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すばらしきかなこの世界  作者: 蝉時雨
第一章 クランコンテスト編
19/54

第一章(18) 女難な男

◆Firo◆


 翌朝。

 クランコンテスト二日目。

 今日はリーグ戦の残りの五試合と、次の日の抽選会だ。タイムテーブルを信じるなら、試合の開始時間は一日目と同時刻。昨日とは違い長い抽選がないため、召集は小一時間ほどずらされていた。

 よってフィーロは気持ち良く寝坊しようと考えていたのだが、

「起きろ馬鹿」

 ガス、と殴られ強制的に意識を夢の世界から現実へと引き戻させられた。犯人は言うまでもなくガナッシュだ。けったクソ悪い。寝かせろよ。せめてもの反抗心で、もう一度毛布を被った。

「起・き・ろ」

「ぐっ、ごっ、でっ」

 痛い。

 何も三度も殴らなくてもいいじゃないか。悪魔かコイツ。

 これ以上の抵抗は自分の寿命を縮めるだけだ。フィーロはのそのそと起き上がり、寝呆け眼を擦った。「……んだよ、もうちょい寝かせろよ……」文句を垂れ流す。

「馬鹿。寝起きで体が動くわけないだろ。少し運動するから手伝え、フィーロ」

「わーん、シスコンがいぢめるー」

「本気で殺してやろうか」

 目がマジだった。シスコンというとダメらしい。シスコンのくせに。

「……解ったよ」

 観念したフィーロは、しぶしぶベッドから降りた。首を回し、身体を伸ばして解す。ポキポキと景気のいい音が鳴った。体が少し軽くなるのを感じる。

「んじゃ行くか」

 立て掛けてあった片手剣を手に取り、部屋を後にした。


 校庭で剣戟の音が響き渡っていた。言うまでもなくフィーロとガナッシュである。

 袈裟斬りに放たれたガナッシュの斬撃をバックステップで回避する。しかし追撃され、返す力で真横に一閃。すかさず片手剣を立てて防御した。金属のぶつかり合う乾いた音が響き、剣は空中へ放り出される。さらに追い打ちを掛けるように縦の重たい一撃が放たれる。態勢が崩された状態でそれを回避しようとしたが、失敗。敢えなく後向きに転ぶ。

 尻餅をついたところで、喉元に太刀の切っ先が突き付けられた。まさに勝負ありの状況。ザン、という音が背後からした。ちらと後方の地面に綺麗に突き刺さった剣を一瞥し、視線を戻したフィーロは苦笑いをしてガナッシュを見上げた。

「……降参」

 そう言うと、太刀が引かれた。ガナッシュは不機嫌そうな顔でフィーロを見下ろす。

「……もう少し本気でやれ」

「本気だって。……大体、首席とビリが釣り合うわけないだろ」

 物は考えて言えよ、キミ。

「お前は……はあ」

 諦めた表情を漏らしながら太刀を鞘に収める。フィーロも立ち上がり、剣を取りに向かう。突き立てられたそれを引っ込抜き、付着した砂を振って払いチン、と音をたてて鞘に収める。

 ついでに、お尻も軽くはたいておく。同時にぐー、とお腹が鳴った。フィーロは懐中時計を取り出し時間を確かめた。もう朝食時であろう。

「腹減ったなぁ。ガナッシュ、朝飯行こう」

「……そうだな」

 それほど激しく動いたわけではないのに、ガナッシュは疲れ切った顔をしていた。


◆◆†◆◆


 一旦部屋に戻り、シャワーを浴びることにした。ガナッシュに先に使うか聞いたが、それほど汗を掻いたわけじゃないからいい、と断られた。こういうところは無頓着な奴である。それでもモテるから恨めしい。

 フィーロは上の服を脱いでベッドの上に放った。ズボンに手を掛けたところではたとその手を止めた。――視線を感じる。まさか、変態レイジか。フィーロはバスルームの扉を蹴り開けた。

 しかし、あまりに予想外のものが目に入った。フィーロの体反応硬直した。

「な……何でいるんだっ!?」

 お湯の張られていないバスタブの中に、大きなタオルを巻いただけのクロアがいた。処女雪のように白く極め細やかな肌が覗く。ある種の趣味を持つ者ならば絶景だったかもしれない。

「………デリヘ」

「それ以上は言うな! 俺はそんなもの頼んでいない! そしてお前には羞恥心がないのか!?」

「………ソーププレイならできる」

「いや、意味解んねーから! つーか出ていきなさい!」

「………わかった」

 クロアはバスタブから出ると、そのままバスルームから出ようとした。

「服を着ろォォォッ!」

「………もってきてない」

「嘘ォォォッ!?」

 コイツこの格好でここまで来たのか!? 痴女だ! 痴女がここにいる……!

 ……つか、落ち着け、俺。まずは深呼吸だ。すー……はぁー……すー……、

「どうしたんだ、フィーロ?」

「ぶおっふぉっ!?」

 あっさり取り乱した。

 ガナッシュは、半裸のクロアとフィーロに視線を何度か行き来させた。そして妙に納得顔をした。うんうん、と頷いた。ああ、ガナッシュ。お前は物分かりのいい奴だ。初めて心から感謝するよ。

「ほどほどにな」

 よ過ぎる! 理解力が大気圏突破してる! その微笑が腹立つ!

「深読みしてんじゃねーよ!」

「いや、お前上半身裸だしさ。クロアも半裸だし」

「………いやん」いやん、じゃない。

「俺シャワー浴びるって言ったよな!?」

「ソーププレイか? マニアックだな」

「何で朝からソーププレイ? するわけねーだろ! つーか話噛み合ってねーんだよ!」

「解っている。冗談だ」

 不敵に笑うガナッシュ。ぶっ殺してやりたい。その澄まし顔を苦痛に歪ませたい。切にそう思った。その念を籠めて、フィーロは目一杯ガナッシュを睨んだ。

「……で、クロア」フィーロの睨みは完璧にスルーされた。泣きたくなった。「お前、いつからここに? ボクらが出ていったときは鍵をしたはずなんだが」

「………ピッキング」

「そうか」

 いやいや。そうか、じゃないだろう。それは犯罪だ。誰かそこのお馬鹿に教えてやってくれ。つかクロアって変態レイジより変態かつ盗賊らしいのな。学科変更したらいいのに。変態学科。

「それで、服は?」

「………そこに」指差した先はフィーロの椅子の上だった。「フィーロの服と絡めてある」

「何故に!?」

「………うれしい?」

「悲しいわっ!」

 その行動の意味が解らない。この十五年間の人生で初めてフィーロは宇宙人を見た。というか一応服はあったんだな。まあ、当然か。何を考えているんだ、俺は。

「……ま、服があるならいいや……さっさと着て帰れ」

 げんなりしながらフィーロは扉を指差す。

「………更衣、見たいの?」

「見たくねーよ!」

 嘘吐きました。

 そりゃ、男の子ですから。いくらクロアが幼児体型だったとしても、やっぱり女の子だし。思春期の身としては少しは気になりますけれど。

 でも理性のほうが上回ってます。俺は紳士です。見ませんよ。ええ。勿論です。だから、

「ここで着るなァァァ!」

「………え、そんな」頬を微かに赤らめるクロア。「………はずかしい」

「何でだよ!」

「………野外プレイは……まだちょっと……」

「いや……だから……深読みしてんじゃねぇぇぇ!」

 男子寮にフィーロの叫びが轟いた。


◆◆†◆◆


 クロアをバスルームに突っ込み、服を着させたあと即行で部屋から放り出した。さすがにクロアも部屋に戻っただろう。多分。はっきり言ってあれ以上は勘弁してもらわないと、体力が保たない。

 既にフィーロは体力というか気力を四分の三は奪われていた。くたくたである。

「外で待ってるぞ」

 ガナッシュがそう言ってきたので、ふと時間を見ると、食堂ベルベットはもう混みだす時間帯だった。シャワーを浴びることは叶わないようだ。しかも叫んだせいで、暑い。少し汗を掻いた。最悪である。

「……デオドラント使うか」

 タオルで体を拭き、デオドラントスプレーを使った。あまり好きではないのだが、仕方がない。白い霧が煙たいので、顔をしかめながら掛ける。

 スプレー缶をベッドに放る。整理は戻ってからでいいだろう。フィーロはクローゼットの引き出しを開けた。綺麗に畳まれたシャツが陳列している。

 一応、ローズベル学園には制服はあることにはあるのだが、必ずしも着なくてはならないわけではない。着用義務があるのは式典の時くらいだろう。そもそも、探索にブレザーなんか着ていく奴は馬鹿である。まあ、学園の制服はoMoというブランドが一手に引き受けていて、防刃や対衝撃素材を使っているから全く使えないわけではないのだが。

 それでも学園の制服を律儀に着ている奴はフィーロの知り合いではクロアとモランくらいだ。他は生徒会役員と風紀委員か。

 というわけで、フィーロは適当に掴み取ったから薄手の黒いアンダーシャツと、白いカラーシャツを着て、部屋から出た。

 ガナッシュは扉のすぐ横で壁に持たれ掛かっていた。

「早かったな。シャワーはしなかったのか?」

「そんな余裕あるか?」

「ないな」

「んじゃ行こう」

 フィーロとガナッシュは歩きだした。


 予想通りだ。

 第一食堂ベルベットは既に混雑していた。さっさと取りに行かないと、ソースさえ取れない。食いっぱぐれるだろう。いい加減、アホみたいに高い食堂とバカみたいに辛い食堂を造る前に、学園側ももう一つくらいまともな食堂を作ってもらいたい。

 カフェはあるのに、料理店規模の施設はないローズベル学園。今、格安で美味い店を展開すれば儲かるんじゃないだろうか。フィーロはそんなことを考えた。もっとも、やるかどうかと聞かれれば首を横に振るが。だって面倒臭い。

「何やってる、早く行くぞ」

 下らない考え事をしていたら、立ち止まっていたらしい。ガナッシュに呼び掛けられた。「あ、ああ。すまない」フィーロは小走りで駆け寄った。

 もみくちゃになっている人混みの中に向かおうとしたら、シェリカとモランの姿が目に入った。向こうも気付いたらしく、フィーロと目が合う。何が嬉しいのか、シェリカの顔が笑顔になった。その表情を保ったまま、彼女はこちらに向かってきた。

「おはようフィー」

「おっ、フィーロ君おはよーっ」

 背後から誰かに肩を叩かれた。びっくりして振り返ると、向日葵のようなスマイルを振り撒く生徒会長リリーナの姿があった。

「お、おはようございます」

「かったいなぁー。もっとフランクリーにいこうよっ」

「はあ……」

 朝から元気な人だ。遠目に見ているなら面白いが、相手をするとなると疲れる。特に、既に体力を使い果たしかけのフィーロには辛いものがあった。

「何だフィーロ。お前、生徒会長と知り合いだったのか?」

 ガナッシュが尋ねてきた。ありのままを話すのも面倒臭いと、お茶を濁した感じに返す。

「昨日、ちょっとな……」

「フィーロ……」背後から冷気を感じた。視線がチクチク刺さる。もはや針だ。氷の針が底冷えする空気の中でフィーロを突き刺しまくっていた。「昨日ちょっと……なに?」

 ぜんまいが切れかけた人形のようにゆっくり後ろを見ると、にっこり笑ったシェリカがいた。目は笑っていない。翡翠色の瞳は明らかな冷気を帯びていた。

「ちょっと……なぁに?」

 再度問い掛けてくるシェリカ。滅茶苦茶怖い。般若が見えた。

「う……いや……その……」

 後退りしながらフィーロはなんとか言い訳を考えた。だが、貧相な語彙は上手い言葉を吐き出してはくれなかった。歯切れ悪い声を漏らす。

 というか、自分は何故言い訳を考えているんだろう。本能的にヤバイと感じただけだ。だけど、何でヤバイのだろう。その時点で言い訳など浮かんでくるはずもないのだ。

「昨日一緒にお昼食べたんだよねー?」

 そんなことを言うリリーナはその空気に気付いていないのか、それとも気付いていてわざとやっているのか。後者だとしたら、この人は近年稀に見る悪女だと思う。

「お昼……それ、本当なのフィーロ?」

「……うん」

 ああ、ようやっと解った。俺は昨日嘘を吐いていたことに言い訳しようとしていたんだ。いや、厳密には嘘じゃなくて隠し事なんだが。

 もうどうせ違うとは言えない。ならさっさと自白してしまえとフィーロは開き直った。気分は下降気味だが。

「そう……」

 シェリカは俯いた。ゆらりとオーラ的なモノが揺らめいた。殺気とか、覇気とかそういう類のモノだと直感すると同時に、フィーロは死を覚悟した。少なくとも骨の二、三本は折られるかもしれない。

 シェリカが顔を上げた。フィーロは頭を抱え、思わず目を閉じた。完全防御態勢だった。なんとも情けない格好である。

 フィーロはどっからでも掛かってこいと言わんばかりの後ろ向きなファイティングポーズでじっとしたが、シェリカからの攻撃は来なかった。目を開けると、シェリカは睨んでいた。悲鳴が出そうになったが、堪えた。

 もう一つ言えばシェリカはフィーロを睨んでいなかった。その隣、リリーナを睨んでいた。フィーロはそれでも怖かった。余波だけで震えるさせるシェリカは鬼神の化身かもしれない。

「シェリカちゃん。そろそろ食べないと遅れるよ?」

 救いの女神よろしくモランがシェリカに料理の乗った盆を二つ持ちながら言ってきた。まさかこの娘、シェリカの分まで取ってきたのか。どこまで優しいんだ。

「モラン……ごめん。あたしやることできたから」

「え?」

「それ、取ってもらって悪いけど、処分しといて」

 それは失礼じゃないか? 厚意を無下にするなんて。鬼か、お前は。

 しかしながら身勝手な姉は、気にするふうもなくフィーロたちの横を通り過ぎていった。

「……フィーロは……渡さないんだから……」

 通り間際にシェリカが何かを呟いていたが、フィーロには聞こえなかった。ただ、リリーナは目を見開いてシェリカの後ろ姿を見つめていた。

「シェリカちゃん……こんなのって……」

 取り残されたモランが悲しそうな顔をしていた。そりゃそうだ。せっかくシェリカの好物ばかり集めてくれてるのに(というか、モランは何故シェリカの好物をこうも熟知しているのだろう)。

「モラン……」

 フィーロは礼儀方面が不出来な姉に代わって謝っておこうとした。モランは尚も手に持った二つの盆に目を落としている。

「こんなの……全部食べるなんて無理だよ……太っちゃうよ……」

「……」

 この娘は本当にいい娘だとフィーロは思った。


◆◆†◆◆


 フィーロはモランに五百テール渡し、二つの盆のうち一つを貰うことにした。もう陳列した料理はすべて他の生徒の原の中だったのだ。モランはホッとした表情で快く明け渡してくれた。

 ガナッシュはと言えば、あれは当の昔に自分の料理だけ取って席に座ってこちらを傍観していた。アイツはもう少しモランを見習ったほうがいい。もしくは死ね。

 リリーナは飲み物を取りに来ていただけらしく、シェリカが去ったあとにオレンジジュース(果汁100%)をコップに注いでから、友人のもとに帰っていった。

 ガナッシュの座っている席に向かうと、一年生の女子生徒たちに囲まれていた。「合席……駄目ですか?」どうやら彼女らは合席したいらしい。

「いや……連れがいるんだ」ガナッシュはこちらに視線を送ってきた。フィーロはこれは復讐の刻だとほくそ笑んだ。

「モラン。ガナッシュの席は混んでるから別の場所行こう」

「……なっ!」

「うん、いいよ」

「待てフィーロ!」

「悪いな、ガナッシュ。俺たちは別の場所で食うから。えー……他の場所は……と」

「待て! おい!」

「あ、あそこ空いてるよ?」

「お、じゃあ行くか」

「無視かぁぁぁっ!」

 ざまあみろ。


「クソ……」

「いいじゃないか。女の子に囲まれてさ」

「相手するのが面倒だろう」

「はっはっはっ死ねば?」

 フィーロとガナッシュは食事のあとモランと別れたのち、そんな軽口を叩きながら自室に向かった。クランコンテストの準備のためだ。

 今日は三回戦と四回戦。カタハネは初っぱな――第一試合だ。相手は《リトルリップ》。確かアンセムスターと同じタイプのクランだったはずだ。要するに女性だけのクランだということだ。

「ガナッシュ。リトルリップの情報って知ってるか?」

 部屋に着いたフィーロは、腰に剣帯を巻きながら聞いた。

「さあ。よく知らない。CL(クランレベル)は確か3だ。まあ、勝てるだろう」

「ふうん」

「お前から聞いてきたのに何だそれは」

「いや、慢心はどうだろうと思ってな」

「慢心じゃない。事実だ。アンセムスターにも負けるクランだ。そう強くはない」

「アンセムスターは弱くないぞ?」

「確かに個々のスキルは高い。が、あれは元々トリオだったんだ。あの三人の連携を止めれば問題はない。急造クランの連携など所詮その程度だ」

「俺たちは急造じゃないのに連携は最悪だぞ?」

「……それはそれ。あれはあれ、だ」

「……」

 逃げやがった。

 ガナッシュはまともに見えるがシスコンだし、意外に考えが浅い。どちらかといえば馬鹿だ。まあ、剣士という存在自体頭を使わない奴が多いから仕方ないっちゃ仕方ないのだが。

「……どっちにしろ、油断だけは禁物だな」

「今日は案外まともなことを言うな、お前」

「俺はいつもまともだ」

 少なくとも、お前よりは。フィーロはその言葉は飲み込んでおくことにした。

「まあ、どうせ最後はみんな同じなんだ。適当にやろうぜ。後衛は俺に任せろ」

「いや、お前は前衛だ」

「嫌だっ! 昨日さんざん働いたんだから解放してくれ! 前は怖いんだよ!」

「だから何で剣士やってるんだ! さっさと行くぞ!」

 ガナッシュは逃げようとしたフィーロの首根っこを捕まえ、引き摺った。そのまま部屋を出た。

「やめろ! 放せ! 嫌だぁぁぁっ……!」

 フィーロの絶叫が男子寮の廊下に谺した。



◆Ganache◆


 運動場には昨日と同じような光景が広がっていた。またガナッシュたちはあの扉の向こうで戦うのだ。既に多くのクランが集まり、士気を高めていた。

 そんな中でガナッシュは深い溜め息を吐いた。

 ――全く。喚く馬鹿を引き摺って連れてきたのはいいが、この馬鹿は悄気て三角座りをしていた。

「何で泣いてるんや……?」

「放っておけ」

「いや、ここはオレが慰めて」

 がし、とクロアがレイジの肩を掴んだ。その目には殺気が零れていた。「………ころす」ポツリと漏らす。

「……えらいすんません」

「それにしても……シェリカさん遅いですね」

 ユーリが言った。確かに遅い。フィーロ曰く、やることができたとか言っていたらしい。それにしてはやけに遅い。

「どうせアホなことやってるのだわ」

 モニカのその意見はなんとなく的を得ているような気がした。シェリカの“やること”など、大概は碌でもないものだ。

「誰がアホですって?」

 噂をすればなんとやら、だ。後ろからシェリカのムスっとした声がした。というか、遅れたことには何も言わないのかこの女は。一言くらいは言っておくべきだとガナッシュは振り返った。

「な……」

 絶句した。

 他の者も皆唖然としている。違うクランの奴も同じような表情だった。

 ついに頭までぶっ壊れたのか(まあ、もともとぶっ壊れているが)、シェリカは驚くべき格好をしていた。

 黒いワンピースに白いエプロン。ヘッドドレスを頭に付けたその姿は紛れもなく――メイド。

 何故なにゆえそのような格好をしているのかは知らないが、取り敢えずコイツは致命的に馬鹿だということだけはガナッシュにも解った。まず戦闘にメイド服で臨む奴は馬鹿以外に呼びようがない。特殊加工されているならまだしも、あれはただのメイド服だ。もはや阿呆だ。

 我に返った馬鹿な男子数人(変態レイジを含む)はシェリカのメイド服姿に「ヒャッホゥゥゥゥ!」と拳を高く上げ叫んでいた。全然我に返れていない。早く戻ってこい、変態レイジ

「シェリカ、なんだその格好は」

「メイド服よ」

 そんなことは解っている。見たら解る。ボクを馬鹿にしているのか?

「そうじゃなくて……ボクが聞きたいのは、何でそんなものを着ているのか、だ」

「兵器よ」

 訳が解らん。ちゃんとした言葉を話せ。メイド服は兵器にはならないぞ。お荷物にはなるが。

「メイド服研究会から借りてきたの」

「何だよそれは……」

「サークルよ」

「………」

 一体何なんだろう、この学園は。無駄が多すぎるような気がする。というか、隙だらけだ。

「うおっ!? 何だその格好」

 立ち直ったらしいフィーロが今頃そんな声を上げる。シェリカがフィーロの姿を視認し、ばーっと表情が明るくなった。それを見て、ガナッシュは理解した。

 ――ああ、またフィーロ絡みか。大体予想はしてたがな。

「どう? 似合う?」

 またとち狂った思考がシェリカをあのような奇行に駆り立てているのだろうが。シェリカはフィーロの前で一度ターンしてみせる。周りの男子バカどもは「ヒャッハ――――ッ!」と叫んでいた。もう帰れ。むしろ逝け。

 フィーロはと言えば、心底どうでもよさそうな感じで「ああ、うん、似合ってるんじゃない?」とかしてした。

 それでもシェリカの恋する乙女補正によりフィーロがべた褒めしてくれたと認識したらしい。嬉々として次々と質問をしていた。やれ生徒会長のメイド服姿とどっちがいいだの、生徒会長と比べてどっちが可愛らしいかだの何だの。何故生徒会長と比べているのかは謎だが。

 馬鹿姉弟のやりとりに長い息を漏らして、もう見ていられないと目を離した。ふと、ガナッシュはあることに気が付いた。

「……ん? なあモニカ」

「あぁ?」

 殺人犯みたいな目付きで睨んできた。思わずたじろいだ。

「あー……ユーリと……あとクロアは何処に行った? 召集まで五分前だぞ?」

「………ったのよ」

「……は?」

「着替えに行ったのよ!」

「何に……」

「この状況ならメイド服以外にあり得ないのだわ、このうすらとんかち! 変態! 馬鹿! おたんこなす!」

「何故そこまで言われないといけないんだ……」

 要するに、シェリカに感化されて負けじと対抗せんとしているわけか。何というか、浅ましい。

 モニカとしても複雑なものだろう。モニカはユーリを好いているが、そのユーリはフィーロを好いている。ユーリを幸せにしたいが、それは彼女の恋を応援することになる。だがモニカはフィーロが憎いだろう。たまに殺意が籠もっているあたり、放っておくと本気で殺しかねない。だけどフィーロを傷付ければユーリとの友情も失うだろう。

 報われない想いほど残酷なものはない。それはシェリカにも言えるかもしれないが。まあ、何にしてもフィーロ次第だろう。

『各クランのマスターは人数確認をしたのち本部に伝えに来い』

 考え事をしていたら、ヴァイス先生の声が響いた。

 しかしまずい。

 二人足りない。まだ戻ってきていない。他のクランは次々に本部に向かっている。マイペースなクランはうちだけだ。

 そのマイペースな奴らを見回す。馬鹿姉弟は未だに問答を繰り返しているし、レイジはシェリカのメイド服姿を(どこから取り出したかは知らないが)撮影機で撮りまくっていた。フィーロに気付かれ撮影機ごと顔面を踏まれたが。モニカは歯軋りをしてフィーロを睨み付けていた。もはやその目は猛獣のそれだった。

「……取り敢えず、早く戻ってこい。色んな意味で……」

 ガナッシュは空を見上げて、誰に言うでもなく呟いた。


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