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「──だが、まぁ……君が光属性の力を恐れず、使う気になってくれたのは嬉しいよ」
短い沈黙の後、ルドルフは表情を崩してなぜか安心したように笑った。もっと怒るか、呆れるかと思っていたのに、彼は驚くほどあっさりしていた。
ヘルミーナは下げていた頭を起こして、安堵の息を吐いた。後でリックとランスにも謝っておこう。彼らには迷惑をかけてばかりだ。
十分反省したところで、ヘルミーナはルドルフの顔色を窺いながら口を開いた。
「ですが、その神聖魔法も私の能力や知識だけでは限界があり、きちんと扱えているか分からなくて……」
今の話をエーリッヒにすれば「努力が足りない」と突き放されるか、「そんなことも自分で出来ないのか」と文句を言われるか、もしくは「何もしなくていい」と興味すら持たれなかっただろう。だから、ルドルフにしても幻滅されるのではないかと内心怯えていた。
しかし、ルドルフは腕を組んで考える素振りを見せると、驚くほど真剣に相談に乗ってくれた。
「元々二つの属性を持つこと自体、とても稀なんだよ。我々のように魔力を持って生まれた者は、最初から宿っていた魔力を常に体内に巡らせている。普段、何気なく使っている魔法も日常生活の中で深く考えながら使っている者は少ないだろう。だが、二重属性となれば別だ。前例がないわけじゃないが、二つの異なる魔力をどちらも反発しないように体内で巡らせるのは、はっきり言って不可能に近い」
「──……」
「私が二重属性について詳しいのは変かな?」
「いいえっ! ただ何も知らなかったので、とても勉強になります」
光属性は勿論、二重属性に関しても無知だったヘルミーナはルドルフの説明に目を丸くした。今はただ使うことに目を向けてきたが、他にも知らなければいけないことが色々あるようだ。
「……私も一時期、研究していたことがあってね」
「ルドルフ殿下が、二重属性の研究ですか?」
「身近で専門的に研究している者がいてね。その影響かな」
「その方にお会いすることは可能でしょうか?」
元より光の神エルネスから「無効化」という祝福を与えられた王族が、なぜ二重属性について研究していたのかは疑問だ。ただ、言葉を濁すルドルフを見るとそれ以上踏み込むのは憚られた。そこでヘルミーナは、ルドルフの話に出てきた人物に注目した。
「会わせることは出来るけど、良いのかい?」
「良い、とは……?」
「二重属性は本当に貴重だ。それが光属性ともなれば尚更。ヘルミーナ嬢の存在が明るみになれば学者達が放っておかないだろう。君だって実験台にはなりたくはないだろ?」
それは、その通りだ。研究者の実験台になりたくて自ら名乗りをあげる者はいない。けれど、その貴重な二重属性を持った者が他にいない今、ヘルミーナほど研究の材料に適している者はいないだろう。
何より自分が知りたいのだ。これからのことを考えれば、無知でいるよりずっといい。
「でも、その方は殿下に影響を与えるほどの方でいらっしゃいます」
「それならば信用できる、と。それは喜んでもいいのかな。ただ、肝心の彼がとても気難しい人でね。私が命じたところで素直に協力してくれるかどうか。──王命でもない限り」
折角、二重属性について新たな知識が得られるかもしれないと思ったのに、相手は王太子のルドルフさえ手に負えない人物のようだ。そうなると、たかが伯爵令嬢一人に貴重な研究内容を教えてくれるとは思えない。
残念だけど諦めるしかないと肩を落としたが、どういうわけかルドルフだけは悪戯を思いついた子供のように目を輝かせてきた。
「さて、どうする? ヘルミーナ嬢がどうしても学びたいということであれば、その方法を教えてあげなくもないけど」
「────」
一体どこから誘導されていたのだろう。
満面の笑みを浮かべるルドルフに、共犯の片棒を担がされている気分になる。けれど、ここまで聞かされて今さら逃げられるわけがない。カイザーやアネッサがいれば止めてくれたかもしれないが、ヘルミーナの立場では大人しく彼に従うしかなかった。
ヘルミーナはルドルフに顔を近づけ「……どうすれば宜しいでしょうか?」と小声で訊ねていた。まるで、悪いことを計画している悪党のように。
内緒の打ち合わせをする二人の後ろでは、彼らを止められないことを悔やむリックの姿があった。
★ ★
ヘルミーナが王宮に来てから数日、ついに国王夫妻が王城に帰ってきた。
主君が戻ってくると、城内の雰囲気はがらりと変わった。メイド達は一層気を引き締めたようで、ピリッと張り詰めた緊張感がある。部屋で大人しく過ごしていたヘルミーナも、そわそわと落ち着かない時間を過ごしていた。
ルドルフとアネッサは忙しいのか、暫く会えていない。また部屋の外に出ていないため、護衛の騎士と顔を合わせる機会がなかった。
そんな中、ルドルフの侍従であるフィンが、国王と謁見する日時などを伝えにやって来た。
「謁見は明日の昼間です。護衛の騎士が迎えに参りますので、一緒に転移装置に乗っていただき、特別貴賓室の場所まで移動して下さい。そちらでお待ちいただければ、担当の者が呼びに参りますので謁見の間にお入り下さい。また王室の献上品はこちらで持たせていただきます」
「分かりました。色々ありがとうございます」
フィンの説明は簡潔に纏められ、とても分かりやすかった。それでいて丁寧で、余計な緊張が解けていくようだ。ヘルミーナはフィンに感謝の言葉を伝えた。
その時、フィンの視線が一瞬ヘルミーナの目と重なった。何か言いたげな表情を見せるフィンに、ヘルミーナは首を傾けた。
「どうかしましたか?」
「……あの、無礼を承知でお伺いしますが、ラゴル侯爵家のマティアス様が毎晩こちらにお越しだと耳にしました。我が一族にも関わることでしたので、その……お二人の関係をお教えいただければと思い……」
「毎晩、ですか……? いっ、いいえ! 私達はまったく、そういう関係ではなく! 団長様は廊下で警護をされていらっしゃるだけかと! ですから、私とは何もっ!」
予想外の質問にヘルミーナは全力で首と両手を振った。まさか、マティアスがあれからも毎晩扉の前に立っていたとは思わず、今聞かされて知ったぐらいだ。ヘルミーナは間違った噂が流れていないことを祈りつつ、マティアスとの関係を完全否定した。
ところが、フィンは「そうでしたか。失礼なことを訊いてしまい申し訳ありませんでした」と謝ってきたが、その顔は落ち込んで見えた。それから彼は、何事もなかったように部屋から出て行った。
一方、こちらは嵐が過ぎ去った後のようだった。マティアスが毎晩のように来ているとは思わなかったし、彼とそういう仲だと思われていることに驚いてしまった。まさか、よりによって自分と疑われるなんて、マティアスに申し訳ない。かと言って、彼にどう謝っていいかも分からない。
夜に顔を合わせたのは一度きり。それも誤解されるような出来事があったわけじゃない。なのに、この行き場を失った心境をどうしてくれよう。
ヘルミーナは伸ばしかけた手を下ろして息をついた。
婚約が正式に解消されていない身で、次のことなど考えられない。それに、婚約が白紙になったところで誰が「お荷物令嬢」と婚約してくれるだろうか。今は光属性を宿したから皆が優しくしてくれているだけで、そうでなければこのような場所に案内されることもなかった。
──求められているのは「私自身」ではない。
時々勘違いしてしまいそうになっても、社交界で浴びせられた言葉や視線がヘルミーナを現実に引き戻してくれた。貴重な力を手に入れたからといって、舞い上がってはいけない。ここには一人になっても生きていけるように、自分だけの居場所を探しに来たのだから。
もう誰かのお荷物にはなりたくない……。
ヘルミーナは気を取り直すように顔を二、三度叩いた後、とりあえず今は明日の謁見に集中しようと無理矢理自分に言い聞かせた。




