第一章(1)
◆Firo◆
「うははははっ! 燃えろ燃えろ――――――っ!」
爆発。また爆発。またまた爆発。爆発のオンパレード。砕け散る骸骨剣士たち。爆風とともに骨が舞う。地面に転がる灰になった骨がその威力を物語っている。粉塵の舞う、あの只中にいたらと考えただけで背筋が凍る。
轟々たる爆音にも負けない声量で高笑いしながら、この爆発の中を闊歩する一人の女がいた。
俺の姉だ。
火の要素魔術、爆烈火。爆発系魔術の中では比較的小規模の魔術である。フィーロの姉は今それを使っている。
ただそれを何発も撃ってるため、凄惨さに磨きがかかっている。
人間爆弾なんて言葉は、彼女のためにあるといっても過言ではなかろう。もしくは歩く火薬庫。
骸骨剣士たちも襲ってきた当初は骨を打ち鳴らしカタカタ笑っている様子だったが、姉の悪逆非道っぷりに「あれ、俺ら喧嘩売る相手間違ったかな?」といった感じでカタカタ震えている。まあ、ずっとカタカタ鳴ってるだけので俺の想像だが。とにかく、それ程までに我が姉は恐るべき狂戦士だった。
「いーひっひっひっひっ! 散れぇい!!」
本当に狂ってやがる。
彼女は正真正銘フィーロの姉だが、あくまで双子の姉だった。母親の胎内からフィーロより数分早く生まれたので、姉の立場を欲しいままにしているに過ぎない。そもそも、それが事実なのかどうか、フィーロには確かめる術はないのだ。あいにく両親の記憶がない。おかげで真偽の程は定かではないのだが、気が付けば彼女を姉だと認めている自分もいるのだ。数十年の付き合いで、今更文句をつけることも出来ないし、つける気もない。
要は慣れだ。諦めともいう。
姉の名前はシェリカ。姓は俺と同じくロレンツ。フィーロ達は孤児院育ちでもともと姓はなかったのだが、シェリカがこの学園に入学手続きを取る時に決めた。昔から奇抜なセンスが目立つシェリカにしては妙にしっくりくる姓だったので、特に不満もなく使っていた。もちろんフィーロも初めは理由を尋ねたのだが、彼女の口からは「なんとなく」としか返ってこなかった。大方、孤児院の院長がシェリカを上手に誘導してそう名乗るよう仕向けてくれたのだろう。
「あっははははっ‼︎ たっのしーっ!!」
清々しいまでの笑みである。
澄み渡る空同様、気分は晴れやかでよろしいことです。いくら相手が魔物とはいえ、いっそ哀れにすら思えてくるかの蹂躙劇を見せられていなければ、俺も素直に喜べたはずなんだよなぁ。
満面の喜色を浮かべる彼女の顔は、双子だけあって俺によく似ている。どうやら男ウケする顔であることはこの十五年間で確認済み。いろいろと苦労させられた。しかし同じ顔だというのに、いや同じ顔だからか、俺は女の子に全くといっていいほどモテないのが理不尽だ。男女の壁というのはやはり厚く高いものなのだと実感させられた。
ちなみに、姉の評価の一例としては以下の通りである。
長く艶やかな銀の髪は絹糸を思わせるほどで、琥珀色の瞳は宝石にごとく見るものを魅了する。まさに現世に舞い降りた女神。
どこがだ。
生まれてこの方そんな感想は抱いた試しがない。背は低め、痩せ形というか痩せすぎなくらいの体系……一部も特に。いや、それを言うとひどいことになるからこれ以上多くは語るまい。
まぁ、一部の連中からはいわゆる「守ってやりたくなる」系の小動物的容姿とこれまた高評価なのだが、俺に言わせてみればありゃ猛獣の一種だ。我が儘を通り越した度の過ぎた高飛車な性格なんか最たるものだろう。そんな一面もいいとか抜かす奇特なやつもいるのだからこの世の男もいよいよ度し難い。
ちなみに魔術を使うあたりで察せられるかと思うが、シェリカは魔術士だ。性格に比例した純攻撃型の要素魔術の使い手で、対して補助系統の魔術はまったくといっていいほど使えない。性格から鑑みても、よしんば使えたところでシェリカが補助に回る姿は想像できない。だからといって、こう前にばかり出てもいいという訳ではないのだが。
俺としちゃ楽が出来てありがたいし別にいいんだけど。
戦うの嫌いだし。怖いじゃん?
そう思うと、少しばかり学園にいる仲間たちが恨めしくなる。
もともと道中で戦闘になる可能性は考慮していたのだ。俺たちは課外活動の一環である学園斡旋の依頼のために昨日から学園を出発し、帰路の途中にこうして運悪く骸骨剣士に襲われてしまったのだ。そもそも依頼内容が学園近郊の都市に現れたモンスターの群れの討伐なうえ、道中もこうして戦闘になる可能性も考慮してもう少しくらいメンバーを集めたかったのだが、俺の所属するクランのメンバーは誰も都合が付かなかったのだ。その内の一人に「そのくらい二人で大丈夫だろ」などと言われたが、俺を数に入れないでほしい。誰か来てくれないと俺が前に出ないといけなくなるじゃん。
不安が的中したことで、記憶が蘇りフィーロは唇を結ぶ。唯一幸いなのは骸骨剣士自体は死霊系モンスターの中でも弱い部類で、シェリカの魔術で十分に対応できる範疇だったことか。ともあれフィーロの心配も杞憂に終わったわけだ。
おかげですることもないので、シェリカのストレス解消に付き合わされる骸骨剣士たちにそっと手を合わせ黙祷し、無事に成仏してくれるよう願うことにした。
つーか骸骨剣士にこんなド派手な魔術はいらないんだよな。むしろ爆発音で他の敵が寄ってこないかとひやひやする。これ以上敵が増えませんように。……あれ、なんで俺手を擦り合わせてたんだっけ? まーいいか。しかし、なんだ。この女はどうして毎度派手な魔術を好むんだろうかね。いや魔術の大半は派手みたいだけど。
「どーけどけどけどけ――――ぃっ! アッハハハハハハッ!」
遠い目をしながら、ノリノリな姉の破壊活動を見守る。
あいつ、なんか半分くらいトリップしてない? 大丈夫かな。大丈夫じゃないんだろうな。お脳の方が。誠に残念なことだ。
爆烈火などの火の要素魔術を行使するには、火の要素精霊の力が必要となる。火の要素精霊というのは得てして扱いが難しいらしいのだが、シェリカの持つ有り余るほどの膨大な魔力を前にすると、火の要素精霊ですら彼女の意志には逆らえないようだ。景気のいい爆発は未だ鳴り止まない。
要素魔術のプロフェッショナルとも言えるシェリカだが、対するフィーロには魔力に対する適正がない。僅少すらない。絶無といっていい。少なくとも、学園の教師には「壊滅的ですね」と言わしめる程度にはない。
フィーロが魔術を使おうものなら、逆に要素精霊によって殺されるだろう。正確には『魂を喰われる』ことになる。要素精霊とはそういう存在だ。魔力という対価を得られないのなら、平気で別のものを代わりにする。自身が行使する力と要素精霊の求めるものが釣り合って初めて形を成すのが要素魔術である以上、魔力を持たない者には到底扱うことなど出来はしないのだ。
これは俺の勝手な推測だが、シェリカは母親の胎内で俺の魔力を全て奪い取ったんじゃねぇだろうか。単なる推測だし、返せとかそんな小さいことは言わないけどさ。なんかこう、もうちょい有意義に使ってほしいもんだ。
結局、骸骨剣士たちは逃げることすら叶わず、壊滅するのにそれほど時間は必要なかった。
その岩を砕き地面を抉るほどの爆撃跡といい、散らばったぼろぼろの剣とか、半分炭になった骨やらを見ると、火紅竜でも現われたかと思うくらいの凄惨さである。
身震いするフィーロに対してシェリカは満面の笑みで振り返った。
「あーチョー楽しかったぁ! 凄かったでしょ、あたし!」
その輝くような笑顔は、俺にどんな切り返しを求めているんだろうか。答えようがねぇ。とはいえ無視すると機嫌が途端に悪くなるのはよく知っている。
「確かに凄かったね」
はいこれ無難な対応。マニュアルに載ってるから覚えておこうね。ここテストに出るからね。
ついでに怪物みたいだったよ、と付け足したかった。言えば次に木っ端微塵にされるのは俺だし、絶対口には出さないけど。
寡黙であることは美徳だよね!
「見た? アイツらの顔! カタカタ震えてやんの!」
ドSか。
「フィーロってば、ねえ、聞いてる?」
「聞いてるよ。もうすぐ学園着くんだし無茶すんなよ。今回は二人しかいないんだから」
勝手にくたびれられたら、連れ帰るの俺だぞ。こんなん背負いながら学園まで向かうとかマジで嫌だからな。
「わかってるわよっ」
ふん、とそっぽ向くシェリカ。こういう反応を見ると思うのだが、世の姉っていうのはこういうものなのだろうかといつも思う。双子だし年は一緒なんだけどさ。
フィーロは溜め息を吐いて、シェリカの肩に手を置いて笑ってみせた。ちゃんと笑っているかはわからないが。どうにも笑顔を作るのは苦手だ。
「もう少しで着くんだから急ごう。なんか奢ってやるから」
「……うん」
シェリカはそれほどウケが良くなかった事に対して不満なのか、少し不機嫌そうな顔をする。いや俺そんな加虐的じゃないし、その手の趣味はないからウケるわけがないんだ。つーかむしろ引いたわ。
渋々といった様子で返事するシェリカを見て苦笑いする。顔がしっかり苦笑いを形作るのを感じた。苦笑いだけはしっかり出来るのか。なんというか情けない話だ。
二人は学園を目指して再び歩き始めた。
フィーロは自分に手を引かれて歩くシェリカを見る。
やっぱり姉って感じじゃないよなぁ。
◆◆†◆◆
ローズベル学園は冒険者養成校の一つとして、アルスレム・ベルカ大陸の中央部ミッドダムナの東部に位置する、永世中立国のヴァンクレオール連邦共和国に設立された。
四年制の学園で、入学条件は十二歳以上十八歳以下であるということ意外、特に厳しい条件はない。あとは精々、心身が丈夫ということくらいか。もともと若手の冒険者を養成することが目的なので、毎年平均的して十五、六歳での入学者が多いようだ。
フィーロとシェリカも十五歳なので適正年齢である。
とはいえ、冒険者養成校というのは、あくまで若手の冒険者は「通った方がいい」という位置づけにある。周辺諸国の思惑も様々である以上、養成校が浸透していない国だってある。だから義務化はされていないのが現状である。
正直、フィーロとしても普通にどこかの国の大きな冒険者ギルドに加盟するのも一つだと思っていた。冒険者ギルドは各国ごとの援助のもと冒険者の仕事の斡旋などを取り仕切る。養成校ほどではないにせよある程度は面倒も見てくれると聞く。それならば働きながら学ぶのも良い方策だと思ったのだ。
それに本音を言えば孤児院育ちの俺たちが、わざわざ学費を払ってまで養成校に通うのもどうかと思うのだ。決して裕福とは言い難かったし、多少なりと遠慮もあった。
だというのに遠慮などという精神を持ち合わせていないシェリカはどうしても入りたいと喚く上、孤児院の院長や先生たちもなんの躊躇いもなく俺たちを送り出してくれた手前、無碍にするわけにもいかず、こうして学園に入学する羽目になった。
他人から見れば、入学するのが嫌ならシェリカと離れて、お互いに別々の道を歩めばいいのだろうが、俺には想像出来なかった。つーかほら、このバカ姉を一人にしたら危ないから。周りが。
こいつが喚いた時点で俺がついていくのは決定事項なんだよなぁ。
「どうしたの、フィーロ」
「んや、なんでもねーよ」
学園の正門の前で考えにふけってしまい立ち止まっていたらしく、シェリカが不思議そうに覗きこんでたが、頭を振って答える。
「とっとと報告済ませよう」
シェリカは「うん!」と頷くと、俺の腕を掴んで先導していく。引っ張る力は魔術士にしては強く、俺は為されるがまま引きずられるようについていった。
広大な敷地を持つ学園の大通りは、昼下がりでも人通りが多い。巨大な武具を背負った大柄の生徒や、身軽そうな装備に身を包む生徒にフードのついたローブにずっぽりと身を包むいかにも魔術士然とした生徒とすれ違う生徒は幅広く、その誰もが忙しなく動いている。
「ねぇフィーロ、あれ」と、不意にシェリカがどこぞへと指をさす。
「なんだ?」
「あの人って何学科なんだろ」
シェリカが指さす方へと目を向けると、ゴツゴツした武具というよりも岩のような、それでいて機械的な造りをした武器を背中に背負う生徒がいた。というか、その巨体の方が気になるだろ。なんだあの筋骨隆々。十代の身体つきじゃねぇだろ。
「なんだろうな……っつーか指差すのやめんさい。失礼だぞ。ほら睨まれてるから」
ひそひそと話していたのがバレたようで、横目で睨みつけられ、慌てて会釈をしたが無視された。怖い。超怖い。あれこそ冒険者養成校通う必要あんのかよ。どう見ても歴戦の戦士じゃねぇか。
「いきなり睨みつけるとか失礼ね、あの人」
「いやお前が指差すからだ。絡まれるかと思った……」
「絡んできたらあたしが蹴散らすわ」
どんな時もどんな相手にも売り言葉に買い言葉というか、反射的に応戦する構えを取るその姿勢はたくましいとは思うが、巻き込まれるのは俺なので自重して頂きたい。
「それにしても大きい武器だな……細長いし槍かな。たぶん槍術士学科だろうな」
「あの身体で遠くからチクチクするのね」
「違うだろ。うちにも槍使いはいるけど、そんなチクチクはしてねぇだろ」
「でもネチネチはしてるわ」
「いやだから……」
「あ、あの人何学科かしら」
聞けよ。
シェリカの興味はまた別の生徒に移ったらしく、俺の話もどこかへと消えていってしまった。まぁ、とはいえシェリカの気持ちも分からなくはない。人通りも多いし、いろんな装備に身を包む他の冒険者を見ていると、なんの学科を専攻しているのだろうとか、少しは人間観察をしたくなる。
ローズベル学園はやはり学び舎らしく、五つの学部が設立されている。入学を希望する際、学生は学部を選択することとなる。近接戦闘学部、中距離戦闘学部、遠距離戦闘学部、魔術戦闘学部、特殊戦闘学部の五つだ。ローズベル学園の教育方針は集団における戦闘としているため、学部ごとの座学や講習などで戦闘時の位置取りなど教わる内容も変わる。
そして次に学科を選択する。さらに細かい役割分担のために分類されたものが学科である。数は多く、最初から設けられているものもあるが、新たに新設されたり、消えたりするため学科の総数は毎年変動している。例えば近接戦闘学部、略して近戦学部でメジャーな学科といえば、戦士学科や剣士学科といったような具合である。学科にあまりに沿わない戦い方は認められないが、とはいえ冒険者の世界は勝ってなんぼの世界である以上、極端でない限りはそこまで咎められることはない。戦士学科の生徒は基本的に剣や斧を使うが、中には槍を併用する者もいたりする。個人の特徴を押し潰すのは学園の本意ではないだろうし、そのくらいなら問題にはならない。
それでもやはり判別の難しい戦い方をする生徒もいる。特殊な技能を用いたり、搦手や、多種範囲だったりと、そういう生徒は特戦学部に放り込まれることが多い。まぁ、なんにせよ学園側の言い分は「教わることはどの学科もだいたい同じ」とのことなので、それっぽいところに入ればいいんだろう。
学園だって知識と経験さえ植え付けて結果を出してくれればなんだっていいだろうし、細かなところはあまり気にしない。その大雑把さはさすが冒険者の学校だと言える。悪く言えば脳筋思考。
フィーロは近戦学部の剣士学科だ。シェリカのように魔術の才能はなく、精々身体を動かすことがそこそこ得意なだけで、その上剣しかろくに振れないとなれば、適正はこれしかない。
言うまでもないが、シェリカは魔戦学部の魔術士学科。弟である俺が言うとなんだか身内贔屓みたいで嫌なんだが、我が姉は自他共に認める天才魔術士だったりする。
まぁ、それは置いといて。
人間観察も程々に切り上げて、フィーロたちは学務局に来ていた。その五階建ての建物には多くの人が出入りを繰り返している。その流れに混じってエントランスを抜けると、すぐに受付の列に並んだ。
学務局で日々生徒に関わりがある管轄は学生課と教務課である。主に学生生活に関わることなどの窓口となるのが学生課で、授業関連の手続きや質問などをする場合は教務課の窓口となる。今フィーロたちが並ぶ列が教務課の受付になる。教務課の業務には依頼の斡旋も含まれるため、訪れる生徒も多く、移動の利便性を考えて建物の一階に設置されている。
依頼は学園から出される課題的なものだけでなく、地元住民や行商人、他の周辺諸国など幅広く、その内容も多岐に渡る。学園が中立国に建設されたのもこういった利点を得るためだという。もちろん、国の依頼に関しては学園側は十二分に精査してからこちらに卸しているので、これまでに良からぬ状況に陥ったことはあまりない。……あまりってことはちょっとはあるってことじゃねぇか。
なんにせよ依頼を請け負うのは授業の一環となっているため、窓口は一本化され、教務課が管理している。そう考えるとここの職員さんたちのワークバランスやばいんじゃないのかな。まぁ、俺が心配することでもないか。
そもそも基本的に授業は入学生の二週間の共通基礎課程や、学部ごとの座学や実践講習などを除けば、ほとんど校外活動となる。学内での試験もあるが、冒険者の実力は実地でこそ発揮されるべきものだということから、活動の功績などに応じて学園規定のポイントを稼ぐことで成績に加算される。学園らしく、一定のラインを越えなければ落第や留年もありうる。
依頼以外にもポイントを稼ぐ手段はあるが、特定の学科にしか出来ないことも多い。大半の生徒が依頼は重要なポイント源としているのが現状だ。お目にかかったことはないが、依頼の難易度によってはそれだけで進級に必要なポイントが手に入るほどものもある。まぁ当然、危険も伴うのだろうが。
という訳で、こうしてフィーロたちも教務課に今回請けた依頼の成功報告をしにきた次第だ。生徒数もさることながら、依頼を受ける生徒も多いので、当然報告順を待つだけでもそれなりに並ぶことになる。「聞いたか、北のカベルネア王国とヌシェーラ共和国が戦争始めたってよ」「まじかよ、山挟んで隣じゃん。こえぇー」「密入国も増えそうだし、あれか最近密猟増えてんのも関係あるのかな」「まぁ、それでこっちに依頼が降りてくるなら儲かっていいんじゃねぇの」「悪だねー」「冒険者の風上にもおけん。パンチだ」「いって。噓だって…やーめーろーよー」などという雑談からの男子のじゃれ合いを後方から眺めつつ、列が進む。そして進むたびに陰鬱としてきた。前に来た時からホントここ来るの嫌なんだよな……。でも報酬だって余程高額な報酬になったり、特殊なものでない限りは学生課で受け取る形になっている。はっきり言って気は進まないけれど、報告しなければ成績は下がるし、報酬も貰えない。やだなぁ。
「ハイハイハーイ♪ 成功報酬の五千テールですよ―――っ☆」
なんせ教務課にはやたらとボルテージの高い受付の女がいるのだ。裏声全開で耳が痛い。怪音波でも出てるんじゃねぇの。つーか最後のは一体なんだ。お前星使いか。こえぇよ。つーかウザい。とにかくウザい。
挙句なんか馴れ馴れしいし。
ちなみにテール貨幣はヴァンクレオールの通貨なので、学校外でも利用できる。他国に行った時などは換金する必要があるので面倒だったりする。フィーロは報酬の入った袋を渡され、それをポケットに突っ込んでから諸々のサインを手早く済ませた。
しかし、ペンを返そうとした手をぎっと握られる。うっそめっちゃ握力強いんですけど。
「ねぇねぇ、フィーロ君いつ暇? 今度お茶しない?」
「しません」
なんで流れるように生徒ナンパしてんの。手を離してください。
いつの間にか名前まで知られてるし。……ああ、書類か。だからって慣れ慣れ過ぎじゃねぇ? 俺この人の名前知らねぇんだけど。
「あぁんっ……! フィーロ君たらストイックぅ~~~」
くねくねと悶える女。ぞっとした。怖い。怖いよこの女。
身の危険を感じたので、手を振りほどくと同時に早々と立ち去ることにした。ほんとやばい。この人やばい怖い。
ちなみにシェリカはエントランスで待たせてある。あいつ、この手のタイプ絶対嫌いだから間違いなくキレる。よかった、英断過ぎるだろ俺。つーか単にキレるだけならまだマシなんだけど、あいつの場合直接手が出ないとも限らない。さっきの骸骨剣士みたく木端微塵にしかねない。
……なんで俺がこんなに気を遣わないといけないのだろうか。
いまいち釈然としない。
◆◆†◆◆
学務局を退散したのはいいが、今度は夕食までの時間をどう潰すかで決めあぐねていた。懐から懐中時計を取り出して見れば、夕飯までには幾分の時間がある。今日の講義はどこも終了しているし、単位稼ぎも出来ない。
つーか何をするかは、個人的には決まってるんだ。俺としては即刻寮の自室でくつろぎたい。布団に潜って眠りたい。もうね、なんか色々と疲れた。体力っていうより精神的に。
しかしシェリカはやれ購買部に行きたいだの小腹が空いただの文句を連発する。魔力だけじゃなくて活力も奪っていったのかしらんが、この女は疲れというものを知らんのだろうか。あんなけ魔術をぶっ放していたのにピンピンしている。
先ほど帰り道で発した自身の「なんか奢ってやる」という発言を取り消せるものなら取り消したい。なんなら少し前の自分を殴り飛ばしたい。おかげでこちらの意志はすでに棄却されてしまった。
「パフェが食べたいわ」
だからシェリカのそんな要望も簡単に通っちゃうんですよね。
わぁ、理不尽。
「夕飯入らなくなるぞ」
「別腹よ」
毅然と言い放たれてしまって、俺は二の句が継げなかった。ほんとに胃袋二つくらいありそうだよな、こいつ。
「でもケーキも捨てがたいわ……」
変わんねぇよ。
女の子的には違うのか、シェリカは唸りながら悩んでいた。
さっきまで高笑いして敵を屠っていた姿が想像できないくらいには大人しい。腹が減ってくるとこんな感じで大人しくなる。野生動物かよ。
ちなみにシェリカの空腹による機嫌の変化には段階があって、第一段階は今みたいに大人しい。そして第二段階になると言葉数が減って喋らなくなる。最終段階になると、その場に転がってしばらく喚き散らしたり暴れたりしてから完全に大人しくなる。
要するにただの駄々っ子だ。
「決まったか?」
「うん。パフェにするわ」
長考するかと思ったが、決断は早かった。なんなら夕飯まで悩んでくれててよかったのになぁ。金かかんないし。
「んじゃ行くか」
しかし毎度ながら手のかかる姉だ。だけどまぁそれも歳月が経つにつれ随分と慣れた。それに、俺たちは唯一血を分けた姉弟だ。それなりに面倒もあるもんだ。
……などと諦めてしまえば気持ちも楽だ。
そんなことを考えながら、まるで猛獣使いにでもなったつもりで猛じゅ……じゃねぇや、シェリカを連れてやって来たのは学内喫茶店。
学内喫茶店にとどまらず学園内の施設は、学生寮で暮らす全生徒のためにかなり充実している。
ここ、カフェ・グランチェもその一つである。
喫茶店は校内に四つ店舗が存在する。どの店も長年の熾烈な競合店争いを勝ち抜いてきた猛者らしいが、その中でもグランチェのスイーツは最高に美味いという。俺は甘いのが苦手なんでこういったものはよく知らないし興味もない。でもシェリカが年頃の女子らしくというかなんというか、極度の甘党なんで何故か好きでもないスイーツに詳しくなってしまいつつあった。
こうしてみると、本当に顔以外はつくづく何も似ていない双子であるとフィーロは思う。自身の金色の髪を指でつまんで捻った。花緑青の双眸の先で、シェリカはショーウインドウの食品サンプルを爛々とした表情で眺めていた。
「それ、食べられないぞ?」
「分かってるわよそんなこと」
ならその口から垂れてる涎はなんですかね。
これ以上は待ちきれない様子のシェリカは、とことこと出入り口へ駆けるように飛び込んでいった。
溜め息をこぼしながらも、それに続く形でフィーロがグランチェに入店するや否や、もったりとした甘い香りが鼻腔を撫でた。店内はふわふわぽわぽわした感じのメルヘンチックな装飾が出迎えてくれた。いかにも女の子が好きそう。ただの偏見ですね。
扉につけられた可愛らしい鈴が揺れて、店内にその音色が響き渡ると、こちらの入店に気付いた女の子たちからのいらっしゃいませの大合唱。ちょっとたじろいでしまう勢いだ。うーん、歓迎ってより威嚇の間違いじゃないのかな。入っていいのだろうか。場違いではなかろうか。俺ちょっと怖くなってきた。浮いてない? これ浮いてないよね?
そういえば学園には就労制度があって、学生課で申請すれば、学園内の施設でアルバイトが出来るのだとか。一応、これも少しだがポイント源らしい。面倒だしやる気もないので、よくは知らないが。
「いらっしゃいませっ! ってアレっ? フィ、フィーロ君!?」
「あ、ユーリ……」
ここで思わぬ人に会ってしまった。
艶のある茶色い髪。あどけなさが残るものの、その端正な顔立ちは普通に美少女。ピンク基調のウェイトレス姿に身を包んでおり、全体的に小柄ながらもそれにより一部が強調されている。どことは言わない。俺はピュアだから。
彼女はユーリという。
俺の仲間だ。
今日は用事があると言っていたが、まさかアルバイトだったとは。ここで働いてるとか初めて知ったわ。
うむ、しかしこれは……。
フィーロはまじまじと眺めてしまっていた。なかなかどうして、かなり似合っていたのだ。フィーロも男の子だ。他の男子同様、可愛いらしい女子には目を引かれる。そもそもユーリは一年でもかなり上位の美少女だ。そんな彼女がウェイトレス衣装を着て似合わないわけない。超可愛い。なんか癒された。
「そ、そんなに見つめられると……」
ユーリはスカートの裾を押さえてもじもじしている。顔も、耳まで赤い。似合っているんだから、そこまで照れる必要はないように思えるんだけどな。まぁ、そりゃ不躾にじろじろ見ていたら恥ずかしさもあるか。失礼だろうし。
「ごめん。とても似合――」
っていたから、と言おうとしたが、横から迫り来る殺意の塊に気付き首を後ろに引く。それと同時に鼻先をフォークが掠めていった。
そのままフォークは壁に突き刺さり、ブォンブォン奮えていた。一歩間違えれば大参事なこの状況に戦慄を覚える。
「ちっ」
あからさまにこちらへ聞こえるように放たれた舌打ちを聞き、フォークが飛んできた方に視線を送る。そこには猫耳と尻尾を不機嫌そうに逆立てている少女が仁王立ちしていた。
ユーリと同じ服を着ているが、若干こちらのスカートの方が短いか。ユーリと違いつつましやかであるが、手足はすらっとしていてモデルのような佇まいだ。その形相だけなんとかしてくれれば美人で通る。ついでにその猫耳と尻尾は彼女の自前だ。
「あ、危ないだろうがモニカ……いくらフォークでも刺さったら大怪我なんだけど?」
「じゃあ死ね。ユーリをいやらしい目で見るケダモノは死ね」
「見てねーいたっ! いたたっ! ちょっ……! いたっ!」
隣にいたシェリカが無言で脛をげしげし蹴ってきた。おい、なんでだ。なんで俺が蹴られなくちゃいけないんだ。つーか無言で蹴らないで。マジで怖いんですが。罵倒しながら蹴ってくれたほうがまだマシだから。いやそれも嫌だけど。そもそも何怒ってんの。
「ふ、二人とも喧嘩はダメですよぅ」
半泣きのユーリ。いやなんでユーリが泣くんだ。この状況で一番泣きたいのは俺の方です。だいたい、喧嘩どころかこの二人に睨まれてるの俺だかんね。逃げ場のない空間で一方には凄まれ、一方には蹴られているこの状況一体なんなの。どうして俺はチームメイトからこんな仕打ちを受けなくちゃいけないのだろう。
ホントなんで奢るなんて言ってしまったんだ。
もっと言葉は慎重に選ぶべきだった。
迂闊な一言でひどい目に遭うと理解しただけでも学びとするべきなのか。なんだろ全然嬉しくないんだけど。どう考えても授業料が吊り合ってねぇよ。
とりあえず、このいかんともしがたい事態が収束するのに、およそ二十分は要した。他の客に呼ばれ、モニカがこの場を離れたのと同時に、シェリカも空腹に耐えかねたのか、俺を蹴るのをやめた。フォークを突き立てられた頬はチクチクとするし、ほぼフルタイムで蹴られたせいで、足も超痛い。青タンになってる気がする。もう泣いちゃいそうだ。
ちなみにユーリは終始オドオドしていた。いや仕事しろよ。
入店からようやく席につけて、一息つく。隣では機嫌は治っていないらしい、ぶすーっとした表情のままのシェリカが、メニューから食べたいものを選んだらしく、モニカを睨みながら注文する。対するモニカもおおよそ店員とは思えない態度でふんと鼻を鳴らして厨房に向かっていった。この席だけ一触即発な雰囲気をまとっていて、すでにただならぬ気配を察知した周囲の客は退避し始めていた。懸命な判断だとは思うが、せめて俺を救出してください。
「あたし、アイツら嫌いよ」
シェリカがおもむろに悪態を吐いた。
「同じクランの仲間なんだからさぁ……」
「あたしは認めてないわ」
ぷい、と顔を背けるシェリカ。
「……あ、はい」
いやはやクランとしての結束が揺るぎかねない一言だ……と思ったけど、結成してから一度も仲良さそうな雰囲気はなかったな。ならいいか。平常運転だ。いや全然よくないね。クランの根底から揺らいでるね。むしろ瓦解してるまである。
これでなんだかんだ何度か校外での実地訓練とかやってるからいっそ恐ろしい。いつか後ろから刺されそうだ。安心と信頼は何処へ家出してしまったのだろうか。
クランというのは、冒険者同士が組む集団を指す。冒険者は世界各国にいるが、彼らもそれなりに拠点となる場所が必要だった。そのため、まずは各国主体で冒険者のためのギルドが設立された。ギルドは冒険者たちの相互扶助のためにある組織で、冒険者は拠点とする国のギルドに自分の名前を登録する。これで初めて「その国の冒険者ギルド所属の冒険者」として認められる。だが、それはあくまでその国に籍を置くということでしかない。
なので冒険者はギルドとは別に仲間で集まることを覚えた。同じ夢を追う者、ただ気に合うもの、そうやってそれぞれの事情で好きに集まる一つの集団。それがクランの始まりだ。
クラン制度を導入しているあたり、冒険者養成校は学生のためのギルドと言って差し支えないだろう。世界にはギルドや国に影響を与えるほどの大規模なクランも存在するが、まぁ、とはいえ学園で一つのクランの勢力が拡大して、大きな力を持ってしまうのも望ましくはない、というのが学園の意向らしく、出来るだけ多くの生徒が活躍の場を持てるよう、クラン結成条件は四人以上十二人以下が原則となっている。ただし、二つ以上のクランが結ぶ同盟は認められている。他のクランとの相互補助は大きな依頼を行うには必要になるし、卒業後そういった交渉術なども求めらるようになるので、まぁ悪いことではなかろう。
ただ学園はクランの設立を推奨すれど、しかし必ずクランを作らなくてはいけないという校則はないため、ソロ、タッグ、トリオのような少人数志向の冒険者も少なくはない。安全性を求めるならクランは作るに越したことはないが、フィーロの場合は安全なはずのクランの仲間から攻撃を受けている。おかしい。
「お待たせしましたっ」
モニカと似たウェイトレス姿の店員が、晴れやかな声色でテーブルに花瓶みたいなものを置いた。重量を感じさせる、鈍い音がテーブルに響いた。
透明な容器ゆえに見えてくる、ぎっしりと詰まった果物やクリームなどから、ああこれ超甘いんだろうなという感想が浮かんだ。
「なんこれ」
「スーパーガールズコズミックミックススペシャルパフェ」
なんだその最終奥義みたいな名前のパフェは。こんなんパフェじゃねぇよ。ホールケーキでもここまでのボリュームねぇぞ。オイオイ値段もコズミックじゃねぇか。つーかコズミックってなんだよ。宇宙? つーかむしろ混沌だろ。ここまでくるともはや甘味の暴力だよ。
満面の笑みを浮かべて、早速シェリカはそれをパクパクと平らげていく。細いくせに飯はよく食う。いっそパフェよりシェリカの胃袋が宇宙だと思う。
これで夕飯も食べるんだから、我が姉ながら引くわ。
離れた場所からこちらを睨んでいたモニカですら、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。今、この瞬間だけは彼女とわかり合えた気がする。
なんでか全然嬉しくなかった。そりゃ、こんなクソくだらない内容で初めて、しかも一方的に共感を得ただけというのが切ないわ。
痛む頭を抑えて、溜め息を堪えていると、小さい悲鳴と陶器の割れる音が響く。またか。犯人は見るまでもなくユーリで、彼女はすでに俺が注文したコーヒーをすでに三度転んで零していたりする。絶賛四度目の挑戦に失敗し、隅の方で落ち込んでいた。いや、だから、落ち込みたいのは俺の方だ。つーか早く片付けなさい。
いっそ誰か代わりに持って来いよ。
なんでかたくなにユーリを使うんだよ。
ユーリの同僚らしい他の店員は「もうちょっと待ってあげて!」とか「悪気はないのよ、悪気は!」などと、俺へのフォローをそっちのけでユーリの保護に回っているため、そんなことを言うことすらはばかられる。こちらから直接取りに行こうにも厨房前をモニカが封鎖してるから近寄りたくない。今度はナイフが飛んできそうだから。手に持ってるし。というかなんで持ってるの。
「……はぁ」
堪えきれず、溜め息が溢れる。
「ほうひはほ?」
「食うか喋るかどっちかにしなさいな」
黙って食べることにしたらしい。なんだこいつ。
しかし俺のコーヒーはいつ来るんだろう。
せめて怒涛の勢いでパフェを平らげているシェリカがおかわりを言いかねないうちに持ってきてほしいものだ。
◆◆†◆◆
見上げた空は暗いが、幸いにして雲もなく美しい星空が広がっていた。懐中時計を開いてみると、短針は十時に差しかかる少し前となっていた。
生徒たちの修練場となっている学園東区の第二グラウンド。その一画に備えられたベンチに、フィーロはシェリカとともにひっそりと腰掛けていた。シェリカは満足気な表情だが、対するフィーロはげっそりしていた。
シェリカにパフェを奢ったまではまだいい。何故かちょうどバイトが上がりの時間だったユーリやモニカも加えて全員に夕飯まで奢ることとなったのは理解ができない。
元はユーリからのお誘いだったし、最後まで彼女だけは自分で払おうとしていた。横槍を入れてきたのはモニカだ。店のフォークをそのまま持ち歩いているらしく、背後から脅され敢え無く全員分支払うこととなった。集りにしては悪徳が過ぎるのではなかろうか。
お陰でフィーロの今日貰った報酬は水泡と化した。報酬自体はこれといって使い道はなかったけれど、まさかこんな消え方をするとは思いもよらなかった。
両手に花という言葉があった気がするが、毒刺のある花を愛でられるほど俺の器はでかくない。なので素直に喜べるわけでもないし、支払った金額分の見返りなどあろうはずがなかった。
シェリカと話せばユーリが入り込んでくるし、ユーリと話せばシェリカに蹴られるし、モニカに脇腹をナイフで突かれた。そもそもモニカは俺に「死ね」としか言わない。
なんだったんだろう、あれは。地獄の一種だろうか。
「はぁ……」
「溜め息が多いわね、今日は」
誰のせいだと思ってるんですかね。
まるで自分のせいとも思っていない様子のシェリカに、何か言う気も失せてしまった。毒気が抜かれたというよりは、精気が削がれたという方が正しい。
「疲れたからな」
嘘偽りない答えだったが、諸悪の根源は「そうなの」とさして興味もなさ気に俺の言葉を聞き流した。ぶん殴りたい、この横顔。
ユーリとモニカは先に女子寮に帰っていった。ユーリは最後まで申し訳無さそうにしていたが、悟りを開いたかのような諦観の姿勢を貫くフィーロにとっては、焼け石に水であった。
そしてシェリカはまだ帰らないと言い張り、駄々をこねるので、フィーロも結局それに付き合わされている次第だ。
第二グラウンドの使用は許可制なうえ、時間帯も相まってかやはり人通りも少ない。明かりも消灯されていて、月明かりだけがこの場を照らす光だ。が、それが幻想的かといえば別段そういったことは一切なく、むしろ草木が擦れる不気味な音色が静けさの中に響くので、妙に落ち着かない気分になる。
どこでもそうなのか知らないが、学園は噂の絶えない場所で、どこから出回ったのか七不思議なんてものも存在する。確かその一つに、この第二グラウンドでは死んだ生徒の幽霊が出るとかいったものがあった。ダンジョンとかで飽きる程見れるっていうのに今更そんなの怖がる奴はいるのだろうか。ははっ! 馬鹿馬鹿しいぜっ!
「なんで震えてんの?」
「武者震い」適当こきすぎた。
「寒いの?」
「そんなところ」
初夏とは思えぬ肌寒さだな、まったく。
決してびびっているわけではない。
たかだか噂に踊らされるほど俺は愚かじゃない。
単に冷えるだけだ。
「なぁ、そろそろ帰らないか?」
「えー嫌よ」
即答だった。
二言目には「あたしといるのがやなの?」とか面倒くさいことこの上ない台詞が出てくることは必至なので、諦めて仕方ないのでしばらくじっとしていた。
「なによ、あたしといるのが嫌なわけ?」
ホントに来たよ。面倒くさい彼女かお前は。
「そんなんじゃない。ただ……」
いい加減相手するのが面倒だから帰りたいのだが、直接言えばどんな目に遭うかは想像に固くないだろう。そう、面倒なのだ。断じて怖いわけではない。
「まだ暗いところ怖いのね、フィーロは」
「そそそそんなんじゃないやい!」
シェリカはふふ、と笑う。何その分かってます感全然違うから。
謎の慈愛に満ちた視線き居たたまれなくて、誤魔化すようにフィーロは空を見上げた。
空には二つの月が燦然と輝いている。綺麗な満月だ。ああ、そういえばそうか、今夜は満月なのか。
紅く煌めく月と金色の光を宿す月。
かつて、古代に生きた人々はあの月が宿していると信じていたらしい。曰く、紅の月は厄災を秘めた魔神の瞳。曰く、金色の月は万象を支配する精霊の王の心臓。
紅禍月と黄厳月。
あるいは、《禍つ月》と《厳つ月》。
相成す二つの月は、かつてそう呼ばれていた。
古いお伽話だ。俺にはただの二色の球体にしか見えん。あれに何かを祈るくらいなら、散財を間逃れた残りのお金に祈りを捧げる。どうかしばらく留まってくれ。
ふと、肩に触れるものを感じて視線を落とすと、シェリカの頭が乗っていた。静かな寝息が耳に届く。何寝てんだコイツ。
つーかもうここいたくないんですけど。帰りたいんですけど。
もう正直に言いいます。
怖いです。
なんか知らんが暗いとこは嫌いなんだよ。
なまじ人から離れた場所にいるから余計に怖い。
俺の気持ちなどつゆ知らず、シェリカは依然として規則正しい寝息をたてている。鼻をつまんでやりたい衝動に駆られる。
そもそも、これが他の女の子だったならと思わずにはいられない。馬鹿姉相手にそんな感情は毛ほども湧かない。残念なことだ。なんで隣りにいるのがこいつなんだ。なんか腹立ってきた。というわけで起こすことにした。
「起きろよシェリカ」
鼻をつまんでやった。
シェリカは「ふが」という変な声を出したかと思うと、ボディーブローが返してきた。回避不能の一撃に、「ぐふっ」とさすがに呻く。実はコイツ起きてんじゃねえのか。
シェリカは昔から俺を枕にする癖がある。ことあるごとにもたれかかる。故郷にいた頃には、そのせいで何度も近所のおばさんたちから「あら~今日も仲が良いわね~」などとふざけた事を言われた。良くねーよ。声を大にしていいたかったけど、どうせ言ったところで通じなかっただろう。それくらい一緒にいたから。
にしても俺はいつまでこうしてればいいんだろうか。どうせ文句言ってもこのまま寝たフリ続けて聞いちゃくれねぇんだろうな。
仕方ねーか。
肩を揺らさないように、ゆっくりともう一度空を見上げてみた。こうして落ち着いて空を見るのも久しぶりな気がする。考えてみれば、入学からここまで忙しなかった。
改めて見上げる月は美しく、少しだけ、ほんの少しだが、今日の疲れを癒やしてくれた。
一瞬、肩に乗ったシェリカの頭が動くのを感じた。起きたかなと横目で見てみたら、眠ったままだった。よくもまあこんな寝辛そうな体勢で眠れるな、と感心しつつも、実はフィーロもどこでも寝られる体質だっだりする。双子らしいかはともかく、数少ない共通点だろう。
どうやらまだ動けそうもない。なんとなく馬鹿姉の前髪を指で梳いて、フィーロは本日最大の溜め息をもらした。
今日は散々な一日だった。




