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雲のようにふわふわした桃色の髪に、目尻の下がった目はアプリコット色。甘いお菓子みたいな人だなと思ったのは内緒だ。
護衛に付いてくれた時は、その軽い性格と態度から警戒していたが、エーリッヒの暴力から救ってくれた彼は紛れもなく本物の騎士だった。そして今、孤立気味だったヘルミーナの前に現れたランスが、心強い仲間に思えた。
「……ランスっ!」
「ミーナちゃん、なんでこんな場所に!?」
ランスが驚くのも無理はない。護衛対象のヘルミーナが、騎士団の外套を羽織って騎士団の病室に立っているのだから。だが、それを説明している時間はなかった。
すると、ランスとヘルミーナが顔見知りなことに気づいた医者は、治療する手は止めず二人に向かって怒鳴ってきた。
「ランス! 自分が怪我人だからって病室まで女を連れ込んだのか!」
「だーっ、違うっつーの! 今の、うちの団長と副団長の前で言ったら首飛ぶからな!」
ヘルミーナはランスに促され、治療の邪魔にならない場所まで連れてこられた。彼には言いたいことが沢山あったのに、今は焦りだけが生まれてくる。
「それより、どうしてミーナちゃんが……」
「あの、魔物に襲われたと聞いて、それで皆さんを治療したくて……っ!」
ヘルミーナは泣き出しそうな表情を浮かべながら、持った青い瓶をランスに見せた。
彼も公爵家のお茶会に居合わせ、ヘルミーナの護衛を任されていたのだから分かっているだろう。
ヘルミーナが授かったのは光の属性だ。そして彼女が使える神聖魔法は、瘴気を浄化し、傷や病気を癒やすことが出来る──。
「……でも、そんなことしたら」
「私のことは構いません! 一刻も早く皆さんを助けないとっ!」
本当は怖くて逃げ出したいはずなのに、名前も知らない騎士を助けようとしているヘルミーナに、ランスは息を呑んだ。
ランスとリックは、元々ヘルミーナの秘密を守るために護衛を任されていた。ヘルミーナ自身が答えを出すまで、周囲に気づかれることなく、もし明るみになっても彼女の安全を確保しながら秘密を最小限に押さえることが任務だった。
当然「契示の書」による魔法契約は済んでいる。二人が誓ったのは「ヘルミーナ・テイトの許可なく、第三者に彼女の秘密を漏らしてはいけない」というものだった。
それが今、ヘルミーナ自ら名も知らない騎士のために力を振るおうとしている。ランスは一瞬、視線を上げてリックを見た。リックは声こそ出さなかったものの、覚悟を決めた表情で頷かれランスは息をついた。
彼女の光属性が周囲に知られれば後戻りは出来なくなる。強制的な選択はさせたくなかったが、ランスは震えるヘルミーナの手を青い瓶ごと握り締めた。
「まぁ、そうだよねぇ。俺も仲間は失いたくないし。……こんな形で治したら後で絶対怒られそうだけど、そんなこと気にしてる場合じゃないよね。ミーナちゃん、これ俺にくれる?」
くれる? と言ったランスは、三角巾で吊るされた右腕をヘルミーナに見せた。
どうしてすぐに気づかなかったのだろう。ランスの右腕は包帯で何重にも巻かれ、大きな怪我を負っていた。
「……ランス、その腕っ!?」
「大丈夫、今回負った怪我じゃないから。それよりも早く!」
ランスの方こそヘルミーナと話したいことは色々あったが、今はこの状況を乗り越えるのが先だ。ヘルミーナを急かすと、彼女は手に押し付ける形で瓶を渡してきた。
受け取ったランスはすぐにコルクの栓を抜き、中の液体を一気に飲み込んだ。量にしてたったの一口。ただ、ランスの勢いの良さにヘルミーナとリックは同時にあ、と声を漏らしていた。
すると、ランスは喉を通って胃に落ちていく液体に、感嘆の声を上げた。
「──ハハ、これは凄いや」
いきなり笑いだしたランスは、固定されていた右腕を三角巾から外して持ち上げた。
瞬間、彼の肘から指先に掛けてボッと火が走り、右腕に巻かれていた包帯が瞬く間に燃え散った。リックはヘルミーナを守るように自分の方へ引き寄せたが、ヘルミーナはランスの腕に目を見張るばかりだった。
騒ぎに気づいた医者の男は「馬鹿な、数日前に折れたばかりだぞ! あと数週間は動かせないはずだっ」と声を上げたが、ランスは満足そうに腕を振り回し、周囲に向かって言い放った。
「これで薬の効果は分かっただろ! 仲間を助けたかったら怪我人にこの青い瓶を配れっ! ──ミーナちゃん、それでいいよね?」
「……はいっ! 足りなければすぐに作ります!」
ランスが叫んで指示を出すと、治療を手伝っていた数名の騎士が動いてくれた。ランスとリックも次々に青い瓶を配っていく。ヘルミーナも自ら配り、自力で飲めない患者には直接口の中へ流し込んだ。
ランスが実際に飲んで効果を見せてくれたおかげで、青い瓶が患者の元に行き渡った。勿論、騎士の中には疑って飲まずにいる者もいた。とくに貴族出身の騎士は飲むのを躊躇っていたかもしれない。
けれど、瓶の液体をあおった者が一人、また一人と増えていくたび、「おお、治った!」「傷口が完全に塞がったぞ!」「一体、どうなってんだ……!?」と喜びの声を上げると、それは大きな渦となって病室内や廊下が歓声に包まれた。
「こりゃあ驚いたな。虫の息だったやつがもう嬉しそうに跳び跳ねてやがる」
「試して正解だったな、おっさん」
医者の男は目の前で起こった出来事に呆けていると、ランスはケタケタと笑ってヘルミーナを見た。
ヘルミーナは今まさに助けたばかりの新人騎士から、泣きながら感謝されていた。
王国の騎士団に入るためには数々の試験にクリアしなければいけない。希望者の一割が残るかどうかの狭き門だ。それだけに、夢までに見た憧れの騎士になれたのに、一体の魔物も討伐出来ないまま訓練で命を落としていたら死んでも死にきれないだろう。辛うじて命は助かっても剣を振るえなくなったら同じだ。
ヘルミーナは彼らの傷を癒しただけでなく、希望を紡いだのだ。
ランスは治った自分の腕を見て口の端を持ち上げた。
以前、社交界で出回っていた「お荷物婚約者」の話を耳にしたことがある。
優れた婚約者のお荷物になっている残念な少女の話を。
当時から気に止めたことはなかったが、どういう巡り合せか、噂の少女の護衛を王太子から直接任されることになってランスはつくづく思った。
社交界に流れた噂は噂でしかなく、女性たちの陰口も当てにならない、と。
「まったく、あれのどこがお荷物令嬢なんだろうねぇ」




