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王城の宝物庫。限られた者しか立ち入ることが出来ないそこは、分厚い扉で守られていた。見張りの兵士も配置されていたが、実際に宝を守っているのはその扉だ。魔道具の一つで許可された者だけが開閉を行い、無理に突破すれば扉は一瞬にして崩れ、ならず者の侵入を一切許さなかった。
そこに絶えず運び込まれてくる宝は、中でどれほど眠っているのか正確に知る者はいない。国王や他の王族が足を運んでやって来るのも稀だ。
その日も王太子の侍従が大事そうに宝石箱を運んできた。両手に抱えられた宝石箱は見た目こそ立派だが、宝物庫にある貴重な宝から比べたら大したことはなかった。
しかし、侍従が宝物庫から出て行くこと三十分足らず。国王のリシャルド二世、王太子のルドルフ、そして宰相のモリスまでもが宝物庫の中に入って行ったとなれば、見張りの兵士が何事かと驚くのも無理はない。勿論、兵士が中の様子を窺い知ることは出来ないが、余程凄いお宝が納められたと推測するのは容易だった。
「──まさか、褒美として贈ったものが国宝級の価値になって戻ってくるとはな」
窓一つない宝物庫は外光と外気を遮断して貴重な財産を保管している。そのため明かりを灯さなければ暗闇が広がり、気温が上昇した時期でもひんやりしていた。
魔道具のランプに火を灯し、テーブルに置かれた宝石箱を見下ろした国王は、溜め息交じりに呟いた。
「申し訳ありません、父上。想定外の出来事はいつでも起こり得ると周囲に言い聞かせておきながら、私も油断しておりました」
「うむ。彼女は面白いほど我々を驚かせてくれる」
笑うに笑えない状況に、乾いた笑いも出てこない。
宝石箱を開けると、青光りしていた魔法石は透明感のある石に変わって白い光を放っていた。触れれば全身の傷が一瞬にして癒えてしまう。もし下級の魔物でもいれば、あっという間に消滅してしまうだろう。全く、なんという物を作ってくれたのか。
フィンから「ヘルミーナ様が魔法石に、光属性の魔力を付与されたようです」と報告を受けた時、ルドルフは飲んでいたお茶を吹き出した。
タイミングを見計らって伝えてきたに違いない。働かせ過ぎていることへの仕返しだ。だが、報告された内容に驚きすぎて言葉が出てこなかった。
ヘルミーナが魔法石を欲しがっていると聞かされた時、国王達は意気揚々と彼女に魔法石を贈ったが、その使用用途までは訊ねなかった。
知っていたら──否、知っていたところで結果は同じだったかもしれない。ただ、事前に知らされていたら慌てることもなかっただろう。
伝説に記されるような代物に、心の準備が出来ていなかった。
「ヘルミーナには王国の全てを渡しても足りないのではないか?」
「……同感です。これに見合う褒美はこの世に存在しないでしょう」
国王と次期国王となる王太子の会話に、それまで口を開かずに控えていたモリスは冗談とも取れない二人の言葉に青褪めた。また、それを引き起こしたのが自分の生徒なのだから頭の痛くなる話だ。
モリスは改めて、教え子が如何に問題児であるかを正確に理解する必要があった。
魔法石の加工が終わって献上品をフィンに託したヘルミーナは、メアリとリックの三人で談笑しながらお茶を飲んでいた。
暫く魔法石の加工に没頭してしまったせいか、時間も気にせずゆっくりするのは久しぶりだ。騎士団には魔法水だけ渡して足を運べていない。ロベルトには許可を貰っていたが、寂しいものがある。
明日は騎士団に足を運ぼう、と考えていたところへ、顔を真っ青にしたモリスが駆け込んできた。授業でもないのにどうしたのだろうかと思えば、「ヘルミーナ様の作られた魔法石のことでお話があります」と言われて嫌な汗が額に滲んだ。
一方、事情を把握しているメアリとリックは悟ったように立ち上がり、モリスに席を明け渡した。二人のおかげで逃げる機会を失ったヘルミーナは、大人しくモリスの説教を受けた。
「──次からは事前にご相談いただければと思います」
「本当に申し訳ありませんでした……」
小一時間。ヘルミーナの作った魔法石が如何に素晴らしく優れているか、そのせいで国王達は褒美にならないと嘆いていた、と褒められているのか叱られているのか分からない説教だった。だが、物がものだけにモリスは厳しい表情を崩さなかった。
ヘルミーナが隠れながら生活している今、光属性を含んだ魔法石もまた簡単に世へ出すわけにはいかない。ただ、こうしている間もこの魔法石があれば多くの命が救われるかと思うと複雑だ。
「しかし、光属性の魔法石とは。ご自身でお考えになられたんですか?」
「いえ、あ……はい。……他の属性と同じ視点で考えました」
「なるほど。四大属性の魔法石が身近に転がり過ぎて逆に思いつきませんでした。それにしても、あの魔法石は素晴らしいですね。ヘルミーナ様が傍にいなくても、魔法石を身につけておくだけで怪我や病気の治療、魔物を寄せつけない守り石になるのですから。仮に身につけていなくても魔法水を生成することも可能でしょう」
自身の負担を減らして効率を上げる方法──ヘルミーナは、モリスから出されていた課題を見事にクリアしたのだ。他に解決しなければいけない問題はあったが、「優秀な生徒を持って嬉しいです」と顔を綻ばせるモリスを見て、喜びが湧き上がった。
羽根が生えていたら飛んでいきたくなるほどの高揚感に包まれる。だから、つい浮かれて言ってしまったのである。
「実は、もう一つ作った物がありまして、そちらをモリス先生に確認していただきたいのです」
叱られていたことも忘れ、ヘルミーナはメアリに目配せすると、彼女はすぐに気づいて別室から長細いケースを運んできた。テーブルに置かれた黒いケースを開くと、白い光が漏れ出してその中から銀色のロングソードが現れた。
「これは、剣ですね」
「騎士の方々が使っている剣と同じようです。レイブロン公爵様から頂きました」
「光っているのは、もしかして魔法石を?」
「はい、光属性の魔法石を同じく埋めてみました」
「そうですか、治癒能力と浄化を備えた剣ですね。下級の魔物であれば近づくことも難しいでしょう」
「はい……攻撃力は上がりませんが、魔物には十分効果的だと思います。何より光属性の魔法石を使っているので、属性を持たない方のほうが扱いやすいかと思います」
「……ああ、そういうことですか」
「少しでもお役に立てればと思ったのですが、いかがでしょうか?」
属性を持つ騎士であれば魔力を流し込んで剣を振るうのが基本だ。けれど、これは光属性の魔法石を使っているため、ヘルミーナ以外の魔力では魔法石の効果は上がらない。
騎士によっては使いづらいかもしれないが、最初から魔力を持ち合わせていない人や、魔力を無効にしてしまう人にとっては魔物を倒すことに特化した、まさに夢のような剣だった。
「無効化の祝福を受けた人ほど扱いやすい剣というわけですね。これはあの方々も喜びましょう。今度こそヘルミーナ様に王国ごと差し出すと言ってこないか心配です」
「え……っ!? 何を」
「欲しくはありませんか?」
「い、いりません! この宮殿ですら管理出来ていないのにっ」
「少しぐらい欲を出しても良いのでは?」
「欲、ですか」
後日、どんな贅沢品でも惜しまず誰かに渡してしまうヘルミーナに「横流しの天才」と呼ぶ者が次々に現れるのだが、本人がそれを知ることはなかった。
国家の権力者達がたった一人の貴族令嬢に振り回される姿を見るのは面白いが、彼女の欲のなさに不安もある。このままでは自分の価値も理解しないまま周囲から搾取されないか、教え子の将来が心配になった。
けれど、ヘルミーナは肩を竦め、恥ずかしそうに「私にも欲はあります」と言ってきた。モリスは細い目を更に細め、後ろに控えていたメアリとリックも聞き耳を立てた。そうとは知らず、ヘルミーナは口を開いた。
「私は、認めてもらいたいです。誰かのお荷物ではなく、ヘルミーナ・テイトという存在を。とくに、騎士の方々や王宮で出会った皆さんは素晴らしくて尊敬します。私もそんな方達と肩を並べても恥ずかしくないように、皆から認めてもらえるようになりたいんです」
初めて胸に秘めていた欲を吐き出したヘルミーナは顔を真っ赤にした。「お荷物令嬢」にとっては大きな夢だ。
ただ、それを聞いていた三人の心境がどうだったのかは分からない。照れてしまったヘルミーナは彼らの顔をまともに見られなかった。見ていれば複雑そうにする彼らの表情が分かっただろう。
すでに誰からも認められているはずなのに、社交界で受けてきた扱いが自己評価を下げているのだ。
一体どこまで認められたら彼女は納得するのだろう。厄介な病に罹っている教え子に、モリスは「すぐに叶いますよ」と呟いたが、ヘルミーナの耳に届くことはなかった。
 




