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食後のティータイムまで楽しんだヘルミーナは、満腹のお腹を抱えながら部屋に戻った。その時も誰かとすれ違うことはなく、廊下は異常なほど静まり返っていた。
違和感を覚えてカイザーに訊ねると、元々ここは他国の元首クラスが来訪した際に使われる部屋で、王室の許可がない限り入ることは許されていない区域らしい。もし彼らに何かあれば、国家同士の争いに繋がりかねない。そのため使用人達も厳しく教育され、必要以上に関わらないようになっていた。また、分厚い壁の外側は厳重な警備体制が敷かれており、侵入は不可能だという。
そんな場所に通されたのかと思ったら、急に腰が引けた。
その夜、改めて一人きりになると豪華絢爛な部屋に怖気づいてしまった。昨日は睡魔に負けてベッドに入り込んでしまったが、田舎の貴族令嬢が通される部屋じゃない。とは言え、ここで過ごすのもあと数日だ。国王陛下に挨拶を済ませたら、もっと普通の部屋を用意してくれるだろう。……きっと。
暫くベッドの端っこに座って膝を抱いていたヘルミーナは、ふと廊下から引き寄せられるものを感じて床に降りた。その足で扉に近づくも、人の気配や物音はしない。それでも気になって扉を開いた。
「……誰か、いますか?」
扉から顔だけ出して周囲を伺ってみたが、誰かいる様子はなかった。気のせいだろうか。しかし首をかしげた直後、より濃くなった影から声が返ってきた。
「ヘルミーナ様、いかがされましたか?」
「……団長様?」
今度は悲鳴を上げずに済んだ。ただ、薄暗い廊下から聞こえてきた低い声に、ヘルミーナは目を瞬かせた。
なぜ彼がこんな場所で立っているのだろうか。まるで、部屋を守る兵士のように。扉を開くと、部屋の明かりに照らされてマティアスの姿が露わになった。
「まさか、ずっと扉の前で警護を?」
「ヘルミーナ様が気にされる必要はありません。廊下は冷えますので、どうぞお部屋にお戻り下さい」
「ですが……」
気にするなと言われても、素直に頷けなかった。
マティアスはいつから部屋の前に立っていたのだろうか。部屋に戻っても、彼はそのまま立ち続けるのだろうか。色々訊ねたかったのに、マティアスは扉を掴んでヘルミーナを部屋の中へ促してくる。
「……貴女がまた目覚めなくなるのではと心配なのです」
「え……?」
ぼそりと聞こえてきたマティアスの言葉に、ヘルミーナは振り返った。その拍子に、目の前にあったマティアスの胸元に顔をぶつけてしまった。「痛っ」と言うほど痛くはなかったが、反射的に声が出てしまったようだ。
マティアスも慌てて、顔を押さえるヘルミーナに手を伸ばしてきたが、その指先が触れることはなかった。
なぜなら、彼の胸元がいきなり光り出して、白い蔦がヘルミーナに向かって伸びてきたからだ。
「これは……」
突然の出来事に息を呑む。けれど、それはヘルミーナがずっとマティアスに感じていた懐かしさの正体でもあった。
★ ★
翌日、ルドルフが侍従を伴ってヘルミーナの元に訪れてきたのは、昼食を取った後だった。護衛騎士としてリックも一緒だ。三人を部屋に通すと、すかさずメイドがやって来てルドルフとヘルミーナのお茶を用意し、またすぐに出て行った。もはや訓練された騎士だ。動きに一切の無駄がない。
ヘルミーナは丸テーブルを挟んでルドルフと向かい合った。彼から体調を訊かれて「問題ありません」と答えたが、むしろ「アネッサとカイザーも来たかったようだけど、彼らにもやることがあってね」と話すルドルフの方が疲れた顔をしていた。
「本題に入る前に私の侍従を紹介しよう。侍従のフィンだ」
「初めまして、ヘルミーナ様。センブルク一族で、リナルディ子爵家長男のフィン・リナルディと申します。私のことは気軽にフィンとお呼びください」
ルドルフに紹介された侍従は、風属性の一族らしく新緑を思わせるような薄緑色の髪に緑色の瞳をした青年だった。
同じ風属性でも、風の民であるマティアスとはまた違った印象だ。少なくともフィンの気配はしっかり感じることができた。
「フィンは王妃の甥でね。私が忙しい時は彼を通して君に連絡することもあるだろう」
「分かりました。宜しくお願いします」
「それじゃ、頼まれていた物を持ってきたから、中身を確認してくれるかい?」
ルドルフの言葉に合わせ、フィンが持ってきた木箱をテーブルに置いた。
王室の紋章が刻印された蓋に、側面には花の彫刻が施され、正面には鍵穴が付いている。箱だけでも存在感があるのだから、中に入っている物も相当価値があるものだろう。
白い手袋をはめた手でゆっくり箱を開くフィンに、ヘルミーナは固唾を呑んで見守った。すると中から、薄水色に黄金の装飾で縁取られた丸瓶が現れた。蓋は王冠の形をしている。間違いなく高いやつだ。
「これでどうかな?」
「……綺麗な入れ物だと思います」
おいくらですか? とは恐ろしくて訊けず、瓶を褒めることしかできなかった。
しかし、王室に献上することを考えれば、このぐらい高級な物でなければいけなかったのかもしれない。青い瓶は質より量を優先してしまったが、これは明らかに見た目を重視した形だ。
「瓶を出して、蓋を開けてやってくれ」
「承知しました」
「聖杯より小さいが、直接いけそうかな?」
「このぐらいでしたら大丈夫です」
青い瓶から比べれば大きいが、聖杯よりは小さい。それでもヘルミーナは顎を引いて、一度握り締めた両手を丸瓶に向けて翳した。
騎士団で最大限まで神聖魔法を放出したおかげか、光属性の魔力が以前より早く体内を巡るのが分かる。それを水魔法と混ぜて瓶の中に沈めていった。すると、空だった瓶から突如光が溢れ出した。
ヘルミーナは顔を上げて、うまくいったことをルドルフに伝えた。彼は光を放つ瓶に目を細め、唖然としている侍従の顔に口元を緩ませた。
「美しいね……。それに、輝きが強くなったようだ」
「ありがとうございます。実は、あれから隠れて練習していました」
光の神エルネスからの祝福に初めは困惑していたヘルミーナも、眠っていた冒険心をくすぐられて新しい魔力を試さずにはいられなかった。最初は失敗続きだったが、練習していく内に光の具合から上達していくのが目に見えて分かった。そして訓練に没頭すると、以前より上手く扱えるようになっていた。
ヘルミーナは照れながら、これまでの経緯をルドルフに話す。しかし、話の途中から彼の顔が徐々に険しくなっていった。
「なるほど、隠れて練習を。因みに、その時つくった魔法水はどうしたのかな?」
「それは……部屋の花瓶に入れたり、花壇や庭に撒いたり……」
誤解が起きないように「でも、失敗したものだけです……」と付け加えたが、部屋の空気が一変した。
突然額を押さえたルドルフは「──リック卿」と、後ろに控えていたリックを鋭く呼びつけた。ヘルミーナも反射的に視線を上げれば、リックは体を直角に折り曲げていた。
「申し訳ありませんでした! 私の管理が甘かったようですっ」
「……想定外の事態はどこでも起こりうるものだよ。今後もしっかり備えておくように。フィン、今すぐ騎士団に行ってレイブロン公爵に事情を説明し、第一騎士団のランス・ディゴーレをテイト伯爵邸に向かわせてくれ。何か異常が起きていないか調べてくるようにと」
「畏まりました」
厳しい口調で命じるルドルフに、頭を下げるリックと、短く返事をして部屋を出ていくフィンを、左見右見していたヘルミーナは、だんだん自分のやってしまったことに気づいて血の気が引いていった。
組んだ両手をテーブルに乗せてこちらを見つめてくるルドルフに、顔が合わせられない。だらだらと冷や汗が流れていく中、ルドルフのため息に首を引っ込めた。
「ヘルミーナ嬢はもっと自分の能力について知る必要がありそうだね。神聖魔法は人の怪我や病気を簡単に治せてしまうものだ。失敗したものとはいえ、植物や土にだって影響が出ても不思議じゃない」
「……大変、申し訳ありませんでした」
──弁解のしようもない。
ヘルミーナは心から謝罪し、ルドルフに深々と頭を下げた。
後日、テイト伯爵邸を調査したランスによると、花瓶の花は枯れずに咲き続け、庭と花壇は手入れが大変なほど元気に育っているという、よろしくない報告を受けることになった。




