうしたんだ?」
「シェリカちゃんが寒がってたから、毛布でも持ってきてあげようと思って」
滅茶苦茶いい娘だ。今泣きそうになった。感動で。
「俺もそのつもりだったからさ、一緒に行こうか」
「うん」
にこりと微笑むモランに微笑み返し、本部に向かった。
思った通り、毛布は用意されていた。四枚受け取り、二枚ずつ持った。
渡してくれたのがイネス先生だったのだが、渡しざまに「凍えた人の中に魔術士はいたかしら?」と聞いてきた。いると答えたら意味深に笑っていたが、よく解らなかった。謎な女性だ。それもまた彼女の魅力なのかもしれないが。
「……イネス先生、なんて?」
「雪原フィールドで凍えた魔術士はいたか、だってさ」
「へぇ……何でそんなこと聞いたんだろうね」
「さあ」フィーロは肩を竦めた。「……それよりも、暖かい飲み物も持っていってやろうか」
「うん、いいと思うよ」
本部横の給水場で暖かいお茶を四人分汲んだ。毛布のほうが重いわけだし、そちらを受け持つ。モランは四つの湯呑みを盆に載せて持っていた。
「大丈夫?」
「ん、大丈夫。モランも倒けるなよ」
「平気だよ。フィーロ君こそ倒けないでね」
「いやいや、倒けないって……ん?」
目の前から何か叫びながら向かってくる人影があった。よく見ると見覚えのあるシルエットである。小柄な体系に犬耳。
「ルッ君……?」
モランが呟いた。そう、ルッ君だ。マスコットのルツ君だ。よく解らない奇声を発しながら走ってくる。
「――どーけどけどけどけどけどけどけどけどけどけどけどけどけどけどけ―――っ!」
真直に走ってくる馬鹿はこともあろうに「どけ」と叫んでいた。何様だやつは。
フィーロはモランの前に進み出て、右足を前に突き出した。同時にそれが馬鹿の腹に直撃した。カウンターみたいな感じになった。
「ぐえっ……!?」
弾き飛ばされ、蹲ってプルプル震える馬鹿。
「ルッ君!」モランが駆け寄る。ヤバイ。やり過ぎたか。「大丈夫……?」
「ぐ、ぐおおお……ハラが……ハラがぁぁぁ……」
「や、やり過ぎだよフィーロ君……」
「わ、悪い」
馬鹿ではなくモランに謝るフィーロ。当然だ。別に悪いとは思っていない。モランの目の前でやり過ぎたことに悪いと感じただけだ。
「ぐ……フィーロ! ひどいぞ! いきなり蹴るなんて!」
だから起き上がった馬鹿が文句を言ってきても、
「直進したらお茶運んでるモランに当たるからな。退いてもらっただけだぞ」
フィーロは謝らない。
「……大体、何をそんなに急いでいる?」
「はっ! そうだ、こんなことしてる場合じゃない! シェリカさんがピンチなんだ!」
「……どうピンチなんだ?」
「凍えてるんだよ! 直ぐに毛布か何か持っていってあげないと……!」
「いや、もう俺とモランで取ってきたぞ」
「何ぃぃぃっ!? くそっ……遅かったか……! いや、まだだ! オレは諦めない……!」
何言ってんだコイツ。頭大丈夫か? せっかく取ってきたのにお前が取りにいったらどっちか無駄になるぞ。察しろよ。諦めろよ。
「フィーロ! その毛布をオレにくれ―――――っ!」
「……」
いや、取りに行かないでと願ったのは確かに俺だけどさ。この馬鹿。もう馬鹿って書いてルツって読むのも面倒だよ馬鹿。お前はプライドないのか。
フィーロは救いを求めるようにモランを見やった。眉をハの字にして顰めていた。モランも呆れているらしい。
「……ほら」
駄目と言えば駄々を捏ねそうだったので、諦めて毛布を一枚渡した。ぱぁーっと喜んだ馬鹿は尻尾を振りながら「ありがとう友よっ! 恩に着るぜ―――っ!」と走り去っていった。
「面倒臭い奴だな……モランも大変じゃないか? 相手するの」
「まあ、弟みたいなものだし……」
「存外、ああいうのが母性を擽るのかもな」
「え……?」
「好きなんだろ? ルツのこと。世話も焼いてるしさ」
「………」
モランは黙ってしまった。ルツはシェリカが好きなのだ。あまりデリカシーのない言葉だったかもしれない。
「モラン、わ」
「違うよ」
「え?」
「わたしが好きなのはルッ君じゃないよ」
早く行こ。
モランはそう言って歩きだした。その後ろ姿を見つめる。フィーロの脳裏に焼き付いたのは何かを押し殺したような眼差し。いつもからは想像が出来ないものだった。
「どうしたの?」
だがそう言って振り返った時の彼女の瞳は、いつもと同じ、優しい暖かなものに戻っていた。
「……いや、何でもないよ」
フィーロはその脳裏に焼き付いたそれを払うように頭を振って、それから笑いかけた。ちゃんと笑えているようには思えなかったが。