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「……あの、本当に治るのでしょうか……?」
救護用の天幕には、カレントの病院から運ばれてきた騎士たちが収容されていた。
ヘルミーナは一人、一人の状態を確認しながら診て回った。
幸いにも全員が命の危機から脱している。けれど、その者の殆どが想像以上に酷い怪我を負っていた。
彼らはヘルミーナが王宮に保護される前から遠征に出ていたため、神聖魔法の存在を知らぬ者たちだ。いくら同じ騎士から説明されても、にわかには信じがたいだろう。
すると、紺色の髪をした若い騎士が期待と不安の入り混じった表情でヘルミーナに訊ねてきた。能力を疑う騎士に、護衛として控えていたパウロが彼を咎めるも、ヘルミーナはそれを遮った。
「大丈夫です。──絶対に治ります」
そう言ってヘルミーナは、肘から下を失った若い騎士の右腕を両手で包み込んだ。
少しだけ神聖魔法をその騎士に流し込むと、顔についた傷が一瞬の内に治癒されていく。周囲でその様子を見守っていた騎士たちは思わず息を呑んだ。
「皆さん、明日には騎士団に復帰出来ますから」
今すぐでないのが心苦しい。
王国の騎士を計画の一部に利用してしまい申し訳なくなる。だから、少しでも彼らの痛みを和らげるために力を使った。
明日には全員が元の肉体を取り戻すと分かっていても。今夜だけは痛みに呻くことのないように。我慢強いとはいえ、痛みや不安は掻き消せるものではない。
ヘルミーナが安心させるように笑顔を見せれば、若い騎士は目を潤ませ、声を詰まらせた。失った手に、これから先を悲観していた彼は目の前に現れた唯一の希望に涙した。感謝の言葉を伝えたくても嗚咽にしかならず、けれどその思いだけは痛いほどよく伝わってきた。
「ヘルミーナ様、ありがとうございました。体調はお変わりないですか?」
「はい、大丈夫です。魔力も一晩眠れば回復しますので」
負傷した騎士の確認を終えたヘルミーナは、ダニエルたちの待つ天幕に向かって歩いていた。
暗闇の道に、天幕から漏れる明かりが足元を照らす。
青い瓶の魔法水があれば騎士たちの怪我も完治するはずだ。本数も問題ない。
騎士たちの状態を確認したときは気持ちが深く沈んだが、明日の彼らを思い描けば幾分か心が軽くなった。
「今まで疑問だったのですが、貴族の方の中でもヘルミーナ様の魔力が少ないのは、それだけ大きな魔力を抑制されているからではないでしょうか?」
「……そう、でしょうか。ただ、第二次覚醒の条件は人それぞれだと聞いています。それに運だと言う人も」
ヘルミーナの魔力量を知ってパウロがふと訊ねてきた。新人の育成部隊に配属されていた彼らしい意見だ。
しかし、ヘルミーナは曖昧な表情を浮かべた。覚醒については試さなかったわけではない。自分にも抑制された魔力が覚醒すれば、お荷物だと後ろ指を指されずに済んだのだから。でも、それには大きな代償と危険が伴う。
「失言でした。私の無礼をお許し下さい」
「いいえ、パウロさんが謝ることは……! 覚醒すればそれだけ多くの方を助けることが出来るので、私も自身の魔力が増えればと考えています」
「ヘルミーナ様……」
「それよりカイザー様たちの方は大丈夫でしょうか?」
空気が重くなるのを感じ、ヘルミーナは無理やり別の話を切り出した。
騎士団に助けを求めてきた男の子はダニエルの手を取り、話をするためにそのまま別の天幕へ連れて行かれた。カイザーはヘルミーナをパウロに託し、彼もまたダニエルについて行った。
男の子から詳しい話を聞ければ良いが……。
ヘルミーナは連れ去られた男の子の母親の無事を祈りつつ、ダニエルの天幕に戻った。
天幕の中へ入るとカイザーが口元に人差し指を当て、声を出さないようにと伝えてきた。彼の視線が導く先には、男の子がベッドで眠っていた。傍にはダニエルがついている。
カイザーから労いの言葉を貰った後、詳しい話は宿に戻ってから聞かせてくれることになった。
「少年の名前はフラン。母親が山菜を取りに行き、迎えに行ったところで連れ去られたらしい。相手は水魔法を使ったようだ」
「水魔法、ですか」
宿に戻ると、カイザーはリックたちを招集してフランが話してくれた目撃情報を共有してくれた。
だが、事件の犯人が水魔法を使ったと聞かされて心がざわつく。フランの傍についていたダニエルが、神妙な面持ちだったのはそのせいだろう。
「それではケーズ村で起きている失踪事件は、魔物ではなく人が関わっている可能性が高いということですか。そちらも第二騎士団が調査を?」
「いや、事は急を要する。ダニエル団長とも話したが当初の予定通り、我々の協力者である村の医者に魔法水を預け、そのまま騎士団に運んでもらう。謎の飲み薬によってあらゆる怪我が完治したとなれば大騒ぎになるはずだ。その後は、魔物討伐に向かってもらう」
フランの母親が連れ去られたのは昼間だという。
救出までの時間が長引けばそれだけ助けるのも難しくなる。
「そして我々だが、一旦騎士に戻り、フランの証言を元に失踪者の捜索に当たることにする。第二騎士団からはパウロを含めた四名が助っ人として来てくれることになった」
本来なら騒ぎになる前に村を離脱する予定だったが、今回の事件を見逃すことは出来ない。
計画は間違いなく遂行されているため、自由に動ける内に事件の真相を突き止めたいと話すカイザーに、ヘルミーナたちも同意した。
翌日──。
ヘルミーナたちは宿の女将に医者の住まいを訊ね、別れを告げて幌馬車ごと移動した。最後まで「売れるのかねぇ」と心配してくれた女将は、後になって驚いてくれることだろう。
協力者である医者の元を尋ねると、彼は待ちかねた様子で店先に出ていた。
六十を過ぎた老人ではあるが、青い瓶を手にする目は患者と向き合う医者そのものだ。真剣な眼差しはいつの間にかヘルミーナへと移り「任せてくだされ」と力強く頷いてきた。
荷台から荷物を降ろすところを、数人の村人が目撃する。医者が詐欺にでも遭っているんじゃないかと不安そうな表情をされたが、効果が知れ渡るまでは仕方ない。
作業が終わると同時に、騎士たちがやって来るのが見えた。
ヘルミーナたちは幌馬車に乗って彼らとすれ違った。彼らの歓喜の輪に加われないのは残念だが、今は他にやるべきことがある。
幌馬車は村を去るようにして再び山道に入ったが、暫く走らせたところで突然止まった。
「ご苦労さまです。幌馬車はこちらでお預かりします」
道を塞ぐようにして待っていたのはパウロを含めた六人の騎士だった。ヘルミーナたちは荷台から降りて、周囲を警戒しながら外套を深く被った。
一方、カイザー、リック、ランスの三人は外套を脱いで団服姿になった。やはり彼らにはその姿が一番良く似合っている。思わず見つめてしまうと、ランスに「もしかして見惚れちゃってる?」と茶化すように訊かれて、ヘルミーナは慌てて誤魔化した。
「母親がいなくなったというのはこの先か」
「ええ、そのようです。険しい山道になるので馬は使えません」
二人の騎士が幌馬車に乗り込むと、来た道を引き返していく。
その後ろを見送った後は、合流したパウロたちと木が生い茂ったケーズニ山脈を見上げた。
「先に私とリック、ランスの三人が先導する。パウロたちは後方の確認と、ミーナ嬢の護衛を任せる。ミーナ嬢は無理せずついて来てくれ」
「分かりました。皆さん宜しくお願いします」
昨晩の話し合いでは、ヘルミーナを村に残すか、騎士団に預けるかと様々な意見が飛び交ったが、最終的にカイザーの近くが最も安全だという結論に至った。
ヘルミーナもまた何かあれば治癒を施すことが出来る。
山登りをする姿を母親に見つかったら叱られそうだが、子供の頃は木登りもしていた。彼らに続いていく自信がある。ヘルミーナは気合いを入れて、道なき道に入って行った。
「──待て。人の気配がする」
一時間ほど山を捜索しただろうか。
ヘルミーナの自信はとうに汗となって流れていた。パウロやメアリが何度も「大丈夫ですか?」と、声を掛けてもらうのが申し訳なくなってくる。
それでも遅れることなく必死についていくと、カイザーがふいに足を止めた。
それから手の動きだけでランスとリックに指示を送り、三人は警戒しつつ茂みに近づいた。
すると、木の根元に血だらけになった女性が倒れ込んでいた。
「おい、大丈夫か!?」
カイザーが茂みを掻き分けて女性の元に駆けつける。
真っ青な顔をした女性はピクリとも動かなかった。だが、そっと抱きかかえると意識を取り戻したように目を開いた。
「はぁ、は……っ! ……けて、助けて……あの化け物が……っ!」
「我々は王国の騎士だ。もう安心するといい。まずは水を」
女性の声は驚くほど掠れていた。カイザーはリックの差し出してきた水筒を女性の口に押し当てたが、女性は一瞬安堵の表情を浮かべるとまた気絶してしまった。
刹那、頭上のほうからガサッと草の揺れる音がした。その直後、逃げていく足音が聞こえてくる。
「カイザー副団長」
「ああ、分かってる。一先ず、後方の二名は彼女を村に運んでくれ」
気を失った女性を抱き上げたカイザーは、後ろからついてきた騎士の二名に女性を託した。
外見からしてフランの母親で間違いない。ヘルミーナは少年の母親が無事だったことに胸を撫で下ろした。
「あの、村に着いたらこの青い瓶を彼女に」
「確かに受け取りました」
ヘルミーナは村へ戻る騎士に、持っていた青い瓶を渡した。これがあれば彼女の傷は全て癒えるはずだ。あとは母親の帰りを待つフランの元へ、無事に戻ってくれることを願った。
女性を連れて下山する騎士を見送ると、ヘルミーナは振り返って前方にいるカイザーたちの姿を探した。けれど、彼らの姿はすでにそこになかった。
と、もう少し山を登った辺りから「騎士に見つかった!」と叫ぶ声が聞こえてきた。カイザーたちはその後を追ったのだろう。
ヘルミーナたちも急いで彼らのいる場所に向かった。すると、木々に囲まれた山奥に古びた小屋が建っていた。
ようやくたどり着いた時には、カイザーとリックは兵士の格好をした二人の男を制圧し、ランスは小屋の中を確認していた。
その時、小屋の後ろから一人の男が逃げ出して行くのが見えた。
「アイツ……っ!」
「待て、ランス!」
逃げていくのは青い髪の男だった。ニキア村の石橋に立っていた兵士に似ていた気がする。
カイザーがランスを呼び止めるも、森の中へ入っていく兵士を追いかけてランスも姿を消した。
「リックはランスの後を追ってくれ。絶対に一人で行動させるな! パウロたちはこいつらを縛り上げろ。メアリはミーナ嬢の傍から離れないように」
「すぐに追いかけます!」
カイザーの指示に従って、それぞれが動き出す。
一方、ヘルミーナはなぜか誘われるように小屋に近づいていった。メアリが止めてくれたのに、どうしてか見なければいけないような気がして足が止まらなかった。
しかし、悪臭を放つ小屋の中に広がったおぞましい光景に、ヘルミーナは戦慄いた。
終焉と呼ぶものが実際目に出来るのなら、きっと目に映る景色なのだろう。
黒い瘴気に覆われた室内に、全身の震えが止まらなくなった……。
 




