第一章(17) 愛ゆえに
◆Ganache◆
「……じゃ、夕飯まで寝るわ」
「ああ」
「お前も休めよ、ガナッシュ」
「解っているさ」
「おやすみ」
「おやすみ」
フィーロがベッドに横たわった。すぐに寝息が聞こえ始める。寝付きのよさはコイツの数少ない取り柄かもしれない。ガナッシュは薄く笑った。
「……ふぅ………」
椅子に深く座り直した。カップの中のコーヒーはもう一口分しかなかった。さっさと飲み干してしまう。
「さて……と」
一旦座り直し、胸の内ポケットから紙を取り出した。ピンクの花の模様が四つ、角にあしらわれた封筒だった。真ん中に、今にも蝶のように舞い上がりそうなほど可愛らしく、かつ繊細で美しく、それでいて艶美な文字で『お兄ちゃんへ』と書かれている。お兄ちゃん。ああ……っ! お兄ちゃん……なんと甘美な響き。今にもキミの声が聞こえてきそうだよイリア。これこそが最上の安らぎ。至高にして至福の一時だ。――ああ。漸く届いたキミからの手紙。ボクがキミへの愛を籠めて毎週書いてきた手紙に対して、初めて返事。キミのボクへの愛の結晶だ。永久保存しなければ。もはや世界の宝にも認定されるだろう……!
さあ、キミの溢れんばかりの愛の言葉を聞かせておくれっ……!
ガナッシュは手紙を一気に、しかし焦らず丁寧に開けた。封筒と同じ花柄の便箋を取り出して、開いた。
◆◆†◆◆
拝啓
お兄ちゃんにはいよいよご健勝のこととお喜び申し上げます。私の方は相変わらず元気に暮らしております。こちらとしては、お兄ちゃんがいないから元気なのだと解釈しております。
さて、お手紙の件なのですが、はっきり申し上げさせて頂きます。
ウザイです。
毎週毎週、何通も送られても困ります。ウザイです。死んでください。半分くらいは読まずに焼却させて頂きました。どうせ、書いていることは同じでしょう? シスコンも大概にしてください。気色悪いですから。
折角、ローズベル学園に通っているのだから、誰か可愛い彼女でもさっさと作ってください。私のために。お兄ちゃんは顔は格好いいのですから、すぐに出来るはずです。今すぐに作ってください。さもなくば死んでください。
ただ、たまたま開いたお手紙の一つに、気になるものを発見しました。内容は……秘密ですが。私も、これを見て、最近ではローズベル学園に行きたいと思っています。来年から通おうかと考えていますので、願書などを送ってください。手紙より有意義ですから。
それでは、乱文のお詫びをもって締め括らせてもらいます。
イリア・ルフェーヴル
敬具
追伸、ガウスお祖父様が神具の使いすぎには注意しなさいと仰っていました。私としては、ガンガン使ってください。
◆◆†◆◆
手紙を閉じた。
ガナッシュはゆっくりと手紙を畳み、封筒に入れた。テーブルの上に置く。
「フッ……」前髪をさらっと払った。「とんだはにかみ屋さんだね、イリア」
ガナッシュは動じていなかった。むしろ、深読みしていた。そして陶酔し始める。
「イリア。嗚呼、イリア。まさかツンデレまで身に付けるとは……! 心配しなくてもちゃんと手紙は送り続けるよ! 嗚呼、イリア。イリア。ボクのイリア。キミはボクの心を鷲掴みにして放さない。キミという存在はもはや“美しい”などという単純な言葉では言い表わせない。――そう、言うなれば女神。神なんだ。キミは。ボクの神だ。至高の女神だ。全てを慈しむために存在する女神。それがキミだ。嗚呼、イリア。その全てをボクに向けてくれ。ただそれだけでボクは生きていける。ああ勿論さ。ボクはキミに嘘は吐かない。必ずだ。だから信じていてほしい。そして、来年にはこの胸いっぱいの愛を籠めてキミに百万本の薔薇を送ろう! 花言葉は『清純な愛』……! そう、まさしく愛! 愛! 私の愛する人……!」
両手を広げて、天を仰ぐ。
二、三分ほど目を閉じて、ガナッシュは暫しその甘美な余韻に浸った。目蓋の裏には、愛しいイリアの笑顔が映っている。そう、彼女はボクの心の中にいる。たとえ今のように離れ離れになっているとしても、心は繋がっている。何故なら、そう、ボクたちは相思相愛だからだ。愛し、愛されるボクとイリアの絆の糸はたとえこのユーカリスティアをもってしても断ち切ることはままならない。ボクは――(中略)――さあ、イリア。キミに届けようこの愛の旋律を。ボクの魂の叫びを……! 愛してる……! この愛は永遠だ!
ガナッシュは立ち上がり、泉のように湧き出る愛の言葉を今すぐに手紙に書き留めようと机に向かった。引き出しを開ける。そして驚愕した。
「なっ……なんてことだっ……! 便箋が……便箋が……」
見間違いではないかと引き出しを覗き込み、嵩張っている邪魔な他の書類などを取出し、再び覗き込む。漸くそれが確信に変わった。ガナッシュは頭を抱えて、
「便箋がなァァァァァァァァァァァァァァいぃぃぃ……!」
悲劇的な表情で悲嘆した。
ダン!
両手を机に叩きつける。上に置かれていた何かの缶が少し浮いて、数回カタカタと音をたてたあと、制止した。垂れた前髪の間から瞳が覗く。
「……………ては」
もうその目は尋常ではなかった。
「買いに行かなくてはっ……!」
ガナッシュは勢いよく部屋を飛び出た。戦闘後、さっきまで死にかけていたとは思えない相貌だった。
「イリアァァァァァァァァァァァァァァ……!」
廊下にガナッシュの雄叫びが轟いた。
◆◆†◆◆
便箋などの文具は購買部に売っている。ローズベル学園の購買部はかなり品揃えがいい。食べ物も売っている。量産品の武器まで売っている。――ぶっちゃけた話、一つの店にまとめられている。理由は簡単だ。人件費の削減。それだけである。
一応、購買部では、ダンジョンの探索で見つけたものを鑑定したり、呪われた武器の解呪作業もやってくれる。とはいっても、鑑定は目の利く盗賊学科やらがやってくれるし、解呪についても祈祷士学科や退魔士学科などが格安でやってくれるから、生徒はあまり利用しない。
買い物に関しても、武器は多少値が張っても物持ちのいい武器が一番だという理由で鍛冶士学科や錬金術士学科、機工技術士などのハンドメイドを買う。
そういうのもあって、購買部は学生にとっては『日用品売場』という位置付けにされているのが実情だ。
しかしながら、今のガナッシュにはどうでもいいことだ。「便箋便箋便箋便箋愛便箋イリア便箋イリア便箋愛便箋イリア便箋便箋便箋便箋……」と呪文のようにブツブツと呟きながら、ガナッシュは購買部に急行した。
「……らっしゃいヨ〜」
気だるそうな声で挨拶したのは、購買部の切り盛りを担当している、ルゥ・リャンメイ。少し浅黒い肌に、赤い中華服がよく映える。蜂蜜色の髪をお団子にした女。見た目は小ぢんまりした――丁度、クロアみたいな体型だが、臨時で盗賊学科などの授業もやるらしい。常時キセルを携帯しているのも特徴かもしれない。
ガナッシュが思うことは、彼女の接客スキルは最低辺にいる気がする。まあ、ルゥの接客など今は全く関係がないので、目的を手早く済ませる。
文具コーナーに行き、便箋を探す。が、
「………」
ない。
一つもない。いや、一応、茶封筒はあるが……こんなん送れるかァァァ! ボクを舐めるなよ? イリアへの手紙は全てイリアの好きな花柄やうさぎさん柄だぞ! 茶封筒なぞ送れるか!
すぐにカウンターに向かう。「――ルゥ!」
「あぁ? 呼び捨てしてんじゃねーヨ。殺すヨ? 刻むヨロシ?」
眉を顰めて凄むルゥ。全然怖くない。ガナッシュはルゥの言葉を完全に無視してまくし立てた。
「便箋がないぞっ! 購買部から品揃えをとったら一体何が残るんだ!?」
「黙れボケ」キセルに口を付ける。ふーっと白い煙を吐き出した。「つーか、昨日で便箋は売り切れネ。残念。来週まで待つヨロシ」
「それじゃ遅いんだ!」
妹が、イリアがボクの手紙を待っているんだ! 切望しているんだ!
「なんとかならないのか!」
「いや、誰かにもらえばいいネ? そもそも茶封筒じゃダメカ?」
「駄目に決まっているだろう!」
馬鹿かこの女は。茶封筒でいいなら最初からそれを買ってい――「クッ……!」視界が一瞬だがブレた。ガナッシュは思わず片膝をつく。
「だ、大丈夫ネ?」
「ああ大丈夫だ……」
神具を二度も使い、魂をすり減らした状態で叫んだり喚いたりしたせいで、疲れが如実に表れ始めていた。夏だというのに肌寒い。だが、生命がなんぞ。イリアのためなら生命など惜しくない。フハハハ所詮血塗られた道よ……。
ゆっくり起き上がり、ガナッシュは深呼吸をした。
「……便箋がないなら仕方がない。ルゥの言うとおり、誰かから貰うとしよう」
「そ。……つーか何でそんなもん要るヨ?」
「使命なんだ。……命を賭けた……戦いなんだ」
「ワケわかんないネ」
「解る必要はないさ」ガナッシュは胸に手をあてた。「……そう、ボクとイリアの愛と絆の旋律を読み取ることは何人たりとも出来はしない。それはまるで暗号のように複雑で、それでいて美しい、絵画のような存在なのだ。この芸術とも言える一つの作品を解するには、たとえ一流の画家をしても不可能なのさ」
「……………」ルゥは、そのベラベラと語るガナッシュを見て、深い溜め息を吐いた。「……アンタたまに超絶気持ち悪いネ」
ルゥの目は、もう可哀相な人間を見つめる哀れみの目だった。ガナッシュはしかし、全く動じていない。
「じゃあ、ボクは行くよ。真実の愛を証明するために……!」
勢いよく駆け出すガナッシュ。その後ろ姿を、ルゥは遠い目で見つめた。
「……妹も大変ネ……あんな変態兄貴がいたら……」
キセルを逆さにして、トン、と軽く叩きつける。中の草が出て来た。ルゥは気だるそうに、宙を舞う煙を眺めた。煙は、ルゥの呆れた心境を代弁しているかのように揺れていた。
◆◆†◆◆
闇雲に探しても意味がない。確実に持っていそうな奴にあたらなければ。そう思い至ったガナッシュは、便箋を持っていそうな奴を考え始めた。
フィーロ……は寝ている。レイジにそんなものは期待してはいけない。シェリカはがさつだから手紙なんて言葉自体知らないだろう。クロア……は持っていたとしてもくれそうにない。ユーリとモニカなら持っているかもしれない。
「この二人にあたるか……」
取り敢えず、今の時間は女子寮だろう。ガナッシュは急遽、女子寮に足を向けた。
「アンタ頭おかしいのだわ」
モニカは開口一番そんな暴言をガナッシュに向けて吐いた。
「おかしくなどない! 頼む、便箋をくれ!」
「不純な動機が見え隠れしているのだわ。……駄目よ。これはユーリに書くために買った便箋なのだわ」
「お前も不純な動機が見え隠れしてるぞ!」
そもそも、何で同じ部屋のユーリに手紙を書く必要があるのだ。口で伝えればそれでいいと思うのだが。
「違うのだわ。アタシの愛はシスコンみたいにイカれた愛じゃないのだわ」
「ボクのイリアへの愛を馬鹿にするな! 同性愛よりよっぽどマシだ!」
「同性愛なんて一括りにする時点で愚かなのだわ。この愛は黄昏の空に漂う悠久の翼のごとき永遠的かつ優美で全てを包み込む包括的な愛なのだわ。そこらへんの変態と一緒にされるなんて心外なのだわ」
十分変態だとガナッシュは思ったが、口には出さなかった。言ったら絶対くれないから。
「……とにかく、一枚でい」
「嫌よ」即答だった。考慮の余地さえないようだ。悪魔かこの女。その猫耳は実は悪魔の角か。
「モニカちゃん……」後ろからユーリがやってきた。「そんな意地悪しないで」
困ったような顔でそう言うユーリ。モニカにとってはかなり効いたらしい。うっ、と後退りをした。
「ガナッシュ君、困ってるんだから助けてあげないと……困ったときはお互い様、です」
にこりと笑ってそう言うユーリは、ガナッシュには女神か何かに見えた。もう、なんというか、後光が差していた。
「……」
逡巡していたモニカだが、やはりユーリのお願いには適わないらしい。「……解ったのだわ」部屋に戻り、机の引き出しから便箋を持ってきた。
「持っていきなさい、このごうつくばり。変質者。サノバビッチ」
「何故そこまで言われないといけないんだ……?」
吐き捨てるように失礼極まりない台詞を言うモニカに対し、ガナッシュは納得いかない表情をした。あまり反論すると返せと言われそうだったので、止めた。ありがたく受け取る。
花柄の便箋だった。
嫌味で変な柄にしないところは可愛いものだと思うのだが。如何せんこの女は素直じゃない。というか、カタハネの女はユーリ以外は性格がひん曲がっている。どうしようもない。
「まあ、ありがとう。助かった」
「受け取ったなら早く帰るのだわ」
ほらな。
◆◆†◆◆
目を覚ますと真っ白な天井が目に映った。薬品の微かな匂いが鼻をくすぐる。体に上手く力が入らなかった。なんとか声だけは振り絞ってみる。
「…………ここは……?」
「お。起きた?」
すぐ横で声がした。目線だけ向けるとアメリア保健医だった。要するに、ここは保健室なのだろう。
「……なんで」
「そりゃこっちが聞きたいわ」
シガレットを取出し、口に啣えた。何故、この学園の先生は煙草の類が好きなのだろう。
紫煙を吐き出すアメリア保健医。
「あんた、ぶっ倒れてたらしいわよ? 校庭で」
「校庭……」
ああ、なるほど。
要するに、疲れがピークに達して倒れたのだろう。神具を使った影響か。フィーロの忠告を無視した当然の結果だが、ガナッシュは後悔していない。イリアへの愛は己の死よりも価値ある存在だ。
「……誰が運んでくれたんです?」
「ん。あの娘」
アメリア保健医が指差した先を目で追う。フィーロの金髪より少しだけ薄い、白金色の髪の少女が隣のベッドで寝ていた。
ベアトリーチェだった。
「スゴい心配してたわよ」
「そうですか」
「お礼くらいしなさいよ」
「解ってますよ」
ガナッシュは余計なお世話だと思いつつも、一応素直に返事しておいた。
ベッドから降りる。まだふらつくが、大丈夫だろう。ガナッシュはベアトリーチェのベッドの横まで歩いた。
気持ち良さそうに眠っている。小さな口を“o”の形にしている。癖だろうか。まあ、どうでもいい。起こすべきか否か。これだけ気持ち良さそうだと、起こすのも憚られる。
まあ、今日お礼しないといけないわけでもない。また後日しても構わないだろう。
それにしても、黙っていればベアトリーチェもかなりの美人らしい。普段があれだから、この姿は少しばかり新鮮だった。
「おやおや〜惚れたか?」
ニヤニヤしながらそんな妄言を吐くアメリア保健医。「まさか」ガナッシュは澄ました顔でそう返した。つまんないなー、と漏らすアメリア保健医を無視する。
さてはてどうするか。
このまま帰ってしまうのは、なんとなく悪い気がする。起きるのを待ってもいいが、女性の寝顔を見過ぎるのもあまり紳士的とは言えない。
ガナッシュが思案していると、
「……にゃ」
猫のような声を出して、ベアトリーチェが起きた。どうやら杞憂だったようだ。
「みゃ……あ……にゅ……」
謎な言語を発するベアトリーチェ。目覚めはあまりいいとはいえないらしい。
「おはよう」ガナッシュは笑顔でそう言った。
「え……な……ガ……ガナッシュ……様?」
徐々に状況が把握できてきたらしい。見る見るうちに、ベアトリーチェの顔が赤く染まった。耳まで赤い。
「ど、どどどどどうして……」
「キミが運んでくれたんだろう? 倒れているボクを。ありがとう。感謝するよ」
「そそそそんなの……えと……ど、どう致しまして……」
ぷしゅー、といった感じで脱力してゆくベアトリーチェ。見ていて面白い。
「今度何かお礼をしたいんだけど、どうかな?」
「おおおお礼ですかっ!?」
「迷惑かい?」
「そそそそんなわけありませんわ! こ、このベアトリーチェ・セルティレス、謹んでお受けいたしますわ!」
「……そう。よかった。で、どうする?」
「持ち帰ってたべちゃいなさいよ」
「黙れエロ保健医」
「もも、持ち帰りっ……」
「いやいや、しないしない」
ガナッシュは手を振って否定する。そこまで見境無くないし、ガナッシュにはイリアが全てだ。他の異性などに興味はない。まあ、イリアに対して肉欲を持つなどはしないのだが。そう。イリアに向けるべきは愛なのだ。その他の感情など不要。愛が全てだ!
「ガナッシュ様……?」
「はっ! すまない。大いなる愛の扉を越えかけてしまった」
「意味が解んないわよ」
エロ保健医には解るわけがない。一つ一つ事細かに、細部まで、みっちりと説明しても構わないが、イリアへの愛は自分だけが知っていれば問題はない。
シガレットを啣え、煙を吹かせるアメリア保健医を一瞥して、ベアトリーチェに向き直った。
「じゃあ、また後日お礼するよ。……そうだな、取り敢えず寮前まで送るよ」
アメリア保健医に礼を言ったのち、保健室を後にしたガナッシュとベアトリーチェは寮に向かって歩いていた。
何か話したほうがいいのだろうかと思ったが、ベアトリーチェが下を向いているのでどうにも声をかけづらい。まあ、お喋りが好きなわけではないので気にしないのだけれど。
暫く無言で歩いていると、
「あ、あの」
ベアトリーチェが恐縮した感じで口を開いた。
「なんだい?」
「ガナッシュ様は……どうして倒れてらしたんです?」
「ああ……多分、というか十中八九神具の使いすぎだろうね」
「神具……神具!? ガナッシュ様は神具をお持ちなんですか!?」
「知らなかったかい? 聖体の秘蹟。聞いたことある?」
「幼少の頃、お祖父様に聞いたことがありますわ……確か、使用者の魂と生き物の血肉を食らい強くなる魔剣だと」
「ボクが魔剣士である所以でもある」
「でもそんな危険なもの……どうして……」
「願いがあるんだ。大事な……願い。それを叶えるために、ボクは力が必要だった。それだけだよ。……他にもっと強力な力があれば、ボクは迷わずそれを選ぶ。ユーカリスティアを持つのは、一つの手段なんだ」
「そう……なんですの……」
「ああ」
ガナッシュは嘘を吐いた。
これに固執していると思われたくなかったのだ。安いプライドだ。自嘲の笑みが零れた。
仮に、これより強力な力があったとしたらガナッシュはどうするか。――簡単だ。喰わせればいい。ユーカリスティアは食欲旺盛だ。喰えば喰うだけ強くなる。だからガナッシュはそうするだろう。
全ては願いのため。ボクは強くならなくてはならない。たとえそれが浅ましき行為だったとしても。
言葉が途切れたまま、女子寮の前に到着した。ベアトリーチェは複雑そうな顔をしている。
「着いたよ」
「ええ……」
「それじゃあ、また明日」
「あの!」
踵を返そうとしたガナッシュに声が掛けられる。無視するわけにもいかず、振り向く。「……なに?」
ベアトリーチェは少し考え込むような仕草をしたが、顔を上げ、ガナッシュを見据えた。
「え、と……わたくしからは何も言えません……神具についても、ガナッシュ様の“願い”についても……」
それはそうだ。他人にどやかく言われたくはない。そもそも、言われたとしてもガナッシュは意に介さないだろう。
「わたくしが言いたいのは……その……お身体には気を付けてくださいね」
虚を衝かれたガナッシュは、目を丸くしてベアトリーチェを見た。顔を紅潮させている目の前の少女の言ったことが意外だったのだ。
身体には気を付けろ。
フィーロたちのように神具を使うな、使い過ぎるなとは言わず、身体だけは大事にしろと言ったのだ。それがガナッシュには意外だった。少なくともユーカリスティアの存在を知る者が、普通であればそんなことを言うはずがないのだから。
ガナッシュは意外に思うのと同時に、嬉しかった。
自分の願いを後押ししてもらえた気がした。彼女の本意は解らないが、ガナッシュはそう感じたのだ。
「ありがとう」
だから自然にそんな言葉が口から出たのは至極普通であったのかもしれない。
ベアトリーチェは顔を真っ赤に染めて、「どどどどういたしましてっ!」と叫んだ。何故叫ぶ?
「じゃ、お暇させてもらうよ」
今度こそ踵を返す。しかし呼び止められたわけでもないのに立ち止まった。今度はガナッシュから振り向いた。
「そうそう、明日はよろしく」
「へ? え、あ、勿論ですわ。こちらこそ、よろしくお願いします、ですわ」
ベアトリーチェはにこりと笑った。不覚にも一瞬、ほんの一瞬だけ、ガナッシュは見惚れてしまった。
それを隠すようにベアトリーチェに背を向け、右手を軽く挙げた。男子寮に向かって、歩きだす。
上を見上げると、夕暮れの美しい茜色の空。夕飯時だ。
「……さて、フィーロでも誘ってベルベットにでも行こうか」
それからでも、手紙を書くのは遅くないだろう。
因みにガナッシュが部屋に戻ったら、フィーロはいなかった。結局、ベルベットには一人で行った。