第一章(12) 一回戦
◆Ganache◆
ガナッシュたちはひたすら森の中を駆けていた。生い茂った木々が時折牙を剥き、頬を掠める。煩わしい。視界も悪い。厄介だ。
先行した三人を追っているが、地上はひどく移動しづらかった。ガナッシュ一人なら気にするほどでもない。だが、問題は後ろだ。
「……もう少し速く走れないか!?」
少しだけ振り返る。後ろにはモニカとユーリ、そしてクロアが走っている。ユーリはもうすでに肩で息をしている。シェリカに次いで体力がないのがユーリだ。お陰でスピードも落とさざるえない。
「す……すい……すいません……」
「クソロン毛! ユーリはこれが限界なのだわ! 文句言わないで頂戴!」
誰がクソロン毛だ。モニカの過保護はいつものことだが、その都度敵意剥き出しの悪口を浴びせてくるのは精神衛生上よろしくない。というか不快だ。
ちなみに、当然だがモニカの息は切れていない。いっそのことモニカに担がせてもいいかもしれない。よろこんでやるだろうし。いや、奇襲に対応できないか。却下だ。というか、そもそもユーリに運動能力を期待するほうが間違っているか。
クロアはといえば無表情のままだ。ゆったりと走っているが、あれは単にやる気がないだけだろう。これも期待するだけ無駄だ。
溜め息が出そうになる。いや、集中しろ。協調性なんてはなからこのクランにはないのだから、頼れるものは自分だけだ。クランとしてこれでいいのか甚だ懐疑的ではあるが、この完全個人主義の連中を束ねる気はない。
利己と妥協で成り立ったクランだ。主に人間関係が崩れているからな。中心のフィーロがいてギリギリのラインで稼働している。本当に、ある意味奇跡みたいなクランだと思う。
――ズン。
突然、前方から鈍い音が聞こえた。いや、響いたに近いか。近い。戦闘音と見た。まさか何かあったか。
「はあ、はあ……も、モニカちゃん……はあ、はあ……今の音……」
「わからないのだわ。とりあえず、何かがあったのは間違いないだろうけど……」
「急ぐぞ!」
ガナッシュは足を早める。
奇襲が失敗した? まさか誰かやられたか? そんな簡単にやられる連中じゃないはずだ。だが最悪のケースもある。焦燥がガナッシュを急がせた。
邪魔な茂みをかき分けて、音源らしき場所へと辿り着いたガナッシュは息を呑んだ。
「これは……」
「………敵」
ひょこっと顔を出したクロアがそうこぼす。確かに、その通り、これは敵だ。
敵なのだがこれは。
戦闘不能の敵だ。
罠かと警戒するが、ぴくりともしない。どうやら完全に意識を失っているようだ。ガナッシュは警戒を切らずゆっくりと近付く。
「……すぅ……はぁ……肋骨が折れてます。気は失ってますが、息は……あります」
無理矢理息を整えたユーリが倒れた男に手のひらをかざして言った。治癒士の触診術をここまで迅速に行える学生はそう多くない。感心する一方
、呆れもした。敵対クランにする必要はまったくないのだが、その辺わかってるのかどうか。
まあ、それもユーリの性格だ。致し方あるまい。
「………暗殺者学科」
クロアはしゃがんでちょいちょいと木の棒で突いていた。いや、そんな汚いものを突くようなことしてやるなよ。
まあ見た感じ、軽装で黒基調の服装、手に暗器が握られているところを見れば、暗殺者学科などその辺の学科だろう。誰が倒したのか。まさか仲間割れなわけはないし、ここにいない仲間の誰かだ。魔術の外傷ではない。フィーロというのも考えにくいし、順当に考えればレイジか。
レイジの戦闘能力は重々承知していたが、これを見ると正直見誤っていたかもしれない。見たところ相手は三年生だ。年上だから強いとは思っていないが、暗殺者学科は平均的に身体能力の高い学科だし、弱いということはないだろう。しかしこの男には外傷がほとんどない。戦闘の痕跡が少なすぎる。どうやって倒したのかはわからないが、それほど時間がかかっていないはずだ。
レイジ。
本当にただの変態ではないらしい。もうこの場にはいない。もう移動したのだろう。自分たちも、早く追い付かなくては。
「ユーリ、そろそろ行くぞ」
「え……で、でも」
「治すなよ。それは敵だ。それに、よく見ろ」
「……あ、か、身体が……! 消えていきます! ど、どこに……!?」
薄く透けるように消えていった男を見て、ユーリが慌てた。
「落ち着け。完全に意識を失ったら三分ほどで強制的に退場だ。別に死にはしないし、心配いらない」
「……そうなんですか」
安堵の表情を漏らすユーリ。敵味方というものを区別しないその博愛性は短所とも長所ともとれる。が、今はもう少しカタハネの治癒士としての自覚を持ってほしいところだ。
ゴーイングマイウェイを地で行く連中が多くで困る。
まあ、それは自分もか。
自嘲じみた笑みが漏れる。どちらにせよ、急がなければならない。時間はまだあるとはいえ、悠長にはしてられない。
立ち上がると同時に、いきなり首筋がちりっとした。
この感覚は。すぐさま顔を上げて周囲を見回すと、ガナッシュは光る何かを察知した。そしてそれが何かを判別するよりも早く叫んだ。
「……伏せろッ!」
この感覚は、魔術だ。
◆Shericka◆
フィーロの腕は心地良い。暖かくて、なんだか優しい匂いがする。あまりに心地よくて、眠りそうになってしまった。「見つけた……」というフィーロの言葉が耳に入らなかったら、本当に寝ていたかもしれない。
視線の先には《夢工場》とかいうクランの連中。生産性はなさそうな名前だが、まあクランの名前なんてどうでもいい。とりあえずそいつらは目と鼻の先にいる。
「人数足りねぇ」
「敵の人数?」
「まさか二人だけってことはないだろ」
「八人くらいだっけ?」
「だったよな」
「別れてるってことかしら」
「となると、あれだよなぁ……」
フィーロがばつの悪そうな顔をした。
「こっちの行動がバレてるってことじゃないかな」
「それって……」
「っ……! ヤバい!」
フィーロの表情が焦りに変わるとほぼ同時に、シェリカの首ががくっとなりかけた。いきなりフィーロが飛び上がったのだ。
「ぐっ……」という呻き声を上げるフィーロは、バランスを崩して下に落ちる。シェリカは落下特有の胃が縮むような感覚に陥った。地面に着地したフィーロはシェリカを降ろし、膝を突く。その顔は苦痛に歪んでいた。
「ど、どうしたの……!?」
「矢が刺さった……めっちゃ痛い。超痛い」
「矢ですって……!?」
見るとフィーロの足に矢が刺さっていた。黒いズボンなので目立ちにくいが、湿ったものがじわじわと広がっている。血だ。誰が射った。怒りが湧いてくる。
燃やす。絶対に燃やす。燃やし尽くす。
触媒を取り出そうとした瞬間、フィーロに腕を捕まれた。
「下がれシェリカ。来るぞ」
シェリカの身体を引き寄せながら、フィーロが小さく呟いた。緊張が伝わってくる。
「ヒイィィィ――――――――ハァァァ――――ッ!」
声。どこから。上。上だ。耳障りな声が上から近付いてきた。敵は真上にいたのだ。シェリカが見上げる頃には目前だった。速い。捉えきれないけれど、そいつは両手に似たような片刃の妙に反り返った短剣を振りかざし、シェリカたちに飛び掛かってきた。
「シッ……!!」
風の抜けるような音とともに、何かが空を裂く音がした。黒いものが目の前を走る。
フィーロが剣を振るったのだ。ほぼ真上に。丁度、飛び込んできた敵に向かって。
「おおっとぉっ!」
敵はあろうことか空中で身体を独楽のように回転させせながら、フィーロの剣を防いだ。反動を利用しながら、離れた場所に着地する。
「へぇ〜……やるでなぁ〜い?」
敵は舌を出しながらいやらしい笑みを浮かべた。
見たところ三年生。身体にフィットするタイプの黒いボディスーツの襟元に銀色のバッジが見えた。
「おっ? おおーう。そっくりさん! 噂のロレンツ姉弟かな? いや近くで見るの初めてだわー。んだよ可愛いじゃん。意外とタイプ♪」
妙にテンションが高い。不快だ。物凄く不快だ。
フィーロが矢を抜いた。痛みで少し顔を歪めた。
「いってぇ……」
「大丈夫!?」
「ああ……」
よくもフィーロに傷を。許さない。あいつは絶対ぶっ殺す。そう決めて、シェリカが詠唱しようとした瞬間。
「――ふやぁっ!?」
フィーロに引っぱられた。
いつもより乱暴な感じで……嫌いじゃない。こういうフィーロもいい。というかフィーロならなんでもいい。
よく見えなかったけれど、なんらかの攻防があった末の状態なのか。ニヤニヤの後ろに同じような格好の男が立っていた。違うのは、腰に矢筒が吊り下げられているということか。
こいつがフィーロに矢を射った奴。よし、こいつも抹殺リストに載せよう。そこのニヤニヤと同じく完膚なきにまでぶっ殺す。
「こちらも防ぐか」
ニヤニヤとは対極の、落ち着いた声。
だからなんだ。不快なものに変わりはない。
「奇襲かけられたのは俺たちってことか……」
フィーロはまいったなぁ、と小さく漏らす。別に問題はないと思うのだけど。どうせ潰せばいいんだし。フラッグ? そんなものどうでもいい。敵を全滅させればこちらの勝ちだ。
「まっ、一年坊主の考えることなんてお見通しってわけよ。だからまーあれだ。大人しく死んどけ?」
「少しは自重しろ。お前がそうガラ悪いと、俺まで同じに見られるだろう」
「いやーやっぱ後輩には力の差を見せつけてやらないといけないじゃん?」
「今頃仲間の一人もやられている。降伏してくれればこちらも楽なんだがな」
さっきの奴のことか。変態どうなっていようと気にはならない。というか、別にこの程度の相手、あたしが本気を出せば余裕だ。一撃で粉砕できる。怖がる必要なんてない。だけど余裕を見せるシェリカとは裏腹に、フィーロは不安げだ。
フィーロはきっと考えているのだ。あたしを守ることが出来るのかと。そんな心配はいらないのに。フィーロは、あたしが守るのだから。
「お、おいおい、魔術士が前に出るかぁ?」
「ちょ……シェリカ」
心配はいらない。
こんな奴ら、あたしが倒してあげる。
「舐められたものだな」
「いや、こういう勝ち気な女は嫌いじゃねぇよ?」
残念ながらあたしはお前みたいなのは嫌いだ。
シェリカにとって、フィーロが全てだ。それ以外の男になんて興味はないし、むしろ敵だ。そう敵だ。敵。敵なのだ。敵は殲滅するのがモットー。それが嫌いな奴なら尚更だ。
「あんたらまとめて吹き飛ばしてやるわ!」
◆Firo◆
こいつアホだ。
アホっつーのは毎度思ってることなんだけど、今回は本気でアホだと思ったわ。身体固まったわ。何してんのお前。つーかなんでそんな自信満々なの。
「とはいえ、三ヶ月分は働くって言ったからなぁ……」
でもどうすりゃいいんだろうな。皆目見当もつかねーよ。このやたら前線に出たがるアホを守りながら、俺はこの二人と戦わないといけない。面倒臭いどころの騒ぎじゃない。
「ぶっ殺すぅぅぅ? やぁぁぁれるもんならやぁぁぁってみなァァァ――――ッ!!」
ニヤニヤ顔の男が迫る。後ろの男が弓矢で援護射撃をしてきた。考えている暇はない。
フィーロはシェリカの横をすり抜け、前に出た。少なくとも、時間さえ稼げればシェリカの魔術が発動可能になる。ここからは秒単位での攻防だ。
手に持った黒い剣を一気に突き出す。ニヤニヤ男は難なくかわした。後退。それでいい。要は後ろから来る矢をどうにかしたいたけだ。
剣で払う。クロアほどじゃない。弾くのは容易だ。
ニヤニヤ男がまた攻めてきた。鬱陶しい。その奇っ怪な性格とは逆に、やたら堅実な短剣捌きだ。コンパクトに斬りかかってくる。生粋の短剣使いだ。何度も斬り刻み、動きを鈍らせ、仕留める。一撃と連撃を使い分ける様はまさに獰猛な獣。
さすが三年。経験が違う。というか普通に強い。
間隙を縫い込むようにして、フィーロは縦に振り下ろす。いや違う。誘われた。短剣が喉を突こうとする。上体を逸らしてかわした。あぶなぇ。
「やぁるじゃぁーねぇかよォォッ!」
「そりゃ、どうもっ……!」
ニヤニヤ男で手一杯だ。どうするんだこれ。つーかもう一人の鉄面皮の方だ。どこに。いた。木の上だ。どうにかして引き剥がしたい。張り付いて離れやがらねぇ。ええい、鬱陶しい。
「烈Xo儕Ray穿雷瘡」
紫の閃光が通り過ぎる。
「わっちゃ!?」
ニヤニヤ男が退く。シェリカの魔術だ。助かった。いや助かってない。鉄面皮の放った矢がシェリカに迫っていた。
「だらぁッ……!!」
手を伸ばす。矢を掴んだ。おお、すげえ。やれば出来るもんだ。自分もびっくりだ。やり方はスマートじゃないが、なんにせよシェリカが無事なら問題ない。
だがまだだ。相手はこれでおわらせない。フィーロは身体を回転させ、その勢いで鉄面皮に向かって矢を投擲した。
当然ながら当たりはしないわけだが。
いやいい。牽制になれば十分だ。
「おぉーらッ! 余所見してんなよッ!!」
ニヤニヤ男が本当に鬱陶しい。猪突猛進なタイプなのでかわすことは出来るけれど、一度張り付かれると剥がすのが面倒だ。
「フィーロ……!」
「大丈夫だ! それより、でかいの頼むぞ!」
シェリカに届いたかはわからないが。とにかくシェリカの詠唱準備の時間を稼がないと。下級要素魔術では駄目だ。ある程度の反射神経と運動神経があれば回避される恐れがある。避けられないレベルのものになると中級要素魔術以上。しかし、当然行使には時間を要する。
「させると思うかァァ――!?」
思っちゃいないが、やるしかないんだよ。
レベルⅠの俺に何が出来ると言われれば、正直何もない。絵本に出てくる騎士のように格好よく……なんていうのは叶いっこない話だ。それこそ世界を救うような大それた力があるわけでもない。ガナッシュのように信念があるわけでもない。
俺は弱い。
でも、弱いなりにやれることはある。
シェリカを一瞥する。手には触媒らしきものが握られていた。問題ない。シェリカはアホだが、魔術に関しての機転は並外れたものがある。持ちうる要素魔術の中で最良を選び出すはずだ。
ここは思い切りが大事なところだ。躊躇はいけない。覚悟は決めた。あとは、なるようになる。
「だぁッ……!!」
武器を投げた。
さすがにニヤニヤ男もフィーロが剣をぶん投げてくるとは予想していなかったようで、驚いてかわす。それでいい。一瞬でも動きを止められればよかった。
フィーロは一気に距離を詰め、ニヤニヤ男に真正面から飛び蹴りを浴びせた。勢いづけたので、かなり吹き飛んでくれた。
気を抜くな。まだ終わっちゃいない。
素早く方向転換し、鉄面皮の方に向かう。素手だが仕方ない。剣は飛んでいった。今更回収に行くなんて以ての外。つーか不可能だ。
「血迷ったか、一年!」
「んなことはないですよッ!」
飛びかかる。鉄面皮もこうなれば無視はできない。
「ダメよ、逃げて!」
逃げられるなら逃げたいがな。そうも言ってられんのよ。頼むぞ、マジで。ほとんどお前にかかってるんだから。その辺理解してくれてるのかな、うちの馬鹿姉は。
鉄面皮が短剣を振るう。フィーロはそれをしゃがんでかわしつつ、足払いをかけた。
体術も得意なわけじゃないけど、身体の動かし方くらいはわかってるつもりだ。掌底を突き出す。腹部に当たった。いや、浅いか。
立ち上がりながらの後ろ回し蹴り。手応えがない。当たってないってことは避けられたってことだ。
こいつはヤバい。
「終わりだ」
体勢は崩れたままだ。どうすればいい。
いや、もうこればかりは詰んだ。
「フィーロ――っ!!」
◆Ganache◆
なんなんだ、この状況は。
氷。氷の槍。呀雹槍。それが絶え間なくガナッシュたちを攻め立てる。ユーカリスティアの広い刀身を使って体幹を守るが、だからといって無傷とはいかない。
肩を掠める。激痛。だが手を緩めれば吹き飛ばされてしまうだろう。歯を食いしばって耐え抜く。
「クソッタレ……」
不覚で。再び奇襲を受けるはめになるとは。いや、予想はしていた。タイミングの読み合いに負けたのだ。これが経験の差ということか。
向こうは確実に仕留める気でいる。さっきの攻撃よりも手数が多い。威力も上がっている。このままだと押し切られかねない。
だが倒れるわけにはいかない。ガナッシュは《カタハネ》のマスター。ガナッシュの敗北は《カタハネ》の敗北と同義だ。後退するか。いや、出来ない。相手の機動力を考えれば、追撃される可能性が高い。攻撃側はメンバーが三人になった時点で終わる。フィーロたちがどうなっているかわからない今、仲間がやられるのは避けたいところだ。
「考えろ……」
一本の氷の槍が、ガナッシュの右太股を貫いた。
「ぐぁ……!」さすがに痛い。呻き声が漏れた。歯を食い縛る。この程度で泣き言言えるか。
「ガナッシュ君、足が……!」
ユーリが立ち上がろうとする。
「馬鹿、伏せていろ! モニカ!」
「わかってるのだわ……! ユーリ、立ち上がってはダメ!」
「で、でも……!」
「心配はいらない! 不用意に立たれる方が迷惑だ!」
運動音痴のユーリがこの嵐のような攻撃の中で立ち上がれば瞬く間に串刺しになるだろう。足の傷は我慢できないほどじゃない。軽くはないが。というか、止血しないとヤバそうだ。
「ロン毛! どうするの!?」
「腹をくくる!」
何度考えても、それくらいしか思いつかない。
要素魔術に対抗するには要素魔術しかない。ならば、ガナッシュの持ちうる手札は一つしかない。
聖体の秘蹟。
ここでお前を使うべきなのか。いや、悩むな。負けるわけにはいかないのだ。あの日、あの時、命を懸けてやると決めたはずだ。
たかが一試合ではないのだ。ガナッシュの目指す場所はそんな生易しい場所ではない。手を抜くなど以ての外だ。
覚悟を決めろ。
想像する。暴虐の青い流水。要素魔術はイメージだ。イメージを詠唱として具現化する。これこそ要素魔術が無限である所以。
「詠唱の時間が欲しい!」
「ちっ……」
モニカに舌打ちをされた。なんなんだ、この態度。
「何秒必要なの」
「三十秒あればいい」
「高くつくのだわ」
そう言って立ち上がるモニカの手には彼女愛用の三叉槍、ストームブリンガー。竜槍騎兵師団と同型の仕様だ。戦時中に生まれた、魔装式三叉槍のうちでも生産ロットの少ないブリンガーシリーズだ。刀身に埋め込まれた魔石は、加護術式が組み込まれている。
要素魔術の構成は非常に強固。魔術士の能力にも左右されるが、一度構成された要素魔術を無効化することは難しい。下級要素魔術でギリギリだ。
そのために生み出された加護術式。これも術式の練度にもよるのだが、非常に強力なものになると、上級要素魔術も無効化が出来るという。
「無口女。アンタも手伝うのだわ」
「………甚だ不本意」
「アタシにだけやらせるなんて不公平だわ」
こいつら。
「ロン毛。ありがたく思うのだわ」
「………失敗したら潰す」
何を、とは聞かないでおこう。
まあ、口は悪いが腕は信用に値する。やると言うからには、やってみせるだろう。
「任せる」
「フン」「………ちっ」
口というか、態度が悪いなこいつら。
「モニカちゃん、頑張って!」
釈然としないながらも、自分のやるべきことをしようと集中していると、それを打ち消すかのようなユーリの朗らかで緊迫感のない声援。
「もちろんなのだわっ!」
超笑顔だった。
なんなんだこいつ。
だらしのない笑みを浮かべつつ、モニカは氷の槍を破壊する。表情と行為がマッチしていない。不気味だ。
「Set……」
モニカは槍を構えた。低く腰を落とす体勢は、獲物に飛びかかる獅子のようにも見えた。まあ、表情からはそうは見えないのだが。
「Go……!」
猛進。構えの形から右手で槍を大きく旋回させた。何度もぶんぶん回す。バキバキバキと荒々しい音を立てて、氷の槍が蹴散らされた。
クロアは木の上に登り、矢を放つ。魔術の勢いが弱まった。狙撃で牽制してくれているみたいだ。
そうしているうちに、ガナッシュの周囲には冷気がまとい始める。
もう十分だ。
晩餐の時間だ。聖体の秘蹟。
「附Meer哀du刀随水霊」
刀身が波打ち、波紋を広げる。青く染まる。そして目覚めた。空腹に飢えるかのように、その身にまとった力の権化が揺れていた。
「――喰らい尽くせッ……!」
◆Firo◆
結果として言えば、フィーロを仕留めようとしていた刃は、振り下ろされることはなかった。激しく金属がぶつかり合う音がしたのはわかった。何かが阻んだ? ともあれ俺は無事だ。それよりも、ここはとにかく体勢を整えないと。
振り返ってすぐに合点がいった。
まあ、負けるわけがないとは思っていたけど、まさかこのタイミングで現れるとはな。さすがに狙ってるとしか思えない。
レイジが愛用の小刀を手にして、フィーロと鉄面皮の間に割って入っていた。
「お前は……!」
鉄面皮の顔に初めて驚きの色が混じる。レイジが反撃をすると、急いで飛び退った。驚いても焦ることはないらしい。こういうのも年の功というだ。
「間一髪やったなぁ、フィーロ。さあ、感謝のキスを浴びせてくれてもええんやで?」
「黙レイジ」
格好いい登場したくせに、色々台無しだ。
「なんでーなっ! 助けたんやしお礼の一つくれたってええやん! てか黙レイジって何!?」
「あーあーうっせーな。まあ、ありがとよ」
「おお! フィーロがデレたで!」
「デレてねーよ」
「さよですか……。まあ、ええんやけどね。ほれ。ジブン、武器は大事にせえや」
さっきぶん投げた剣を手渡された。これ回収までしてたのかよ。わりと時間的に余裕あったんだね。やっぱり狙ってただろ。
フィーロが睨むと、レイジはどこ吹く風といった感じで目線を逸らした。おいこらこっち見ろ。
「さってと、第二ラウンドと行こうや」
「俺を戦力に入れるんじゃねーよ……」
「しゃあないやん」
「ま、この状況じゃなあ……」
やーホントはこのままレイジに任せて逃げるってのも手なんだけどね。さすがに、手練二人を相手取るのは大変だろう。俺がいてもあんま変わんない気はするけど。
「おーいおい。マジですかぁー? カルーニを倒したのかよ……あーり得ねー」
「油断したんだろう」
「だとしてもよぉ……たっくよー。おい、最高にいいぜ一年坊主ども。こっからは本気でいくからなァ?」
ニヤニヤ男が迫ってきた。さっきよりも速い。ほぼ同時に鉄面皮も駆け出した。「レイジ、笑ってる方を頼むぞ!」「任せい!」フィーロはシェリカを守れる位置に立つ。背後ではシェリカが魔術の準備をしている。こちらが上手くやれば、シェリカがなんとかするだろう。
「――Bwc・翠艮miX滅罪仭Uz戮想ELDe念SStXX駁de・Jacta」
詠唱が始まった。
「させん!」
「通さないッ!」
鉄面皮の刃を受ける。重っ。短剣使ってるあたりからスピードタイプなのかと思いきや、とんだパワーだ。だが森の大熊に比べれば俄然マシだ。
押し返す。「ぬっ……」
フィーロは剣を翻し、蹴りを食らわせた。
「が……!?」
「レイジッ!」
「合点や!」
こちらの呼びかけに応えたレイジは、ニヤニヤ男を素手で吹き飛ばす。なんだ、今の。今はどうでもいいか。
鉄面皮とニヤニヤ男を一点に集めることに成功した。
「餐變對劫rebel髏黻叡雹n剛vels金剛縛獄」
――冷気。
木々が白く染まるほど冷え込んだ。
四方八方の地面が盛り上がり、高波のように二人に覆い被さろうとした。完全に蓋をしたと思えば、それが拗じられる。まるで奇妙なオブジェのようだ。中がどうなってるかは想像したくない。
それで終わりかと思えば、巨大な氷柱が生えてきて、そのオブジェを串刺しにした。無数に、隙間なく。針のむしろとはあれのことか。
とにかく一瞬だった。
魔術の轟音が鳴り止むと、さっきまでの狂騒が嘘だったかのように辺りは静かになっていた。
「上手くいったわ、混合魔術」
振り返ると、シェリカはむふーと満足げな顔をしていた。なんともやりきった顔だ。いやいや待て待て。
「やりすぎじゃね……?」
「そう? 普通よ。ちゃんと戦闘不能にしたし」
「いやまあ、そうだけど……」
倫理的にどうよ。
いやまあ、この空間は非殺傷設定になってるみたいだし、長い時間意識失ったり、死んだ時点でフィールドからフェードアウトする仕組みにはなっている。さすがに本気の殺し合いなどさせるわけがないからね。
どういう原理かは知らない。稀代の魔術士の使う魔術を、俺程度の人間が理解できるわけないだろ。とはいえ死なないけど痛覚はあるのだ。つまり、ここで首を刎ねられれば、斬首て死ぬ痛みを味わうことが出来る。笑えない。
今のシェリカの魔術は相手を圧迫し捻り、串刺しにするという筆舌に尽くしがたい死に方を味合わせたことになる。悪魔のような所業である。
「それよか旗どうすんねん? 今からなら探して破壊できるやろし」
「あーそうだな……」
まだ時間はある。俺たちが奇襲を受けた以上、たぶんガナッシュたちも同じく攻撃を受けている可能性は高い。合流するっていうのもあるけれど、あいつらに助力なんて要らんだろうしな。
「保険代わりにやっとくか」
これもまあ、余計なお世話なんだろうけど。
◆Ganache◆
「――おおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ……!」
降り止まぬ氷槍の嵐の中を、ガナッシュは雄叫びをあげて大きく踏み込む。蒼く波打つ刀身が牙を向く。
斬撃から生み出されたのは――、
波。
刀身から離れた蒼の塊は、大きな波となって氷の槍をまたたく間に呑み込みながら、地を這うように進んだ。
「蒼濤ッ……!!」
目覚めた聖体の秘蹟はまるで空腹に飢えた化物だ。何もかもを呑み込みながら突き進む。たかだかあの程度の氷槍など、足止めにすらならない。この威力こそが魔剣たる所以なのだ。
「見えた……!」
五人の敵の姿が目に映る。焦っているのか、陣形がめちゃくちゃだ。まさか突破されるとは思っていなかったのだろう。
浅はかだ。
だがこれで終わりではない。一気に畳み掛ける。
「クロア、距離を!」
「………距離、百……後退を開始」
「逃さん……!」
クロアの眼は鷹の眼だ。あるいは千里眼。あらゆるを望見する究極の眼だ。弓術士としての力を絶対にまで高める、彼女だけが持ちうる眼。
実際、相手は後退を始めていた。だがそこは既に聖体の秘蹟の牙が届く範囲だ。おおかた魔術で牽制しつつ接近しとどめを刺すつもりだったのだろうが、それが仇になったな。
「たらふく喰らえ……!」
ガナッシュは地面に刃を突き立てた。
「蛟竜っ……!」
地面を叩き割り、噴水のように水の柱が立ち昇った。
――否。
あれは柱ではない。それは唸り、うねり、雄叫びを上げた。深い、闇のような碧が敵を見据える。喰らうべき獲物を。飢えを満たす餌を。
竜。
それはまさしく、水で出来た竜だ。
蛟。あるいは蛟竜。
蛟とは大蛇。あるいは竜。しかしながらただの竜ではない。古くは『水つ霊』と呼ばれた。水つ霊。つまり水の精霊。蛟とは、これすなわち水の精霊である。聖体の秘蹟に眠る、飢えた暴竜だ。
グオォォォォォォォォォォォォォォォォォォ……!
蛟は雄叫びとともに駆ける。大木すらも呑み込み、生きた濁流は突き進んだ。敵は完全に浮き足立っている。ガナッシュはさらに追い討ちを掛けた。
力を込める。
「征け……!」
魔剣は歓喜に踊るかのように、ガナッシュの身体を螺旋状に囲みながら流麗な水が上空で大きな塊を作った。間髪入れず、それは弾け、そこからまたもや柱が真っ直ぐに伸びた。
「――番大蛇」
咆哮。
二体目の蛟竜が塊から生まれた。
あの人は、蛟を哀れな竜だと言った。そんなことはない。雄々しく、猛々しく、凶悪なほどに美しい竜。力の権化そのものであるその姿を、哀れだとは思わない。
哀れなのは、あなたの方だ。魅入られてたんだ。その美しさに憧憬し、その禍々しさに心打たれた。ボクはそうはならない。なってたまるものか。たとえこの魂が喰らいつくされても、ボクはこいつに屈服などしない。
あなたのように、死にたくはない。
ボクは、
「消し飛べェェェッ……!」
ボクは――。
今、何を考えていた?