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「──私はご遠慮致します。ヘルミーナ様の無事を確認しましたので、このまま騎士団に戻ります。それではヘルミーナ様、失礼致します」
ルドルフの誘いに対し、マティアスだけは断って颯爽と立ち去っていった。どんな相手であれ態度を変えることなく堂々としていられるのは羨ましい。いや、羨ましすぎる。これから、ここにいる皆で食事を取るかと思ったら、空腹も逃げていってしまいそうだ。
当然、断る勇気のなかったヘルミーナは食事の時間までに湯浴みを済ませ、用意されたドレスに着替えて軽めの化粧で顔を整えた。手伝ってくれたメイド達は王宮勤めだけあって手際が良く、満足いく仕上がりにしてくれた。
全ての準備が整った頃、部屋の扉がノックされた。メイドが扉を開いて確認すると「レイブロン公子様がお迎えにいらっしゃいました」と教えてくれた。ヘルミーナは、薄ピンク色のドレスを揺らしてカイザーの元へ向かった。
「食事する場所までエスコートしてもいいかな?」
「はい、宜しくお願いします」
団服の格好は変わらず、しかしカイザーはヘルミーナの手を取って隣に並んでくれた。一緒に長い廊下を歩いていると、レイブロン公爵家に招かれたお茶会を思い出す。
ヘルミーナは懐かしむように口元を緩ませ、カイザーに向かって「ありがとうございます」と感謝を伝えた。今こうして王宮の中を歩けているのは、彼らのおかげだ。これからも感謝することが幾度となく訪れるだろう。その度にこの気持ちを伝えていきたいと思う。
一瞬、熱風のようなものが通り過ぎたが、誰もいない廊下は平和そのものだった。
不思議と、誰にも会うことなく歩いていくと、王城の塔の一角にやって来た。螺旋状になった階段を登っていき、「ここだよ」と教えられた場所に到着した瞬間、ヘルミーナは感嘆の声を上げた。
そこは塔の屋上部分で、地面は青々とした芝生に覆われ、天井は透明なガラス張りになっていて空が良く見えた。先程まで薄暗かった塔の中が嘘のようだ。花壇が並んだ中央には、真っ白な東屋が建てられている。
「ようこそ。ここは王族専用の温室だよ。使用人達も下がらせたから、気兼ねする必要はない」
「ありがとう、ございます……」
笑顔で出迎えてくれたルドルフとアネッサに、ヘルミーナは顔を引き攣らせた。王族専用と言われて気軽に過ごせるわけがない。前回のお茶会と同じ顔ぶれとはいえ、彼らの輝きには当分慣れそうになかった。ヘルミーナは挙動不審にならないように気をつけながら、促された椅子に腰を下ろした。
テーブルにはすでに数多くの料理が並べられていた。これなら使用人を下がらせても、好きな料理を好きなように食べることができる。隣に座ったカイザーが「私もルドルフも、堅苦しい食事が苦手なんだ」と教えてくれた。
「皆も揃ったことだ、食事を始めよう。レイブロン公爵家の料理には及ばないかもしれないが」
「当然ですわ。我が公爵家の料理長は様々な国を旅しながら料理の腕を磨いてきた、元冒険者ですのよ?」
「料理人の、冒険者ですか……?」
冒険者とは、故郷を離れて大陸中を渡り歩きながら、ある者は名誉を求め、ある者は未知の旅を楽しみ、またある者は己の成長や自分探しのために旅立った探求者達のことだ。冒険者になる理由は人それぞれだが、れっきとした職業の一つである。
彼らは大陸共通の冒険者ギルドに所属し、各地で様々な依頼をこなしながら報酬を得て生活している。魔物の討伐も請け負っており、とくに魔物の標的になりやすい農村地帯を所有する田舎の領地では馴染み深いものだった。
ヘルミーナがアネッサの話に食いつくと、ルドルフは口の端を持ち上げた。
「興味がありそうだね」
「あの、はい……。私共の領地では鉱山に出る魔物の討伐を冒険者ギルドに依頼しています。何より私の父が、冒険者から聞いた話をよく語って聞かせてくれました。そんな父も、いつか自分の船を造って大海原に出るんだと口癖のように言っておりました」
家族の話になると、ヘルミーナは饒舌になった。
誰にだって自慢したいことの一つや、二つはある。ヘルミーナにとって家族は、何よりの自慢だった。優しい父親に、厳しくも愛情深い母親、そして可愛い弟と妹。離れてからたった一晩しか経っていないのに、思い出したら急に寂しくなってきた。
「それは男のロマンだね」
「ルドとお兄様も似たようなことを仰ってましたわね。大陸一の剣士になるだとか、伝説のドラゴンを討伐しに行くのだとか」
「覚えてるかい? カイザー」
「……機会があれば、ドラゴンとは戦ってみたいと思っている」
身分に関係なく、壮大な夢を抱いていたのは彼らも同じだったようだ。ヘルミーナは「ふふ」と笑い、自然と和やかな雰囲気に溶け込んでいった。
四人で取る食事は、思っていたよりずっと楽しかった。他愛もない話をしながら、時間をかけて食べたことで胃に負担をかけることなく、お腹を満たせた。
食事が終わった後、ルドルフがベルを鳴らすと数人のメイドが現れ、素早く食器を片付けると柑橘系の紅茶を淹れてくれた。
「改めてお礼を言うよ。ヘルミーナ嬢のおかげで騎士たちが皆無事だった」
お茶で一息ついたところで、ようやくルドルフが一昨日の出来事を切り出してきた。先程までの穏やかな表情とは違い、カイザーとアネッサも真剣な眼差しを向けてくる。
ヘルミーナは急いでお茶を飲み込み、カップをテーブルに戻した。
「ただ、ヘルミーナ嬢には申し訳ないが、騎士団で起きた事故は公にできなくてね」
「私は皆さんが無事だっただけで十分です」
「そうか……。ところでヘルミーナ嬢が力を使ったのは、君自身の意思だったのかな? もし違うのであれば、王宮へ呼んだ私個人としては君に謝らなければならない」
頭こそ下げなかったものの、王族であるルドルフから謝罪の姿勢を見せられ、ヘルミーナは慌てて首を振った。
ルドルフの考えでは、ヘルミーナを王宮に連れてくることで身の安全を守り、その力を周囲に知られることなく隠せると思ったからだろう。
しかし、ルドルフの気遣いを他所に、ヘルミーナは皆の前で神聖魔法を使ってしまった。それはもう全力で。
突然の出来事で不本意といえば不本意だったかもしれない。でも、ヘルミーナはルドルフを真っ直ぐ見つめ「王国のために、この力を使うと決めましたから」と言い切った。持ってきたあの青い瓶はそのための意思表示だったのだ。
確固たる思いを伝えると、ルドルフは頷いて表情を和らげた。
「ヘルミーナ嬢の選択を尊重しよう。また君の決断に感謝するよ。……ただ、王国のために君だけが頑張る必要はない、ということだけは覚えておいてほしい」
「……分かりました」
深く頷いて顔を上げると、三人とも表情を崩し「自分たちもいるのだから」と言うように笑った。
最初は、力不足だから頑張る必要がないと言われたのかと思ったが、それは勘違いだった。ここには他にも頼れる人達が沢山いる。だから、自分だけが頑張る必要はないのだと理解した。
「事故のことは発表できないが、ヘルミーナ嬢が我が王国の騎士を助けてくれたのは事実だ。陛下が戻られたら王室からも謝礼が支払われるだろう」
「そんな、恐れ多いです」
「遠慮しないでくれ。力を使うと決めたなら、君は対価を得ることにも慣れておいた方がいいだろう。先に何か欲しい物や、必要なものはあるかな?」
一昨日のレイブロン公爵と同じ状況になり、ヘルミーナは困惑した。欲しいものは驚くほど浮かんでこない。もっと貴族令嬢らしくあれば、ドレスや宝石を望んでいたかもしれないが……。
けれど、王宮に来る間に必要なものは買い揃えてしまったし、何より質素で地味な身なりを強いられてきたヘルミーナは着飾ることに消極的だった。それは簡単に変えられるものではない。
思い悩んだ末、一つだけ必要な物を思い出して口を開いた。
「あの、実は……騎士の皆さんに使った青い瓶ですが、本来は王室へ献上させていただこうと思っていた品であり」
「王室への献上品か、なるほど」
「……ご存知の通り、献上する前に使ってしまいましたが」
本当ならあの青い瓶は「王国に力を捧げる」というヘルミーナの意志であり、忠誠であり、神聖魔法の確かな証拠でもあった。他にも魔法水の研究材料になればと思っていたが、肝心の中身は一昨日の内にほぼ使い切ってしまった。……王室への献上品を。
すると、聞いていたルドルフの目が鋭くなった気がする。横にいたアネッサは「まあ」と声を上げて、あとは扇で口元を隠してしまった。カイザーは隣でキョトンとしている。それでもヘルミーナは肩を竦めつつ話を続けた。
「それで、改めてご用意したいと考えているのですが、青い瓶ですと中身が見えず不安になられる方がいらっしゃったので、何か他に良い入れ物はないかと思い……いえ、考えました、次第です……」
話しながら、これは何かの罪に問われるかもしれないと不安になってくる。
それなのに、三人ともヘルミーナから視線を逸し始めた。アネッサは顔まで隠し、ルドルフとカイザーは口元を押さえて肩を震わせている。ヘルミーナにとっては笑い事ではないのに。
「ふぅー……。ああ、ごめんね。君の希望は分かった。献上品に相応しい入れ物なら明日にでも用意させよう。無論、何の罪にも問わないから安心してほしい。ただ君が魔法を使う時は、同席させてもらってもいいかな?」
「それはもちろん、大丈夫です」
また寿命が縮むかと思ったが、今回も無事に済んだことにホッと胸を撫で下ろした。
一安心したヘルミーナはお茶の入ったカップを持ち上げる。それから、高貴な御三方がいつまで笑いを堪えられるか、暫く見守ることにした。




