第一章(10) 開会式
◆Firo◆
「あ〜………………」
「情けない声だすな」
ガナッシュに小突かれた。
「いや、だってさ……」
「だってじゃない」
そして一蹴された。
同時にワーっという歓声が上がった。フィーロは気だるそうに前の特設ステージを見た。
第一グラウンドは学園の中で一番広い。総生徒が一同に介しても大丈夫なくらいなので相当な広さだ。そして熱気がすごい。とてもむさ苦しい。
理由はステージにある。
『――紳士淑女の皆さん! ようこそお越しくださいましたぁ!』
「そりゃ学園行事だからはなから全員参加だろ……」
「黙ってろ」
何こいつ、今日ちょっと厳しくない?
『わたくし、みんなご存知の通りっ! 生徒会長のリリーナ・メルティノーズです! リリちゃんって呼んでね♪』
リリちゃーん!
むっさい歓声。気持ちわりっ。なぁーにがリリちゃーんだ。アホかこいつら。……あー帰りてぇ。
リリーナ・メルティノーズといえば学園で初めての女性生徒会長だ。二年や三年が就任するのは創立以来から見ても別段珍しい話ではないが、女生徒が生徒会長に就くのは初のことらしい。突如候補者として彗星のごとく現れたリリーナは、その美貌というか愛らしさというか、まあ容姿で男どもの圧倒的支持を集めた。
だからといって鼻にかけたところもなく、女子生徒の友人も多いと聞く。つまり女性陣の支持率も高い。言うなれば、学園のアイドル的存在である。その辺でプロマイドとか売買されてるしね。ん? はははー俺は持ってないよホントだよ?
その生徒会長は現在なぜか短いスカートのメイド服を着て、マイク片手にきゃぴきゃぴしていた。男には絶景か。まぁ、俺も嫌いじゃない。だけど素直に喜べるかと言えば、そんな気分じゃない。
『さぁー始まりました、クランコンテスト! 今年もいっちばん素敵なクランを決めちゃおー!』
うお――――――――――――――――っ!
高らかに上げられるむっさい腕の数々。壮観だね。見てて吐き気がするや。どこの地獄の亡者?
いやしかし。
クランコンテスト。
遂に始まってしまったよ地獄の祭典。いっそのこと部屋に引き籠もってしまいたかった。まぁ、そんな抵抗も虚しく同室のガナッシュに引きずられきてしまうわけなんですが。
『今年も多数のクランが応募してくれましたぁ! みんな、ありがとー!』
Wooooooooooooooo! Fuuuuuっ! PiiiiiiiPiiiiii! L・O・V・E・リ・リ・ちゃん! Fuuuuuuuuuu!
「なあ、ガナッシュ……俺、もう帰っていいかな……」
「堪えろ」
ねぇ、これ耐えてなんかいいことあんの? つーかガナッシュも辛そうじゃね? なんで耐えてんだよ。もう帰っても問題なくねぇ?
フィーロはだんだんと頭が痛くなった。
リリーナがルールなどを説明していく。歓声がうるさすぎてほとんど聞こえないが。ま、ルールは冊子にまとめられてるらしいし、そもそもガナッシュがよく知っているだろう。なんかそういうの豆に読んでそうだし。
「いや〜絶景やな」
レイジがいつの間にか背後にいた。この変態が後ろにいると寒気がする。あとお尻がきゅってなる。怖い。
「これだけたくさん人がいりゃあな……」
壮観っつーかなんつーか。
なんにせよ、むさ苦しい。
しかしレイジはやれやれといったふうに首を横に振った。何こいつムカつくんですけど。
「ちゃうがな。リリちゃんや、リリちゃん。べっぴんさんやでホンマに。特にあの胸がええな。ちょっと小ぶりやけどこう整っててさぞ揉み応ゲブァ」
「お前は寝てろ」
「ご愁傷さん……」
ガナッシュの強烈なキドニーブローで沈んだレイジに手を合わせるフィーロ。悪いのはレイジだが、悼むくらいはしてやろう。
依然として歓声に包まれながらもリリーナは絶好調でフリートークを続ける。いやフリートークかよ。何してんだよ。本当にアイドルみたいじゃねぇか。
付き合ってられないし、暇なので手許にあったクランコンテストのパンフレットを眺める。大会は四つのクランによるリーグ戦から始まり、総合成績が一位のクランがトーナメントに上がることができる。
基本組み合わせは抽選。ここで躓くと大変だ。ガナッシュのクジ運にかかってくるだろう。ホント頼むわ。楽なとこに当たりますように。
総合成績や教師陣の審査、あとは観戦している生徒の投票で部門別に優れたクランが決まる。つまり基準が曖昧ということだ。トーナメントで勝ち抜いて総合優勝をゲットするのが一番確実ではある。
まあ、そんな簡単な話ではないんだが。
有力なクランってのはたくさんある。というか、《カタハネ》はあくまで『一年生の中では強い』だけであって、上級生と比べればまだまだだ。そもそもの経験に差があるし、クランという団体で戦うのだ、個々の技量だけじゃなくチームワークも重要になる。
「俺ら、不利だよな……」
「何か言ったか?」
「んや。なんにも。それよか、このMVPって何?」
「そのままの意味だ。優秀だった生徒を選ぶんだと。まあ、だいたい総合優勝のクランから選ばれる」
「なるほどね」
歴代の総合優勝したクランとMVPが末尾のページに載っていた。去年のMVPは……エリックじゃん。ってことは優勝したのはエリックのクランか。《ランプ・オブ・シュガー》か。砂糖の塊……パティシエらしいな。
つーか今エリック三年だよな。
二年で総合優勝してんのかよ。
歴代のМVPを見てみたけれど、二年生はエリックだけだった。おいまじか。あの人どんなけつえぇんだよ。
あ、やばい。胃がキリキリしてきた。
こりゃーダメかもな。
◆◆†◆◆
部門は全部で六つある。
チームワーク部門、タクティクス部門、キャパシティ部門、ユニーク部門、アダプテーション部門、そして総合部門。
チームワーク部門は一番協力性の高かったクランを。タクティクス部門は戦略性の高かったクランを。キャパシティ部門は個々の能力が総合的に見て高かったクランを。ユニークは一番格好よかったり、可愛らしかったり、面白かったり、とにかく、一番印象に残った独自性の高いクランを選出する。アダプテーション部門は順応性というか応用力が問われる部門らしい。要は不測の事態にも対応できるとかそんなんだろう。たぶん。
総合部門は別名トータルフォース部門。トーナメントによる力量だけで決定される、いわば「一番強いクラン」の証となる部門だ。
クランコンテストは将来の足がかりにもなる大事なイベントだ。ここでの成績があれば、学園外にある世界規模のクラン――たとえば《象牙の血盟》や、《H&B》などに教員が推薦してくれたりという特典がつく。冒険者として名を挙げたいならまたとないチャンスということだ。
ま、俺はどうでもいいんだけどね。
『今回はわたしのクラン《ラブリーブレイク》も参加するから、みんな、頑張ってね―――っ!』
Woooooooooooooooooo!! YEEEAAAAAAAAAAAH!!
やかましいわ。
何がウーイェーだっつの。
「とにかく、やっと終わった……」
フィーロはすでにぐったりした。始まる前からダメージだ。この精神的ダメージを狙ってこんな馬鹿げたことをやっているとしたら、リリーナ・メルティノーズは大した策士だな。
つーか愛の逃避行って……クランに付ける名前じゃないだろ。ネーミングセンスが絶妙っていうかぶっ飛んでる。まあ、何事もインパクトが大事なのかもね。
「生徒会長のクランまで参加か……今年は激戦だな」
ガナッシュが小さく呟いた。
あーそうか。そういやそうだった。
リリーナは先ほどの言動から少しお馬鹿な女の子に見えるがレベルⅤ。加えて言うならば、彼女は本物の魔剣士学科だ。
別に責めるつもりはないが、ガナッシュの魔術はあくまで神具によるものだ。聖体の秘蹟が無ければ、ただの剣士。しかし、リリーナは違う。彼女は本物の魔術士にして、卓越した細剣の使い手だ。それらの実力もまた彼女を生徒会長足らしめているのだろう。
その彼女が率いるクランだ。実力も相当なものだと思われる。
エリックだって出場するんだろうし、激戦になるのは容易に予想できた。
「うーわ帰りてー……」
今からでも危険できないのかな。
横にいるガナッシュをちらりと見ると、奴の瞳は闘志で燃えていた。メラメラだった。
オイオイ勘弁してくれよ。
◆Ganache◆
今年の参加クランは過去最多だと言う。
総数は二百三十八に及ぶ。ローズベル学園では現在三百弱のクランが結成されているため、三分の二以上は参加しているということになる。
もともと、クランコンテストは大掛かりなイベントだ。それだけに期間が長い。抽選でαからδまで四つのブロックに分かれ、五つないしは四つのクランが決まった組み合わせでリーグ戦を行う。各リーグ戦を一位で勝ち抜いた十二のクランが、ブロック別トーナメントを行う。さらに、これに勝ち残った四つのクランが、最終である決勝トーナメントの舞台に上がる権利を獲得するのだ。
ガナッシュは配布された冊子なったリーグ戦の対戦表一覧を見た。抽選は参加申込と同時に行われた。ガナッシュがあの時引いたのはβブロックのE−1。
ページをめくって、βブロックのEリーグ対戦表を確認した。
E−1:《カタハネ》
E−2:《夢工場》
E−3:《リトルリップ》
E−4:《アンセムスター》
E−5:《マッドボーイズ》
「まさかだな……」
思わず苦笑いしてしまった。
「おいおい、ミラクル起きてんじゃんこれ……」
フィーロが顔をしかめる。まあ、いきなり《アンセムスター》と当たるとはこっちも予想していなかった。この場合、運がいいのか悪いのか。
「あ、フィーロ君とガナッシュ君。おはよー」
噂をすればというか、《アンセムスター》所属のモランが現れた。折り目正しく学園の学生服に見を包んでいる。もともと運動しやすいように設計された学生服なので、そこに鎧を付ければ戦闘服として利用できるローズベル学園の学生服たが、式典以外では着用義務はない。隣のフィーロは基本的にインナーに軽い板金を当て、上から対刃コートを羽織っているし、ガナッシュもタイトな服装の上から外套を羽織っている。他の生徒も似たようなものだ。
とくにモランに手を引かれ、寝ぼけてますと言わんばかりに眠たげな目を擦るシェリカなど最たるものだ。魔術という儀式を行使する魔術士は、服装からこだわる。シェリカの着ているものは礼服は咒礼装・鳳翼"聖華"と呼ばれていて、胸元にきらびやかな翼の意匠が凝らされている。鳳翼シリーズは世界的にも有名で、愛用している者は多いと聞く。特に派手好きが。
話がそれた。
まあ、要するに学生服なんてものは生徒会や風紀委員といった役職に就いている生徒くらいしか常時着用しないことからもわかる通り、モランは真面目な生徒だということだ。
「おはよう、モラン。シェリカは寝ぼけてるのか?」
「おきてふ……」
いや寝てるだろ。
「寝てんじゃん……ま、あとはこっちでなんとかするわ。ありがとな、モラン」
「ううん。平気だよ」
フィーロが苦笑しながらもシェリカの手を引く。この女、ふらふらしているが大丈夫なのか。これからすぐ試合なんだが。
一抹の不安を覚えていると、誰かが立ち塞がった。
「ほーっほっほっほっ! 情けないですわね、シェリカさん! これではもう勝負がついたも同然ですわね!」
「うるひゃー……」
声高らかに笑うベアトリーチェに、シェリカが手を伸ばすと、いきなり小さい火の手があがった。
「だっひゃ!?」
「あー寝ぼけてる時に騒がしくすると爆破してくるから気をつけて」
「危険すぎませんこと!?」
本当にな。今みたいな小火程度ならともかく、もし大爆発とか起きたらどうするんだ。怪我じゃ済まないぞ。こういうところは酔っぱらいよりも質が悪い。
「リーちゃん、そろそろ集合時間じゃない?」
「くぬぬぬぬぬ……こ、この借りはあとできっちりとお返しいたしますわ!」
「ガナッシュ君に挨拶はいいの?」
「えっ、あっ……お、お見苦しいところをお見せしましたわ……その、借りを返すというのは決してガナッシュ様にではなくシェリカさんに対してであって……」
「ああいや、それはわかってるが……」
いつもそうなのだが、ガナッシュを前にするとベアトリーチェは急にしおらしくなる。
なんというか、居心地が悪い。
自分の容姿について深く考えたことはない。不細工ではないと自負しているが、妙な集団が出来上がるほどに騒がれるとは思っていなかった。
告白されたこともある。が、興味はない。ベアトリーチェが自分をどう思っているのかは知らないが、答える気などさらさらない。
好意も、敬意も、ガナッシュには必要なかった。
「そ、それでも!」
必要ない、けれど。
「手を抜いたりはいましませんわ。わたくしたちの持てる力を全て注ぎ込んで戦いますわ」
「……そうか」
彼女は真っ直ぐで、眩しくて、凛々しかった。
他の女とは違う。
挑戦者の目だった。
「楽しみにしている」
これは考えを改めるべきなのかもしれない。
「行きますわよ、モラン」
「うん。それじゃあ、フィーロ君、ガナッシュ君。また後で。お互い頑張ろうね」
「ああ、頑張ってくれ。応援してるから」
「いやお前も頑張れ」
「あはは」
モランは笑っているが、ガナッシュには笑いごとじゃない。うかうかしてられないぞ、本当に。
本当の挑戦者はボクらの方なのだから。
◆◆†◆◆
「そういや、これどこで戦うんだ? グラウンド?」
フィーロが尋ねてきた。なるほど、こいつが要項に一切目を通していないとうことが証明された。
呆れて溜め息が漏れる。
「戦闘は専用のフィールドが用意される。そういうのが得意な魔術士がいるからな」
化物級の、という言葉は呑み込んだ。
δブロックのリーグ戦は、ローズベル学園北区の第三グラウンドで行われる。ガナッシュたちはそこに移動していた。
どこからともなく、拡声器の音が響く。それは生徒会長、リリーナ・メルティノーズの声だった。
『はーい、みんなー! ちゃんと集合場所にいますかー? いたら元気よく返事をしてくださーい!』
は――――――――いっ!
『まあ、聞こえないんだけどねっ!』
ならなんでやらせた。
『各リーグの先生が点呼とってるはずだから、大丈夫だと信じて次に進みまーすっ! ここからはみんなの協力大事だからねっ! それじゃあ、ここでイネス先生に交代しまーすっ!』
生徒会長がそう言うと、拡声器の音が一瞬だけ乱れた。しばらく静かになる。
『イネス・ラトクリフです』
冷たい声だった。
底冷えするかのような、氷を連想させる声。ガナッシュはそれだけで背筋が寒くなるのを感じた。
イネス・ラトクリフ。
魔術士学科の教師だ。
ただの魔術士ではない。《クロムウェル》の元幹部だった、凄腕の魔術士だ。
《クロムウェル》を知らない者はいないだろう。《象牙の血盟》や《H&B》と同じく、大規模なクランの一つだ。だが、《クロムウェル》はこの二つのクランとは明確に違う点がある。
それは《クロムウェル》が、魔術士だけで構成されているクランだということ。創始者アルフレッド・クロムウェルの『万物統べるは魔術なり』という理念のもと結成されたクランだ。別名、魔術士協会。または、魔性の方舟。
冒険者の組むクランとは趣が違う。魔術士のためのギルドとでも呼んだほうが的確かもしれない。もちろん彼らは確かにダンジョンを探索し、数多くの功績を残している。冒険者としての意義は果たしていることからも、クランであることは否定できない。
だが目的は不明瞭だった。《象牙の血盟》ならば、未開の地を探索し、富と栄誉を手に入れることを目的としている。ある意味冒険者らしいクランだ。《H&B》は主に戦闘を重視し、強大な敵を追い求めて活動している。クランにはそういった共通の目的がある。
《クロムウェル》にはそれがない。
自由というべきなのかわからない。そもそも、創始者アルフレッド・クロムウェルの姿を見たことのある者はほとんどいない。存在すら怪しまれている。
そんな、謎のクランでありながら、大きな影響力を持つクラン。それが《クロムウェル》だ。
イネスはそのクランの幹部。今は姿は見えないが、艶やかで、全てを凍えさせるような空色の髪と、絶対零度を思わせる青い瞳を持つ美女。《冷滅の麗藐姫》の異名を持つ、最高峰の魔術士だ。
だが、そんなことはどうでもいい。
――あの女が。
「大羅天を、知る女……」
小さな、自分にしか聞こえないであろうくらい小さな声で、ガナッシュは呟いた。
「なんか言ったか?」
「いや、なんでもない」
フィーロは首を傾げたが、どうでもよくなったのか、すぐに視線を元に戻した。
『混沌門は各ブロックの所定位置に展開しています。試合進行順に沿ってクラン毎に潜ってください』
全員の視線が、グラウンドに点在する、大きな門に移った。あれがカオスゲート。白い門の扉には、何か不気味な紋様が刻まれていた。
拡声器の向こうで、イネスがくすっと笑った。
『ダイブ時の注意ですが、必ず今から配られるリボンを身体のどこかに巻いておくこと。それは蜘蛛の糸です。勝手に外すと、帰れなくなりますから』
そう言われると、役員であろう生徒から、白いリボンを配られる。周りを見ると、すぐさま全員が腕や足に結んでいた。こんな脅しをされれば誰でもそうするか。
前回はこんなものはなかったはずだが、何か理由でもあるのだろうか。まあ、説明されたところで、魔術師ではないガナッシュにすべてを理解することなど出来はしない。帰れなくなるのはごめんなので、ガナッシュもすぐに腕に巻きつけた。リボンが一瞬だけ発光したように感じた。気のせいか。いや、違うな。やはりこれは魔術的な道具なんだろう。
『あと目は閉じておいたほうが良いでしょう。酔ってしまって、試合どころじゃなくなってはいけませんから。これで注意は以上です』
ご武運を。
イネスはそう言って締め括った。
『……えーと、それじゃあ、みんな! 優勝目指して頑張ろうねっ!』
w……Woooooooooooooooooooooooo!
リリーナに再びマイクが渡ったようで、拡声器から元気な声が響くと、ここにいる生徒たちも気を取り直したように歓声をあげた。現金というか、なんというか。
ともあれ、ようやく戦いが始まる。
自然と、拳に力が入った。
◆Firo◆
ゲートってなんだろうかと思ったが、本当にそのままの門だな。大きい。そして多い。グラウンドのいたるところに門、門、門。門だらけだ。壮観だけれど、不気味でもある。
見た感じ、だいたい縦六メートル横三メートルってところか。フィーロたちの前にも、その大きな門が鎮座していた。
「どこに繋がってんだろ……」
「別の空間に繋がってるの」
フィーロの漏らした疑問の声に、シェリカが答えた。
「イネスの作り上げた隔離空間。あの女の箱庭で戦うなんてホント癪だわ。ぶっ壊してやろうかしら」
「退場になるんじゃねぇの」
はほーう。そりゃいいね。よしぶっ壊せ。
と思ったが、ガナッシュに妨げられた。
「バカを言ってないで、準備出来たのか」
「ふん。いつでもいけるわよ」
「フィーロは」
「え、俺も大丈夫」
いつでも逃げられる。
「今回は逃げられないからな?」
読まれていたようだ。日に日に鋭くなってる気がするな、こいつ。やだ怖い。
「あー……まだ眠い……」
「夜ふかししてたのかよ」
「本読んでたの!」
「珍しい。何読んでたんだ?」
面白かったら貸してほしい。
と、思ったのだが。
「世界の民法!」
……何それ。
「なんでそんなもん読んでんの」
面白いか?
「将来のために必要だもの。結婚のこととか」
「わあ勉強熱心。えらいえらい」
でも先に相手見つけなさいよ、とはさすがに口が裂けても言えなかった。まあ、したいようにさせよう。
「ふへへ……褒められた」
気持ち悪い笑いをして何やら喜んでいた。変な姉である。気にしないでおこう。触らぬシェリカになんとやら、だ。いやマジで。
「にしても隔離空間か……ピンとこないな」
どういったものかあまり想像がつかない。というか、そういう魔術もあるんだな。謹近戦学部が受ける魔術関係の講義なんて、魔術士とチームを組む際、念頭に置いておかないといけない最低限の知識くらいだ。例えば要素魔術の詠唱時間の長さとか、その時近戦学部の生徒がとるべき行動とか。
多少は興味もあったし、自分で調べたこともあるけれど、単に名前を知ってるというだけで、フィーロは要素魔術以外の魔術をあまり知らないのだ。シェリカが要素魔術しか使わないから。
「次元魔術だ。端的に言えば、もう一つ世界を創ることが出来る。理論は確立されているが、行使が可能な魔術士は極めて少ない……というかイネスくらいだな」
「へぇ……詳しいな」
「授業でやってたぞ」
「いや、俺とお前、その辺カリキュラム違うし」
ガナッシュは一応魔剣士学科なわけだし、普通の近戦学部よりかは専門的な講義を受けている。そこで習ったんだろう。
「そういうのシェリカは出来ないのか?」
いくらシェリカが要素魔術一辺倒といえど、他にも出来ることあるんじゃないか、とかちょっとした興味本位ではあった。そう思って、シェリカに視線を向けると、あからさまに明後日の方向を見ていた。ああ、これは。
「出来ないんだな」
「あ……あたしはそういう細々とした作業みたいなのは嫌いなの! 別に出来なくなくなくないわ!」
「ああ、そう。うん。わかったから落ち着け」
出来ないなら素直にそう言えばいいのにと思う。
「ま、魔術ってのは、いっぱい種類があるの! 全部なんとか魔術って一括にされてるけど、そもそも原理が違うの! 根本的に! だからっ……」
「わかったって! わかったから、な?」
頼むから落ち着いてくれ。
「ううう……」
いじけなくてもいいと思うんだが。いや別に責めてるわけでもないし。どうやら意地悪な質問だった
「あー……そういや他の面々はどこいるんだ?」
他の話題に帰るべきと判断し、今更ながら姿の見えない《カタハネ》のメンバーたちを探す。いやホント、どこに行った? サボり? え、何それズルい。俺もサボりたい。
「ユーリとモニカは向こうにいるぞ」
ガナッシュが指指す先を見ると、少し離れた、備え付けのベンチに二人の姿があった。なんだサボりじゃないのか。少し残念だ。もしサボりだったなら、俺もそのビッグウェーブに乗っていたのに。
仕方なく諦めて、二人の様子を眺める。モニカがユーリの長い髪をいじって遊んでいて、なんだか仲の良い姉妹のように見えた。
「仲睦まじいこったねぇ」
「お前、それ本気で言ってるのか?」
「え? 何。実は仲悪いのか?」
おい女の子こえぇな。
「いや、いい。知らぬがホトケだ」
「なんだそりゃ。ま、いいけど」
そういや何気なしに使ってるけど、ホトケってなんなんだろうな。今度暇な時にでも調べてみよう。
「で、クロアは?」
「お前の後ろだ」
「え?」
「後ろだ」
振り返ると、マジでいた。
じっと立ちす尽くすクロアが。
「うおっ! いつから!?」
「………ずっと。開会式から、いた」
「き、気付かなかった……」
クロアの場合、気配を消すの上手いっつーよりは、存在感がなさすぎる。さすが弓術士だ。いや弓術士関係ない気もする。
比較的無口だからか、やけに影が薄いというかなんというか。やることなすことはやたらインパクトあるんだけどな……。
「………いつ気付くかなって思って、見てた」
「今気付きました」
「……ちょっとショック」
「は! あんたみたなちんちくりん、フィーロの目に留まるわけないじゃない! ばっかじゃないの?」
わざわざ挑発しなくてもいいのに、シェリカは見下したように嘲る。なんでこんなんで元気になるかな、こいつ。性格の悪さが滲み出とるわ。
「………黙れぺちゃパイ」
「ぺっ……なっ、なな……フィーロ!」
「なんだよ……」
「こいつ超失礼!」
「どっちもどっちだろ」
「あたしの方が大きいわよ!」
「胸の話じゃねーよ」
だがそれはダウトだと言っておこう。心の中で。
まだ死にたくないし。
「――たく……もうすぐ試合だってのに、えらく余裕があるじゃねぇの。なぁ、一年坊主」
こうやって騒いでると、またぞろ面倒臭そうなことが起きるものだ。何やらぞろぞろと集団が現れた。なんだ、この人たち。
フィーロが訝しんでいると、シェリカは神妙に後ろに回った。高飛車なくせに、案外人見知りするよな、こいつって。
「噂の《カタハネ》だろ、お前ら」
「はあ……」
「俺は《夢工場》のクレジオだ」
真ん中にいる男がそう名乗った。初戦の相手か。銀のバッジをしているので、学年は三年か。
「ガナッシュって奴は?」
「ボクだが」
「へぇ……」
ガナッシュが進み出ると、クレジオが値踏みするように見た。なんというか、傍から見ているフィーロもあまり気分は良くない。
《夢工場》というクランについてはよく知らないけれど、今いるのは八人。胸のバッジを見る限り、三年と二年で構成されているようだ。
「一年だけのクランがどこまでやるか、試させてもらうとするぜ。がっかりさせないでくれよ?」
「善処するつもりだ」
「そうかい。ま、楽しみにしてるわ。せいぜいコミッククランじゃないことだけ祈ってるぜ」
ああ、これは舐められてるな。間違いなく。
《カタハネ》は良くも悪くも有名だ。一年生だけのクランが珍しい訳じゃないけど、《カタハネ》の場合、学部主席が二人も加盟している。それに結成からかなり短い期間でクランクAに昇格していることもあって、上級生の中には面白くないと思う者も少なからず存在する。
その一つが彼らなのだ。
いや別に、俺は関係ないと思うんだけど。
ガナッシュはそれに対してどう応えるのだろうかなどと思い、見守っていると、ふっと笑い返した。
「ご期待に添えるよう全力でやらせてもらうよ、"工場長"さん」
「な……テメェ」
「ぶっ……」
思わず吹き出してしまった。クレジオにじろっと睨まれる。
「あーいや……」
やっべ。怖い。
「いくぞフィーロ。もうすぐ試合だ」
「あ、ああ……」
すたすたと歩き出すガナッシュにフィーロは慌ててついていく。「ちょ、待ってよフィーロ」さらにシェリカがフィーロの後を追って来た。裾を掴まれたので、自然とスピードが落ちたが、ガナッシュには追いついた。
「お前、あれはないだろ」
「売られた喧嘩だ」
「いやそうだけど……」
あれ完全に目を付けられたぞ。どうしてくれんの。
「こんなものは通過点でしかない。向こうが侮っているなら、目にもの見せてやるだけだ」
澄ました顔でそんなことを言いやがる。女の子の間じゃクールだのなんだのと声高に叫ばれるガナッシュだが、一皮剥けば中身はこんなんだ。好戦的というかなんというか。
背後からは視線をビシビシ感じる。これ絶対睨んでるよ。めっちゃ怖いんだけど。
こいつ、ホント余計なことするなぁ。
「……ま、それがガナッシュか」
「なんだ」
「いんや、なんでもねぇよ」
言ってどうにかなるとも思えないしな。
ガナッシュは眉をひそめた。
「引っかかる物言いだな」
「それよかユーリとモニカにはそろそろ集合してもらわねないといけないんじゃねぇの」
「……たく。まあ、そうだな。呼んでこよう」
強引に話題を変えられたことで、追及する気も失せたのか、ガナッシュは諦めた様子でユーリたちを呼びに向かった。
待ってる間、
……そういや、なんか忘れてる気がするんだよな。
気のせいか。