06
古より、魔の物に食い荒らされた大地に、光の神であるエルネスが降り立った。
エルネスは不毛の地に新たな生命を吹き込み、魔の物に対抗するため人族に国を造らせた。
──エルメイト王国の始まりである。
さらに魔の物と戦うため、エルネスは自然界に属する力を民に授け、そして王族には民を抑制するため別の「祝福」を与えた。
そして王国は、幾度となく魔の物の脅威を乗り越え、大きな発展を遂げてきたと謂われている。
「どこに行っていたんだ、中にいないで」
「ごめんなさい、気分が悪くて外に……」
「まったく、人目につくところにいないと意味がないだろ? それより挨拶しなきゃいけない相手が来たから急いでくれ」
探しに来てくれたエーリッヒと合流すると、ヘルミーナは乱暴に腕を掴まれて中に連れて行かれた。
ヘルミーナがホールに戻ると、パーティーの雰囲気は一転していた。
音楽は止まり、ダンスをしている人は誰もいない。
あれほど騒がしかったパーティーは妙な緊張感と、不安や期待が入り交ざった空気が流れていた。
その原因を探ろうとしたが、答えはすぐに分かった。
招待客がまるで切り裂かれたように左右に寄って、通り道を譲っていたのだ。
そして彼らの視線の先には、ヘルミーナにも覚えのある青年が笑顔で挨拶に応じていた。王宮の舞踏会で何度か拝見したことがある。
光の神エルネスに加護された国、エルメイト王国の王太子──ルドルフ・ディゴ・エルメイト、その人だ。
王家の血筋であることを証明する白金の髪と、黄金色の瞳を持ち、すらりとした長身に人目を引く秀麗な容貌をしている。
彼ほどの人物が侯爵家の誕生日パーティーに出席しているとは。
驚きを隠せなかったのは皆も同じだった。
しかし、周囲から聞こえてきた話に耳を傾けると、ヘルミーナは納得した。
確認するのはルドルフだけではなかった。
彼の隣にいる女性もまた重要な人物だった。
燃えているように赤い髪に、ルビーのように輝いてみえる赤い眼。
深紅の派手なドレスは、彼女が着ると彼女を引き立てるためのひとつの道具に過ぎなくなる。堂々とした佇まいに、指先まで完璧な装い。
ルドルフ王太子の婚約者にして、次期王太子妃となる女性。
レイブロン公爵家の長女で、アネッサ・フォン・レイブロンだ。
社交界の花であるアネッサが王太子を伴って歩くと、人々は圧倒されて動けなくなる。
もしかして、エーリッヒが挨拶に行こうとしている相手は彼らなのだろうか。
恐怖に身を竦ませると、エーリッヒはヘルミーナの腕を掴んだまま、人の波を掻き分けて二人の元へ近づいた。
「光の神エルネスのご加護がありますように。エルメイト国の若き光──ルドルフ王太子殿下と、レイブロン公爵令嬢にご挨拶申し上げます」
他の貴族と挨拶を交わしていたルドルフとアネッサの所に、エーリッヒがヘルミーナと共に出て行った。
ヘルミーナは彼らの前に立ち塞がってしまったことに目眩を覚える。それでもエーリッヒに合わせて挨拶の言葉を述べてから深々と頭を下げた。
周囲からは非難にも取れる言葉が聞こえてきた。
「そう、貴方が……お名前はなんと言ったかしら?」
「アルムス子爵家の長男で、エーリッヒ・アルムスと申します」
「……わ、私はテイト伯爵家の長女で、ヘルミーナ・テイトと申します……」
名前を訊ねられ、エーリッヒは光栄だと言わんばかりに堂々と答えた。一方、ヘルミーナはまだ頭を下げたまま小さな声で答えた。
きっと言ったそばから忘れられるに決まっている。
社交界のお荷物が、社交界の女王にも相応しい令嬢の目に止まるわけがない。
さっさとこの場から逃げ出したかった。だが、エーリッヒにとっては名を売るチャンスに違いなかった。
「ウォルバート一族を代表して、王太子殿下と公女様にお会いできたこと嬉しく思います」
「こちらこそ、我がレイブロン一族のパーティーに出席してくださり感謝致しますわ」
形式張った挨拶だが、エーリッヒは手応えを感じているようだった。
未来の国王と王妃に挨拶できたのだから。
しかし、笑顔のアネッサからは、ちりっと肌の焼けるような熱さを感じてヘルミーナは気が気じゃなかった。
そこへ王太子のルドルフが一歩前に出て、手を差し出してきた。
「そうか、君たちはウォルバート一族の──」
ルドルフがエーリッヒに握手を求めた瞬間、横に控えていたヘルミーナから、パシャンと音を立てた何かが弾け飛んだ。
同時に、光の粒が一瞬首の周りを覆う。
小さな音だったが、招待客に交ざってルドルフを護衛していた騎士が集まってきた。
ヘルミーナは声にならない悲鳴を上げそうになったが、驚いているのはヘルミーナだけではなかった。
ルドルフとアネッサもまた目を丸くしていた。
「殿下、大丈夫ですか?」
「……ああ、問題ない。さあ、パーティーを続けてくれ」
ルドルフが片手を上げて問題なかったことを伝えると、静まり返ったホールはまた賑やかさを取り戻した。
しかし、ヘルミーナはガタガタと震え、息をすることも出来なかった。
体温を冷やすために使っていた水魔法を解かずに来てしまったのだ。
それがルドルフによって強制的に解かれた。
王族は他の民とは違う。
彼らは魔力を持って生まれてきても、どの属性にも属さず他人の魔力を「無効化」出来る特別な能力を与えられた。
よって、どれほど民が力をつけても王族の前では何の役にも立たない。
君主の前では赤子同然だった。
だから、ヘルミーナの魔法もルドルフの前で弾け飛んだのだろう。
幸いなことに、透明な水のおかげで魔法が解けたことに気づいた者はいないようだ。
ただエーリッヒとルドルフの挨拶に水を差してしまったことは否めない。
横からエーリッヒの突き刺さるような視線を感じて冷や汗が流れ落ちた。
俯いたまま、ただ無事に過ぎてくれることを願っていたが、そこへ意外にもアネッサが近づいてきた。
彼女は持っていた黒い扇を広げると、口元を隠しながら言った。
「──噂通り、本当に釣り合ってないのね」
貴方たち、という言葉まで耳に入ってきたかどうか分からない。
ただ未来の王妃にまで自分の存在を否定されたようで、ヘルミーナは茫然と立ち尽くすしかなかった。