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謁見当日──。
いつもより気合いの入ったメイド達によって着飾られたヘルミーナは、体力の半分をここで失った。朝食を取らずにいて正解だった。紐をぎっちり締め上げられたコルセットが内臓を圧迫してくる。
それでも、王宮で用意された水色のドレスに、白いレースが幾重にも重なったスカートを着せられると気分が上昇した。昔はよく、髪色に合わせたドレスを選んで着ていたのに、目立つという理由で袖を通さなくなってしまった。それが王宮で着られるなんて。普段は必要以上に喋らないメイドも「お美しいです」と言ってくれた。緊張を和らげるためだろうが、嘘でも嬉しかった。
ヘルミーナの支度が整うと、廊下で待機していた護衛の騎士が呼ばれた。部屋に入ってきたのはカイザーとリックだ。一瞬、マティアスが現れたら、どんな顔をして会えばいいだろうと考えてしまった。昨晩は彼のことが気がかりで扉を開けようとしたが、結局勇気がなくて何も出来なかった。おかげで寝不足だ。
「大変よくお似合いです、ヘルミーナ様」
二人揃って近くまで来ると、リックがドレスアップした姿を褒めてくれた。彼の社交辞令は完璧だ。ヘルミーナも笑顔で「ありがとうございます」と返せば、リックは「本心ですので」と念押ししてきた。大丈夫、分かっている。リックの隣で何も言わず固まっているカイザーを見れば尚更だ。すると、気を利かせたリックがカイザーを肘で突いた。
「……あ、ああ……こういう時はどんな言葉を掛けたら良いか思いつかなくて」
「華やかな格好は、私には似合わないかもしれません」
「いや、そんなことは絶対にない! 団服も似合っていたし、お茶会の時に着替えてきた黄色のドレスも、先日の食事会で見せてくれた格好もどれも素晴らしかった。ただ、それをどう表現したらいいか分からないんだ。私の単純な言葉では君の美しさを表しきれなくて。そんな自分が不甲斐ない……」
本気で肩を落とすカイザーに、どうしたらいいか分からなくなったのはヘルミーナの方だ。
今のは冗談だろうか。それにしては気持ちが籠もっていて、演技に思えなかった。優しいカイザーのことだから、これが普通なのかもしれない。でも、お世辞すら言われたことのないヘルミーナには、心臓に悪かった。
慣れていない褒め言葉に恥ずかしくなってくる。ヘルミーナは顔の火照りを感じながら何とかお礼を言った。同時に、残っていた体力の半分がさらに削られた気がした。
カイザーにエスコートされつつ、ヘルミーナは転移装置の場所に案内された。部屋からそれほど離れていないところを見ると、来訪した他国の元首が我が国の国王と謁見や会談を行うために設置されたことが分かる。転移先である特別貴賓室というのが、まさに国家同士で話し合いをする部屋だった。
場違いもいいところだ。いっそのこと転移装置で他の場所に飛んでいけないだろうか。そう思って振り返ったが、後ろからついてきたリックに「危ないですから前を向いてください」と叱られた。あれは逃げ出そうとするヘルミーナに気づいている顔だった。
「もしかして転移装置で気分が悪くなった?」
「大丈夫です……っ」
どれに触れても問題になりそうな高級品ばかりが収められた貴賓室で、大人しく立って待っていようとしたところ、気遣ってくれたカイザーによって花柄の肘掛け椅子に座らされた。ヘルミーナは浅く腰掛けて、触れる面積を最小限にした。
その間にもカイザーが目の前に跪いて心配そうに見上げてくる。ヘルミーナは「本当に平気です」と伝えたが、騎士団の一件以来カイザーの過保護が増した気がする。ここはリックに助けを求めるしかない、と視線を上げた時、貴賓室の扉が叩かれた。
リックが出迎えてくれると、深緑色のロングコートを着た男が中に入ってきた。背中まで伸びた黒髪に、漆黒の目は蛇のように細く釣り上がっている。その双眸で見つめられると背筋がゾッとしてしまった。けれど、上等な服装から高貴な身分であるはずなのに、男は扉の近くで立ち止まると頭を深く下げてきた。
「お迎えに参りました、テイト伯爵令嬢ヘルミーナ・テイト様。国王陛下がお待ちです。謁見の間までご案内致します」
「はい……!」
「尚、謁見の間には私も同席させていただきます。他にも同席を希望した者が数名おりますが、皆顔見知りの者だと伺っております。私だけが初対面ということで、ご挨拶もかねてこちらに参った次第です。申し遅れましたが、私はモリス・ラスカーナと申します。王城では宰相の職に就いております」
「……宰相、さま。……初めまして、お会い出来て光栄です」
モリスと名乗った男に、ヘルミーナはまじまじと見つめてしまった。間近で見るエルメイト王国の宰相に目が離せなくなってしまったのだ。彼について知っているのは基本的なことだ。元はラスカーナ一族に連なる侯爵家の次男で、宰相に就いた際に国王から男爵の爵位を与えられ、後にラスカーナ公爵の夫になった人だ。
王城内で彼ほど優秀な人間はおらず、常に国王の右腕としてエルメイト王室を支え、王国の中枢を担っている人物だ。社交界ではあまり見かけることはなかったが、その名前だけはしっかり記憶していた。
「こちらこそお目にかかれて光栄です。それでは参りましょう」
「宜しくお願いします」
失礼なほど見つめてしまったヘルミーナに、モリスは表情一つ変えることはなかった。
廊下へ出るとモリスが先に歩き、その後ろからヘルミーナとカイザーが続いた。リックはここまでらしい。人払いが済んでいるのか、廊下には誰もいない。そして謁見の間に辿り着くと、扉の両側に立っていた兵士たちが分厚い扉を開けてくれた。
中へ促されて謁見の間に足を踏み入れると、赤い絨毯が部屋の奥まで続いていた。それを辿っていくと階段があり、上った先には黄金の椅子がそびえ立つように置かれていた。そこに座っているのは勿論、王冠を被った国王──リシャルド二世である。しかし、彼の隣にある王妃の椅子は空席だった。
一方、階段のすぐ下に王太子のルドルフが立っていた。右側には案内してくれたモリス、左側にはレイブロン公爵、マティアスと並び、そこへ一緒に来たカイザーも加わった。想像以上に物々しい雰囲気だ。
「──光の神エルネスのご加護がありますように。エルメイト王国を導く光であらせられる国王陛下にお目通り叶い光栄に存じます。テイト伯爵家長女、ヘルミーナ・テイトでございます」
「よくぞ参った、ヘルミーナよ。さあ、もっと近くに来るといい」
ヘルミーナは定められた場所で立ち止まると、膝を曲げてお辞儀した。ドレスが長くて良かった。ガクガクと震える足を見られずに済んだのだから。低い姿勢で挨拶をすると、国王はすぐにヘルミーナを近くへ呼んだ。言われるがまま一歩だけ近づいたが、国王の反応はいまいちだ。もう少し近づいてみるが、距離はまだ十分ある。
すると、見かねたルドルフが「こっちにおいで」と手招いてくれた。さすがにそこまで近づくことは出来なかったが、階段の近くまで足を進めると国王との距離は一気に縮まった。声も良く聞こえる。
「お主のことはルドルフから聞き及んでいる」
「恐縮でございます」
「そう畏まらんでくれ。……と言っても難しいか」
ヘルミーナは目は伏せたまま直立していた。すでに緊張はピークを迎えている。すると、国王は「ルドルフよ」と息子に助けを求めたようだ。このまま何事もなく済んでくれることを願っているが、そうもいかないのが世の常だ。
ルドルフは騎士の後方で控えていたフィンを呼んで、ヘルミーナからの献上品を運ばせた。
「こちらはヘルミーナ・テイト伯爵令嬢より承った献上品でございます」
「ほう、これが神聖魔法で作られた魔法水か」
「仰る通りです、父上。ヘルミーナ嬢がこちらを作る際、私もその場に同席しておりました」
「そうか。魔法が一切禁じられている王城で、準備してくれたというのだな」
フィンがヘルミーナの近くで跪き、木箱を開いて魔法水の入った丸瓶を見せた。瓶はキラキラと輝き、最初に用意した時と変わりなかった。そのことに安堵したのも束の間、国王の一言でヘルミーナは青褪めた。
「…………え?」
「ふむ。魔法が使えない場所とはいえ、光属性は関係ないということか」
「わ、私は……決してっ、王室に害をなそうとしたわけでは!」
どういうこと!? と、ヘルミーナは思わずルドルフを見てしまった。
献上品を用意する時、ルドルフは魔法が禁じられていることも、使えないようになっていることも言わなかった。批難するわけじゃないが、一言も教えてくれなかったルドルフを信じられない顔で凝視してしまった。すると、彼はとても良い笑顔を向けてきた。
これは最初に準備した献上品を使ってしまったことへの仕返しだろうか。それとも能天気にも、庭や花壇に魔法水を撒いてきてしまったことへの罰だろうか。それとも……。思っていたより、王国の王太子にも無礼を働いて迷惑をかけていることに気づき、ヘルミーナは背中を丸めた。
まさか、ここまで来て裁かれるなんてことになったらどうしよう。急に怖くなって震えると、何かがヘルミーナの右肩を優しく包み込んでくれた。
「陛下もルドルフ殿下も悪戯が過ぎますな。ヘルミーナ嬢に何かあれば、我々騎士団が黙っていませんぞ?」
温もりを感じて顔を上げると、レイブロン公爵がヘルミーナの肩を抱いて隣に立っていた。それだけじゃない。マティアスとカイザーもレイブロン公爵に続くように、彼の横に立っている。
驚いて目を見開くと、レイブロン公爵は口の端を持ち上げて笑っていた。でも、なぜだろう。完治したはずの左目に、前回と同じ黒の眼帯が掛けられていた。もしかして元に戻ってしまったのだろうか。不安になると、レイブロン公爵は国王を真っ直ぐに見据えた。
モリスは反逆にも思えるレイブロン公爵の行動に、冷静かつ戒めるような口調で「レイブロン公爵、何の真似ですか」と訊いてきた。それとは裏腹に、国王は落ち着いた様子で薄く笑った。
「騎士団は此度の件で彼女に恩があるというわけか」
「左様です。しかし、それだけではありません」
そう言ってレイブロン公爵は、ヘルミーナの肩から離した手を自分の左目に持っていき眼帯をもぎ取った。すると、彼は元通りになった左目を国王に見せた。二十年間、癒えることのなかった傷跡を。
「ここにいるヘルミーナ嬢のおかげで、二十年ぶりに陛下を両眼で見ることが出来るようになりました。これで救われたのは、私だけではありますまい」
「……なんと、アルバンよ」
レイブロン公爵は、ヘルミーナの存在を隠すために傷が完治した後も眼帯をしてくれていたのだろう。教会でも治せなかった目が治ったとあれば騒ぎ出す者が出てくるかもしれない。だから、以前と同じ姿でいてくれたのだ。ヘルミーナはレイブロン公爵の気遣いに胸を熱くさせた。
そして、国王もまた臣下の嬉しい報告に声を詰まらせたのだ。




