03
──あんな婚約者を持って可哀想に。
それを最初に言われたのはいつだろう。
その時まで自分の立場に満足していたエーリッヒには目から鱗だった。
子供の頃に決められた婚約者とはいえ、ヘルミーナは自分より身分の高い貴族令嬢で、お淑やかで心優しい女性だった。
両親はヘルミーナを我が娘のように可愛がっていたし、使用人たちもヘルミーナがやって来るのを楽しみにしていた。
だが、エーリッヒが第二次覚醒によって魔力量が増えたことにより、彼の立場は一気に押し上げられた。
初めて足を踏み入れた社交界で、エーリッヒの元には多くの人だかりができた。
ただの子爵家の息子なら誰も見向きしなかっただろう。
しかし、彼は子供だったにも関わらず第二次覚醒のおかげで魔物を倒し、自らの力で命の危機から脱出したのだ。
噂好きの社交界では、エーリッヒの武勇伝は多くの者に伝わっていたようだ。
おかげでエーリッヒは華やかな舞台でも臆することなく堂々としていられた。
同時に、若いながらも数多くの人脈を作り、事業の拡大に向けた家門同士の繋がりまで手を伸ばすことに成功していた。
それだけに、エーリッヒにすでに決められた相手がいることを嘆いた女性は多かっただろう。
エーリッヒの婚約者として社交界デビュー前からその存在を知られていたヘルミーナは、すでにエーリッヒとは不釣り合いのレッテルを貼られていた。
薄い水色の髪に、同色の瞳。
空気のように漂うような薄い存在感。
どこかパッとしない平凡な顔立ちに、自我を出さない態度。
他人より優れたところはなく、自慢できるほど突出したものも持っていない。
確かに、名声を上げつつあるエーリッヒに、ヘルミーナは婚約者として劣っているかもしれない。
けれど、彼女は誰よりエーリッヒに忠実な女性だった。
言われた通りに従い、余計なことはしない。
何よりヘルミーナのおかげで多くの貴族から同情を買うことができたのだから、これほど自分に都合の良い結婚相手はいないだろう。
腹の探り合いや裏切りなど日常茶飯事の社交界で、ヘルミーナだけはエーリッヒを欺かない。
彼女こそエーリッヒがいなければ貴族令嬢として生きていけないのだから……。
★ ★
「今日のパーティーでは僕の傍から離れないように」
揺れる馬車の中。
最小限のレースやリボンのついた青いドレスを着たヘルミーナは、エーリッヒの言葉に小さく頷いた。
いつもならヘルミーナと踊った後、親しい友人や仕事仲間の元に行ってしまうのに、今日は違った。
これから向かうのは、先日の舞踏会でエーリッヒにしつこく言い寄ってきた侯爵夫人からの招待だった。
お互いにこのパーティーには参加したくなかったが、今回ばかりは無視できなかった。
今から訪れる侯爵家は、火属性を束ねるレイブロン公爵家の一族に連なっている。
火魔法を得意とするレイブロン公爵家は、水魔法を使うウォルバート公爵家とは犬猿の仲だが、侯爵家以上の大きなパーティーでは必ず他の一族は代表を選んで出席する義務があった。
それぞれの一族で余計な争いを招かない為だ。
その代表に選ばれたのがエーリッヒとヘルミーナだった。
何でも向こうの侯爵家がエーリッヒの参加を強く望んできたようだ。
理由は明白。
侯爵家には娘しかおらず、爵位を継ぐ娘の婿候補にエーリッヒを狙っているのだ。
もし仮にエーリッヒがヘルミーナとの婚約を破棄して、侯爵家の婿として迎え入れられれば、ヘルミーナは平凡どころか婚約者を他の一族に奪われた役立たずにされてしまう。
一族の恥晒しとなれば、テイト伯爵家はウォルバート公爵家に顔向け出来なくなる。
見たところエーリッヒは全ての誘いを断り続けているが、今度だってどんな条件を提示されるか分からない。
今の自分に、彼を引き止めるだけの魅力はないのに。
ヘルミーナは考えれば考えるほど恐ろしくなった。
「ミーナ、早くしろ」
いつの間にか到着していた馬車は扉が開き、先に降りたエーリッヒが苛立った様子でヘルミーナに手を伸ばしてきた。
ヘルミーナは慌ててエーリッヒの手を取った。
二人の婚約に大きな利益はない。
愛という結びつきもない。
おまけに周囲から同情される始末。
一体、この婚約に何の価値があるというのだろうか。
それでも記憶に残っているエーリッヒと過ごした日々が忘れられず、彼の言いなりになっている自分が情けなくなった。