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舗装された首都の道を進み、王城に入る最初の門に辿り着いた。
ヘルミーナは外套のフードを深く被り、カイザーに向かって頷いた。
王城に足を踏み入れるためには二つの城壁をくぐらなければならない。城門はそれぞれ二箇所あり、正門は王族や貴族が、裏門は騎士や使用人達の出入りに使われていた。
その昔、魔物の大群が押し寄せてきた時、二重に構えた城壁のおかげで魔物の侵攻を防いだと言われている。現在は魔法の向上や魔道具の発展により、更に堅固な城壁になったようだ。
因みに騎士団の練武場や宿舎は一つの城壁を越えた場所にある。
馬車が門の前で止まると、すぐに門衛がやって来た。
「問題はないか?」
「カイザー副団長、早いお戻りでしたね。本日は平和そのものでした」
「そうか。こっちは首都の近くで魔物の目撃情報があってね。これから偶然見掛けたというお嬢さんから話を聞くところだ」
「そうでしたか」
正門であれば、門衛が馬車の中を確認するのに断りを入れてくるのが決まりだが、裏門では近しい者同士。カイザー自ら馬車の扉を開けて中の確認を促し、事情を話し始めた。勿論、有りもしない出来事を。
ただ、本当に見てきた様子で話すものだから、嘘だと分かっていても勘違いしてしまいそうになる。
「怖かったでしょうに。カイザー副団長に任せれば心配いりませんよ」
「……はい、ありがとうございます」
ヘルミーナはフードの下からお礼を言った。本気で心配してくれた門衛に申し訳なかったが、確認が無事に終わると安堵の息が漏れた。
門を通された馬車が再び走り出した時、ヘルミーナは何事もなかったように平然と座る二人に気づいて驚いた。人を騙す後ろめたさと緊張で硬直していた自分とはまるで違う。
「あの、騎士の皆さんは良くあることなんでしょうか……?」
「騎士団にも色々ありますから」
「ヘルミーナ嬢が気にする必要はない」
随分と慣れていると思ったが、どうやら素性を偽った女性ひとり城壁の中に入れることなど容易かったようだ。当然、身分と地位があり、門衛にも慕われているカイザーだからこそというのもあるだろう。ルドルフがカイザーに頼んだ理由が分かった気がした。
ヘルミーナは、カイザーと話す門衛の顔を思い出して口元を持ち上げた。
「カイザー様は多くの方に慕われているのですね」
「あ……いや、そんなことはっ」
カイザーと喋る門衛の顔は、実に嬉しそうだった。心から憧れ、慕っているのだろう。見ているこちらまで微笑ましくなる光景に、ヘルミーナはフードの中で小さく笑った。
その時、馬車の中の温度が急激に上がった気がした。
ヘルミーナは馬車の中や窓の外を確認したが、特に変化はない。
一方、リックは口元を押さえて小刻みに震えているカイザーに「副団長、落ち着いて下さい」と、彼の肘を突っつく羽目になった。
馬車の速度が落ちて、騎士団の宿舎前に到着した。
宿舎と言っても貴族の邸宅よりも大きな建物だ。赤茶色のレンガ造りで、団員の寝所の他にも来客を迎える貴賓室や大広間、団長や幹部の執務室が設けられている。練武場も隣接しており、王国を守る騎士団の待遇は他国から比べても悪くない。
扉が開かれると、蒸し暑かった馬車の中に爽やかな風が吹き抜ける。
先にカイザーとリックが出ていき、ヘルミーナも続いて降りようとした時、目の前にカイザーの手が差し出された。しかし、両手に持ったバッグが邪魔をした。
「ヘルミーナ嬢、失礼するよ」
「あの、待っ……」
両手を伸ばしてきたカイザーに嫌な予感がした。反射的に止めようとしたが、その時にはもう体はふわりと持ち上げられ、気づいた時には地面に降ろされていた。今、何が起こったのか。偶然にもその瞬間を目撃していたリックと目が合ったが、彼はそっと視線を外した。
カイザーは満足そうに「さあ、行こうか」と言ってくれたが、ヘルミーナは暫く顔が上げられなかった。まだフードを被っていて良かった。
彼が女性に対して奥手で疎いなんて絶対に嘘だ。カイザーの優しさと気遣いは、好きでもない相手を勘違いさせてしまう毒に思えた。ヘルミーナは、決して流されないように気をつけようと心に誓うのだった。
職場兼宿舎の建物を歩いていると、窓の外から風に乗って剣や魔法の腕を磨く騎士達の声が聞こえてきた。残念ながら練武場は外壁に覆われて見えなかったが、多くの者達が上達するために汗を流しているのが分かった。
その時、カイザーはふと立ち止まって練武場のある方を見つめた。
「……リック、今日は新人の実践訓練か?」
「そのようですね。そろそろ魔物の討伐に連れていく頃ですから」
「そうか。念のため他の副団長達にも声を掛けておいてくれ。今日は総長と団長達が会議でいないからな」
「承知しました」
急に険しい表情を見せたカイザーはリックに命じると、リックは疑問を抱くことなくすぐに身を翻した。
ヘルミーナは何も感じなかったが、あまり良いことではないかもしれない。不安になると、カイザーはまた穏やかな笑みを浮かべて応接室に案内してくれた。
だが、この時から感じていたカイザーの悪い予感は的中することになる。
そして、ヘルミーナにとっても一生忘れることの出来ない一日になろうとしていた。




