第一章(15) 二回戦
◆Firo◆
「うわあぁぁぁああぁぁぁ!?」
フィーロの甲高い悲鳴が谺した。尻餅をついて、後ずさろうとするが、どうも上手くいかないようだった。というか完全に腰が抜けていた。
しかし、そんなことすら今のフィーロには気付けておらず、とにかく脳内はてんやわんや状態、パニックを引き起こしていた。
「あ、あわわわわいあいうええ……」
いやほんと何なんなの。腕? おい待てちょっと待ってほんと待って無理無理何これわけわかんない。マジヤバい怖い怖いヤバい怖い超怖い。
呪い? この地下牢で死んだ人の霊的なアレ? もしかして死んじゃう? 俺死ぬ? 呪い殺される? なんかないの? おまじない的ななんかないのちょっと助けてアブラカタブラアブラカタブラ……ダメだ普通に動いてるヤバい引きずり込まれる。どうなるのこれちょっとねぇ。
ぬるっという感じで、腕が壁から伸びる。肩口あたりだろうか。生えてるだけならまだしも、移動可能とわかってしまうともうダメだった。
このままだと呪い殺される。
逃げる? 逃げれるのか。そもそも。だって霊的なアレだったらアレでアレだからアレじゃないか。えーと、なんだ、その、つまりだ。
逃げられない。
「ヤバいヤバいマジヤバいどれくらいヤバいかって言うとマジヤバい」
歯をガッチガッチさせながら訳のわからないことを口にしているフィーロを追い詰めるかのように、壁からだんだんと全体が現れてくる。
ぬっと、足が伸びた。黄色いラインの入った白いブーツだった。霊ってブーツ履くのかよおいこえぇよ。なんかわからんがとりあえず怖い。
足が地面に付くと、そこからは一瞬だった。ずっ、と一気に身体全体が壁から飛び出てくる。「ぬうぉおおぉぉう」と変な声が出た。
白基調の法衣、艶のある茶色い髪が揺れ、大きな瞳がこちらを見据える。ヤバいヤバい超こわ……ん? あれ? なんか見覚えが。
「やっと見つけましたぁ」
ユーリだった。
◆Juli◆
気がついたら、フィーロ君がいなくなっていました。よくわからないけれど、どうやらフィーロ君ははぐれてしまったようです
もしかしたら、寂しい思いをしているかもしれません。早く見つけてあげないと。
ユーリはひょいひょいと道を歩く。まるで迷いがない歩みだが、ユーリはそれほど夜目が利くわけでもなく、ほぼほぼ勘で歩いているだけなのだが、当の本人はあまり気にしていなかった。
右往左往しては壁にぶち当たり、何度か転びながらも歩いていると、何やら声が聞こえてきた。すぐにフィーロの声だと確信した。理由は特になかった。なんとなくっていう感覚はとても大切だと考えている。
どうやらこの壁の向こうのようだと、ユーリはペタペタと壁を触りながら横歩きしていると、いきなり手が壁に吸い込まれた。
「わひゃっ」
びっくりして小さく悲鳴が溢れたけれど、向こう側は何やら普通に空間が広がっているようだった。きっとこの向こうにフィーロがいるはずだ。そう思うと、ユーリは特に躊躇うこともなく、足を突っ込んだ。鈍感ゆえに、この辺は物怖じしないのである。とりあえず地面に触れる感覚があったし、ちゃんと空間があるとわかったので、そのまま一気に飛び込んだ。
「うわあぁぁぁああぁぁぁ!?」
甲高い声でしたが、その声にはしっかりと聞き覚えがありました。そちらを見ると、地面に座り込んだフィーロ君が見つけた。よかった、ちゃんと見つかりました。絶対に見つかると思っていました。もう愛の力です。
目をぱちくりさせて、わたしを見るフィーロはすごく可愛らしく見えました。つぶらな瞳。男の子とは思えないくらい可愛くて、お人形さんみたいです。わたしは安心して頬を綻ばせ、フィーロ君に近付きました。
「やっと見つけましたぁ」
どれだけ離れていても、わたしとフィーロ君はきっと赤い糸で結ばれているのでしょう。これも女神マルシェンナ様のお導きです。これからも頑張って信仰します。
悦に入っているユーリにはフィーロのヤバイヤバイという呟きは全く聞こえていなかった。なんなら見えているものまで違う可能性がある。
「お、おまっ……ど、どどどこ行ってたんだよ……」
フィーロ君の呂律が回っていません。ここはそんなに寒くないと思うけれど、もしかして風邪でも引いてしまったのでしょうか。
「え? フラッグを探してたんですけど……そういえばフィーロ君、なんで座ってるんですか?」
休憩中でしょうか。でもこんな道の真ん中で座り込んでいるのはちょっと危ない気もします。
「お、おあおお? ああ、いや、あれだ、うん。あれ」
「あれ?」
「足音聞いてたんだ。うん」
足音なんて聞いてどうするんでしょう。フィーロ君は時々不思議なことを言います。そんなところも愛おしく思うのてすが。他の人ではそんなことは感じません。全部、フィーロ君だからこそなのでしょう。
つまり愛は偉大だということです。
「そうなんですかぁ。あ、なんか目が赤いですよ?」
うさぎさんみたいで、可愛いと思ったけれど、何かの病気だったりするとちょっと心配です。目は一生モノとよく言いますし。目薬とか持ってたかな。
「いや、これはな……埃が目に入ったんだ。ほら、座ってたから……うん」
「大丈夫ですか? 目は大事にしないと」
「ああ、気を付けるよ……」
フィーロ君は勢いよく立ち上がると、パンパンと埃を払いました。そして、こちらを見て、にこっと笑いかけました。可愛い。
「さぁ、気を取り直して進もうじゃないか!」
「はい!」
その笑顔を見て、わたしも元気が出てきました。
やっぱり愛は偉大です。
◆Reiji◆
「シャアッ!」
「のわっ……!?」
敵の大剣が閃となって襲いかかってきた。レイジはそれを真上に飛んで回避する。もう一人を相手していたところに意表を突かれたので、ちょっと危なかった。
「ほいさっ!」
回避した動きに連動させ、身体をひねりながら横蹴りを食らわせる。相手は顔を蹴り飛ばされ、真横に吹っ飛んだ。あれで気絶してくれたらいいのだが、と思いつつ視線を送るが、しかし敵は転がりながら大勢を整え、すぐに立ち上がった。
あかんわ。やっぱタフやな。
「――ぬぅぅううあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!」
やられたぶんのお返しだと言わんばかりに、大振りに斬りかかってきた。――避けるのは容易い。が、もう一人の片手剣が同時に迫っていることをレイジは知っている。挟撃は古典的だが、最も有力な戦法だ。蹴り飛ばした方向が悪かったと反省しつつ、次の動作を瞬時に考える。
レイジはあえて大剣に突っ込んだ。大振りの剣は小回りが効かない。あの相手はタフだが、それほどの使い手ではない。ならば下手に距離を取るより、懐に飛び飲んだ方がいい。
足腰に力を込めて、一気に距離を詰める。
相手の驚く顔がよく見えた。それもそのはずで、ほとんど一瞬の間に目の前に現れたように感じたはずだ。
縮地。
レイジの脚力がなせる、圧倒的なスピードにものを言わせた接近術。並の敵には見えるはずもない。
「腹ァがら空きやで!」
勢いに任せた肘打ちを、相手の土手っ腹にぶち当てる。全身に巡る気を肘に収束させた。装甲すら突き破る衝撃が敵には感じられたことだろう。
もともとレイジは身体能力に恵まれているが、それだけではない。幼い頃より全身のエネルギーを自在に操る気功術の鍛錬により、普通の何倍もの身体能力を得ている。大抵は足腰を中心に気を巡らせているが、別の箇所に集中させればこのように攻撃にも使える。レイジにとってはクソの師匠だったが、この技を教えてくれたことだけは感謝している。
レイジよりも屈強な剣士がほぼ一直線に吹っ飛び、壁に身体をぶつけた。壁のヒビを見ても、威力は十分だったはずだ。
この展開は予想外だったのか、片手剣を持ったもう一人の敵は完全に惚けている。レイジがその一瞬を見逃すはずもなく、再び縮地により距離を詰めた。
片手剣を持つ敵の手を右手で払い、反対の手で掌底を叩き込もうと踏み込んだ。だが、そう上手くはいかなかった。
背筋が張り詰める。殺気。背後からだ。レイジは身を翻し、真横へ飛んだ。刹那、立っていた場所に大剣が叩き付けられる。大剣使いの鬼気迫る視線がこちらを追っているのがわかった。着地と同時にすぐ距離をとって、安全を確保する。あの地面を砕く一撃からも、躱していなければ即死だっただろうことが容易に想像できた。
「っぶねー……死ぬとこやで」
洒落ならんわ。
さすがと言うべきか、やはり上級生。立て直しが迅速だ。《マッドボーイズ》はクランクA。格付けだけで言えば《カタハネ》と同じ。だが、《カタハネ》とは圧倒的に経験値で優っている。
実力で負けてるとは思わへんけどな?
本気を出せば容易に勝てるだろう。だが、レイジは本気を出すことはそうそうない。レイジにとっての本気は理性というリミッターを外すこと。それはある種の忘我状態。そうなれば、敵も味方も判別できなくなる。レイジはそういうふうに作られているのだ。だからこそ、本気を出すことはしない。してはならないのだ。仲間たちのためにも。
「案外気に入ってるんよ」
まだ知り合って間もないけれど、彼らとの時間は心地よい。共に戦うことが楽しいのだ。信じるれることが、幸福なのだ。
背中を任せられる。そう信じることがてきるだけのものを持っているのが、《カタハネ》というクランの連中だ。現に見ろ。もう、彼は迫っている。
「せあああぁぁぁぁッ!!」
ガナッシュの鋭い斬撃が大剣使いを吹き飛ばした。
存在自体が珍しい魔剣士学科はやはり魔術要素が注目されやすいが、剣士としての裏打ちされた実力かなければ魔剣士など名乗るもおこがましい。ガナッシュには実力がある。学部主席に君臨するだけの実力が。
彼は剣士なのだ。
「らあぁぁぁぁぁっ……!」
「くぅっ……!」
敵を圧倒する姿は黒い獣のようだ。蒼い刀身の太刀は美しく、残酷なほど冷たく死の光を放つ。女子からはクールな美男子と言われるが、その実内側は熱い。
まぁ、本来はシスコンやしな。
時折見る、ガナッシュが妹を語る時の表情は正直目も当てられないほど気持ち悪い。顔の造りうんぬんではない。雰囲気がだ。本当に、イケメンがやっていい表情じゃないと思う。
けれども今は剣士の顔だ。
「惚れるわ~」
呟き声は誰にも届かない。
別にもともと独り言だが。
レイジはすぐさまガナッシュと短い目配せをして入れ替わった。体勢を崩した敵に肉薄し、蹴り、殴り、そ首に絡み付いた。「このッ……」「暴れなさんなや」素早い動きで短刀を首に差し込んだ。切り込みを入れればあとは簡単だ。絡み付けた脚でねじり切るようにして跳躍し、解体する。それ以上のことはしない。確実に絶命していればそれでいい。
「レイジ! 後方に回れ!」
ガナッシュが叫んだ。今ので少し後衛との距離が開いた。少しばかり熱中しすぎた。悪い癖だ。レイジはバックステップで前衛との距離を置く。
もともとはシェリカの護衛が仕事だ。こちらの撹乱もあって注意は外れているからラッキーだった。とはいっても、完全に無視なわけでもない。魔術士は誰であろうと脅威だし、その分護衛は必ず必要だ。
風を切る音が耳に届く。
手に握られた短剣を連続で細かく振るい、飛来した何かを払う。十数本の金属性の矢が回転しながら明後日の方角に飛んでいった。
そうやった。射手がいるやん。めんど。やけど大した射手でもないしな。クロアを大いに見習ってほしいとこや。そないなボウガン使わなくても彼女は――、
「あがっ!? がっがっがっがががががががががががっ……!?」
十五連射出来るで?
矢継ぎ早、なんて言葉があるけれど、クロアの技術がまさにそれだ。正確無比にして超高速。弓術士の中でもトップクラスの技量を備えているのが彼女だ。
射手の一人がぶっ倒れた。しかしあれはひどい。一発も外すことなく矢が刺さって、完全に針のむしろだ。なんだか可哀相になってきた。
急襲された時は慌てたが、こういう公平な場で乱戦や混戦になったら《カタハネ》は最強だ。臨機応変というにはあまりに雑な戦い方は、こういう時にこそ輝く。ぶっちゃけ、ほとんどその場の雰囲気だけで動いている。
個人主義の集まりだからこそなせる戦法だ。他のクランではなかなか見られない。とくに一年生でこの状態とか、かなりアレだ。来年とかどうなるのか。
なんにせよ、今の状況ならそう苦労する相手ではないだろう。この分だともうすぐで片が付く。あとはガナッシュに任せて、自分は自分の仕事をすれば問題はない。
レイジは振り返った。
「烈Xo儕Ray穿雷瘡」
いきなりだった。幾本もの稲妻が走った。レイジの周りを。何本も、何本も。それは敵の射手に集中し、
「あばばばばばばばばばばばばばばばばっ……!?」
感電させた。
あっという間に退場させる。瞬間の出来事だった。
レイジはそれを見て、
「あ……あぶなぁー……」
どっと冷や汗が流れた。蛮族の森でのガナッシュの気持ちがよくわかる。これは怖い。マジの恐怖だ。心臓に悪い。しかも、ガナッシュの時と違って、五十本は軽くあったし。あれでも手加減しているのだろう。上級の魔術士はまるで幾千もの糸のように稲妻を走らせることが出来る。が、手加減していても、危ないことに変わりはない。
「くっ……魔術士が厄介だ! 潰せっ!」
誰かが叫ぶが、遅い。遅すぎるくらいだ。
今頃気付いてどうする。学部主席の魔術士を放置しておくなど、愚の骨頂だ。
とにかく《マッドボーイズ》は《カタハネ》を舐め過ぎていた。所詮一年生クランだと。高々七人だと。上級生の自分たちが負けるわけがないと。
だから、
「附Meer哀du刀随水霊」
彼らは負ける。
ガナッシュが唱える勝利の呪文に、レイジは唇をほころばせた。
◆Firo◆
き、気まずい。
もうどれくらい無言だろう。
靴音だけが鳴り響いていて、それだけがこの辺の音を支配している。マジで気まずい。
あれだけ醜態を晒してしまったフィーロに、ユーリは気付いているのか気付いていないのか、よくわからない態度を取り続けている。つーかずっとニコニコしているんだけど。なんなのこの子。わけわかんない。
改めて聞くのも恥ずかしいし、みっともない。なんでフィーロは言葉を紡ぐことも出来ずにただただ歩くしかなかった。
ユーリは鼻歌を歌い始めた。なんなの。
「鼻歌はやめとこうぜ……」
敵とか出てきたら危ないじゃん?
「あっ、すいません……つい……」
そんな悄げられるとちょっと申し訳なくなってしまう。つーか、ついで歌っちゃう鼻歌って何さ。
まぁ、ユーリだしなぁ……。
大抵のことが「ユーリだから」で許されてしまうあたり、彼女の才能な気がする。彼女の持つ、よく言えばほんわかとした雰囲気は、ある意味最強だ。
というか、雰囲気うんぬんよりもまず可愛いから許されてるってのが大きいよね。所詮顔なんだなぁって思ってしまう。あとはその凶悪な母性の象徴か。
あ、いかんいかん。
フィーロは邪な考えを頭を振って追い払った。なんて恐ろしい凶器なのだ。狂気すら感じる。どっかの女はまな板同然だというのに。本人を前にしてそんなことを言えば死は免れない。そんなことを考えるだけで身震いが止まらない。
「上はどうなってるんでしょうね?」
ふと思い出したように、ユーリが天井を見上げながら言うので、フィーロはようやく益体のない思考のスパイラルから抜け出した。
「ん? あー、どうだろ」
ガナッシュたちのことだ、そうそう負けるなんてことはないだろう。むしろ俺という足でまといが消えたことで、より戦闘も捗ってるんじゃないだろうか。
男どもがうちの馬鹿姉の手綱をしっかりと握れていたらの話だけど。いや、無理か。無理だよね。身内であるはずの俺でも無理だもん。
とはいえシェリカも戦闘になればある程度の道理は弁える方だ。わがままだけど。とりあえず、レイジあたりが巻き添えになる可能性は大いにあるけど、それほど心配する必要もないだろう。レイジなら別にどうなってもいいし。どうせ死なねーんだから、一回くらい燃えカスになってみるのも一つだと思う。あいつは。
どちらかというと、心配があるとすればモニカだ。困ったことだけど、ユーリにゾッコンラブしてるしなぁ、あの獣耳娘。ユーリのピンチのせいで、変に動揺してる可能性が高い。いや、あいつが突っ走ったせいもあるんだけどね? そういや、もともと様子もおかしかった。何かあったのかね。ブルーな日? とか言ったら殺されるんだろな。
つーかすでに殺意が向けられてそうでヤバイ。
戻ったら殺されるんじゃね?
敵より身内が怖いとか、うちのクランどうかしてる。
「あいつらなら心配ねーだろ」
「ですよねっ」
薄暗い洞窟の中でも、光の粒子が飛び散るような微笑みで返すユーリを見て、少しばかり元気が出た。大抵のことは杞憂に終わる、そんなふうに思わせてくれる。やはり、彼女の才能なんだろう。
そんな彼女の朗らかさにあてられて、俺も自然と笑顔がこぼれた。
「あ、そうだ、フィーロ君」
「ん?」
「フィーロ君は、その、付き合ってる人とかいるんですか?」
笑顔のまま凍りついた。
「はい?」
何言ってんの、この子。
何言っちゃってんの、この子。
「なんで……?」
いろいろと言いたいことはあったけど、うまく言葉として絞り出せたのはそれだけだった。
「いえ、その、こんな時しか聞けない気がして……」
こんな時に聞くこと自体おかしくねぇ?
「どうなんですか?」
「どうって……」
いるわけないけど。
実力主義の学園において、俺はレベルⅠだ。男らしい、それこそガナッシュのような実力を兼ねそろえたイケメンなわけでもないし、そうなると必然的に女の子との接点はなくなる。クラン以外に知り合いの女の子とか、モランくらいしかいないし。
いや、そんなこと考えている場合じゃない。敵影が確認されないからって、今は戦闘中だ。ほんわか青春トークみたいなことしてる場合じゃないでしょ。
そもそも、これ、一応映像として流れてる可能性もあるんだよね。まぁ、戦闘してる方がメインになってるだろうから、こちらが映ってる可能性は低いけれど、ゼロではない。
場合によっては俺の命日になりかねない。
「フィーロ君?」
なんとか濁せないかと画策していたが、ユーリの視線が、俺の返答を急かしていた。普段はゆるふわガーリーなくせに、妙な芯の強さが瞳の奥で炎のように力をみなぎらせている。
圧力がすごい。なんだこのオーラは。
そんなユーリの気迫に気圧されてしまい、俺はついにかすれがすれな声で言葉を紡いでしまった。
「あー…なんだ。その、まあ、いない……けど」
「やっぱり! そうですよね、よかったぁ」
え。やっぱりって何? 自分でもわかってるけどね、さすがに他人から現実を直視させられると凹む。よかったとかね、もう追い討ちじゃん。
心に深い傷を負ってしまった。泣きたい。つーかなんなの、これ。なんの罰ゲーム?
「この話やめない……?」
「え? なんでですか?」
わぁこの子超ドSなんですけど。
彼女がすげぇ欲しいとか、そういうわけではないけど、そりゃ年頃の男子ですもの。いたらいいなぁ、くらいには思っている。そこへ来ての「やっぱオメー彼女いないんだなウケるプークスクス」みたいなことを言われるとか、羞恥通り越して昇天すら考えかねない。
いたいけな思春期男子の純情をこれ以上ぶち壊さないでください……。
いや、待てよ。ここで攻勢へと転じることが出来れば、案外逆転できるのではないだろうか。よし、考えるんだ。たまには頭を使え、俺。
「そ、そういうユーリは彼氏とかいないのか?」
「え?」
意趣返し的な意味を込めて、同じ質問で切り返す。これならユーリも動揺するに違いない。
「わ、わたしは……その、いません、けど……」
「ふぅん?」
「でも、なってくれたらいいなって人は……いますよ」
「へぇ……」
ん? 雲行きが怪しいな。むしろ俺がダメージ受けてる感じになってないかな。つーかね、今思ったんだけど、非モテの俺と、モテモテなユーリでは土台がそもそも違うよね。さらに届かない高嶺の花になったことに俺がショックを受けるだけだよね。
いやまぁ、そりゃユーリにも好きな人の一人や二人いるだろう。うん。誰だろうね。ぶっ殺したいね。ユーリが頬を赤らめてうつむく姿を横目に、まだ見ぬユーリの想い人に明確な殺意を向ける。
「知りたいですか……?」
え、何、教えてくれんの。殺していいってこと?
知りたいといえば知りたいけれど。知ったら余計ショック受けそうだし、なんだかなぁ。いや、別にユーリと付き合えるとか、そんなこと思ってないけどね?
単に癪じゃん。
「俺が聞いてもいいことなのか?」
「その、聞いて欲しい……です」
わぁこの子マジ鬼畜なんですけど。俺のこと実は嫌いだったりするのかな。おかしいな、嫌われるようなことした覚えないんだけど。
とはいえ、聞いて欲しそうな顔をするユーリを拒む勇気が俺にはない。もしかしたら相談なのかもしれないしね。モニカに言ったらまず猛り狂ってその相手殺すかもしれないし。クランのメンバーの他のやつも、それほど親身に聞いてくれなさそう……つーか皆無だわ。
「そうだな……俺でい」
ビーッというけたたましい音が鳴り響き、『βブロックEリーグの攻撃側マスターのアウトを確認しました。試合終了です。十秒後に転送します』というアナウンスが入る。
どうやら、決着がついたらしい。ガナッシュのことだし、最後は勝つと思っていたけれど。ま、勝とうが負けようがどうせ試合続くしなぁ。やだなぁ。
「終わったみたいだな」
「そうですね」
「まぁ、話はまた時間ある時に聞くことにするよ」
なんか上手いこと逃げれたな、と内心で思ってしまったことは内緒にしておこう。
「あ、はい。そう、ですね」
転送のため目を瞑る直前、ユーリがどことなく寂しげなのが印象的だったけれど、不快さの滲む浮遊感のせいですぐに忘れてしまった。
◆◆†◆◆
目を開くと既に扉の前にいた。二度目ともなると、だいたい慣れてくるものだ。ふらつきもそれほどなくなっている。人間の適応力も捨てたものではない。
「フィーロ!」
フィーロが身体を動かしながら、異常がないか確かめているところに、シェリカが駆け寄ってきた。それだけならまだしも、鬼気迫る形相だったせいで、少しばかり引いた。
「怪我はない!?」
「ないけど」
フィールド内で負った怪我も、ユーリに治してもらっているし、少しだけ鈍痛は残るものの、支障はない。
「あの乳牛に変なことされてない!?」
「いや、されてないけど」
つーか乳牛とか言わないの。ほら、なんか、こう、これから牛乳飲む時ちょっと変な想像しちゃうじゃん?
「だいたい、そんなことは男に聞かないだろ」
「乳牛のあの下品な脂肪の塊にフィーロが誘惑されるかもしれないじゃない!」
それは否定出来ないのが辛い。
「…………」
「なんで黙るのよっ!」
右ストレートが腹に突き刺さる。なんで殴られないといけないのかわからない。めちゃくちゃ痛いわけではないが、殴られていい気はしない。じんわりと痛む腹部をなでさすった。
「まさかとは思うけど、フィーロから手を出したりしてないわよね?」
「するわけねーだろ」
この馬鹿姉は。俺がそんな大それたことが出来るとでも思ってるのか。ホントに馬鹿じゃねぇの。
フィーロが溜め息を吐き出そうとした瞬間、首すじにひんやりとしたものがあてがわれた。
「その話、本当ね……?」
深淵から這出るような声が、耳もとで囁く。誰かなどは考えるまでもないが、表情が伺い知れないせいで、恐怖は倍増していた。
モニカさんである。
ちなみに首すじにチクリと刺さるそれは鋭利な刃物らしきもので、フィーロがぴくりとでも動けば肉を突き破りそうなくらいには押し当てられていた。おいおい、冗談がすぎるぜ……。俺死ぬのかな。
「ほ、本当です」
「嘘だったら……殺す」
そう言い残し、モニカはゆらりと俺の背後から消えていった。なんだその動きは。暗殺者になった方がいいんじゃないの。
ユーリのこととなると、人間離れした動きを見せるモニカ。獣人だから普通の人間より身体能力は高いのは当然だが、それ以上に開いちゃいけない扉を開いてるみたいですね。
「どうしたの、フィーロ。すごい汗」
普段の言動とは裏腹に、身体能力が平均以下という残念な姉にはモニカの姿は視認できなかったらしい。
「いや、なんだか今日は暑いなァ」
「なんか変……本当に変なことしてないでしょうね?」
「当たり前だ! 神に誓ってもいい!」
なんて恐ろしいこと聞きやがる。モニカさんが一瞬ゆらりと視界の端で揺れたので、俺は全力で叫んだ。肝が冷えた。あぶねぇ。マジで俺の命があぶねぇ。
「それならいいけど……」
必死な態度が功を奏したのかどうかはわからないけれど、シェリカは一応の納得はしてくれたようで、安堵した表情を見せた。そして俺は額に流れる冷や汗を、手の甲で拭った。
フィールド内にいる時よりも、こちらの方が危険とかホントにどうなってるんだろうね。試合が終わってからの方がエネルギー消費が激しい。
まぁ、蛮族の森での戦闘よりも慌ただしかったせいもあるのだろう。そもそも、人と畜生じゃあ戦い方が違うというのも大きい。知恵のある畜生と知恵のある人間じゃ、後者の方が厄介なのだ。
つっても、二回戦は戦闘ってより、ユーリの相手に疲れた。軟派な男ならいざ知らず、俺みたいなのは気を遣う。モニカも怖いし。むしろそっちの方が心身に負担をかけてる。
不意にお腹がぐう、と鳴った。思えばもう昼だ。試合はフィールドの安定性や、生徒の体力を考慮して二試合ずつになっている。残りの二試合は明日に行われるので、今日の試合はこれで終わりだ。となると、もうお昼をとっても構わないだろう。
「シェリカ」
と呼んだところで考える。妙に気だるさの残るこの状態で、二人で食事に向かえばまた疲れること山の如しだろう。ここは、一人で行くべきだ。
「どうしたの?」
「あーいや、ちょっと寮に戻るわ。ちょっと疲れたし」
「じゃあ、あたしも」
「一人で行くって、昼寝するし」
「ご飯はどうするのよ」
「適当に済ませる。まぁ、一次閉会の時には戻るよ」
シェリカに有無を言わさないように、俺は言い終えると歩き出した。正直なところ、少しは申し訳ない気もするけれど、たまには一人になる時間が無いと、こちらももたない。
バランスって、ホントに大事。
とくに、このクランに身をやつしていると、つくづく感じる。
こぼれそうな溜め息を飲み込んで、フィーロは校舎に足を向けた。
◆◆†◆◆
「さて……何食うかなぁ」
普段、シェリカが勝手に決めたりするせいで、いざ一人だとこういう時に決めかねてしまう。自身の主体性のなさが憎い。
とはいえ、戻れば戻ったで疲れるし、適当に何か食べて寮で寝てればいいだろう。
「あー……しんど……」
フハァー、と今日一番の長い息を吐き出しながら、フィーロは空を見上げた。今日は雲一つない晴天。コンテストが始まって三時間あまりが経ったけど、いい加減疲れた。色々と。もう試合がないということが救いだ。
リーグ戦は十試合。試合順はできるだけ連続での試合にならないように組まれている。一日五試合で分けるのは、疲れでパフォーマンスに支障がでないようにとのらしい。ゆえに、公平を期して全てのクランは一日二試合ずつになっている。
他の生徒も少しずつ昼休憩に入り始めたらしく、遠くの方から笑い声が聞こえてきた。ほとんどの生徒は食堂に向かうのだろう。となると、落ち着いてご飯は食べられそうもない。
人混みを避けるために選んだのは、あまり生徒が寄り付かない裏庭の一画。ここは日当たりがそれほど良くないので、ランチには適さない。でも、そのおかけでフィーロには居心地のよいオアシスのような場所になっている。
何か食べ物を買ってから来ればよかったと半ば後悔しながらも、とにかく一息つきたい気持ちが先行し、俺は寂れたベンチに腰掛けた。
日陰のおかげですっと涼しい風が吹き抜ける。
「あー……生き返る……」
ベンチでぐでーっとしていると、笑い声が聞こえた。クスクスという含み笑いに、フィーロは首をもたげて声のする方に視線を向けた。
笑い声の主を見てフィーロは驚いた。
「ふふっ……あ、ごめんね。見てて面白かったから」
「リリーナ……先輩」
声の主はリリーナだった。泣く子も黙って笑顔に変わる生徒会長がなんでこんなところに。とっさに言葉が出てこなかったため、フィーロはただ呆然としていた。ややあってリリーナが困ったような表情をした。
「そんな、先輩とかいらないよ?」
「いや、でも先輩ですし」
なんなら生徒の代表的存在まである。
「むぅ……」
しかしながら、だ。あんなふうに可愛らしく頬をふくらませて、いかにも不服そうな顔をする彼女に根負けしない男がいるなら見てみたいものだ。
「……わかりました。リリーナ、さん?」
「呼び捨てでいいよ?」
「それは……さすがに無理です」
呼び捨てにするなど恐れ多い。もしもそんなことしたら、ファンの人たちに世にも恐ろしい処刑方法で抹殺される。俺はまだ死にたくない。
しかし俺の気持ちを知ってか知らずか、生徒会長リリーナはよいしょと小声で言いながら俺の隣に腰掛けた。
無駄に近い。肩が触れて、体温が少し伝わる。いやいや待って近い怖い超いい匂い。
「な、なんでここに?」
緊張で自然と背筋も伸び、呼吸すら困難になっていたフィーロは、精一杯声の震えを抑えて質問した。
「ここ、人があんまり来ないでしょ?」
でしょ? とか言われても。いや、ここに来る時点で人気が少ないことは知っていると踏んだのかな。普通なら好き好んで来る場所でもないし、だからこそ俺にとっては落ち着く場所にもなっている。
「わたしもね、疲れた時は、ここでちょっとだけ休憩するの」
「そうなんですか」
リリーナも人間だ。そりゃあ、疲れる時くらいある。とくに男女問わず人気を集める彼女は、常に周囲に人の目があるだろうし、気を抜けないことも多いことだろう。そのぶん、人間関係で疲れることもあったりするのはなんとなく想像出来た。
「だからお気に入りの秘密スポットなんだ」
んー、と伸びをしながら「風が気持ちいいー」と独りごちるリリーナを横目に、フィーロは彼女について考える。接点がある相手ではないし、深く知っているわけではない分、今まで彼女に抱いていたイメージからかけ離れていて、そう、なんというか新鮮だった。
「そういえば名前聞いてないね」
「フィーロ・ロレンツです」
「フィーロ君かぁ。前からよくここいるよね?」
「よく知ってますね」
やはり俺がここによくいることは知っていたようだ。俺は全く知らなかったんだけども。
「生徒会長だもん。それに、もともと顔はよく知ってるんだよ。ほら、期待のルーキークラン《カタハネ》でしょ? 一年生ですごい強いって」
「俺じゃなくて、周りがですけど」
「そうなの?」
「ええ。俺はへっぽこです」
「そんなことないと思うけど……でもまだ一年生なんだし、大丈夫だよきっと。頑張れ!」
「はあ」
変な期待をかけられた気がしたので、フィーロはどうにも気のない返事をしてしまった。頑張ってどうにかなるレベルでもないんだけども。とはいえリリーナに言ったところで詮無きことだ。
「あ、そうだ」リリーナは何かを思いついたような声を上げた。「ねえ、フィーロ君。お昼食べた?」
「まだですけど」
「じゃあさ、一緒に食べない?」
「は?」
何を言ってるんだろうかこの人は。というか、男子の憧れにして高嶺の花の美人生徒会長リリーナ・メルティノーズからのお昼の誘いだと? 罠か。いわゆるドッキリというやつだろうか。迷える男子に夢を見させて叩き落とす系の悪質ないたずらか?
「だめ……?」
その上目遣いは反則でしょ。「いいですけど……」
押し流される俺はただの優柔不断か。でもね、リリーナの上目遣いに抵抗できる人間がいたら見てみたい。無理ですよ。ガナッシュくらいじゃねぇの。あいつ変態だからきっと大丈夫。全然大丈夫じゃないね。
「あ、でも俺、買わないとないんで。少し購買部まで行ってきますね」
まぁ、腹は減っている。どのみち食べようとは思っていたから、隣に誰がいようがあんまり関係ないか。いやあるね。生徒会長と一緒に食事とか、他の生徒に見られたら殺されるね。間違いなく。
ともあれ、少し気持ちを落ち着けるためにも、少しこの場を離れるのも大事だろう。
行ってらっしゃいと手を小さく振るリリーナに小さく会釈で返事し、フィーロは購買部に足を向けた。
せいぜい、ドッキリではないことを祈ろう。